少し昔話をしようと思う。エルウィン・ヨーゼフ2世とかいう憐れなクソガキの話だ。
エルウィン・ヨーゼフ2世は当時の皇帝フリードリヒ4世の長男ルードヴィヒの子として生まれたとされている。『されている』というのはそのままの意味で、本当に息子であったのかは所説ありとされているからだ。時期がどうのだの、母体がどうのだの謎のままなことが沢山ある。ともかくどのように生まれたのか実は今でもよくわかっていない。
出自こそ謎のままだが、エルウィン少年が立って歩くころには父も母も居なかったことだけは間違いない。少なくとも当の本人は見たことはなかった。幼いエルウィン少年の周りにいたのは、敬語で話してくる大人たちだけであった。どいつもこいつも敬うような口調で話しているというのに、誰一人少年のことを大切にしていない。そのことは幼いながら少年にもわかった。取り繕た笑顔がいつも醜悪に見えたのは記憶にある。今思えば少年は『皇帝の血』としか見られていなかったのであろう。誰もエルウィンという個人など必要としていなかった。
そんなこともあり、エルウィン少年は表面上は偉い立場ということで、割れ物を扱うかのように大切に育てられた。愛情は注がれず、同年代の子供も周りにおらず、ろくな躾もされず、ただそこに存在するためだけに彼は生かされた。そうして出来上がったのは、少し体の大きくなった赤ん坊であった。何かあれば泣き、身体を振り回し、目の前のものに当たり散らした。自分でもまぁろくでもないガキであったと思うが、あの当時の少年は本当にそれらでしかコミュニケーションの取りようがなかったのだ。赤ん坊みたいに泣くのをやめろというのも無理な話である。それでも、あの頃はまだそこまで常に大暴れだったわけでもない。行事だの何だのときはギリギリ外面くらいは保てていた。
そんなダメな少年ではあったが、なにせ当時の皇帝の孫ではあったので、例に洩れずお家の争いに担ぎ上げられることになる。それもこれも言ってしまえば、ろくになにも決めず争いの火だねだけバラまいて死んだフリードリヒ4世とかいう爺さんが悪いわけではあるが、まぁその気持ちも少しはわかる。皇帝なんて立場をいい歳になるまでやらされたのだ。
周りは自分の権力を利用することしか考えず、あちこちで人が死に、子や孫まで血で血をあらい、そして誰も自分という個人に見向きもしない。そんな世界に浸かっていれば『くたばれ銀河帝国』なんて思っていても不思議はないだろう。
ともかく少年はお家騒動の中担ぎあげられ、銀河帝国第37代皇帝をやらされることになった。
今でも皇帝となったあの時の景色を思い出せる。ラインハルト・フォン・ローエングラムがいた、クラウス・フォン・リヒテンラーデがいた、沢山の人間がいた。誰もが自分に首を垂れていた。だというのに誰一人自分を見ていなかった。いや、もしかしたら少しはいたのだろうか?今更わからない。ただ、白髪の老人の隣にいた金髪の青年が自分という人間を見ていなかったのは確かだ。妙に存在感のあるその青年が、不釣り合いに跪いているのが可笑しかったのを覚えている。
かくしてエルウィン少年は皇帝となったが、彼の日常が変わるわけではなかった。相も変わらずろくな躾もされず、ただそこにいるためだけの存在。宇宙を手にしていると言われる皇帝は、実際には何も持っていなかった。知能も、経験も、情緒も、何一つ与えられず、ただそこに居ることを強要された。
ご機嫌とりのように玩具や金銀財宝だけが部屋に増えていく。何一つ求めたものではなかった。そしてなんの成長も与えられなかった少年は自分が何を求めればいいのかさえわからなかった。
そんなエルウィン少年にさらなる追い打ちをかける出来ごとが起こる。俗に言う皇帝誘拐事件だ。あろうことか皇帝であるエルウィン少年は自称忠臣たちによって身柄をさらわれ、首都オーディンから強制的に引っ越しさせられることになった。
今となっては色々と裏があったのだとか言われていたりもする。フェザーンだの地球教だのの命令であったり、カイザーラインハルトの陰謀であったり、まぁ今更どうでもいい話だ。ともかく、ただでさえ情緒不安定な少年の精神がさらに病む出来事ではあった。さらわれて運ばれる道中で少年はそれはもう派手に泣き散らかしたが、今思えばそれでさえまだマシな状況であったと言えるだろう。あの時の少年はまだ泣きわめく自由くらいはあった。
帝国から連れ去られたエルウィン少年は、当時はまだ一応反帝国の体面を保っていた同盟へと亡命することになった。そこで発足した『銀河帝国正統政府』なるものに引き取られることになるのだが、その環境がもう今までにも増して酷かった。その敗残貴族たちは躾のなってない少年のことがよっぽど気にくわなかったらしく、薬剤を与えられほとんど眠ったような状態で過ごすことを求められた。
勝手に理想を抱かれ、勝手に失望され、それならばと勝手に扱われる。皇帝というものの人格などどうでもいいというのがよくわかる話だ。
ちなみに、この少年皇帝が亡命したことが、同盟滅亡の最後のトリガーになったなんて話もたまに聞くが、元少年皇帝の身からすれば『知ったことではない』というのが本音なところだ。文句を言いたければ、亡命させた自称忠臣たちか、亡命を受け入れた同盟の上層部か、同盟を滅ぼした張本人であるカイザーラインハルトにでも言ってもらいたい。
そうして、同盟は滅んだのだが、その後もエルウィン少年は匿われる生活を続けていくことになる。そのころになると、周りにいる大人は二人だけになっていた。ランズベルク伯アルフレットとレオポルド・シューマッハという男たちである。彼らだけはまぁ忠臣と言えば忠臣だったのであろう。ランズベルクはどれだけ少年がわがままを言おうと敬愛する態度を崩さなかったし、シューマッハはあからさまに嫌そうではあったが見捨てるということはしなかった。あの当時の精神が壊れた少年の面倒を見ていたことを考えると、感謝の一つくらいしてもいいのかもしれない。元を言えば攫ったのもこの二人だが。
そういえば、シューマッハとは先日再会する機会があった。まさか宇宙海賊なんてものになっているとは思わなかった。どういう事情であんな風になったのかは知らないが、機会があればまたじっくりと話をしてみたいものだ。
ともかく、エルウィン少年はその男たち二人としばらく生活して、その後人知れず逃げ出したということに歴史はなっている。それが銀河の歴史の1ページで今更文句があるわけでもない。ただ世の中には歴史に刻まれなかった1ページなんてのは山ほどあったりする。そのことについて少し語ってみようと思う。
そもそも逃げ出したとされているが、あの頃の少年は逃げるという能力すらありはしなかった。じゃあ何が起きたかというと、また攫われたのだ。腐っても元皇帝の少年にはまだまだ使い道があった。攫った者たちの中でどういうやり取りが行われたかは知らない。まぁあの当時だから地球教だのフェザーンだのその辺が関わっていたのではないかと思う。結構長いこと処遇が決まらなかったが、最終的にヨブ・トリューニヒトなる男に少年は引き取られることになった。
ヨブ・トリューニヒトの家庭に初めていった時のことは覚えている。トリューニヒトが自慢気に「私たちの息子だ」なんて言って母に紹介した。それを聞いた母はそれはもう心底嬉しそうな顔をしていた。子のいなかった母は、母性を注ぐ相手を求めていたのであろう。
といってもエルウィン少年からしたら、またいきなり環境が変わっただけにしかすぎなかった。翌日にはもう暴れだし、意味のない言葉を喚き散らした。トリューニヒトは家にはおらず、母と二人きりの状況だった。
母はなんとか宥めようとしたが、あの頃の少年には宥められて大人しくするほどの情緒すらなかった。どれだけ言い聞かされても泣きわめき、暴れることを止めはしない。
これまで精神に異常をきたした少年が暴れたときに大人がすることは決まっていた。必死に下手に出て懇願するか、やめるまで我慢するか、無理やり眠らせるか。まぁそんなとこだ。ところが、母だけは違った。
喚く少年に、母はビンタを一発かました。少年は未知の体験に反応することもできなかった。頬に痛みがやってくるが、それをどう発散していていいかもわからない。誰も自分に手を上げることなんてこれまでなかった。なにもかも初めての出来事で困惑していた。
その後、温かい腕が少年を包み込んだ。
「大丈夫だから……大丈夫……」そう優しい声で囁かれる。
頬の痛みと、抱かれるぬくもりと、優しい声。きっと、それは少年がはじめて与えられる愛情だった。はじめて愛情というものを理解した。いままで自分がなにが欲しかったのかもやっとわかった。少年は生まれてからずっと愛情を求めていたのだ。
少年は抱かれた腕のなかで泣きじゃくった。これまでの自分が悲しくて、いま愛情を与えられことが嬉しくて。泣き疲れて眠りにつくまで腕の中で泣き続けた。
壊れやすいおもちゃも、敬語で話してくる大人も、皇帝の地位も、宇宙も、この愛情というものに比べたらなんの価値もないものだ。その時少年はそう思った。たぶん、今でもそう思っている。だから俺には、カイザーラインハルトも、ヨブ・トリューニヒトも理解できない。友や姉、妻から愛情を注がれることよりも、宇宙を求めるという野望はそれほどまでに甘美なものであったのだろうか。やっぱりわからない感覚だ。
それから、少年はいままでのことが嘘のように聞き分けのいい子になった。悪い言い方をすれば母に対して盲目的に絶対視するようになったとも言える。しかし、生まれて8年間ネグレクトされ続けた子供に、いきなり親としての愛情なんてものが注がれたらそうもなる。マザコンの自覚は今でもあるが、こればっかしはどうしようもない。
エルウィン少年はそこで新しい名前を貰った、ルインという名前だ。元の名前から二文字とるだけという安直なものだが、少年は母が付けてくれた名前というだけで、それをすぐ気に入った。
名前を変えたときに髪も黒く染めるようになった。新しい自分になれたようで、すごくわくわくしたのを覚えている。元の人生など少年にとっては捨ててしまいたい過去でしかなく、捨てることへの抵抗はまったくなかった。
それからの生活は楽しかった。街に繰り出して遊ぶということは流石に出来なかったので、家にいることが大半ではあったが、それでも今までとは違った。自分には大好きな母がいて、色んなことを教えてくれる。ものを壊してはいけないこと、嫌なことでも時には我慢すること、そんなことを教えられるのでさえ、楽しく感じた。
読み書きもちゃんと習った。本も読めるようになった。最初に好きになったのはヤン・ウェンリーが主人公の子供向けの軍記ものだった気がする。確か死んだヤン・ウェンリーが実は生きていて、カイザーラインハルトに戦いを挑むなんて内容だ。子供向けとはいえ、よくこんな内容のものが発売されるのを許されたものだ。ゴールデンバウム王朝だったら間違いなく許されていなかったであろう。
黒髪の主人公が金髪の皇帝をやっつけるというストーリーを少年はいたく気にいった。帝位を奪われたからとか、ゴールデンバウム王朝を滅ぼしたからではない。カイザーラインハルトは自分を虐めた大人の一人と思っていたからだ。まぁ虐めたというのはあながち間違いでもないかもしれない。
そういう少年を母は窘めることが多かった。戦争の匂いがするものをあまり好んでなかったのであろう。物語の後ろで爆発している戦艦を指さしながら、「これにも沢山の人が乗ってるんだよ」なんてことを言っていたのを覚えている。ヨブ・トリューニヒトの妻がそのようなことを言うなんて、あちこちから石が飛んできても可笑しくないセリフではあったが、子供への教育としては正しいのだろう。おかげでルイン少年は物語として軍記ものに良さを感じても、戦争自体に参加したいという風には育たなかった。
今更なことだが、愛情に飢えていた少年に母親を与えたヨブ・トリューニヒトという男は人心掌握に長けていたとは思う。もし仮に今も母が生きていて、トリューニヒトも夫としてその隣にいたら、きっと今の自分であろうと、トリューニヒトのために働いたはずだ。少なくとも母から頼まれたら断りはしないだろう。
トリューニヒトの養子である旧銀河帝国の元皇帝が、民主主義の旗のもと議会政治に打って出る。中々に波乱が起きそうな字面ではある。もしトリューニヒトが生きていて帝国議会をかき回していたら、それなりの切り札にはなっただろう。まぁ、今となってしまってはたらればの話でしかないが。
結局、ルイン少年が青年になる前にトリューニヒトは死んだ。少年からすればほとんど会ったことのない他人でしかないのではあるが、母はトリューニヒトが死んだと聞いて涙を流していた。
今になって思い返すと、なぜ自分がトリューニヒトに人間性なるものを求めたのかも少しわかる。母が涙を流した相手が化け物として見るのが嫌だったから。たぶんそういうことなのだろう。調べてみた今でもどうして母があの男に好意を持っていたのかは理解できないが、化け物に恋していたより、野心を持った人間に恋をしていたのほうがいくぶんかマシではある。
ともかく、トリューニヒトも亡くなり、母とルイン少年はハイネセンから辺境に引っ越すことになる。あの当時は社会システムも滅茶苦茶だったし、ハイネセンからその身一つで脱出なんてのもよくある話だったから、無駄に目立つこともなかった。どこにでもいる母子家庭の二人が辺境の星に移り住んだだけである。
母はトリューニヒトの妻であったが表にたって生きてきた訳じゃないし、黒髪の元皇帝の少年についても気づいた人間なんて皆無だった。髪の色を変えた程度でなんて思うが、実際のところ元皇帝の少年のことなんて誰もろくに覚えてなかっただけであろう。数年前に流行ったぽっと出の子供のことなんて誰も気にしもしない。当時、誰もがそんなものに構っている余裕はなかった。
そうして、母と二人での辺境暮らしが始まったわけだが、ここで大きな問題が発生する。同年代の子供と遊ぶという少年にとっての初めての大イベントだ。
生まれてこの方ネグレクト状態で、最近になってやっと母親に甘えるということを覚えた子供には、かなりハードルの高いものであった。母親に連れられ、地元の子供たちの輪に入れてもらったはいいが、少年は緊張のあまりろくに言葉すら出せなかった。なにか聞かれても「あ」だの「う」だの呻くのが精一杯で、まるでコミュニケーションがとれなかった。
そんな少年を無視して、地元の子供たちはその時流行っていた遊びをはじめた。なにやら石を拾い集めては見せあっている。特に宝石というわけでもなかった。ただの石ころを楽しそうに見せびらかしている。それにどんな価値があるかは少年はわからなかったが、頑張って少年も石を拾った。なんとなく拾った石を他の子供に見せたりもしたが「全然ダメ」とバカにされて相手にもされなかった。少年は泣きそうになった……というかたぶん泣きべそをかいていたと思う。バカにされた悔しかった、仲間外れになりそうで怖かった、もしかしたら、あの時「僕は昔皇帝だったんだぞ!宝石だって沢山持ってた!」なんて言い出していた可能性もある。そうならなかったのは、一人の少女のおかげだった。
「はい。これあげる」
その少女は少年に一つの石を手渡した。惑星のようにまん丸の石だった。ただ丸いだけのその石を手渡し、少女は自然体の笑顔を少年に向けてくれた。少年は母以外にも善意を向けてくれる存在がいることを知った。
「ほら、一緒に遊ぼ!」
少女はそう言って少年の手を引き、知らないよその子から、友達という枠組みの中に入れてくれた。そうして、少年は初めて同年代の子供たちと遊んだ。とても楽しかった。ただ走り回って、地面の石ころを拾うなんて行為がこの上なく楽しい。こんな楽しい世界があったのかと少年は深く感銘を受けた。
家に帰った少年は、母に精一杯そのことを話した。友達ができた、プレゼントも貰った、世界はとても楽しい。つたない言葉でそれを語り、母は嬉しそうにその話しに耳を傾けてくれた。その時間は少年にとってとても幸福なものであった。
そうして、その辺境の地で少年は幸せに育った。友人もいて、恋人もできた。大好きな母は身体があまり強いほうでなく、最近になって亡くなってしまったが、それでも最後まで二人でいい家族をやれたと思う。もちろんボロクソに泣きまわったあとだから言えるセリフではあるのだが……。
まぁともかく、ルイン青年はかつての皇帝エルウィン少年と違って、今はこの宇宙のただの誰かとして楽しく生きています……ということだ。昔話終わり。
次で最終回です。
よろしければ最後までお付き合いください。
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