「……トリューニヒトか……」
バーラト星系の中心ハイネセンの病室。病室と言っても、高層ビルの最上階付近の個室で内装も豪勢である。高級ホテルの一室と言ってもなんら不足はない部屋だ。その部屋のベッドの上で老人はつぶやいた。実年齢に対しても随分老け込んだその老人は、名前をウォルター・アイランズ といった。
自由惑星同盟の末期には国防委員長を務め、強いリーダーシップを発揮し、ヤン・ウェンリーを全力で支援したということで有名である。ヤンもその声に応え、カイザーラインハルトをあと一歩というところまで追い詰めてみせた。そのこともあってか、現在での彼の評価はそこまで悪いものでもなかった。最も、それ以前の彼は利権を吸い取るためだけに生きる三流政治家であり、ヨブ・トリューニヒトの腰ぎんちゃくと揶揄される存在であったのも事実である。
「困るな……彼がどんな人間だったと聞かれても……」
ヨブ・トリューニヒトの自称養子であるルインを前にして、アイランズは困った顔をして話す。話したくないというよりは、本当にどういう人間だったか探りかねているというような口調であった。
「私は……三流の政治家だった……」
トリューニヒトの話ではなく、アイランズは自分のことについてから話をはじめた。
「ポストに固執し、利権をむさぼり、トリューニヒトの言う通りに動く子分……賄賂もたんまりと貰ってきたし、浪費に愛人と……自分で思い出して言うのもあれだが、まぁ酷いものだったな」
「最後のほうは立派だったと聞いていますよ」
ルインは気を利かせたというよりは、事実確認のような口調で言った。元より彼はあまり気を利かせるのが得意ではないが、アイランズが政治家としての最終局面で、民主共和制のために命を燃やしたというのは有名な話だった。
「……私がどれだけ熱意を持っていたとしても結果が全てだよ……私はあのときトリューニヒトを止められなかったし、同盟は結局滅んだ……」
アイランズ自身がそう言ってしまえば、ルインとしてもなにも言うことはなかった。他人にどれだけ評価されようが、本人にとっては悔いだけが残っていることはルインにも理解できた。
「……結局トリューニヒトの思うがままだったというわけだ……そうだな……私が三流の政治家だったとしたら、彼は間違いなく一流の政治家だった」
その言葉を聞き、ルインは苦笑いする。
「冗談でしょ?……同盟を滅ぼした諸悪の根源ってみんな言ってますけど」
「そうだな……それも一つの理屈だ。……実際、彼が最後に同盟を保身のために売り払ったのも確かだ。しかしだね、それでも彼は民主共和制の代表に選ばれた男だったのだよ。民主主義への誇りも、国家への愛着すらなかったというのに、彼は自由惑星同盟の代表だったのだ……」
善悪はどうであれ、トリューニヒトが政治家として権力を獲得したこと自体に間違いはなかった。権力を獲得することが一流と評されるならば、トリューニヒトは文句なく一流であったろう。
「一流の『政治屋』って感じですかね」
アイランズの言葉を聞き、ルインはそんな風に返した。それを聞きアイランズは少し苦笑いをしたが、とくに何も返さなかった。若いルインからしてみれば、十分に皮肉を効かせた言葉だったが、老いたアイランズからしてみれば、政治家だろうが、政治屋だろうが、結局自分が三流なことに変わりはなかった。
「まぁ……とにかく私は三流だったよ。自分の私生活のために政治を利用した……そして、そのことをトリューニヒトはよく知っていたよ。なんなら、私が貰った賄賂に対して、私より詳しかったかもしれない。他の者についてもまぁ似たようなものだ。多くのものが何かしらの不正を働き、そのことをトリューニヒトは常に知っていた」
「トリューニヒト自身だって似たようなものでしょ?」
悪徳政治家の見本のようなものと認識しているルインはそう聞く。それに対して、アイランズはまた困ったような顔して、しばらく考えこんでから口を開いた。
「……わからないんだ……」
「は?」
「わからないんだよ。トリューニヒトがどのような不正を働いていたのか」
「そんなバカな。色んな本に不正三昧だったって書いてますよ」
「それはどれもイメージにすぎない。いや、事実そうだったのかもしれないが、少なくとも証拠なんてものはないはずだ。……今の若い世代に言ったら不思議に感じるかもしれないが、やつはクリーンな政治家だったのだよ。少なくとも表向きは」
ヨブ・トリューニヒトは賄賂をばらまき、独自の私兵まで抱えていたとも言われている。政治家であった当時、そのような噂も多くあった。しかし、実際にそれらに対する証拠が見つかったわけではないし、スキャンダルというものには無縁であった。
たとえば、こんな話がある。ある日、トリューニヒトに反対する誰かが襲われた。事実襲った犯人たちは、トリューニヒトのためと口走っていたものもいる。しかし結局その話はトリューニヒトまで繋がることはなかった。実際いくら調べても、トリューニヒト自身が直接的な指示を出していたことは確認できなかったのだ。
『愛国心のある見知らぬものが、自分の知らないところで暴走してしまった』そう言って、トリューニヒトは被害者のような顔をして、安全なところで神妙な顔をしているのが常であった。
トリューニヒトの死後、それらについて多くの調査が行われた。警察、マスコミ、その他多くの機関の中にトリューニヒトのために動き賄賂を受け取ったものが見つかった。しかし、ついぞトリューニヒト本人まで繋がることはなかった。誰も彼もトリューニヒトのために動いていたというのに、トリューニヒト自身に具体的な指示を貰ったものは誰一人いない。よくて、『困っているんだ』『私はこう思う』『かもしれない』程度の言葉が上級の立場にいるものからポツポツと出てくるだけ。アイランズもそのような言葉を貰った一人であった。
「ともかく……トリューニヒトはいつも安全なところにいた。あらゆる場面でだ。彼は私の秘密を全て知っているのに、私は彼のことを何も知らなかったのだよ……政治家としても、人間としても」
「プライベートでの関りはなかったんですか?アイランズさんは家に招かれることも多かったとか」
トリューニヒトの派閥のものが、トリューニヒトの邸宅で密会していたという話はそれなりに有名だ。たいていの軍記物では、大豪邸で悪の秘密会議が行われているように書かれる。
「……プライベート?……プライベートか…………トリューニヒトに私的な部分なぞあったのだろうか……」
「政治の話しかなさらなかったと?」
「いや……そういうわけではない。あそこで話されたのは、むしろ政治以外のことのほうが多かった気がする……流行りの女優であったり……スポーツであったり……しかし、言葉を合わせていても、トリューニヒトが本気でそれらに興味があったかというと……」
アイランズはトリューニヒトの邸宅を思い出す。高価な美術品もあった、上等な酒もあった、しかし、それらに対してトリューニヒトが心底楽しそうに語っている姿は見たことがなかった。印象としてはどれもただの飾りと言ったところだ。その時々に合わせて正しい服を着るように、ただそのときの立場に相応しいもので周囲を固めている、そんなところだろうか。趣味のために大金をつぎ込んだ話も、女のために入れ込んだという話も聞かない。もっと言えば、あらゆる場面で私的な感情を見せたことがないようにも思えた。常にあの芝居がかった態度。それがトリューニヒトという人間だった。
「分からない……本当に何も分からないのだよ。彼は本心というものを一度も私たちに見せてくれたことはないのだろう……それかあるいは……」
「あるいは?」
「彼にはそもそも本心なんてものがなかったのかもしれない。私心など何一つなく、ただ権力の獲得に勤しむためだけに生きている何か……そんな私たちとは違う別のなにかだったのかも……」
私欲も見えず、ただ権力を求めるトリューニヒトという人間が、アイランズには人とは違う別の生き物に見えた。少なくともアイランズ本人からそう見えたことだけは確かだ。
その言葉を聞き、ルインは苦笑いで「そうですか」とだけ返した。シトレの話に続き、アイランズも随分とトリューニヒトという人間を過大評価しているのではないか。ルインからするとそのように思えた。
(人間はどこまでいったって人間だろ)
そう頭の中でつぶやくが、口に出す気にはなれなかった。簡単に否定できない程度には、アイランズの言葉は感情がこもっていた。
「……それで、トリューニヒトの私生活がそんなものだったとして、おふくろとの関係はどんなものでしたか?」
ルインの質問に対して、アイランズは少し苦い顔になる。それを見てルインのほうは諦めたように笑った。
「私生活が見えない相手ですもんね。妻にだけ甘々なんてことは、まぁありませんか」
黙ってトリューニヒトに酒を注ぐ義母の姿がルインの頭に浮かんだ。見かけがよくて、物静かで、余計なことを言わない、さぞトリューニヒトに都合のいい女だったのだろう。トリューニヒトにとっては妻も自分を着飾るための一部だったのかもしれない。そう思うと、愛情というものがあったようには想像できなかった。
「不仲というわけではなかったよ。なにか問題があったという話も聞かない。トリューニヒトは私と違って浮気をするようなこともなかったし。理想の夫と、それに尽くすよき妻という風には見えた」
「……見えた……ですか……そのほうが都合がよかったから?」
「……そうかもしれんな……」
浮気をしない旦那に、無口で美人な妻、絵にかいたような理想の夫婦というやつだ。そして、それらのイメージはトリューニヒトの人気にも繋がる。だとしたら、トリューニヒトは完全に良き夫を演じるという芸くらいはするであろうとルインも思った。その時の養母の気持ちを考えるとやるせなくなるが、それが回りまわって今の自分を作ってくれたことも事実であり、なんとも言葉で言い表せないモヤモヤとした感覚であった。
(まぁ……絶対にそうだったとは限らんしな……)
随分と面倒な感覚だったので、ルインはそれを無理やり頭から追い出した。
もしかしたら、2人に本当の愛情があったかもしれない。これはもう誰も知りようがないことなのだから、その可能性だって考えられる。それでよいではないかとルインは一人で納得した。必要なのは全宇宙の万人が納得する答えではない、自分の宇宙の自分のためだけの答えがあればそれで十分だった。
「しかし……改めて思い出して見ると……ヨブ・トリューニヒトか……どう評価してみればいいのかやはり難しいな」
アイランズが小さくつぶやく。
「アイランズさんにとっては敵でいいんじゃないですか」
ルイン自身にとってはそういうものでもないが、アイランズにとってはそうであったはずだった。しかし、アイランズは小さく首を振った。
「彼は……最後に自由惑星同盟の命脈を絶った……しかしだよ、同盟という国はなくなったが、民主主義は今でも生きている……」
アイランズはベッドの上から窓の外を眺める。外にはハイネセンの街並みが見える。あの敗戦から10年。ハイネセンはいまだ民主主義のもとで統治され、人々も前を向き活力の中で生きていた。もちろん、それはトリューニヒトのおかげではない。ヤン・ウェンリーが、ユリアン・ミンツが、民主主義に命を捧げた生者と死者が残したものだ。それはアイランズもそう理解している。それでも、一つだけ思うところがあった。
「そして……いま私がそれを見ることができるのはトリューニヒトのおかげではあるのだよ……どれだけ当時怒りに震えたとしても……その事実は変わらない……」
実年齢よりも老けて見える老人は消え入りそうな言葉でそう言った。どう言いつくろうと、アイランズにとって、トリューニヒトは命の恩人であった。そして、あの時死ななくて良かった、と思えるほどには、今の時代には希望があった。そのことが今のこの老人にとっての幸福であるのかどうかは、ルインにはわからなかった。
アイランズはその後もずっと窓の外の希望を眺めていた。その表情はどことなく悲しそうなものに見えた。
「よぉ、終わったか」
アイランズの入院していたビルの下ではポプランがルインのことを待っていた。待っている間の戦果により、この後の夜の予定も決まったということで随分と機嫌が良さそうである。
「もうちょい聞きたいこともあったんですけどね。随分疲れてるみたいだったんで戻りました」
アイランズは実年齢よりもかなり老いているようであった。実際に体力的にもあまり長時間の話は好ましくなかった。
「そんなに老け込んでたか」
「話してるときははっきりしてましたけど……見た目はもうヨボヨボでしたね。老いからは逃げられないと言いますが、それにしても老け込んでました」
「いやだいやだ、歳はとりたくないね……まぁ誰もかれも俺みたいに永遠に若いままというわけにはいかんさ」
ポプランは自慢気に褐色の髪を掻き上げる。先ほども新たな女性を撃墜した伊達男は、今でも自分の若さには自信がある態度であった。かれこれ40になる男と考えると少々無理があるのは、本人も半ば自覚してはいたが、それを表に出す気はさらさらなかった。老いに勝つとはそういうことなのである、と本人は言い訳がましく考えている。
「でもポプランさん、そこ白髪ありますよ」
そんな気苦労もしらない若者は、ただ見たままをポプランに報告した。それを聞いた、ポプランは手鏡を取り出し、入念に自分の頭髪を調べる。指摘通り頭髪の中には数本の白髪が見えた。同年代の男と比較すれば、大した量でもないが、ポプランにとっては大問題であった。鏡を見ながら一本一本丁寧に白髪を処理していく。
それを見たルインは笑いをこらえるのに必死であった。『おじさんがなに若作りに必死になっているんだ』とまでは言わなかったが、感想としてはまさしくそれであった。
「俺の髪染め貸しましょうか?そっちのが楽でしょ」ルインがそう提案する。
「いらん!この美しい褐色の髪があってこそのオリビエ・ポプランだ!大体最近の若い奴らはどいつもこいつも黒髪か金髪かでオリジナリティーがなさすぎる!」
ポプランが言ったように、若者の髪の色と言えば、ここ10年決まっていた。ヤン・ウェンリーの黒か、カイザーラインハルトの金、そのどちらかだ。それが一番憧れられているし、実際に女性の受けも良かった。かくいうルインも黒色で髪を染めている。
「えー髪染めも楽しいですけどね。なんか違う自分になれる気がして」
「新しい自分になる前に今の自分を磨け若者よ。それがいい男に繋がる。見てみろこの俺を」
手鏡片手に白髪を抜きながらそんなことを言うポプランを見てルインは苦笑する。やっぱり髪染めしてたほうがマシではないかと思えた。
「じゃあ、次染める時はポプランさんの色にしてみますよ。そいつも中々イカしてる」
お世辞とばかりにそんなことを言うと、ポプランは爽やかな笑顔を向ける。
「まぁ髪染めってのも悪くないか……ダサい黒髪や、偉そうな金髪じゃなくて、宇宙一クールな俺の髪色ならな」
「ダサいって……ヤン・ウェンリーは元上司でしょ?そんな風に言っていいんですか?」
「実際ヤン提督はダサかったんだから仕方がない。……それに金髪はどう見ても偉そうだろ」
「違いない。金髪ってのは確かに偉そうだ。俺も嫌い」
あの世でヤン・ウェンリーやカイザーラインハルトが見ていれば文句の一つでも言われそうだが、こんなくだらないやり取りを眺めるほど、あの世の二人も流石に暇ではないだろう。そのような冗談を言い合いながら、ルインとポプランは笑った。
(まぁ死者を冗談のネタにするのも、生きてる者の特権ってことだろ)
ルインは笑いながらそんなことを思った。