ヨブ・トリューニヒトを辿って   作:ただの誰か

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9話 ローエングラム朝銀河帝国首席元帥 ウォルフガング・ミッターマイヤー

「ポプランさんなんかこの航路おかしくないですか?」

バーラト星系から出立した機内の中で、コンピュータに表示される航路を確認し、ルインが疑問を口にした。

どうにも航路がおかしい、現在の帝国の首都フェザーンに向かうような航路には見えなかった。航路的には反対のイゼルローン方面に向かっているように見える。

 

「いや、これであってる。気にすんな」

ポプランはなんでもないように返す。

「帝国の偉い人に報告するって言ってたから、てっきりフェザーンに行くもんかと思ってましたけど……もしかしてイゼルローン方面に行くんですか?」

「まぁ……フェザーンじゃねぇな……」

「だからイゼルローンかって……」

「我が懐かしきイゼルローンでもない」

「……は?」

フェザーン方面でなければ、イゼルローン方面くらいしか目指せる場所はない。どこぞの辺境にいくとしても、どっち方面という話で考えればその2択で話は済むはずなのだ。妙な言い回しにルインは嫌な予感がする。

 

「目的地はオーディンだ。まぁ気長に行こうぜ」

 

帝国の旧都オーディン。立地的にはフェザーン回廊、イゼルローン回廊を挟んで、バーラト星系の真反対に位置する。今人類が移動可能な宇宙の中で考えればもっとも遠いところにあると言っても過言ではない。

 

もちろんルインは文句しかなかったが、ポプランは事の経緯を説明した。

 

今回のヨブ・トリューニヒトについて話をする相手である帝国高官は、現在フェザーンを離れ、オーディンにいるらしい。これは皇帝アレクサンデルのオーディンへの里帰りという、帝国の定期的な行事に関係しているため、仕方がないということであった。こうなっては、オーディンに出向いて話をしにいくのが、時間的にも最短である。そのためにわざわざイゼルローン回廊を使って近道までしているのだ。ということを最もらしくポプランは語る。そう説明されると、ルインは反論のしようもなかった。そもそも宇宙の旅というものに対して、ポプランよりも詳しいことが言えるほどの知識をルインは持ち合わせていなかった。

 

実際のところを言うと、ポプランの言ったことはほとんど口から出まかせである。今からフェザーンに向かえば、その話す相手に会うことは十分可能であったし、なんならその人物がオーディンにいってから、フェザーンに戻ってくるのを待っていたとしても、帰りのことまで計算にいれるなら大した時間的差はなかった。航路的に考えても、わざわざ主要航路であるフェザーン回廊ではなく、イゼルローン回廊方面を使う理由もない。時間的に早くなるわけでもなく、安全面でもリスクが増すだけである。もちろん、わざわざオーディンに呼び出されたということでもなかった。オーディンに行くと提案したのはポプランのほうである。

 

どうしてこのようなことになったかというと、単にポプランがフェザーンに行きたくなかったからである。

 

フェザーンにはポプランに大金を貸しているボリス・コーネフがおり、行けば必ず面倒な催促をされることはわかっていた。身柄含め差し押さえられてしまったら、下手をすればしばらくボリスの下でただ働きなんてことも十分にあり得る。それもこれも、借金を返さないポプランのほうに非があるのだが、「金を持っているうえにコーネフなんて名前のやつに返す金なんてない」というのがポプランの意見であった。幼稚な冗談のような考えなのだが、これも伊達男ポプラン流のコミュニケーションの一つではあり、ボリスもそれを肴に笑い話にはしていたので、意外にしっくりくる関係ではあったのかもしれない。

 

ともかくフェザーンに行って面倒な小言をもらうのが嫌であったポプランの意見ひとつで、ルインはオーディンへと向かうことになった。

 

(オーディンか……)

ルインは遥か宇宙の彼方の星に思いを馳せる。その胸中には様々な感情が交錯していた。

 

 

 

かくして、ルインとポプランはオーディンの大地へと降り立った。

ふたりとも少々疲れた表情をしている。道中は順風満帆とは言い難く、トラブルだらけであった。立ち寄ったイゼルローンでは、ポプランにかつて女を寝取られた男に遭遇し追いかけまわされ、イゼルローン回廊を抜けたあとの航路では、宇宙海賊につかまり身ぐるみを剝がされそうになった。その他、大小のトラブルを切り抜け、なんとかふたりは目的地に到着した。

 

かつての首都という扱いにはなったが、オーディンはそれほど寂れた空気はなかった。首都が遷都したとはいえ、ここはかつての宇宙の中心であった星だ。今でも多くの人々が住んでおり、その営みを続けている。観光客の姿も多くみられ、一部の貴族だけがその特権を得ていた以前よりも、活発な部分もあった。

 

「じゃあ、あとは頼むわ」

「この報告が最後でしょ。最後くらい一緒に来たらどうです?」

「俺が運んで、話はお前。これまでそうやって来たんだから、最後までそれでいこうぜ」

そんなことを言いながら、ポプランは若い観光客の女性たちに目を泳がせている。ここまでたどり着いた時点で、自分の仕事は終わったと言わんばかりの態度であった。

「わかりましたよ。まぁちゃちゃっと終わらせて帰りましょう」

そうして、ルインはまた一人で話をしにいくことになった。

 

 

 

かつての皇宮、ノイエ・サンスーシ。ゴールデンバウム王朝の象徴であり、歴代の皇帝たちが住まい、貴族たちの栄華と陰謀の舞台になった場所である。現在では王立博物館になっており、多くの観光客たちが行き来している。建物の外で写真をとる観光客にまぎれ、ルインはその入り口で迎えがくるのを待っている。予定では、入り口に迎えが来て、ノイエ・サンスーシ内にある一室で今回の話をすることになっていた。

 

しばらく、ルインが建物を眺めながら待っていると、周りの観光客たちがざわめき始めた。ある人物が、観光客の中を悠然と歩いている。高級な軍服に身を包み、あきらかに上級という立場であるのが一目でわかる。そのくせ、周りには供の一人も連れていない。その人物は、迷いなくルインのほうへと足を進める。堂々という言葉を体現したような人物であった。

 

「いやいや、待たせて済まない。お初にお目にかかる、ウォルフガング・ミッターマイヤーだ」

今、宇宙で最も権力を持っている一人である男は、そんなことは関係ないと言わんばかりに、気さくな声色だった。

 

 

 

「ルイン・テラルーツ……じゃなかった。ルイン・トリューニヒトです。今日はよろしくおねがいします」

ルインは少々気おされたまま、挨拶を返す。

 

その後、ミッターマイヤーに案内をされ、ノイエ・サンスーシの中へと入ることになった。建物の中についてミッターマイヤーがなにやら話しているが、ルインの頭にはあまり入ってこなかった。もともとこの建物のことに対して、そこまで興味がなかったのもあるが、観光客に交じり一人で自分を案内するミッターマイヤー本人のほうがよっぽど気になる光景だった。

 

(この人……いま帝国で一番偉い人間だったよな?)

 

ルインの思ったとおり、今のミッターマイヤーの持っている権力は絶大なものがあった。帝国唯一の主席元帥であり、現国務尚書としての力は勿論のこと、軍事面に関しても現軍務尚書アントン・フェルナー以上に各将校からの信頼は厚く、帝国の権力のほとんどを掌握できる立場と言っても過言ではなかった。これほどまでに権力が集中していることに、いくつか懸念の声もあったが、野心のまったくないミッターマイヤーに権力を集中できたことが、結果的にはカイザーラインハルト死後の帝国にとって最良であったとも言えた。ミッターマイヤー本人は自身を権力者と考えたことは一度もなく、2代目皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム、通称アレク皇帝に対する忠誠心だけをもって政務に励み、その手にした権力に一切の黒いものを残さなかった。後の歴史家にも、そのことは大きく評価されることになる。

 

ただ、ミッターマイヤーは権力を悪用するなどということはしなかったが、自身が圧倒的な権力者であるという自覚も少ないところがあった。今回も、供も連れず一人でルインを出迎え、気さくな言葉使いでノイエ・サンスーシを案内している。ミッターマイヤーが命じれば、人を寄越すことなんていくらでも出来たのに、「プライベートで頼んだ仕事の相手ならば自分で迎える。部下を使うわけにはいかない」という小市民的理屈をもって、自ら足を運び、このように中の案内までしていた。潔癖な理屈ではあるが、そのことで多くの部下たちをヤキモキさせていたことを考えると、この点に関しては悪癖といえるかもしれない。

 

「今更なんですけど……いいんですか?」

さすがにこの状況はいかがなものかと思ったルインが尋ねる。

「なにがだ?」

「いえ……かのミッターマイヤー主席元帥が一人で俺なんかの相手をして」

こう言ってはなんだが、これまで話を聞いてきたバーラト自治区の人たちとは立場が違いすぎた。

ルインの質問に対してミッターマイヤーは笑顔でこたえる。

「卿は私のプライベートでの客人だ。なにも構うことはない」

「でも……ほら、もし俺が誰かに差し向けられた刺客だったりしたらどうするんですか?」

「なるほど……そうなったら困るな」

そう言ってミッターマイヤーは足を止め、ルインの目をしっかりと見据える。ルインは一瞬どうしたことかと思ってあっけにとられるが、いつの間にかミッターマイヤーの手に銃が握られ、その銃口が自分に向けられていると気づいた。ルインは慌てて両手を上げる。

「卿が刺客であったなら、俺はこの引き金を引かなきゃならない」

そういってミッターマイヤーは銃口を下し、ニヤリと笑う。

(俺ごとき素人相手にそりゃ護衛なんか必要ないか……)

相手が戦場で数々の武勲を上げ、主席元帥まで上り詰めた男であると、ルインは改めて理解した。

 

 

 

ミッターマイヤーに案内されながらルインが進んでいると、廊下で妙な老人に声をかけられた。

「お帰りなさいませ皇帝陛下」

その声を聞き、ルインはビクッと後ずさりをする。

その姿を見たミッターマイヤーは苦笑いしながら事情を話してくれた。

「済まない、少々ボケてしまっていてね……誰にでも陛下というんだ。俺も何回も言われた。ノイエ・サンスーシは古くからここに仕えている人間が多くてね……年金もあるし辞めてもらってもいいんだが、本人が辞めさせられるなら死ぬとまで言って聞かなくて……掃除や雑務はまだ問題なくできるから、こうしてまだ働いてもらっている」

 

ミッターマイヤーが言った話はノイエ・サンスーシでは珍しいことではなかった。ノイエ・サンスーシにはゴールデンバウム王朝時代から働いているものが多く残っており、そしてそれらの多くは、この旧時代の皇宮に仕えることに人生の全てを捧げていた。そんなものたちを無下に扱うわけにもいかず、このように半ばボケた老人にも働く場所があった。

 

「はぁ……そうですか……」

ルインは気の抜けた返事を返し、老人から離れた。

歴史に取り残された皇宮で、歴史に取り残された老人が働いている。ルインとしてはあまり愉快には見えない出し物であった。過去の遺物というものに、どうにも居心地の悪さを感じた。

 

 

しばらく、ノイエ・サンスーシの施設を案内されたあと、ルインは一室に通された。部屋に入ると、一人の女性がお茶の準備をしている。ミッターマイヤーは上機嫌に妻であると紹介した。美人ではあるが、随分素朴な女性だとルインは思った。権力者らしからぬミッターマイヤーには相応しい女性なのかもしれない。ふたりが話している姿は、まるで幸せそうな一市民のようであった。それを見て、この夫婦に羨ましいという感情を抱いている自分に気づき、ルインは少し心の中で笑う。宇宙で最高の権力を行使できる男に、小市民的な幸福を感じ羨ましいと思うのは随分とおかしな感覚ではあった。

 

ミッターマイヤーの妻が部屋をでたあと、ルインはこれまで聞いてきた話を報告した。と言っても、私心がどこにあるかわからない、立憲体制の確立を画策していた、という基本的なことに関しては既に知られている話であり、真新しい事実が見つかったわけでもない。母が地球教であったことや、ドミニクについても語るわけにもいかなかったので、結局ルインの話はユリアンからの受け売りの、『ヨブ・トリューニヒトは積極的に銀河帝国側に寄生することを望み、同盟側の敗北を望んでいた巨悪』という、憶測によるストーリーを中心に話すこととなった。銀河帝国の軍人として戦ったミッターマイヤーからすれば、面白い話ではないような気もしたが、聞いてる間、とくに内容について不快な態度を示すこともなかった。

 

最後まで話を聞いたミッターマイヤーは「やはりロイエンタールは最後にいい仕事をしてくれたわけだ」とだけ言った。

 

ミッターマイヤーにとってもトリューニヒトが強大な悪であるという筋書きは受け入れやすいものがあった。ミッターマイヤーは今でもオスカー・フォン・ロイエンタールという人間との友情を大事にしており、ロイエンタール本人のカイザーラインハルトへの忠誠心にもなんの疑いも持っていなかった。屈折した性格ゆえに戦う道を選ぶことになってしまったが、ロイエンタールのカイザーへの忠誠心は本物であったし、その忠誠心を貫き通したからこそ、トリューニヒトを最後に殺害したのだ。であるならば、その最後に手にかけた相手が強大であることは、ミッターマイヤーからしてみても都合はよかった。養子であるフェリックスに聞かせるにしても、小物の悪徳政治家であるよりも、銀河を貪りつくそうとした巨悪のほうが話がいがあるのは確かである。

 

「……実際、トリューニヒトってどういう風に死んだんですか?」

ルインが尋ねる。ロイエンタールに殺害されたというのは一般的にも知られている話だが、その詳細というのはあまり知られていない話であった。

その疑問についてミッターマイヤーは知っていることを話してくれた。と言っても、彼自身もかつてのロインエンタールの部下たちが見聞きできた内容を知っているだけで、それほど詳細なことがわかっているわけではなかった。

 

死に際のロイエンタールがトリューニヒトを呼び出し、二人でいくつか会話をしたあと、銃声がした。その後、部屋の中かから、「俺は、きさまごときに侮辱されるような方にお仕えしていたのではないし、背いたのでもない」という怒鳴り声が聞こえた。部屋に入ると、トリューニヒトが死んでおり、ロイエンタールはその死体を片付けさせた。

 

ミッタマイヤーとしても知っているのはこの程度の内容だった。ミッタマイヤーからすればそれほど真新しい情報を開示できたとは思わなかったが、ルインは少し引っかかる部分があった。

「トリューニヒトがカイザーラインハルトを侮辱したんですか?」

「そういうことなのだろう。ロイエンタールはカイザーに弓を引くことになってしまったが、やつはあるいは俺以上の忠臣であった。おそらくトリューニヒトはそこを読み違えてしまったのだろう。まさか、真っ向から反乱した男が、誰よりもカイザーを敬愛していたとはな……ご機嫌取りのつもりが虎の尾を踏んでしまったわけだ」

ミッタマイヤーはそう説明しながら愉快そうに笑うが、ルインとしてはいまいち納得できないものがあった。

(あのトリューニヒトが人心を読み間違え死ぬ?)

民衆を煽り、人の心を利用し、敵意も好意も自分の都合の良いほうに利用し続けてきた人間の終わりにしてはあまりにもお粗末な結果だ。しかし、死に際のオスカー・フォン・ロイエンタールが何かの芝居をうつ必要もない。トリューニヒトがカイザーラインハルトを侮辱したというのは間違いない話である。

(なぜトリューニヒトはロイエンタールの前でカイザーラインハルトを侮辱した?)

ロイエンタールの心を読み間違えた。それもあるのかもしれない。しかし、なぜ読み間違えた。なぜ、不用意に侮辱の言葉を吐いた。あの自己保身の塊がするにはあまりにもうかつな行動すぎる。

 

なにかが、少しだけおかしい。ルインはそう思った。

 

しかし、そのことを心にしまい込み、ルインはこの話題について深く考えるのをやめる。目の前のミッターマイヤーは、過去の親友の行いについて満足している様子だ。これ以上なにか詮索するのは藪蛇なような気もした。

 

そうして話題を変える。

「息子さんにロイエンタール元帥のお話を?」

「あぁ、フェリックスには自分のもう一人の父親がどれだけの人物であったかを、ちゃんと伝えたい……産まれながら難しい立場を押し付けてしまったからな……せめて真摯に本当のことを伝えてやりたいと思っているんだ……」

 

ミッターマイヤーの養子フェリックスが、ロイエンタールの実の息子というのは有名な話である。帝国主席元帥ミッターマイヤーの養子で反逆者ロイエンタールの実の息子であり、カイザーラインハルトからアレクサンデル皇帝の友人であることを望まれた存在。産まれながら数奇な運命にあるのは間違いなかった。だからこそ、ミッターマイヤーはその運命がどのようなものであったのかを言葉にしてやることが重要だと思っていたし、なによりそれが愛情であると信じていた。

 

「大丈夫ですよ。なるようになりますって。あんまり深く考えても仕方ないですよ。愛情かけて育ててあげてるならそれでいいじゃないですか」

ミッターマイヤーの言葉にルインは軽い口調で応える。礼儀のなってない態度ではあったが。ミッターマイヤーはなぜかあまりそれが腹立たしくも感じなかった。面倒な養子というフェリックスと似たような立場のルインから出た言葉に、少し安心できた部分もあったのかもしれない。

 

「それに……」

「それに?」

「アレクサンデル皇帝の立場に比べれば、全然マシですよ」

生まれながらにして全宇宙の支配者にならなければいけない存在に比べれば、大したことない。言われてみれば確かにそうであった。ミッターマイヤーは納得はしたが、やはりルインの礼儀のなさが少し気になり、苦笑いな表情で返した。

 

 

(寝心地の悪いベッドだ……)

ルインはノイエ・サンスーシ内の宿舎で身体を起こす。これまでポプランに連れられて泊まった安ホテルや、移動に使用した船の雑なベッドと違い、随分と豪華な寝室であった。ノイエ・サンスーシ内の宿舎としては特別な部屋でもなかったのだが、無駄に高級で柔らかいベッドには抵抗感があった。ミッターマイヤーとの話を終えたルインに用意されたものだが、ルインの個人的な感覚としてはあまり嬉しい配慮ではなかった。

 

眠れないルインは部屋から出て、散歩がてらノイエ・サンスーシ内を歩くことにする。自分以外にもぽつぽつと夜のノイエ・サンスーシを楽しんでいると思われる観光客の姿などもみられた。博物館兼宿泊施設が今のノイエ・サンスーシの姿である。かつての貴族たちが見たらさぞ苦い顔をするであろう。

 

ルインはそんな中を歩く、今日のミッターマイヤーとの会話を思い出す、今思えば随分余計なことも話してしまった気もするが、過ぎたことだと、そのことについては無視した。今頭にあったのは、トリューニヒトについてのことだ。『カイザーラインハルトを侮辱した』どうにもそのことが気にかかっていた。なぜそのような言葉を吐いたのか、ルインはいまいち釈然としなかった。

 

そんな考え事をしながら歩いていると、一人の老人に声をかけられた。

「どうなさいましたか、皇帝陛下」

その声を聞き、ルインはぎょっと声のほうを向く。昼間にミッターマイヤーと共にいたときに声をかけてきた老人がいた。人の良さそうな笑みをルインのほうに向けている。

「爺さん。俺は皇帝じゃないよ」

「さようですか……それでは皇帝陛下、こちらに……」

「だから違うって!……たっく……はぁ……」

ボケた老人との会話はかみ合わず、老人はルインの言葉など無視して、勝手に案内をはじめる。ルインのほうもそれを無視してもよかったのだが、どうせ眠れもしないと思い、老人に付き合うことにした。

 

老人について行くと大広間まで出た、部屋の奥には階段があり、その向こうには無駄に派手な椅子が見える。かつての玉座がそこにあった。

 

老人は立ち入り禁止と書かれたロープを片付けていき、ルインを奥へと案内する。

「おいおい爺さん流石にまずいって……」

「大丈夫です。皇帝陛下。さぁさぁこちらへ」

ルインは一応あたりを見渡す。ほかに人は見えない。こうなったら見つかる前に老人の気が済むようにさっさと終わらせよう。そんなことを考え進む。

老人は玉座の前でにっこりと目配りをし、ルインは諦めたかのような態度でその玉座に座る。自分が座って休むための椅子ではなく、誰かに座っている姿を見せるための椅子。随分座り心地の悪い椅子だと思った。

 

そうして一瞬目をつむって、玉座からの景色を想像する。玉座の向こうには多くの人間たちが頭を下げている。立派な椅子に座った自分のほうに誰も目を向けず、地面を見てだれもこちらを向いていない。くだらない景色だと思った。

 

ラインハルト・フォン・ローエングラムはこのような景色が欲しかったのだろうか。そう考え少し笑う。少なくとも自分にはいらないということだけは、はっきりしていた。

 

「これで満足?」ルインが座ったまま尋ねると、老人は満面の笑みで「はい、ありがとうございます皇帝陛下」と応えた。

「そりゃ良かった、長生きしろよ爺さん」ルインはそう言って立ち上がる。人が来る前にさっさと戻ろうと思った。今なら多少は眠れそうな気がした。

 

居心地悪い寝室に、居心地の悪い玉座。それでもこの時だけならいいかとも思える。

 

『俺一人が我慢して、老人一人の気分が良くなるならそれでいいじゃないか』ルインはそんな小さな善意だけで、この時間に対して満足しておくことにした。

 

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