1/2(ふたつ)に割れない恋ゴコロ   作:c.m.

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※2024/11/28誤字修正。
 暇人mk2さま、桶の桃ジュースさま、ご報告ありがとうございます!


前編:いざ上海! おさげのあの子は日本人

 (しょう)(しょう)と鳴る鈴の音色。

 天道道場の末娘である天道(てんどう)あかねは、縁側に腰かける()()()の少女──早乙女(さおとめ)らんまの手首に目をやった。

 

「それ、随分大事にしてるのね?」

 

 今日初めて顔を合わせた客人(らんま)に対する話のとっかかりにしたかったのもあるが、瀟洒な鈴をあしらった銀の環は、これ以上ないほどらんまに似合っていた。

 あかねと同じく武を嗜む身でありながら、らんまの細腕と白魚の様な肌が、職人の彫金に劣らぬ芸術として見るものに映るからだろう。

 自分がこうした飾り物をしても、似合わないだろうという自嘲も交じっての問いであったが、らんまの反応は鈍い。

 

「まぁ、うん……」

 

 様々な感情を綯い交ぜにしたように、もごもごと口を動かす様は愛らしく、『女』であることを明確に示す仕草だった。

 

「ひょっとして、好きな人からの贈り物とか?」

 

 ふふっ。と悪戯っぽく笑うのは、その愛らしさ故と、女特有の好奇心がそそられたたからだ。『女同士』の会話に華を咲かせるのであれば、やはり恋のそれが一番盛り上がるし手っ取り早い。

 特に、どちらも父親に勝手に『許嫁』に決められた立場なら猶更だ。

 とはいえ許嫁騒動自体は、さっさと解消されてしまったのだが。

 

“こんな可愛い子が、男の子扱いされてたなんてね”

 

 流石にパンダを連れて来た──というより、パンダをボコボコにして引き摺ってきた──時は度肝を抜いたが、許嫁として天道家にやってきたおさげの少女が、あかね達三姉妹のいずれかの許嫁となって、天道道場を継ぐという父、天道早雲(そううん)の説明にも驚いた。

 

 女同士だぞ何を考えている。我が父は脳がイカれたか?

 

 ……と、流石にそこまでは言わないものの、当惑したのは天道家の三姉妹全員だ。

 勿論それは行き違いで、どうやら早乙女家の父親──早乙女(さおとめ)玄馬(げんま)から「男が産まれた」と聞いていて、早雲は確認どころか顔も合わせず今日まで来たというのだから、あかねとしても呆れかえる話であった。

 だが、そうした事情は脇に置き、今はらんまの話題である。

 

「えっと、その……割と長い話だけど、聞く?」

「勿論!」

 

 耳朶を染めるらんまに、あかねは強く頷く。

 あかねにしろ、らんまにしろ、どちらも『許嫁』などという立場は真っ平御免で、それ故に意気投合するのも早かった。

 このご時世、恋愛や結婚ぐらい自由にさせて欲しいし、ましてや()()に想い人がいるのなら、それはもっと話が早い。

 流石にお相手が女だった以上は許嫁騒動が再発する可能性などないだろうが、それでも一丸となって反対すれば、今後もお互いに自由な恋愛ができるだろうから。

 ただ、そんな思惑はさておいて、仲良くしたい同性の恋物語を楽しみたいという思いも、あかねには有ったのだが。

 わくわくと肩を弾ませて、頬を掻くらんまからの二の句を待つ。

 ゆっくりと、たとだどしく。けれど鮮明に思い出せる上海での日々を、らんまは語り出した。

 

 

     ◆

 

 

「武者修行っていうから意気込んで来たけどよー……なんか、思ってた以上に都会だな」

「お客さん、流石に何処も水墨画みたいな土地ばっかじゃないよ。中国だって進んでるからね」

 

 誰も彼もが農耕に精を出すばかりではない。交易が盛んな都市部であれば、近代化の利便性は古き良き時代を良くも悪くも押し流す。

 戦後の文化大革命からこちら、特に発展目覚ましい上海ともなれば尚更だと、人民服のガイドが片言の日本語でそのように説明すれば、「そりゃそうか」とらんまは両手を後頭部に回しつつ都市を眺めた。

 それでも歓楽街に立ち並ぶビル群の中にも、観光地らしい雑多な喧騒が混じる様や、赤黄色の色鮮やかな大看板の隙間に、昔ながらの出店もあちこちに連なっているところが如何にも中国らしくて、お上りさんのように視線が移ってしまう。

 

「上海とても良いとこでしょ? 観光客多いし、遊ぶとこもいっぱいよ」

 

 今なら物価も安くてお買い得よ。と満面の笑みのガイドであったし、実際らんまも遊びたい盛りの一〇代だ。修行に明け暮れる日々に、しばし羽を伸ばしたいという誘惑に駆られはしたが、しかしそんならんまを背後から睨むパンダであった。

 

「……わーってるっての。遊びで来たんじゃねぇから、そういうのは次の機会って奴だな」

 

 第一、手持ちにしても潤沢とは言い難い身だ。田舎町ならばいざ知らず、大都会たる上海での遊興となると、どれだけ物価が安かろうが早々に路銀が尽きるだろう。

 

「それは残念ねー……でもお客さんの希望通り、一番凄い流派を紹介したげるね」

「期待してるぜ」

 

 中国語も分からぬまま、父親たる玄馬と海を渡っての訪中だっただけに不安はあったものだが、()()()()()()を兼ねて通訳として付いて来てくれたのだから、本当に至れり尽くせりだ。

 尤も、らんまも玄馬も、少々どころでない()()()()()になってしまったことを考えれば、決して良いことではなかったが。

 

「でー……その流派、何て名前だっけ?」

 

 誤魔化すように笑いながら問うらんまに、「あいやっ」とガイドはずっこけた。

 

 

     ◇

 

 

 戴天(たいてん)流──古色蒼然とした文化の数々が経済成長と近代化の荒波に押し流される上海にあって、未だ御神木の如くこの地に根差し、畏敬を一身に集める内家拳法流派である。

 

「内家かぁ……ま。強ぇとこは大体そうだよなー」

 

 ことに中国の武術の大系は、大別して二つに分けられる。

 極限まで身体を鍛え抜き、型と技法を磨き抜くことに終始する外家拳と、呼吸や血流を律することで経絡をめぐる『氣』を練り上げ、駆使する内家拳の二種である。

 ことあるごとに優劣が取り沙汰されてきた両派だが、真の達人同士が雌雄を決する時、軍配は常に内家に上がった。

 肉体限界という閾値が存在する外家に対し、内功を駆使する内家の世界は深遠無辺の境地にある。

 老境に至った骨と皮ばかりの枯れ木めいた足や、手弱女の細腕から繰り出される徒手空拳でさえ、内功の冴えさえあらば容易く岩盤をも砕き、五体は刃すら通さぬ鎧と化す。

 どれだけ極めるのは至難でも、その果てに見える境地は『最強』の二文字を追い求める者にとってあまりに魅力的だった。

 らんまとその父たる玄馬もまた内功を駆使する武道家であり、その秘技秘法の奥深さをより追求せんが為に、遥々海を越えて中国まで来たと言っても過言でなかった。

 

“頼むぜぇ? 今回ばっかりは、骨のある連中で居てくれよ?”

 

 有象無象は飽いて久しい。大仰な看板を掲げるのであれば、それに相応しい手合いの一人は居てくれと、期待に舌なめずりながら門扉を開き──

 

 ──梢を揺らすそよ風に、欲の感情が流された。

 

 道場と思えぬ雅な情景。色艶やかな桃花は青空に映え、風に乗って運ばれる花弁と相まって、楽の音色が脳裏に響きそうなほど。

 門扉をこじ開けるまで遠くに響いた上海の喧噪さえ、今やらんまの耳には遠い。

 

“いや、(ちげ)ぇ……”

 

 息を呑み、心奪われたのは景色ではなく、そこで繚乱と舞う少年の方だ。

 反りは浅く、細身の白刃は中国武術で広く親しまれた太極刀でなく、日本人のらんまにも馴染み深い倭刀である。

 微かに艶の見える鞘の輝きは漆でなく、鉄拵えなのだろう。枯葉色の柄巻に武蔵鍔の武骨な一刀であるが、そうした実用本位の拵えにも拘らず、少年の舞は竜笛と合わせたくなるほどに目が離せない。

 白刃を手繰る腕が、肩が、腰が、胴が、足が。五体の全てが斬ることのみに特化している。心技体の全てを刃と成し、これを以て完成へと至る剣士の奥境……。

 花弁が、花香が、世界そのものさえ断ち切ってしまえそうなほどに恐ろしい刃の煌めきに、けれどらんまは目が離せず、一筋の涙が頬を伝った。

 

「失礼を──女人に相応しいものでは御座いませんでした」

 

 納刀の鍔鳴りに合わせ、少年は寄って謝罪を口にしたが、らんまは慌てて頭を振った。

 

「違っ……、これはお(めー)の剣が──」

 

 ──余りに美しかったのだと。

 

 喉から出かかった想いが、羞恥の感情に抑え込まれた。

 

「いや、……何でもねぇし、お前は悪くねぇよ」

 

 単にゴミが入っただけだと、月並みな言い訳で濁してから仕切り直す。

 余りに鮮烈な舞であったが、それをした少年を改めて見やれば、別にどうということはなさそうだった。

 背丈は平均的であるし、肉付きもバランスが取れているが、決して体躯は(いわお)のそれではない。顔立ちにしたところで整っている方だろうが、決して道行く女人が振り向くほどの美丈夫や優男と言うほどでもなかった。

 

「お兄さん日本人ね? だったら、この子たちに道場を案内して欲しいね。遥々日本から武者修行に来たのよ」

「左様でしたか。ご賢察の通り、僕は日本人です。と言っても、生まれがそうというだけの上海育ちですが……申し遅れましたが、名をスグナリと申します」

「おれは早乙女らんま。好きに呼んでくれていいぜ、スグナリ。あ、それとここって動物禁止だったりするか?」

 

 駄目なら外に繋いどくけどよ、と意地悪く笑うらんまにパンダは猛然と抗議したが「店ではありませんので、大丈夫かと」とスグナリが笑って先導する。

 雅な桃園も悪くはないが、やはり耳を(つんざ)くような掛け声の響く道場の方が、らんまにとっても心地良い。

 特に門弟全員が一糸乱れぬ動きで繰り出す演武は、見ていて気持ちが良いものだ。

 

“でも、泣くほどじゃねぇな……”

 

 案内した少年は年若く見えるが、もしやすれば老師の地位にあるのだろうか?

 馬鹿馬鹿しい発想だとはらんま自身思うものの、それほどまでに一門衆との功夫(クンフー)の差は歴然だった。

 だが、そうした発想も供手(きょうしゅ)と共に深々と壮年の男性に礼を示すスグナリの動作に否定されたが。

 

(ワン)老師、他流派の方がお見えになりました」

 

 カツン! と(ワン)が演舞用の仗を強かに打ち据えると、その音を合図に演舞が止まる。

 

散手(しあい)をお望みと見えますな」

 

 話が早いだけではない。らんまの目の輝きや動作から、見学という線を初めから消している所からしても、戴天流の実力は相応のそれに違いなかった。

 

「では小姐(おじょうさん)。何方との散手(さんしゅ)をご所望かな?」

「決まってらぁ」

 

 日本語での(ワン)の問いかけに対し、び! と指さすのはスグナリだ。ここにいる誰より、この老師以上に氣の練りと冴えが抜きんでていると値踏んだからこその指名であったし、(ワン)も深く頷いた。

 

「慧眼、見事。しかしスグナリは剣士であるし、彼は散手を望まぬでしょう」

「おれが無手だとか、女だからってのは気にしなくて良いぜ? 無差別格闘早乙女流は鉄砲相手だって臆しはしねーよ」

 

 だから来い。お前の剣を、あの息を呑むほどに鋭い刃を、直接感じさせてくれと訴えたらんまに、しかし(ワン)の言通り、スグナリは頭を振って固辞してしまった。

 

「申し訳ございません。僕は人に剣を振るえないのです」

 

 演武を見せることも型を指南する事も厭わないが、そればかりはご寛恕願いたいと頭を下げる。

 

「噓こけ。お前の剣は人間相手だ。ただ舞うだけじゃ、ああは行かねぇ」

 

 あの刃圏に踏み込めば、確実に白刃が首を落とす。あれは、あの剣技は紛れもなく対人戦にこそ特化したものだったと反駁するらんまであったが、しかしスグナリの答えは変わらない。

 

「……何卒」

「ちぇ。わーったよ……じゃあ、一番左の列から二番目な」

 

 渋々であったが、こうまで懇願されては次点を選択せざるを得ない。無理強いして、いざ試合で遠慮されても、らんまにとっては面白くないからだ。

 

「あいつも剣を使うんだろ? 重心で分かるぜ?」

 

 ほぉ……と(ワン)の目が武術家としての喜悦に歪む。

 

「如何にも。(チャン)柳葉刀(りゅうようとう)の申し子です。さぁ、お相手を。(チャン)よ、加減は無礼と心得よ……この娘御、貴様より上だ」

 

 (ワン)の評に微かに愁眉を寄せる(チャン)だが、それも無理からぬことだろう。何しろ二〇歳を過ぎた青年より、一六の小娘が上だと言われたのだ。

 師の前だからこそ泰然としていたものの、立ち上る気炎は目にもの見せてくれると言わんばかりだった。

 

「では、はじめぃ!」

 

 次の瞬間──(チャン)と柳葉刀が宙を舞った。

 

 

     ◇

 

 

 天高く伸びる右足と、その方向に打ち上げられた(チャン)は、どぅ! という音と共に沈み、完全に意識を手放していた。

 鎧袖一触とは、まさしくこのような様を言うのに違いない。

 

「スグナリよ、如何に見た?」

「技は内家正調、(チン)式太極拳の蹬脚(たんきゃく)……門弟達は一撃で終えたと見るでしょうが、実際に放ったは二撃」

 

 振り下ろした柳葉刀を右蹬脚(たんきゃく)で門弟やスグナリ達の居ない安全圏へと弾いた上で、(チャン)を仕留めるべく体を翻転させながら跳躍しての、左蹬脚(たんきゃく)を繰り出して見せた。

 瞬きもせず見分してなお、未熟者では捉え切れぬ神速の体技は見事であったが、真に重要視すべきはそこではない。

 

「ですが、あの体の()()方は内家でなく、間違いなく外家正調たる少林拳の流れを汲むものです」

 

 無差別格闘早乙女流──成程、こうしてみればその有り様は明確だ。

 氣功による自己強化と、型による運動の最適化。

 外家・内家の枠に拘泥することなく、強さのみを追い求める格闘術。

 大地の気脈と内経を照応せしめ、無為自然の天道と一体となること……敵を打ち倒すことを至上命題とするのでなく、ある種の悟りを得る事こそを追求する真の内家の道とは、余りにかけ離れた在り方だ。

 

「だが、それ故に強い、か……」

「加えるにあの少女……名を早乙女らんまと申しますが、常に内息を駆使しておりました」

 

 何気ない会話のさ中から一挙動の全て……おそらくは寝食のさ中でさえ、らんまは丹田の氣を整え続けている。でなくば、あの動きはあり得ない。

 氣を練るという行為は、ただ呼吸を整えておけばいいというものではないのだ。肉体限界という枷から己が身を解き放つということは、それ相応のものを払わねばならない。特に臓器……五臓六腑にかかる負荷は、決して並大抵のそれではない筈だが……。

 

「幼少の頃より、内側を入念に鍛えたのでしょう」

 

 気功によって一時的に身体を強化させる、凡百の内家とは決定的に違う。

 常に経穴を刺激し続け、血管と臓器を内家拳士のそれに特化させるべく仕上げ切ることで、常に超人と称すべき動きを可能にさせる。

 ある意味、内家としての一つの完成形と称すべき逸材だと。そのような賞賛を外野で語る(ワン)とスグナリに、パンダは後方で腕を組みつつ「うむうむ」と満足げに頷いていた。

 

(チャン)でこの様とあっては、他の門弟では手も足も出まいな」

 

 最低限、既に門を出た師兄ら(あにでしたち)でなくば相手になるまい。或いは──

 

「スグナリ、節を曲げる気はあるか?」

「お戯れを」

 

 この刀法は人に向けるものに非ず。それを誰より心身に刻んだ老師の口から出た冗談に、スグナリも思わず笑みを噛み殺した。

 

「至らぬ師を許せ。ああも見事に門弟がやられては、つい、な……」

 

 柄にもなく、対抗意識が出てしまったという。老師として道場の看板を背負う立場にある(ワン)の気持ちはスグナリにも分かるが、だとしても心は変わらない。

 

「良い機会では? あれほどの者とは、この大陸でも相まみえる機会は多くないことです」

 

 女傑族(じょけつぞく)然り寝崑崙(ねこんろん)の七福道人流一門然り、武術界の音に聞こえた集団ほど、伝統武術が徹底的に弾圧された文化大革命以降、大陸内奥に潜るばかりか、仙人の如く俗世さえ断ってしまったが、(ワン)もスグナリも、そうした武術一派の選択は正しかったと捉えていた。

 真に武のみを追求するには俗世は余りに雑多であり、同時に小学の六徳さえ、人心から離れつつあることも痛感していた。

 物の豊かさは人の繋がりを希薄にし、互いを重んじる心は、現世利益を重視する価値観によって、徐々に脇へと追いやられて行く……古伝を継承するに足る者は、日を追うごとに減るばかり。

 それを理解しながら上海に根を張り続けたのは、父祖から脈々と受け継いだ道場への義理と当世に対する意地、そして何より上海への郷土愛故で、しかし徐々に最盛期から離れていく自流派には、危機感を抱いていたものだったが……。

 

「大陸以上の俗世に呑まれた日本から、ここまでの逸材が訪れようとはな……」

 

 あの娘御ならば、衰退を余儀なくされつつある戴天流一門の……否、内家そのものの流れさえ変え得るやもしれぬ。

 

「スグナリよ。案内役(ガイド)には道場から高配を出す故、あの娘御にしばしの逗留を願ってくれぬか?」

「僕を出しにするのですね」

 

 悪いお方だとスグナリは笑い、同時に快諾した。道場の行く末を案じているのは(ワン)だけではない。我が子も同然に育てられ、ここを家とするスグナリにとっても、戴天流の衰退は避けたかったのだ。

 

 

     ◇

 

 

 (ワン)老師直々に頭を下げられ、格別の高配を賜りながら逗留したらんま(と、パンダ)であるが、流石にガイドまで同じ待遇とは言わず、彼にも仕事がある為にここで別れることとなったが、言語に関してはスグナリ然り、(ワン)然りが居るので不自由しない。

 勿論買い物ぐらいはできるようにと、最低限の単語はスグナリから教わっていたのだが……。

 

「……覚えが悪ぃって、素直に言えよ?」

「まさか」

 

 教えがいがあるのは良いことだ。武術のように何もかもスポンジが水を吸うように吸収されては、面白味も可愛げも無いというのがスグナリの本音である。

 

「可愛げねぇ? ひょっとして、惚れたか?」

 

 意地悪く笑いながら鉛筆の頭で頬を突いてくるらんまに、為すがままのスグナリは困ったように笑うばかり。

 

「たく……笑って誤魔化すのは日本人だよなぁ……」

 

 ことあるごとに他流派試合を求め、時には挑発したこともあるというのに、怒りもしなければ眉を顰める素振りもなし。

 それどころか、らんまに演武を披露する時など、実に活き活きと舞って見せてくるのである。

 それは初めて出会った時のような、思わず涙を流してしまう舞ではない。

 どうしてか、あの時に感じた心に刺さるものが、あれ以降のスグナリからは見えなかったが、むしろ今の演武の方がより美しいとも感じられた。

 

 ──嗚呼、こいつは今。心から楽しんで舞っているんだと。

 

 自分の武を、修めた技を、らんまに見せることを心底から喜んでいることが伝わってきたし、らんまもその舞に秘められた数々の業に胸打たれたものだが、やはり武道家としては物足りない。

 

“多分、無手なら相手してくれんだろうけど……”

 

 優れた日本の剣術家がそうであるように、刀を失ったからとて達人が無力化される訳ではない。おふざけ交じりに軽く()()()()時の体捌きと視線の位置は、明らかにらんまがどう動くかを事前に読んでみせていた。

 無手同士であってもらんまと同等か、それ以上の実力を有してはいるだろう。だが、真に重要なのは彼我の優劣などでなく、本気でぶつかり合うことだ。

 ただ眺めるだけでは、享受されるだけでは真の『共感』は得られない。

 相手が何を感じ、何を思い動くか。決してスグナリが悪意を有する類でない事ぐらい分かっているが、それでも正面から純粋に立ち会えば、より深い所を推し量れるものだ。

 

“だからこそ、こいつの『剣』が見てぇ……”

 

 その一刀に何を想い、何を込めるか。らんまに見せてくれた演舞には、確かにスグナリの色があった。らんまに対する親しみが、情熱が、半生を賭して磨いた武に対する誇りがあった。

 その全てが自分にぶつけられた時、きっとらんまは心からスグナリを理解できる。

 

 あの時流した涙の理由(わけ)も──きっと理解できると思うから。

 

 ただ、そんな胸の裡を打ち明けるには、らんまのプライドが許せなかった。……気恥ずかしさが有ったとも言う。そんなだからこそ、結局ずるずると時間ばかりが流れてしまった。

 既にそれなりの期間の寝食を共にして、(ワン)とスグナリを除けば一門の全員を下したのだ。いい加減、型や約束組手ばかりでなく、本気で相手をしてくれても良かろうに……と。

 もやもやと胸に(つか)えるものが溜まる一方だから、思わず不機嫌になってしまう。

 

「あーあ。そんなんじゃ、やる気でねぇ」

 

 椅子の上で胡坐をかきながら背をそらす。女としてこれ以上ないほどだらしのない所作であったが、それを見咎めることもせず、スグナリは鉛筆をしまった。

 

「じゃあ、気分転換でもしようか」

 

 スグナリが敬語は使わなくなって久しい。同じ齢の者同士、堅苦しいのは嫌だとらんまが言ったからであるが、何よりその提案に、らんまは勢いよく食いついた。

 

 

     ◇

 

 

「なんかよぉ……お前って、割とイメージと違うよな?」

 

 そうかな? とスグナリが首を傾げれば「そうだよ」とらんまが返す。

 あの堅苦しい道場で一分の隙も無く道着など着て、らんまの世話を焼く以外は武に明け暮れるか本を読むかしている癖に、いざ街に繰り出すとなれば香港の最新モードである長衫(ちょうさん)だ。

 この手の服は刺繍がけばけばしくなりがちであるし、一〇代が着るには高価過ぎる代物故、下手をすれば服に着られてしまうものだが、生地と同色の刺繍は主張を抑え、服自体も体型にもしっかりと合わせている為か、着られている感じは微塵もない。

 着道楽の拘りどころを抑えた通好みの仕上がりながら、同時に着手の男を主役にせず、隣に立つ異性の華やかさを際立たせる為の装いだ。

 男の多くが社会主義国らしく人民服や中山装に袖を通し、旧来の文化を排そうと躍起になる中で、それに真っ向から反する出で立ちだったし、遊ぶ時は羽振りもいい。

 

「女の子と歩くのに、ああいう胴着姿は流石にね?」

「へぇ……」

 

 どうして中々、エチケットというものは弁える性質(たち)であったらしい。よくよく振り返れば、常にレディ・ファーストを意識しつつも、周囲の安全にも気を配っていた。

 

「それなのに、女の一人も居なかったのかよ?」

「はっきり言うなぁ……まぁ、これまで誰かと付き合いたいとか、そういうことを考えたこともなかったのは認めるけど」

 

 (ワン)と戴天流の為、己を研ぎ澄ませるばかりであったし、スグナリ自身もそれで良いと思っていた。己は一振りの刀で在れば良い。ただの刃で在れば良いのだと──ただ直向きであったから。

 

「ふぅん……込み入ったこと聞くけどよ? あの老師、スグナリの養父か?」

「そうだよ? 僕の親が、中国で亡くなってね……まぁ、あまり良い親じゃなかったそうなんだけど、それでも赤ん坊に罪はないからって引き取ってくれたらしいんだ」

 

 嘘か誠かはらんまにも、おそらくだがスグナリ自身にも分からないのだろう。だが、それでも(ワン)は人格者であり、恩人であり、恩師であることはスグナリも、そして然したる付き合いのないらんまにも、はっきりと分かることだった。

 

「つまり、お前が道場に居るのは恩返しってとこか」

 

 孝行息子じゃねぇかと小突くらんまに、照れが混じったのか頬を掻いて、話を逸らすスグナリだった。

 

「僕のことばかりじゃなくて、らんまのことも聞かせてよ」

「別に良いけどよー、大したことねぇぞ? おれの人生」

 

 親が無差別格闘早乙女流を立ち上げて、その二代目として武道家の道を歩んできただけ。厳しい修行も手合わせの日々も、自分にとって充実した日々で、何一つ疑問を持たずに今日まで来た、単純明快な人生の足跡だ。

 

「な? つまんねぇだろ?」

 

 どう返して良いのか測りかねた様子のスグナリに、あっけらかんとらんまは笑う。

 それでも辛い過去だの、悲しい思い出だのがないことは明白で、だからこそ天真爛漫に笑えるのだ。

 ──単純だからこそ無垢であり、その笑顔がどんな花より美しいと、スグナリに感じさせたのだ。

 

「ねぇ、らんま。手を出してくれる?」

 

 ん? と、首を傾げつつも言われるがまま差し出された手に、鈴環を通す。

 どういう意図が有るのか掴めぬまま、手首を上げてまじまじと眺めれば、玲瓏石の鈴が静かに鳴った。

 

「その……気に入ってくれたら、嬉しいな」

「お前なぁ……」

 

 呆れがちな半目は、なんで自分にこんなものを与えたのかと問いた気だった。

 スグナリ自身ここまで高価な金物を、会って間もない異性に渡すのはどうかともずっと考えていたが、それでも似合うだろうと街先で見つけた時に思ってしまい、考えるより先に買ってしまった。

 身体を動かすには邪魔だと承知してもいたし、飾り物など一つとして身に着けていない子なのだから、きっと必要ないだろうとも分かっていたのに……。

 

「ごめん……邪魔なら外してくれて良いんだ」

「いや、良いんだけどよ。こんなもん貰ったって、何も返せねーぞ?」

 

 きめ細やかな彫金に銀の重み……審美眼のないらんまでさえ、明らかに職人の仕事が光る稀物(まれもの)だと気付けた逸品だ。下心の一つや二つ、有ってもおかしくはないが……。

 

「良いんだ。らんまに似合うと思ったから、買った品だから」

 

 それだけ言って、鈴環のことなどなかったかのように歓楽街を再び練り歩く。結局らんまは、最後まで鈴環を外さなかった。

 

 

     ◇

 

 

「たく……こんなモン渡してくれやがって……」

 

 こういうのは華やかな町娘か貴人の腕にこそ映えるだろうに、よりによって武道家の、それも女物に毛ほどの興味も持たない自分が貰ってどうしろというのか……。そのようにぶつくさと溢しつつも、月明かりに銀の鈴環を照らして見せた。

 

“そういや、おれ……誰かに何か貰ったこと、無かったな……”

 

 寝ても醒めても修行に明け暮れ、それを当然と受け入れた。武に生きることに疑念を抱かず、最強の頂を遮二無二目指してきた日々……。

 それを悔いることは一度としてなかったし、戦うこと自体も好きだ。

 だが、このような形で好意を示されたことは、生まれてこの方一度としてなかったのも事実で……。

 

「んだよ……? こいつは食いもんじゃねーぞ?」

 

 見りゃ分かるわい! と抗議するパンダであったし、言いたいことはそうでないということぐらい、らんまとて理解していたが、敢えてそう誤魔化した。

 

「……わぁーってるっての。ここに居たって、()()おれらの得るモンなんかねぇってんだろ?」

 

 寝床や食事だけでなく、相応の金子も給金という形で与えてくれる戴天流にとっては、らんま達の逗留は大きいのだろう。

 これまで天狗になっていた門弟達は、その伸び切った鼻をらんまに蹴り折られたことで初心に立ち返り、らんまに追いつかんとメキメキと腕を上げている。

 らんまもまた、門弟達の実力のほどは兎も角として、戴天流の技術の数々はその目で盗んだ。流石に奥義秘技の類までは見ていないものの、畢竟、武術というものは相手の攻撃を喰らわず、自分の攻撃を与え倒せば良いだけだ。

 どれだけ高度な技であろうと、武の要訣とは敵を打ち倒すことにある以上、秘技秘伝よりも今の己を基礎から高める術理を受け取れたなら、それでらんまには十分だった。

 何より、戴天流(あいて)から受け取った分の義理は、既に十分に果たしている。

 後進を育てることへの快感を覚えるには、らんま自身若く、他に修めるべき技芸の数々は山ほどあって、けれど、それでも後ろ髪を引かれるのは──

 

「──嗚呼、くっそ、認めてやるよ。ここが居心地良かったってよ!」

 

 飯は美味い、屋根もベッドもあって風呂にも入れて、道場の連中は好漢揃い。荒野を駆けて野営を続け、根無し草の旅路を続けた武者修行の日々とは雲泥の差だ。

 

「けど……そうだよな。おれらにとっちゃ、ぬるま湯だ」

 

 遮二無二強さを求めるには、上海は余りに快適過ぎた。

 あのガイドがわざわざ青海省から遥か西の上海まで自分達を連れて来たのは、こうした都市部に根を張る内家拳士達の行く末を案じた上で、らんま達を出しにしたのだと今なら分かるだけに、一層この地に価値を見出すことが出来なくなっている。

 

「発つなら、明日の朝一だな」

 

 やれることはやってやった以上、後を濁さず黙って去っても良いのだが、それをするにはここの連中は善人過ぎた。何より……。

 

“ちゃんと別れておかねぇと、おれ自身の決意が鈍る”

 

 自分はここに居るべきではないと。去らねばならないとはっきり告げれば、らんま自身にとってもケジメがつく。

 そう意気込んで立ち上がれば、(しょう)、と美しい鈴鳴りが耳に響いた。

 一つの音色を奏でる度に、優しい少年の姿が脳裏をよぎる。

 同い年で、こんなにも凄い奴がいることが嬉しかった。

 まだまだ自分には、競い合える相手がいるという事実がたまらなかった。

 中国語の勉強は苦手だったけど嫌じゃなくて、今日一日は本当に楽しかった。

 

「……わりぃ。これ、預かっててくれ」

 

 鈴環を外し、風呂敷に包んでパンダに渡す。普段のらんまなら投げ渡すところであるが、それをするには惜しい品であったし、何よりこの鈴の音は心を乱す。

 音を出さぬよう包み渡すことが、見えぬようにすることが正解だからこその行為だった。

 

「少し歩く。今日、明日で見納めだしな……安心しろって。今更残りてぇだなんて、駄々こねやしねぇよ」

 

 軽く手を振りながら、パンダに背を向けて月明かりを一人歩く。

 

スグナリ(あいつ)、桃園に居るかな?”

 

 もしそうなら、最後に軽く腕を競うぐらいはしてみたい。別れの選別に、それぐらい頼んでもバチは当たらないと思うから。だが……。

 

“先約か?”

 

 人気のなくなった桃園で、黙々と舞うのが日課のスグナリに、今は(ワン)が立ち会っていた。その顔は師としての威厳や、或いはらんまを淑女として持て成す際の好々爺ぶりとは異なり、冷たく硬い、刃のような面持ちであった。何より、(ワン)が抱く包みは一体……。

 

「スグナリよ、お前には辛い話となる……昨夜、これが(パン)に届いた」

 

“……女の、腕!?”

 

 匂いはないが、包みより現れたのは紛れもなく女の腕だった。如何に厳しい修行を重ねてきたらんまとて、このような光景を目にしたことは一度としてない。

 胃から込み上げた酸いものを強引に飲み下し、氣を整えて隠形に徹することで気配を殺す。

 

(スン)香主の……」

「ああ……日は経っているが、間違いない。(レイ)寨主(さいしゅ)は、お前こそ仇を討ちたかろうと私に言ってくれた……だが、降りても構わんのだぞ? 怨みの刃というものは、如何に強くとも人を鬼へと変えてしまう……」

「いえ。陪堂(仕置き人)として私情を挟むことは致しませぬ。ですが、失礼を承知で申し上げますが、老師は自分にそれ以上の勤めを望んでいるように感じます」

「ああ……香主一人を失ったなら、我らは掟に従い、裁くだけだ。だが、(パン)が庇護すべき民にまで手をかけられた以上、揃って腰を上げねばなるまい」

 

 これは狼煙だと、瞳を細めて(ワン)は告げた。

 

没義道(もぎどう)には義を以って誅すのみ──その刃、我ら青雲幇(チンワンパン)の先駆けとして振るい、共にこの上海から外道の根を断ってくれ」

「御意」

 

 深々と首を垂れると同時、スグナリは軽功を駆使して天を舞う。

 後に残された(ワン)はそれを見送り、らんまは茫然と月に舞う影を見上げた。

 

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