1/2(ふたつ)に割れない恋ゴコロ   作:c.m.

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後編:夜明けの先のラブコメディ

 全ては一夜のうちに終わった。

 

 (スン)の不在を好機と見て上海を食い物にせんとした黒幇(ヘイパン)は規模こそ相応のものであったが、黒社会に武名轟く青雲幇(チンワンパン)が本気で動けば、息の根など容易く止まる。

 名だたる武侠達が(スン)という規格外に討ち取られはしたものの、それ以外は快勝と言っていいし、どれだけ夥しい流血の舞台が繰り広げられようとも、幕が引けば何事もなかったかのように日常に回帰するのが上海だ。

 昼と夜、善と悪、日常と非日常の裏表が容易く切り替わることこそ上海が魔都たる所以であり、法なき法の世界に生きる者達もまた、一夜が明ければ何事もなかったかのように得物を仕舞って各々の世界に戻って行くが、しかし、この夜明けばかりは例外だった。

 昇る朝日が道場を照らす頃に、重々しい門扉が開かれた。

 

(レイ)寨主……!」

 

 (ワン)を含めた一門衆全員が拝跪(はいき)したその老人こそ、青雲幇(チンワンパン)の帝王。

 齢八〇の老境に至りながら矍鑠(かくしゃく)とした(レイ)侍衛(ボディーガード)を下げると、皆と共に拝跪(はいき)する一人の少年を見定めた。

 

「スグナリよ、面を上げてくれ」

 

 は! と顔を上げたスグナリに、(レイ)は腕を広げて抱きしめる。地に膝をつけ、召し物が汚れるのも厭わず、愛する我が子を抱くように、ゆっくりとその背を叩いた。

 

「済まなんだな……。辛い役を負わせたばかりではない……お前を本当の意味で、懐に入れてやれなかった」

 

 杯を与えておきながら、そのような不徳をしてしまった。誰より(パン)を家と、家族と想い、勤め励んできた少年を、異人だからという理由一つで救ってやれなかった。

 

「何故……」

 

 それを知っているのか。昨夜のことは、誰にも口外していない。らんまが口を割ったとも思えない。なのに、どうして……。

 

「この地で知ろうと思うことは、全て私の耳に届く。(スン)香主だけは、例外だったが……」

 

 青雲幇(チンワンパン)そのものを出し抜き、暗躍して見せた(スン)は、そうした意味でも特別だった。誰もかも彼女が死んだと、殺されたと疑っていなかったし、だからこそスグナリは先駆けとしての任を与えられた。

 もし全てを(レイ)が知っていたのなら、決してスグナリと(スン)を会わせまいと阻んだだろう。

 ……たとえその結果、青雲幇(チンワンパン)そのものが崩れるとしても。スグナリ以外、(スン)に勝てる者は居ないと分かっていても。

 スグナリが(スン)と殺し合う事だけは、何としても避けたかった。

 家族にしてやれず、だというのに常に汚れ仕事を任せ続けてきた少年に、姉さえ斬らせる真似などしては、それこそ侠の名折れというものだったから。

 

「だが……結果として私はお前に姉を斬らせた。それ故に、青雲幇(チンワンパン)の命脈も確と繋がった……我らの不徳が癒えぬ傷をお前に与え、にも拘らず我らはお前に生かされた」

 

 どれだけのことをすれば、この恩を返せるのか。

 どれほどのものを与えれば、この孝心に報いることが出来るのか。

 

 ──いいや。決して、どんなものでも返せないし、報いる事も出来やしない。

 

「本当の意味での……唯一人の家族だった(スン)を斬らせた我らが、今更お前を『家族として』などと宣うのは筋が違う。そのような事を口走れば、(スン)が黄泉で私を殺す。さりとて、お前を今のまま留め置くのも不義理というもの」

 

 杯を返せと、(レイ)は言う。袂を分かち、鎖を解く。

 何物にも縛られぬ自由ぐらいしか、与えられるものは無かった。

 

「自分は……」

「ああ、お前は望むまい。お前は今も、私達に恩義を感じてくれていることは、確と伝わっているとも」

 

 だとしても、別れなくてはならないのだ。

 このまま縛り続けたとて、真の幸せをスグナリが掴むことは有り得ない。

 その心も魂も、再び血濡れの杯から元の身体に戻してやらねば、スグナリは人の心を壊してしまう──孤独の中で、本当の剣鬼に成り果ててしまう……。

 

「遠く、遠くに離れるのだ。海を渡り、真の故郷でやり直せ」

 

 その為の金も、身分も用意して来た。一生を遊んで尚余る金子でも到底足りぬ恩義であるが、それでもケジメは必要だ。

 

(ワン)……お前にとって、我が子同然のスグナリを手放すのは酷だと承知している。それでも──」

「いえ、(レイ)寨主。我が身が親として至らなかったことは、重々承知しております」

 

 我が子同然に育てながらも、真に己の子にしてやれないとも承知していた。

 いっそ息子などと思わずに、一人の徒弟(でし)として心を離してやれば良かったろうに、天賦の剣に魅入られて、中途半端な情を見せた。

 挙句の果てにその才を、親に尽くそうとする孝心を(パン)の為に利用した。

 

「形だけの親としてでしか、接することのできなかった私に、お前は──」

「どうか、それ以上は仰らないで下さい」

 

 たとえそうであったとしても、剣を執ったのはスグナリの意志だ。

 外道を断つ剣士として、無辜の民を守る為、自分のような子を増やさぬ為に屍山血河を越えた日々を、悔やんだことは一度もない。

 

(レイ)寨主、(ワン)老師……自分にとって、お二方は真の父でした。戴天流道場は我が家でありました」

 

 孤児として捨て置かれたならば、スグナリは決して今のようには生きられなかった。物心つくかどうかの日にまで、生き永らえることが出来たかも定かでない。

 

「武と人の──、天の道を逸れることなく歩めたのは、これまでの自分を形作れたのは、真の父の教え有ってこそでした」

 

 たとえ孤独が心を苛んだ日々だとしても、受けた恩の数々はそれを遥かに上回る。どれだけ(レイ)(ワン)に、暗に恨み辛みを吐き出すことを求められようと、そんな不孝をできるような『育て方』はされていない。

 

「今日までの御恩と培った武徳を、スグナリは生涯忘れません」

 

 地に両手を突いて叩頭(こうとう)するスグナリに、(レイ)(ワン)は立つよう命じた。然るべき地位に就いた時から一度として見せなかった涙を、その目尻に浮かべながら。

 

 

     ◇

 

 

「早乙女らんま様ですな」

「は、はい」

 

 流暢な日本語で問われると、背筋を伸ばして首肯する。

 今日という日まで、敬いから身を固くするようなことなど一度としてなかったらんまであったが、(レイ)を前にしてはぎこちなく居住まいを正す。

 醸し出す空気の違いであろうか? 老境に至った達人達とは幾度となく相見えたが、それとは異なる厳粛さを(レイ)から感じ取ったのだ。

 

「堅気の御身を(パン)同士の諍いに巻き込んだばかりか、スグナリの命と心を救って下さいましたこと。青雲幇(チンワンパン)寨主として至らなかったことを恥じると共に、心から感謝申し上げます」

 

 スグナリが(レイ)にしたように、否、それ以上の最大級の謝意を三叩頭(こうとう)で以て示せば、戴天流一門や(パン)侍衛(じえい)さえ、同時に三叩頭(こうとう)した。唯一の例外は、皆と共に叩頭(こうとう)しようとしたのを止められたスグナリだけだ。

 作法など知らぬたらんまでも、これがどれほどの思いでやったことかを察することぐらいはできた。

 

「いえ、おれは勝手にしゃしゃり出ただけです……お礼なんて、言われるようなことはしてません」

「昨夜のことばかりではございませぬ。私はスグナリの心の翳りを存じておりました。だからこそ、大陸各地の案内役に『これは』と見込める同郷の武芸者が、門を叩いてくれるよう頼んでおったのです」

 

 あのガイドが遠路遥々上海までらんま達を連れてきたのは、親切心や内家の未来を憂いていたからだけではない。相応の高配を得ての、仕事としての面もあったのだ。

 

「スグナリは剣士としての天命を授かっておりました……しかし、どのような才を授かろうとも、心が曇れば至高の業も、悪鬼羅刹のそれへと変わり果ててしまいます。故に私は……」

「なんでっ……」

 

 その言葉に、穏やかな声音の中に悔恨を滲ませた(レイ)に、居住まいを正していたらんまは震えた。これまでの委縮からではなく──、共に夜を越えた少年を想う怒りによって。

 

「どうしてそこまで分かってて、スグナリを一人にしたんだよ…………!?」

 

 どうして孤独を知っていながら、それを他人なんかに委ねた!?

 出自はそれほど自他を分けるか!? 家族になろうとすることの、障害になってしまうのか!?

 

「心を開けよ!? 他人任せにせず愛してやれよ! (スン)に、スグナリの姉ちゃんにそれができて、お前らに出来ねぇ道理があるもんか!!」

 

 許せなかった。信じられなかった。だって、さっきまでお前達は泣いたじゃないか。スグナリが離れ、旅立つことを惜しみ、家族だ家だと言ってくれたスグナリに感涙に(むせ)んでいたじゃないか。

 

「こいつが、スグナリが──……、どんだけ……」

 

 この日、らんまは初めて嗚咽した。こんな風に胸を痛めて、手弱女のように泣いた日は一度もなかった。けれど、短い付き合いであったとしてもスグナリを……彼の不憫に怒りと悲しみの涙を禁じ得なかった。

 彼は優しい。彼は優しかったんだ。一度として恨まずに、お前達を慕って今日まで来て……なのに、どうしてそんな形でしか応えられないのかと。自分以外の誰かの為に、生まれて初めて泣き叫んだ。

 

「──……仰る通り。我々はそれが出来た筈でした。(スン)香主がそうしたように、慈母の心を持って侠客としての本能を封じ込めたなら、きっと……ですが私も(ワン)も、先人達から受け継いだものが余りに多過ぎた」

 

 伝統も遺産も同胞も……全てが雁字搦めのしがらみとなって、親子としての繋がりを閉ざしてしまった。組織の為と耳を塞いで、愛を以て接することを躊躇った臆病者だ。

 

(スン)が、我々を殺めんとしたのは当然です……今この時を栄えようとも、その歪さはやがて天の裁きとなり、青雲幇(チンワンパン)を奈落の底に突き落とす日が来るでしょう」

 

 それが遥か未来の日のことか、はたまた明日の日を見る間もないのかは分からない。しかし、青雲幇(チンワンパン)という結社を守らんとした為に、人としての徳を背くような輩の集まりが、この世の終わりまで続くことを、天は決して許しはすまい。

 

「なればこそ、どうか。どうかスグナリを共に……その子には、貴女様こそ──」

「──(レイ)寨主、どうかそれ以上はご寛恕を」

 

 その先は、知っていても言わないで欲しいとスグナリは懇願しつつ嗚咽したらんまへと向くと、その涙をそっと拭った。

 これから伝えるのは辛い日々や、悲しみからのものじゃない。

 これまでのような痛みからのものでなく、傷を癒し、自分を慮ってくれたらんまに対する想い。

 それを口にしようとするスグナリの頬は羞恥に赤らみ、視線は微かに揺れていたが、瞳には意を決するような輝きがあった。

 

「……こんな形だし、人目も多いけど、今言わないと、きっと僕は一生後悔すると思うから」

 

 だから、言わせて欲しい。伝えさせて欲しい。

 これがどれだけ拙くて、恥ずかしいことだとしても、この心に嘘偽りはなかったから。

 

「── 一目惚れだった。君を見て、僕は心奪われたんだ」

 

 出会い、恋をした。共に居るだけで胸が弾み、顔が見れないほど恥ずかしくなって、一緒に街に繰り出した時など、ずっと浮かれ調子だった。

 

「君が好きだ。誰よりも、何よりも、僕は君が大好きなんだ」

 

 一世一代の告白。衆人環視の中であったが、茶化す者は何処にもいない。

 いや、茶化す者はいなかったが、パンダは激しく騒いでいた。猛抗議していたとしか見えない暴れぶりだったが、らんまが豪快に蹴り上げて沈めた。

 

「外野は黙ってろ! こいつはおれとスグナリの話だ……!!」

 

 ぴくぴくと足を痙攣させて伸びるパンダに鼻を鳴らすが、先程までの啖呵とは打って変わり、らんまはおさげを指で弄びながら、スグナリから視線を外していた。

 

「……、──お、おれさ。確かに強くて可愛くて、プロポーションだって良いけど変な奴だぞ? 体質とか、色々と問題あるし……女っぽくなんか全然ないんだぞ? 飯だって親父から不味いって言われたし、ズボラだし……そ、それにほら……えっと……ああ、クソっ! なんでおれなんだよ!?」

 

 親友になりたいなら大歓迎だった。一緒に旅がしたいなら連れて行ったし、日本を案内するぐらい訳もなかった。

 だが、これは困る。本当に困るからしゃがみこんだり、ウロウロと歩いて、なのに……断る言葉が出てこない。

 お前は好みじゃないとか、嫌いだとか、そういう簡単な言葉で幾らでも断れるだろうに、どうしてか頬が熱いのだ。拒む言葉や想いが出て来ず、好きだと言われた瞬間から、鼓動が耳を弄するのだ。

 

「どこが、そんなに良いんだよ?」

「君の全てが」

「全部って……お前、おれの半分しか知らねえじゃん」

 

 自分がどんなに変で、馬鹿馬鹿しくて常識外れなのか。どれだけ破天荒で、きっともう半分を知ったら、戸惑うどころじゃないだろうに。

 

「なら、これから知っていくよ。君の半分がどんなものでも構わない」

 

 内家剣士としてだけでなく、侠客というスグナリの顔を、1/2(はんぶん)を知っても一緒に夜を越えてくれたように。

 まだ知らないらんまの1/2(はんぶん)を受け入れて、いつかやってくるエンディングまで、共に手を繋いで進みたい。

 

「……そんなに、おれが良いのかよ?」

「君しかいない」

 

 返す言葉に淀みはない。想う心は偽れない。

 恋とは常に無鉄砲で、だから止まれないものなのだ。

 

「そうかよ……」

 

 ああ、分かった。降参だと息を吐いて、(スン)に心の中で謝りながら、同時に誓う。

 昨日の日を嘘にはしないと。本当は、(スン)の代わりになってやるぐらいの気持ちからの頷きだったが、約束は約束だし、何より……。

 

「おれも、さ……その……お前は嫌いじゃないし──」

 

 他の男は絶対に、生まれ変わっても御免だが。

 

「特別に──、お前だけは許してやる」

 

 ぎこちなく。それが女のする返しかと呆れるような言葉だろう。

 慎みだとか愛らしさなんて感じられない、無骨すぎる返しだと笑われるに違いない。

 けれど、だけど。スグナリはこれ以上ないほどの歓喜に満ちていた。

 年頃の少年らしい、浮かれた男らしい弾む笑顔で、思い切りらんまを抱きしめる。

 起き上がったパンダが二人を引き剥がそうと飛びかかったが、らんまはもう一度張っ倒した。

 この心は、胸に芽生えた想いは1/2(はんぶん)だけのものじゃない。1/2では割り切れない。紛れもなく、らんまの全てがスグナリを受け入れていたからこその高鳴りだ。

 

「おれをこんな風にした責任、絶対取れよ?」

 

 武辺一筋だっただけじゃない。もっともっと、重大なことだってあるんだ。面倒な1/2(はんぶん)を後から知って『やっぱりなし』だなんて許さない。

 

「誓うよ──ずっとずっと、君を幸せにしてみせる」

 

 想い変わらず、永久に護る。青い春に立てた誓いを、スグナリは決して違えない。

 

「──信じたからな?」

 

 だから、誓いの先払いに口づけを。約束を忘れるなという想いを込めて、これ以上の言葉は蛇足だというように、その唇を唇で塞いだ。

 

 

     ◆

 

 

「……こ、ここまでで、終わり。かな……?」

 

 なんというか、最後の最後まで語ってしまうのは我ながらどうかと思うらんまだった。特に、最後のキスの降りは要らなかったと思うのだが、何故か語り尽くしてしまった。

 最後まで聞いてくれたあかねはと言えば、昼の上海は楽しそうだと肩を弾ませたり、(パン)の抗争に顔を青くしたり、スグナリの境遇や(スン)の死に涙したりと、大変せわしなく表情を変えていたのだが……。

 

「おめでとうっ! ほんっとうに、おめでとう……!!」

 

 今は感極まって、らんまの背骨が折れそうなほど強く抱き着いてきた。

 

「あたし、絶対らんまのお父さんを説得するから! 許嫁の話なんて、二度と持ち出せないようにしてみせるから……!!」

「あ、いや。そこはおれとスグナリが何とかするから、さ……はは」

 

 というか、何とかするために天道家までやってきたのだ。その気になれば駆け落ちぐらいやってやれるが、玄馬(おやじ)のしつこさと鬱陶しさは折り紙付きだし、禍根を断つには根本的解決が一番だ。

 

「手があるのね! あたしに協力できることがあったら、何でも言って!」

 

 先の恋語を聞いた影響からか、あかねは燃えに燃えていたが、らんまとしては一旦落ち着くよう肩を叩く。

 

「荒っぽいけど手っ取り早いのと、……色々手間とか、この家やあかねに迷惑をかけるけど、穏当な方法の二つがあるんだけど」

「手っ取り早いのから聞くわ!」

 

 あらやだ、この子(あかね)ってば男勝り(だいたん)……などと冗談とはいえ失礼なことを考えてしまったらんまだが、軽く咳を払って指を立てる。

 

「あかねの親父さんって、要は天道家の跡取りが欲しいってことだろ?」

「そうね。道場を安泰にしたいからってだけで、後継者がいれば別に問題ないわ」

 

 そう。極論お世継ぎとかその手の問題がクリアできれば、別にらんまでなくても構わないし、天道家の三姉妹のうち、あかね以外の誰かと結ばれたお相手が道場を継ぐならそれでも問題ない訳だ。

 

「それで、手っ取り早い手段って?」

「おれとスグナリが天道道場(ここ)の看板を貰う」

「──!? ……!? さ、流石にそれはちょっと待って……!?」

 

 応援するとは言ったが、幾ら何でも道場破りは困る。確かに許嫁なんてのはあかねも真っ平御免だが、実家の道場に愛着が無い訳でもないのだ。

 

「そんでもって、ここに新しく『無差別格闘早乙女流戴天派』の看板を掲げて、おれとスグナリが住み込みの道場主にだな……」

「だから待って! お願いだから待って本当に……!!」

 

 軒を貸して母屋を取られるとかいうレベルじゃない話だった。まさかの家ごと乗っ取る腹積もりとは……、いや、確かに話に訊く限りのスグナリの実力であれば、あかねを含めた天道流一門総がかりでも勝てる気はしなかったが。

 

「穏当な方! 穏当な方法を聞かせて! ねっ!」

「わっ、わかった! わかったってば!」

 

 がくがくと肩を掴んで揺らすあかねに、だから放してくれと頼みこむ。

 割とノリノリで語ってしまったので誤解も已む無しだが、らんまとて今日が初対面とはいえ、ここまで話を聞いて応援してくれるとまで言ってくれた女の子の家に、無体を働く気は流石にない。

 ……この家と家族が心底嫌いだったら、豪快に看板を奪って乗っ取ったのは間違いないが。

 

「えーっとだな。スグナリの(もと)ゴッド・ファーザーの(レイ)寨主って、上海とか中国どころか、世界中に顔が利くぐらいの裏世界の大物っぽいんだよな」

 

 そんな大物なら当然日本にも顔が利くわけで、役人に頼んで戸籍を弄るぐらいも訳ない話だったりする。実際スグナリのパスポートや日本人としての身分も、役人に手を回して用意させたものである。

 

「それで、あかねやここの家族さえ良ければなんだけど……おれを親戚か、出来たら姉妹ってことにしてくれねぇかな?」

 

 早乙女らんまから、天道らんまとなって天道家の一員に加わる。そしてスグナリが一八になったら、らんまと結婚。天道家に婿入りして道場を継ぐという算段だ。

 

「まぁ、流石に戸籍を弄るのは時間かかるし、何よりここに迷惑も……」

「私は良いわよ。らんまは良い子だし、何より荒っぽいのは論外だしね」

 

 今後改めて許嫁の話が出てくる可能性が消える上、道場も安泰(というか無事)だというなら、あかねが拒む理由は皆無だ。むしろ願ったり叶ったりの展開と言っても良い。

 

「それで、スグナリ君はいつ来るの? 一緒じゃないの?」

「あー……あいつは万が一どっちも駄目だった時の為に、近くの物件とか色々探して貰ってたんだよ。金有るし」

 

 一〇代で庭付き一戸建てを一括払いも余裕だ。財力が違う。まぁ、流石に今後どうなるかは分からないし、八方丸く収まる可能性も有るのだから、候補を下見している程度だが。

 

「多分、そろそろ来るんじゃ──」

 

「──お義父さん! どうか僕にらんまさんを下さい……!!」

「じゃかましぃ……! 貴様に義父(ちち)と呼ばれる筋合いなんぞないわぁ……!!」

 

 胴着に手拭いという出で立ちの、おそらくはらんまの父と思しき中年男性──玄馬に対して必死に、そして真摯に頼み込む少年がスグナリなのだろう。

 確かに見目からして真面目で素直そうな少年で、あかねとしても好印象を受ける。

 

「うっせぇぞクソ親父……! 認めねぇなら早乙女流も継がねぇって言ったよな!? 第一おれはもうここの姉妹になるって決めてんだ邪魔すんなぁ…………!!」

 

 聞く耳持たず、怒号を飛ばすばかりの玄馬を、らんまは飛び蹴りを加えて庭園の池に蹴り落とした。一切の手心も躊躇もない。恋路を邪魔するなら、馬より先に自分で蹴り殺すと言わんばかりの一撃だった。

 

「たく……、何度目だよこのやりとり」

「だって、家族になるんだから、お義父さんにも認めて欲しいじゃないか」

「ホントに良い人なのね、スグナリ君」

 

 深々とため息を吐くらんまに同意するように、あかねも息を漏らした。確かに脛に傷がある経歴かも知れないが、誰がどう見ても絵に描いたような好人物だし、何より許嫁云々が解決するのだから、どっちにしても問題ない筈なのだが……。

 

「あー……らんま君。さっき色々と事情を聴いたんだけど、本気なの?」

 

 できたら冗談であって欲しいなぁというのは、あかねの父親である早雲だ。

 

「良いじゃないお父さん。らんまは良い子だし、道場の跡取りも見つかって一石二鳥でしょ?」

 

 不服はない筈だと表情を険しくするあかねに対し、「いや、だって、早乙女の奴から全部聞いたんだけど、らんま君はね……」と、早雲は歯切れ悪く漏らすばかりであった。

 

「早雲様。このような頼みをすることは、厚顔と誹られても無理からぬことは承知しております。ですが、何卒自分とらんまさんを、天道家に迎えて欲しいのです。

 心ばかりではございますが、持参金もご用意致しました」

 

 ドン! と置かれたのは巨大なジュラルミンのケースで、中身はぎっちりと詰まった札束である。

 

「これ……え?」

「一五億。全財産の半分です」

「ようこそスグナリ君……! 歓迎するよ…………!!」

 

 裏切ったな天道────────────………………………………!?

 

 清々しいまでの掌返しに、突如玄馬が沈んだ池から現れたパンダが、声ならぬ声で吠えた。

 

「ははははっ……! 見たかバーカ! こっちは天道道場の経営状況もがっちり把握してんだよ! スグナリー! 八方丸く収まったし、デート行こうぜデート!」

「その前に、天道家の皆さんに改めてのご挨拶と、学校の編入手続きだよ。僕もらんまも、まだ一六なんだから」

「……そっか。そうだよな。お前にとっても俺にとっても、皆家族になるんだしな」

 

 和気藹々と談笑しながら、スグナリに腕を回したらんまは優しく頷く。

 

 孤独の中で剣を奮い、血と涙を流した昨日(プロローグ)はもうおしまい。

 これから先は、描く必要のないほど馬鹿馬鹿しくて、騒がしい日常──

 

 ──誰もが笑える、ラブコメディの始まりだ。

 

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