【完結】露出系へんたいふしんしゃお姉さん   作:くま

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第一話

 

 夜道を一人で歩くのは危ないですよ。

 

 そんなよくある警告を、俺は今まで大して『本気』に聞いていなかった。

 

 だって、日本はこんなにも治安の良い国だ。

 

 夜にちょっと一人でコンビニに行くくらい、危険でも何でもない。

 

 

 不審者が夜の街をうろついている、なんてことを言われても。

 

 俺は不審者とやらを見たことをないため、警戒心など湧いてこない。

 

 ……それは、俺が男だからというのもあるだろう。

 

 女性の一人歩きは、確かに危険らしい。実際に危ない目に合った事件がいくつも報道されている。

 

 だけど、男が不審者に見舞われるなんてなかなか聞かない。せいぜいチンピラに絡まれる程度だ。

 

 男である俺が、不審者を警戒する必要なんてどこにもない。

 

 

 それが、今までの俺の認識だった。

 

 

 

「小腹空いたな」

 

 深夜0時、下宿に一人。

 

 ゲームをプレイしていた俺は、ふと空腹に苛まれてコントローラーを置いた。

 

「そういや夕食、食ってなかったな」

 

 大学二年生の夏、長期休暇に入ってから俺は、自堕落な生活を続けていた。

 

 来年からは就職活動で忙しい。十分に遊べる時間などないだろう。

 

 社会に出たら、労働に追われる毎日になる。

 

 こんな風にまったりゲームをすることもないだろう。

 

「この時間だと、店はやってねぇよな」

 

 こんなにゲームに没頭できるのは、人生でこの夏だけだ。

 

 だから俺は人生に悔いの残らぬよう、この夏季休暇は全力で引きこもると決めていた。

 

「コンビニ行って、カップ麵でも買うかぁ」

 

 そんなこんなで、生活のリズムが狂いきっていた俺は。

 

 何も警戒することなく、食料を求めて深夜の大通りへ繰り出した。

 

 

 

 ────不審者情報。この辺りに、露出狂が出ています。

 

 そんな張り紙が、近くの交番に掲示されていた。

 

 ……へんな人もいるんだな。関わりたくない。

 

 俺がその張り紙を見て、感じたことはそれだけだった。

 

 無関心。無警戒。

 

 俺には関係のない話。……ただ妙なやつがいる、それだけだ。

 

 

 大通りの真ん中にある、小さなコンビニに入った。

 

 中ではやる気のなさそうな店員が一人、商品の入れ替えをやっていた。

 

 チラリと揚げ物コーナーを見るが、電源は落とされていて商品は一つも並んでいない。

 

 チキンも買おうかと思ったけど、時間がかかりそうだしやめておくか。

 

「シャーセー」

「ん」

 

 いつものカップ麺を購入し、俺は足早にコンビニを出た。

 

 夜の街は人気がないが、時折道路を車が駆けて、全く静かともいえない。

 

 遠くでガキどもが、爆音を鳴らし珍走している音もする。

 

 ああ、さっさと帰ろう。今日は十分ゲームしたし、飯を食って寝よう。

 

 そう、考えていた折だった。

 

 

 深夜の、細い路地。

 

 それは大通りから二つほど外れた、二メートルほどの道幅だ。

 

「……ん?」

 

 街灯がポツンと照らした、そのT字路の中央に『ソレ』はいた。

 

 フードを被った、不気味な人影。その顔は街灯の陰になって、良く見えない。

 

 そいつは歩くでもなく、スマホを弄るわけでもなく、ただ街灯の下に静かにたたずむだけだった。

 

 

 行く時には、あんなヤツはいなかった。

 

 俺がコンビニで買い物をした数分で、そこに出現した。

 

 ……気味が悪い。こんな時間にそんな場所で、何をやっているんだ。

 

 一歩ずつ、俺はその人影に近づいた。

 

 アパートに戻るには、このT字路を曲がらねばならない。

 

 不気味ではあるが、避けて遠回りをするのも面倒くさい。

 

 俺は目線を下にして、絡まれないよう足早に歩いた。

 

 

「……ぅ」

 

 

 人影から、声がした。女の声だった。

 

 驚いて目を上げ、よく見ると。その不審な人影は、女性のシルエットをしていた。

 

 こんな時間に、たった一人で、女が佇んでいる?

 

 何を考えているんだ、コイツは。流石に女性が一人でうろつくには危ない時刻だろう?

 

 俺がヤバいやつだったらどうするんだ。

 

「ぅ、ん」

 

 俺が一歩近づくたび、女性は奇妙な唸り声をあげた。

 

 ……正直に言って、怖かった。

 

 理解が出来ない。意味が分からない。何でこの女は、こんな夜中にヘンな声を出しているんだ?

 

 ヤバいやつなのか? もしかしてこいつが、噂の不審者────?

 

 

「ふふ……、くふっ」

 

 

 次の瞬間、女は自らの着ていた『コート』を広げた。

 

 衣類のはためく音に驚いて、俺は思わず凝視してしまった。

 

 その、コートの中を。

 

「……っ!?」

 

 全裸だ。全裸の女が、笑みを堪えながら俺に体を見せつけてきたのだ。

 

 えっ、と。脳が真っ白になる。

 

 

 顔は見えない。アイマスクのような、サングラスのような、よくわからないもので顔の上半分を覆っている。

 

 髪は長い。胸元まで、前髪の一部がかかっている。

 

 肌は綺麗だ。街灯に照らされ、白い光沢を放つ乳房が露わとなっている。

 

 下半身は暗く、陰になって見えないが……。下着など、身に付けていなさそうだ。

 

「えっ、えっ」

 

 女はそのまま、数秒ほど動かなかった。

 

 狼狽する俺を楽しむように、味わうように、吐息を漏らす。

 

 小柄ではあるが痩身ではなく、むしろ肉付きは良い部類。

 

 紅く成熟した乳輪の傍らに、大きな黒子(・・・・・)が添えられている。

 

 口元だけ見える彼女は、間違いなく微笑んでいた。

 

 

 

 俺も男性だ。女性の裸を見ることに、興奮を覚える性質だ。

 

 だけど、この時ばかりは全く興奮しなかった。

 

 俺の求めているのは、こういうのではない。

 

 股間はピクリとも反応しない。

 

 何せ、これは────

 

 

 

「へ、へんたい……!」

「あら」

 

 俺は慌ててスマホを取り出した。無論、通報する為だ。

 

 女はその仕草を見咎めて、すぐさまコートを羽織りなおした。

 

「に、逃げるな!」

「……」

 

 今まで堂々と裸体を見せつけていた女も、警察は怖いのだろう。

 

 次の瞬間には、彼女は路地の奥へ走り出していた。

 

 追いかけようと思ったが、足がすくんで動かない。

 

 無理やりに走ったら、きっと足をもつれて転んでいただろう。

 

「な、なんだったんだ」

 

 その後、俺は数分ほど呆けた後。

 

 改めて、警察に通報したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とか何とか言ってェ」

 

 その、翌日。時刻は15時を少し回った頃。

 

「ちょっと嬉しかったんじゃないスか、センパイ」

「……いや、全く」

 

 サークルに顔を出した俺は、昨日の事件について部室でぼやいていた。

 

 

 オレが所属しているのは、文芸雑誌サークルだ。

 

 メンバーは小説を書くやつ、イラストを書くやつ、漫画を書くやつなど多岐にわたる。

 

 それぞれ創作系の趣味をもった連中が集まり、年に2度ほど学内雑誌を発行している。

 

「あんなに嬉しくない(エロ)は初めてだよ」

「男なんておっぱい見たら、無条件で大喜びして躍り狂うもんでは」

「男をなんだと思ってんだ」

 

 普段は陰キャの後輩女が、話を聞いて楽しそうな顔で煽ってきた。

 

 この女はうちのエース同人作家『ウサウサ丸』で、このサークルではクソ兎の愛称で軽蔑されている。

 

 コミケに毎年参加しているガチ勢で、大学の部室で堂々とエッな漫画を執筆する鋼メンタルの持ち主である。

 

「美人でしたか? 胸のサイズは?」

「顔は隠してたよ、てかどうでもいいだろ。俺は身内に不審者情報を共有したいだけだ、女の詳細には興味ない」

「だったらァ、不審者の見た目の情報は重要じゃないっスかァ? 顔が見れなかったなら、体つきくらいしか共有できなくないっスか?」

「……。お前とは比べ物にならんくらいビックサイズだったな」

「やっぱじっくり見てんじゃないスかァ」

 

 クソ兎は得意のエロ話だからか、饒舌に絡んできた。

 

 彼女曰く『エロは原始欲求であり恥じる必要はない』と、かなり明け透けな性格だ。

 

 こいつが恥じらうとこを、俺は今まで見たことがない。

 

「何がなんでも俺が喜んでることにしたいようだが、マジでキモいだけだぞ」

「本当にィ~?」

 

 ただそんな性格ゆえにエロ方面の造詣が深く、彼女の書く同人誌は凄まじい人気を誇る。生々しい話、数百万は入っているらしい。

 

 『男の性欲は金になる』と言って憚らぬ同人エロ漫画作家、それが彼女だ。

 

「ふむ、だが彼の言うことには一理あるぞ。いきなり見せつけられても興奮しないのは、生物として間違っていない」

「えー、本当っスか部長」

「本当だとも。むしろ君ほどのスケベが、随分と浅い意見を言うなと呆れていた所だ」

 

 そんな気持ち悪い後輩のウザ絡みを、一蹴する声があった。

 

 それは、部室の奥深くに腰かけてイラストを仕上げている女性の先輩の声。

 

「そもそも男どもはどうして我々の裸体を喜ぶのか、考えてみたまえクソ兎」

「えー、そんなん生物的本能じゃないんスか」

「違う、それは大間違いだ」

 

 この文芸雑誌サークルの部長で、既にイラストレーターとしても活動しているMIRI(ミリィ)先輩だ。

 

 某SNSでのフォロワーは一万を超えており、将来的にイラスト方面で就職する予定の凄い人であり。

 

「裸に興奮するのが生物学的本能であるなら、動物はメスを見るだけで発情してしまうだろう? 服を着ている動物なんていないんだから」

「むむむ」

「裸に興奮するのはヒト属のオスに限定された本能だよ。ではなぜヒトのオスは、女の裸に興奮するんだと思う?」

 

 運動神経も良く、バトミントン部を兼部してスタメンに選ばれている。

 

 学業面も優秀で、学内にいるうちから絵画関係の考察論文を発表しているらしい。

 

「それは……」

「答えを言ってしまうと、それは女性からのS●Xのサインと見なされるからだよ」

「なんと!」

 

 そして、凄く(ちょっと)変な人だ。

 

「動物は異性の裸を見ただけでは興奮しないが、異性に求愛行動をとられると興奮する本能を持つ。そしてヒト属において、女性が服を脱ぐという行為は求愛行動に当たるのだよ」

「な、なるほど!」

「だけど、相手するのを拒否したくなるような異性に求愛行動をされたら? そう、興奮するわけがないのさ」

 

 部長は多分、頭は良いのだがバカである。

 

 何かを考察するのが大好きで、それっぽい理論を組み立てて適当な結論にもっていくのが趣味らしい。

 

「そもそも我々だって、見知らぬ男に裸を見せつけられたら気持ち悪いだろう」

「死ねってなります」

「つまり不審者に裸を見せつけられても、男だって興奮しないわけだ」

 

 彼女の描く(イラスト)はとても上手なのだが、少し常人離れした印象派な感じが多い。

 

 多分、天才肌の奇人なのだ。

 

「露出狂なんて迷惑な存在以外のなんでもないッスしね。確かにそうかぁ、困ったッスねぇ」

「何を悩んでるんだこのクソ兎」

「新作ヒロイン羞恥調教モノの、通りすがりモブの反応をどうしようかと」

「うるせえ死ね」

 

 部長の良く分からん謎説に納得したクソ兎は、その場で足を組んで悩み始めた。

 

 彼女は自作の同人誌の売り上げが生活に直結するので、エロ方面に手を抜かないのである。

 

「ただ、私は少しその不審者の女が心配だな」

「あー、そうっすね」

 

 エロい悩みに悶々とし始めた兎を放置して、部長は深刻そうにそう呟いた。

 

「俺も、早く捕まってほしいです。ぶっちゃけ家の近くなので、また出くわしたらと思うと怖い」

「いやそうじゃない。その女性の身が、心配なのだよ」

「不審者を心配って……、何が心配なんですか」

 

 また部長が妙なことを言いだしたので、聞き返してみると。

 

 彼女は真剣な顔のまま、俺の方を真っすぐ見据えた。

 

「男性と女性、露出狂が多いのはどっちと思う?」

「……男、ですかね」

「正解だ。露出症……露出することに快感を覚える性癖倒錯者は、男性が圧倒的に多いんだ」

 

 露出狂は、圧倒的に男が多いらしい。

 

 それは確かに納得だ、露出不審者と言えば男性のイメージが強いし。

 

「露出症はれっきとした医学病名でね。毎年たくさんの男性が『露出症』と診断されるのに対し、女性はほとんどいない。正確な数字は不明だが、ICD診断基準に『女性の露出症の有病率は、男性に比べてかなり低い』とある」

「へえ……」

「しかし実際、公然わいせつで逮捕された男女比は6:1……。つまり7人に1人は女性なわけだ。これがどういうことか、君に分かるかい?」

 

 部長は俺の顔を見据え、そう聞いてきた。

 

 女性に露出狂などほとんどいないのに、女性がそれなりに公然わいせつで逮捕される理由……?

 

「同級生のいじめであったり、彼氏からの調教であったり。要は誰かに『やらされている』可能性が高いのさ」

「あっ……!」

 

 部長はきっぱりそう言って、不機嫌そうに唇を曲げた。

 

「違法アダルトビデオの撮影。売春行為による強制。理由は、山ほど思いつく」

「む、む」

「露出症である確率が圧倒的に少ない女性が、そんな事をした理由。それが、不快な理由でないことを祈るよ」

 

 その発想は、盲点だった。

 

 確かに女の露出狂が殆どいないなら、誰かにやらされている可能性もある。

 

「次に出会った時には、事情でも聴いてみるべきでしょうか」

「いや、関わらないことだ。反社会的な組織がバックについていたらどうするんだね」

「……」

「無関心こそ、最大の自己防御だよ。不審者のことなんて、さっさと忘れなさい」

 

 部長は真面目な顔でそう忠告してくれた。

 

 ……だとすれば、俺は気付かず社会の闇の一端に触れてしまっていたのかもしれない。

 

 

 ゾクっ、と。改めて、恐怖心が沸いてきた。

 

 ただ、露出狂の女に裸を見せつけられただけであれば、まだ気持ちは楽だった。

 

 気持ち悪い女が周囲をうろついているだけ、という認識でいられた。

 

 

 あの女が、誰かに無理やり強制させられているかもしれない。

 

 違法な組織のビデオ撮影など、反社会的勢力が関わっているかもしれない。

 

 だとすれば、下手に関わったら重大な犯罪に巻き込まれるかも────

 

 

 昏い夜道を一人で歩く、という行為への恐ろしさ。

 

 今までの俺は、なんと暢気で無警戒だったのか。

 

 日本の治安が良すぎて、安全だと錯覚してしまっていた。

 

 人気の少ない暗い場所が、安全なはずがないのに。

 

「俺、次から夜に出歩くのはやめます」

「それがいいさ」

 

 俺は素直に、部長の警告を聞いた。

 

 その不審者のことは忘れ、もう出くわさないよう夜歩きはやめることにした。

 

 昨日、俺はとても危険な状況にあった。

 

 テンパって不審者を殴りつけでもしたら、怖いお兄さんに囲まれていた可能性もあるのだ。

 

 ……次からは気を付けよう。

 

 

 

 

 

 

 

「食材を、買い込んでと」

 

 学習した俺は、明るいうちにコンビニで買い物を済ませた。

 

 徹夜ゲーム三昧の日々を、辞めるつもりはない。

 

 ただ、夜に出歩くのをやめるだけだ。

 

「シャーセー」

「ん」

 

 うっかり買い忘れても大丈夫なよう、いくつかカップ麺を確保しておいた。

 

 これでもう、夜に出歩く必要はないだろう。

 

「さて、ゲームの時間だ」

 

 サークルから帰ったあと、俺は改めてゲームの世界にのめり込んだ。

 

 数十時間かかるRPGの大作ゲームを三日でクリアする計画だ。

 

 ああ、夏季休暇って素晴らしい。人生は最高だ。

 

「……ああ、目が痛くなってきた」

 

 深夜までぶっ通しでプレイしたあと。

 

 目が付かれてきたので、俺は休憩がてら窓から街を見下ろした。

 

 ここは二階建てのアパートだ。あまり遠くは見渡せない。

 

 だけど、すぐ近くの通りくらいは見える。

 

 眼下では(ひと)()一人(ひとり)いない深夜の路地を、街灯が怪しく照らしていた。

 

「……」

 

 昨日、あの不審者に出くわしたのは今くらいの時刻だったな。

 

 彼女は今夜もまた、どこかであんなことをしているのだろうか。

 

 ……迷惑な話だが、俺に出来ることは何もない。

 

 部長の言う通り忘れて、関わらないのが正解だろう。

 

 そのうちきっと、警察に捕まえてくれるはずだ。

 

 

 そう思って、ふと。

 

 昨晩(・・)ヤツがいた(・・・・・)場所へ視線をやると(・・・・・・・・・)

 

 

「────!!」

 

 

 人影が、そこにあった。

 

 ソレは昨日と同じ場所、街灯の下に佇んでいた。

 

 ドクンと、心臓が跳ねる。

 

 ヤツだ。おそらく、きっとそうだ。

 

 大胆にも昨日と同じ場所で、同じ時間に現れやがったのだ。

 

 

「……ごくり」

 

 

 まて、思い込むな。彼処に誰か、別の人が立っているだけの可能性もある。

 

 俺は、どうするべきだろうか。

 

 ここからじゃ顔や出で立ちは確認できない。

 

 分かるのは、誰かが街灯の下に立っていることだけ。

 

 ソレが昨晩の不審者で、裸コートかなんて確証はない。

 

 だけど、あんな場所で佇んでいる時点で怪しすぎる。

 

 通報か。やはり、通報するべきか。

 

 たまたま偶然、通行人が立っているだけかもしれない。

 

 だけど、もし彼女が昨日の不審者だとしたら。

 

 ここで警察のお縄になる方が、この周囲の住民のためになる筈だ。

 

 それに女性の露出症は、殆どいないらしい。

 

 だとすれば彼女は、何らかの理由で露出させられている。

 

 ────その歪んだわいせつ行為の強制に、司法のメスを入れるべきだ。

 

 

 俺は意を決して、ガチャりと部屋のドアを開けた。

 

 遠くから、ヤツに気づかれないように、こっそり近づいて背格好を確認しよう。

 

 昨日の女だと断言出来れば、部屋に戻って通報するのだ。

 

 

 ……部長の言う通り無関心であるなら、放っておくべきかもしれない。

 

 だけど、今ならヤツに気づかれずに警察を呼べる可能性がある。

 

 この機会を逃すわけにはいかない。

 

 アパート玄関の塀越しに、こっそり様子を伺うだけなら心配はないはず。

 

 今夜、あの女を警察の手に引き渡してやる。

 

 

 

 

 

「いる……」

 

 出来るだけ静かに階段を下りて、アパート玄関から路地を覗いた。

 

 そこにはまだ、人影があった。コートを羽織っていて、胸元に届きそうな長髪の、女性のシルエット。

 

 ……間違いない。やはりアイツは、昨日の女だ。

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込む。後は気付かれず、部屋に戻って警察に通報するだけだ。

 

 だというのに。不甲斐ないことに、俺はその女を見た瞬間、足がすくんだ。

 

 

 ────恐怖心?

 

 そう、俺は怖いのだ。あの得体のしれない、非合法組織とつながっているかもしれない、不審者が。

 

 女性が露出狂の男を怖がる気持ちが、よくわかった。

 

 俺は普段、良識のある人間に囲まれて生活していた。

 

 いきなり殴って来たり、ナイフで刺したりする人間など滅多に居ない。

 

 だから、他人を見ても別に恐怖など感じなかった。

 

 

 だけど、今。俺の目の前には、常識の通じない相手がいる。

 

 あの女の行動は既に、常軌を逸している。ナイフを振り回したり、拳銃を発砲したりするかもしれない。

 

 得体のしれない、何をするか分からない人間が目の前にいるというのは、現代人にとって耐えがたい恐怖なのだ。

 

 自分より小柄な、露出する不審者の女。

 

 今でだったら、俺は『何が怖いんだ』と鼻で笑っただろう。

 

 だが実際に相対すると、こんなにも怖いものなのか。

 

 動け、動いてくれ、俺の足……。

 

 

 

 実際のところ、俺が恐怖で足をすくませたのは数秒だけ。

 

 すぐ俺は我に返り、震える足で階段を上ろうとした。

 

 足はスムーズに動き、俺は問題なく歩くことが出来た。

 

 すくんだ足で歩いたせいで、大きな足音がなっただけで。

 

 

 カタン、という足音は夜道に響いた。

 

 そして路地の奥では、女がこちらの方へ向き直っていた。

 

 

 ────見つかった。

 

 

 恐怖、恐怖、恐怖。

 

 女が少しずつ、こちらに近づいてくる。

 

 ソイツが街灯の下から離れたせいで、改めて分かった。

 

 コートの胸元は肌色で、下に何か着ている様子はない。

 

 そのコートは太ももまでの長さで、パンストもなく『生足』で歩いてきている。

 

 間違いなく、昨日の女だ。

 

 

 スマホを取り出す。通報だ、見つかってしまったからにはすぐ通報だ。

 

 いや、先に逃げるべきか。流石のアイツもアパートの中まではついてこないはず。

 

 急いで、早く、アパートの中に戻って……。

 

 

「……!」

 

 ぬっ、と。

 

 不審者がアパートの照明に照らされて、俺の目の前に現れた。

 

 

 女の顔は、覆面に覆われていた。

 

 プロレスラーが使うような、口以外が隠れる覆面だ。

 

 コートで体躯を隠しているものの、間違いなく下は裸だろう。

 

「ひ、ぃ」

「へ?」

 

 不審者は俺の顔を見て、すこし驚いた顔になった。

 

 昨日と同じ人間だと、バレてしまったのかもしれない。

 

「く、来るな不審者!」

「あっ!?」

 

 その一瞬だけ、不審者に隙が出来た。

 

 俺は隙を逃さず、女を思い切り突き飛ばした。

 

「い、痛っ……」

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 こっそり通報する作戦は、失敗だ。だったら、証拠を撮らないと。

 

 震える手でスマホを取り出して、俺はその不審者にカメラを向けた。

 

「え、あ、ちょっと!?」

 

 カシャリ、と。

 

 俺は、不審者をフレームに抑えてスマホのシャッターを切った。

 

 画像では女は尻もちをついており、コートがはだけ色々と見えている。

 

 服の下が全裸なのが丸わかりの、決定的証拠となる一枚。

 

 シャッターを切った後も、手はガタガタ震えていた。手振れ補正を付けていて良かった。

 

「ちょ、それは、消して──」

「う、うるさい、証拠だ。通報する、覚悟しろ」

「や、やめ」

 

 通報という言葉を聞いて、女の顔が青くなった。

 

 そんな公然わいせつ行為をしておいて、捕まるのは怖いのか。

 

 ……もしや誰かにイジメられて、やらされているのか?

 

「な、何だ君は、いきなり!」

「いきなりじゃねぇ! 昨日の被害者だ、俺は!」

「や、やめて、もうしないから! ソレも消してくれ、盗撮だぞ!」

「そんな恰好でうろついてるやつが何を言ってる!!」

 

 女は、俺のスマホを奪おうと襲い掛かってきた。

 

 組ついて、力づくでスマホを奪おうとしている。

 

 だが、体格も筋力も俺の方が上だ。俺は女を振り払い、スマホを死守した。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! もうしない、許してくれ、出来心なんだ」

 

 再び俺に突き放された、その不審者の女は。

 

 今度は逆に、その場で土下座を始めた。

 

「……」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 恐らく、力づくでは俺からスマホを奪えないことを悟ったのだろう。

 

 その変わり身の早さに、目の前で女が土下座しているという状況に、俺は少し動揺した。

 

 慈悲を請うて、事なきを得ようとしているのだ。

 

「おい、不審者」

「な、何だい」

 

 その光景を見て、俺の恐怖心はスーっと消えていった。

 

 ……今まで何を怖がっていたのか分からないくらいに、目の前の女は弱い。

 

 その気になればいつでも勝てる。……コートにスタンガンなどを隠していない限り。

 

「お前、昨日もやってただろ。何でこんな事したんだ」

「そ、それは」

 

 俺は武器による奇襲を警戒しつつも、女にそう聞いた。

 

 彼氏にやらされているとか、イジメられているとか、何か事情があるのかもしれない。

 

 一応、通報する前に聞いておこうと思った。

 

「嘘を吐くなよ」

「……なんだ」

 

 俺の質問に、彼女は声を震わせたまま。

 

 土下座の体勢を崩さず、静かに答えた。

 

「趣味、なんだ」

「……」

「最初は勉強のストレス解消で、下着姿とかだったけど。すごく、興奮して」

 

 不審者は顔を真っ赤に、告白するようにそう答えた。

 

「バレたら人生詰んじゃうとか思うとハラハラして、興奮が止まらなくて、どんどんエスカレートしちゃって」

「それで」

「駄目だと思ってもやめれなくて、スリルを味あわないと生きてる気がしなくなって────」

 

 ……露出障害。

 

 露出により性的興奮を感じてしまう、倒錯した性癖。

 

「な、何度もやめようと思ったけど。ストレスが高まると、気付けばつい……」

 

 それは、依存症の一種だ。

 

 本人は「それは良くない事だ」と言うのを理解しているのに、なお快楽に負けてやめることができない。

 

「……分かった。やっぱり、通報する」

「そ、そこを何とか。お願いだ、頼む。もう、就職も決まってるんだ」

「見逃しても、アンタはきっとまだやる。昨日、俺は本当に怖かったんだ。俺以外の人を、同じ恐怖に晒すわけにはいかない」

「お、お願いする。頼む、何でもする」

「いらん、俺はアンタに関わりたくない。アンタは、専門機関で治療してもらうことが必要だと思う」

「──!」

 

 女性の露出症は『男に比べてかなり少ない』だけで、存在するのだ。

 

 この不審者は、世にも珍しい本物の『露出狂の女』だった。

 

 その性癖に罪はない。だけど、性癖に溺れて公然わいせつ行為を起こした理性のなさこそが問題だ。

 

「話を聞いてくれ。今日、まだ私は何もしてないじゃないか」

「その恰好は何だ」

「こ、これは寝ぼけて服を着忘れて、だな。コートで身体を隠しているし、わいせつではないだろう」

 

 女はまだ未練がましく、必死で弁明を続けた。

 

 だが俺は、どんな説得をされてもその要求にこたえるつもりはない。

 

 ここで通報するのが、社会とっても彼女にとっても最善だ。

 

「それに、君には何もしないつもりだったんだ。嘘じゃない、本当だ」

「……」

「今日は、君が覗きに来たんじゃないか。私を突き飛ばして、服をはだけさせて。立派な暴行だぞ」

「言いたいことはそれだけか」

「それに、不審者には無関心で行くって話になっただろう。なんで降りてくるのさ……!」

「は?」

 

 そう思い、110と打ち込もうとした瞬間。

 

 ────とんでもない発言が、その女から出てきた。

 

「……あっ」

「ま、まさか」

 

 不審者には、無関心で行く。その言葉は、俺が今日の昼にサークルで交わした会話だ。

 

 慌ててコートの女の顔を、改めて凝視した。

 

 覆面で隠れているが、パーツはよく見れば見覚えのある顔だった。

 

「……あの、もしかして」

「ちょっ、違……」

 

 不審者は大きく動揺した声で、手をバタバタ振って誤魔化そうとしている。

 

 だが、一度気付いてしまえばそうとしか思えない。

 

「貴女は、ぶちょ────」

「じゃ、じゃあこれで。絶対、絶対消してくれたまえよ!!」

 

 不審者は両手で顔を覆い隠し、泣きそうな声を出すと。

 

 俺から逃げるように、一目散に路地の奥へと走り去った。

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