余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編)   作:小薮譲治

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第2部 瀬戸内海追撃編 第1話:Turncoat Fleets

Turn coat

 

「君が金剛か」

 

 扉の向こう側から、声がする。光を背にしているため、顔がよくわからない。それが故に、金剛は目をすがめ、目元を手で覆う。

 

「……はい」

 

 いつもなら、私はどんなふうに応じていたのだろうか。そんなことを、金剛は考えていた。明るく、金剛デース、とでも言っていたのだろうか。とても、そんな気分にはなれない。なれるわけがない。

 

「君に贈り物がある」

 

 そう言って、裏返しにしたコートを、男は放った。

 

「そう呼ばれたくなければ、すぐに出てきたまえ。作戦を説明する」

 

 扉が閉じ、闇が部屋に満ちる。

Turncoat、すなわち、裏切り者。そう呼ばれたくないのであれば、来い。そう、男、提督は言った。金剛は、その背とコートを握りながら、しばらくうつむき、そして。

 

 立ち上がって、扉を開いた。

 

 

 

余計者艦隊 第二部:瀬戸内海追撃編序文

 

 

 戦争の種は尽きない。私はそう考えているし、人類は相変わらず戦争が大好きだ。そう言うと、多くの論駁が返ってくるだろう。それは、正しいことではある。

 

 だが、世界地図を広げてみるがいい。紛争地帯に点を付けるだけでもうんざりするくらい、世界は戦争で満ち溢れている。本書の冒頭で「提督」の問うた言葉には、とても答える勇気が私にはわかない。だが、日本が平和かどうかで言えば、国内で紛争は起こっていない。爆弾が降り注ぎ、飢えた少年がぎらぎらとした目で他人を見る事など、ほぼない。それは確かではある。ただ、彼らの世界はともかく「共通の敵」が存在する。人類の不倶戴天の敵たる「深海棲艦」が。

 

 それでまとまることができるのが、うらやましいのか、と言われれば甚だ疑問ではある。

 

 とまれ。呉鎮守府所属の艦隊は周防大島を奪還した。これからは、そののちの話をすることにしよう。来た、見た、勝った。そう記したのはユリウス・カエサルであるが、私はカエサルのように短い話が書けるわけでもない。

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていたように思う。夢であってもらいたい、と思う。そう思いながら、加賀は掴んだ襟元を離しそうになるのを、必死にこらえた。スカーフェイス。沈む怪物を殺すべく、引きずり上げようとするその腕には、死んだはずの帝国海軍所属「戦艦『金剛』」が握られていた。

 

 夢であってもらいたい。そう思ってみても、腕にかかる重みと、治りきっていない骨折の痛みが、これは現実だ、と訴えかけていた。

 

 

 

余計者艦隊 瀬戸内海追撃編第1話「Turn Coat Fleets」

 

 

 

 

「……通信が回復した?」

 

 その報を受け、提督は安堵のため息を漏らした。周防大島で勝利したのはいい。本拠たる「ブルーリッジ」がやられては意味が無いのだ。通信が回復した、という事は、加賀が戦艦「タ級」つまり「スカーフェイス」をしとめたという事だろう。そのこと自体には驚きはしなかった。だが。加賀からの無線通信がヘッドセットに流れるが、収容時に人払いをしてもらいたい、という要望が届いた。ああ、負傷はしていないものの、艤装が破損したのか。と納得しながら、最低限の収容クルー以外は近寄るな、と指示をしたしばらく後に、加賀から発された言葉に片眉を思わず上げた。

 

「……提督に来ていただきたいのです」

 

「……俺にか?」

 

 その言葉には意外なものを感じた。収容時に何ができる、というわけではないのだから、必要ないだろう。と言いかけて、やめた。なにかある。それも、とんでもない厄種が。

 

 

 

 

 帰りたい。帰らなくては。少女は、金剛型巡洋戦艦ネームシップたる『金剛』は夢中でそう考えた。砲をチェックし、正常である、と信号が返ってくることを確認し、機関の出力を上げる。水上を滑るように、と言うにはゆったりとした動きで彼女は前進し、そして後ろを見る。後ろには、同じく帰還すべく航行を続けている重巡洋艦『三隈』と軽巡洋艦『長良』に、駆逐艦『暁』と『雷』がいた。いや、本来は居た、というべきだろう。今は、居ない。

 

 戦艦『タ』級の頭を吹き飛ばし、その後一人で方位を見失い、なんとか合流した彼女たちとともに、鎮守府に帰還すべく、金剛は航海を続けていた。そして、今は金剛だけが生き残っている。

 

 たまたま捕獲できた駆逐『イ』級を使った囮作戦は失敗に終わり、泊地にたどり着いたのもつかの間、戦艦を中核とする深海棲艦の襲撃を受け、金剛は左頬に大きな火傷を作った。敗残の身。

 

「紅茶が飲みたいネー」

 

 そう言ってはみるものの、紅茶なんて奢侈品がなかなか手に入ろうはずもない。輸出用に本来は国外に出るはずだった紅茶を彼女はなんとか手に入れていたが、それも鎮守府での話だ。敗走を重ねる身では、望むべくもない。

 

 まして『鬼』とも呼ばれるクラスの戦艦を相手にしている状況では、なおさらだ。余計なことを考えている暇はない、砲を放とう、と諸言を入力し、そして。

敵の砲の直撃を、金剛は受けた。意識が、飛ぶ。

 

 帰りたい。帰らなくては。

 

 その一念で、金剛は水を吸い、死にかけている機関にもう一度火を入れる。そして、ぐらぐらと揺れる頭で、前を見る。一隻の深海棲艦が、こちらに向ってくる。空母『ヲ』級だ。あれなら、なんとかなる。幸い砲の距離だ。そう思った時には、灼熱した感覚が体を焼く。

 

「あ……ああ。あああ……?!」

 

 金剛は、目を疑った。憎悪の炎を燃やした空母『ヲ』級だと思っていた物は、正規空母『加賀』だった。その青い袴と、甲板を見て、金剛は頭にかかっていた靄が晴れるのを感じる。

 

 戦艦『タ』級の頭を吹き飛ばした、と思っていた。敵を殺したと思っていた。だが、それは敵などではない。絶望のさなかにも、守るべきものを守るべく、戦いに臨み、こちらを怒りの目で見ている少女。いや、少女と言いつくろうのはよそう。

それは、妹の榛名だった。金剛は榛名の頭を吹き飛ばした。

 

 駆逐『イ』級を捕獲した、などという迷妄はよしてしまうことにしよう。彼女は、金剛は特3型駆逐艦『響』の目を抉り、笑っていたのだ。その瞬間の喜悦は今でも脳の奥底にこびりつくほどのの鮮烈さが宿っている。

 

 戦っていた相手は、自らのかつての仲間たちだった。彼女は家族を殺した。深海棲艦と戦っていた、というのはまやかしだ。

 

 彼女自身が深海棲艦だったのだ。

 

 帰りたい、帰らなくては。脳の奥底にこびりつく妄執めいたその感情に、金剛は半狂乱になりながら、しかし目を閉じた。疲れていたのだ。何もかもに疲れた。水底に沈み、しばらく、何も考えないでいたい。

 帰りたい。でも、どこに、どうやって。そう、心に問うた瞬間、水の中から引き上げられる感触が、した。意識は鉛のよう。だが、そのおびえた声だけは忘れようがない。

 

「こん、ごう」

 

 その加賀のうめきに近い声を最後に、金剛の意識はふっつりと途絶えた。

 

 

 

 

 

「金剛型が『帰って』きた?」

 

 深海棲艦の電波妨害が消え、無線式のヘッドセットから聞こえる加賀の震える声に、良いことではないか、と提督は返しそうになる。純然たる戦艦とは違って運用の幅が広いのだから、これほどありがたい戦力も存在しない。速力が高く、戦艦よりは少々劣るものの巡洋艦よりも大口径の砲を積んだその存在はこれからはありがたい。特に、飛行場姫を撃破した今となっては、岡山側に逃走した深海棲艦の追撃に兵力が少しでも欲しい時期だった。下関側は、というと、実際のところ岩国の米海兵隊航空隊が手ぐすねを引いて待っているだろうことは疑いはない。復讐戦を挑むにはいい機会だからだ。そのため、無視とまではいかないまでも、ある程度安心は出来る。

 

 しかし、提督のその言葉に、加賀は一瞬息を飲み、そして。

 

「ともかく、後部ドックに来てください」

 

 そう言って、通信を切った。重大な内容だろうから、暗号化をされていないインカムでの通信は避けたいのだろう。と言うことは、提督にも理解はできた。

 

 何か引っかかる。帰ってきた、とはどういうことか。何かを忘れている気がする。帰還と言わなかったのはなぜか。そこから、思考が前に進まない。

 

 通路からは微妙な疲労感と、勝利の歓呼が満ちている。提督に対する猜疑の視線は消え、下士官からはこの指揮官も悪くないじゃないか、という感じが見え、兵からはこの人の下につけて運が良かった、と言わんばかりに勢いのよい敬礼がやってくる。

 

 そうか、勝ったのだな。とぼんやりと考えながら、提督は歩みを進め、艦娘を収容するために艦尾に設けられたウェルドック(注:提督の日記には、指揮統制艦「ブルーリッジ」は艦娘を運用するために、新造した方が早い、とまで言われた大規模な改修を受け、ワスプ級強襲揚陸艦のようなウェルドックを備えている、というメモ書きが添えられていた)に向かい、そして加賀の姿を認める。

 

「……無事でよかった。死なれては……困る」

 

 初めに『下関観光はどうだった』と侮辱したのは誰だったか。ということを思い出しながらも、提督は加賀にそう言う。加賀は片眉を上げて、少しの間を置いてから頷き、こちらへ、と目で促した。水密扉を開け、整備員が普段は詰めている部屋に案内されると、ベンチに黄土色の毛布をかけられた女性が横たわっている。その横にはぐしゃぐしゃに濡れた金剛型の衣服が乱雑に置かれていた。よく見てみれば、濡れているのは海水だけではない。濃密な金気が部屋に充満している。水に濡れ、というよりは血濡れ、と言った方が正確だろう。金剛の髪にも、血膿めいた何かが付着していた。

 

「……どう、しましょう」

 

「……無事に帰ってきたのはいいことじゃないか?」

 

 提督は、そうとぼけたことを言って、そしてすぐに最上の言った一言が頭の中で稲光のように閃いた。

 

『ボクの目の前で、深海棲艦になったんです』

 

 あの娘は、何が、何になったと言ったのか。そう、つまり。

 

 のろのろと、提督は顔を向ける。ごくり、と生唾を飲み、そして。

 

「これは『金剛』なのか。それとも……」

 

 ふるふる、と加賀は首を振る。それ以上はいけない。そこから先を続けては、もう一つしか選択肢がなくなってしまう。だから、いけない。そう言わんばかりの加賀の視線に、提督は二の句が継げなかった。

 

 

 

 続々と、艦娘たちが帰還してくる。提督は、疲れ、傷つきながらも不敵な表情を崩さない彼女たちを見て、軽い罪悪感を覚える。なぜ、俺は戦えないのだろうか。という部分だった。大きな負傷者はなし。腕の一本も継ぎ直さなくてもいい、という、ほぼ完ぺきな勝利であるにもかかわらず、その思いは消えない。

 

「諸君。……勝ったぞ。出撃前に満艦飾の準備はしておいたか?」

 

 それを聞いて、呆れたような苦笑いが広がる。何を言い出すか、と思えば、という反応だ。一呼吸を置いて、続ける。

 

「まあ、それは冗談としても、ブルーリッジから降りる準備だけはしておけよ。凱旋式典というわけにはいかないが」

 

 そう言って、提督は敬礼をする。弾かれたように、全員が答礼を返す。

 

「何しろ勝ったんだ。胸を張ってくれ」

 

 そう言って、解散を命じる。全員がひりついた緊張感をほどいていた。そして、巨大な艤装を背負った女性、山城と、鳳翔に声をかける。

 

「少し、よろしいか」

 

 提督は、加賀とともに別室に二人を差し招いた。そこで『金剛』の話を聞き、山城は渋面を作り、鳳翔は軽く眉を上げた。こうしたことを話せる年齢にある人間で、最上はこの事象について多少なりとも知識があるとはいえ、こうした政治向きの話には向かないし、摩耶は怒り始めるだろう。そして、今は艦の周りを哨戒している長良や、三隈は『お話にも』ならない。本来、哨戒任務から外したいほどである。

 

「……どうすればいいと思うか。率直なところを述べてもらいたい」

 

 そう提督は言う。戦力として考えるなら、戦艦としては『ワークホース』として使える金剛。これほど魅力的な存在も居ない。だが、本質的な意味合いでリスクを抱えている。

それは『本当に金剛は金剛なのか』ということである。

裏切りだけならばまだいい。まだいいが、本質的な問題点としては、彼女自身が意識していないにもかかわらず情報を垂れ流している可能性があるということだ。

 

トロイの木馬。古典的ながら、有効な手段のそれを恐れない指揮官は、おそらくはいまい。そう考えてみれば、提督の「恐れ」はそこにあることが容易に知ることができるだろう。すでに「三隈」や「長良」を使っている時点で、なんらかの問題が起こっている可能性もある。あるが、使わざるを得ない。

 

 その意味で『金剛』はまことに悩ましい問題である。戦力としては死蔵するには惜しい。あまりにも惜しい。だからこそ、提督は思い悩む。

これほどうまい『トロイの木馬』はそう存在しないからだ。戦力が必要で、かつそうした意味合いで言えばうってつけ。そして作戦の中核に据えることができる存在なのだから。そして、仮に裏切られたのならばこれが致命的なのだ。なぜか。

それは、作戦の中核に据えることができるから、だ。

 

 その提督の表情を見て、山城と鳳翔は顔を見合わせる。そして、山城は口を開いた。

 

「金剛を使うことそのものには、私は反対はしません」

 

 そうして、山城は続ける。確かに「敵である」という可能性は否定できない。否定できないが、戦力不足はいまだに解消はしていない。解消していないのなら、使うしかない。そういう理屈である。

 

「しかし、それは……」

 

 提督が口を開く前に、加賀が難色を示す。鳳翔も、その通りだ、と言わんばかりに首を縦に振った。

 

「……」

 

 山城は、何か『言うのをためらうようなしぐさ』を見せた。提督はそれを見て、保険がなからこそ山城は『私は反対はしない』と言ったのだろう。と考えた後、保険、という言葉が引っかかる。数秒の沈黙の後、提督の脳裏にある考えが浮かんできた。

 

「……仮に使うのなら、保険は必要だろうな」

 

 保険。提督はその言葉を口にして、嫌悪感にかられた。つまり、それは『いざというときに金剛を殺せるスパイを飼う必要がある』という事なのだ。加賀もそこに思いいたり、ため息をつく。

 

「……彼女は教え子です。保険が必要、という事とは別に、信用したい、と思っています」

 

 山城の教え子。保険。その言葉が、提督の脳の中で結合を始める。思い浮かぶ言葉。そして『いざというときに金剛を殺せる』という意味合いで言えば、もっとも有用な保険の名前が、浮かんできたのだ。

 

「……」

 

 作戦終了後、帰投し、泥のように眠った後の翌日のささやかな宴席。勝利した、という喜びと、疲労感が横溢するそこで、提督は強い酒を飲み、いつの間にか寝入ってしまっていた。意識を取り戻すと、おう、と声がした。

 

「……なんだ、起きたのか」

 

 摩耶の顔が、目に入った。うめき声を提督は上げる。アルコールの靄がまだ濃密にかかっており、さほど時間はかかっていないことが分かる。

 

「ここは……」

 

「お前の部屋だよ。まったく。アタシに運ばせやがって」

 

 そう摩耶は毒づくと、奇妙な視線を提督に向けてくる。同情とも、なんともとれない色を孕んだ視線。銃を向けた時の純粋な怒りとは違う、別の何かを感じる。

 

「……そうか、すまん、ありがとう」

 

 そう言って、提督は突き出されたコップの水を飲み、どうした、と言う。

 

「……仰向けで寝るなよ。まったく」

 

 舌打ちをした摩耶は、そのまま部屋から出ていく。だが、ふとこちらを向き、小声で何かを彼女は言った。アンタだったのか、などと聞こえたような気がしたが、提督はすぐに倒れ込み、寝入る。

 

 次の朝に痛む頭をさすりながら、何か昨日はあったのか、と摩耶に聞いてはみたが、何もなかった。と返され、それでこの話はそれで終いであった。

 

 

 

 

 

 宴会の余韻が抜けきらない、要約すればアセトアルデヒドの臭いが汗と息からする水兵たちの間をすり抜け、一人の少女が呉鎮守府地下の提督の執務室までの道のりを歩いている。リスのような、とよく言われるその少女、雪風は、困った顔をしていた。艤装側の規約を時間通り更新したデータリンカに、横須賀からの命令が届いていたからである。細いラインとはいえ、中央との連接ができる唯一の機材である。

 

帰還命令。四文字だけであるが、実に厄介な四文字である。何がどう厄介なのか、といえば、海戦で勝ったは勝ったのである。のであるが、勝ったからと言って航路の安全が確保されているかと言うと別の話である。いまだに周防大島沖から逃げた深海棲艦は出没しているし、命令されたからと言って帰ることができるわけではないのだ。何より、連絡員として代替が居ない現状では、実に厄介なのだ。提督たちからしてみれば、中央との、細いとはいえ綱がまたちぎれることになってしまう。

 

 そして、提督は、その話を聞いて、乾いた笑いを上げる。

 

「……本気で言っているのか? それは」

 

「わかりません」

 

 さすがの雪風も困惑しきりである。いくらなんでも無茶苦茶というべきか。とはいえ、命令とあれば従わなければならないのも彼女達艦娘の、というより軍に属している者の悲哀である。

 

「提督」

 

 加賀の声がする。そちらに顔を向け、提督は言葉を待った。

 

「いかに言ってもおかしな話です。なんらかの追加命令が発行されるでしょうから、1500まで待ってはいかがでしょうか。文書の発簡が間に合っていないだけかもしれません」

 

 それもそうか、と提督はいい、退出してよろしい、と返す。雪風は体を若干傾けるようにしながら、独特の癖で敬礼を返し、回れ右して出ていく。あれは個癖の修正で治らなかったタイプだな、とひとり得心した。

 

 追加命令は案の定発簡され、5日後に護衛艦隊とともに淡路島を発つので、岡山近海で補給物資を積んだ船団の護衛任務を引き継ぎたい、その地点で雪風をこちらに返してくれ、との要請であった。正式なデータリンクと、交代人員を派出する、という但し書きもむろん、あった。リストも合わせて送付され、食糧、物資、さらには市民に提供する仮設住宅用の建材を満載している船が動いている、とのことだった。

 

 

 

 

 

 戦勝から5日後、つまりに雪風が帰り、補給物資と交代要員がやってくる日。護衛艦隊の編成を終え、雪風と共に出発させた後、加賀の報告を聞き、問い返す。

 

「……呉市民の状況は?」

 

「現状、暴動の兆候はない、との警察からの報告を受けています。周防大島を攻略したことによって広島との鉄道の復旧工事に取り掛かれているのも大きいです。食料のほうも海路が制限付きとはいえ使えるようになったことから、手当がつきましたかので」

 

「敵の再集結の兆候は?」

 

「丸亀市沖の塩飽諸島、なかでも広島に再集結しつつあるが、陸軍第十一師団の報告によれば、組織だった動きはなし……とのことです。ちょうど横須賀鎮守府の制圧した淡路島と、呉の中間あたりですね」

 

「拠点を作り出す恐れはあるか」

 

 それを提督が聞くと、加賀はいいえ、と言う。その兆候は見られず、淡路島と周防大島での敗戦で物資が欠乏しているのではないか、というあたりである。それに、善通寺市にある陸軍第十一師団の駐屯地にも近く、繰り返しになるが、淡路島と周防大島から遠いことがある。早期の島民の避難が成功したことも大きい、と加賀は続けた。

 

 島民。それを聞いて、提督は思わず息を吐いた。深海棲艦の「素材」になっていたのは何か、を思えば、避難してくれるのがいちばんだ、と言える。そして、続けた。

 

「島民と言えば……周防大島は……」

 

「安下庄地区以外では生存者はいる、とのことです。広島県の広島にもそれなりの島民が避難している、という情報が第五師団から寄せられています」

 

 そうか。と言い、提督は会話を切った。この後には、陸軍から派遣されてきた工兵隊と、海軍の工兵、あとは民間の建設会社との復旧の会議が入っているためである。

話し合いそのものは、時間こそかかったものの、ごく事務的に終わった。事前に目録を渡し、現場担当者同士で話し合っていたためか、すでにやるべきことのリストもできている。結論から言ってしまえば、使えそうな建物は応急処置し、ダメなら発破をかけて解体して、プレハブを持ってくる、という担当者が決めた案に頷き、加賀とともに、外の太陽の光と同じく、灯が落とされた会議室から出た。

 

 その時、金剛が目覚めた、という報が、山城より寄せられた。

 

 

 

 

「金剛が目を覚ました、というのは本当か?」

 

「はい。……その通りです。提督」

 

 声が、聞こえる。外からの声。扉ごしのくぐもった声。聞き間違えようのない声。その声を聞いて、胸が痛むのを、金剛は感じた。痛む、などという言葉が、生易しく感じられるものが胃の奥底から吹き出すような感覚。舌の奥から、酸味がした。

戦艦タ級。殺意をみなぎらせてこちらを青い焔をたなびかせた目でにらみ据え、射殺さんとする何者か。それに歯をがちがちと鳴らすほどの恐怖と喜悦を、金剛は感じていた。感じていたが、しかし。

何のことはない。恩師に教官に銃を、殺意を向けていたのは戦艦タ級である「金剛」だったのだ。

 

「……大丈夫なの?」

 

 加賀の声がする。加賀。空母ヲ級に見えていた彼女は砲を放ち、こちらを「殺した」のだ。殺した。どうして死なせたままにしてくれなかったのか。そう叫びだしたくなるのを、金剛はこらえ。唇を噛んだ。

 

「大丈夫です。私の教え子ですから」

 

 山城教官の、独特なとげのある声。信頼が、痛い。教官、私は教官を殺そうとしたとき、心底から「喜んで」いたのです。そう、懺悔して「死んで」しまいたい。肩を、抱く。

 

 息を吐く。大丈夫。大丈夫だ。私は金剛だ。そう言い聞かせ、顔を上げる。

 

「君が金剛か」

 

 扉の向こう側から、声がする。光を背にしているため、顔がよくわからない。それが故に、金剛は目をすがめ、目元を手で覆う。

 

「……はい」

 

 いつもなら、私はどんなふうに応じていたのだろうか。そんなことを、金剛は考えていた。明るく、金剛デース、とでも言っていたのだろうか。とても、そんな気分にはなれない。なれるわけがない。

 

「君に贈り物がある」

 

 そう言って、わざわざ持ってきたのか、裏返しにしたコートを、男は放った。

 ばさり、と目の前にコートが落ちる。裏返しにされたコート。彼女は英国にいたことがある。だから、その意味は分かった。

 

「裏切り者」

 

 そう、目の前の男から投げつけられたそのコートは、雄弁に意図を語っている。彼は、提督は、彼女を面罵しているのだ。口には出さず。

 

「そう呼ばれたくなければ、すぐに出てきたまえ。状況を説明する」

 

 やわらかい顔のつくりに似合わない硬質な声が、その男の喉から出てきているのを、金剛は茫然と聞いた。提督の行為に、山城は思い切り顔をしかめ、加賀に目をやっているが、その加賀は、というと、表情を動かさず、この人は、というような色を目の奥に見せていた。

 

 扉が、閉まる。金剛は、立って、歩き。扉を開けた。

 

 

 

 

「提督」

 

 山城は、提督に声をかける。そして、衝動のままに平手をお見舞いしそうになり、やめた。加賀を青い顔をした金剛とともに先に退出させ、山城だけを残した意図を聞くまでは、やめよう、と考えたためだ。

 

「……君には深海棲艦だという疑いがかかっている。そうはっきりおっしゃいましたね。なぜです」

 

「隠し立てをしたところでいずれはっきりすることだ」

 

 そう言い切った提督の顔に、迷いはない。山城も、その通りである、とは考えている。なぜなら、戦死した、という報告が明確に上がっている「金剛型1番艦金剛」の「クローン元」たる「オリジナル」がうろついている、などと騙りでもなければありえない。クローンにも精神の安定化のために「記憶」が焼き付けられることはあるが、それはもっとあいまいなものだ。あそこまで「はっきり」とした記憶が焼き付けられることは通常ありえない。

 

「それはわかります」

 

「ああ。……これからもお前を監視しているし、不審な動きがあれば始末されると思え。とも言った」

 

「……趣味にしても、もう少しマシな現し方があると思います」

 

「……お互いの為だよ」

 

 山城は、ため息をついた。監視している、ということで、仮に「本物」であったとしても、うかつな行動は慎むだろうし、そうでなければ言った意味がない。彼女は、目の前の男を張り飛ばすのは、別の機会にすることにした。

 

 ところで、と提督が話を変えた。

 

「我が艦隊には戦艦が晴れて3隻いることになった」

 

「3隻?」

 

 確かに「あれ」を数に含めれば3隻だ。そうは思うが、山城は怪訝な顔をする。いくらなんでも、常に運用するには「難しい」兵力だ。火砲も大きすぎるし、何より燃料をやたらに食う。確かに「監視役」としては適当ではあるのだが。

 

「46cm砲は君が使うというのは変わらん」

 

「……話が見えません。そうなると、あれが使うものがありませんが」

 

「あれ、という言い方はよせ。大和と呼ぼう」

 

 大和、と言う時に、提督が少し表情を変えたように思う。果断な処置ではあったとは思うし、工廠に対してはいくらか思うところのある山城でもある。とはいえ、彼女とても教え子なのだ。

 

「大和だが……実戦投入を考えている」

 

 実戦投入。その言葉を聞いて、燃料消費を考え、そして。

 

「正気ですか」

 

 思わず、そういった。提督は、まあ、そうだな、と言葉を切り。

 

「大和型の艤装そのものは未完成だ。現在も使えはするが、開発中だしな」

 

「それなら……」

 

「完成しているが、宙に浮いている艤装はある」

 

 天を仰ぎ、そして。山城は口を開いた。

 

「……伊勢型向けのあれを装備させる、ということですか」

 

「各種コネクタの規格そのものは変わっていないし、実際「使えた」そうだ」

 

 厳密には、伊勢型と、破損した扶桑型、つまり山城が使っていた艤装のつぎはぎに、大和型のベースを組み合わせる、という、現地改修にしてもやりすぎな代物である。工廠があるからこそできる芸当だし、各種の制御用プログラムが戦艦は扶桑型以降から、専用の作りこみハードウェアとOSではなく、COTS品であるARMプロセッサアレイと、UNIX上で動いているからこそでもあった。むろん、工廠にいるプログラマは血尿か吐血か、どちらか、あるいは両方を患う羽目になっただろうが。

 

「……上に知られたら『事』ですよ」

 

「あるものは何でも使うさ。……それに、大和以外に金剛を海の上で始末できるのはいないだろう」

 

 山城は、思わず唇を噛んだ。無理だろう。お前には。と冷静に提督の目は語っていた。提督のやわらかい顔。その顔に似合わない人を何人も殺してきた冷たさが、その瞳の奥には宿っていた。それを、山城は直視し、はい、と答えてしまった。

 

 山城には、できない。教え子を殺すことはできない。巣立った教え子たちが死んで、死んで、その悲しみを抱え、自分が戦場に行くことができない無力感を友としてきた、山城には。教え子に手を汚させる。その卑怯さ。卑劣さを思わないわけではない。それでも、それでも。彼女には無理だったのだ。

 

 

 

 

「大丈夫? 金剛」

 

 金剛は、勤めて明るい声を出そうとする。

 

「大丈夫、大丈夫デース!」

 

 大丈夫、笑えている。笑えているに違いない。それなのに、どうして加賀は、こんなにも悲しい目をしているのだろう。そう、金剛は考え、手のひらを思わず見た。

 

 爪が食い込み、血が、にじみ出ていた。

 

「戦艦大和、ああ、いわゆる『本物』の戦艦の方の話だが、アレが時代遅れだとされた理由、説明は出来るか」

 

「様々ですね。航空戦力の攻撃力が戦艦の防御力を優越した。というのが通り一遍の物言いになるかと思います」

 

 そうだな、と提督は加賀に言う。この世界においては、陸軍航空隊が総がかりで大和を日本海に沈めたことが、アメリカと同盟しての総攻撃に勝利した、ある種のターニングポイントであった。陸軍対海軍、という単純な図式ではないが、ある意味で歴史を作った船ではある。

 

その船に対する国民感情もさまざまで、東京特別市を無差別砲撃した長門に向けられる愛憎入り混じった視線に比べればマシではあるものの、艦娘として長門という名を「復活」させる事と並んで、大きな議論にもなった。陸軍は反対も賛成もしなかったが、海軍主流派は「沈んだ船の名前を使うのは」という理由で反対していたものだ。空軍の参謀長が「我々空軍が一度沈めた船をもう一度沈めさせるために引き揚げるのか?」と述べて、海軍からの反感を大いに買ったことも記憶に新しい

 

それはさておくとしても、今から呼び出す相手のことを思い出してみれば、どうにも複雑な感情がある。賄賂を要求されたとしても激昂して膝を撃ちぬくのはいかにもやりすぎであったし、それを目の前で見せられて見れば、特に「人類を守る」ことを任務とする彼女たちが良い顔をするわけもあるまい。という感覚が提督にはある。加賀とて、話を聞いたときには眉をひそめたものだ。嫌悪感が多少なりとも減衰しているのは、彼女が士官としての教育を受けていたからに過ぎない。

 

うらやましいことだ。と掌を見つめ、提督はため息をついた。この掌の上に流した同胞の血の量が可視化できれば、積層化したどす黒い色の血がこびりつき、洗い流せなくなっているだろう。だが、彼はマクベス夫人ではない。

 

 ノックの音がし、入ります、の声が響いた。

 

「呉鎮守府所属、大和型一番艦「大和」は、命令受領に参りました!」

 

 敬礼に答礼を返し、少女の姿を見る。艤装を装着する際に着用する制式の装束を身にまとっており、豊かな髪が後ろに垂れている。涼やかな目には、敵意がうっすらとにじんでいた。

 

 美人は怒るとそれはそれは怖いな、などと益体もないことを考えながら、提督は命令を下達する。事前に話はしてあるが、直接命令を下すのはこれが初めてだ。

 

「呉鎮守府司令長官兼艦隊司令官より、第三艦隊の編組、ならびに指揮を命ずる!」

 

「大和型一番艦「大和」は、第三艦隊の編組、並びに指揮を命ぜられました!」

 

 決まりきった応答をし、再び、提督は敬礼に答礼をごく短く返す。そして、休め、と命令をした。休めの姿勢を大和がとり、その敵意をにじませた瞳でこちらをじっと見、そして提督が口を開くのを待っていた。

 

「所属する艦娘のリスト、並びに整備員の配置については……加賀」

 

 加賀に声をかけ、リストを渡させる。見てもいいか、と目で問われ、首を縦に振ると、大和はホチキス留めの書類をパラパラとめくり、そしてこれまで下達されていた命令と相違ないことを確認した。そう、つまり。

 

「私にこの艦娘たちが「裏切らないか監視せよ」という事ですね」

 

「相違ない」

 

「裏切った場合、私が『始末』する、という解釈で相違ありませんか」

 

「相違ない」

 

「海上以外、つまり陸上においては監視部隊が居る、という解釈でよいのでしょうか」

 

「相違ない」

 

「……提督。大和はあなたを軽蔑いたします」

 

「何と言ってくれても構わん。我々に必要なのは勝利だ。敗北の末の尊敬ではない」

 

 こんなくだらない任務に大和型を投入する理由は、ごく単純だ。駒が無いのだ。山城とて可能ではあるが、性格的に義務感よりも情が上回る性質であろうことは疑いようがない。任官前、任官後、さらに昇任時にと複数回にわたって行われていた性格分析もそれを裏付けている。鳳翔も可能不可能で言えば可能だが、本質的な意味合いで随行して裏切りの現場を捉えて扼殺という任務に性格はともかく、戦闘能力の観点で向かない。

 

 その意味において、大和の性格分析は端的なものだった。義務感がきわめて強い。情と義務をはかりにかければ、義務を優先する。そういう一種『冷徹』ともとられがちなものを持っていた。だからこそ、山城ではなく大和をこの任務に充てた。

 

 息をつき、そして、提督は大和の目を見返し、口を開いた

 

「私が代われるものならそうしている。恥知らずなことを言っているのは理解しているとも」

 

 仲間を見張り、裏切れば撃て。そう言っている恥知らず。それを自覚していないわけがない。だが、必要なことだった。

 

 大和はそれを聞いて、ふう、と息を吐いた。

 

「すぐに編組にかかる、という認識で構いませんか?」

 

「いや、現在任務中の艦もある。帰投後という形になるな」

 

 かてて加えて、陸軍の病院から帰ってくる艦娘も居る。海軍施設にいた艦娘達も復帰させたいところなのだが、艤装の予備が何しろ存在しない。その点、特型であれば予備はいくらもある、というところである。事務員という形で復帰した、大淀という艦娘も居る。

 

「……響ですか」

 

 名前のリストを見てみれば、政治的事情でやむを得ないとはいえ変則的な編成となっている。戦艦「大和」に巡洋戦艦「金剛」で重巡洋艦「三隈」軽巡洋艦「長良」駆逐艦「響」に駆逐艦「雪風」に、事務官として駆逐艦「潮」だ。水雷戦隊を三隈に編成させ、大和と金剛が火力と被害担当として機能する、という構成だろうか。そこで、はた、と思い当たるところがあり、大和は顔を上げる。

 

「提督、現在雪風は横須賀に召還命令で帰還中では」

 

 ああ、そうか、と提督がつぶやき、大和から手渡された書類を見る。発刊の日付そのものは雪風の召還命令と同日だが、時間的なズレがあるためだ。

 

「ああ、ここは手違いだな。雪風の代替艦がこちらに派出される予定だから、その船と置き換えて考えてくれ。あとで訂正を発刊する」

 

「わかりました」

 

 敬礼と答礼。そして、大和は執務室から出ていく。はあ、と提督は息をついた。

 

「……やってくれると思うか、加賀」

 

「やってもらわなければ困ります」

 

 その通り。とひとりごち、提督はふたたびため息をついた。船団護衛を実施している艦娘は、今頃どうしているだろうか、と考えながら。

 

 

 

 

「淡路島までは無事着いたのかなあ」

 

 そう秘匿無線機を切り忘れたままつぶやく少女の方をちらと見る、海風に揺れる栗色に近い黒の髪を指で押さえる。水兵服が同じようにはためく姿は、女学生と言われても違和感はないだろう。彼女が走っているのが、海の上でなければ。

 

「吹雪、ワッチサボるなよー」

 

 その声に、吹雪と呼ばれた少女があわてて周辺警戒に移るのを視認した。もう、とつぶやきながら。

 

「もー、深雪だってこっち見てたってことは……」

 

 その声に対し、思わず彼女は声を出した。

 

「お前ら、秘匿回線を何に使ってるんだ。緩むんじゃねーぞ」

 

 海上護衛総隊隷下、臨時編成横須賀鎮守府第二海上護衛艦隊旗艦「天龍」はそういって秘匿通信を切り、護衛対象の貨物船(付記:いわゆるRO-RO船である)に対し異常なしと報告をする。まったく、こいつらはあの戦況を経験しても変わらんな、とつぶやいた。

 

報告として聞いている呉鎮守府や佐世保に比べて極端に戦局が悪くなることは無かったものの、それでも横須賀鎮守府の緊張感の度合いは負けず劣らずである。言うまでもないことだが、横須賀が抜かれればあとは首都東京だけなのだ。その緊張感は尋常なものではない。

 

呉鎮守府は耐えきった。佐世保はどうか。それについて、航空偵察では一応機能しているらしいことまでは見て取れる。だが、関門海峡以西は呉鎮守府も全く手が出せていないという。それを想えば、天龍ならずとも緊張の度合いを高めるというものだ。淡路島奪還後も、民間船舶が、端的に言えば深海棲艦の血で太った魚狙いの、同じく肝の太い漁師が消息を絶っているという報告も、少なからず淡路島陸海空統合司令部に上がってきている。

 

天龍の旗下には軽巡洋艦「球磨」特型駆逐艦「吹雪」「深雪」に白露型駆逐艦「夕立」「春雨」が加わっている。何れも伊豆大島奪還作戦に参加し、淡路島奪還作戦にも参加した経験豊富な面々だった。とはいえ、連戦の疲れもあり、先ごろのように規律が緩みがちなことが、天龍の心労を増やしていたことも事実である。

 

 特に、護衛対象の船が積んでいるのが呉鎮守府への物資を載せた船の護衛という事で、神経質にならざるを得ない。淡路島沖で投錨して交代要員に引き継ぎ、司令部に報告を終えるまでは、天龍の胃痛の種には事欠かなさそうなものである。

 

 大過なく交代を終え、艤装の整備を部下に命じて司令部に報告に行くと、前線指揮官となっていたはずの扶桑の姿はなく、主席副官として勤務していた、緑の長い髪をもつ鈴谷の姿があるのみである。天龍が鈴谷に扶桑はどうした、と聞くとため息交じりに答えた。

 

「牡蠣に当たってダウンしてんのよ」

 

「牡蠣」

 

 牡蠣ってあの牡蠣だよな。と天龍は考え、天を仰ぎ、そして絶句した。

 

「えっ、よりによって牡蠣を食ったのか?」

 

 いかに好物であったとしても、言うまでもないが前線指揮官があの手の「当たると酷い」ものを食べることは基本的によろしくない。当たり前の話だが、指揮官が使用不能になっていてはお話にならないからだ。

 

「……うん、まあその通りなんだけどさあ」

 

 鈴谷が言うには、地元住民との懇親会で出されてしまって断れなかった、との事である。お粗末な話と言えばそうであるが、まあわからなくもない事情だ。鈴谷も食べたらしいが、当たったのは扶桑一人、というあたりが哀愁を誘う。

 

「でさ、えーと、山城に手紙を届けてほしい、って話があってさ」

 

「ノロウイルスの蔓延に手を貸す気はねーぞ」

 

「ロタよ」

 

「なお悪いじゃねーか」

 

 大丈夫、私が代筆したから。と言って鈴谷は手紙を差し出す。はいよ、と答えて、吹雪に持たせるか、などと考えていた。

 

 

 

 

 

 

「畜生が!」

 

 悪態をつき倒しながら、天龍は自分の歯がばりり、という音を立てるのを聞いた。電波妨害下にあり、警戒をしていたのにもかかわらず、塩鮑諸島の近傍で呉鎮守府の交代要員に引き継ぐために若干足を遅くした結果がこれか、と毒づいた。春雨が運悪く戦艦「タ」級の初撃によって沈められたことが、彼女に苦い後悔を味わわせている。肉薄しての魚雷攻撃か。くそ、どうする。伏兵が居たらどうしようもないだろうが。と考え込み、そして。

 

「球磨!俺についてこい! 夕立と吹雪、深雪は貨物船の護衛から絶対に離れるな!」

 

「でも……!」

 

 その抗弁の声が、吹雪からする。それに大して、天龍は罵声で答えた。

 

「馬鹿野郎! 命令だ! 犬の糞一号に戻ったか! テメーが指揮を執れ! 吹雪!」

 

 くそっ、と毒づくと、球磨が滑るようにやってきて、言う。

 

「苦労人クマねー」

 

 くっくと笑い、球磨はその余裕ある態度を崩さない。天龍とは違った種類の人種である。

 

「大丈夫クマ―、鮭の皮を分けてくれればそれでいいクマ―」

 

 わざと球磨は振り返ってとぼけて見せ、そして。

 

「若い子には将来があるクマ」

 

 真面目くさった顔で、そう言った。が、顔を上げて、そして。

 

「あ、ヤバいクマ。全速で逃げないと」

 

 空中から寄せられる、フラフラと揺れる陸軍の発光信号を艤装側の「妖精」が読み取り、トランスコードする。時差はあったものの、天龍にもそれが伝わった。

 

『第十一師団より達する。これより核攻撃を実施する』

 

 というメッセージであった。あわてて転進し、船舶の側にも即座に発光信号を打つ。対閃光対処。猛烈なサイレンの音とともに、絃窓にシャッターが下りていく。

 

「くそっ、またこの手かよ!」

 

 天龍は、船の陰に隠れ、そして再び毒づいた。

 

 

 

 

 

「敵艦隊の進撃の阻止を確認。これより帰投する」

 

 陸軍の制式パワードスーツは、ロケットモーターを動翼で強引に制御し、引いていく。そのさなかの通信を、彼女は傍受した。それを洋上から見た「何か」は、ずる、という音とともに、表皮がめくれあがり、目だけが炯々と光るのを自覚した。

 

「フ、フフ」

 

 哄笑。

 

『たかが核攻撃』で、彼女が沈むはずはない。三度の核攻撃に抗尋しきったその身は、白かった表皮が赤黒くなっても変わることはない。彼女は、戦艦タ級はそういう生き物であった。

 

 塩鮑諸島に、彼女は針路を向ける。機能が生きていることを確認して、大丈夫。まだ殺せる。この痛みを、恨みを、ぶつける対象は地に満ちている。そう、考え。ふたたび、彼女は笑った。

 

 

 

 

 

「貨物船団が襲撃を受けた?!」

 

 その報を陸軍第五師団ごしに受け、あわてて腰を浮かし、加賀に作戦図とオーバーレイを持ってくるように指示を飛ばしたものの、電話口の相手は、いたって平静そのものだった。

 

「戦術核攻撃で撃退できたから問題ない」

 

 電話口の相手、馬糞こと馬淵中佐の軽い一言に、提督は絶句した。艦娘は艤装から生じる桜色の「装甲」が放射線から身を守ってくれるし、放射化の恐れはないが、貨物船の船殻の方は除染の必要性がある。受話器のマイク側を手で覆い、加賀に作戦図は良いから除染部隊を編組してくれ、と指示を飛ばした。貨物まで汚染されていなければいいが、と考え、そしてまあ検査してみるほかない、と気を取り直した。最新型であれば核攻撃の放射線を船殻のみでとどめる設計になっているはずであるし、というのが彼の考えであった。

 

 

 

 

果たして、その考えは正しかった。船は無事除染を受けてから入港し、接舷した岸壁から船の腹の中の様々な物資を吐き出していく。仮設住宅の資材、食料、医薬品、軍需物資も含めて、かなりな量だ。護衛をしていた艦娘達も、横須賀側はともかく、呉鎮守府は戦死者を出さずに済んだ。そのことに、提督は胸をなでおろした。戦力はともかく不足している。それがためである。

 

 受け入れと分配。そして仮設住宅ができる事を聞き、みな安堵の表情を見せている、という事を炊き出しを担当していた主計官から聞くと、安心感もひとしおであった。人間、モノがなければ荒むものだからだ。

 

「……いや、これで一息つけるな」

 

 これで代わりが来ればもっとよかったのだが。とはさすがの提督とて言わない。それがいかにも常識はずれなことであるのは理解しているし、なにより、加賀に聞かせて良い顔をするはずもない。

 

「いえ、新規の着任者が……ああ、まあ要するに雪風の交代者がおりますので、その着任者の処置をお願いいたします」

 

「ああ、そうか……名前は何と言ったかな」

 

「特型、いえ、吹雪型駆逐艦一番艦「吹雪」と言ったはずです」

 

「そうか」

 

 短く返し、そして、一人の少女がノックとともに、入ってくる。

 

「特型、もとい、吹雪型駆逐艦一番艦「吹雪」は、呉鎮守府第三艦隊勤務を命ぜられました!」

 

 敬礼と答礼。そして、休め、と声をかけると、吹雪は休めの姿勢をとる。そして、2、3言葉をかけると、吹雪は言った。

 

「よろしくお願いします! 司令官!」

 

 その明るさが、妙にまぶしい。胃腑に沈殿しているものを想うと、提督は奇妙な感慨にとらわれた。

 

 

 

 

 

 

第一話:Turncoat Fleets -了-




※Arcadia連載時の「幕間」と「序文」がこの中に含まれています。

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