余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編) 作:小薮譲治
起きて、食べて、寝て。起きて、食べて、寝て。その繰り返しをするたびに、ちらついてはいけないものの影がちらつく。電気を落とした一人部屋。つまり自室。自殺につながるようなカーテンや私物はすべて撤去された、もののない部屋。
起き上がり、見てしまったものを反芻すると、洗面所に走る。
妹、榛名の頭を、嬉々として撃ちぬいた。その瞬間、ぐちり、とトリガーを引き絞る、あの感覚。胃の中身が逆流しかけるものの、それをこらえ、喉の奥にこみ上げてきた酸味を水で押し込んだ。
鏡を見る。隈は出来ていない。肌に張りはある。肌が青白くなってしまっているが、それは単に血の気が引いているだけ。やりたいこと、やるべきこと。やらねばならない事。それらすべてが無い。機械のほうがまだ上等な「生き方」をしている。精神の病を患えば、艤装の「セルフチェック」で受診票が出力され、その足でカウンセリングなり投薬なりを受けさせられる。
どうして、私が生きているのだ。そう、彼女、金剛は頭をかきむしりたくなるのをこらえた。その瞬間に、ノックの音がする。
「ハーイ?」
なるべく、明るく答える。顔をこすり、血を顔に戻し、血色を装う。大丈夫、まだ大丈夫。そう思いながら、扉を開く。
「大和ですが。就寝中だったでしょうか」
「イエイエ、まだベッドにはインしてなかったデース」
嘘であることはまあわかっているだろう。シーツが寝乱れているのぐらい、見ればわかる。
「人事上の内示が……いえ、内示ではありませんね、決定が出ましたので、その書類だけお渡しします。明日から新編された第三艦隊、臨時の任務部隊編成ですから、正式な部隊コードはありません。第三艦隊の本部班に来てください」
書類を手渡され、扉が閉じる。電気をつけ、書類をめくり、本部班の場所を確認して、そして、部隊編成に目を通す。部隊指揮官は大和で、その補佐を金剛、三隈が行うこととし、部隊の練成訓練担当として坂井曹長(戦時任官で准尉)があてがわれ、本部班会計班に駆逐艦「潮」がおり、軽巡洋艦「長良」と駆逐艦「吹雪」そして「響」がいる。
響、その名を見て、書類を放り捨て、今度こそ金剛は吐いた。目をえぐりとり、哄笑していた記憶が、胃を、心臓を刺した。
第二話「リア王」
「大丈夫ですか。お嬢さん」
そう言われた少女は振り返る。いやあ、こう道が悪いと3トン半だと腰が痛いでありますなあ。と伸びをしているその少女の顔は夏にもかかわらず白く、脂粉の香りを漂わせている。その白と同じ色の髪を持つ少女「響」は新しくなった青い目をすがめ、言う。
「すぱしーば、あきつまる」
「お、ロシア語でありますか。いやあ、昔勉強したものです」
いやあ、あの格変化の多さには参りましたな。と言うのを聞いて、響は小首をかしげた。
「そうでもない」
その一言とともに、まわりを見て、言う。
「……目印が何もない」
「いやあ、本当に何もありませんな。あー、伍長! 私が帰るまでとりあえず車を止めておいていただきたい。書類を見せれば喫食申請はあげておりますので、昼は食べられるはずであります!」
運転台に向けて、あきつ丸はそう叫び、そして前を再び見て、言った。
「司令部は本当にどこにあるのでしょうかな」
「こうなる前はあそこにあった」
指を指した先にあったのは、がれきだけだった。あきらめて、人を探し始める。怒鳴り声が響き、少女が飛び出してきて、響にぶつかる。響が倒れ、呆然としながら見上げると、そこにはつい先ほどまでの怒りを消せていなかった少女がそこに立っている。
「あ、えっと……ご、ごめんなさい」
紫に近い色の髪を横で結った少女は、響の手をとり、立ち上がらせる。確か、曙だったはずだ。と響は記憶の糸をたぐった。
時は、少々前にさかのぼる。曙は、目の前の少女をイライラとしながら見、そして、口を開く。
「何」
そっけない響き。目の前の少女があわて、口を開こうとして下唇を噛み、うつむいてしまうのを見て、記憶の中のこの少女も「そう」していたことを認識する。記憶の中、そう、記憶の中だ。曙の記憶の中。本当かどうかわからない、記憶の中。
「えっと、その……ご、ごめんなさい!」
ごめんなさい。頭を下げようとして、ふらつく。松葉づえなしにはこの少女は立てない。あわててそれを支えて、見えないように曙も上唇を噛んだ。本当に、この少女は、潮は「記憶の中の潮」そのままだ。彼女が『覚えている潮』そのままなのだ。
だが、同時にその記憶が「本物」ではないことも理解している。ただ、この湧き上がってくる感情はなんだ、とも。その正体がわからない。その正体がわからないがゆえに、曙は衝動的に潮を突き飛ばし、わけのわからないことを叫びながら、走り出す。
私が悪いんじゃない。こんな想いを持つように私をクローンとして世界に送り出した連中が悪いんだ。そう思いながら走り、そして。
衝撃。だれかを跳ね飛ばした感覚。倒れ込みはしなかったが、それは彼女を我に返らせるには十分だった。
「あ、えっと……ご、ごめんなさい」
大丈夫、と言ってその少女、響を立たせ、砂をはらう。何をやってるんだろう。と思いながら、もう一度謝ると、そこに陸軍の軍帽をかぶった女性がやってくる。後ろから、松葉づえの音もする。ばつの悪いことこの上ない。
「やあ、これは都合がいい」
「あ……」
「曙さんでありましたな」
そういって、陸軍式の敬礼をあきつ丸がする。それに曙は答礼を返した。後ろで誰か、つまり潮ががちゃがちゃとやって、倒れたのを認識すると、もう、と言いながら立たせる。ごめん、と小さく呟いたのを聞いて、一瞬潮が泣きそうな顔になったのが見えてしまう。
その様子を見て、響がおや、という目をして見せたのをあきつ丸が一瞬見て、ダメです、と目で制し、そして言う。
「司令部に案内していただけませんかな。道がわからないのであります」
「迷った」
響の声に、目を一瞬あきつ丸が宙に泳がせるのを、曙は見逃さなかった。
「そうとも言いますな」
それ以外にどう言うのだろうか。と思うものの、案内をしないといけないのは確かだ。とばかりに、曙はついてきて、と言う。どうして陸軍の艦娘がここにいるのだろう。と思いながら。
「いやあ、なかなかこぎれいなところでありますな。特にこの荷物かけとか」
響が退出し、陸軍からの引き渡し書類を含めた事務的な手続きを終えたあきつ丸は、軍帽の顎紐を片手でもてあそびながら、言う。そこには雑多な荷物がかかっていた。男、つまり提督は苦笑いをし、その隣に立っている加賀はぴくり、と片眉を動かした。
「いや、どうも片付かなくてね。ようやく建物の手当てがついたんだ。電話線も電電公社の……今はNTTか、そのOBが避難民に居たから、引き回しの工事を手伝ってもらっているくらいだからな」
「これは失礼。いやあ、どうも不調法なもので」
はは、と笑うあきつ丸に少し首を傾け、普段よりも心なしかきつい目をした加賀が声を向ける。
「事前連絡は受けています」
「いや、これはこれは。申し訳ありません。どうも前置きが長くなってしまいまして」
手に持ったフォルダから書類を取り出し、それを提督に手渡す。それに目を通すと、広島の第五師団、善通寺の第十一師団連名での支援要請が記されている。香川県の塩鮑諸島攻略作戦に支援を要請する、との内容であった。
当然と言えば当然で、この作戦そのものはどちらが言い出すか、というものだった。深海棲艦が戦艦クラスであれば艦娘を動員しての作戦のほうが陸上戦力を動員しての強行上陸を敢行するよりはまだマシな成果が見込める。
「それで、どうして第五の君はともかく、第十一師団、善通寺はうちに話を持ってきたんだ。淡路島に居るだろう。横須賀の連中が」
提督は資料に目を通し、机の上に起き、そう言った。
「裁量権の大きさでありますな。赤煉瓦との紐の太さであります」
「統合作戦司令部はこれを知っているのか」
「通知はしたそうですな」
そうあきつまるはとぼけきる。なるほど、つまり善通寺は『赤煉瓦の紐付き』と交渉したくない、あるいは交渉をしても決断が長引く恐れがある。という事だ。どうせ陸軍が居る。あるいは「陸軍の城下町に住んでいる人間など知った事か」と暗に言われることを恐れている。と言うところだろう。陸軍にとっては悪夢そのものに違いない。確かに「攻撃して勝てないことはないのだ。
陸軍の観測によれば、現地に居るのは軽巡を中核とする駆逐艦隊が2個と、戦艦タ級を中核とした艦隊が1個。戦艦タ級のみは動きの様相が違うが、他は「差し出された餌」に反応するだけの従来通りの「深海棲艦」だ。輸送艦が通るなら目くらましの砲撃か、戦術核攻撃を行えばそれでよい。いわゆるEMP攻撃を敢行してくる姫君クラスや鬼クラスと呼称される、そう言った強力な深海棲艦はいないのだから、陸軍のみでも対応可能だと言われてしまえばその通りなのだ。
しかし、ここに陸軍の苦悩がある。先般の輸送艦の通行時に核を簡単にはなったようにも思えるが、国土を核に汚染する、という事の意味が彼らにわからないわけではない。その後の住民の復帰にも多大な時間がかかる。できる、という事とやりたい、という事は全く別の問題なのだ。加えて、塩鮑諸島からの避難民も居るのだ。彼らが我慢しているのは「駆逐されれば帰ることができる」という希望があるからだ。
さらに言えば、落とされてしまった瀬戸大橋の修復も行いたいのだ。是が非でも塩飽諸島からの深海棲艦の駆逐を行わねばならない。そのためには海上交通の安全が必須である。
「それに、善通寺の師団長はこう言っておりましたな」
あきつまるはにッと笑う。
「貸しがあるだろう、と」
貸し。つまり、物資を安全に通させてやった。その借りを返せ、という事だろう。本作戦を孤立した司令部の裁量権の範疇と考えるべきか、提督は決断を迫られていた。
「えーと、ここが第三艦隊の事務室……ってここでいいのかな」
そう言いながら、提督の執務室前で響や曙たちと合流した、というよりも道に迷っていたところを拾われた吹雪は扉を開く、そこには、准尉の階級章を付けた男性が、髪を後ろで結った女性とともに部屋の片づけをしていた。准尉。軍隊の酸いも甘いもかみ分けた、下士官の中で一番偉い人。そういう認識が、吹雪にもあった。
「そろそろ休憩にしますか」
そう男性が言って、こちらを向き、おや、という顔を作る。名札には坂井と書かれている。准尉にしては若いなあ、と見上げているうちに、いけない、という顔を作って、吹雪は敬礼。それに坂井准尉は答礼し、後ろを見て、その髪を結った女性、つまり『大和』に向け、吹雪の方をもう一度見る。
「入退室要領は教わらなかったかッ! やり直し!」
怒鳴り声。体育訓練担当の兵曹を思い出すその迫力に、目を白黒させながら、吹雪は反射的に答える。
「は、はい!」
吹雪は退出し、そして、後ろにくっついていた響、潮、曙に対し、目を向けて、いう。
「……ね、ねえ、知ってる? ここのやりかた」
「私がやろう」
そういって、響が普段とは違う、腹から出る声で入ります、と声を出す。
「ついてきて」
「私は嫌よ」
そういって、曙はふい、と横を向く。それを少し見た後、吹雪と潮の方を見、うなずいた。
響の後ろに、吹雪と、松葉づえをついた潮が続き、横一列に並んで敬礼、と号令をかけ、響自身も敬礼をし、女性からの答礼が返ってきた時点で手を下げ、なおれ、と号令をかける。
「響、以下、三名の者は、呉鎮守府第三艦隊司令部に用件があり、参りました!」
「休め」
駆逐艦「響」以下三名が着任した、という旨のあいさつを行う。そして、大和は吹雪と響に目を向け、口を開いた。
「それでは最初の命令を伝達いたします」
「は」
響はどうもおかしいな、という顔を作る。面倒くさいことにならなければいいが、という様子だ。それを見て、吹雪は少しあわてたような表情を作る。
「ジュースを買ってきてください。私はレモネードで」
坂井准尉に大和が目を向ける。何が良いですか、と穏やかに言う。
「コーヒーで。ブラックなら何でも」
千円札が響に手渡される。好きなものを買ってきてもいい、といわれると、響と吹雪は退出し、潮だけが残る。事務官としての仕事があるから残ってもらいたい、と言われたためだ。
外に出ると、曙があつい、と呻きながら、手で顔をぱたぱたとあおいでいるのが目に入る。
「どうだった? ……潮は?」
「ジュースを買おう。潮のぶんも」
ごめん、意味が分からない。と曙は言う。吹雪も、よくわからなかった。こういう「説明をしない」性格なのだ、というところがよくわからず、掴むところが見当たらない。そういう印象が、吹雪の抱いた響の第一印象だった。
「……航空偵察の結果は?」
鳳翔の顔を見て、提督は言う。第一臨編任務艦隊司令「山城」第二臨編任務艦隊司令「鳳翔」に、首席作戦参謀「加賀」そして第三臨編任務艦隊司令「大和」が仮設ながらプロジェクタやPC等もある作戦会議室に集合している。鳳翔が前に立ち、端末を軽く操作して投影する内容を選ぶ。
「香川県、塩飽諸島の航空偵察ですが、陸軍側からの情報を裏付ける結果となっております。塩飽諸島最大の島である広島近海に深海棲艦の遊弋は認められており、これについては戦艦を中核とする艦隊と判断して差し支えないでしょう。陸軍側が核攻撃を行った際に撃破することができなかった固体です」
上から見た写真では、赤黒い肌の戦艦タ級が形式名不明の重巡を引き連れているのが見て取れる。深海棲艦の残存艦隊の中では今のところもっとも火力の高い艦隊だろう。ほかの2個艦隊については、善通寺駐屯地から展開している砲兵を避けるかのように島嶼部の陰に隠れている。
「現有戦力はおそらくこの程度でしょうが、広島の……北東部ですね、こちらをご覧ください」
拡大画像が現れ、黒い「染み」が広がっているのを視認する。つまり。
「なるほど、根拠地化を狙っているということか。丸印がついている中央のそれは……?」
「ああ、申し訳ありません。画像が二個表示できていませんでした」
マウスを操作するカチカチという音がしている。その間、大和は山城に誰がこの敵を殲滅する任務にアサインされるのだろうか、教官はご存知ですかと話しており、加賀はそれを聞いて、もう一度自分が作成した紙の資料をめくっている。加賀、山城は誰がやるのかを知っているし、大和もうすうす気づいている。山城は仮に岩国の米軍から一報があれば関門海峡側の阻止作戦に出なくてはならないし、航空優勢の確保のために、鳳翔は周防大島の陰で護衛艦隊とともに展開する必要がある。となれば、お鉢が回ってくるのは必然的に大和だ
咳払いの音。それを合図に、再びプロジェクタの投影画像に目を向ける。
「……ああ、くそ」
提督は、思わず毒づく。そこには、白い肌の「何か」がこびりついていた。まだ、形をとっていない。まだ、何にもなっていない、すべらかな繭のような物体。
鳳翔は、続ける。
「ご覧のように、姫君、ないしは鬼と呼称すべき固体の子宮が出来ています。周防大島に比べれば、香川の広島の胎盤組織は小規模ですので、いわゆる基地として機能するタイプのものではない、とこれまでの類例から推察されます」
「なるほど。ありがとう、鳳翔」
「はい。それでは、これにて航空偵察の報告を終了いたします」
鳳翔が頭を下げる。ふわり、と髪がゆれ、肩にかかり、頭を上げると同時にそれを後ろに払う。それを見て、ふむ、とつぶやいた提督は、加賀のほうにちら、と目を向ける。こくり、とうなずいてみせた加賀は、立ち上がった。
「それでは、これより塩飽諸島攻略作戦の説明に入らせていただきます」
状況そのものはさしたる変化はない。作戦発起までの期間が短くなるだけ。短くなるだけ、と言えば聞こえはいいが、新編された艦隊を、多少の訓練すら抜きで投入することになってしまう。連携訓練もなしに投入する、というのは危険度が高い。当然のことである。だが。
現下は、連携についてそれなりの経験がある艦隊を引きはがせない。それを考えてしまえば、他に選択肢はない。淡路島に援護を要請するか、と考えたが、淡路島の動きは基本的に鈍い。それが故に戦力が心もとなくとも、呉鎮守府に第十一師団は支援要請をしたのだ。失敗しても、最悪の場合「政治的にまずいものたち」を処分できる。これはあくまで最悪の想定であり、本意ではないものの考えには入っている、程度のことだ。
「まず、塩飽諸島から敵艦隊を「釣る」必要がある、と考えております」
そう、これは当然のことであり、なにしろ塩飽諸島は「敵にとって有利な地形である」ということだ。隠れられる島が多く、それを盾にされてしまえば、実に問題となってしまう。
しかし、釣るにしても、と考えながら、提督は配られた作戦案を眺める。三隈を旗艦とした、長良、響の「疑似餌」分艦隊を派出し、敵艦隊を釣り、引き出された敵艦隊を大和、金剛で撃破する。大和と金剛の護衛艦としては、吹雪が随伴する。潜水艦による攻撃の可能性があるためだ、と付記されている。呉港にいる鳳翔によるエアカバーが行われるため、航空攻撃が万一あったとしても対処が可能である、とされていた。その間の航空攻撃が呉にあった場合は、加賀が出撃する、となっている。
「……初歩的な質問ですまないが、これで釣れるのか?」
「はい。従来の戦術分析によれば問題はない、と認識しております」
「そうか。例の『頭のいい』個体による攻撃は想定しているか? 露払いの艦隊がほぼいない状況下で、大和と金剛が攻撃を受ければ、その時は取り返しのつかない事態になるぞ。とくに、大和が、だ」
例の『頭のいい』個体。という言い回し。それを聞いたとき、加賀は一瞬言葉に詰まった。それはつまり、スカーフェイスのような「高い知能をもった深海棲艦の出現を警戒しているか、という問いであると同時に。
「……大和は、戦艦タ級と『金剛』の攻撃を受けたとしても、撃破される恐れは低い、と認識しています。撃破し切れるかどうか、については砲火力の関係から不透明です。その際は支援を要請します」
その大和の言葉を聞いて、提督はため息をつく。そのために「装甲が分厚く、ちょっとやそっとでは撃破されえない」大和に任務を割り振ったのだ。自分の口から言わせたい、という卑劣さを自覚し、それが澱のように胃腑に滞留する。敬愛されて負ける指揮官よりも、蛇蝎のごとく嫌われて勝利する指揮官のほうがよい、とはいえ、露骨な敵意の視線を向けられて、内心平気でいられるほどには、提督には経験が足りない。
「よろしい。陸軍第十一師団と作戦実施時期について改めて協議し、その後に作戦の決行日時を通知する。解散」
山城と鳳翔は退席し、大和は一瞬燃えるような敵意をにじませたものの、立ちあがって自分の艦隊の事務室に戻っていく。加賀は提督に歩み寄り、言う。
「不安があるのはわかりますが、大和の視線で動じたような様子を見せるのはやめたほうがよろしいかと思います」
「そうだな。その通りだ」
さて、これから第五師団と第十一師団と電話会議だ。忙しくなるぞ、と言い、提督は加賀に言う。やることは、まだ山ほどある。勝つために。
「実戦ですか?」
冷房の音が、がたがたとする。時計の針は、2時を指していた。戸惑ったように、体育訓練計画を作成して持ってきた坂井准尉が言う。夏季であり、また児童が多いため湿球黒球温度が二十八度を超えていた場合訓練を中止する、などと様々付記されており、いざ何かあった時に訓練を中止する根拠作りを指摘しなくていいのは、さすがに年季が入っている、と、大先輩に失礼なことを、大和は考えていた。
「はい。近日中にその予定があります。艤装の整備に時間を割きたい、と大和は考えています」
「なるほど。まあ、状況が落ち着き始めたとはいえ、やむをえませんな」
そういって、バインダーにはさんだ書類を坂井准尉が受け取る。さほど強度の強い訓練ではなく、それを名目としたレクリエーションも兼ねていたためでもある。
「……病院に行っている金剛が帰ってきませんね」
「……三隈がついているはずですから……探してきますか」
それを聞いて、事務室の整理ついでに、ぎしぎし音のなる扉に機械油を吹き付けよう、とそれが置いてある戸棚から取り出そうとしていた響が振り向き、言う。
「私が探して来よう」
それを聞いて、一瞬大和はぎょっとする。それはいかにも「まずい」のだ。響は知らないことではあるが。なぜか、など言うまでもない。自分の意志ではない状況で、目をえぐった相手と話す、などいい気分ではない。
「戻りました」
そう三隈が言い、金剛を連れてくる。若干顔が青白いが、まだ大和が会った時よりは生気が顔に宿っていた。それに顔を向け、少し個人で用談がありますので、こっちに来てください。と金剛に向けていう。事務室の隣には通信機材が置いてある部屋があり、そこには通信員が本来詰めているのだが、今はいない。冷蔵庫がこっそり置かれていたりするため、半ばは休憩室である。
扉を閉め、皮張りのソファに腰掛けるように勧める。
「……どうでしたか?」
「投薬治療、だそうデス」
「……響とは、やっていけそうですか」
それを聞いて、びくり、と金剛が震え、目が泳ぐ。唇が震え、開きかけ、それをかみしめた。まずい質問だ。
「なん、とか」
「そうですか。大和には、金剛さんに言っておきたいことがあります」
ぐ、と金剛の口元が動いた。
「望んでやったことではないのでしょう」
沈黙、目を見開き、金剛はスカートを握りしめ、ふう、と息を強く吐く。
「ちが、ちがいマス」
顔を上げ、泣き笑いに近い表情を作る。笑おうとして、無理をしている顔。
「喜んで、喜んでやってマシた。楽しかったンデス」
「深海棲艦が、です。金剛型一番艦金剛が、ではありません」
「わた、ワタシ、ワタシは……!」
「生きて帰ってきた。それで十分じゃないですか」
そういって、スカートを握りしめた手に、手を重ねる。ぼたぼたと、涙が零れ落ちてくる。声を押し殺し、しゃくりあげる彼女を見て、大和は罪悪感に駆られる。
こんなにも泣いているこの少女の涙を、わにの涙だ、嘘だ、と疑わねばならないのが、彼女の立場なのだ。
長良は、十五時に集合すること、と五体無事な駆逐艦たちに言い、潮にスポーツドリンクを入れたウォータージャグを用意してもらう。
長良がジャグを持っていき、ところどころ穴の開いた芝生の運動場で、体操着に着替えた吹雪と響を見て、言う。私物のジャージを着た彼女は、汗をだらだらと流しながら今にもうめき声を上げそうな響と、汗を流していない吹雪を見比べた。単に夏に弱いだけか、という感はある。
「えー、今日の訓練は……LSDです。お薬じゃなくてゆっくり走る、ってほうですね」
「はい、わかりました!」
「はい……」
まあ、何ができるわけでもない。走るだけだ。作戦が近い、という話も伝達されているため、さほど長く訓練をやるつもりもない。本来一時間ほど流すのがLSDでは効果的なのだが、あまりに暑いため、三十分ほど軽く流して、それで終わりにする予定である。
「時間は三十分。ついてきてね」
そういって、軽く体操をして、走り始める。本当は、こういうゆったりとした走りは、長良はあまり好きではない。ぐちゃぐちゃとしたことを考える余裕ができるからだ。普段は、死んだ仲間たちのことを。今は。
そう、不可解な部隊の配置換え。そしてその面々を見るたび、どうにもある共通項がある。大和と吹雪を除いて、だが。
記録上の戦死者。戦死していないことはわかっている。何しろ自分のことだからだ。記録が間違っているはずだ。そう、長良は思っていた。
大和。なぜ大和が「こんな貧相な艦隊に」いるのだろう。そう思わざるを得ない。つまるところ、それは。
「な、長良さーん。早いですよぉ……」
ぜえぜえと息を切らしながら、吹雪が言う。時計を見てみると、16分経っている。外周が1kmの運動場を四周しているため、1km4分程度のペースで走っていた。響は、というと完全に顎が上がってしまっている。しまった、とうめいた。全力で走ればもっと早いのだが、ゆっくり、ではなくなってしまっている。余計なことを考えているうちに、ペースが上がってしまっていたのだろう。
「ああ、ごめんごめん。休憩にしよっか。大丈夫?響ちゃん。喉乾いた?」
そういって、顔を見る。赤くはなっていない。しっかりと汗も出ている。熱中症ではないだろう。そう判断して、ジャグから水を出して、飲ませる。すぱしーば、と言いながら、受け取った途端一気に飲み干してしまっているため、ああ、これはいけない、と考えた。訓練時間を朝にしないと、響はだめだ、と。暑さに体がまだ慣れきっていないのだ。さらに、そこに長良がペースを上げすぎたためだろう。艤装を着用していれば、ある程度体のバランスをモニタできるのだが、着用していなければそうもいかない。
はあ、と木陰で息をつき、長良は座り込む。そして、吹雪が言う。
「……でも、なんだか臨時編成って言っても、この部隊、変な編成ですよね」
それを聞いたとき、長良はぎくり、とする。
「そうだね……うん……確かに変だよね」
あいまいに答える。だから、長良はゆっくり走るのは嫌いだった。
「作戦案の了承がとれた。……核攻撃は極力避ける方針だそうだ」
電話の受話器を置くと、提督は加賀に顔を向ける。陸軍側と協議した結果、作戦は二日後の早朝0500を発起とする。ということになった。夜間に呉を出発し、艦隊を釣り出している間に「姫君」を殺すパワードスーツ部隊をCV-22オスプレイで輸送する、とのことだった。最悪の場合に備え、鳳翔によるエアカバーも行う。その点で、艦隊防空が弱まる、と異論は唱えたものの、第十一師団の要請そのものはもっともなものだったため、引き下がった。正式な書類が、広島ごしにネットワークで送達されてくる。
「塩飽諸島攻略作戦か……」
周防大島ほど大規模な作戦ではないにしても、それでも、相当重要な作戦である。なぜか。
海上交通の要衝であり、さらには瀬戸大橋の基礎となっている島々である。それが重要でないはずはなかった。呉鎮守府は確かに一息つけただろう。だが、瀬戸内海の制海権を奪い返してはいない。そして、そうしなければ、彼らに明日はないのである。