余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編)   作:小薮譲治

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 来た、見た、勝った。カエサルのように私は簡潔に物事を述べられればいいが、そうではない、と最初に述べた。そう、事実として物事はそれほど単純ではなかったのである。

 呉鎮守府、並びに横須賀鎮守府は太平洋側、ならびに瀬戸内海の制海権を取り戻すことに成功した。しかし、皆が皆軍事的な成功を手にすることが出来るなら、苦労はない。百戦して百勝できるならばそれは神のごとき才を備えた軍事指導者と呼べるだろう。多くの人々が知るように、そうした人間の数は少ない。

 心苦しいが、それは事実なのだ。

 なぜ呉鎮守府が勝てたのか、という点においては、彼らは確かに「呉という要害」に閉じ込められていたともいえる。だが、その要害が敵戦力の投入を制限し、寡兵で多数を打ち取って見せさせたのである。瀬戸内海という入り組んだ地形は敵であると同時に、最大級の味方であったのだ。

 先般、百戦して百勝できるならばそれは神のごとき才を備えた軍事指導者と呼べる、と述べた。だが、これから語る佐世保鎮守府においてはそのような人物は現れなかった。呉鎮守府に寡兵しか投入できない、とも述べた。ではその分の兵力はどこへ行ったのか。賢明なる諸氏であれば、たやすく理解できるであろう。

 これから語るのは、佐世保鎮守府がいかにして負けたか。そして失陥したかである。負け戦そのものである。だが、これは必要なことだ。




 いかにして来た、見た、勝った、と述べるか。カエサルならぬ私としては、前提を述べる必要があるのだ。



第3部 佐世保鎮守府失陥編第一話:underdogs

「司令、司令!」

 

 かちゃり、と閉じたドアの音を聞いた瞬間に、ごく軽い発砲音がした。

 

 もうろうとした頭に、発砲音と、その悲鳴が聞こえた時、熊野はぐう、と目を閉じて、開いた。目の前の現実は変わってはいない。拳銃の発砲音が聞こえた程度でなんだというのだ。そういう捨て鉢な気分になる。

 

 コンクリートのなかから、鉄骨が見える。引きちぎれた断面の光沢ある部分からは、光が反射している。目に、痛い。

 

 アスファルトはひび割れ、土が見えている。刈り整えられていた芝生は影も形もない。そして、すべてが終わった佐世保鎮守府の司令部の1階からは、本来見えない海が見えていた。

 

 司令が何をしたかは、わかる。最後の一撃が、対馬攻略が失敗に終わった以上、自決以外にやれることはない。この鉄骨を首に刺して死んだなら、痛いのかしら。そう、熊野は考えて、笑った。

 

 来た、見た、勝った。それならばよかった。彼女たちは、佐世保鎮守府に集まった海の淑女たちは来た、見た、負けたのだ。

 

 ドアが乱暴に開く音。そこには、ひび割れた眼鏡をかけた少女が混乱の色も隠さず立っていた。それに、無感動に意識を向けた。

 

「熊野、司令が!」

 

「自決なさったのでしょう? ……それで、どうなさいます? 霧島さん」

 

 熊野の口からは、自分でも驚くほど、平板な声が出た。

 

 

 

 

艦隊これくしょん 余計者艦隊 佐世保鎮守府失陥編 第一話「underdogs」

 

 

 

 

 別に、負け続けているわけではなかった。そう霧島は振り返る。五島列島解放は成功した。住民たちはいずれも避難していたが、橋頭堡は築けた。西方からの圧迫を気にせずに、大目標に挑みかかれる。そういう目算もあった。大目標とは何か。それは対馬の奪還である。

 

 なぜ、対馬の奪還が必要なのか。それは論を俟たないだろう。軍事上の要衝でもあり、通信が途絶している瀬戸内海の呉鎮守府と連絡しようとすればどうしても妨害を受ける。南回り、すなわち鹿児島方面を回っての迂回も検討したが、深海棲艦の拠点が多い。あきらめざるを得なかった。

 

陸路もまた同様で、高速道路や鉄道路は破壊され、陸に上がった連中が牙を磨いているのである。陸軍や空軍は福岡県、鹿児島県を放棄し、熊本県や宮崎県の沿岸で必死の防戦を行っていて、内陸部に手を出すどころではない。福岡失陥以前に築城基地司令が機転を利かせ、航空機を避難させていたため、新田原の航空戦力は充実している。いるが、それでもかなり厳しいという話である。

 

 その新田原基地とどうにか連絡し、航空機多数による猛爆を加え、戦術核攻撃を行い、それでも。

それでも、対馬は落ちなかった。虎の子の武蔵を投入し、今の佐世保鎮守府の全兵力と言ってもいい三個艦隊をつぎ込んでも。それでも、対馬は奪還できなかった。

 

 目の前に居る疲れ切った少女、いや、重巡洋艦「熊野」が一人帰還し、霧島、そして負傷者が多数に、駆逐艦がいくたりか。それに、彼女が見ていない隙に、拳銃でしろい脳漿をぶちまけた「司令」がつい先ほどまで居た。それだけが、現状の佐世保鎮守府の残存兵力である。厳密に言えば通常型舟艇であり、指揮統制艦たる、アメリカからの供与艦の「エルドリッジ」は残っている。問題は、それを前に出すにはあまりに危険という事だけだった。だからこそ、沈みもせずに残っていた。

 

 今回、霧島が出撃させてもらえなかったのは、何も破損したとかそういうわけではない。住民の避難は既に完了しているのだが、鎮守府の放棄に備え、エルドリッジを南周りの危険な航路で脱出させる護衛艦隊を編成することを命じられていたからだ。高速戦艦にそんなことをやらせるくらいなら、と抗議はしてみたものの、命令だ。という短いひとことが返ってきたのみである。

 

 その霧島に、熊野はうつろな目を向けてくる。何の感情も籠っていない目。負けたという「現実」だけは理解している目。

 

「……だから、どうしますの?」

 

「……どうもこうもありません。事前計画通り、南回りでの脱出を企図します」

 

 そういうと、一瞬熊野は目を伏せた。そして、目を上げて言う。

 

「わかりました」

 

 気の乗る仕事ではない。だが、ここで座していても結局はすりつぶされるのみ。それならば、瀬戸内海の呉鎮守府が制海権を奪還していることに賭けるべきだ。そう、彼女は考えたのだろう。

 

 彼女たちは、負けたのだ。だからと言って、負けっぱなしでいていいはずがない。勝つために、引くのだ。それが詭弁に過ぎないという事は、百も承知でもある。

 

 

 

 動かせるけが人をエルドリッジに移設する手続きが終わり、黒い髪を肩口のあたりで切りそろえた、巫女装束によく似た服を着ている霧島はある書類に目を通す。司令の死体は死体袋にくるまれて運び出されたが、床に作った染みは消えていない。艦娘が人間の部隊の指揮をとれるのか、という手続き上の問題はあるが、概ねの部署では司令官代理としては承認されていた。承認していない部署も、どうしていいのかわからないために、指示に従うほかはない、という様子である。

 

「……」

 

 その書類の内容は、想像通りの内容だった。動かせないけが人をどうするのか。答えは一つ。残していけばのたうちまわって死ぬ。ならば、眠るように死なせてやった方がまだしも人道的だ、という内容だった。

そういえば、昔東京市が空爆された時に、役人が象を薬殺しろ、と喚いて、戦後軍に責任を押し付けたんだったな、という内容が、不謹慎にも霧島の脳裏によみがえってきて、吹き出しそうになる。全く、象と違って言葉のわかる人間を置いていけないから死なせてやろう、とは。

 

笑いの発作はパニックの兆候だ、という事を思い出し、霧島は黄緑色の眼鏡を外し、顔をこする。どうしても笑いをこらえきれない。その通りなのだ。言っていることは。残して行って、苦しんで死んでいくくらいならば、せめて楽に死なせてやる、というのは人情なのだ。だが、こんな状況でなければ助かった人々を、作戦が不味かったがために『死なせる』という言いつくろいをせねばならなくなる。それが、あまりにもおかしい。

 

「どうしましたの?」

 

 はっと霧島は顔を上げる。そこには、熊野が立っていた。茶色の学生服のような服と、その色と同じ髪を持っている。彼女の青い目の下には隈が出来ているが、まだ意識ははっきりしているように見える。

 

「……いえ、何でもないわ」

 

「そう、それなら問題はありませんわ」

 

「……それで、何の用かしら?」

 

「現状の確認をするべきだと思いましたの」

 

 そういって、熊野は手描きの書類をばさり、と置く。プリンターを動かす電力はあるが、そうしたものは佐世保鎮守府のサーバ群の火を落とし、機密情報等を完全に消去する作業に優先的に回されているためでもある。

 

「現状残っている艦娘のリスト……?」

 

「ええ。霧島さんが指揮を執る子たちのリストですわ。負傷者は一応除いてあります。負傷者はもうエルドリッジに移送したのでしょう?」

 

「え、ええ……」

 

「……とはいっても、まともな状態で残っているのはわたくし達を含めて6人でしたけれど。負傷者の艤装を共食いして何とか装備をまともな状態に出来るよう手配はいたしましたわ」

 

 ちょうど廃棄処分予定でしたから、と続ける熊野を見た後、視界がぼやけていることに気付いて目をごしごしとこすり、ひびの入った眼鏡をかけ直す。リストには以下の名前が記されていた。リスト、と言っても、巡洋戦艦「霧島」と重巡洋艦「熊野」を除けば、4名しか記されては居ないのであるが。

 

軽巡洋艦「那珂」に吹雪級駆逐艦「深雪」が続き、朝潮型駆逐艦「荒潮」に「朝潮」と来ている。天を仰ぎ、もう一度紙を見て、ため息をついた。

 

「ありがとう。さあ、どうしたものかしら」

 

 そのつぶやきに、熊野の答えは無かった。彼女とて、答えを持っているわけではないからだ。

 

 

 

 

 

 空気がひどく重い。普段、アイドルだとかなんとか言っている自分のことを鑑み、那珂はため息をつきそうになって、やめた。ため息をついたところで別に状況がよくなるわけでもないからだ。

 

 熊野に呼び集められ、集まった面子を見て、ああ、これは普段通りに接したらひどいことになるな、と思ってごく真面目にやったのがいけなかった。実戦経験がそれほどなかった深雪も、今では百戦錬磨とまでは言わないまでも、それなり以上に戦果は挙げている。そのセーラー服を着て、常に何かいたずらをしてやろう、と言わんばかりの目をした深雪が、敏感に空気を感じ取ったのだ。

 

ああ、那珂さんもあのノリはできなくなったんだな、という表情を作って、下を向いてしまう。黒く、長い髪に釣りスカートの朝潮はというと我関せず。自分の装備の点検を行い、わからないことがあれば那珂に聞きに来る、という調子だった。朝潮と同じく長いが、色は栗色の荒潮も同様だったが、精神的に参っているようで、時折眉間にしわを寄せていた。

 

 本当に空気が悪い。ここでいつものように那珂ちゃんスマイル、だとか言えればいいのだが、それをやった場合、真っ先に荒潮が破裂するだろう。破裂だけならいいが、売り言葉に買い言葉で深雪と掴み合いになるのが目に見えている。

 

 那珂ちゃんは空気の読める子だもんね。と自分に自分で言い聞かせ、魚雷発射管の点検をし、上を見る。頼む、本当に誰か来て。無理、那珂ちゃんのキャラじゃ無理。そう考えて、空気を読まない夜戦バカの姉の顔を思い浮かべる。

 

あの空気の読まなさは本当によかった。那珂はアイドルがどうのこうのと言いながらも、そこまで貫徹が出来なかった。時折素に戻ってしまう。何が有ろうと夜戦がどうこう言いながら現れて、簀巻きにされて出ていく。あのバカバカしさが何より恋しかった。

 

 外から風が吹く。その海風に乗って、腐臭が漂ってきた。避難時に逃げきれなかった人々や、佐世保の陸戦隊が上がってきた深海棲艦を撃退したのだが、それらの死体の始末までは手が回らなかったがために、佐世保鎮守府には潮の臭いと、海苔を腐らせて放置したような悪臭が漂っている。空調は回っておらず、暑いよりはマシだ、と開けているがために、そのかぐわしい香りが入ってきてうっ、とうなりそうになるのだった。

 

「うはー。臭いなあ。すみません、那珂ちゃ……さん、窓、閉めて良いですか?」

 

 そう深雪が言い、立ち上がって窓を閉めようとする。それを見て、荒潮が口を開いた。

 

「あらぁ? 暑くて仕方ないじゃない。我慢できないわけじゃあないでしょう?」

 

「えー……。くさいじゃんか……」

 

「臭い?」

 

 あ、これは不味い。那珂は立ち上がり、荒潮に駆け寄って精一杯明るい声でこう言う。

 

「そうね、我慢できるよねー。深雪ちゃん、ダメだよ、閉めたら」

 

「え……? いや、だって相当臭うじゃ……臭うじゃないですか」

 

「我慢できるよね?」

 

 目でメッセージを送る。臭いって単語はダメ。特に荒潮の前では。と必死に目で深雪に教える。そうすると、はい、と深雪が言い、その場はこれで収まった。

 

何故駄目なのか。答えは言うまでもない。荒潮と朝潮は佐世保に親族が居て、運悪く逃げ遅れて死んだことまでわかっているのだ。たとえ、それがわかったとしても葬ることもできなかったがゆえに、彼らは腐臭を立てているのである。ここにいる。私たちを眠らせてくれ、と。

二人とも、眉間にしわを寄せている。深雪は、なんとなくバツが悪そうな顔を作っているが、時折臭いでうえ、という声を出していた。そのたびに、荒潮がピクリと動くのが那珂の目に入る。

 

 

 

 

 本当に、本当に空気が悪い。

 

 

「……」

 

 熊野にはやる事がない。と一言で言ってしまえば、実に身もふたもなかった。装備や設備の運び入れはだいたいスケジュール通りに進んでおり、すでに終わっている。

運べる程度の傷病者は壊滅した陸の設備ではなく、指揮統制艦「エルドリッジ」で面倒が見られていた。関わっていた部署では、破棄すべき書類もすでにない。そのため、サーバに装填されていたHDDカートリッジにゼロフィルを3回かけた後、磁気消去器でもう一度飛ばして、ドリルで穴を開ける、という手間のかかることをやっている鎮守府通電隊の手伝いをしていた。

 

ネットワーク機器に関してはデータを破棄し、NVRAMの初期化とハードウェアの物理的破壊を行っている。ああ、もったいない、と思わず口に出しそうになるほど、徹底的なそれを見て、熊野はふう、とため息をついた。

 

 そして、手つかずのサーバ本体はどうするのか、というとレンタル品なのでそのまま、というみもふたもない答えが返ってきた。深海棲艦に情報を手に入れる能があるとは思わないが、と言って、サーバラックのフロントドアにつけられた「NOF」と浮彫りが為されているガラスの銘板を整備員が抜き取るのを見ていた。

 

 歳をとった一人の曹長が機械に向かって敬礼しているのを見て、同じように敬礼をする。私も、こんなふうに見送られることがあるのか、とふと熊野は考えて、やめた。道具として生まれ、道具として死にたいわけではない。ことに、私は人間なのだから。

 

 そのようなことをつらつらと考えながら、消灯の時間を迎える。一応は無事な部屋はもともと暗い。電気が来ていないから当然と言えば当然だった。窓からは、暗い海が見える。本来は建物に阻まれて見えないはずのそれを見て、熊野は思わず泣き出しそうになる。が、涙は出てこなかった。心が動いても、体がうまく反応してくれない。

 

 窓から見える人の営為が破壊しつくされても、海だけは変わらなかった。昼は宝石のように輝き、そして夜はその奥底から人を引き寄せるなにかを感じさせるほど暗い。月明かりが有ろうと、夜光虫が航跡に惹かれて輝こうと、その妖しさだけは不変だった。

 

 ぞくり、と震え、拳を握りしめる。何か不気味なものが腹の底から、こみあげてきたのだ。沖縄撤退戦の護衛を行っていた時以後の記憶があいまいで、イ号集団の進撃阻止に失敗して、決定的敗北を喫してから助けられた彼女にとっては、何か嫌な感触がある。

 

「……考えすぎかしら」

 

 そういって、拳を反対側の指で無理やりにほどき、目をそむけ、布団にくるまる。現実が悪夢よりひどい今は、せめて、悪夢だけは見たくはない。

 

 

 

 

 呼び声がした。水底から喜悦の声がした。全身が痛い。浮かび上がってきた敵に殴打された後、砲弾が直撃して、体がずたずたに引き裂かれたから当然だ、という冷えた声が、脳の片隅から発される。痛みをマスクする艤装の機能も死に、猫の悲鳴とも称される、重巡洋艦のタービンの音も意識できない。いや、タービンの音はした。だが、それがすでに聞こえない。爆発と激痛によって、完全に破壊されたことを理解したのみ。

 

 呼び声がする。あまりにも透き通った声。上下がわからない。どこも黒で塗りつぶされている。おかしいな、沖縄の海はこんなに汚いなんて話は聞いたことがありませんわ。とつぶやこうとして、理解した。

 

 水底から響く喜悦の声は、自分の喉から発されていたのだ。ああ、と理解して、そして海上に体を浮かびあげ、叫んだ。深海棲艦のウォークライを。

 

 蛮声を振り上げてしまえば、あとは体中が喜びに満たされる。活力が満ち満ちている。痛みは無い。ただ、そこには喜びと怒りがある。殺せる。殺さなければならない。殺してやる。そう考えが遷移し、そして塗りつぶされた。

 

 海は真っ黒。重油で真っ黒。汚くしている奴がいる。うめき声が上がる。絶望の叫びが聞こえる。それらすべてが、彼女には喜ばしかった。機関砲が唸りをあげ、肉を引き裂き、ぐじゃぐじゃの塊になって意識があるままフカにかじられ、声すらあげられない「それ」を見て、熊野は喜んだ。

 

 

 

 そして、赤く染まった視界に気付き、ふと止まって考えた。熊野とは誰だ、と。

 

 

 

 

「……あ」

 

 目が、覚めた。口元がぴくぴくと痙攣しているのを意識する。手を暗闇にさまよわせ、空をつかみ、ごろり、と転がり落ちる。激痛とともに、床のひんやりした感触が、布越しに体に広がる。

 

 激痛。生きたまま背中をタービンに削り取られた時はこんな痛みではなかった。と、考えて、熊野は明かりを探す。マッチを指が探り当てた。

擦って火をつける。深海棲艦のそれとは違う、赤。人類が獣から脱却して知性を獲得した証を見て、混濁した意識が戻ってきた。

マッチをふり、火を消す。何を考えていたのだろうか、と頭を押さえるが、判然としない。

 

 死んでいたら、今ここに居はしない。当然のことだ。そう考えて、顔を上げると、ドアを激しく叩く音がする。

 

「何ですの? あわてるようなことはこの世には無くってよ」

 

 そういって扉を開くと、セーラー服を身にまとった少女、深雪がうわあ、と声を上げながら飛び込んでくる。

 

「……慌ててくれよう!敵襲!敵襲だってば!」

 

 数瞬ののち、脳髄に言葉が染み渡る。

 

「……それを早く言いなさいな!」

 

「最初から言ってるってば……!」

 

 走り出す。格納庫に駆け込み、息がはずんだまま艤装を背につけ、データリンクに接続。エルドリッジ敵影は二十キロメートルの洋上に居る。撃ってこないということは、戦艦、ないしは重巡洋艦クラスは存在しない、と見ていいだろうか。と判断すると、情報が更新された。那珂の撃ち出した観測機の量子データリンカから寄せられた熱源反応の動画分析がクラスタリングされた各艦で行われ、統合されたためだ。

 

 駆逐イ級が10隻ほど確認されており、速力はほぼ最大の36ノットを叩きだしている。何かに追い立てられ、逃げている時のような速力だった。

こんな化け物どもでも一丁前に恐怖を感じるのか。そう考えて、海に飛び込む。一瞬足が沈み込み、背中のマイクロタービンが猫を絞め殺すような声を上げ、浮力をひねり出す。浮上。

 

砲システム異常なし。魚雷制御異常なし。霧島は陸上におり、指示書をデータリンクで送付してくる。網膜上に内容が投影された。

 

「すでに洋上に展開している那珂、朝潮、荒潮と合流し、敵を撃滅せよ……。単純な話ですわね」

 

「言ってる場合かよ。早く合流しようぜ」

 

 そう呟きながら、深雪はカバーを開け、弾丸を装填装置に押し込んでいく。それを見て、観測機を熊野は撃ち出した。

 

「那珂の赤外線ストロボを確認。合流、急ぎますわよ」

 

「へいへい」

 

進路を進める。会敵予測地点の中間でいったん合流、隊形を整え、熊野が先導する形で単縦陣をとる、という方向で合意したが、どうにも反応が遅い。

 

「那珂ちゃんになにかありましたの?」

 

「ん……まあ、色々かな」

 

 そういって、深雪は一瞬抱えるようにして持っている砲の横を触っている。なるほど、色々か。そう考えて、熊野は前を向いた。確かに、霧島や私にも『色々』とある。

 

 

 

 

 那珂は、熊野の背中を見、そして後ろの二人から立ち上る異様な戦意に充てられて、気分が悪くなりそうになる。落ち着きなさい、と言っても、朝潮、荒潮の二人ともが眉間にしわを寄せているのだから、始末に負えない。その点で言えば、最後尾についている深雪の肩の力の抜け方はありがたい。なにより、接しやすいのだ。

 

「来ますわよ!」

 

 先導し、データリンクの親機となっている熊野から、回避運動の指示が来る。自動的に体が動き、ぐい、と大振りに蛇行するのを意識し、敵の発砲炎を視認する。魚雷対策で大きく蛇行しているのだが、どうにも心臓によくない。こんな距離で当たるものではないのは理解しているが、いつやっても胃が裏返りそうになる。

 

 砲のロックはなされていない。理性的に考えれば撃つはずはない、というのが、おそらくは熊野の考えなのだろう。だが。

不味い。どう考えてもまずい。モニタしている荒潮のテレメトリはアドレナリンの過剰分泌を検出している。至近弾が来れば、いつぶっ放すかわからない状態にある。進言したほうが、と考えたが、無線機は深海棲艦の発する、強烈な妨害電波の影響下にある。声を張ったほうがまだ通じるだろう。そして、その声は後ろでアドレナリンに酔った荒潮にも聞こえる。

 

 そう考えているうちに、しぶきが立ち、頭から水をかぶり、そして。

 

「よくも……!」

 

 強烈な発砲音。喚き声。有効射程外。

 

「ば……!」

 

 馬鹿、と言う暇もあらばこそ。狙いがどんどん正確になってくる。観測射が二発。そして。

ごん、と頭を殴られたような衝撃が、那珂を保護するフィールドに走る。命中打。くそ、と那珂は悪態をついた。

 

「きゃあ!顔はやめてったら!」

 

 そう、声をわざとあげる。それを聞いた朝潮がデータリンクをいったん切断し、後ろを向き、荒潮の頬を張って止めさせた。停止命令を送られないように荒潮はデータリンクを切断していたのである。

 

「無駄よ」

 

 一言。そう言って、落伍しないように追随してくるのが横目に入る。一瞬全体の速力は緩むが、かえって予測位置に到達しないためか、命中弾は続かない。

 

 呆けたようになった荒潮も、データリンクに復帰し、再度速力を上げて追随。そして、熊野は言う。

 

「さあ、あなたたち。淑女らしく振舞いなさい! 招かれざる客にも微笑んで、丁重に海の底にお帰り願うのよ!」

 

 有効射程内に到達。熊野の二〇・三センチ連装砲が、荒潮のそれ、十センチ連装高角砲よりもはるかに長大な発砲炎と、黒煙を吐き出した。

 

 

 

 

 

 戦闘は終わった。まだ死んでいない敵に機銃を叩き込み、その哀願するような悲鳴を耳に受け、熊野は思わず顔をしかめる。

どうして、こいつらの声は人に似ているのだろうか。もう少し獣らしい声をしていれば、嫌な思いもしなくなるのだが。

浮かんでくる赤い血に、さらに熊野は顔をしかめる。どうして、こいつらの血は赤いのだ。人間と同じように。

 

罪悪感が湧く。まるで、私が深海棲艦だったかのような罪悪感が、と考えた瞬間、荒潮と深雪の声が聞こえる。怒鳴り声が。

 

「馬鹿じゃねえのか! 有効射程外で撃ったってこっちの正確な位置を暴露するだけだぞ!」

 

 掴み掛らんばかりの勢いで、荒潮に指をむけ、深雪は言う。後尾についていたということは、無謀な行動をした栗色の髪の少女の巻き添えを食らう恐れもあったので、当然と言えば当然だろう。

 

「なんですって……」

 

 そう、地の底から響くような声が荒潮からする。それに対して、那珂はもう、喧嘩はやめなさい、と言うものの、聞こえていない。

 

「傾注!」

 

 そう熊野は大声を張り、じろり、と周りを見る。

 

「作戦中ですわ! 帰投後にいくらでも話は聞いて差し上げます。ここは女学校ではなくってよ!」

 

 そう言って、強制的に全員の航法を奪い、帰投ルートを設定。考えることは山ほどある。なぜ、あんなふうに敵はほぼ最大船速とも言えるすさまじい速度でこちらに向かってきていたのか、という最大の疑問がある今、揉め事にかかずらっている暇はない。何かがある。

 

 

 

 

 

 

 

「瀬戸内海から深海棲艦が流出している?」

 

 春日DCから移設された新田原臨時SOCのコンソールで報告を受けていた新田原基地司令は、スクリーンの表示を見て、にや、と笑った。

 

「……諸君、忙しくなるぞ」

 

 そう言って、笑う。呉鎮守府か、それとも広島駐屯地か、どちらかはわからないが、瀬戸内海の制海権を奪取したのだ。その余波として、他地域に深海棲艦が逃げ出している。あと少し。あと少し、これに抗甚すればよい。そうすれば、各地の連絡が再びつながる。彼らの決死の努力が勝利という形で報われるときが来たのだ。

 

「……そうだ、熊本の陸軍と、佐世保の海軍にこの情報を共有しろ。良いニュースだぞ」

 

 しかし、運命の女神は皮肉であった。陸軍には連絡がつながったが、海軍には連絡がつながらなかった。

 

なぜか。海軍のNOFに接続する連接システムは既に海軍側の撤退作業で破壊されており、かつ、深海棲艦の電波妨害下に有ったため、無線が機能しなかったのである。しかも、これは呉鎮守府、広島の第五師団、岩国の海兵隊によって追い立てられた敵によって招来された事態であった。

 

underdogs -了-




こっちに投稿するのを忘れてました。申し訳ない。
まあ、再開しました。

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