余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet 作:小薮譲治
第一章 忘れ川
「赤城さんはこれからどうするんだったっけ?」
「えっ?」
赤城は顔を上げる。顔に出るもんなこの子。という感覚がどうしてもあるというか、普段は結っている髪がほどけているので一瞬だれだか分らなかった。蒼龍だ。赤城からしてみれば同輩だった立場で、飛龍がその隣で絡むな絡むな、と笑っている。
「えっと、あれ?」
激昂して突出した女性の姿が記憶にある。あの人を家に帰さないと。と思っていたら、自分の最後の記憶は何だったのか、と思い出して、血の霧が自分から吹き出して、断片的な記憶がランダムに再生されて、そうして。
赤城はここで酒を飲んでいる。くぴ、という擬音がふさわしいちょっと傾けるようにして酒をやりながら、蒼龍と飛龍がのみまーす、なんて言いながらぐびぐびとビールをやっているのを見た。
「これから……どうするんだっけ」
さて、本当にどうするんだったか。そう思いながら、自分の酒を飲み干し、ポテトフライをもぐもぐとやっている。青い袴の鉄面皮、あの女性は。
「何て名前だったっけ……」
思わず独り言を口にする。何て名前だったっけ。そう思いながら、中空に視線をやる。そこには何もない。木目のようななんというか、曰く言い難い何か。そらが揺らいでいる。酒の酔いが回っている。歪んだ像。
何て名前だったっけ。それを思い浮かべようとするたびにぐるぐるぐるぐると思考が回る。赤城はうーん、と額を触って困惑する。
「あれ……?」
うーん、酔い覚ましに水でも頼もうかしら。と赤城は考えるが、まーまーまー、と言いながら蒼龍がさらに酒を注いできた。あふれそうになったそれを慌てて飲む。もー、と文句を言うと、けらけらけらと笑い出した。
「お、やってるな」
そう言いながら、長身の女性がやってきた。長い髪の女性。えーと、と考える。部隊として一緒のところに配置されることはないからか、失礼ながら今一つ名前と顔が一致しない。装備で人を覚えているような、失礼なところが赤城には結構ある。あの人の名前も思い出せないのはそういう事なんだろうか。そう思ってしまった。
「……長門だが、もしかして本当に私のことを忘れたのか?」
「あ、あー。長門さん」
そういえばそうだった。こんな顔をしていた。と赤城は死ぬほど失礼な事を口にした。相変わらず身も蓋もない。とくっくっ、と笑いながら店員らしい人間に酒を持ってきてもらって、そうしてはい駆けつけ一杯。と言いながら赤城が注ぐ酒をぐっと飲み干して見せた。
「いやあ、言い飲みっぷりですね」
そう言いながら徳利をそのままぐびぐびと飲む赤城の姿を見て、おいおい、という顔を長門はして見せる。
「間違えました」
「よく死なないな……」
「作戦会議よりお昼ご飯のことを考えてたら死ねませんよ?」
「スライドばっかり作って渋い顔してるよりはマシだと思うが……」
「パワーポイントをきれいに作るの大好きなのは米軍さんじゃないですか」
「そうだったか」
「おかげで提督にはよくしかられてます」
「結局怒られてるんじゃないか」
あ、お芋おいしい。と赤城は言う。赤城は作戦が出来りゃあそれでいいんですよそれで。と言わんばかりの態度で、小原台刑務所上がりや幹部学校が初めの学校とは違う叩き上げ出身の図太いところがあった。長門はこう見えて刑務所のほう上がりである。相棒の加賀はというと幹部学校上がりで、うっかり入ってしまったかわいそうな人だった。
「まあもともと弓道経験者だったので」
「それにしてはタコができてないな」
「ヘタクソが作るものですよ」
「蒼龍と飛龍がダメージ受けてるみたいだが」
加賀さんとかも上手いですよ。あの人後輩にがみがみうるさいから煙たがられてるけど。と赤城は言う。
「優しい人ですから」
「じゃあ赤城は?」
「優しくないです。自分が練習する方が優先なので」
「太いなあ」
だから昇進しないんですよ。私、と自覚があるように言う。本音で言えばただ教えるのがヘタクソなだけなんだけど、と内心ぺろりと舌をだしている。なんというか、感覚派なので
「こー、そっと握ってくいっと引いて当たるイメージがちゃんとできたら当たるもんですよ」
「普通理屈があるもんだが」
「単に教えるのヘタクソなんですよね。イマイチ理屈が分かってないというか」
「じゃああいつは理屈が分かってるということか?」
「あー、理屈理屈で四面四角ですよ。たぶんご想像通りです」
その割にちょっと行儀が悪くて足で箸とったりするんですよね。ちょっと行儀悪いとこあるんだなこの人、って何となく思ったりします、と赤城は言った。えっと、この人。だれだっけな。などと考えている。酒が回ってももうちょっと頭はすっきりしているものだよな、などと考えてしまうものだった。
銀髪の女性が話しかけてくる。ああ、武蔵、武蔵だった。そう考えて、ぼーっと目の前を見る。
「呉の所属、だったか?」
「えーと、そっちはどこでしたっけ」
「佐世保だよ。佐世保」
「ああ、佐世保」
佐世保バーガーとかおいしいですよね。なんかハンバーガー食べたくなってきた。と赤城はおもむろに考えてしまう。色気より食い気という口ではあった。
あれ、佐世保ってどこだっけ。東だっけ、西だっけ。と赤城は考える。どうにも何かが定まらない。定まらないというより、何かがふわふわとしている。自分はいまどこにいる。それをまず考えよう。
「佐世保は東でしたっけ、西でしたっけ」
「ここから考えれば東だな」
「ここ?」
「どこ?」
「どこでしたっけ。まあどこでもいいんですけど」
どこへ行くかさえ覚えておけばいい。そう身もふたもないことを考える。結局、どこへ行くかという根本的な話は何も分からないまま。目の前の武蔵もよくわかっていない様子。
意識がまるでアイスをディッシャーですくわれているような感触。コーンの上に記憶が一つ、記憶が二つ。三つか四つになれば、豪華だな、などと変なことを考えてしまう。赤城からしてみれば、主観的にはよくわかっていないことを深く考えるより、飲み会の後にアイスクリーム屋がやってるかな、という事の方が大事だった。
私は叫ぶ、貴方も叫ぶ。私たちは叫ぶ。そしてアイスクリームは大好きだ。そんな感じの戯れ歌があったな、などと思い出した。なんだかアイスクリームが食べたい。そう何となく考えてしまう。古いアメリカのコマーシャルソングだったような気もする。そういう歌が存在するくらいには豊かな国だったんだなあ。などと変に考えていた。
「ここは……どこだった?」
「居酒屋でしょ?」
「居酒屋」
「居酒屋ってもともとは酒屋だったらしいですけどね。せっかちな人たちがそこで飲ませろーってなって、それで結局つまみも置くようになって、って感じみたいらしいですよ。まあお酒の品質が悪くて村に帰る前に酔いがさめちゃうから村雨なんて揶揄されてる店もあったみたいですけど」
「そりゃ村雨が聞いたら怒りそうだな」
くっくっ、と笑う声。そういえば村雨という名前の駆逐艦娘が居たな、と、彼女は思い出す。ぐびぐびと酒を飲みながら出来上がっている青い子と黄色い子を見て、歩いて帰ることができるのかなあ、などとも考えていた。
歩いて帰る。歩いて帰るというと、さて呼集がかかって大慌てで放り出した結果、鍵を締めて出て行っただろうか、とだんだん真顔になって行く。彼女からしてみれば、家の鍵を閉め忘れるなんてことは普段はなかったが、その日はやたら急かされて呼び出され、その上迎えの車が下に来ていたものだから、やたら慌てたことを思い出した。
その日。あれ、飲み会で運転手付きで呼び出されるなんてことあったっけな。と考えて、首をひねる。
「どうしたんだ?」
「いやー、家の鍵閉めて行ったかどうか思い出せなくて。なんかこう……えらく物々しい呼び出しのされ方をされたんですよね。言いにくいんですけど、こう。運転手と途中で拾ってきたらしいあのー、えーと、体温が高い人がハイネックの首と触れるところに指を突っ込んでそわそわしてたっていうか」
「ああ、そういうのはあるな」
「なんかこう、いいとこのお嬢感を時々出してて金持ってるんだなー、この人の実家。って感じがあったんですよね」
「その割に箸は足で拾うんだったっけか」
「そうそう。まあでも育ちが悪いというか、足癖が悪いって感じかなあって」
「ファントムのパイロットなんかは足癖が悪くないと務まらないと聞くな」
「ああ、ラダーの操作が上手くないとダメとかそういう話でしたね。ラダーをうまく使える足癖の悪い人は腕前がいいとかなんとか。航空畑だったからそういう訓練課程から引っこ抜かれてたのかな」
「海軍にF-4EJはないだろう」
「そういえば」
「まあ退役してただろ、えーと、空軍でも」
「偵察飛行隊もUAVに切り替えるとか何とかそういう話もあった記憶がありますね」
「UAVなあ。電波妨害下では使い物にならないだろ」
「深海棲艦相手だとバラージ放射下ですもんね。だからえーと、かんむ、艦娘?艦娘でないとダメとかなんとか」
「あんまり強いと電子機器が死ぬって話もあるしな」
「さすがにそこまでのは見たことはないですけど」
「まあだいたい核兵器も普通に使われるんだから、シールドがちゃんとしてないとなあ」
「カリホルニウムなんて死ぬほど金がかかるんだから、艦娘にもっと金をかけろー!ってのが海軍の主張でしたっけ」
おりゃー、とばかりに手を上に挙げて彼女は手をふる。脈絡のない話を延々続けている感覚。酔っ払うとまあこんなものだろう。と思えるが、固有名詞がどんどん欠けて言っている様な感覚がある。航空機の名前とか、大きなくくりの兵器の種別、部隊の名前。あれそれこれとあるが、人の名前がぐんぐん思い出せない感じがある。
目の前の人はだれだったか。銀髪で、浅黒い肌で、蛮人コナンを女性化したらこんな感じかな、と失礼なことを考えて、いやでもボクシングとかやってないですよね、と聞いたらボクシングはやってないが、なぜそんなことを聞く。と言われたことを思い出す。いや、蛮人コナンの原作者はボクシングの選手だったんですよ。と言って、相手が顔面神経痛の発作を起こしたような表情をして失礼なことを言われているのはわかった気がする。と察されてしまったものだった。
いやはや、あれはさすがに失礼だったな、と彼女は考えて、もう一度コップを傾けて、飲む。何を。何だったか。そう考える。大昔、ギリシャ神話だったかでレテ川の水を飲むと、記憶を失ってしまう。そうして幸せなまま冥府に行くのだ。ということを。忘却、隠匿。どっちでも、なにかがつつみくらまされ、消えていく感覚がある言葉だ。
記憶を忘却するのであれば、消えていくにしても、それは単に消え去っていく。単純な話だろう。ボケ老人も今日のご飯を食べたかわからなくなって、そうして頭のしゃっきりしている人にご飯を食べたかを聞く。そうしてその聞いたことすら忘れてしまう。ある意味で周りにとっては不幸だし、自分自身も忘れたことすら忘れてしまう。不幸だろう。
隠匿であれば、確かにそこにあるのに手が触れられないようになる。隠すというのは誰かがやることで、誰かというのが別の何かだ。自分ではなく、強制的にそこにある筈のものが触れなくなる。今の状態は何となくそれに近い。それにも関わらず、容器の中のものを飲んでいく。
ぐびり、ぐびり。自分の喉がそういう音を立てた。
「……帰らなきゃ」
そうコップの中身を見つめながら、それは言う。それは隠匿されて行くのを感じる。何もかもが溶けていくのを感じる。自分が溶けて行って、何かに致命的に変わる感覚がある。何か、何かってなんだ。それって一体。
「帰らなきゃ……」
周りからそういう言葉が聞こえる。全員が、全員、うわごとのようにそれを言う。とくとくと新しいものが器にそそがれる。みんなで集まって、円陣を組んで、ぐびぐびと飲み干していく。
苦しい。ズタズタにされて、魚に自分が食われているのが見える。見えるというのも錯覚のはずなのに、確かに見える。海の底に真っ赤なしぶきを体中が吐き出しているのを見せられている。壊れているのに機能している。艦娘だからか。艦娘ってなんだ。兵器の名前だったか。
憎い。憎い。無性に何もかもが憎く感じられる。
「かえら、なきゃ」
帰ってどうするのか。帰っていったい何をするのか。それにはもう理解ができない。理解する必要がなくなった体。思考が引きちぎれて、むりやり継ぎ合わされたような感覚がある。憎しみという膠だけで継ぎはぎにされた感覚。
「でも……」
顔を上げる。もうそこに「赤城」は居ない。
「どこに。どうやって?」
空母棲鬼は絶叫した。人ではなにかのさけびに、いらえはなかった。
※この続きですが2026/8/15 土曜日 (1日目) 東3ヤ32bにて頒布予定です。