余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編)   作:小薮譲治

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第1部 周防大島攻略編 第3話 OMEGA7

「こんな時でもなければ綺麗だって言えたんだろうけどねえ」

 

 ぼそり、とつぶやく。その声を聞いて、山城は顔をしかめた。確かに、美しいとはいえたろう。らせんを描く道路が山肌にへばりつき、そして赤い橋につながり、曙光を受けて海に影を落とす。

交通の要衝であり、深海棲艦が呉に大規模侵攻を仕掛けられない理由でもある、音戸の瀬戸を通過したのだ。

 

 なぜ大規模侵攻できないのか、といえばごく単純だ。音戸の瀬戸は狭隘である。幅が90mほどしかなく、実際に航行できる領域は60mしかない。ここに機雷を仕掛けておけば、それこそひき肉で海が埋まるだろう。

実際、IFFで識別しているため山城は引っ掛からないが、すぐ近くを機雷が流れているのである。こんなところを大型艦である私に航行させるのか、と思わず唇を噛んだが、広島湾に出てから仕掛けたのでは、囮としての役目を果たすことができない。瀬戸内海は海戦をまともに行うには、あまりに狭いのだ。とくに、その狭さが広島と呉を天然の要塞と化していたが、今はその狭さが逆に作用している。

 

敵に周防大島を取られる、ということはそういうことである。地図を見てみればわかるが、広島湾を完全に蓋をする位置にあるのだ。そして、周防大島近海を通らないのであれば、ごく狭い音戸の瀬戸を通らざるを得ない。

 

 だから、彼女達の威力偵察そのものは囮の要素が強いとはいえ、重要任務なのだ。防備態勢を測り、最終的に周防大島に広島の陸軍を揚陸させ、撃破せねばならない。

 

「最上さん……本当に気をつけて。島側か呉側か、どっちにしても陸地に上がられてたら私たちはここで挟み撃ちなのよ」

 

「僕がそんなヘマするわけないでしょ」

 

 にっと笑って、20.3cm連装砲を付けた腕をあげ、空を指す。最上がカタパルトで打ち出した零式水偵が翼を振り、その後にゆるいバンク角を取りながら旋回している。

 

「そうそう。アタシの零式水偵も少し先に居るしな」

 

 そういって、摩耶も笑う。そうして、大浦岬を超え、情島の陰に潜みながら航行するうち、何かが切断される衝撃を受けた。山城は即座に損害参照。摩耶の零式水偵のうち1機の量子データリンカが破損した、という報告である。もう2機は、というと健在。急行し、映像を送ってくる。

 

「……おいおい、どういうことだよ。この距離で電波障害無しだって?」

 

 そうして、水偵が捉えた、倉橋島は大迫港の潰滅した埠頭の映像データを見て、山城は笑った。そこには、数隻の敵影がある。つまり、深海棲艦の足りないオツムでは常に妨害電波を放射しているのにも関わらず、それを切って偽装するだけの頭のよい敵が居る、ということだ。

 

笑うべきでない、というのは山城にはよくわかっている。だが。

 

「さあ、行くわよ。砲雷撃戦、用意!」

 

「ようそろ!」

 

 へへん、と笑って最上は敬礼を返し、砲撃コンピュータをリンクさせた。戦闘開始。

 

 揚弾機構が、弾丸を押し上げる。35.6cm連装砲、初弾装填。

 

「てーッ!」

 

 爆炎と黒煙が砲から吹き出し、山城の全身に衝撃を与える。その衝撃で瀬戸内の水面が波打ち、白波を立てた。さあ、私が海の女王、戦艦だという証拠を見せてやる。そういう凄絶な笑いを、乱れる髪のうちから覗かせた。

 

「観測ッ!」

 

 摩耶に山城は怒鳴る。摩耶はしばらく待ち、すでに大迫港には敵影がない、とデータリンクで報告を上げてくる。撃破したか、と一瞬考えたものの、すぐにその考えを捨てる。敵は移動をすでに開始しているものと断定してよい。なぜなら、最上が慌てて呼び寄せた水偵が大迫港から移動し、倉橋島の東端、亀ヶ首付近を航行している敵影を発見したからだ。戦艦タ級1隻、軽巡へ級1隻、駆逐ロ級6隻を確認。前祝いというにはあまりに精強な敵である。

 

「……にしてもよ、山城の姉御。港の漁船をぶっ飛ばしてどうするんだよ」

 

 摩耶の呆れた声がする。データリンクの映像には、見るも無残な形状の漁船が写っていた。というより、完全に元漁船、現瓦礫である。

 

「……」

 

 それを無視し、ぺろり、と上唇を舐めた。やっちゃった。と山城は思わず暗い顔をする。いくらなんでも慌ててぶっ放したせいで敵ではなく、味方の、それも一般人の漁船をぶっ飛ばしました、では恰好もつかない。

 

「……そ、そういうのは提督にお願いしましょう」

 

「……まあ、良いけどよ。そら、きたぜ!」

 

 亀ヶ首の陰から、敵影が現れる。ウォークライが響き、そして軽巡へ級とロ級がこちらに殺到してきた。タ級は、と考えたが、それよりも早く山城の体が動く。艤装が量子リンカに命令し、各人ランダムな之字運動を開始させたのだ。

 

「……チッ、砲撃開始!」

 

「そう来なくっちゃ!」

 

 へへん、と笑いながら、最上と摩耶は山城の計算リソースを使い、20,3cm砲を統制射撃する。軽巡が砲撃体制に入った瞬間に最上の砲弾が即座に外殻を引き裂き、そして摩耶の砲がとどめを刺す。実に効率の良い殺戮そのものである。

 

「例の姿が見えない大物を水偵で探す!姉御はそいつを狙ってくれ!」

 

 大声で摩耶が怒鳴り、再び射撃。敵のウォークライは甲高い女の悲鳴に変わり、青かった海が真っ赤に染まる。じぶじぶと海に沈みながら、青い目を怨念に光らせ、暴れ続ける敵を見るうちに、山城はぞくり、とした。

 

 水柱が左舷至近に立つ。桜色の装甲が展開され、水と、そして砲の破片を遮断した。だが、それでも一部の破片が透過し、左腕に突き刺さる。激痛。

 

「くううッ!」

 

 歯を食いしばりながら、艤装側が神経を麻痺させ、身体を『修復』していくのを待つ。虫が傷口を這いずるような不快感があるが、常人であれば痛みだけでショック死してしまいかねないのだから、文句も言えない。

 

 敵は、と目を血走らせながら、山城は周囲を見渡す。艤装が水面への入射角を算定し、おおよその位置を示した。山城から見て、左舷側、8時の方向に居る、と観測データを寄越している。

 

「山城!」

 

 そう言う最上は、水偵の観測データを寄越す。やれるか。と山城は考えるが、しかし。

 

 やる以外に、何かあるわけでは、無い。

 

「敵を観測……てぇっ!」

 

 艤装に諸元を入力し、すう、と滑りながら方向を変え、砲撃。再び白い波が彼女を中心に立ち、衝撃でひざが一瞬沈み、艤装に緩衝される。

砲弾が進む中、彼女は一瞬ぞっとした。水偵の映像データには、何が写っていたのか。

 

 微笑する、左顎がなく、そこから上あごの乱杭歯の覗く怪物の、戦艦タ級の姿だ。彼女は、射撃するでもなく、砲撃を受け、そして、爆炎を上げながら海に体を沈めて行った。

 

「……え……?」

 

 山城は、思わず声を上げた。バカな。もろすぎる。彼女の実戦経験はお粗末なものではあり、長らく戦艦娘たちの教官を務めてきた彼女をして、首をひねらせた。戦艦タ級は、彼女の砲の撃てる砲弾の直撃をもらったとしても一撃では沈まないからだ。常識的には。

 

「……やったの?」

 

「……そう、なのかしら」

 

 つぶやきながら、しばらく周辺の海域を警戒し、20分ほど見失っていないかも含めて、捜索をする。しかし、姿は見えない。

 

「……腑に落ちないけど、これ以上ここで捜索していても、威力偵察の任務が果たせるとは思えない。周防大島に進むべきだ。僕はそう思うよ」

 

「最上。それ本気で言ってるの?」

 

 山城はそう強い調子で聞くが、しかし。最上は肩をすくめて見せるばかりだ。

 

「といっても……アタシは深海棲艦が沈んだフリをする、なんて聞いたこともないぜ」

 

 摩耶は山城と同じく腑に落ちない、という表情をしている。とはいえ。

 

「ここで議論していてもしょうがない。進もう」

 

「アタシもそれがいいと思う。警戒は怠らない」

 

 山城は、首を振って、はあ、とため息をついた後、言った。

 

「わかりました。進みましょう」

 

 そういって、倉橋島の陰を渡りながら、周防大島に進路を向けた。

 

 

 

 

 

 確かに、最上も摩耶も警戒は怠っていなかった。しかし、水上は、という但し書きがついているものだ。

 

 水底で、戦艦タ級は微笑する。深海棲艦に知恵が回らない、と思っている彼女達の知恵のなさを笑っているのか、はたまた、別の何かに笑っているのか。それは、判然としなかった。

 

 

 

 

 

 

余計者艦隊 第3話 『OMEGA 7』

 

 

 

 

 

 

 時は、作戦開始時刻の少し前、0430にまでさかのぼる。山城は普段通り、駄々をこねて言うことを聞かない艤装に頭を抱えていた。整備員も同様に頭を抱えている。となりで艤装をまとっている鳳翔は、というとすでに装備を終え、量子リンカの規約も通していた。

 

「こんな時にまで……不幸だわ……」

 

 はあ、とため息をついて、唇を噛む。接続された艤装のステータスは、というと艦本式蒸気タービンに送られてくる圧が足りない、という警告だけではなく、正常なデータリンクが行われていない、という警告も表示されていた。後者の警告は、量子リンカの規約をまだ通していないため、当然の警告ではあるが、前者はそうではない。ボイラーから送気されてくる蒸気がうまくタービンに送られておらず、既定の圧が出ていないのだ。

 

 いったん機関を止めて、と考えたが、そういうわけにもいかない。再始動までには当たり前だが、時間がかかるのだ。小型艦、ようするに駆逐艦か海防艦であればともかく、彼女のような大型艦、戦艦であれば話が違う。現代的なCOGAGやCOGOGとは違い、彼女達艦娘の機関は『古い』ものであった。無論、石炭動力とまではいかないが、それでも重油を使うタイプのそれを模していたため、現代的といえるかというと、疑問はあった。

 

「……もう!」

 

 機関出力を上げようとするが、しかしうまく上がらず、山城の頭を悩ませるばかりである。粗悪な燃料が原因ならともかく、できる限りかき集めたマシな燃料が今回は供給されているのだ。

 

「おう、どうした?」

 

「……提督?」

 

 そういえば、提督は機関科だった、と聞いている。見て何かわかるかもしれない、と考えたが、顔をしかめる。いわゆる将校が下士官たる整備員以上に整備知識があるのなら、苦労はないのだ。おまけに、彼は普通の船の乗務をしていたのであって、艦娘の整備担当だったわけではない。

 

「……本当にどうした。トラブルか?」

 

「……いえ、その」

 

 顔をしかめながら、提督が歩み寄ってくる。整備員に顔を向け、口を開いた。

 

「……どうしたんだ?」

 

「いえ、既定の圧が出ないのです。このように」

 

 ふうん、と言って、整備員が指した山城の艤装のメンテナンスパネルを見て、既定の圧が出ていないことを確認し、さらにその下を見る。んん、と声をだし、片眉を上げて、整備員に再び聞く。

 

「燃焼缶単独のテストモードになってないか? これは。いや、タービンに送気されてることも謎だが」

 

「……えっ、あっ?」

 

 慌てて整備員が確認し、そして顔を青くして、接続していたPCのコンソールを叩く。テストモードから、通常のモードに変更され、正常な送気が開始される。

 

 真っ青な顔になりながら、整備員はコンソールを置いて、直立不動になる。

 

「……私が悪くありました!」

 

「あ、そう。……まあ、疲れてるのは俺もわかるから、気を付けることだ。単純ミスも増える。人員が足りないからダブルチェックもできんだろうしな。頼むぜ」

 

 肩を軽くたたきながら、続きをやるように、と言って立ち去っていく。青い顔をしていた整備員は、山城の顔を見て、慌てて準備を再開した。

 

「ああいう人は珍しいですね?」

 

 その声を聞いて、山城は顔を向ける。鳳翔が微笑んでいた。あいまいな笑いを浮かべながら、返す。

 

「ええ……でも、これでようやく実戦に出られます」

 

「……ええ、そうね」

 

 山城と鳳翔は、お互いに、苦い笑いを浮かべた。山城は戦艦担当、鳳翔は空母担当の教官だったのだ。山城はこの手の『欠陥』に悩まされ、鳳翔は『搭載量不足』に悩まされ、ここに居たのである。もっとも、山城の今回の事象は、欠陥というよりも単なるヒューマンエラーだが。

 

「あなたは……いいえ、なんでもないわ」

 

 そういって、鳳翔は下を向いた。山城は、彼女はこのようなタイプだったか、と一瞬首をひねる。どちらかといえば、空母艦娘におそれられる鬼教官だったのだ。小さな体で怒鳴り散らし、事情があったのかは知らないが、遅れてきた艦娘に一分一秒の遅れが何千人の部下を殺す自覚はあるの、と胸倉をつかんでいたことを、遠目に見ていたことをよく覚えている。その分、山城はある程度は優しくしてきたつもりではあった。

 

ただ、教え子たちに『地獄の山城』と呼ばれていたことを知って、少しショックではあったが。なお、鳳翔は『蛇の鳳翔』などと呼ばれていた。昔の戯れ歌だと戦艦ばかりではあったが、今時分は空母もそこに名を連ねている。

 

 そういえば、加賀は鳳翔を見て一瞬体を固くしていたな、と思い出す。そして、例の『青虫』などと言われる、この地上で一番ダサいIJNと刺繍された恥ずかしいジャージを着て、よく胸倉をつかまれては怒鳴られていたのが、彼女だったことも思い出した。私でもあれはなあ、とよく同情したものである。

 

「よし! 出撃準備、完了しました!」

 

 そう言うと、コンソールポートからRJ-45コネクタケーブルを抜き、パネルを閉めて整備員が敬礼してくる。それに答礼を返し、機関が正常に艤装の重量を中和していることを、歩行して確認する。作戦開始予定時刻たる0500まであと10分と、かなりギリギリの時間ではあった。

 

「ふふ……」

 

 思わず、微笑する。山城は今まで送り出す立場だった。戦死広報を見て、そのたびに涙する立場だった。だが、今は違う。彼女たちの仇を取れる立場になったのだ。

 

 

 

 

「あ、遅いよ、山城」

 

 そういうのは、ショートカットの黒髪の少女、最上だ。山城は走ろうとして、やめた。いかに重量が中和されているとはいえ、質量が中和されているわけではないため、水上でないと体が振り回されるためだ。

 

 彼女が山城、と呼び捨てにするのは、おそらくは艤装の記憶が流れ込み『西村艦隊』で戦ったから、という意識があるからだろう。

 

「艤装の調子が悪くって……」

 

「ええっ、大丈夫なの?」

 

 平気よ、と山城はなるべく不敵な笑いに見えるように、笑って返す。その隣で、蚊帳の外だった摩耶が胸をそらして言った。揺れている。こう、たわわに。

 

「頼むぜ、姉御」

 

「姉御?」

 

 伝法な口調だなあ、と思わず考えたが、山城も少しは気に入った。なんとなく、その方がこの子とはうまくいく、という意識もあった。

 

「おう、そろったか」

 

 その声を聞いて、山城は顔だけを向ける。慌てて振り向くと、艤装の質量に体が振り回されるのだ。

 

 そこには、提督と、例のダサいジャージを着て怒られていた時とは比べ物にならないほどしっかりしている加賀が立っていた。手には、赤く秘と背表紙に記されたファイルが握られていた。

 

「さて、諸君。……まあ、言いたいことは言ったから、全員生きて帰ってきてくれ」

 

「おいおい、締まらねーなあ、提督」

 

「摩耶、冗談じゃないぞ。これは命令だ。一人でも欠けてもらっては困る」

 

 そういって、加賀に目で合図する。

 

「君たちにはある情報を説明しておく。……電が居ると説明できないからな」

 

 加賀はファイルを広げ、山城に手渡す。それを、左右から最上と摩耶がのぞき込んでいた。

 

 そこには、艤装の映像データが写真に写されていた。電の視覚データを出力したものである。そこには、何かを掲げている戦艦タ級が写っている。幸い、何が掲げられているのかはわからないが、きっと不愉快なものだろう。そして、その深海棲艦の顔からは、左顎が失せていた。

 

「この深海棲艦には気をつけろ。……ああ、戦艦タ級だから、じゃないぞ」

 

 そういって、加賀をちらり、と見てから、提督は続ける。

 

「こいつは『頭がいい』からな」

 

 そういって、詳細を説明し始める。山城は、思わず息をのんだ。何しろ、敵と見れば襲い掛かり、戦術もなく砲撃するばかりの深海棲艦たるこの戦艦タ級は、加賀を『見逃した』のだから。

 

 

 

 

 

 

「なあ姉御、聞いてるか?」

 

 その声に、山城ははっとなる。周防大島に近づくまでに、哨戒していた敵水雷戦隊、軽巡1と駆逐艦4で編成されたそれと二度ほど遭遇し、撃破してもなお、気がかりなことがあったのだ。

 

 あの『右腕を折り、戦力を喪失した加賀』をあえて見逃した戦艦タ級が『あの程度』でやられるとは、山城にはどうしても思えなかったのである。

 

「ええ、もちろん。……そろそろ、安下庄地区が見えるわね」

 

「ああ、ならいいんだ。……連中、何をやってるんだろうな」

 

 そう答えるが、しかし。どうにも気がかりである。彼女は不運だった。だから、それゆえに、何か落とし穴がある、と思えば、特有の『勘』があった。最大の問題は、それを回避することができないからであるが。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、その予感は的中することになる。

 

「紅茶が飲みたいネー」

 

 白いクロスの上に、栗色の髪が踊った。うう、とうめきながら、その少女はため息をついている。

それを聞いて、山城はピクリと片眉を上げる。緑茶に口をつけた少女は開口一番そういったのだ。

 

「私の淹れた緑茶では不満かしら」

 

 我ながらケンのある声だ。と山城は自覚する。緑茶の入手もかなり苦心したし、第一民間では餓死寸前の人間だって珍しくはないのだ。艦娘以外の軍人にしたところで、量的なそれはともかく質的なものはかなりお粗末になっている。

前線に居た彼女はよくわからないのだろうが、と口に菊を象った砂糖菓子を入れ、緑茶に再び口をつける。独特な苦みと、ふわりと抜けるさわやかな香りがし、舌の上で砂糖菓子がほどけ、強い甘味が苦みを和らげ、香りだけを残す。

 

 わからない、で言えば、こちらも前線のことはわからないのだから、同じか。と表情を和らげた。

 

 目の前に座っている少女は、つややかな栗色の髪を垂らし、ぴん、と触覚のようなものが立っている。目は、というと海の青だ。そこには知性と、快活さの双方が宿っていた。巫女装束を少し改造したような艤装から肩が覗き、すべらかな白い肌の下には、うっすらと張りのある筋肉が見えた。ほっそりとはしているが、よく鍛えられている。

名は、金剛という。金剛型巡洋戦艦一番艦だ。

 

「そういうわけじゃないんデース。山城……教官」

 

 山城教官、と呼ばれて、ふと可笑しさを山城は覚えた。史実で就役したのは金剛が先で、山城は後。むしろ金剛のほうが先輩と言える。

それは第二次世界大戦が勃発した世界での史実であり、この世界でも史実と言える。では、なぜ山城が教官なのか、というと、艤装は確かに金剛型巡洋戦艦『金剛』のほうが先に開発され、扶桑型戦艦『山城』は後に開発された。ただし、その艤装に適合する人間のほうが遅れた。扶桑、山城姉妹は先に就役し、扶桑は佐世保、山城は呉に送られ、史実通りの欠陥戦艦として教官に回された。金剛は呉で山城の嚮導を受けたのである。これは伊勢や日向も同様であった。

 

 教官としての山城の評価はどうか、というと『地獄の山城』であった。優しくしているつもりなのだが、どうにも指導に『熱』が入ってしまうきらいがあり、厳しかったのは間違いはないだろう。

 

「……まあ、わからなくもないわね」

 

 目の前の金剛はイギリスから帰ってきた本物の帰国子女である。下の妹たちは、というと、国内に居たらしい、ということであった。

そして、イギリスで広く飲まれている紅茶の産地はどこか、というとインド亜大陸とその近辺、中国紅茶もあるが、どちらにしても、台湾が失陥した今、国内には入ってこない。日本産の紅茶は細々と生産が続けられてはいたが、べらぼうな値段がついている。

その点、コーヒーも同様ではあったのだが、米軍のハワイという要塞がまだ機能しているため、多少マシではあった。

 

「国内の業者は作ってくれないんデスかねえ」

 

「あるけど高いわよ?」

 

「Bloody hell…!」

 

 ううう、と嘆く彼女を見て、思わず山城は笑った。転勤前のあいさつに、ということで自分の部屋にやってきていた彼女が、相変わらずだったことに、だ。

 

「そういえば、山城キョーカンのエルダーシスターに会いまシタ!」

 

「……扶桑姉さま?元気だったかしら……」

 

「牡蠣に当たってマシタ」

 

「……相変わらず不幸だわ……」

 

 姉の姿を思い浮かべる。優しげな笑みが今は苦悶の表情になっていると思うと、なんとなく悲惨さを覚えるが、しかし牡蠣か、という呆れもなくはない。

 

「ああ、ソーデシタ、ワタシは佐世保に転属デース」

 

「それは最初に聞いたわ」

 

「山城キョーカンは?」

 

「……今、一人工廠に居る子にいろいろ教えてるの。だから転勤はないと思うわ」

 

「ソーデスか!」

 

 そういって、笑った。その笑顔を見て、山城は何かいろいろと救われた思いになる。戦況は苦しいが、この明るさは救いだ。

 

 だが、金剛は沈んだ。佐世保に転属したその日、イ号集団とロ号集団が大挙して押し寄せた。再編成の真っ最中だったため、指揮系統に混乱が見られたが故の、大被害であった。

 

 

 

 

 

 

「姉御?」

 

 その声を聞いて、はっとなる。安下庄地区に突入する段取りの再確認をしていたところだった。

なぜ、今金剛のあいさつのことを思い出したのか。と一瞬考えるが、すぐに首を振ってそれを打ち消した。

 

「光学観測は?」

 

「……それが……水偵の映像を送る。敵の砲に撃墜される前までは見えてたんだが」

 

 映像を転送してくるが、そこには黒い粘液のようなものがべったりと一面に張り付いていた。浚渫された安下庄港がアスファルトで舗装されているようにも見える。通常の深海棲艦の占領地に対して行う処置とはずれがある。通常は、もっと脈動しているように見えるのだが。

 

 光学映像に対する欺瞞かとも考えたが、そうした『手管』を使う頭は深海棲艦にはない。はずだ。

なぜ、いま私は戦艦タ級『スカーフェイス』のことを思い出したのだろうか、と首を一瞬ひねるが、口には出さない。撃破したはずだからだ。

 

「……航空機の滑走路のようにも見えるわね」

 

「僕もそう思うんだけど……こんな滑走路、必要とするような深海棲艦、居るかなあ?」

 

「アタシも心当たりはない。空軍連中なら必要だろうが」

 

 ううん、と言いながらも、山城は前進を選択する。突入してみればわかることだ。何しろ、速度を落としつつ航行していても妨害はないのだから。

 

「……なあ、鳳翔姐さんの航空機支援、来てないな?」

 

「もともと後詰よ。期待しすぎてはいけないわ」

 

 そういって、山城は息を吸った。

 

「両舷全速! これより、周防大島に突撃する! 目標は安下庄地区! 生きて帰るわよ!」

 

 タービンエンジンがそれに応え、甲高い音を立てる。遅れて、速度が上がった。本物の戦艦であればもっと増速に時間がかかるが、彼女たちははるかに軽量な艦娘だ。すぐに、山城の速度計が25ノットを指す。

 

 楔形の陣形を取り、山城が最上と摩耶の前に立つ。海の女王たる戦艦の本領は装甲と火力だ。下々はついて来い、といわんばかりの自信が、彼女にはある。

 

「敵の歓迎委員はまだかよ?」

 

「敵影見えず。……いや、音が……紫電改のエンジン音だ!」

 

 顔を上げる。そこには、鳳翔の艦載機、紫電改が飛んでいる。そして、データリンカが接続されていないため、何事かを伝えるために投光器で信号を送ってくる。

 

「摩耶、解読!」

 

「了解。……テッタイセヨ。……撤退だあ?!」

 

「ええっ?!」

 

 島の陰が見える。くそ、ここまで来て。と山城は歯噛みするが、次の摩耶の声は震えていた。

 

「ヒメギミガイル」

 

 嫌な予感は、的中した。

 

 

 

 

 

 深海棲艦が何を考えているのかはわからない。わかろうとしていないからだ、と言う者たちは居るが、しかし対話を拒絶しているのは彼女達だ。どこからともなくやってきて、己が怨念をぶちまける。すなわち、殺戮によってだ。

戦艦タ級『スカーフェイス』は、敵の情報を感じる。量子データリンカが手に取るように『敵の情報』を伝えてくるからだ。口や電波でのそれは検知できないが、今暴れている三人と、響と呼ばれていた個体のそれは手に取るようにわかった。

 

 笑う。左頬を修復しないのは、それが愉快な反逆だったからだ。羽虫がごとき駆逐艦が、海の女王に歯向かった。その一事が、彼女にとっては愉快でならない。

そして、死んだと思いこんでいることも、同時に愉快でしかないのだ。

 

 響を生かしておくのは楽しかった。目を潰され、消耗していく彼女を眺めるのは喜悦そのものであった。それが故に生かしていたのか、といえば違う。彼女は餌だった。

なにか秘密の作戦を行っている、と言うところまでは各種の電話線から放射される磁場を傍受し、解析することで了解できていたのである。予想外だったのは、救い出した娘達が強く、そして陸軍に『あきつ丸』と呼ばれる個体が居たことだ。作戦は失敗したが、響をなぶることで怨念返しはできた。

 

 だが、もっとも面白いのは。

 

後ろを振り返る。腕を組むヲ級2隻と、重巡リ級2隻が喜悦に顔をゆがめた。スカーフェイスは、再び笑った。

 

 罠にはまる羽虫のみじめさは、愉快なものだった。

 

 

 

 

 

 

「畜生……!」

 

 山城は血が流れ続ける右腕に止血帯を巻き付け、応射する。その視線の先には、安下庄地区の滑走路の先で笑う深海棲艦の姿がある。敵の赤い装甲が、その砲弾を受け止め、破片が海に白い泡をたて、飛び散った。

飛行場姫。そう呼ばれる個体の姿が、そこにはあった。燃えるような赤い瞳と、性別すらわからない白一色の異形。憎悪と喜悦を内包した、深海棲艦の姫君の笑顔を浮かべていた。確認したその時には、すでに敵航空機が上がっている。紫電改は、落とされた。

 

 津和知島と情島の間を通り抜けた頃には、敵の航空機が矢のように降ってくる。まるで、空が蝙蝠に占められたかのように、真っ黒だった。

ぬらりと太陽の照り返しを受け、光るその機体が、1トン爆弾を落とし、魚雷を発射し、そして自動化された機銃システムがそれを迎撃しよう、と必死の抵抗を行う。回避運動をしながら、波を浴び、破片を浴び、そして。

 

「畜生……!」

 

 最上と摩耶は、と後ろに目を向けると、同じく機銃で対抗し、しかしそれでもさばききれなかったのか、最上は20.3cm連装砲のうち一つがひしゃげている。同じく、右腕に破片をもらい、力なくぶら下げていた。

 

「姉御ッ!」

 

 その鋭い叫びに、はっと思わず負傷した右腕を上げる。機銃が反応し、撃墜しようとするが、しかし。

爆炎。激痛。

 

「ちくしょおおおおお!」

 

 嘆きなのか、痛みの表明なのか、すでにわからない。山城は混濁した意識の中、ずぐん、ずぐん、と動かす度に鈍い衝撃が走る腕を掲げる。いや、それは腕だったのか。妙に黄色い脂肪の層。ぐずぐずに引き裂かれた筋線維と、暴れながら血を吹きだす動脈。しろいほね。

 

「姉御ッ!」

 

「私に構わないで! 前進、前進よッ!」

 

 止血帯を強く締め、血が噴き出さななくなったことを確認すると、は、は、と強く息を吐く。

 

「ちくしょう……!」

 

 何が海の女王だ。と歯噛みする。このまま逃げればどうなるのかわかっているのか。お前は広島市街にこの敵を誘導するのだぞ。と冷静な頭が語る。

汗と脂とでひたいに張り付いた髪が不愉快だ。と右腕ではらいのけようとし、下唇を噛む。

 

「ちくしょう」

 

「姉御ッ!このままだと広島湾に出ちまう! 現在地は柱島周辺!」

 

「わかってるわ!」

 

 どうする。考えろ。考えるのだ。どこに逃げればいい。

 地図データを呼び出す。このまま北上は論外だ。どこ、どこへ。と目を動かすと、安芸灘の文字が目に入る。倉橋島と、江田島の間。

 

「……倉橋島と江田島の間に向います! そこを抜けて……!」

 

「抜けてどうするの?! 呉にこいつらが来ちゃう!」

 

「……くそ!」

 

 呉にこいつらを誘引することに。と考え、再び砲撃しながら、全速で前進する。扶桑型戦艦は足が遅い。私のせいで、もっと足の速いこの子たちが逃げられない。そう思った瞬間。

 

「……あなたたちは先に行きなさい」

 

 それが、口をついて出ていた。

 

「はあ?! 何考えてんだよ!」

 

「行け! 命令するわ、高雄型重巡洋艦『摩耶』! 行きなさい! ……あなたもよ、最上!」

 

 最上は、こちらの目を見て、うなずき、摩耶に目くばせする。進路をわけ、終われながらも、彼女たちは首尾よく変針。山城は、大物食いに目がくらんだ連中が空を埋め尽くすのを見て、笑った。

戦艦とは何か。艦隊の盾である。なればこそ、今ここに居るのだ。

 

「さあ、かかってきなさい!」

 

 発狂せんばかりの調子で、空に向って叫び、砲撃する。砲弾が『命中』し、敵機をへし折った。

 さあ、来い。相手になってやる。姫君だ、とそちらが誇るなら、こちらは女王だ。矜持を見せてやる。そう言わんばかりの調子で、顔を上げた。

 

「不幸だわ」

 

 顔を上げながらでも、そう言ってしまうのは彼女らしさでもあった。

 ごっ、という音がする。発砲炎が目を覆い、そして黒煙が彼女の白い装束を煤で汚した。

 

「こい、こい、来い!」

 

 さあ、一分一秒でも押しとどめるのだ。囮とは、そういうものである。

 

「てめえ、最上!」

 

 そういいながら、摩耶がつかみかかろうとして、やめた。

 

「……ボクたちは帰らないといけない。山城さんだってそれはわかってるはずだよ」

 

「なら、なんで!」

 

 最上は、右腕を上げようとしている。そして、動かない事に歯噛みすると、左腕でぐっと目をぬぐい、怒鳴り返した。

 

「うるさい! そんなこともわからないのか!」

 

「……クソッ」

 

 江田島と倉橋島の間の早瀬大橋の下をくぐる。その陰の下で、最上は口を開いた。

 

「帰ってくるよ。ぜったい。……絶対……!」

 

 

 

 

 

「ふ……ふ……」

 

 ばしゃり、と音を立てて、水面につっぷす。機関出力が上がらない。戦艦の艤装はそうそう沈みこそしない。だが。

 

「逃げ切れたかな……」

 

 敵の航空機の姿が、目に入る。緑色の排気炎をたなびかせ、突っ込んでくる機体は、1トン爆弾を投下するが、穴だらけになった桜色の装甲を貫通できない。

 

「……砲は……だめか」

 

 完全に砲身がひしゃげている、というステータスを返してくる。帰れたとして、しばらく艤装は使い物になるまい。入渠している間に、何とかなるものでもないだろう。

 

「……」

 

 生きて帰ってこい、という命令は果たせそうもない。そう思い。目を閉じた。

 血が、生命が抜け落ちていく。そして、ささやき声を聞いた。

 

「オイデ」

 

 ああ、なんと甘美な誘いだろうか。

 

「ナカマニ」

 

 仲間。仲間か。

 

「ナカマニナロウヨ」

 

 幻聴にしては、具体的なことを言う。そう山城は考えた。山城、山城とは何だったか。

体が、ずぶずぶと海に沈んでいく。だが。

 

 エンジン音。プロペラが風を切る音。

 

「起きなさい!」

 

 ぐいい、とすさまじい力で引き上げられる。痛覚をカットしていた艤装が機能不全を起こしているため、激痛が走った。思わず、悲鳴を上げる。

 

「痛ぁ!」

 

「生きてる証拠ね」

 

 さらり、と返しながら、曳航索を艤装にカラビナでつないでいく。その姿は、桜色の着物と、藍色の袴を履いた女性のそれだった。

 

「鳳翔、さん」

 

「助けに来た……というかまあ、敵航空機を少しでも減らそうと思って来たら、このありさまというべきかしら。最上と摩耶に感謝するのよ?」

 

「私たちも居るわよ! もう、山城さんは何聞いてたのよ」

 

 曙が憎まれ口をたたきながら、対空砲を連射する。その隣で、あわあわと慌てながら、砲撃を開始。

 

「い、生きて帰らないと、ダメなのです……」

 

 その一言で、気合が入った。う、とうめきながら身を起こそうとし、鳳翔に曳航の邪魔だからおとなしくしていて、と釘を刺された。

 

「……痛い」

 

 あまりの痛みに頭がぼうっとする。航空機を紫電改が追いまわし、落としていく。飛行機雲が絡み合い、対空装備をさほど積んでいなかった敵戦闘機は、良いカモであった。だいいち、足が遅い。

 

「遅い……」

 

 ああ、私ももう少し足が速ければなあ、と思わず、山城は嘆いた。

 

 

 

 

 

 

「山城が大破した?!」

 

 作戦発起後、指揮統制艦(注:現実には揚陸指揮艦である)合衆国から購入した強襲揚陸艇『ブルーリッジ』のレーダーブリップの光だけが緑色に光る、暗闇に包まれたCICで、提督は大声を出す。鳳翔、曙、電とのデータリンカをオンにしている加賀が、その声に驚いたのかびくりと体を震わせた。

 

 港から出航はしていないものの、AN/SPY-3レーダーをアクティブにし、戦況をモニタしていたのだ。そして、そこで突然周防大島がジャマ―の覆域に覆われたため、慌てて加賀に艤装を着用させた。もっとも、事前にデータリンカを同期していたあたり、このような事態は加賀も予期していたらしいことがわかる。

 

「は、はい。……ですが、鳳翔が回収を完了したとのことです」

 

「回収……鳳翔が前に出た、ということか」

 

「その通りです」

 

「死ぬ気か?」

 

 思わず、そう言ってしまう。提督はいかんな、と思うものの、思わずそう考えてしまう。

空母は砲雷撃戦の距離で戦闘を行うべき性質の船ではない。当たり前の話だが、飛行甲板がその艦体の大半を占めているためだ。艦娘でもそれは同様である。いや、むしろ艦娘のほうが空母搭載用火砲は少ないため、より大きな問題と言えよう。

 

 ゆえに、死ぬ気か、と提督は言ったのである。ごく常識的な意見ではあった。

 

「……いえ、そうとも言えません。まともに曳航できる最上、摩耶ともに補給の必要がありました。電と曙は一回戦闘を行ったのみですが、戦艦の山城を曳航するには出力不足です。扶桑型戦艦をここで失うリスクと、軽空母鳳翔が撃沈されるリスクを、あの人は天秤にかけたのです」

 

「両方沈むリスクも……いや、まあいい。全員が助かったのだから、それでいい」

 

 そう聞いて、あまりわからないが、少しばかり表情をゆるめ、左と右を見て、加賀は小声で言う。

 

「それで……どうなさるおつもりですか」

 

「どうなさる、とは」

 

「……山城の修復です。最上も同様にひどい損傷を受けています」

 

「……資材は?」

 

「無い……いえ、あるにはあります。ですが」

 

 そういって、加賀は口ごもる。それを見て、提督は顔をしかめた。

 

「どういう意味だ。ない、と言ったと思ったらあるにはある? はっきり言わないか。君は兵学校出たての新品少尉ではなく兵学校を出た大尉待遇ではないか」

 

 こういったあいまいな報告はしてはならぬ、と言うのが彼の士官として受けた教育であった。もっとも、こういったごまかしの報告ばかりうまくなったのが、ろくでなしの機関科大尉としての経験であったが。

 

「あるにはあるのです。ですが、それは未成艦の艤装を取ってくる必要があります」

 

「……具体的には?」

 

 雲行きが怪しくなってきたぞ。さらにここで口ごもる、と言うことは、相当に危ない橋だ、と言うことだ。

 

「日向を航空戦艦に改修するために製造されていた飛行甲板が一つ、あります。それ以外にも……」

 

「そっちは問題がない、と言うことか。で?」

 

 ごくり、と加賀の喉が動くのを、提督は見た。よほどまずいのだろう。前任者の帳簿のごまかしの結果出来上がった何かか、と楽観的な見通しを立てていた。

 

事実は、そんな程度のものではなかったのだが。

 

「提督。呉海軍工廠では、大和を建造しています。それの艤装の46cm三連装砲があるのです。……艤装の適合化手術がまだ行われていませんが、大和本人もいます。だから、余計にまずいのです」

 

「……そういうことか。彼女はこちらの所属とはなっていない。工廠としても、はい、そうですか、と引き渡せるクラスの船ではない。第一、まだ『艦娘になっていない』のだな? 仮に、艦娘にするなら最短でどの程度必要か」

 

 そういうと、事前に調べてきたかのように、即座に返事が返ってくる。

 

「慣熟も含めれば、2か月は最低でも必要です。戦力化という意味合いであれば、また違ってきます。半年は必要です。……事前に今回の山城が教育を行っていたようですから、短縮できる公算は高いですが」

 

 それを聞いて、提督はCICの天井を見上げた。半年間の抵抗。確かに呉鎮守府だけならばなんとかなるかもしれない。だが、避難民がそれに付き合ってくれるか。といえば、はなはだ疑問と言うより、無理だ。警察と陸軍憲兵隊が協力してなんとか暴動の芽を摘んでいるが、半年も、となると不可能事である。おまけに、在郷軍人会のうち、過激なメンバーが『義勇軍』を結成した、などという話すら聞こえてくる。

 

「大和を艦娘にして就役させる、と言うのは捨てよう。それはありえんことだ」

 

「では、どうされますか」

 

「徴発する。否やは言わせない」

 

 そう提督は言うと、陸戦隊を編成せよ、と命令を下す。工廠の連中がおとなしくよこすならよし、寄越さないなら腕ずくで奪う。長らく、艦隊勤務で海賊狩りを陸軍と一緒にやってきて学んだ処世術であった。

 

 

 

 

 

「損傷個所をチェックします。艤装を外しますからね。……おい、この子に脱脂綿噛ませろ。痛みで舌を噛み切るぞ」

 

 山城はベッドに横たえられる前に、摩耶と鳳翔に支えられ、クレーンで艤装を外す。苦悶の声を上げ、真っ青な顔をしているが、それでも意識を失っていないのは、さすがとは言えた。提督は、腕がちぎれてなお、気を失っていないあいつは相当なタマだな、と実弾の入った弾倉を拳銃に装填し、スライドが前に進むのを確認する。

 

 青を基調としたピクセルカモの作業服の上に防弾チョッキと、ひざ当て、肘あてをつけ、同じく作業帽をかぶった格好は、提督には見えないな、と、押し付けられた階級に見合わない自分を顧みて、視線を後ろを見る。陸戦隊員は、なぜ集められたんだ、という疲れた表情を見せていた。あちこちの部署から引き抜いてきたため、武装はともかく、作業着の色も新旧入りまじり、提督と同じくピクセルカモの作業服を着ている者もいれば、旧型の陸自迷彩や、旧型の作業服を着ているものも居た。

 

 まあ、いい。と提督は笑った。それを見て、艤装を付けた加賀は顔をしかめていた。いくらなんでもやりすぎだ、と言わんばかりである。

 

「海軍工廠を敵に回していいことはないですよ」

 

 それを聞くと、提督は思わず笑った。

 

「連中、賄賂を取るしか仕事をやってないじゃないか」

 

 現場でさんざん『袖の下』を要求されてきた提督からしてみれば、おそらく断られるだろう、と予期していた。そうして、事実要求した資材の提供は『断られた』のである。もっとも、最上の航空巡洋艦改装用の資材はあっさり送られてきたから、おそらくはこれで我慢しろ、と言うことだろう。

 

 だが、それが許される状況などでは、なかった。

 

 

 

 

 

「分隊、集まれ!」

 

 そう声を発すると、小銃をがちゃがちゃとならしながら、陸戦隊員が集まり、整頓して、最上級者が報告を上げてくる。

 

「坂井曹長以下14名、集合終わり!」

 

 曹長に敬礼を返すと、即座に銃点検の指示をおこなう。使用している小銃は豊和64式小銃で、弾倉をつけていないか、そして銃弾が薬室に装填されていないかを確認し、元に戻す。

 

「よし、各員、弾薬を受領せよ。これは実弾だ。指示があるまで絶対に装填するな。わかれ!」

 

「わかれます!」

 

 そういうと、実包の入った弾倉を、控えていた武器係に次々に支給される。防弾チョッキに押し込む者もいれば、作業服の弾倉用のポケットに入れるものも居る。全体的に動きがもたもたしているため、怒鳴りたいのをこらえた。

 

 再び集合させ、もう一度銃点検を行い、指揮のもと進ませる。加賀は、というと、艦娘が人間に銃を向けると政治的にまずいのです、と短く返され、鎮守府の執務室で通常業務を行っている。

 

 そして、さすがに海軍工廠も『こういう事態』になるとは考えていなかったためか、営門で押し問答を行い何とか通り、艦娘用の艤装担当者を呼びつける。

 

「我々は正規の書類でそちらの『艤装』を供出するように要請したはずだが」

 

 それを聞いて、担当者は顔をしかめた。

 

「なぜ我々が貴官の要請を聞かねばならん。そのような根拠はない! 第一、お前は機関科だろう!」

 

 しばらく押し問答を繰り返し、ついに提督の堪忍袋の緒が切れた。銃を引きぬき、顔につきつける。

 

「黙れ、これが根拠だ!」

 

 それを聞いて、鼻白んだ調子を見せるが、ふん、と担当者は鼻で笑う。

 

「協力の対価がなければ我々も協力できない」

 

 提督は、薄く笑った。そうか、ドルがいいか、と言って、肘を曲げて、勢いよく腕を引き、胴に蹴りを入れる。うめき声とともに弾き飛ばされ、倒れこんだ。それを見て、銃で狙いをつける。

 

「そらよ」

 

 日本国民の税金を発砲した。撃鉄が雷管を叩き、銃弾が撃ちだされ、倒れた男の膝にめり込み、そこから赤黒い血が噴き出す。

 

「円で悪いな。これしか持ち合わせがない」

 

 傷口を蹴り、苦悶の声を上げる担当者に向って言い放つ。それを見て、ひとりの少女がこちらをにらみ、声を張る。

 

「何をしているのですか!」

 

 長い黒髪を結い、凛とした声を発する少女は、こちらに怒りのまなざしを向ける。ここに居る、と言うことは、と類推するまでもなく、胸に名札がついていた。そこには『大和』と書いてある。

 

「賄賂をプレゼントしてるんだ。円で申し訳ないが」

 

 ふん。と笑う。しかし、その裏では、しまった。という後悔もあった。当然である。味方に向って発砲して、おそらくは大和になるであろう少女の目の前でそれをやらかしたのである。

 

「……味方に……味方に銃を向けて……」

 

 わなわなと唇を震わせている。それに向って、なるべく傲然と言い放つ。

 

「お前の艤装のある場所に案内してもらおう。我々にはそれが必要でな……おい、坂井曹長、死なれても困るから手当してやれ」

 

 そういって、目くばせをすると、曹長は『胸はすっとしたが』という複雑な色の視線を向けてくる。わかってる。十分に。

 

「あなたは……クズよ!」

 

「知ってるさ」

 

 そう笑って、提督はあるものを手に入れた。戦艦日向の改装資材と、そして。戦艦大和の艤装を強奪する。

 

 

 

 

後々、これが大問題に発展するのだが、それは言うまでもないことであった。

 

 

 

 

余計者艦隊 第三話 OMEGA7 -了-

 


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