余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編)   作:小薮譲治

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第1部 周防大島攻略編 第5話 Impostor

 知りたくもないことを知る、と言うのは、どういう気分だろう。と時折考えたことがある。手のひらを、オレンジ色の非常灯にかざして、血管が透けて見えないかを試してみて、笑った。

 自分が一体何なのか、を悩む余裕がある、というのは、彼女にとってはひどくうらやましいことであった。その苦悩がたとえ、自分が怪物かもしれない、というものであったとしても、だ。

 

「バカみたい」

 

 ふん、と笑って布団を引きかぶる。手のひらで、ごし、と目元をこすった。

 

「……バカみたい」

 

 曙は、そういって何かを笑った。

 

 初めて目を覚ました時、自分が何者かを既にしてわかっていたのは、不幸だったのか、どうか。いや、わかっている、と言うよりは知っている、と言う方が適切かもしれない。なぜなら、自分の記憶は植えつけられたものであったからだ。オリジナルのある時点での記憶を焼き付けた存在。そして、艤装から流れ込んでくる『記憶』を受け止める器としての存在。

 

それが、綾波型駆逐艦『曙』のすべてだった。すべて、という言い方は不適当かもしれない。すべてと言えるほどのものは持っていなかったのだ。オリジナルの『曙』であった少女の持っていたものは、そして駆逐艦として生まれ、水底に沈んだ『曙』の持っていたものは、持っていない。

 

 オリジナルの親は生きている。らしい。らしい、というのは、曙は接触を禁じられていたからだ。彼女にとって、海軍は親であり、家であり、おそらくは墓場になるものである。

 

 ただ。そう曙は思い返す。妹とは会えた。だが、自分の出自を思い知らされただけだった。

潮。妹のはずの少女の顔を見た瞬間、曙はうれしかった。確かに、記憶の中では彼女は間違いなく妹だったのだ。だが。潮の顔は、ひきつっていた。

 

 お構いなしに話しかけ、笑いかけたと同時に、目に涙を浮かべた妹のはずの少女から、叫び声が上がった。

 

「曙ちゃんと同じ声で話しかけないで!」

 

 叫ばれた瞬間、曙は逆上し、潮のほほを張っていた。自分でも、なぜそんなことをしたのか、わからない。それが、潮にとってのとどめだったらしい。そして、曙にとって致命的な一言が、潮の喉から発された。

 

「曙ちゃんは死んだのに、どうしてクローンのあなたが生きてるの」

 

 よくよく考えてみれば、どうして話しかけたのだろうか。と思うような話である。オリジナルが彼女の目の前で戦死してから半年も経っていなかったというのに、クローンが目の前に居るのだ。逆の立場なら、と想像しようとして、曙は寝返りを打った。

 

「……ばかみたい」

 

 逆の立場になどなるものか。いや、なりようがない。そう思って、再び笑い、ぬれた目元をこすった。

 

 

 

 

余計者艦隊 第五話「Impostor」

 

 

 

 

 どうして戦うのか、と自問したことがない、と言われれば、嘘だ、と笑うだろう。何しろ、敵たる深海棲艦は悪意と敵意を人類に向けてくるだけで、何かの目的意識があるようには思えない。よしんば。目的意識があったところで、自分にわかる形で何か伝えられるとも思わない。そのくらいの分別がつく程度には、潮は大人になっていた。いや、むしろそうなるように操作されたのかもしれない。そうとも言えた。

だが。そう思って、最上が去った後、ずっと聞こえる三隈がすすり泣く声が聞こえるために布団をかぶり直し、ため息をついた。

 

大人なら、あの子に、曙ちゃんのクローンにつらく当たるのがどういうことかをわかっていて当然だ。彼女は家族を失うことがどういうことかをわかっていないし、わかることができない。何しろ、本質的な意味で家族が居ないのだから。そんな孤独な子に私はひどいことを言ったのだ。

 

「……無理だよ」

 

 そう。無理だ。同じ性格で、同じ好みで、そして同じ外見に同じ声で話しかけてくる、死んだはずの姉。もっと大人なら折り合いはつけられるのだろう。と潮は思うが、彼女には耐えられなかった。話しているうちに殺された姉の姿がちらつく。いつも憎まれ口ばかりたたいていたのに、それでいてさびしがり屋で誰かと一緒にいないと不安そうな顔をしている姉。そして、上半身が吹き飛ばされ、血を吹き出す肉人形に変貌した姉の姿が、だ。

 

不思議と、吐き気はしなかった。至近にいたために血を浴びて、ああ、やっぱりあの姉も死ぬんだな、と思ってしまったのである。

 

 最上とその旗下の艦隊がとり逃した重巡『リ級』と、どこからか現れた有象無象が殺到し、攻撃を仕掛けてくる。潜水艦もたっぷりやってきた。避難民は全滅。自分たちが生き残ったことも奇跡と言えた。

 

 生き残って軍法会議で降格処分を受けた最上と、もう一度同じ部隊で戦うのか。と一瞬考えては見たが、戦うも何も、艤装がないことには陸に張り付いているしかない。同様に『死んだはず』の三隈を張り付けている、ということは、多分、何かしらの疑いをかけられているのだろう。そう潮は判断していた。長良はどうして別にされたのだろうか、とも思ったが、おそらく率いている部隊というのは、監視の役割もあるのか、などと益体もないことを考えて、寝返りをうつ。

 

 眠ろう。そう考え、再び瞼を閉じる。たとえ、見るのが悪夢でも、今の状況よりは悪くない。潮は、苦く笑った。年に見合わない笑い方であった。

 

 

 

 

 

「救援は! 救援はまだなの?!」

 

 絶叫に近い声を聴く。溜まった薬きょうをぼちゃぼちゃと音をさせながら海に吐き出させ、再装填。潮は、舌打ちをこらえながら声の主を見る。

 

 その声の主、吹雪は、避難民にしがみつかれて、振り払おうかどうか迷っている。機関の出力上余裕はあるが、発砲ができなければそれどころではない。重巡『リ』級を先頭に敵戦隊が殺到しているのだ。重巡『リ』級は狙い澄ましたかのように避難民の救命ボートを優先的に狙い、生き残った避難民を助けようと動いた艦娘たちを狙っている。

それでなくとも、吹雪のようにまとわりつかれて発砲や機動どころでなくなっている者もいるのだ。潮と曙は発砲し続けることで寄せ付けていないが、漣と吹雪はその暇が無かった。

 

「定期交信の途絶で動いてるはずだよ!」

 

 長良がうめくように言い、漣と吹雪に振り払え、と合図する。このままでは残りもやられてしまうためだ。とり逃した『リ』級はどこからか現れた駆逐艦を引き連れ、盛んに砲撃を行っている。リ級を含む第一集団が正面、識別不明の駆逐艦6隻の第二集団が左舷側、軽巡1と駆逐5の第三集団が右舷側より接近していた。

避難民の盾として、囮として動くも何も、最初から避難民を狙ってきている。となれば、選択肢はない。相互に10㎞もないような超近距離戦闘である。たとえ重巡が相手であっても、やれる可能性はある、ともいえる。

 

「ごめんなさい……!」

 

 吹雪と漣は、ためらいがちに避難民を振り払って増速。砲弾の着弾の水しぶきと、悲鳴がさながらコーラスのよう。そして、その只中に響き渡るのは深海棲艦の歓喜の声。

 

 信号弾が上がり、位置が露呈することも構わず発光信号を長良が送ってくる。ワレニツヅケ。それのみだった。

 

「畜生……クソ提督……!」

 

 曙は吐き捨て、右舷側集団に対して発砲していた潮に向って怒鳴る。

 

「長良についていくわよ! 来なさい!」

 

「でも……!」

 

 それを聞いて、曙は再び叫ぶ。金切声に近いそれが、耳朶を打った。

 

「あのクソ重巡をぶっ飛ばすのが先よ!」

 

 どのクソ重巡なのか、と思わず問い返しそうになったが、潮はそれをあえて無視し、砲撃を止めてデータリンクの示す長良の位置に向う。

隊形をなんとか単縦に組みなおすと、長良が再び怒鳴った。その間にも盛んに砲撃を相手が行ってくるからだ。

 

「来たわね。第一集団に攻撃を集中させる。迎撃に向った組も反転してこっちに来るわ! 挟撃ができる!」

 

「他は?!」

 

「雷撃した後、こちらが右舷側を、重巡が左舷側をやる手はずになっている!」

 

 潮は、食いつかれたらどうするんだ、と言いかけたが、目の前の曙が睨みつけていて、それをやめた。

最後尾には吹雪がついている。吹雪ならなんとかやるだろう、と長良は見ているのだ。

 

「さあ、食い破るわよ!」

 

 長良の合図で一斉に砲撃を開始し、黒い煙が視界を覆う。砲撃音が耳朶をたたき、耳が痛んだ。

 

「雷撃準備!」

 

雷撃のための姿勢をとり、撃ちだしたその瞬間に、発砲炎が視界に入る。ヒュッ、という風切音すらした音声に、思わず潮は目を閉じた。着弾地点は艦隊の横だ。データリンクでは全員の反応がある。よかった。と目を開け、顔を上げた瞬間、ひどく顔が濡れていることに気づいた。水か。と思って手でそれを拭い、顔を上げる。

 

「あ……」

 

 そこには、がくがくと震えた足があった。いや、足だけがあった。びゅうびゅうと血を吹きあげ、倒れこんだそれは、姉『であったもの』だった。

 

「えっ……え?」

 

 手のひらを見れば、それは海水などではなく、血である。ばしゃん、と姉であったものが倒れこみ、ぶくぶくと沈んでいく。データリンク、途絶。

 

綾波型駆逐艦『曙』戦死。

 

 それを目の前で見た潮は、絶叫するでもなく、ただ茫然としていた。自動的に体が動き、応射する。接近してきた重巡『リ』級は、その砲撃をものともせずに漣に雷撃を浴びせ、漣の足を引きちぎり、吹雪の頭にこぶしを振りおろし、砕く。あまりに手際のよい殺戮に、いっそ潮は手をたたきたい気分になっていた。むろん、恐怖のあまりに笑いの発作が起きかけているだけなのだが。

 

 雷跡が潮の左舷側を走る。砲撃がぶつかり、敵の青い障壁にぶつかったその瞬間に魚雷が命中し、リ級は悲鳴を上げて沈む。長良は、肩で息をしながら、潮に近づき、肩をゆする。

 

「大丈夫?! やれる?!」

 

「……は、はい。はい。やれ、やれます!」

 

「よし!」

 

 畜生。と長良は怒りの言葉を吐きながら、波を蹴立てていく。それに潮は追随するが、海のこの赤はどっちの赤だろう。などと考えていた。

 

 それを、そんな風に意識していたな、と冷えた頭で潮は見ている。

 

 お定まりの敗戦だった。最上は責任を取って降格。長良と私、潮、そして熊野は生き残って無様を晒し続けていた。いや、長良はその次の沖縄撤退戦で戦死した『はず』なのか、とも。

 

だが。

 

「あれ? 潮じゃない。なんで喪章なんか着けてるの?」

 

 ひらひらと手を振る姿が、目に入る。ああ、と思わず潮は嘆息した。これは。

 

「誰かのお葬式? それにしても、なんで私を呼ばなかったんだろ。ムカつくなあ」

 

 横で結んだ長い髪と、勝気そうな瞳。そして、どこかさびしさをにじませたそれは、当人に生き写しである。そう。

葬式で送り出した姉の姿の。

 

「……呼ぶわけ、ないわ」

 

 そう答える声が、震えているのを意識する。

 

「……どうして?」

 

 どうしてだって、と言いそうになり、いつもの姉のように、小首を傾げているのを見て、視界がぼやける。ああ、いつもこんな風に、困惑した時は顔をしかめて、小首を傾げていたのだ。姉は。そう潮は思って、ぐっと下唇を噛む。

 

「ねえ、どうして?」

 

 いつもと同じように笑い、死んだはずの姉が近づいてくる。足から上がなくなって、即死だったはずの、そして、何も入っていない棺桶を燃やしたはずの姉が。

潮は、爆発した。

 

「曙ちゃんは死んだのに、どうしてクローンのあなたが生きてるの!」

 

 その瞬間、曙は何かをわめきながら掴みかかってくる。こちらも構わず髪をつかみ、同じ言葉を怒鳴る。

 

 

 

 

「なんであなたが生きてるの!」

 

 

 

 お姉ちゃんは死んだのに。

 

 

 

 

 

 

 

「景気はどうだい、馬糞」

 

 提督の陰気なそれを聞いて、陰気な笑いが返ってくる。

 

「最低の景気さ、女衒」

 

 ただひたすらに、お互いに疲れていた。陸軍は上陸してくる深海棲艦の迎撃のために海田市で必死の防戦を行い、海軍は、というとその支援にも向かえないありさまだった。一度、試験も兼ねて戦艦による砲撃を行った時はなんとかなったが、現在は海田市から叩き出されている。

パワードスーツを装着した陸軍兵は.50calを持っているが、軽巡や重巡が上がってくると重迫撃砲でも対応が難しい。まして、例の『スカーフェイス』こと、左ほほのそげた戦艦『タ』級が上陸してきた、となると完全にお手上げだった。敵は海に一時的に戻っているが、いつまた上陸してくるかもわからないとなると、鉄道の復旧は絶望である。

 

「……やるしかねえよ。米軍も……米軍の海軍航空隊も同意見だ。F-35Cで爆撃する、と言っている」

 

 そう、陸軍の師団長は言っている。実際、提督も同意見だった。

 

「周防大島攻略戦の発動か」

 

「そうだ。ルビコンを渡るのは早い方がいい」

 

 ルビコン川。そうだ、決断をするほかない。

 

「時期は、どうする」

 

「どうする、じゃねえよ。こっちは後2週間広島を持たせられるかどうかだ。広島放棄も検討してるくらいだぞ」

 

 是非は、無かった。

 

 朝、目を覚まして、点呼を終えて少ししてから、トラックが艦娘の寮に横付けされ、そこから箱詰めされた缶飯のセットを受領し、部屋に帰ろうとすると、なにか音がした気が、した。

 

「なあん」

 

 猫が、鳴いている。その声を聞いて、曙はふ、と横をみた。

 

「なあん」

 

 すこし痩せた、首輪をした三毛の猫が、こちらを見ている。手には、牛缶と鳥飯の缶詰を握っているため、それを目当てに鳴いているのだろう。市街地砲撃を食らっているのだから、猫や犬だって焼け出されたのだ。人間の理屈に付き合わされているこの子を見ると、妙な罪悪感がわいてくる。

 

「あのね……」

 

 そういって、近寄ってくる猫に語りかけるようにしゃがみこんだ曙は、じっと目を見た。

 

「なあん」

 

 うっとうめいた。足にすり寄ってくる、妙に人懐こい猫には、どこかかわいらしいところがあった。だが、手に持っている牛缶に限らず、塩分の濃い人間用の食事は猫にはよくない、と聞いたことがあるため、ごめんね、と言ってそうっと頭を撫でてみる。

 

 しかし、誰に聞いたのだろうか、と記憶を掘り返してみたところ、潮がそう言っていたのだ。曙は、なによ、こんなところで餌なんか売ってるわけないじゃない、と返した記憶があった。しかし、それは本当に「自分の記憶なのか」と言われると、ひどく困った。

おずおず、と手を伸ばす。耳の後ろに手を触れた。温かい。初めて触った猫は、温かかった。

 

「うーん……」

 

 あ、と声を上げると、びくり、と一瞬猫は震えた。ちがうのよー、と言うと、安心したように指をぺろり、となめてきた。ざらり、とした触感に少し驚いたが、ある考えがその触感のおかげで浮かんできた。

 

 鎮守府の酒保では、外注業者としてコンビニが入っていたためか、なぜか『猫缶』が売られていたのだ。猫を飼う奴なんて居ないのに、と笑っていた記憶があるが、多分、と思いながら、腰を上げた。

 

「ちょっとまっててね」

 

 そういって、曙は歩き出した。後ろに小さな影がついてきていることには気づいていなかったが。

 

 

 

 

「んー、やっぱり閉まってるか……」

 

 酒保が入っていた建物の扉をがちゃがちゃとやる。はあ、とため息をつくうちに、後ろからにゃあん、という声がした。

 

「ついてきちゃったのね……もう、どうしようかな」

 

 そう言いながら、再びしゃがんでいるうちに、影が差す。上を見ると、そこには加賀の姿があった。

 

「どうしたの」

 

 短く問われるうちに、厄介な奴に会ったなあ、と舌打ちをしかけ、あわてて口を押えた。

 

「……あの……」

 

「酒保の商品が欲しいの?」

 

 猫を見て、ははあ、といった様子で加賀がそう言うのを聞くと、あれ、こんな人だったかな、と疑問が首をもたげてくる。どこか冷たい人で、提督にいつもくっついている印象があった。

 

「……そう、です。猫がかわいそうで……」

 

「そう。酒保の商品は業者さんから買い取ってあるから、そこから出すわ」

 

 そういって、加賀は薄く笑い、唇に指を当てて、しーっとやって見せた。

 

「提督とかには内緒よ?」

 

「は……はい。内緒ね!」

 

 よかったわね、あんた。と猫に言うと、なあん、と再び鳴いた。それをみて、曙はふっとわらい、髪飾りにつけていた鈴を、猫の首輪にひょい、とつける。

 

「これであんたを見間違えることはないわね。ミケって名前でいいかしら」

 

 なあん、と猫は、ミケは鳴く。曙と加賀は、再び笑った。

 

 

 

 

 さらに一日が経過する。司令部、つまり提督と加賀はあちこちをあわただしく駆け回っているが、潮と、三隈にはそうした騒ぎはあまり、というよりもほぼ関係がなかった。哨戒任務のスケジュールからも外れているため、起きて、食べて、寝ることくらいしかやることがないのだ。書類仕事を手伝おうにも、必要ない、と加賀に突っぱねられてしまった。潮だけならばわかるが、三隈も、というあたりに、何かを感じさせる。

 

「……んっ……」

 

 松葉づえをつきながら、戦局の厳しさとは関係のない初夏の日差しと、香る新緑のもと、潮は歩く。その隣では、律儀に三隈ゆっくりと、潮に合わせて歩いてくれていた。彼女も、自分は部屋でおとなしくしていた方がいいのは、わかっている。艦娘に対する『視線』の厳しさを自覚していないわけではない。第一、艦娘はその気になれば足を切って、クローニングした『完全な』足を再接合すれば、多少の問題はむろんあるが『復旧』するのだ。

そうしたことを知っている人間から見れば、潮はなぜ『そうしないのか』と言われるだろう。事実、正規空母で、同じくそうした手術をしていない『加賀』はそういわれている。潮は加賀と違い子供のように見える、というより、実際子供なために風当りは弱いが、そうでないあの人はいろいろ言われているのだろうな、と潮には想像できた。

 

 潮は艤装がなく、加賀は艦載機がない。たとえ本体が、つまりは艦娘の人間部分が『復旧』したところで何も意味がない。そう思えば、この放置に近い扱いにも納得はできた。

 

 私だって。と下を向き、はあ、はあ、と呼吸を整える。

 

「大丈夫……?」

 

 そう、三隈が心配そうに問うてくる。顔を上げると、どうしようかしら、と微笑みながら、しかし目は優しい色をしている彼女が目に入る。

この人は、しかしなんなのだろうか。と、おとといのやり取りを思い返す。最上さんは、多分この人を深海棲艦だと思っているんだ。そう考えて、多分、私もかな、と下を向いて笑う。

 

そうしているうち、なにか声が耳に入る。人の声にしては、高いその声をたどり、かつん、かつん。と松葉づえの音をさせながら行くと、猫がすり寄ってきた。りりん、という鈴の音がして、はっとした。

 

 どこかで聞いた鈴の音だ。と思って、いたが、これは。

 

「曙ちゃん……?」

 

 確か、と記憶をたどると、こんな猫を曙が、いや、今この鎮守府にいる曙ではなく、オリジナルの曙がかわいがっていたことを思い出す。髪飾りの鈴をつけて、よし、と笑っていたことを、思い出した。あの時と同じ色の首輪をつけている。野良の猫に首輪はよくないよ、と言っていたことも、思い出した。緩い首輪をつけていたが、今ではちょうどぴったりになっていた。確か、名前は。

 

「どうしたの? ミケ」

 

 そうだ、確か、ミケという名前を付けていたはずだ。安直な名前だなあ、と笑っていたが、そういわれるとひどく気色ばんでいたことも、また思い出す。あの子はそういうところがあった。あの子は、猫によく似ていたのだ。

 

「なあん」

 

 再び、ミケが鳴く。この鳴き方は腹が減った、という鳴き方だった。人懐こい猫だったから、出撃してからも基本的にエサには不自由していなかったのだろうが、戦局の極端な悪化に伴って餌を貰っていた人が死んだのだろう。昨日、最上に三隈とともに寮の屋上に案内され、壊滅した呉の市街地と、へばりつくように鎮守府の金網の周囲に林立する避難民キャンプを見せられた。今は、こういう状態なのだ、と。

 

 ただ、正直言って、あまりのすさまじさに現実感がなかったことを、潮は覚えている。煉瓦をしいた歩道と、灰色のがれきだらけの市街地と、見通しがよくなったせいで見えた「れんが通り」アーケードの崩れかけた屋根は、現実感がなかった。しかし、この人懐こい、痩せたこの猫をみて、余裕の無さは、現実なのだ、と受け取れた。

 

「……ごめんね、ミケ……ごはんね、あげられないんだよ」

 

「にゃおうう」

 

 そういうと、首をひねって、潮の足にすり寄ってくる。餌を上げるのは曙ちゃんなのに、私にすり寄ってきて、曙ちゃんを不機嫌にさせていたものだ、と思いだし、しかし、困ってしまう。顔を上げると、三隈がにこにこと笑って、口を開いた。

 

「加賀さんに相談してみましょう」

 

「加賀さんに?」

 

 あの人に相談してどうするのだろうか、と目で問うと、ああ、と笑う。

 

「補給とか、そういうのには員数外ってつきものでしょう? 鎮守府の仕事を取り仕切ってる加賀さんなら、そういうことってできるもの。多分、酒保の契約上、何かあったら商品を買い取る契約になってたはずだから、猫ちゃんの缶詰だってあると思うわ」

 

「……提督にバレたら怒られませんか。忙しいみたいだし……」

 

「怒られるかしら?」

 

 あー、とあいまいな言い方を、潮はする。なんというか、いわく言い難い。正直、見た目についてはさほど悪くもないが、あまり有能という印象は受けなかった。パリッとした服を着ている加賀の隣で無精髭を生やし、目の下にクマを作っていることが悪印象の主要な原因だろう、とも思うが。炯炯とした剣呑な雰囲気の目が、なんとなく恐かったというのもある。

 

「人数分無いと配らないですし……猫缶なんて配ったらトラブルになりますから、大丈夫だとは思います」

 

 それどころじゃない、というところを除けば。と、言外に目で伝えた。そうね、と三隈は言うが、まとわりついている猫と、潮の目とを往復させていた。

 

「……あっ」

 

 そんな声が、背中の方から聞こえた。ててて、と音をさせながら、猫が離れていく。なあん、なあん、と甘えた声をさせたその先には。

 

「……潮」

 

 曙の、クローンが立っていた。潮のよく見知った顔で、良く見知った困ったときのしかめつらをして、きゅっと唇を引き結びながら。潮は、勤めて平静な声を出した。

 

「……飼ってるの?」

 

 曙は目を揺らす。一瞬の逡巡の後、口を開いた。

 

「あんたに関係あるの」

 

 曙は吐き捨て、屈みこみながらぱきょっ、と音をさせて、猫缶のプルタブを引っ張り、猫に餌をやる。うれしそうに、猫はそれに顔を沈めて食べていた。いつも曙が猫にあげていた、あまり高くない猫缶。量だけはたっぷりと入ったやつだ。

 

「……ねえ……」

 

 潮は、じわ、と涙がこみ上げてくる。顔も、やっていることも、そしてその動作一つ一つが、死んで、居なくなったはずの姉に生き写しだった。それを見て、曙もバツの悪そうな顔をするが、しかし。

 

「なんで、そんなに似てるのよ……」

 

 思わず、言った。三隈はダメ、と言ったが、しかし。

 

「わたしは……」

 

 猫が、曙の指をいたわるようになめている。しゃがみこんだまま、顔を上げない。はあ、と深く息を吸って、顔を上げた。

 

「あんたたちが、あんたたちが情けないから私たちが作られたんじゃない!」

 

 びくり、と猫は震え、走っていく曙を見ている。そして、潮は下をむき、ぽたり、とコンクリートに水の染みができるのを見た。

 

 

 

「避難民に不穏な動きがある?」

 

 そういって、加賀とともに立っている提督は、疲れ切った表情の呉警察署署長と、呉市役所の職員と会議室で話す。すわり心地の悪いパイプいすでも、意識が落ちてしまいそうになるあたり、おそらくは、俺も同じ顔色なのだろうな、と考えた。

 

「……その通りです。どうも……何かを計画しているようで」

 

 警察官は頭を押さえ、一瞬失礼、と言った後、市役所の職員に目配せをし、資料をよこす。

 

「市役所の職員が見回りをしている際に見つけました。これは押収しましたが……」

 

 そこに写っていたのは、手ごろな長さに切られた角材と柱に使うような太い木材に鉄の太い釘をうちつけたものに、そして。

 

「……小銃?!」

 

 加賀が、声を上げる。軍用小銃。つまり、本来民間に流れるはずのない『アサルトライフル』が流れているのだ。それも、陸軍の歩兵部隊が使う89式小銃と、パワードスーツ部隊用のピストルグリップつきのブローニングM2 HMGが転がっていたのだ。

 

「……どこから入手したか、という情報はありますか?」

 

「不明です。てっきり海軍さんの武器庫から流れたのかと……」

 

 うーん、と口ごもり、加賀を見ると、首を振っている。正直に言うのはまずい、ということか、と解釈する。

 

「……こちらの武器庫については員数を確認しています。再確認させますので……」

 

 そういって、疲れ以外の意味で血の気が引いた自分の顔を意識する。とんでもないことになっている。

なぜならば、仮にこれが戦場から入手したものであるとするならば、こんなところに流れてくるほど、激しく深海棲艦と陸軍が戦闘を行っている、ということで、そうでないなら。つまり。

 

「……ともかく、我々も調査します。ですが……この件は内密に」

 

 とんでもないことになっている。つまり、これは避難民が鎮守府になだれ込む算段をしている、ということだ。二人が出て行ったあと、加賀と顔を合わせる。

 

「どう思う」

 

「どう思うも何も……」

 

 そういって、加賀は言葉を切った。

 

「……陸軍の横流しなどという線はありえません。それどころではないのは、鳳翔さんの航空偵察で判明しています。……それと、準備をなさるべきです」

 

 言っている言葉の意味は分かる、だが。

 

「何を言っているかわかっているのか、加賀」

 

「十分に理解しています。……警察と共同して、暴動の鎮圧部隊を組織することを、私は提案しています」

 

 そういって、書類を差し出す。苦く笑い、そして、作戦計画案を見る。ゴム弾と催涙ガスを使った作戦計画を見て、こういった事態を、前々から加賀は想定していたのだ、と悟った。

わかっていたはずだ。と提督は苦いものが口の中に広がるのを意識した。軍隊上がりの連中だってごまんといる。食糧の欠乏があるなら、こういう事態になる事も。

 

 口の中が乾いている。ぐ、と唾をのみこみ、言葉を発した。

 

「……作戦計画を承認する」

 

 ほかにどうしようがあるというのだ。そう、提督は自分を欺いた。

 

 

 

 

 

 

「敵襲か。上陸地点と規模は」

 

 そう第5師団師団長馬淵中佐、提督には『馬糞』と呼ばれていた男は、ベッドから跳ね起き、隣に立つ女の顔を見て聞く。その白粉の臭いのする女、つまり『あきつ丸』は、海田市に駆逐ロ級10隻が上陸してきている、と述べた。

 

 時刻は0430を刺していた。なるほど、日の出の直前に仕掛けてきたということだろう。

 

「状況はどうなっている」

 

「は、第11歩兵連隊隷下、第2歩兵大隊が対応しております。定期便というところでしょうな」

 

 あきつ丸は肩をそびやかした。この女は、搭載している『カ号』で居ながらにして戦況をとらえているのだ。そう、馬淵はその能力をうらやましく思う。戦場の靄を払うのに一番いい能力だ。

まあ、もっといいのは、この女の靴下だ。たぶんいい匂いがするのだろうな、と馬淵は考えた。その視線を受けて、あきつ丸がセクハラで訴えられたくないならその眼を別のところに向けるべきであります。とゴミを見る目をした。こういう視線がばれる、というのは、あの海軍少佐に比べて修行が足りん、ということか、と思わず笑った。

 

 

 

 

 それにしても、と思考を区切り、定期便ならいいが。と馬淵は考えた。むろん、そうではなかったのだが。

 

「……何やってんだろ」

 

 そう、思わず逃げ出した曙は言う。崩れた体育館の裏までついてきた猫は、というと腹がくちくなったのか、くわあ、と口を開けてあくびをしていた。腹をなで、ぼう、と前を見る。手のひらに感じるのは、こわい毛の感触だけだった。

 

「……何、やってんだろ」

 

 あの子が何か悪いことをしたのだろうか。確かに、なぜ似ているのだ、と言われていい気分はしなかった。私は別に、彼女の姉ではないのだ。そう、折り合いをつけたつもりだった。

何のことはない。つけたつもりの折り合いなど無かったように、声を聞くだけで心がかき乱される。私がおかしいのだろうか、とほかの艦娘の「クローン」のことを思い浮かべてみると、どの顔もすでに墓に入った後だった。

 

 オリジナルが死ねば、いや、死ななくとも別の艦隊にはクローンが補充され、欠員を埋める。駆逐艦クラスの艦娘は特にその傾向が強い。使い捨てられるほど国力があるわけではないが、使い捨てのような運用をせざるを得ないほど戦況が悪いのだ。生き残ったオリジナルは少ないし、クローンも出てくるはしから殺される。

 

 その中で、曲がりなりにも生き抜いてきた者は少ない。曙もその一人だった。

 

 そして、こんな風な相談ができる人間を、彼女は知らない。まさか、提督やほかの艦娘に聞くわけにもいかないし、当然ながら、クローンに聞くのは一種のタブーだった。

 

「ばかみたい」

 

 自分で考えて、そして潮に何をしたかったのか。は知っている。曙は謝りたかったのだ。無神経なことをしてごめんなさい。という一言を言いたかった。

 

「本当、ばかみたい」

 

 つう、と涙が伝った。

 そして、手のひらの下の猫が動きだし、外へ駆け出していく。ああいう風にできれば、多分悩まなくても済んだのだろうな、とも、思わず考えた。

とはいえ、一応は人間扱いをされている身の上である。猫のように自由に生きられればいいな、と思えても、猫のように自由に生きれば、その時は死期が早まるだけである。

 

 遠雷のようなサイレンが、鳴る。その音を聞いて、曙は我に返った。続いて、第一艦隊の艦娘は至急提督の執務室に集合せよ、と放送がかかる。緊急事態、にしてはほかの部隊の動きが鈍いな、と考えながら、曙は走った。

 

 

 

 

「状況はどうなっている、鳳翔」

 

 放送が終わった後、突発停電が起きたために若干薄暗い室内で、

 

 提督は鳳翔から伝えられた状況を加賀が作戦図上で駒を動かしていくのを見て、考えた。この通りであれば、陸軍のパワードスーツ兵は、深海棲艦の上陸した駆逐ロ級を順調に掃討できた、ということと解釈できるのではないか、と片眉をあげた。深刻な状況とはとても思えない。

 

「海田市での敵深海棲艦の掃討はほぼ完了しています。駆逐艦クラスであるため、陸軍でも十分に対応可能なことはご承知の通りだとは思いますが」

 

 鳳翔は一拍置く。当たり前ながら、駆逐艦は一般的に装甲が薄い。指摘されるまでもなく、提督はそのことは知っている。陸軍の装備しているブローニングM2 HMGならば深海棲艦の駆逐艦ならば貫通できるし、十分に対応が可能だ。ただし、純粋な口径ならば、であり、彼らの肉薄攻撃によってしか撃破できない、という意味合いにおいて、危険すぎる敵であるのは間違いない。敵は数キロ先から撃ちこんでくるのに、自分たちは数百メートルまで肉薄しないと敵が倒せないのであるから、とんでもないクソ度胸である。

 

「問題が無いように思える」

 

 暗に、本題はなんだ、と問う。むろん、鳳翔は首をゆるく縦に振る。

 

「彼ら、つまり陸軍……いえ、友軍が警戒態勢を解除していません。理由は……加賀さん?」

 

 加賀はすぐに作戦図の端にシンボルを置く。そこに、潜行して接近していた深海棲艦を示すシンボルを置く。つまるところ、哨戒網に引っ掛かっていない新手が来た、ということだ。

 

「……これが理由か」

 

 その構成までは、判明している。細かな艦種は分からないものの、戦艦1、重巡洋艦4の編成で、おそらくは陸軍に対する攻撃を企図した出撃だろう。こちらが本命か、と提督は考えた。

 

「陸軍は何か言ってきているか。加賀」

 

「いえ、今のところは何も。ですが海田市失陥は広島市の第5師団本部との連絡に問題が生じ、坂町、というより絵下山に砲撃拠点を築かれた場合、愉快とは言い難い事態になります。そのため、こちらからも動いたほうがよい、と考えます」

 

「あの、よろしいでしょうか」

 

 そういって、鳳翔は口を開いた。

 

「……大筋では同感です。ですが、敵の戦力は極めて大です。観測できている範囲ですら、戦艦が数隻あります。これも、戦艦を動員しての囮作戦の可能性がある、と私は考えます。本命は別、すなわち、今まで沈黙してきた飛行場姫が動く可能性がある、と見ています」

 

 それを聞いて、加賀はゆっくりと頷いて、こちらに顔を向けた。

 

「その可能性も否定できません。いえ、大いにあるとみるべきでしょう。ですが」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「戦艦、つまり扶桑型戦艦「山城」が呉鎮守府に居ても、防空装備はほぼありません。いえ、無いわけではありませんが、飛行場姫攻撃用の3式弾をここで浪費するわけにはいかない、と私は考えます」

 

「……飛行場姫の攻撃隊とやりあって勝てる成算は?」

 

「それをお聞きになられるのですか?」

 

 愚問だったな、と提督は手を振った。鳳翔の搭載量はさほど大きくなく、加賀は搭載量が大きいが、積む航空機がない。かてて加えて、量的には深海棲艦の飛行場姫に及ぶべくもない。それでいて本格的な攻勢に出るのは、飛行場姫さえ撃破してしまえば、敵深海棲艦の航空機は「汚泥」のようなものに戻ってしまう。

 

 だからこそ「深海棲艦に対する防空任務」は本質的に割が合わないのだ。通常の航空機であれば、たとえ飛行場を攻撃して撃破したところで、帰還は困難にはなるものの、攻撃は可能だから「やる意味」があるのだ。むろん、割に合わなかろうが防空をやる意味がないというかというと違う。防護目標があるならば、だ。だが、今や鎮守府の基地機能はズタズタで、防護すべき設備もさほどなくなってしまった。

そう考えてしまえば、防空を行う、と言う点で、実際上の問題として航空機や艦娘の損耗の方が痛いのである。艦娘は通常の舟艇とは違い、防空壕に逃げ込ませれば助かる公算がかなり高い。基地機能、という観点では大問題だが、こうした事態を想定して、装備類はすでに運び込んである。

 

だが。

 

「それをやった後、だな」

 

「その通りです」

 

 言うまでもないが、周防大島攻撃作戦を行う前に、基地防空作戦を行って避難民を守る余力はもはや呉鎮守府にはない。早期に周防大島に陣取った飛行場姫を撃破する、ということと、避難民を守る、ということを両立させるのは不可能事だ。たとえ守ったにしても、その後、艦娘の入渠施設が無事である保障はないのである。

 

 しかし、政治的には彼らを守らない、と言うことは選択肢として難しいものがある。国民を守る、というのは現状の陸海軍の存在意義の一つであるし、内戦後の政治的事情から言ってもそれを否定することはできない。さらには、兵役上がりの人間が襲撃の準備めいたことまで進めている。どちらに転んでも暴動の発生を招く恐れはあるが、彼らは我々を守らなかった。という言葉は、きわめて大きな正当性を持つ。

 

「……山城、摩耶……それと、曙で支援艦隊を編成しろ。俺は馬糞に連絡をする」

 

「最上と三隈、それと電を残す理由は?」

 

 それを、加賀は問うた。じ、と加賀の目を見て、提督は言う。

 

「……言うことを聞く奴と聞かないやつ。どちらを残したほうがいいと思う」

 

「愚問でしたね」

 

 そう言うと、提督は電話機を上げる。馬糞め、なぜ沈黙しているのだ。とつぶやき、舌打ちをして。

 

 

 

 

 

「艦載機の使用を提案いたします」

 

「ほお?」

 

 あきつ丸は、馬淵中佐に向けてにやりと笑う。艦載機という名前ではあるが、呼び出すものはそういったものではない。海軍機を装備している「あきつ丸」も居るが、彼女はそうではない。

 

「深海棲艦の新手が来た、ということは理解しているが、駆逐艦の定期便だと思っていたのだが。違うのか」

 

「はい。いいえ。定期便ではありません。敵の編成は先ほど得られました。戦艦1、重巡4の主力艦隊であります。パワードスーツでは対抗できませんゆえ、先手を打ちたいのです」

 

 あきつ丸は、作戦図に戦艦1、重巡4のシンボルを置く。それが、すぐに坂町に展開している部隊より更新され、戦艦は戦艦「タ」級で、重巡はリ級である、と量子ハイパーリンカより寄せられた情報により、表示が更新された。海田大橋のすぐ前、カキ筏が浮いていた場所、つまり、海田湾に入ろうと思えばすぐに入ることができる地点に、四隻の大型艦が集中している。むろん、戦闘能力が大型艦相当であって、別に大型、というわけではないのだが。

 

「……ううむ、海田市を本気で落とすつもりで来たのか。厄介だな。……ン、ちょっと待て」

 

 電話が鳴る。受話器を馬淵は上げ、女衒か。その情報はこちらも得た。と言う。それを見て、助けてくれる気もないのに、海軍はわざわざ死刑宣告をしに来たのか、と片眉を吊り上げた。だが。

 

「支援艦隊を出す。それは本当か?」

 

 それを聞いて、おや、と思わずあきつ丸は言ってしまう。おそらくは上陸を許してしまうが、1時間はあれば間に合う距離ではある。今まで支援しなかったというのに、どういう風の吹き回しだろうか。

 

「……射撃統制用データを寄越せ? ああ、そういうことか、了解」

 

 そういって、電話を切る。そして。

 

「データリンクに扶桑型航空戦艦「山城」と、高雄型重巡洋艦「摩耶」それと、綾波型駆逐艦「曙」が追加されたはずだ。確認せよ」

 

「は。……確認しました。向っているようでありますな」

 

 ちょうど、呉港から進発し、最大船速で向っている、という表示が出る。24ノットと、若干遅い足も、おそらくは扶桑型戦艦、いや、扶桑型航空戦艦が居るためだろう。装備されている武装をみて、目を疑った。

 

「……私の見間違えでなければ、山城に46cm三連装砲が搭載されているのですが」

 

「ぶっ放す相手が欲しい新式砲なんだそうだ。それと……艦載機の使用を許可する。好きにやりたまえ」

 

 あきつ丸は敬礼し、外に飛び出し、ガチャガチャと音をさせながら、外に飛び出す。にい、と笑い、そして。

 

「さあて、出番であります。一式戦『隼』に、二式複戦『屠龍』……陸軍なら陸軍機でしょうよ」

 

 ぞるん、と後ろの空間から、レシプロエンジンの音を響かせ、12機の単発戦闘機『隼』と、6機双発戦闘機『屠龍』が現れ、形を作り、跳ねるように急上昇していく。あきつ丸の髪を揺らし、周囲にあきつ丸の脂粉の香と、彼らの排気ガスの臭いのカクテルをぶちまけた。

言うまでもなく、通常型であれば艦載機以外を搭載することなどできない。ましてや、陸軍機などを搭載することなど不可能である。ただし、陸軍も『海軍からの借り物』である零戦52型にいつまでも頼っていたいわけではない。試作装備をこの「あきつ丸」に回していたのである。それが、図らずも役に立つ形となった。

 

 ほっそりとした胴体を持つ優美な機である『隼』は、ずんぐりとしたシルエットの『屠龍』を守るように飛んでいるが、250kg爆弾を搭載しているため、動きが多少鈍い。狩るべき龍、すなわち『B-29』の存在しない空を飛ぶ屠龍は37mm砲を装備している。どちらかといえば、言い方は悪いが、囮の役割を期待されている。一応重巡洋艦も狩ることはできるのだが、連射が効かない砲であるため、その間に機銃をもらってしまうことがよくあるためだ。

 

「……さて、戦艦タ級はやれないにしても、時間は稼がねば」

 

 そう考えて、あきつ丸は目を閉じ、データリンクの状況を確認する。敵はこちらを視認しているような気配があるが、いまだ射撃を開始していない。

 

「やれやれ、高く飛ばしすぎましたか。……いやあ、修業が足りませんな」

 

 独り言を思わず言い、あきつ丸は海田大橋を通過する戦艦タ級を捉える。ゆっくりとこちらを向き、そして、そのそげた頬を見せつけるように、ゆっくりと微笑して見せた。

 

「……チッ、スカーフェイスか」

 

 厄介な相手だ。とあきつ丸は毒づき、周防大島は、と見てみれば、沈黙している。いささか拍子抜けだが、しかし。

敵に飛び立ってこられれば、せっかく爆装をさせた隼の爆弾を捨てなければならないし、それを考えれば、好都合ではある。と言える。

 

 そう考えているうち、隼と屠龍は高度を落とす。ちょうど、黄金山のあたりに差し掛かったためだ。そのまま、海田大橋に向けて進路を取り、侵入コースに進路を向ける。

 

「……」

 

 あきつ丸は、深く息を吐く。大丈夫。うまくやれる。彼我の距離が1km弱となり、猿猴川上空を100メートルほどの低空でフライパスした瞬間、発砲炎が光り、昼間であるにも関わらず、花が咲いたように見え、炸裂音が隼を、屠龍をゆすぶる。火砲が一気に押し寄せ、そして思わずあきつ丸の制御していた1機が、怯えたように上昇。そしてゴンッという音とともに、対空砲をもらい、右主翼、尾翼が吹き飛び、きりもみを起こしながら墜落。

ふ、ふ。と息を吐きながら、あきつ丸は胸を押さえる。怖気づくな。高度を下げろ。電線がワイヤーのように見えるような低空になるまで、ぐい、と機を押さえつけ、下降。

屠龍のうち一機が、耐えかねたように建物に突っ込み、ビルの最上階を吹き飛ばす。下げすぎたか。と一瞬制御を奪いかけるが、妖精がささやく。

 

「もっと下げろ?」

 

 ひ、と視野を共有しているあきつ丸は思わず悲鳴を上げる。飛行機乗りは物狂いか。そう思った瞬間に、視界が開け海田湾に入る。波が機にかぶりそうな超低空を進む中、戦艦タ級、いや、スカーフェイスと、リ級のウォークライが響き渡る。機が至近弾でゆすられ、さらに1機、2機と波をかぶり、落伍する。機首のエンジンが己のエネルギーで引きちぎられ、プロペラがボディを引き裂くその瞬間を見ながらも、妖精たちは狂騒する。くたばれ海軍野郎。そう笑う。

 

「物狂いめ……!」

 

 やれ、と命ずると、屠龍の砲が火を噴き、敵の青い装甲を一瞬減衰させる。だが、すぐにそれを鬱ぎ、射撃した屠龍が次発を装填して発砲する前に、コクピットのキャノピをぶち破り、撃墜。

 

 爆弾を隼がフライパスする直前、投下する。満足に投下しきった機は少ない。中には、投下前のタイミングで砲火をもらってしまい、僚機に突っ込んでしまう機すらある。

 

 だが。爆炎と悲鳴を上げ、もがく重巡リ級に、屠龍が半ば突っ込むような形で37mm砲を発砲。自身の爆炎に飲まれながらも、リ級の胴体を噴きとばす。

 

「……」

 

 敵は、と見てみると、重巡2隻を沈め、海を真っ赤に染め上げている。だが。戦艦たるスカーフェイスと、重巡1隻は生き残っている。爆弾はない。戦果としては上々だが、しかし。

 

「……死んでくれ、と頼むわけでありますか」

 

 再び、あきつ丸は笑う。妖精に死ね、時間を稼げ。と命じる彼女は、唇を噛んだ。

 

 

 

 

「もっと足が速ければ……」

 

 そう、思わず山城は唇を噛む。一機、また一機と数を減らしていく『陸軍機』を見て居たのは、何もあきつ丸だけではない。呉線の水尻駅を見て、データリンクに要請文を送る。

 

『目標の座標を転送せよ』

 

 そう述べれば、即座に最後に残った隼が座標を送ってくる。海田大橋を通り過ぎ、現在山城が居る地点からおよそ6km。十分に射程圏内だ。

 

「……摩耶は同様の地点に射撃せよ、曙は周囲の監視!」

 

「了解、相手はスカーフェイスらしいぜ。くたばってなかったのか」

 

「了解。……もう!」

 

 そういって、砲をゼロ位置に戻し、弾薬が装填されたことを確認すると、データを入力。データリンクで、隼は絶えず現在位置を送っている。対空砲火が浴びせ続けられているが、それでも耐えていた。

 

 早く。早く。そう急いてはみるが、己の砲は、つまり46cm三連装砲は仰角をつけ。そして。

 

「てっ!」

 

 そう声を発すると、長大な発砲炎が砲より吹き出し、そして黒煙がぶちまけられ、衝撃波でしぶきが立つ。その余波で、うわ、と曙はふらつくほどだ。

そして。合計6門のほうが火を噴いたうち、一発はリ級の頭を吹き飛ばし、戦艦タ級の装甲をごっそりと持っていき、ウォークライを上げさせる。もう一度、と考えたその時、隼が撃墜され、映像が途切れた。

 

「……チッ、観測機を打ち出します!」

 

「もうアタシがやったよ」

 

 そう摩耶はぱんぱん、と腕を叩いた。瑞雲の映像が見えるが、しかし。

 

「……居ない?!」

 

「いや、そんなはずは……姉御、どうする?」

 

「……しばらく、海田湾を警戒します。取り逃しただなんて、恥ずかしくて言えるものですか!」

 

「はいよ」

 

 だが、彼女たちの気概はともあれ、その日のうちには、スカーフェイスの姿は確認できなかった。撤退したものと判断する、と言って、次の日の朝までさんざん哨戒した後に、ようやく結論づけ、撤退した。

 

 周防大島は、沈黙したままだった。

 

 

 

 

 

「……なんであんたがここに居るの」

 

 鎮守府に入港して、開口一番、曙はそう言う。目の前には、潮が居た。

 

「……あの……おつか……」

 

「疲れてるって思うんだったら、解放してくれない?」

 

 我ながらずいぶんとげとげしい。と思うものの、思わずそう言ってしまう。そばを通り過ぎると、あっ、と潮が声を上げた。

 

「……本当に、何よ」

 

「あのね、あ……曙ちゃん」

 

 曙ちゃん。記憶にある呼ばれ方をして、一瞬頭に血が上りかけるが、それを曙はこらえる。だが、その次に言われた言葉で、その血が下がった。

 

「……あのね、猫の世話、一緒にやったほうがいい、って電ちゃんに言われて……」

 

「……それを言うためだけに来たの?」

 

 こくり、と潮は首を縦にふる。毒気を抜かれた表情を、曙は作った。

 

「……ん……この時間だったら、寮の前に居るかな。……報告を終わらせてからでいい?」

 

 こんなやりとりを、私でない私がやった記憶がある。そう認識すると、お互いに、一瞬表情をゆがめるが、怒鳴る気力は、曙にはなかった。

 

 報告を終わらせ、曙は寮の前に居るはずの猫を待つ。だが。待てど暮せど姿を現さない。探してくる、と言い置いて、あちこちをめぐるうち、外柵の回りに差し掛かった。

 

「……血のにおい?」

 

 

 

 

 

 そして、そこには。じっとこちらを見て居る少年が立っていた。右手には血の付いた石。そして、左手には。

 

 だらだらと血を流し、足がひしゃげ、そして頭からはしろい頭蓋と脳漿を覗かせた『三毛猫』が居た。ちりん、と首が揺れ、自分のものと同じ鈴が、なった。

 

 ああ、つまり。私の飼い猫は、ミケは目の前の少年に殺されたのだ。とうすく、理解した。

 

「あ……え……?」

 

 じっと見てくる少年のほほはこけ、ぎらぎらとした目でこちらをにらんでいる。ぼろというのもおこがましいほどのずた袋を身に着けた少年は、垢じみ、黒くなった顔を、敵意をにじませながら向けてきた。

ひ、と思わず小さい悲鳴が、曙の口から出た。らんらんと光る眼が、ぽたり、ぽたりと滴る血の立てる水音とともに、恐怖をかきたてる。

 

 少年は、口を開いた。

 

「なんじゃ、この猫はわしが食うんじゃ。オノレにはやらんぞ。はよういねや! くそ海軍。なんじゃ! はよいねや!」

 

 その黄ばんだ歯から発される言葉に気圧され、思わず曙はしりもちをついた。むき出しの敵意。同族のはずの少年から発される、そのとげとげしい気配は、経験したことのないものだった。

 

 

 

 

 

 

「曙ちゃん?」

 

 放心した曙を、潮は見つけた。しりもちをつき、ぼう、と虚空を見て居る。

 

「曙、ちゃん?」

 

 のぞき込むと、目に色が戻る。そして。ぐ、と強く抱き止められ、はじめはすすり泣き、そして。

 

 

 

 

 

 

 大きな声で、曙は泣いた。赤子のように。

 

 

余計者艦隊 第五話 Impostor -了ー


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