余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編)   作:小薮譲治

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第1部 周防大島攻略編 第6話 White Widow

「待て、どこへ行く」

 

 ブローニング・ハイパワーのグリップをぐ、と握りながら、トリガーに指をかけて、摩耶にそれを向ける。振り向いた摩耶は、信じられないものを見る顔をしていた。

 

「おい、提督、どういう意味だ、それは」

 

 加賀はじ、とこちらを見て、曙は潮に袖を引かれ、山城は摩耶を止めようとしている。鳳翔の表情は、読めない。

防空壕の中で銃撃戦を始めようとするとは、いよいよ俺も正気ではないようだ、と提督は苦い思いを噛みしめていた。

 

「決まってる。決まってるだろ! 空爆を受けているんだぞ! 摩耶様の出番だろうが!」

 

 腕を振り、怒気を露わに摩耶は言う。何のために私がここに居るのか、といわんばかりに、怒りで顔が歪んでいる。

 

「出番を決めるのは俺だ。座れ。これは命令だぞ」

 

 再び、グリップを握る手に力を込める。そうとも、わかっているとも。お前の出番も、お前たちが戦うべき戦場はここだとも。道理としてはそうだ。

呉の市民20万を見捨てる選択をする。それはお前たちが許せないことであるとも。理解もしている。そして唾棄もしている。

 

「座れ」

 

 だが。指揮官として、提督はその道理を通すわけにはいかなかった。

 

 

 

 

余計者艦隊 第六話 White widow

 

 

 

 

 時は、数時間前にさかのぼる。選抜した警察官と、同じく各部署から引き抜いたもので組織された陸戦隊による暴動鎮圧に向けた合同訓練を巡察した後、提督は憂鬱な思いに駆られた。加賀が仮眠をとるため、隣には秘書官として鳳翔がついている。業務をそつなくこなしながらも偵察任務をこなしており、この人は出来る人だな、と寝不足でぼんやりとした頭で考えた。

 

「提督、仮に爆撃を受けた場合、彼らを地下司令部に収容することになると思いますが、その手続きについて加賀から報告を受けましたか?」

 

「……ン、いや……何か問題でもあるのか」

 

「あそこは機密区画です。ですから……」

 

「ああ、そのことか」

 

 提督は頭を叩きながら、思い返す。一応は問題がないため、許可証を発行した、ということだった。そこまでは覚えている。

 

「警察の連中、パワードスーツも運び込んでいたはずだが」

 

「燃料パッケージはこちらで押さえています。不満は出ていましたが」

 

「内応されちゃあ、たまったものじゃないからな」

 

 誰が敵か味方か、それがもはやわからない。難民の中に家族が居るものももちろんいるし、逮捕者が親類から出て、打ちのめされた者も居る。家族を特別扱いしない、というより、そんなことが「もはやできない」のが現実である。提督と呼ばれ、水と電気だけはまともに使えている彼とて、缶飯の連食で若干体調を崩してきている。

 

温食の類は優先的に避難民に回しているのは、反乱抑止である。艦娘が最優先、次点が避難民、その下が海軍の兵であった。業務効率が上がらないことおびただしいが、決死隊を組織して、なんとか食糧を運び込む、と言ったことまでやっており、指揮統制艦である「ブルーリッジ」はその任務に現在就いていた。護衛に電と最上がついていて、今のところ順調だ、という報告が上がっている。幸い、尾道や岡山での食糧の買い付けは「平和裏」に行われた、とのことだった。皮肉なのか、果たして本当に平和裏に行われたのかは、判断がつかない。

 

 そのことをふと漏らすと、鳳翔は微笑から表情を動かさないまま、言った。

 

「……作戦発起前にこのような形で油を消費していいのか、と加賀は反対していましたね」

 

「先のことを考えなきゃあいけないんだ」

 

 そうだ。先のことを考えなければいけない。勝ったらどうする。勝った場合何をするべきなのか。必要なのは次の作戦だ。そのためには物資が必要で、物資の調達先が必要なのだ。

 

 最低限鉄道網が復旧し、広島県県北との流通が復旧すれば、食料品などの補給は調達が見込める。下関については、米軍側報告によれば、制海権は敵のものだ。航空偵察によれば、佐世保鎮守府は活動をしている、という報告があった。

 

神戸、大阪に代表される京阪神については、未確認情報ばかりで何とも言えない。四国については陸軍の情報で、死者多数ながら何とか押し返した、というところまではわかっている。そして、海軍とともに淡路島を攻略する作戦を発動させる予定である、との連絡があった、と第五師団、すなわち広島からは連絡を受けていた。海軍の量子リンカはズタズタだが、陸軍は主攻撃目標ではなかったためか、ある程度の連絡網ができている。ただし、それにしても、東京とは連絡が取れていない。淡路島奪還作戦には横須賀の艦を割いているのだろうか、という推察ができるのみである。

 

 海軍の動きを陸軍や他国軍から教えてもらう情けなさを感じないでもなかったが、しかし。

 

 勝たなければならない。何を犠牲にしても、勝たなければ死が待っている。要塞たる呉鎮守府が、墓標になる。ぜいたくな墓場ではあるが、ありがたくもない話であった。

 

 

 

 

 鳳翔は加賀と交代し、割り当てられた自室のパイプいすに腰掛け、目を閉じる。はあ、とため息をついた。先のことを考えなきゃあいけない。そう、提督は言った。

 

「……先のこと」

 

 懐から、手紙を取り出す。それを開こうとして、鳳翔は手を止めた。先のこと。婚約者である、あの人が足を失った時のこと。

 

「どうして」

 

 思わず、その言葉を口に出す。指に力がこもる。くしゃり、と紙が音を立てた。

 

「どうして……」

 

 そして、先のことを考えなきゃあいけない、そういって、その次の日にはこの手紙を残して、梁に渡したロープで首をくくっていた時のこと。

 

「どうして……!」

 

 読まないほうがいい。そう言われたにも関わらず、手紙を開いた時のこと。

 

「どうして、あの人と同じことを言うの」

 

 先のことを考えなきゃあいけない。そう言っていた彼が『僕は、君が憎い』と震える指で記していたことを、知った時の、すべての力が抜ける感覚。それを彼女は思い出した。

何もかもが、抜けて行ったことを、鳳翔は覚えている。空母艦娘を生き残らせるために厳しく接する、という義務感。仕事への熱意。その他のすべてが、するりと抜けて行った。

 

 ただ、残ったのは、笑顔で常に接する鳳翔という名前の何かであった。自然と笑い、教官として訓練を行い。ただ、生きているだけの何かだった。

 

 提督と呼ばれている少佐と、婚約者は似ても似つかない。だが、思いつめたような眼だけは、ひたすらに似ていた。そのことが、ひたぶるに鳳翔の心をゆすった。

 

「……」

 

 手紙を、再び開く。

 

『僕は、君が憎い。』

 

 そう、震える字で記されている。墨がぽたぽたと垂れており、書くかどうか、迷ったような形跡が、うかがえた。

そして、続けて、次の行を読む。

 

『僕が悪いのはわかっている。君に迷惑がかかっていることも知っている。憎むなどと言うのはお門違いで、君に感謝しなければいけない立場で、事実僕もそう思っている。そう思っている。思っていたのだ』

 

 迷惑だなんて思っていない。そんなことは考えていない。そう目の前に居たらつかみかかりたいのを、鳳翔はこらえながら続きを読む。

 

『だが、それでも、僕は君が憎い』

 

 ぽたり、と涙がこぼれる。どうして。そう問おうにも、相手はすでにこの世に無い。

 

『僕が足をなくして、君が支えてくれたことはわかっている。だが。僕はそれに耐えられない』

 

 は、と嗚咽がのどの奥から出てくる。

 

『僕がこの手紙を書く動機が醜怪なものである、ということも、わかっている』

 

 手紙を、震える指で握りしめて、最後の一文を、読んだ。

 

『すまなかった』

 

 どうして。と思わず鳳翔は手紙を握りしめた。どうして、謝るの。そう、声を殺して、鳳翔は泣いた。

 

 

 

 

 

 

 周防大島の南部、安下庄港で、飛行場姫はに、と笑った。溶融したアスファルトのような『滑走路』に足を浸し、そして。

それを蹴上げる。踊るようにしているうち、ぞる、と航空機が形を取り始めた。中学校のあったあたりまでを覆い尽くしている、じぶじぶと湧き上がるそれは、何を『素材』にしているのか、おおよそ考えたくもない代物である。黒い蝙蝠のような翼系を、ぬらり、と輝くその体で形作り。

 

「フフ」

 

 深海棲艦の、飛行場姫の口のような器官から、笑いが漏れた。笑いと呼ぶには、あまりにも凄惨なそれを正視することは、尋常な精神の持ち主には不可能である。何に喜んでいるのか。言うまでもない。かつてここに住んでいた者たちが「自分の操り人形となっている」という事実に、である。良いように彼女の怨念の源泉を使い続けた人を、虐げ、組み敷き、溶融させて尊厳を蹂躙する、という快楽である。

 

「アハ」

 

 ああ、何とも愉快なことか。人は知らない。いや、知ってはいるのだろうが、正視はしない。自分たちの壊している『敵機』が一体何なのか、を。

見ないつもりならば、それでもよい。だが。

 

「アハハハハハ!」

 

 呪われた舞踊は続く。しぶきの一つ一つが、彼女の意志を、彼女達の怨念を受け止め、染まっていく。そのステップが狂騒の域を踏み越えた、その瞬間。

 

「行ケ」

 

 手を、振った。雲霞のごとき機が、彼女の回りを飛び立つ。ウォークライを発し、それに歓呼する。

 

「……邪魔、ナ」

 

 紫電改が上空を旋回し、こちらを監視している。そして、その中に宿る『妖精』ともいうべき量子のゆらぎを、飛行場姫は観測した。怯え、義務感、その他のものがカクテルされた、混乱を示している。に、と指さし。

 

 

 

 

「はっ……?!」

 

 艤装側から、起きろ、という信号が発され、鳳翔は跳ね起きる。なんだ、今のは。

 

「え……え?!」

 

 飛ばしていた航空機などでは知りえない情報が、彼女の記憶には残っている。深海棲艦の『考え』が焼き付いているのだ。そうして。紫電改に搭載された量子ハイパーリンカから、撃墜されるまでの情報がトランスポートされる。

 

「敵航空機、呉ヘノ進路ヲ取レリ。襲来スルモノト認ム」

 

 その電文を認識した途端、鳳翔は走り出した。

 

「始まった……!」

 

 そう。始まったのだ。周防大島に居る、深海棲艦の攻勢が。

 

 

 

「状況は!」

 

 提督は、ひどく痛む額をごしごしとこすりながら、加賀と鳳翔に聞く。鳳翔は、というと、目の端が赤い。仮眠をとっていたのか。とふと考えたが、それを置き、言葉を待つ。

 

「……飛行場姫が動き出しました!」

 

 その鳳翔の言葉を聞いて、即座に腰につけていたトランシーバのスイッチを入れる。だが。そこから流れたのは、雑音だらけの空電のみ。提督は、悟った。

 

「すぐに放送をかけろ! 事前に決められていた通り、地下指揮所に人員を収容!」

 

「……了解!」

 

 鳳翔はそれを聞いて、放送施設に駆けだす。加賀に行かせようとしたのだが、と考えたが、すでに遅い。呼び止めて口論になるくらいなら、行かせた方がいい。提督は、そう判断した。

 

「……収容しきれない人員は?」

 

 その加賀の言葉を聞いて、背筋をつう、と冷たいものが垂れていくのを、提督は感じた。

 

「……やむを得ない。運を天に任せる」

 

 事前の計画通りではあった。ではあったが、あまりに非常な決断である。提督は、加賀の顔が真正面から見られなかった。

20万人を今から見捨てる。そう思えば、そういう気分にもなった。

 

 

 

 

「どうしたって言うんだよ!」

 

 摩耶の言葉を聞いて、曙は狼狽する。とぎれとぎれの放送からは、第53号計画に基づき、所要人員は地下指揮所に集合せよ。繰り返す、地下指揮所に集合せよ、と聞き取れる。第53号計画。その意味を、摩耶も曙も理解している。

 

「アタシたちは迎撃に出るんじゃないのか?!」

 

 その摩耶の言葉を聞いて、曙は猫の額を割った少年の顔が、ちらつく。どうしてあんな奴のために、私が、と唇をかみしめた。あの子を殺したあんなやつのために、なんで私が戦わなきゃならないの、と、考えてはならないことを考える。

 

「……行きましょう。指示に従わなきゃ」

 

「お前……?!」

 

 曙の顔を、摩耶は目を見開く。お前はそんなことを言う奴じゃあなかった。そう言わんばかりだ。私だって変わることはある。そういいたいのを、曙はこらえ、走り出した。一瞬摩耶は迷い、装備はどちらにしても地下指揮所だ、と思いいたったのか、悠々とこちらを追い抜いて行く。

 

「三隈!」

 

 その声を、曙は聞く。三隈がいる、ということは、つまり。

 

「潮……?!」

 

 潮が抱え込まれ、三隈に抱きかかえられているのを、曙は見る。つい先日、涙を見られてしまったためか、かつての怨恨というよりは、気恥ずかしさで顔を見られない。

 

「あら、摩耶さん。……と、曙さん」

 

 いつものふわりとした笑顔で、いつもと変わらない調子で三隈は笑う。それを、信じられない、という様子で摩耶と潮は見て居た。事実、曙もそれを信じられない。こんな時になんでこんなに呑気でいられるんだ。そういう思いが、ある。

 

「急がないといけませんね」

 

「馬鹿ッ走れッ!」

 

 摩耶は、いつもの手荒さそのものの調子で隈の頭を軽くはたき、はしれ、と手でサインを送る。あらあら、と開いている方の手で頭をさすりながら、走り始める。

 

「53号計画ってことは……空襲かしら」

 

「それ以外の何があるんだよ!」

 

 その三隈と摩耶の怒鳴り合いを聞きながら、抱えられている潮と、曙は思わず視線を交わした。大丈夫なのか、という感覚である。

 

「……ついたら、どうするんですか?!」

 

 弾む息の間から、叫ぶように曙は声を発した。それに、摩耶も同じような調子で返してくる。

 

「提督の指示によるが……防空戦闘に移る。……と! 思う!」

 

「防空戦闘……?!」

 

 防空戦闘。装備しているのが対空砲だったから、ちょうどいい、と曙は走りながら独り言ちた。なんだってVADS、つまり対空機関砲を引っ張ったトラックの一台も走っていないのだろうか、などと考えながら。

 

 

 

 

「……あら、遅かったですね」

 

 そんなことを、加賀の顔を見ながら、山城は言った。46cm3連装砲の砲内部にこびりついたカーボンを落としていたため、すでに地下指揮所に居たため、こんな調子であった。

 

「準備は万端。いつでも出撃できます」

 

 手についた機械油のにおいに顔をしかめながら、山城は艤装を装着する準備を既に終え、加賀の目を見る。なぜ首席参謀のお前がここにいる、提督はどうした。といわんばかりの目で、だ。

 

「……その必要はありません」

 

 どたどた、という足音が、上から響いてくる。ああ、来たのか、と山城は話が面倒くさくなるな、と考えながら、ため息をついた。

 

「その……必要がない、って……どういうことだ!」

 

 息が上がっているためか、それとも「極度の興奮状態にあるからか」は判然としないが、現れた摩耶は顔中を真っ赤にしながら、怒鳴り、加賀につかみかかる。

 

「やめなさい。摩耶」

 

 静かに、山城は目を閉じて言う。ああ、つまり、そういう事なのか、と、理解できたためだ。

 

「やめろって……姉御?! こいつが言っていることの意味が分からないのか! この……この敵前逃亡で味方殺しのクソアマがどんなくそったれなことを言ってるのか、わからないのかよ!」

 

「やめろといっている! お前は軍の秩序を乱すつもりなのか! 摩耶!」

 

 強い調子で山城は言葉を発しながら、摩耶の腕をつかみ、加賀から手を離させ、突き飛ばす。思わないことはなかった。だが「言っていいことと悪いこと」がある。その後ろからついてきていたであろう三隈と曙、そして潮は、目を見開いていた。

 

「軍の序列なんかクソくらえ! 姉御だってなんてことを言っているかわからないわけじゃないだろうが!」

 

 加賀は、下を見て唇を噛んでいる。こうなったら加賀は使い物になるまい。そう考えながら、山城はぴっ、とさされた摩耶の指を払い、同じような調子で返す。

 

「摩耶、それ以上はわかっているんでしょう?!」

 

 そう言った瞬間、摩耶は顔をゆがめ、そして自分の装備を見て、繰り返す。

 

「わかってんだろ、姉御も」

 

 そう言われた時、加賀と同じように、山城も思わず下唇を、噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……録音音声、流れてるわね」

 

 放送装置から自分の音声が流れていることを確認すると、鳳翔は駆け出す。そのとき、ふと気になって後ろを見ると、爆炎が上がった。空爆、とふと身を固くし、地に伏せるが、特有の轟音はない。窓も、割れていない。

 

「……人間の敵は、人間ってことなの……?」

 

 破城槌のようにした角材をメインゲートに打ち付ける避難民の姿が、目に入る。守衛たちも発砲しようかどうか迷い、銃を上げ下げしていた。それを見て、悲壮感に駆られかけたが、しかし。

 

頭の冷えた部分が、鳳翔に言う。

お前は生きることに興味が失せたのではなかったのか。そう、言っている。

 

「……」

 

 鳳翔は、振り返らずに走る。銃声と、人間同士が戦うウォークライの声が、後ろから、した。

 

 

 

 

 

 

「デッキアップ、急げッ!」

 

 警察官が、パワードスーツに身を滑り込ませ、核融合バッテリーを軍の整備士が装着し、ぐっと親指を上げるのを、提督は慌てて腕を振り、制止する。

 

「今はまずいッ!」

 

「そんなことを言っている場合ですかッ! 電話でメインゲートが破られたって連絡があったんです!」

 

 給弾口から催涙ガス弾を20mm砲に送り込みながら、ハーネスを閉め、そしてコクピットを閉じて顔が見えなくなる彼らを、見た。4機のパワードスーツが、同様にスターターをかけ、ぐいん、と動き始める。腰には、20mm通常弾をセットしている。残りの4機は、というと、それを悔しそうに眺めていた。バックアップ、というところだろうか。いずれも、年若い。

 

「私たちはおまわりさんですよ」

 

 外部スピーカーで、そういう彼らを見て、提督は止めることが無駄である、と悟った。彼らは暴徒鎮圧とともに、できれば避難民に空襲が迫っていることを知らせ、逃がしたい、と考えているのだろう。それを止めることは、提督は、その良心から言っても、不可能だった。

いかにも、無残な、痩せこけた良心だった。優秀な指揮官には、なれそうもない。そう思いながら、痛む頭をさする。

 

「市民を守るのは私たちの仕事です。……後は、あんたたちの仕事だ。軍人。武運を祈る」

 

「そちらも」

 

 敬礼をすると、ははは、と警官たちは笑い、搬入用エレベーターで地上に向い、姿を消した。あんたたちの仕事だ。そう言われて、と提督は思わず吐きそうになるのをこらえた。

 

 俺があんたたちのようにふるまえるものか。俺が何を選ぶか知っていて、それを言うのか、お前たちは。そう、悪態をつきたい心持だった。だが、それは提督には許されないし、そんなことは甘えである。選ぶ、ということは本質的にそのような要素を持っている。

 

「……」

 

 言うべきことは、もはやない。そこからは背を向け、地下指揮所の艦娘の装備の臨時整備ショップに向う。そして、そこから漏れ聞こえる口論の声を聞きながら、提督は、ホルスターから拳銃を抜き、そのグリップを握りしめた。ブローニング・ハイパワーと呼ばれる、ベルギー製の拳銃のハンマーを見て、こいつを撃つようなことにならなければいいが、と考えて、スライドを引いた。

 

 

 

 

 

「提督……?」

 

 その声が、耳に届く。加賀のそのすがるような声を聞いて、思わず提督は舌打ちをした。説得できなかった、ということか。そういう苦い思いが、腹の中でわだかまり、右手の拳銃の重さをより意識させる。

 

「提督……!」

 

 怒声が鼓膜を、強くたたく。三隈と潮、そして曙の戸惑いの視線を身に受けながら、摩耶のそれを受け、静かに返した。

 

「待て、どこへ行く」

 

 ブローニング・ハイパワーのグリップをぐ、と握りながら、トリガーに指をかけて、摩耶にそれを向ける。振り向いた摩耶は、信じられないものを見る顔をしていた。

 

「おい、提督、どういう意味だ、それは」

 

 加賀はじ、とこちらを見て、曙は潮に袖を引かれ、山城は摩耶を止めようとしている。後ろから気配のする鳳翔のほうを見てみると、その表情は、読めない。

防空壕の中で銃撃戦を始めようとするとは、いよいよ俺も正気ではないようだ、と提督は苦い思いを噛みしめていた。

 

「決まってる。決まってるだろ! 空爆を受けているんだぞ! 摩耶様の出番だろうが!」

 

 腕を振り、怒気を露わに摩耶は言う。何のために私がここに居るのか、といわんばかりに、怒りで顔が歪んでいる。

 

「出番を決めるのは俺だ。座れ。これは命令だぞ」

 

 再び、グリップを握る手に力を込める。そうとも、わかっているとも。お前の出番も、お前たちが戦うべき戦場はここだとも。道理としてはそうだ。

呉の市民20万を見捨てる選択をする。それはお前たちが許せないことであるとも。理解もしている。そして唾棄もしている。

 

「座れ」

 

 だが。指揮官として、提督はその道理を通すわけにはいかなかった。

 

 その瞬間、ずずん、という音が、響く。ついに、地獄が始まった。

 

「止まりなさい! 止まらんと撃つぞ! 止まれ! 現在当鎮守府に敵が接近している! ただちに避難せよ! 止まらんかッ!」

 

 返ってくるのは怒声と発砲音。セラミック製のパワードスーツ用防盾にノックのような着弾音がする。拡声器の音を切り、パワードスーツに乗った警察官はちっ、と舌打ちをした。

 

「遠慮なしに撃ってきてますね」

 

 青のピクセルカモに曹長の階級章を付けた海軍軍人、坂井曹長が、どこから引っ張り出したのかもわからないM79を握り、ため息交じりに言った。

 

「そりゃおめえ、門衛撃ち殺したのに今更警察に容赦する気もねえだろ」

 

 誰ともなくそう発言すると、ははは、というさざめきのような笑い声が無線に満ちる。自暴自棄。その一言がふさわしかった。これから爆撃がやってくるというのに、連中気が狂っているのか、といいたくてたまらない。それが、警察と海軍の混成編成である彼らの本音でもあった。

 

「ガス弾を装填せよ! ガス弾を装填せよ!」

 

「了解。クソッタレ。連中ここでぶっ倒れたら俺たちに賠償請求でもするのかね」

 

「どうせ死体も残らねえよ」

 

 再び、笑い声。笑う他ない、というのが本当のところだった。

 

「連中、気でも狂ってるのかね。これから空襲だってのによ」

 

「狂気の度合いで言えばこっちもでしょうよ。まったく。提督は警察に汚れ仕事を寄越しやがった。おかげで俺たちが納税者を撃つ羽目になってる」

 

「イカれてるのは皆さ。まともなのは敵だけだよ」

 

 ちげえねえや。そう笑って、彼らは一斉に引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

「座れ」

 

 提督は大きく息を吐き、青い顔のままトリガーガードに指をかけ、摩耶に命令する。摩耶は銃口をにらみ、後ろに一歩、二歩、と下がる。

 

「……艦娘にそれを撃ってどうにかなるとでも思ってんのか?」

 

「艤装も付けてない艦娘が拳銃弾を止められるとは聞いたこともないね」

 

 ハッタリはきかないか。と摩耶は舌打ちをした。しかし、憤懣は山ほどある。

 

「市民はどうするんだ! 避難誘導は? その時間稼ぎは?!」

 

 提督は再び青い顔のまま、白くなった唇で言葉を紡ぐ。

 

「現在は楽しい暴動の真っ最中だよ。その市民によるな……避難誘導も何も無い」

 

「暴動……?!」

 

 それを聞いて、摩耶は顔色を変える。だが。

 

「だから……ぐ……う……」

 

 提督が銃を取り落し、ひざから倒れこみ、蹲る。はっ、はっ、という荒い息が、聞こえた。

 

「え……お、おい、提督?!」

 

「だから……出るな。出るんじゃない。お前らに一人でも欠けられると……」

 

 胸をかきむしり、は、は、と再び息をつく。呆然としていた艦娘たちに、生気が戻った。

 鳳翔は提督に駆け寄り、脈をとる。そしてやはり、とつぶやいた。異常に早かったかと思えば止まり、を繰り返している。ちっ、と舌打ちをして、周りを見て、指示を飛ばす。

 

「AEDを取ってきなさい! 加賀!」

 

「は、はい!」

 

「摩耶は医務室に行って医官を呼んで!」

 

「お、おう!」

 

 一呼吸を置いて、あおむけに寝かせて上着を脱がせると、山城に心臓マッサージをしろ、と指示をして、呼吸が止まっていないことを耳元に提督の口を近づけて確認すると、脱がせた上着を枕代わりに敷く。

 

「も、持ってきました!」

 

 加賀がAED、つまりは除細動器を持ってくると、すぐに箱を開けて設置する。出撃する、しない、の話は提督が倒れたことで吹き飛んでしまった。

 

 

 

 

 

 

「連中、マジでイカれてやがるッ!」

 

 イヤマフごしからにも聞こえてくる、20mm機関砲の猛烈な叫び声。空中で砲弾がさく裂し、ガスがぶちまけられる。うめき、悲鳴、悪罵。それらすべてが爆発音で切れ切れになる。しかし。催涙ガスの血膿色の煙の中から、銃弾が発射される。曹長の階級章を付けた男、坂井曹長は絶叫する。

 

「イカレてるッ!イカれてるッ!」

 

 畜生、なんでこんなことになった。どうしてあいつらがこんな時に突っ込んでくる。なぜガス弾をブチ込んでも平気な顔をして応射してくる。

 天を、仰ぐ。

 

「ちっくしょう……」

 

 黒いしみが、青い空に広がっている。低空を、舐めるように飛んでいる。坂井曹長は、怒鳴る。

 

「深海棲艦だ! くそったれ! なんで逃げない! なんで向ってくる!」

 

 畜生。どうしてこいつらは正気を失ってるんだ。わからないのか。敵は俺たちじゃあない。俺たちであってたまるものか。今空に居るのか人類の敵だろう。なぜお前たちは。

 

「あ……!」

 

 警察のパワードスーツの体が、何かをかわすようによじられた。坂井曹長は、20mm機関砲の砲身の一撃を腹に受け、吹き飛ばされ、ぐるぐると体が振り回される。

 

「は……は……ッ!」

 

 体を、起こそうとする。激痛が全身に走り、頭が白くなる。悲鳴が聞こえる。あまりのうるささに正気を取り戻すと、その悲鳴は自身の口中から絞り出されたものだったことに気づき、笑う。

 

「気が狂ってるんだ……どいつも……こいつも」

 

 視線を巡らせると、そこにはロケット砲弾らしきものを受けた警察のパワードスーツがかしぎ、中からずるり、と体が落ちる。地を這い、顔を上げ。そして。

 

「やめ……」

 声が、出なかった。押し寄せる人の波に、警察官は飲み込まれた。掲げられ、苦悶の声を上げている。にもかかわらず、あちこちから拳が飛び、歓声が聞こえる。いや、野獣の咆哮といってもいいかもしれない。

そして、そこに深海棲艦の蝙蝠型の戦闘機が襲い掛かり、機銃掃射。歓声がほとばしったままの喉が絶叫をたて、そして数度の掃射をあび、市民であったもの、そして、野獣に変じた者、彼らを止めようとした者たちは、一つの肉塊となっている。赤黒い塊。

 

「……まともなのは、敵だけじゃねえか……」

 

 笑い、坂井曹長は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 略奪者も、そしてその制止者も、すべてを肉くれに変えた後、深海棲艦の戦闘機は引き上げていく。後に残ったのは、蠅と、新鮮な蛆がたかった死体。つぎはぎの修理痕があったかと思えば、別の場所が壊れている。

 

 3日間。鳳翔は敵を刺激する恐れがある、と認識していながらも艦載機を飛ばし、周防大島を観測し、そして。

 

「……動きは無い、か」

 

 追加の艦隊行動もなく、周防大島の飛行場姫は沈黙を守っている。いいか悪いか、わからない。どちらにしても、市民も、兵たちも。そして艦娘たちも疲れ切っている。ただ、虚無感だけが広がっていた。死体を一瞥しては、片付ける気力もない、という様子で肩を落とし、ただ歩いている。生存者はどのくらいか、ということ自体、よくわかっていない。加賀は何とか最低限の基地機能を復旧させよう、と飛び回っている。発電機と水道が破壊されていなかったことだけは、奇跡に近い。もっとも、電気は下手に復旧させれば火災が起きるため、限定された区画のみに限って復旧させているようだ。鳳翔が今いる地下指揮所はもともと発電機を持っているため、あまり関係はないのだが。

 

 そして、鎮守府の責任者である提督は、というと、心室細動を起こしたものの、一応は無事だ、ということになっている。なっている、といえば語弊があるが、そうとしか形容のしようがない。意識を失ってはいるが、体内式除細動器を埋め込む必要はなかったため、そう形容しているのだ。それに、もとが健康体であったが、疲労と睡眠不足であったにもかかわらず、無理をし続けたのが原因だろう。としか言えない、というのが医者の見立てである。

 

 その提督は、というと、今にも起きてきそうな顔色で、ベッドに寝ている。脳波も脈拍も正常。ただ、意識だけがない。鳳翔は、ため息をつきながら、ベッドの横におかれているパイプいすに腰掛けた。たとえ艦娘が生きていたとしても、その司令官であるあなたが倒れていては意味がないのだ。そう言いたげに、顔を見つめている。

 

 

 

 

「ああ、畜生」

 

 またこの夢か。そう、提督はつぶやく。手りゅう弾のピンをにちり、と引き抜き、すっと開けた扉の隙間から投擲。そして。

 

「……」

 

 無言で扉をけ破り、船室に入ると、そこには。

 

「……クリア」

 

 誰もいなかった。ただ、折り重なるように、銃を握った少年と、銃を握った少女だったものが転がっている。誰も居ない。無感動に死体を見て、男は前進していく。64式小銃を握り、敵を反射的に撃ち、任務を終える。

 

 敵拠点を襲撃する。その任務を付与された彼は、掃討を完了して、引き上げる時にふとその部屋を通りかかる。元ANZACの海賊を間引く任務なんか、なんで俺がやるんだ。とぼやきながら。

そこには、少年と少女の死体が、変わらず転がっていた。じっとそれを見て、そして何も感じなかった。

 

なぜ。そう提督は考えた。なぜ、何も感じない。子供の爆裂死体だぞ。ゲロの一つくらい込み上げてこないのか。血のにおいも猛烈にするし、南国であるためか、悪臭すら立っている。普通は生理反応として吐き気が込み上げてくるところだ。それすらも、ない。

 

 その日、彼は船室で寝る前に、海軍を辞めることを決意した。殺しが嫌になった、とかそういう事ではない。そんななまなかなことではない。

それはつまり。子供を肉塊にしたにもかかわらず、何も感じず、心がひとつも動いていないことが、恐ろしくてならなくなったのだ。

 

「ああ……畜生」

 

 やめられなかったよなあ、と夢の中で、寝息を立てている自分に語り掛ける。辞められなかった。辞められるはずもなかった。その時には、すでに彼女たちの司令官に就任していたからだ。

 

「ひどいことをしたなあ。本当に」

 

 そういって、涙した。

 

 

 

 

「……加賀?」

 

 鳳翔は、目の前の加賀が、常になく取り乱していることを見て、顔をしかめた。唇は引き結ばれ、眉間にはしわがよっている。椅子から立ち上がり、じ、と顔を見た。

 

「あなたは……あなたはここで何をやっているのですか」

 

 ぞくり、とした。地獄の底から響く声、とはこういう声のことを言うのだろうか。

 

「この大変な時に、あなたは……あなたは」

 

 手で顔を覆い、加賀は蹲り、低い声で鳳翔を呪った。

 

「なぜ、助けてくれないんですか。あなたのほうができるじゃないですか。私は提督が倒れたあの時、体が動かなかった。あなたは動いて、適切な処置をした。どうして、かわってくれないんですか。私だって、やれることはやったんです。やったんです……」

 

「……」

 

 沈黙が、落ちる。鳳翔は、考えた。

 

 なぜ助けなかったのか。そんなことは知れている。出来ることは知っていたからだ。なぜ助ける気が無かったのか。だって、私を呪って首をくくった「あの人」のいないここで、なんで頑張る必要があるのか。よく、わからなかったからだ。

 

 目の前の加賀は、疲れ切り、血色が悪い、ということもわかる。作戦の相談や決裁ができるだけの、加賀と同じように「提督と同じこと」を考えながら動くこともできた。だが、なぜやらなかったのか。

 

「よくわからないわ」

 

「……えっ」

 

「よく、わからない。そう言ったのよ」

 

 加賀はふらふらと立ち上がり、そして。手を振り上げて、鳳翔のほほを思いっきり張った。

 

「ふざけるなっ!」

 

 ふざけるな。はあ、はあ、と肩で息をしながら、加賀はじっと鳳翔の目をにらみ、声を上げる。

 

「ふざけないで……ふざけないでください。本当に、ふざけないで……どうしてなんです。教官……あなたは……!」

 

 どうして。そこから先は、加賀の喉からは声にならなかった。嗚咽だけが、響いていた。時計の音だけが、やたらに耳に響いていた。ほほが、あつい。

 

「……痴話喧嘩か、なにかか」

 

 男の声が、響いた。

 

「……てい、とく」

 

 その声を聞いて、加賀は顔を上げる。

 

「……美人が台無しだな。……状況は」

 

 寝たふりしてた方がよかったかね。と提督はつぶやき、体を起こす。

 

「最悪なんだろう? 何番底なのかわからんな、こいつばかりは」

 

 提督は、低く笑い、ひきつる頬で無理ににやり、と笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……電です。物資を満載して帰ってきたら、鎮守府が更地になっていました」

 

「いやあ、縁起でもないけど本当に更地だね。きれいさっぱりしてる。僕の目がオカシイのかなぁ」

 

 そう最上と電は、惚けたまま言う。その後ろから、声がした。

 

「……冗談になってませんよ!お二人とも!」

 

「ああ、そうね。うん、僕も冗談じゃないから困ってるんだよねえ」

 

 いったん言葉を切って、最上は顔を向けて言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「吉報を持ってきてくれたんだろう? 雪風」

 


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