自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー   作:藍終

13 / 37
クユリちゃん、左腕がッ!


安いもんさ…左腕の一本くらい…

 

 

「いや〜、名演技でしたね黒服さん!もしかしてそういう趣味があったりします?」

 

「クックック…、流石にそんなことはありませんが……。仕事柄、時には皮を被ることが必要になりますので…。それにしても今回は特例でしたが」

 

 僅かな電灯が淡く光を放つのみの薄暗い通路に、場違いな明るい少女の声が響く。

 

 高層ビルの遥か地下に、この場にいる少女とその隣を歩くスーツ男のみが存在を知る空間がひっそりと広がっていた。

 

 上界からの一切の音が遮断されているため、あらゆる音が閉じ込められた空気を震わせ、音響効果を生み出している。

 

 今は固く閉じられているが、二人が先程までいた部屋の扉の向こうには目を覆いたくなるような惨状が広がっている。

 

 大量の器具やケース、棚にぎっしりと詰まったファイルにポツンと中央に設置されたベッド。実験室と手術室の要素を組み合わせたようなその部屋の至る所が真っ赤な液体に濡れている様子は、拷問でも行われたのかと誰もが思うだろう。

 

 当然というべきか、この部屋自体も防音仕様なのでどれだけ悲鳴をあげようがこの通路にすら届かない。

 

 

 そんなあからさまに違法かつ惨忍な場所から出てきた二人は、さしたる動揺も見せず、まるで日常生活の一部のような調子で会話を交わす。

 

 

「…まぁ、そのおかげで質のいい“素材”が録れましたから!ちょっと無理を言った自覚はありますが流石は黒服さんですね」

 

「ククッ、私からの一種のサービスと思っていただければ…。それに私の研究のサンプルも手に入りましたしね…」

 

 黒服がおのが片手で抱えている大きなケースに視線を送る。

 その中身は薄緑の液体で満たされ、罅割れた人間の左腕が浮かんでいるという中々にショッキングなものだった。

 

 その液体には何かしらの保存効果があるのか、主の元を離れた筈の左腕の罅は未だ生きているように脈打っているのだから余計にグロテスクである。

 

 

「解析と暫定的な結論が出るまでに一日程かかりますが、貴方はどうするおつもりで?」

 

 黒服がそう尋ねると、その左腕の主だった少女―御稜クユリは慣れない体重バランスにふらつきながらも、器用に懐から一つのUSBメモリカードを取り出した。

 

「痛みが残っている内にコレを“あの人”に届けに行こうと思います。そのほうが自然な演技ができますからね…」

 

「なるほど、でしたら準備ができ次第お声がけください。彼の居場所は常に把握しておりますので、付近に転送するくらいはして差し上げましょう」

 

「…やっぱり黒服さんも案外ノリノリじゃないですか?」

 

「クックック…、どうでしょうかね?」

 

 

 コツコツと鳴り響く足音がやがてそのペースを落とし始め、エレベーターのある通路の突き当たりに辿り着く。

 

 黒服が埋め込まれたボタンを押すと、すぐに頑丈な鉄の扉が滑るように開く。

 二人が乗り込んだあと、階数の指定ボタンを4、5、9の順に押し、軽い浮遊感に襲われるに任せる。

 

 

 軽くケーブルが唸るような音がエレベーター内を支配している中、ふと思い出したかのように黒服がクユリに尋ねた。

 

「…今更なのですが、なぜ私に“架空の花鳥風月部の大人”を演じて欲しいと頼んできたのですか?」

 

「…ほんとに今更ですね…、確かに直前に頼んでしまったのでなし崩し的だったのは否定しませんけど」

 

 そう苦笑した後、一つ咳払いをしてその理由を語り始めるクユリ。

 

「まず第一に、黒服さんはあの人にいたずらに敵対する事は望んでいないでしょう?」

 

「えぇ、その通りですが……」

 

「ですから、今回は録った内容が内容なので、声の主が黒服さんだと特定されないようにボイスチェンジャー付きで架空の大人を演じて貰う必要があったんです。 あとは架空の存在を実在する部と関連付けることで、居もしない存在にヘイトを押し付けられるからですね。先入観に囚われた滑稽な姿を見たい気持ちもありはしますが……」

 

「ククッ!まさに幻のスケープゴートというわけですか。考えたものですね」

 

 真実の中に嘘を混ぜる、単純でありきたりだがやられた側は見破るのに相当な時間を要する優秀な常套手段だ。

 

 しかもそれが無条件に信頼の対象となる生徒から仕向けられるのだ。最初からそのつもりでいないと彼女の思う壺のままに進んでしまうだろう。

 

 相手の信頼も善意も容赦なく利用したこの案に、黒服は感心したように笑った。

 

 

 

 やがて、チンと軽い音が鳴ると同時に密室が開け放たれ、ようやく高層ビルにふさわしいオフィスの空間が戻って来る。

 

 当然、指定された4階でも5階でも、ましてや9階でもなくそれよりも遥か上階であるが、本来高所からの街を展望できるはずのガラス窓は全て、分厚く黒いカーテンに覆われてしまっていた。

 

 それも当然といえば当然で、片や左腕が半ばから切断され、僅かに血の滲む包帯を巻いている少女に、片やその左腕が保管されたケースを抱える異形の男という状態なのだ。

 

 バレれば確実にヴァルキューレ警察案件なため妥当な措置である。

 

 まだ日が出ている時間帯だというのに電灯の光が満ちる空間の中、黒服がデスクの上にケースを置き、引き出しの中から何かしらを取り出しクユリに手渡した。

 

「……これは?」

  

 クユリの掌には小さなビニールに包まれた数粒の錠剤が転がっていた。訝しげに首を傾げる彼女に黒服は答える。

 

「実は今のクユリさんの状態について、私の中で一つの仮説が立っておりまして…。それの足掛かりになる効果を持つ薬です。出来るなら飲んで頂きたいのですが…」

 

「えぇ………」

 

 

 いくら黒服を信用しているクユリでも流石に抵抗感があるのか、しばらく錠剤と黒服を交互に見つめていたが、やがて覚悟を決めたかのように一気に口の中に放り込んだ。

 

 

 少しの間静寂が流れ、黒服が尋ねる。

 

「……どうでしょうか?」

 

「う〜ん…?ちょっと身体が軽くなった気もします…?」

 

 そうふわっとした感想を返すクユリをじっと観察するように見つめる黒服。

 

「……ふむ」

 

「どうかしましたか?」

 

「…いえ、ご協力ありがとうございました。良いデータが取れましたので」

 

「どういたしまして…?」

 

 何か確信を得たのか、一つ深く頷いた黒服。

 

 それに首を傾げながらも心の中で無理矢理納得したのか、ふと思い出したようにクユリは人差し指をピンと立てた。

 

 

「あ、そういえば黒服さん。今の代わりってわけでもないんですけど、一つお願いが…」

 

「なんでしょう?」

 

「その…、今の私って百鬼夜行の診療所の病人服姿じゃないですか。流石にこの姿で街中を練り歩くわけにもいかなくて……」

 

「あぁ、その事でしたら心配ご無用ですよ」

 

「へ?」

 

 思いも寄らない回答が返ってきて素の疑問の音が口から漏れるクユリ。

 

 そんな彼女を見て、黒服がオフィスの一角を指差す。 

 そこには明らかに浮いた段ボール箱が一つポツンと置かれていた。

 

「そんなこともあろうかと、保管されていた貴方の制服を回収してまとめておきましたので。ついでに数日滞在するとのことでしたので適当に着替えも準備しておきました」

 

 

「…………」

 

 

 頭の整理が追いつかないのか、しばらくポカンとしていたクユリだったが、やがて徐々に白い頬に朱が差し始める。

 

 制服はまだしも数日分の着替えまで準備してもらったという事はそれすなわち――

 

 

「………黒服さんの変態」

 

 

 そう言ってぷいっと顔をそむけるクユリはまさしく年頃の少女で、それを見た黒服は思わず笑ってしまう。

 

 

 そこだけ切り取ればお節介な父親と、気難しくなりつつある女子高生の娘の関係に見えなくもない光景が人知れず流れることとなった。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 

“う〜ん、どの子もどこか違うかな…”

 

「そうですか…。ぐぬぬ、このスーパーアロナちゃんの辞書に不可能という文字は無いはずなのに…」

 

 

 

 あの後、無事古聖堂の瓦礫の撤去作業を進めることができ、折角なのだからとナギサにお茶会に誘われたり何なりしていたら、シャーレに帰り着く頃には太陽はとっくに西に傾いてしまっていた。

 

 相変わらず山のように積み上がった書類に白目をむきつつも、地道に削っていけば案外なんとかなるもので、大体半分ほどにまで山が小さくなったタイミングで一休みの時間をはさんでいたのだ。

 

 ふと外を見やれば、黄昏の西日が窓から差し込みそこそこの広さを持つシャーレの一室を橙に染めている。仕事帰りでぐったりしている者や、まだまだ元気が余っている様子ではしゃぐ生徒たち。

 耳を澄ませば自然とカラスの鳴き声が聞こえてきそうな、一日の終わりが近づいてきていることを嫌でも感じさせる風景に、僅かなもの悲しさを抱いてしまう。

 

 大人になってからというもの、時間の流れがとても早くなったように感じてしまって仕方がない。

 

 このキヴォトスに赴任して毎日が色々な意味で刺激的である事も影響しているかもしれない。

 

 …この書類仕事だけは何時まで経っても変化しない数少ない事象であるが…。

 

 勝手に仕事に意識が向き始めるあたり末期なのかもしれないと自嘲していると、ふとあることが頭の中に浮かび上がる。

 

 気分転換も兼ねて、立て掛けてあるシッテムの箱を起動し呼びかけると、すぐに見慣れたOSが姿を現した。

 

 

「はい!どうかしましたか?先生」

 

“今思い出したことなんだけどね…。アロナ、生徒名簿をだしてくれる?”

 

「生徒名簿ですね、少しお待ち下さい………。どうぞ!」

 

 アロナのヘイローが無限のマークを描き、ソシャゲで言うところのNow Lodging…時間が少し流れた後、生徒名簿が表示される。

 

 このキヴォトスに登録されている全生徒の名前と顔写真がセットになっている非常に便利なものだが、このままでは如何せん母数が多すぎて気になった生徒を探し出すのに時間がかかる。

 

“アロナ、私が今から言う特徴を持った生徒を絞り込んでほしいんだ。”

 

「?わかりました、このスーパーアロナちゃんが先生のどんなボヤッとしたイメージでも読み取ってみせます!」

 

 可愛げの中に少し憎たらしい要素ももつ彼女に苦笑しながら、頭の中の記憶を引っ張り出した。

 

 

 

 

 そうして今に至るわけだが、似たような生徒は幾つか見つかるも何処かが記憶の中の姿と違うことに首を傾げざるを得なかった。

 

 そもそもあの時見た姿も正確かと言われればそうではないため、絞り込みワードが間違っている可能性もあるのだが……。

 

「う〜ん…。銀髪と黒髪で、身体に罅みたいな模様が入っている生徒さんはこの生徒名簿にはいませんね…。先生、その生徒さんのヘイローの形はわかりますか?」

 

“それが…、遠くからだったからよく見えなくて…。錯覚じゃなければ白っぽかったような…?”

 

「ヘイローが白っぽい生徒さんは………。この方たちですが…」

 

 再び生徒の一覧が更新されたため、記憶の中の彼女と照らし合わせていると……。

 

“ん~~……、あっ!この二人は似てるかも。”

 

 目に留まった生徒を指差すとアロナが詳しく説明してくれる。

 

「百鬼夜行連合学院の生徒さんですね。姉妹だからでしょうか、とてもよく似ていますが……。でも先生、この二人は黒髪でも何か模様が入ってもいませんよ?」

 

“そ、そうだよね……。”

 

 顔立ちは記憶と合致するのに、結局一番の特徴が当てはまらない。

 

 これはお手上げかな…とがっくりする。

 もしかしたら本当に見間違えか何かだったのかもしれないと思いながら缶コーヒーを啜る。

 

 間の悪いことにそれもすぐに尽きてしまったため、外に買いに行こうと席を立つ。

 

“…ちょっと買いにでてくるね。ありがとう、アロナ。”

 

「いえ……、あまり飲みすぎないでくださいね」

 

“…善処します。”

 

 

 そう口では言うものの、既にカフェインが体に染み付いてしまっている現状、徹夜のお供にコーヒーと栄養ドリンクは欠かせない。

 

 先生たるもの健康的な生活を心がけなければいけないとわかってはいるのだが…。

 

“またセリナに怒られちゃうかな…。”

 

 そう独りごちながらシャーレの一階―とは名ばかりで殆ど外出したと認識する位置にあるエンジェル24で買い物を済ませる。

 

 いつ訪れても変わらない元気な声で挨拶をしてくれるソラに手を振り、店を出ようとした時だった。

 

 

 ソラも気にしている事らしいがこの店には私くらいしか訪れることがない。そのためレジにいるソラの方ばかりを見て、店のドアが新たな来客を察知して開いたことに気づかなかった。

 

 人間、不注意や無意識下での行動にはリミッターが緩くなるのか、余計な力が抜けた強い力が発揮されてしまうことがあり、ブレーキを効かせるまもなくその来客と思い切りぶつかってしまった。

 

 

“ご、ごめん!前を見てなくって………。”

 

 

 反動で倒れ込む瞬間、ヘイローが見えたことから相手は生徒だと察し、自らの不注意さを戒めながら同じく倒れ込んだ生徒に駆け寄る。

 

 そこでようやく気づいたことがあった。

 

 アロナの生徒名簿にも載っていない特徴的な容姿をもち、やはり見間違いでなかったのか、真っ白な雪の結晶のような形のヘイローを浮かばせている件の彼女がそこにいたのだ。

 

 思わぬ邂逅に呆然としてしまっていると、彼女も頭を下げてきた。

 

 

「いえ、こちらこそすみませんでし―――っ痛!」

 

 

 しかし言葉の途中で突如、左腕辺りをおさえ端正な顔を苦痛に歪ませてしまう。

 

 もしや先生の身でありながら生徒に怪我を負わせてしまったのかと自身に怒りがわいてくるが、ひとまずそれは後回しだ。

 

“大丈夫!?ごめんね…、ちょっと見せ………え……?”

 

 彼女が押さえている箇所は羽織によって隠れていたので、そっとそれをめくって怪我の状態を把握しようとしたのだが……。

 

 そこに本来あるはずの左腕は、肘辺りからまるで切断されたかのように欠け、ぶつかった衝撃で傷が開いたのか巻かれた包帯が赤く染まっている光景に思わず絶句する。

 

 

“――っ、ごめん!ちょっと掴まっててね!”

 

 半ば思考が停止してしまってはいたが、常に想定外が起こり続けるキヴォトスで生活してきたかいあってか、身体は勝手に彼女を抱きかかえていた。

 

 いくら小柄な少女とはいえ軽すぎるようにも思えるその身体をなるべく揺らさないようにシャーレの事務室に駆け戻る。

 

 仮眠室に備え付けられているベッドにそっと寝かせ、こんな時にはとても頼りになる生徒の名を呼ぶ。

 

“セリナ!助けて!”

 

「はい、先生のセリナです!どうかされましたか?」

 

 瞬間移動が彼女の神秘なのではないのかと思ってしまう程、間髪入れずに姿を現す救護騎士団の天使にホッと息をつき急いで状況を伝える。

 

“この子の怪我を――”

 

「わかりました!」

 

 言い切る前にどこから取り出したのか、様々な治療道具が入っている救急セットを抱えて対処を始めるセリナ。

 

 今だ唇を噛んで痛みに耐えている様子の彼女にセリナは穏やかな声音で問いかける。

 

「大丈夫ですか?私はセリナといいます。少し患部を見せてくださいね…」

 

「―――――っ、はい…」

 

 彼女が罅割れた細い手をゆっくりと左腕からどける。

 血の滲んだ包帯が目に入ったのか、セリナは己に気合を入れるように一つ深呼吸をし、残っている二の腕を支えながら包帯を外していく。

 

 

 やがて、白い帯が床に小さくわだかまり、傷口が露わになった瞬間、ヒュッと息を飲む音が響いた。

 

 それが私自身のものか、セリナのものなのかはわからないが、思わず口元を抑えてしまうほどには衝撃的だったのだ。

 

「こんな傷……、見たこともありません……」

 

 セリナがそう呟く。

 

 切れ味の悪いナニカで強引に切断されたかのような歪な断面。それだけでも十分だが、さらに恐ろしいのは、その傷口から覗く組織がグジュグジュと蠢いていることだった。

 

 耐性のない人間ならその場で嘔吐するか卒倒してしまう光景だが、セリナは震えながらも新しい包帯を取り出し慎重に巻きつけていく。

 

 その胆力に驚愕すると同時に、セリナや彼女に何もしてあげる事が出来ない自分の無力さを嘆く。

 

 

 しばらくして、真新しい包帯に交換し終えたセリナが張り詰めていた息を吐き出した。

 

「…とりあえずの処置はしました。ですが先生、これは…」

 

“うん……。ともかく、ありがとうセリナ。いきなりこんな事を頼んじゃったけど……。”

 

「気にしないでください。それよりも私は、彼女の話を聞きたいです」

 

“そうだね……。”

 

 

 視線を向けると、先程よりは楽になったようでいくらか穏やかな表情をしている彼女がいた。

 

 二人分の視線に気づいた彼女は慌ててお辞儀をした。

 

「あ、えっと……。助けていただいてありがとうございました。私は御稜クユリといいます。セリナさんと……」

 

“私はシャーレの先生だよ。よろしくね。”

 

「改めまして、トリニティ総合学園救護騎士団の鷲見セリナです」

 

 互いに自己紹介を交わし合う。生徒名簿の顔写真とは随分様相が異なっていることに戸惑うが、私は間髪入れず頭をぐいっと下げて謝罪する。

 

“クユリ、本当にごめん!私が不注意だったばっかりに…。”

 

「あ、いえ…。私もボーッとしていたのでお互い様です…」

 

“でも………。”

 

 少なくとも私が前をちゃんと見ていればクユリはこんなに苦しむ事はなかったのだ。たとえその傷自体は私がつけたわけでは無いにしても……。

 

「はい、そこまでですよ!お互いに謝ったのなら、それを受け止めるのも大事なことです」

 

 

 謝罪の硬直が続きそうな雰囲気が流れたことを察したのか、セリナがそれを断ち切るように両手を合わせる。

 

 確かに一方的に謝罪を押し付けるのは彼女にも失礼だったかもしれない。そう思い直し顔を上げると、セリナがクユリに尋ねる。

 

「…医療従事者としても、一生徒としても聞きたいことがあります。…クユリさん、貴方のその身体……何があったんですか?」

 

“私も気になるかな……。できればでいいから話してくれないかな?”

 

 結局彼女のことについて一番気になっている事はそれなのだ。

 

 落ち着いて観察してみれば、彼女は左腕だけでなく左眼も潰れてしまっている。幸い出血は止まっているようだが、それでも痛ましいのには変わりない。

 

 私にできることなら何でもしてあげたい。そんな意思を視線に込めて応答を待っていると、何度か視線を彷徨わせた後に観念したかのように話し始めた。

 

 

「…これは私の持病みたいなものでして……、身体がだんだん腐り落ちていくんです。治療法も見つからず、左腕と左眼は既に…」

 

「そ、そんな……」

 

 セリナと同じく絶句してしまう。

 

 いわゆる不治の病というものなのかもしれない。まだまだこれからの若さだというのに、これほど残酷な事があるだろうか。

 

 しかも徐々に身体が崩壊していくのを生きながら見届けなければいけないと言う。

 

 何より、治療法が見つからないという事実が私やセリナに重くのしかかっていた。

 

 

「医師の判断では、もっても今年いっぱいらしいです。もう、諦めちゃってますけどね……」

 

 全てを諦めたカラッとした表情でそう語るクユリを私は直視出来なかった。

 どうしてこの世界はとことん生徒に厳しいのか。八つ当たりでしかないとわかっていてもそう思わざるを得ないでいると……。

 

「――っ!クユリさん!」

 

 我慢できなくなったのか、セリナがクユリを優しく抱きしめた。

 

「ごめんなさい…無神経な事を聞いてしまって…!ですがクユリさん、どうか諦めないでください…。まだなんとか…、何か解決方法があるはずです!」

 

 その言葉は半ばセリナ自身にも言い聞かせているように感じられて、私も思わず立ち上がる。

 

“…そうだね、セリナの言う通り、諦めなければなんとかなるよ!いや、なんとかしてみせる!”

 

 いざとなればあのカードを使うことだって――

 

「…ありがとうございます。でもその気持ちだけで十分です。私はもう、覚悟はできてますから……」

 

 少しでも風が吹けばその瞬間に崩れ去ってしまってしまいそうな儚げな笑みを浮かべる彼女。

 

 青春を謳歌する筈の女子高生が負うには悲壮すぎる覚悟はどこか拒絶的で、私達は何も言えなくなってしまった。

 

 

「今回のお礼は生きている内に必ずします。私はこれで御暇させてもらいます…。ありがとうございました」

 

 

 そう言って去っていくクユリを止める者はここには存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 それから暫くして、日は落ちきり外はすっかり暗くなり、セリナも一度帰っていった後、今私はパソコンの画面の前で固まってしまっていた。

 

 

 あまりにも衝撃的すぎた一日だったためか、ソファに倒れ込むようにしながら頭の中で情報を整理していると、ふと左のズボンのポケットに違和感があることに気づいたのだ。

 

 手を突っ込んで探ってみると何か小さい物が触れる。

 引き抜いた手がつまんでいたのは、何の変哲もないUSBメモリだった。

 

 いつの間に入っていたのか。心当たりがあるとすればクユリとぶつかってしまった時くらいしかないが、中身は全くもって想像出来ない。

 

 悩んだ挙句とりあえずパソコンに繋いでみると、一つの音声ファイルが表示される。

 

 しかし、何故かその瞬間に自分の中の第六感が危険信号を出したのだ。まるでこれ以上踏み込んでしまえばその先は戻る事が出来ない地獄であると警告しているように。

 

 

 そのおかげでマウスをクリックすることができず、かといって興味がわかないわけでもないため、画面の前で固まってしまっている。 

 

 

 暫く自分の中でのせめぎ合いが行われた末に私がとった行動は、その音声を再生することだった。

 

 

 

『――本当に治してもらえるんですね?』

 

 いきなり声が聞こえてきて若干面食らったが、すぐにそれがクユリの声だと気づく。

 

『えぇ、なにせ私達が貴方をそうしたのですから当然ですよ。無論、それには対価が必要ですが…』

 

 今度はまた違う声だ。声質的に大人だろうが、微妙にノイズがかかっていて性別までは判断しにくい。

 

 ――というより、今聞き捨てならない事が聞こえた気がする。

 

『…何をすればいいのですか?』

 

『簡単なことです、貴方の身体の一部をくれればよいのです。黄昏に侵食された生きた素材なんて貴重ですからね』

 

 ――何を言っているんだコイツは。

 

 これまでの会話から推測するに、この大人のせいでクユリは黄昏とやらに侵食され、それを治す代わりに身体の一部を提供しろと言われているのだ。

 

“とんだマッチポンプだね…。”

 

 これが大人が子供にすることかとふつふつと怒りがわいてくるが、ここまでは序章に過ぎないことを思い知らされることになる。

 

『……わかり、ました。左腕でよければ…』

 

 他に頼れる人が彼女にはいなかったのだろうか。明らかにおかしいとわかっていても従わざるを得ない様子がありありと想像できてしまった。

 

『いいでしょう。では、そこのベッドに横になってください。暴れられては困りますから拘束具も付けさせてもらいます』

 

『―――えっ、そ…それって……』

 

 何を見たのか、クユリの声がはっきりとひきつった。

 微かに聞こえ始めるエンジン音に、しばらく動いていなかった鉄製の物が擦れる音。それらがだんだんと近づいて来るに従って、私の脳は考えたくもない想像をし始める。

 

 ――まって、まさかそんな……!

 

『見ての通り、チェーンソーですよ。長い事使っていなかったからかかなりガタがきていますが……、まぁなんとかなるでしょう。勿論麻酔は無しです』

 

 残酷すぎる解答が示されまるでその場にいるかの如く、顔から血の気が引いていく。

 

 ヴィィィィィン!と身の毛がよだつ咆哮を上げ始めるチェーンソー。

 

『――っあ、嫌……嫌!』

 

 虚しくもガチャガチャと逃れようとする音が響く。

 

 今すぐにでも割り込みに行きたいが生憎これはただの録音で、これから行われる所業をただ受け止めるしかない。

 その事実が私の無力感をより引き立てる。

 

 

『あまり暴れないでください…。貴方が承諾したことではないですか』

 

 ――黙れ。お前がそうせざるを得なくしたくせに。

 

 頭の血管がブチリと切れそうになる。

 怒りでどうにかなってしまいそうなのに、残酷な物語はページをめくることを止めない。

 

『…さて、そろそろ始めましょうか。せいぜい歯を食いしばってくださいねぇ』

 

 錆びついた回転音がいよいよ間近にまで迫ってくる。

 

 

 今まで空気を切り裂いていた刃が柔らかい肉体に触れた瞬間―――

 

 

 

『ぃ゙ァ゙ッ、ァ゙アアアアアァ゙ァ゙ァぁぁ゙ぁ゙ッッッ!!』

 

 

 

 耳を塞ぎたくなるような絶叫が部屋いっぱいにこだました。

 

 

 本来の用途とは違う使い方をされた刃が肉を削り取っていく音。凄まじい勢いで周囲に飛び散る血液の音。

 

 画像が流れているわけでもないのに、音という情報は鮮明に凄惨さを伝えてくる。

 

 

 やがて刃が何か硬いものを切り裂くような音を発し始めた。

 

 それがクユリの骨なのだと気づくと同時に、クユリが一際大きく叫ぶ。

 

 

『嫌ッぁ゙ッ!助けっ…ダズゲデッ!お姉ぢゃん!』

 

 

 その言葉を聞いたからか、ふとチェーンソーの回転音が弱々しくなり、切断半ばで動きを止めた。

 

 一瞬チェーンソーがついに故障したのかと甘い考えが脳をよぎったが、それもすぐに打ち消されることになる。

 

 

『――そのお姉ちゃんにも見捨てられたのにねぇ』

 

 

 

『――――――っあ…………』

 

 

 その言葉がクユリの希望を粉微塵に打ち砕いたのがわかりすぎてしまって――。

 

 

 再び切れ味の悪い刃が切断を開始しても悲鳴をあげることすら無くなり、ただ聞こえるのはようやく骨を断ち切ったチェーンソーが再び空を切り裂く音のみだった。

 

 

 それすらも聞こえなくなり、クユリのヒュッヒューという過呼吸音が場を支配している中、大人の―いや人間としてのクズの声が反響した。

 

 

『お疲れ様でした。…これからも尽くしてくれることを願っていますよ…我々、“花鳥風月部”に』

 

 

 

 

 そこでようやく音声ファイルが停止する。

 

 そう認識した途端、今までの皺寄せのようにとてつもない嘔吐感がせり上がってきて、床にそれを全てぶちまける。

 

 饐えた匂いの液体がビチャビチャと叩きつけられる。

 

 

 胃の中のものを出しきり、嘔吐も鳴りを潜め始めると覚束ない足取りで洗面所に向かう。

 

 

 蛇口に手をかざして水を溜め、一気に顔に叩きつけるようにして被る。

 何度かそれを繰り返していると強制的に頭を冷やされた影響で、散乱した情報が次々と整理されていく。

 

 

 

 彼女は――クユリは嘘をついていた。

 

 不治の病は、あの大人が率いる花鳥風月部とやらによる人為的なものだったこと。

 

 欠けていた左腕は腐り落ちたわけではなく、脅迫じみた状況で残酷に切断されたということ。推測にすぎないが、あの時のビルでこれが行われていたと思うと、過去の自分を殴りたくなる。そして経験上、あくどい大人は足がつかないように迅速に証拠を隠滅するため、もはやあのビルにはそういったものは残っていない可能性が高い。

 あの様子だと左眼ももしかしたら……。

 

 

 そして何より――――――

 

 

 クユリは生きることを諦めていないということだ。

 

 

 この録音は彼女の心の奥からのSOS信号だ。

 

 表向きは私を巻き込まないためか、全てを諦めたような言動をしていたが、本当にそう思っているならこんな物をそっと渡してくるはずがない。

 

 きっとたくさん葛藤したのだろう。

 もしかしたら直前まで悩んでいたせいでボーッとしていたのかもしれない。

 

 それでも、クユリの本心は私に、忌み嫌うはずの大人に言外に助けを求めてきた。

 

 

 

“私が助けなきゃ…。”

 

 

 先生として、大人として、一人の人間として、私は彼女を救わなくてはならない。

 

 勿論、クユリの表向きの感情も無視するわけにはいかない。今回のSOSだって殆ど無意識下での行動だろうから、余計なお世話だと拒絶されるかもしれない。

 

 それに私は生徒みんなの先生だ。

 

 誰か一人に集中しすぎて他が疎かになることも許されない。

 

 

 だからこそ、今は水面下での調査にとどめる。

 

 ベアトリーチェのような、あのクズのこと。そしてクユリをそいつらに頼らせずに助ける方法を。

 

 

 

“――絶対に助けるから、待っててねクユリ…。”

 

 

 

 

 絞り出したような私の声が一つ、シャーレに虚しく吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




盤面はクユリの思うがままに…。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。