自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー   作:藍終

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ちょっとクユリちゃん深掘り回。


消えぬ痼

 

 『――ん、ふあぁ〜っ……はいはい今起きますよっ…』

 

 

 やかましいアラーム音が心地よい眠りから意識を引っ張り起こす。

 

 その不快な感覚に苛立ちを覚えながら手探りで音源を探し当て、ツルリとした液晶に指を走らせるとようやく大人しくなる。

 

 

 何だか、とても不思議な夢をみていた気がする。

 

 そこかしこで銃撃戦が勃発して、犬やロボットが平然と街中を闊歩していて、人間らしい容姿をしている者は大抵頭の上に何かを浮かべている。

 

 文明レベルはそう違わないはずなのに、どこか神秘的と感じてしまうあの透き通った世界。

 

 情熱あふれる鬼教官もいれば、じっとり湿度高めな参謀も、正義と純潔を体現したかのような箱入り娘さえいる。

 

 

 何より、大好きなたった一人のお姉ちゃんが、過剰なまでに愛してくれる。

 

 確か、名前は――――――

 

 

『……わかんね…。ま、どうでもいいことか』

 

 所詮はただの夢、あまりもたついていると朝礼に間に合わなくなるかもしれない。

 

 好みの問題で着ているちょっとぶかぶかのパジャマの端を引きずりながら、洗面台に向かう。

 

 まだ小さい身体ゆえ、少し苦労しながら固い蛇口をひねる。パシャパシャと冷水を被ると、残っていた微睡みが綺麗さっぱり流されていく。

 

 掛けてあるタオルに顔を包み余分な水滴を拭き取る。

 

 鏡に映る自分の顔はどこまでいっても無表情そのもの。

 

 今更特に気にすることでもなく、寝室兼自分の部屋に戻りパジャマから普段着に着替える。

 

 通っている学校は基本私服制なので、クラスメイトの中にはそれなりにファッションをしている者もいるのだが、自分はというと、上下無地の真っ黒な服装だ。

 もとよりファッションなどどうでも良いと考えるタイプだからかこれも特段気にしない。

 

 

 一通り身だしなみが整うと、階段を降りて一階のリビングに行く。

 

 

 そこには変わらぬ光景が広がっていた。

 

 ソファに腰掛け新聞を読む父、キッチンに立ち洗い物を済ませている母、そして中央に置かれているロングテーブルの上にポツンと手のつけられていない食事。

 

 普通の家庭なら、ここでおはようの一言でも言い合うのだろうか。

 

 少なくとも、ここではそんなことは時間の無駄に過ぎない。

 

 とっくの昔に諦めていることだ。

 

 お互いに目を合わせず、冷めきったそれの前に座る。

 

『……………いただきます』

 

 この空間に環境音以外の音がようやく響く。

 それもすぐにもとに戻ってしまうのだが……。

 

 

 機械的な朝食を済ませ、再び手を合わせて洗面台で適当に歯を磨き、残り僅かの付き合いになるだろうランドセルを背負う。

 

『……行ってきます…』

 

 家のドアを開け、気まぐれに呟いてみるが何の反応も返ってこない。

 知ってた知ってたと、ため息をつくような段階はとうに過ぎていた。

 

 この家に、存在はしているけど存在はしていない。

 

 それが自分なのだ。

 

 そうわかっているだけに、ぼやけたあの夢の世界がとても羨ましく感じてしまい、思わず呟いた。

 

 

『なんだ、夢か………』

 

 

 

 いつもの通学路。

 

 まだ朝方だからか、車道は通勤渋滞気味だというのに歩道は伽藍洞としていた。

 

 今日は最後の発表会だ。当然、各家庭から保護者がぞろぞろと押し寄せてくるため毎回グラウンドは車で一杯になる。

 

 きっと、我が子の華々しい演技を観たいのだろう。

 そしてクラスメイトは会場を見渡して親を見つけると、恥ずかしがったり、手をふったりするのだ。

 

 

 どれもこれも縁のないことであるので関係ないけれども。

 

 

 

 コツコツとコンクリートで舗装された道を歩き続けていると、ふと背中にかかる重量感が変化する。

 

 見ればそこには使い込まれたランドセルではなく、一般的なバッグが背負われていた。

 

 辞書やらなんやらのおかげでよりずっしりとしたそれを憎らしく思いながら道を辿る。

 

 

 気づけば辺りは夕暮れ時、雲間からオレンジの光が差し込み道行く車のガラスに反射する。

 

 歩を進めると、いつもの我が家が目の前に出現した。

 

 鍵を開け、変わらぬリビングを通過し二階の安息地に駆け上がる。

 

『ふぃ〜……。今日の模試は上手くいったんじゃないかな〜』

 

 荷物をドサリと放り、ブドウ糖を消費して重くなった頭を気怠げにベッドに埋める。

 

 最近の模試の結果から志望の高校には問題なく受かりそうではあった。

 

 まぁ志望といっても、なるべく金のかからないところを選んでいるだけだ。間違っても私立には進学できない。

 

 その理由は―――

 

 

 

 プツリと視界が切り替わる。

 

 辺りはすっかり暗く、時刻は既に深夜2時をまわっていた。

 

 そうだ、少し寝つきが悪く、水でも飲もうと一階に降りてきたのだったか。

 

 渇いた喉を無事潤し、とりあえず布団にこもって眠気がおとずれるのを待とうと考えていると、ふと視界の端にわずかに漏れた光が入った。

 

 見れば両親の部屋の扉がほんの少し空いてしまっている。

 

 静かな時間帯故に、やや離れた場所からでも光とともに会話も漏れ出てくるのが聞こえた。

 

 

 好奇心というやつだろうか。

 

 普段自分に見向きもせず、そのくせ公的な保護者面談には何食わぬ顔で出席してくる親がどんな会話をしているのか、深夜テンションながら覗いてみることにした。

 

 

『――で、あいつにいつまで金をかければいいんだ?』

 

『…少なくとも高校までは覚悟しないといけないかもね…』

 

『チッ……!…私立は流石に許容できんぞ』

 

『そこは大丈夫そうよ。先生にあの子の模試を見せてもらったけど、このままいけば……』

 

『…ならいいが。存在するだけでこんなにも金がかかるなんて子供は面倒極まりないな』

 

『…あんまり変なこと言わないほうが身のためよ。これ見て……』

 

『何だ?……虐待の記事か?』

 

『そう、最近はこういう事に世間は敏感だから、不用心な発言はやめてちょうだい…。この両親なんか、SNSで吊るし上げられて失職まで追い込まれたらしいし…』

 

『ふん、うちはちゃんと養育費は払ってやってるし、暴力もふるっちゃいないだろ?これのどこが虐待なんだ?』

 

『…あんた本気で言ってる?私達ロクにあの子に関わってないでしょ?虐待は必ずしも肉体的なものばかりじゃなくて精神的なものも含むの。今の私達を見たらそうとられてもおかしくないわ。それに……』

 

『…それに?』

 

『このご時世、相手がいじめと感じたらいじめになるらしいし、あの子が虐待と感じてどこかに通報でもしたら…』

 

『はっ!随分腑抜けたものだな今の社会は…。あいつもなんだかんだ今を受け入れてるみたいだし通報なんぞしないだろ。もしされても物的証拠もないしな』

 

『そう、ね……。そもそも貴方が無責任なコトをしなかったらこんな“くだらない”ことに悩まずに済んだのにね』

 

『…その話はやめろと何度言えばわかるんだ?それを言うならお前が中途半端な責任感に囚われて堕ろさなかったのが悪いだろうが!』

 

『はぁ!?あんたね――』

 

 

 

『……ははっ……』

 

 聞くに堪えない。

 

 もとより期待はしていなかったが、いざこうして現実を突きつけられると心にぽっかりと穴が空く感覚が抑えられない。

 

 義務的な愛とでも言うべきか、いやそれを一般に愛とは言わないかもしれないが、まさにそれだった。

 そこにあるのは自らの保身だけ。この様子ならいざとなればどちらかがどちらかを切り捨てる事を厭わないだろう。

 

 気づかれないように寝室まで戻り、世界から閉じこもるように布団をかぶる。

 

 

 頬を伝う久方ぶりの熱い液体は、ドロリとシーツに吸い込まれていった。

 

 

 

 時が経つのは早いもの、いつの間にか高校生になり、いたって普通の学校生活を送っていた。

 

 正直なところ、自分のクラスはいわゆる当たりで、担任もクラスメイトもとても優しい者が揃っていた。

 

 そのおかげで、友達というよりは、単なるクラスメイトという顔見知り程度の関わりだけでも十分やっていけていた。

 

 

 

 とある日、腹の虫が鳴き始める四時限目の体育でとある事件が起こる。

 

 競技は野球。ボールは硬式と割と実戦に近い形式だった。

 

 野球部は勿論、運動が好きな男子は盛り上がるわけで、どこか全体が浮ついていたのは否めない。

 

 そんな中試合は接戦になったともなれば、それに拍車がかかったのは言うまでもない。

 

 

 自分たちのチームが1点リードし、この相手のターンを乗り切れば勝ちであるという状況下でつい力が入ってしまったのだろう。

 

 しかも投げたのが野球部だということも相まって、素人の自分には到底反応しきれない様な剛速球が飛来してきたのだ。

 

 脊髄反射でミットをつけた手がそれを受け止めようとするが時すでに遅し。

 

 

 ゴシャッとナニカが潰れたような音と共に、視界の左側が真っ赤に染まった。

 

 

 

 

 また、プツリとチャンネルが切り替わる。

 

 

『…知らない天井だ…』

 

 まさか現実世界でこのセリフを言う機会が来るとは思わなかった。

 

 やや欠けた視界には、一面真っ白な天井に周囲を囲う暖色のカーテン、そして目を見開いた女性の看護師が映っていた。

 

 何事か呟いて慌てたように駆け出していくその人を見送ることしかできず、身体を横たえているままにしていると、やがてその看護師がぞろぞろと人を連れて戻ってきた。

 

 両親とあの野球部の子、それともう一人の知らないガタイのいい男性。

 

 いまいち状況が呑み込めないでいると、両親が人生で初めてと言っていいほど優しい手つきで身体を起こしてくれた。

 

 見ればそれこそ今までの態度とは一変して、そこには純粋に我が子を心配する親の姿があった。

 

 待ち望んだはずのものが目の前に広がっているのに、言いようのない気持ち悪さを感じていると、突如、野球部の子と男性が揃って膝と頭を地に着けた。

 

 いわゆる土下座というやつだった。

 

 

 必死の形相で謝罪を続ける二人に困惑していると、看護師が補足をしてくれた。

 

 やはり試合の熱狂にのまれてつい力が入りすぎたらしく、あくまでも授業の一環ということでセーブされていた力が解放されたボールは自分の左眼を完全に潰してしまったそうだ。

 

 そしてどうやらその男性はその子の父であり、野球部の顧問でもあるらしく、それはそれは凄まじい剣幕だったようだ。

 

 頭がすり減るんじゃないかというほど謝罪を続ける二人を見ていると、機を見計らってもう十分だと言う旨を伝える。

 

 

 居た堪れなくなった面もあるがそれよりも――

 

 

 

 自分が心配され、一人の人間として心の底から大事にされている。

 

 この事実が五臓六腑に染み渡る快感に耐えられず、これ以上は顔が歪んでしまうと察したからだ。

 

 これをどのように受け取ったのかは知らないが、もう一度深く頭を下げて出ていく二人。

 やがて両親も看護師に促されて退室していく。

 

 一時的にまた一人となった途端、堪えていた笑みが溢れ出す。

 

 

 最初からこうすればよかったのだ。

 まだ何も知らぬ幼い頃、いくら構って欲しいとアピールをしても、いくら良い成績を取ってきても、そこに存在していないように扱われてきたのに……。

 

 大怪我をした途端これだ。愛されるにはまず対価を払わなければいけなかった。自分という対価を。

 

 埋まらない穴が満たされていく感覚に打ち震える。

 

 ようやく愛される方法を見つけた。

 

 

 

 

 味をしめた自分は以降、身体に傷がつく事が増えていった。

 

 その傷は最早、己が存在し、愛されているという証であり、名誉の負傷とでも言うべきか。

 

 いずれにせよ、一度麻薬の様な快感に囚われてしまえば、自力で止めることなど出来やしない。

 

 いや、そもそも初めて知った方法がこれなのだから、間違っているともおかしい事だとも微塵も考えなかった。

 

 

 

 

 

『いいかげんにしろよ…!ただでさえ面倒がかかるというのに、ちょっと下手に出たら調子に乗りやがって……!』

 

『貴方、ちょっと声が大きすぎるわよ…!』

 

『構うものか、俺達が公共の場で必死に普通の親を演じる姿を見て悦に浸りやがるあいつが悪い』

 

『…まぁ、確かに最近は目に余るようになってきたのは事実だけど…』

 

『あんなやつにくれてやる余計な時間などこれっぽっちもないのにな…!ったく、あいつは悪魔かなんかじゃないのか?』

 

 

 ―――あれ?

 

 

『とっとと消えてしまえば楽なんだけどねぇ…』

 

 

 ―――アレ?

 

 

『生きる価値の無い金食い虫が……!』

 

 

 ―――アレ?

 

 

 

 足元が突如ぽっかりとくり抜かれ、深淵が口を開ける。

 

 抵抗する間もなく落下すると、全身がドプリと粘性の増した液体に包まれる。

 

 至るところから白煙が上がり、肉が焦げるような音が上がるが、痛いどころかむしろ心地良い。

 

 やがて、最早落下しているのかもわからないほど上下左右全てが完全な闇に包まれる。

 

 

『――愛が欲しいよね?』

 

 

 ズルリと滲み出すように、闇を纏ったナニカが人型を型取り始める。

 一切光が無い、完全な暗闇の中でもソレははっきりと認識できた。

 

 

『――でもどれだけ求めても、貴方の望むものは手に入らない』

 

 不定形なのか、ぐにゃりと踊るように歪みながらソレは嗤う。

 

 

『それって、おかしいと思うよね?私なら叶えてあげられるよ?』

 

 

 ―――どういうこと?

 

『貴方もやってるでしょう?曇らせだっけ…、でも貴方ばっかり対価を払ってる。そんなだから、いくら悲しみを見ても、愛の証を受け取っても満たされない。じゃあ答えは簡単!』

 

 

 ―――まさか……。

 

 

『前払いしてきた分、取り立てないと!傷つけて苦しめて、殺して!貴方の大好きなお姉ちゃんから対価を払ってもらわなきゃ!』

 

 

 ―――待ってよ…。それじゃまるでただの――

 

 

『人の苦しみを見て悦に浸るサイコパスじゃないのかって?実際そうでしょ?何を今更……』

 

 

 ―――違う、私はただ………。

 

 

『え?まさか気づいてなかったの?思い込みが強すぎるのも大概だね…。本心をウソで塗りつぶして辛くない?』

 

 

『この際言っちゃうけど、愛が欲しいだなんだ言って、結局はそれを隠れ蓑にして、人が苦しむ姿を見るのが楽しいだけでしょ?ワタシにはわかるよ』

 

 ―――黙って!そんなわけ無い……、そんな…わ…け…。

 

 

『否定しきれないでしょ?そういうことだよ。お姉ちゃんが大好きなのも結局都合のいいお人形さんだから。まるで実験台の上のモルモットだね』

 

 

 ―――そもそもあなたは一体誰なの…?好き勝手言ってくれたけど……。

 

 

『ん~~?ありきたりだけど、ワタシはあなたであなたはワタシ。あなたが必死に隠している本心を宿した神秘』

 

 

 ―――そんな………。

 

『もうそろそろわかったでしょ?くだらない抵抗なんかやめてさ、“正直”になろ?そうすれば、あなたの埋まらない穴もようやく満足――「お姉ちゃんはここにいるからね…!」――チッ!』

 

 

 ドロリとした闇のカーテンが打ち祓われていく。

 

 暖かな光と温もりが身体を包み、上へ上へと引っ張り上げていく。

 

 

 

『――またね、ワタシ』

 

 

 歪んだソレは一つの黒百合へと姿を変え、光に焼かれるように塵となって消えていった。

 

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 陰陽部のカホから衝撃の事実を告げられてから、しばらくの記憶が無い私――御稜ナグサは今なんとも形容しがたい感情を抱いていた。

 

 

 

 

 あの後、幸いすぐに目を覚ましたらしい私はキキョウから事の顛末を補足されつつ、再び陰陽部との会合に参加した。

 

 事前に心構えをしたつもりだったが、やはり受け入れ難い事実にいまだショックが抜けきってはいない。

 

 どうやら自分で思っているよりも、私という存在は弱いらしい。

 

 

 キキョウによると、ニヤたちもクユリの件に助力してくれる事が決定したらしかった。

 

 正直なところ、ニヤは腹の内が読めない油断ならないやつというのが私の中での評価だった。

 一応、この百鬼夜行のトップを務める以上、多少の腹芸は覚えていなければならないにしても、彼女はそれ以前にどこか場をかき乱す事を楽しんでいる節を感じる。

 

 彼女が百鬼夜行を大切に思っているのは間違いないのだけど……。

 

 キキョウも私の考えには同意した上で、それでも人手が増えるのは助かるとのことで合意したとのことだった。

 

 

 しばらくして、ニヤがにゃははと笑いながら手を打ち合わせる。

 

「…それではとりあえず休憩にしましょうか〜。今後の打ち合わせに入る前に、各々身体を休めてください〜。特に、ナグサさんはね……」

 

「え、あ……うん。それと、さっきはごめんねカホ…。せっかく忠告してもらったのに…」

 

「あ、いえいえ!無理もない反応だと思っていますので…。正直私もああなっていてもおかしくありませんでしたし」

 

 お互いにペコペコと頭を下げ合っていると、茶化す様な声が横から割り込んでくる。

 

「にゃは、ナグサさんとクユリさんは“デキてる”との噂ですし〜それも当然かと〜」

 

「はいぃ!?」

 

「ふええっ!?」

 

 カホも私もその爆弾発言に素っ頓狂な声が出る。

 間髪入れずカホがガッシと両肩を掴んで捲し立てた。

 

「どどどどどどどういうことですか!?一体いつからそんな…、それも姉妹で……。もしかしてこれが近親相姦とかいうやつですか…。あ、あの!もしよろしければどのようになさったのかを詳しく!チセちゃんとの――んん゙ッ、後学のためにぜひ!」

 

 何か聞こえてはいけないものが聞こえた気がしたけど、とりあえず暴走気味のカホを抑え込みながらニヤに尋ねる。

 

「ち、ちょっと待って…!どうしてそんな噂が流れているの…!」

 

 それに対して、一層面白そうにニヤの糸目が弧を描いた。

 

「それは陰陽部の誇る情報収集能力の賜物……と言いたいところですが、あんな白昼堂々口づけを交わしていれば当然でしょう〜?偶々私も目にしましたが、だいぶ深くまで繋がってたんじゃないですか〜?」

 

 あの日のことだ。私がクユリに抑えていた気持ちをぶつけ、その勢いで―――。

 

 

「〜〜〜〜〜〜ッツ!///」

 

 

 顔が、全身が信じられないほど熱を持ち始める。

 自らがしでかした事とはいえ、それがかなりの人数に周知されているとなると羞恥のあまり死にたくなる。

 

 しかし、そうして悶えていられたのも束の間だった。

 

 

「…へぇ〜………。ナグサ先輩、そんな事してたんだ……」

 

 背後から凄まじい怖気が吹きつけてくる。

 

「キ、キキョウ……?」

 

 機械仕掛けの人形の如く、ギリギリと首を後ろにひねると、今にも反吐を吐きつけてきそうな作戦参謀の姿があった。

 

「…どうりであの日のお祭り、あんたもクユリもどこかツヤツヤしてたと思ったのよ…。私がマーキングしてたことに対する仕返しのつもりなのかな…?ふ〜〜ん、なるほどね…」

 

 ギリギリと歯軋りをしながらこちらを見下ろすキキョウ。 

 恐ろしすぎて最早声も出ない。

 

「一丁前に顔を赤くしちゃって…。そうかそうか、つまり先輩はそんなやつだったのね……」

 

 どこかのエーミール風に追い詰められた私の視界にはキキョウの後ろの様子も映っていた。

 

 レンゲは照れながらもどこか憧れのものを見るようにキラキラとした視線を送ってくるし、ユカリに至っては「おめでとうございますですの〜!」なんて無邪気に喜んでいた。

 

 助けは来ないことを察した私は急いで立ち上がり大広間の扉に手をかける。

 

「カ、カホ!クユリの部屋はどこにあるの!?」

 

「はい?あ、えっと、二階の端から数えて中央の部屋で―」

 

 最後まで聞き終えることなく、文字通り逃げ出すようにして駆け出す。

 

 

 幸い追手は来なかったためスムーズにその部屋まで辿り着く事ができた。

 

 喧騒から離れたことで思考が冷静に働き始める。

 

 カホからの話を聞くに、今のクユリはまさに絶望の一途にある。正確にはその忌々しい大人によって、多少なりとも解決策が見つかってはいるのかもしれないが、それでも失ったものが大きすぎる。

 

 悔しいことに私ではクユリを蝕む呪いをどうにかしてあげることができない。

 

 だからこそ、クユリはその身をささげてしまったのだろう。

 

 でも私にだって、まだ姉として認められている私にも、クユリの心の支えにくらいは、もしくは感情の捌け口くらいにはなるはず。

 

 最悪、クユリになら、殺されても構わない。そう思えるほどには私は妹を愛している。

 

 これだけは自信をもって言えるし、譲れなかった。

 

 意を決して、鍵の空いている扉を開けるとそこには――

 

 

「…どういうこと?」

 

 愛する妹と水色の和服少女が抱き合って、同衾しているという私の脳を破壊しにかかっているとしか思えない光景が拡がっていた。

 

 

 

 

 そうして今に至るわけだけど……。

 

 この光景を見ていると、胸がざわざわして不快で仕方がなかったため、その和服少女――和楽チセの肩をやや強めに叩いた。

 

「あの……?チセ…ちゃん?少し離れてほしいんだけど」

 

「…ん~~?あ、ナグサ先輩〜、おはよ〜」

 

「あ、おはよう……」

 

 彼女特有のポワ〜っとした雰囲気にのまれ、思わず挨拶を返してしまう。

 

「どうしたの〜?」

 

「そ、その…クユリが心配で……」

 

「そっか〜、先輩はクユリちゃんのお姉ちゃんだったね〜。うん、いいよ〜」

 

 相も変わらずのんびりとした口調でそう応え、ゆったりとした動作でベッドから抜け出す彼女。

 

 すっかり毒気を抜かれた私はその姿を見送ることしか出来ないでいた。

 

 すると、部屋の扉に手をかけた彼女がふと口ずさんだ。

 

「見えざるも 墜ちゆく恐怖(こころ) 怯えてる」

 

「………え?」

 

「チセにはわからなかったけど、クユリちゃんは何かを怖がってる〜。それから守れるのは、お姉ちゃんの先輩だけ。だから、おねがいね〜」

 

 言いたいことは言ったとばかりに、ふわりと去っていく彼女。

 

 和楽チセという少女は、たまにこうして俳句のようにして表現することがある。大抵はそのまま話しても通じるような簡単なものだ。それを考えると、今回はやや異色ではあった。

 

 クユリが怯えているもの。

 普通に考えれば事の元凶の大人だろう。

 

 カホが一目見てわかるくらいには出血していたことから、かなり無理矢理に犯されてしまった可能性が高かった。

 

 いつかその大人と相まみえた時、私は理性を保っていられる自信はなかった。

 

 そもそも怒りを抑える必要も無いと思っているけれど…。

 

 そう考えながら、ベッドで寝息をたてているクユリの頭をそっと撫でる。

 

 ところどころかさついてしまっている長髪、使い物にならなくなってしまった左の目と腕が痛ましい。

 

 これらは仮に呪いが解けたとしても、クユリのこれからの人生に多大な負担がかけることになるのは間違いなかった。

 

 せめて、その隣で支えていられたら、私はそれで十分だ。

 

 

 そうして久しぶりの二人きりの時間を過ごしていると、突然、クユリが魘されだした。

 

 見れば全身の罅が脈動を始めていた。

 何かから逃げるように、否定するように首を激しく振る様子にたまらず私はクユリの顔を自らの胸に抱き寄せる。

 

 

「大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんはここにいるからね…!よしよし……」

 

 実はまだクユリが今よりもさらに小さい頃、こうして宥めてあげたことが何度かあった。

 

 決まって落ち着いてくれたものだが、呪いの影響もあってか今回は手強いかもしれない。

 

 それでも、私の熱を、感触を全力で注ぎ込む。

 

 クユリがどう思っているかなんて今は関係ない。

 

 ただ私は最後まで、どんなクユリでも味方であることを伝え続ける。

 

 

 

 長いようで短い時間が経ち、気づけば腕の中の妹の震えは収まっていた。いつの間にかあの脈動も鳴りを潜めている。

 

 そして、どうやら悪夢から解放された勢いで起きてしまったらしく、身じろぎをする感覚が伝わってきて少しくすぐったい。

 

 

「……ん…、あ…。お、姉……?ゆ、夢?」

 

「ふふっ、夢じゃないよ。おはよう、クユリ」

 

 まるで信じられないものを見るような顔の妹に優しく微笑みかける。

 

 すると何を思ったのか、その可愛らしい顔が泣き出しそうに歪み、再び胸に押し付けてきた。

 

 

「……ごめん………。今は、少しだけ、こうさせて……」

 

 

「…うん、もちろん。落ち着くまで、好きなだけ…ね?」

 

 

 その小さな身体を優しく抱きとめ、ゆっくり…ゆっくりと頭の上に手を滑らせる。

 

 

 一見、泣きつかれた子どもとそれを宥める母親のそれ。

 

 しかしこの場には子守唄も、オルゴールも必要ない。

 

 

 ただお互いの存在がそこにある、その事実だけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




人の子が歪むのに、悲劇的な事件や事故は必ずしも必要ない。
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