自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー   作:藍終

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前半は久しくレンゲ視点です。
その都合で若干、時が巻き戻ります。
*ちょっと短め?

ナグサがおかしくなったのはただの怒りだけ?


覆水盆に返らず

 

 異常を感じたのは会議が一段落ついて、ナグサ先輩もキキョウに続いて退室していった後、凄まじい衝撃音が鳴り響き、年季の入った建物がギシギシと悲鳴をあげた時だった。

 

 

 アタシだって百花繚乱として数多の騒動を調停してきたんだ。口喧嘩ならその声音で、銃撃戦ならその戦闘音でなんとなく事の重大さを推し量ることができる。

 

 経験から培われた直感とでも言うのかな?

 

 とにかく、同じ屋敷の中から轟いたその音にアタシの直感は警鐘を鳴らしていたのだ。

 

 聞こえてきたのは調停室あたりだと、愛銃を手に取り急いで廊下へと飛び出す。

 

 

 そこには感情の抜けきった、おおよそ人間がするようなものではない能面を宿らせたナグサ先輩が、今まさにキキョウの顔面を撃ち抜こうとしているところだった。

 

 いくら日頃の喧嘩にさえ銃撃音が発生するこのキヴォトスに住むアタシたちでも、あんな至近距離から顔面に直射されようものなら痛いでは済まない。

 

 しかも最悪な事にあのナグサ先輩は心のセーフティというかストッパーが弾け飛んでいる節がある。

 

 身を持ってその恐ろしさを体験しているアタシだからこそわかる。

 

 アレはやばいと。

 

 

 そう判断したのと同時に、アタシの身体は紅蓮の風へと化していた。

 

 長い廊下を一息に駆け抜け、躊躇いもなく沈み込んでいく引き金が絞りきられるその直前で――

 

 

「何やってんだお前らァ!」

 

 

 その銃身を圧し折るつもりで横っ腹から弾き飛ばす。

 

 その勢いでキキョウとナグサ先輩との間に割り込むようにして立ち塞がった。

 

 

「……レ、レンゲ?」

 

 後ろからキキョウの困惑した掠れ声があがるが、振り向くのを我慢して目の前の存在に対峙する。

 

 いや、正確に言えば目を逸らすことができないのだ。

 

 いくら一度経験があるからといって、吹きつける威圧感に金縛りのように固まってしまうのは避けられなかった。

 

 当のナグサ先輩は突然の邪魔者に対しても特に動揺している様子もなく、ただ淡々と、不気味なまで静かににこちらを見据えていた。

 

 

 このままではいずれアタシも駄目になってしまう。

 

 そう判断したアタシは唯一何とか動かせる口をこじ開けて、会話による事態の収束――もとい時間稼ぎを敢行することにした。

 

 

「…何があったのかは大体想像はつくけどよ…。まずは深呼吸だ。どうしても落ち着かないって言うなら、百花繚乱として、アタシも手加減はしない」

 

 精一杯の気迫を込めてそう言い放つ。

 

 そう…、ナグサ先輩がこうなっているのは十中八九クユリの案件だと思われた。

 

 それでキキョウが断罪されそうになっていたということは、まぁ…あれだ、やらかしたんだろうな…。

 

 キキョウはああ見えて寂しがり屋さんだから、久しぶりのクユリとの再会で抑えきれないものが溢れてしまったのかもしれない。

 

 

 前例がある故にそれくらいは察することができるが、問題はその前例よりも遥かにひどい状況だということだ。

 

 アタシが止めに入っていなければ、考えたくもないけど…冗談抜きでキキョウは殺されていたかもしれない。

 それが現実味を帯びるくらいには今のナグサ先輩は危険だった。

 

 ゴクリと生唾を飲み込み反応を待っていると、氷のような双眸でアタシを射抜きながらカクリと首を傾げて問うてくる。

 

 

「レンゲ?ジャマダカラドイテクレル?」

 

「…それはできない相談だな…。今のナグサ先輩に、キキョウを渡したらどうなるかくらいアタシにもわかる。少なくともその殺気を抑えて、冷静になってもらわなきゃな」

 

「…ワタシハレイセイダヨ? シカルベキバツヲアタエヨウトシテイルダケデ…」

 

「…なぁ、確認なんだが…、キキョウが一体何をやらかしたっていうんだ?こう言っちゃああれだけど、今の先輩は何かがおかしいと思うんだが…」

 

 

「レンゲナラワカルンジャナイ?」

 

「そりゃそうだけど…。それにしたって限度っていうもんがあるだろ…」

 

 心の何処かで密かに感じていたこと。

 いくら後ろで呑気に寝てやがる黒猫参謀殿がクユリに粗相を働いたかもしれなくても、あの穏健で、静謐な雰囲気を放っている先輩がキレたにしては些か様子が異常だった。

 

 不本意にもアタシが同じような目に遭ったときも、一応先輩は手加減はしてくれてはいたのだ。

 

 

 …だからこそわかる。何か……、何かがおかしいと。

 

 普段静かなやつほど怒ったら怖いのテンプレートでは収まらない、今目の前に立っているのは――

 

 

「ドカナイナラ、レンゲモオナジメニアワセルヨ?」

 

 

 ――本当にナグサ先輩なのか?

 

 

 開け放たれた調停室の障子から不気味な夜風が吹き込んでくる。

 

 気づけば沈みかけていた日は完全に没し、この調停室がやけに明るく感じられる。

 目の前に意識を集中しすぎていたせいで、今になって気づいた。

 

 そして同時にあることにも気づく。

 

 固定されていた視界が動いたことで目に入っていなかった新たな異常が飛び込んでくる。

 

 

「――――――はぁ?」

 

 

 思わずそんな素っ頓狂な声が漏れてしまう。

 

 ここは室内だ。いくら木造でボロボロの年寄り部屋だとしても生えるのはせいぜいカビくらいで、土に面していない畳に植物など生えるわけはないのに……。

 

 ナグサ先輩の足下には、立派な――

 

「黒百合?――――――ッと危ねえ!」

 

 

 隙を見せてしまったのが災いしたのか、霞むほどの速さで動いた先輩の銃口に対応するのがギリギリになってしまった。

 

 ほぼ直感に従って頭を右に傾けると、コンマ一つ遅れてそこに銃身が突き立った。

 

 咄嗟の回避の勢いを殺さず、そのまま大幅に距離を取る。

 

 

「…ヘェ、レンゲモセイチョウシテルンダネ」

 

「へへっ…!アタシだって百花繚乱の切り込み隊長やってんだ、ナグサ先輩に追いつくために鍛錬は欠かしてないぜ!」

 

 

 正直間一髪すぎて心臓は物凄いリズムを刻んでいるが、精一杯の虚勢を張る。

 

 もう一度同じ事をやれと言われても絶対にできない。

 

 先の突進技の踏み込みに調停室の床が耐えられるわけもなく、畳の筋がめくれ上がっていた。

 それだけを見てもいかに凄まじい速さだったかが窺い知れるだろう。

 

 幸い、ナグサ先輩の意識はアタシに向いているようで、回避のためにキキョウから離れてしまったことへの懸念はひとまず消えた。

 

 これからどうするべきか何もまとまっていないが、せめて呼吸を整えるためにもう少し会話を続けることにする。

 

 

「…なぁ、やっぱり変だぞ先輩。アタシの尊敬してるナグサ先輩は仲間に銃を向けるような奴じゃない。いくらキキョウの自業自得だとしても、話し合う余地くらいはあるんじゃないか?」

 

「……フフッ、レンゲハナニモシラナイカラ…ソンナコトガイエルンダヨ…」

 

 ――おいおい…、ほんとにどこまでやらかしやがったんだキキョウの野郎…!

 

 もしかしてナグサ先輩の怒りは割と妥当な行為からくるものだったりするのか…?

 

 そう心内でキキョウに毒づいていると、突如壊れた人形のように俯き、ブツブツとつぶやき始める先輩。

 

「…ソウ、ワタシノ…ワタシダケノクユリナノニ……。ワタシダケワタシダケワタシダケワタシダケワタシダケノ…!」

 

 

「――ッ!なんなんだよ…どうしちまったんだ…!」

 

 比喩なしにドス黒いオーラを纏い始める常軌を逸した様子に、さして頭のよくないアタシはそろそろ限界だった。

 

 ただでさえ今日は色々な事があり過ぎだというのに、ようやく一段落といったところでこれだ。

 

 よくないとはわかっていても、アタシは半ばヤケになりつつあった。

 

 

 一か八か全力の一撃で意識を刈って、とりあえずの収束を図るべきか。

 

 視線が外れている今なら反応されるより速く攻撃できそうではあり、一旦考え出したら止まらなかった。

 

 

 ――すまねぇ、ちょっと痛いかもしれないけど我慢してくれよな…!

 

 

 気取られないように静かに、しかし確実に体重を前方に傾けていく。

 

 とにかく落ち着いて考える時間が欲しい。その焦燥感からアタシは強制的に鎮圧する判断を下した。

 

 ためた力を解き放ち、一気に距離を縮める。

 

 

 その判断が間違っていたと気づいたのは――

 

 

「――ダカラ……」

 

「すまねぇ!ナグサ先ぱ――」

 

 

 ――グルンとねじ巻きが如く首が回転し、極寒の双眸がアタシを射抜いた時だった。

 

 

「ダレニモジャマハサセナイ」

 

「――っあ…………ガハッァ!」

 

 

 鳩尾に途轍もない衝撃が走ったと認識する間もなく、身体がそら恐ろしい速度で吹き飛ばされていく。

 

 一瞬、視界に流れていくあらゆる物が輪郭を崩し、色素の濁流にながされ……やがて硬い壁に激突し肺の空気を全てぶちまけてしまう。

 

 

 何が起こったのかすら認識出来なかった。

 わかることと言えば、一撃で屋敷の外にまで吹き飛ばされたということだけ…。

 

 ――とりあえず呼吸を………、あれ、ヤバい…息ができない…!

 

 鳩尾に食らったからか、喉から下の呼吸器官が上手く動かない。

 

 それどころか吸おうともがけば逆に空気が漏れ出る始末。

 

 酸欠状態で次第に視界が狭窄してくる事にますます焦る。

 

 

 ――早く!息を吸わないと………!

 

 このままではナグサ先輩が人殺しになってしまう。

 事情があるとはいえ、絶対にそんなことは看過出来なかった。

 

 しかしその願いとは裏腹に一向に気管の閉塞感はなくならず、どうにか繋いだ意識すら途絶えようとした時――

 

 

「――レンゲ!?」

 

 

 この騒動の第一の被害者の驚愕の声が響く。

 

 考えてみればなぜあの場にクユリがいなかったのかと今更ながらに思い立つが、今回ばかりはその思慮の浅さが功を奏する事となる。

 

「――ッ、ケホッ…!ヒュ…ッ…はぁ……」

 

 痙攣状態だった横隔膜が突然の外部からのショックにより奇跡的に動き始め、どっと新鮮な酸素が流れ込んでくる。

 

 ひとまずの窮地は脱したが、状況の悪さはちっとも変わらない。

 

 身体の至る所が痛みで硬直しているし、瞼さえ今は持ち上がらなくなってきていた。

 

 クユリもいるなら尚更早く立ち上がらなければ…。

 

 そう思う反面、圧倒的な実力の差をまざまざと見せつけられ、心の何処かでは――

 

 ――やっぱナグサ先輩は強えなぁ……。

 

 と、諦めがちな感想を抱いてしまってもいた。

 

 たったの一撃で戦闘不能とは情けない限りだが、むしろ自身の至らなさを痛感する機会でもあった。

 

 

 そう顧みてしまうくらいには戦意を失い、背中を支えている塀にもたれかかっていると……。

 

 

「レンゲ、どうしたの!?どうしてこんな……」

 

 すぐ近くからクユリの声が聞こえ、薄っすらとだが瞼を持ち上げる。

 

 靄のかかった視界でもその姿は判別できる。

 

 ここ最近―というよりアタシが見てきた中でも随一の必死さを滲ませて呼びかけてくるクユリの姿がそこにあった。

 

 今一番つらい思いをしているクユリにそんな顔をさせてしまっていることが情けなくて、搾り滓のような体力で何とか返事を返す。

 

 なんだか花鳥風月部の襲撃かと勘違いしているようで、その問いには首を振り否定する。

 

 むしろまだその方が質の悪さではマシだったかもしれない。

 

 ともかく、クユリを今の姉に近づけるのは危険だと考え、殿を務めるべく満身創痍の身体に鞭打って立ち上がろうとすると、両肩を強く抑えつけられた。

 

 

「そんな事できるわけない!無理したら駄目だってば!」

 

 

 一際大きい絶叫が響く。

 見れば目尻に透明な雫を浮かべて懇願しているではないか。

 

 クユリが泣いているところを見るのは間違いなく初めてであり、胸が締め付けられる一方で、何処か美しいとさえ感じてしまう。

 

 せっかく振り絞った力も抜けていき、再び石造りの塀にもたれていると、やがてユラリと氷の鬼神が現れた。

 

 溺愛している妹の姿を確認して歩みを止め、アタシを守るようにして立ち塞がるクユリと対面する。

 

 

 ――どうする?正気とは思えないナグサ先輩は何をしでかすかわからない…!

 

 今のところは軽い問答を交わしているようだが、いざ戦闘になってしまえば到底敵わない。

 

 しかもクユリの声音は抑圧されてはいるものの、確かな怒りを含んでいて、まさに一触即発の状況だ。

 

 何が刺激になるかわからない現状では下手に出ていくこともできない。

 

 半ば祈るような気持ちで事の行く末を見守っていると――

 

 

「――――――大っ嫌い」

 

 

 

 クユリの放ったその言葉が、この世界の時間を凍結させた。

 

 

「………ェ、あ……え?」

 

 

 ナグサ先輩の揺れた声が虚しくこだまする。

 

 アタシも一瞬何が起こったのか理解が追いつかなかったけど、次第に状況が整理されていく内に考えうる限り最悪の事態になってしまったことを理解した。

 

 確かに左腕を失って、純潔までも奪われる散々な目には遭ったけど、それでもクユリは帰ってきてくれた。

 こんな何もしてやれないアタシたちの元に。

 

 同じ大人である以上この線は薄いかもしれないが、あらゆる生徒の味方になってくれるという噂の“先生”とやらに身を寄せるという選択肢もあったはずなのに…。

 

 そんなクユリがここに戻ってきてくれたのは、ひとえに姉の存在があったからだと思っている。

 

 

 それが、その関係がクユリの身体のように罅割れていく音がした。

 

 黒い瘴気が霧散し、あの突き刺さるような威圧感はどこへやら。

 そこにいたのは、ただただ儚げで華奢な、いつもの委員長代理の御稜ナグサが立っていた。

 

 その目が光を失って、何も反射しなくなっていること以外は…。

 

 

「レンゲ、立てる?今から診療所まで連れて行くから、肩だけでも預けてくれない?」

 

 突如、呆然としていたアタシに手が差し出される。

 

 そんなことよりも言いたいことがあり過ぎて、疲労も重なって上手く口が動かないアタシを見かねたのか、するりと小さな体躯を脇に潜り込ませゆっくりと担ぎ上げられる。

 

「――え、いや…その………」

 

「大丈夫、さっき気がついたけどキキョウは起きてるっぽいから…今はレンゲを治療してもらわないと」

 

 

 ――いや、そういう事が聞きたいんじゃなくて……。

 っていうかキキョウの野郎は目覚めてんのかよ!

 

 

 目だけを動かしてキキョウの様子を観察すると、一見気を失って倒れているようには見える。

 

 しかしその気になって見てみるとピクピクと猫耳が動いているし、尻尾もゆらゆらと揺れている。

 

 

 しれっと明かされた衝撃の事実に内心白目を剥いていると、担がれた肩が動き出し慌てて歩調を合わせる。

 

 

「…っお、おい。その……ナグサ先輩は――」

 

「今はその話はしないで…。いいから行くよ」

 

 有無を言わせぬ勢いで遮るクユリに、アタシはそれ以上追及出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 僅かな街灯と月明かりのみが夜道を照らす中、アタシたちは下半身を引きずるようにして診療所へと向かっていた。

 

 生活音すら聞こえない夜の静寂が会話の機会を潰しているためか、二人分の足が地を踏みしめる音だけが辺りを支配していた。

 

 アタシの性分的にもこの静寂はとても耐えられるものではなく、診療所まで残り少なくなってきたところでようやく口を開いた。

 

「…なぁ、その……ナグサ先輩のことだけど…さ。アタシのことを大切に思ってくれるのは嬉しいけど、あそこまで言わなくてもよかったんじゃないかって……」

 

 

「……………」

 

 

 ようやく再会出来た姉妹の絆がこんなことで壊れてしまうのは見ていられないし、青春を重んじるアタシなら尚更だった。

 

「だから、さ。落ち着いてからでいいから、後でちゃんと話し合ってくれないか?キキョウのことはアタシがシメとくから…」

 

 

「……わかってるから。レンゲはとにかく喋らないで。急所を突かれているんだから、下手したら死んでたかもしれないんだよ…!」

 

 顔を背けていてもその濡れた声音からどんな表情をしているかが容易に想像できる。

 

 ――ほんとに、どうしてこうなっちまったんだ。

 

 思えばあの日から全てが狂い始めた気がする。

 アタシが望んだ青春どころか、百花繚乱そのものもまともに機能していなくなりつつある。

 

 何もかも上手くいかないどころか、むしろどんどん事態は悪化していく。まるで………。

 

 

 ――まるで誰かに操られているようだ。

 

 そんな突拍子もないことを考えてしまうほどにアタシは参ってしまっているのかもしれない。

 

「…………ごめんな…」

 

 

 誰に向けるでもない――強いて言うなれば、あまりにも弱いアタシ自身に対する謝罪か。

 

 すぐ隣のクユリにさえ聞こえないような掠れた弱音が、夜の帷に人知れず溶けていった。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 

 目が覚めたら、普段のクユリからは想像もつかない一言を吐き出している場面が飛び込んできて、私―桐生キキョウの思考は一瞬にせよ機能を失ってしまった。

 

 レンゲが割り込んできてからの記憶がすっぽり抜けていることから、恐らく私は気絶していたのだろう。

 

 そして今の状況を鑑みるに、私の気の迷いによる行動が取り返しのつかない事態に発展してしまったことを理解する。

 

 一から十までを知っている私は、クユリの誘惑も問題があったのだと言い訳することはできる。

 でもそんなことはどうでもよかった。

 

 私が過ちを犯してしまいそうになったのは事実。

 それだけで十分であり、そもそもあの時のクユリは何処か様子がおかしかった事を理解しつつも、私はそれにつけ込んだのだ。

 

 善意無過失などではなく悪意有過失であり、叙情酌量の余地もない。

 

 冷静になった私は過去の己を殴りたい衝動に駆られていた。

 

 

 しばらくしてクユリと、私を庇ってくれたのだろうレンゲが去って行き、百花繚乱の屋敷には私とナグサ先輩のみが残された。

 

 重い体を引きずって微動だにしない先輩に歩み寄る。

 

 縁側の板材が軋む音から、ザリザリと庭を踏みしめる音に変化する。

 

「……ナグサ先輩…?」

 

 

 そう呼びかけたのがまるでドミノを突いたかのような刺激になったのか、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる先輩。

 

 私が全ての元凶な分、このまま姉妹の愛が壊れてしまわないように全力を尽くすことが、私の義務であり責任の取り方だ。

 

 だから、ナグサ先輩には立ち上がってもらわなくてはならない。

 

「その……今更かもしれないけど、ごめんなさい。あの時の私はどうかしてて……」

 

「違うよ」

 

「…だから………え?」

 

 まさか否定されるとは考えておらず、またもや思考が停止してしまう。

 

 ナグサ先輩は何か知らないものを頭から追い出すかのごとく髪を振り乱した。

 

「確かにキキョウに怒っていたのは事実だよ…。でも…私はあそこまで……あんな事をするつもりじゃ無かった…」

 

「…どういう…こと?」

 

「その…クユリからキキョウを引き剥がしたところまでは覚えているんだけど………」

 

 ――まさか。

 

「さっき、クユリに“大嫌い”って言われるまでの記憶が無いの…!怒りに我を忘れたとかじゃない、何か…自分じゃないナニカが私を飲み込んでいく感覚がして………」

 

 悲痛な告白に私の頭はパンク寸前だった。

 

 まだ断定はできないが何者かが精神に介入してきたのだとしたら思い当たるのはアイツラしかいない。

 

 もともと話術で人心を掌握することに長けた奴らだ。

 あの奇々怪々な術の中にそういう効果をもたらす物があっても何らおかしくはない。

 

 ナグサ先輩を見る限りその場限りな嘘をついているようには到底見えない。

 

 

 ――私たちの心にさえ土足で踏み入るのか……!

 

 ギリギリと歯を食いしばりながら更に思考する。

 

 だとしたら余計にこのままの状態でいることは許されない。私たちは今これ以上無いほど弱っている。

 こんな隙をみすみす見逃すほど奴らは甘くはないだろう。

 

 やはり早急にクユリとナグサ先輩の仲を修復しなければならない。

 アヤメ委員長がいない百花繚乱の顔である二人がこんな有様では部の存続すら危ぶまれてくる可能性すらあった。

 

 

「…先輩、謝ろう?私も精一杯の謝意を見せるつもりだし、クユリのお姉ちゃんなんでしょ?レンゲにも謝って――」

 

「…無理……」

 

「………は?」

 

「私には…もう無理だよ。あんな顔をされたのなんて、初めてなの。大嫌いって言われたのも…。やっぱり私なんかがあの子のお姉ちゃんなんかでいいわけがないんだ…。当然の仕打ちだよ…代理も果たせない、真実を話す勇気は出せない、たった一人の妹にすらなんにもしてあげられず傷つけてばっかりの私なんて――」

 

 ぶちりと血管がキレた音がした。

 

 呪詛を唱え続ける憧れの先輩の胸倉を、私がされたように掴み上げる。

 

 驚愕したその端正な美貌に胸の内を叩きつける。

 

 

「それ以上言ったらあんたの首根っこを噛みちぎってあげるよ…!いい?クユリは“お姉ちゃんなんて大嫌い”って言った。それはまだあんたを姉として見てくれているってことでしょう!?」

 

「…それ…は……」

 

「なのに肝心のあんたが姉であることを否定したら、あの子は……クユリは本当に独りになってしまうのよ!これ以上、クユリの姉の存在を、自分で貶めないでッ……!」

 

 クユリにとっての一番になれない嫉妬も混じった、醜い慟哭が夜闇に吸い込まれていった。

 

 激情にまかせてその華奢な身体に拳を叩きつける。

 滲む涙さえも、押し付けた先輩の胸に消えていく頃、頭上からやや遠慮がちな声が降ってくる。

 

「…そうだね……。まだ、私はお姉ちゃんなんだよね…。なら私は、まだ頑張れるかな……」

 

「そうよ…。クユリを支えてあげられるのは、なんだかんだ言ってナグサ先輩だけなんだから。たとえ許されなかったとしても、私が何とかする」

 

「…それは百花繚乱の参謀として?」

 

 ――いいや。

 

「桐生キキョウとして、一人の私として、この責任はきっちりとる」

 

 

 

 もうこれ以上、百花繚乱を――私たちの居場所を崩させはしない。

 

 そのためなら私はどんな手段も厭うつもりはない。

 

 

 

 ――たとえ私が百花繚乱でいられなくなったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こぼれてしまった水はもう二度と器には戻らない。

この世界ではその水さえも蒸発して消えていきますがねぇ…。これである程度は察してください。下り一直線です。

 次回はモブちゃんも忘れてないよ回の予定です。
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