自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー   作:藍終

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失踪前の最後の回になります。
最初はクユリ視点です。

大分遅れましたが、明けましておめでとうございます!



鯉よ恋 桔梗の絆

 

「んんっ………ふぁ〜あ」

 

 リラックス効果のあるアロマの香りが仄かに鼻腔をくすぐり、私の意識を覚醒させる。

 

 心地よく身を包んでいる布団をノロノロと引き剥がし、軽く伸びをして固まった身体を解す。

 

 柔らかな朝の陽光が窓から差し込み、涼しげなそよ風がカーテンを靡かせる様はまさに“朝”と言えるだろう。

 

 こんな日には仕事にも勉学にも気合が入りそうなものだが、更に素晴らしいことに今日は休日だった。

 

 普段の忙しい業務や学生生活から一時的に解放され、各々の青春を謳歌するはず。

 

 

 そして私もまた、少々事情が複雑とは言え、どこかの青春バカが聞いたら飛び上がりそうな…“デート”なるものを決行することとなっていた。

 

 

 昨日、どこか寒気のする雰囲気をまとうようになった気がする医療班の生徒を何とか宥め、もう夜も遅いということで一泊させてもらうこととなった。

 

 …何も言わなかったらさも当然かのように同衾しようとしてくるのには流石にビビったけどね。

 

 ともかく、空いている病室――元々私が使っていた部屋だった――で一夜を越す事になり、お姉ちゃんへの連絡も済ませ、ようやく一人の時間が取れたと安堵し、これからの展開を整理していると……。

 

 突然、ポケットの中のスマホが震え始める。

 

 どうやらモモトークの通知が原因だったようで、しかもメッセージの送信主はあのキキョウだった。

 

 

『こんな遅くにごめん。その…、明日は時間ある?』

『あんたなら…、クユリならもう察してるかもしれないけど、今日の件について話がしたいの』

『もし嫌じゃなかったら、明日の午前9時頃に甘味処に来て欲しい』

『自分のしでかした事の責任は、ちゃんと取りたいから……。無理強いはしないよ。嫌だったら、これは見なかったことにして』

 

 

 というメッセージが送信されていた。

 

 ふむ……、つまり?要約するとこれは――――――

 

 

 ――やっぱり事後じゃねぇかぁぁあ!

 

 つまるところあれだ、何らかの原因でキキョウは私を襲ってしまい、キキョウは今その事に責任を感じている。

 そして、引き返せないなりに最後まで責任を取って、私と正式なお付き合いを申し込もうとしているわけだ。

 

 この責任感にはかのプレ先もニッコリ……あ、まだ色彩は到来してなかったか。

 

 やだ、クユリちゃん惚れちゃう。

 

 ふぅ…、落ち着こう。今私がとるべき行動はなんだ。

 

 

 最大の考慮点は本命の色彩事変に紛れた失踪について。

 

 目下の目標はこれであり、最悪これがこなせれば後はどうとでもなる。

 ただ問題は、その色彩がこのキヴォトスに到来してくるまでに、恐らく僅かな猶予しかないということ。

 

 エデン条約編はとっくに終わっているし、ゲマトリアの会議の時期からも色彩は――正確にはその尖兵であるシロコ*テラーが襲撃してくるまでそう時間は残っていないと考えていい。

 

 それと関係があるかは不明なものの、黒服曰く黄昏の百物語化は反転に近しいものらしいからか、だんだんと罅が再び進行し始めている気がする。

 

 いずれにせよ、ここからはあまり悠長なことはしていられない。

 一応現時点でお姉ちゃんじゃない宣言につながる決定的な出来事のチャートは組み上がっているとはいえ、想定外だらけのキヴォトスで油断は禁物だ。

 

 正直、キキョウとのお付き合いで時間を使っている余裕はないと思う。

 

 

 ……でもさぁ…、こんな覚悟ガンギマリーな態度を見せられちゃ、無視するわけにもいかないじゃん?

 

 何というか、ここで引くは男の恥な気がしてならない。

 

 え?今は女だろって?こういうのは心の持ちようなんだよ。

 

 

 と、言うわけで…キキョウに了承の旨を送り、その日を迎えたわけですが。

 

 ――あれ?これって、前世含め人生初のデートになるんじゃね?

  

 そう考えついた途端、顔が自分でもわかるくらいに熱を持つ。

 

 彼女いない歴=年齢の私にとって初めての正式なデート。

 緊張と興奮、羞恥が一斉に襲いかかってきて、傍から見たらそれこそ恋に悶える一人の少女にしか見えないだろう。

 

「えっと……、場所は甘味処だったよね…?」

 

 寝ぼけ眼のまま昨日のモモトークを振り返る。

 改めて見ると、不器用なキキョウなりの誠意が感じ取れる。しかも待ち合わせの場所は私のお気に入りときた。

 

「すぅ~……はぁ〜。よし!」

 

 むん!と擬音が付きそうなほど気合を入れ、ベッドから勢いよく降りる。

 

 てきぱきと身だしなみを整え、大して距離もなく、待ち合わせ時間の一時間前にも過ぎず病室を飛び出しかけ、ふとある事を思い立つ。

 

 事情が事情とは言え善意で泊めてもらったのに感謝の一言もないのは失礼かもしれない。

 

 ちょうどよく備え付けられていた筆記用具とメモ用紙を手に取り、簡単に感謝の旨を綴る。

 

「…これでよしっと!」

 

 紙を小棚の上に置き、今度こそ病室―そして診療所を駆け出す。

 

 柄にもなく浮足立った気持ちがちょっとした勘違いを引き起こすことになるとは、夢にも思わなかった。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

「……まだ…、8時……」

 

 

 私―桐生キキョウは誰が見ても落ち着きのない様子でスマホの時計を確認し、何度目ともしれないため息をついた。

 

 昨夜、善は急げの金言通りにクユリとの予定を取り付けたまではよかったが、眠れぬ夜を過ごした後居てもたってもいられず、約束の時間より二時間も早く待ち合わせ場所に着いてしまっていた。

 

 いつぞやのクユリが神隠しに遭った時に座っていたという甘味処の長椅子に腰掛けて、ひたすらに時が過ぎるのを待つ。

 

 朝早い時間帯ということもあり道行く人の数はまばらであることが幸いか、作戦参謀としての冷静沈着な姿の掻き消えた落ち着きのない様子を見られることは少ない。

 

 しかし、平時の二時間などあっという間に過ぎ去っていくのに、今この瞬間の二時間という時間は永遠に思えるほど焦れったく流れている気がする。

 

 まるでデートの待ち合わせのようだと考えてしまうが、勿論そのつもりではない。

 

 …いや、クユリとデート出来るのならそれに越したことは無いけれど。

 

 あくまで、昨夜の過ちについて、誠心誠意謝罪の意を見せる事が今日の目的だ。

 

 

 途端、昨夜の一連の行動が脳裏にフラッシュバックする。

 

 改めて振り返ってみてもあの時のクユリは明らかに正常ではなかった。しかし私はそれにつけ込んで、自らの湧き上がる情欲を吐き出す言い訳にしてクユリを襲ってしまった。

 

 今となっては本格的に事が始まる前にナグサ先輩が止めに入ってくれて良かったと思う。

 

 ただ私がクユリの本心ではないままに襲ってしまったのは紛れも無く事実である。

 

 そして…、それはクユリの命につけ込んで無理矢理犯したという、反吐が出る程度では済まない忌むべき大人と同類であるということも…。

 

 そのことに気づいた私は危うく自らの頭を撃ち抜きそうになったものだ。

 

 

 しかしそれはクユリに謝罪をする事から逃げるようなものだと思った。負うべき責任から目を背けて、楽な道に進もうとする許されないこと。

 

 私のプライドがそれを許さなかった。

 

 例え許されなくても、拒絶されても、私はそれを受け入れる義務がある。

 

 そして私は、亀裂の入った姉妹の絆を修復することに尽力する。

 

 そうして初めて、責任を取ったと言えるのではないだろうか。

 

 

 そう決意しているはずなのに、いざその時が近づいてくると私の弱さが滲み出てきてしまう。

 

 拒絶されたくない。何でもするから許して欲しい。これからもクユリと一緒に百花繚乱として過ごしたい。私の心をその笑顔で溶かしてほしい。

 

 何と勝手な願望かと自嘲してしまい、再びため息をつく。

 

 ここに座って一時間が経過し、後残り一時間。

 

 身体がそわそわするのを抑えきれない。

 

 目は勝手にキョロキョロと周囲を見渡して待ち人の姿を探そうとし、耳や二股の尻尾は忙しなく動く。

 

 手慰みに愛用のあやとりの糸を取り出し操ろうとしても、指先が小刻みに震えままならない。

 

 激しくリズムを刻む拍動の音が耳いっぱいにこだまし、否が応でも緊張していると自覚させられる。

 それに何とか落ち着こうと焦ってしまうことで、ますます緊張してしまう悪循環が完成していた。

 

 そんなある意味五感が研ぎ澄まされた状態の私は、やがて一つの待ち侘びた声と姿を捉えた。

 

 

「あ!キキョウ〜!ごめんね、待った?」

 

 

 姉譲りの病的なまでに白い肌――私も大概だと言われる――が朝日に照らされてより輝く。

 

 その小さな身にはあまりにも惨い仕打ちを刻まれているにも関わらず、無邪気に手を振りながら駆け寄ってくる姿を見ていると、自然と身体の震えは止まっていた。

 

 

 いつも通りの、作戦参謀として常に冷静で、不器用な私が帰ってくる。

 

 それでも、心を許せる数少ない存在に頬が緩んでしまうのは如何ともしがたくて。

 

「間に合ったね…なんて、冗談だよ。一時間も早く来るなんて流石だね。全然待ってないから、安心して」

 

 あぁ…、いつから私はこんなにチョロくなってしまったのだろうか。

 

 デートの待ち合わせで定番の嘘みたいなのまでついて、そんな態度が取れる分際ではないというのに。

 

 私の言葉を聞いてほっと胸を撫でおろす仕草さえ愛おしくて、つい微笑みが溢れてしまう。

 

 もしかしたら、その笑顔が私に向けられるのは今日が最後かもしれない。

 

 せめてこの瞬間だけは、貴女の華を目に焼き付けさせて欲しい。

 

 口から発せられた言の葉は私の心情を色濃く示して、高く弾んで流れていった。

 

「おはよう、クユリ」

 

「うん!おはよう、キキョウ!」

 

 

 この時の私の懸念が、まさに杞憂も杞憂であったと気づくのは知る由もなかったと思いたい。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

「おはよう、クユ――――――っ……」

 

 濃密な一日を過ごし、碌な睡眠をとれていなかったせいか、ぼやけた思考のまま二階にある妹の部屋の扉を開ける。

 

 いつもなら寝ぼけ眼で制服に着替えているか、目覚ましアラームの音を無視してあどけない寝顔をさらしているかの二択の光景が飛び込んでくる。

 

 いずれにしても、屈託のない笑顔を浮かべて挨拶をしてくれて、私はそれを糧に一日一日を過ごしていると言っても過言ではない。

 

 しかし、この毎日のルーティンとも言うべき行動は糧どころか、私に無情な現実を突きつけるだけだった。

 

 昨夜から何一つとして変化していない部屋の様相、念の為と敷いていた布団に触れられた形跡はない。

 

 それもそのはず、身も心も満身創痍で自宅に帰り、クユリの帰りを待っていたところに、一件のメッセージが送信されてきたのだ。

 

 

『今日は診療所に泊めてもらうね。理由は察して…。ごめんね』

 

 

 こんな姉とは同じ家にさえいたくないのだと、明確に告げるようなその文面に、私は何も返信することができなかった。

 

 もしかしたら…と微かな希望がどこかに燻っていたのか。

 

 それも目の前の、主を失った部屋を見ていると砂上の楼閣の如く崩れ去っていく。

 

 窓から覗く快晴で爽やかな朝景色も私の心を洗うことはできない。

 

 危うく階段を踏み外しそうになりながら自室へと戻る。

 

 寝具を押入れに片付け、染み付いた動作で適当な朝食を取り、休日にも関わらず制服と百花繚乱の羽織を身に纏う。

 特にお洒落に頓着しているわけではないので大した問題でもない。それに、たとえ興味があっても今はそういう気分にはならない。

 

 ふと、カチコチと時を刻む掛け時計を見やる。

 休日ということもあり少し遅めに起きたので、針は朝の8時を少し過ぎた頃を指していた。

 

「…今からでも遅くはないかな……」

 

 昨夜キキョウにも言われた通り、クユリはまだ、私をお姉ちゃんとして見てくれている。

 

 元々クユリが帰ってきたら、その場で謝ろうとしていたのだ。

 それに、私がまず謝らなければならないのは、人としての一線を死守してくれたレンゲだ。もしかしたら、クユリにその事を指摘されるところだったかもしれない。

 

 診療所に行って、レンゲとクユリに謝罪すること。今の私がすべきことはそれだ。

 

 ――うじうじしている暇なんてない。これ以上、大事な人を失いたくなければ、立たなきゃ。

 

 風前の灯火のような決意を奮い立たせ、鉛のような身体を引きずりながらも下足を履き、診療所へと一歩一歩進む。

 

 浮かんでは消える嫌な想像を振り払うようにして小走りする私は、やがて診療所付近までたどり着いた時、あの銀髪が反対側の角に消えていったことに気づけなかった。

 

 

 

 診療所に入ると、受付の近くで見覚えしかない紅蓮色の長髪が目に入った。何やらここの院長と話し合っているらしく、柱を盾にしてそっと近づいてみる。

 

 

「――だからさぁ〜…、もう大丈夫なんだって〜。ほら!見ての通りピンピンしてるだろ?」

 

「しかしねぇ……、君がいくら頑丈とは言っても急所を突かれたのだから、私としてはもうしばらく安静にしてほしいんだよ…」

 

「んなこと言ってる場合じゃねえんだって。今の百花繚乱をほっとくのはマズイんだよ…!早くあいつらのよりを戻してやらないと…」

 

「…さっきも聞いたけど、一体何があったんだい…?」

 

「そ、それは………」

 

 

 ――なんだ…、私のせいで起こったことについて争ってるのか。

 

 レンゲは真っ直ぐな性格だから、クユリと私とキキョウの関係を修復しようと考えてくれているのだろう。

 一方で診療所としては医療的な視点からレンゲの安静を第一とする立場だから、こうして言い争いが起こってしまっている。

 

 見ている内に駐屯している生徒も駆けつけてきて、レンゲを病室に戻るよう促している。

 

 全てを説明出来るのは、今この場で私だけ。

 

 ここまで来た時点で今更後戻りなどするつもりはなかった。

 

 一つ深呼吸をして、柱の影から足を踏み出した。

 

 

「…それについては私が話すよ、レンゲ」

 

「うおわっ!?ナ、ナグサ先輩!?」

 

「君は………」

 

 比喩なしに垂直に跳び上がったレンゲ、ちらりと視線を移した院長と生徒がこちらを見据える。

 

 一気に注目されて一瞬怯んでしまったが、一度踏み出してしまえば私の口はぎこちなくも、己の所業を紡ぎ始めた。

 

 

 

 

 

 

「――――――ということなんです」

 

「……なるほど、そんな事情があったとはね…」

 

 昨夜の出来事を全て告白しきった後、しばらく静寂が場を支配した。

 

 目を閉じていてもわかるほど院長の視線が痛い。

 当たり前だ。医療の立場からすれば傷害を与えた者など気分のいいものではない。

 

 痛いほどの静寂を破ったのは、院長の呆れたようなどこか根負けしたようなため息だった。

 

「はぁ……、まぁ私としては言いたいことも色々あるけど。今はとりあえず置いておくことにするよ。レンゲ君」

 

「な…なんだよ……」

 

「事情は理解した。君の自己責任にはなるけど、本当に大丈夫だと言うなら退院してもいいことにするよ」

 

「ほ、ほんとか!ありがとう!」

 

「…傷は治せても、人の関係は直せないからね。ナグサさんも、手遅れにならないうちにやるだけやってみなさい」

 

「は、はい………」

 

 言うべきことは言ったと肩を竦め奥の院長室に消えていく姿を見送り、三人が残されたことで再び沈黙が流れる。

 

 しかしレンゲと視線がかち合った瞬間、事の顛末を吐き出して軽くなっていた口と頭は勢いのまま謝罪を始めた。

 

「レンゲ……その、ごめんなさい…!あの時の私は…どうかしてて――」

 

「あぁいいって!アタシは気にしてないから」

 

「でも……もしかしたら、私はレンゲを………」

 

 

 ――殺してしまうかもしれなかった。その悍ましい言葉はレンゲが勢いよく両肩に手を置いてきたことで遮られた。

 

「だぁ~もう!大丈夫だって言ってるだろ!どうしても気になるってんなら、愛しのクユリと早く仲直りすること!アタシも手伝うからさ」

 

「…レンゲ…………う、うん」

 

 あまりにも情熱的で、真っ直ぐな瞳に炎が揺らめいているのを幻視してしまった。

 

 流されるまま頷いてしまい、これでいいのかなと考えていると……

 

 

「あ、あの…。ナグサ先輩、その…あの時は無礼な口を聞いてしまってすみませんでした……。クユリちゃんのことも、もっとちゃんと管理してあげていれば…」

 

 今度は半ば空気になりかけていた診療所の子が私に頭を下げてきた。

 

 あまりに突然のことで理解が追いつかなかったが、よく見るとクユリの置き手紙を届けてきてくれた子だと気づいた。

 

 確かにあの時はいきなりの威圧的な言動に私も、もしかしたらキキョウもびっくりしてしまったけど。

 

 それでも、今考えてみればあんな態度になるのも当然だと思う。

 立場が逆だったら私だってそうしただろうし、彼女にはなんの罪もない。

 

「ううん……、あなたが謝る必要はないよ。至極真っ当な態度だと思うし…」

 

 

「はいはい!湿っぽいのはそこまでにしよう!わかり合えたのならそれでよしじゃないか?」

 

 レンゲがこれ以上は耐えられないといった風に割り込んでくる。困ったように二人で顔を見合わせ、仕方ないかと苦笑する。

 

 話が一区切りついたところで、ふと思い出したかのようにレンゲが尋ねてきた。

 

「そういや、ナグサ先輩はどうしてここに来たんだ?」

 

「あ、それは勿論レンゲに謝るためなのもあるけど…。クユリにも会いたくて……」

 

「クユリちゃんなら少し前に出ていってしまったみたいですけど…」

 

「え!?」

 

 申し訳なさそうに告げられた事実と間の悪さに驚愕する。

 行き違いには注意していたはずなのに、思っていたよりも視界は焦りと緊張で狭まっていたらしかった。

 

「そうなったらやることは一つだな!先輩、今から探しにいくよ!」

 

「あ、え……うん。ちょ……ちょっと!」

 

 突然左手を引っ張られ、あれよあれよと診療所を連れ出されていく。

 

 レンゲの猪突猛進ぶりは今に始まったことではないけど、今日はいつにも増して酷い。

 それが百花繚乱の事を思ってなのか、私が正直に全てを話したことがそんなに嬉しかったのか、はたまた……。

 

 ――多分、全部かな……。

 

 

 鍛錬で鍛えられた脚力は凄まじく、みるみるうちに診療所が遠ざかっていく。

 

 一人残された医療班の子が、

 

「…私もついていこうかな……」

 

 と呟く声が聞こえたのはきっと気のせいだ。

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

「ちょっ…クユリ!?何処に行くつもりなの?」

 

「いいからいいから、今回は私に任せて!」

 

 

 無事クユリと合流を果たした私。

 

 しかしいざ対面すると、どうしてもどもってしまい中々謝罪のタイミングを掴めないでいると、何を勘違いしたのか突然クユリは私の手を引いて走り出してしまったのだ。

 

 むん!とただならぬ気合を入れているクユリを見てしまうと、口を挟むのも憚られて、置いていかれないようについていくしか無かった。

 

 目的地もわからず手を引かれ続けること数十分、やがて風情ある鹿威しと流水の音が近づいてきたところでようやく足が止まる。

 

「ここは…大庭園?」

 

「そう!百鬼夜行の観光地としては一番有名な場所の大庭園。キキョウも知ってるでしょ?」

 

「それはそうだけど…実際に周るのは初めてかな…」

 

「なら良かった!さ、私がエスコートするよ」

 

「エ、エスコートって……」

 

 ――それじゃあまるで、デートみたいじゃない。

 

 今だ困惑している私をよそにどんどんと展開が進んでいって煮え切らない一方、この状況に幸せを感じてもいた。

 

 

 華奢な身体の後をついていくと、何やら受付で買い物をしているようだった。

 

「…何をしてるの?」

 

「ん〜?大庭園と言ったらやっぱり“ヌシ”でしょ!だから餌の麩を買っておいたの。はい、これキキョウの分」

 

「あ、ありがとう……」

 

 十個入りの麩の袋を渡されながら先の言葉を振り返る。

 確かにこの大庭園の池には“ヌシ”と言われる巨大鯉がいるという噂がたっている。百鬼夜行に観光に訪れた人々は一度はその姿を見ようとすることで有名だ。

 

 目撃例が片手で数えるほどしかないため、その珍しさが尾ひれをひいて、いつしかやれ“意中の人とその姿を見れれば結ばれる”だとか、“ヌシの鱗の色によって今後の運勢が占える”だとか突拍子もない噂が定着してしまっていた。

 

 ――そもそも滅多に見れないものを見れた事自体が幸運の証なんじゃないの…?

 

 心中でそうは思っても口に出すのは野暮なことくらいは理解していたが……。

 

 

 呆然と突っ立っているしかない私をよそに、お土産コーナーでまた何かを買ってきたクユリ。

 

「…今度は何を買ったの?」

 

「ん、これはまだ秘密。後で渡すから心配しないで。それよりほら、散策してまわろうよ」

 

 何故か頬を染めてはぐらかすクユリ。え、何今の顔可愛すぎ……とは思いつつ大人しく後をついていくことにした。

 

 大庭園とは言っても大きな池が一つあり、その周りに先程の購買所や苔むした岩などが風情を醸し出す散策ルートが存在しているくらいの規模で、一周するのにさほど時間は掛からなかった。

 ただ、池を横断することのできる朱色の橋にたどり着くと、時間の流れが一気に遅くなったように感じた。

 

 チョロチョロと水が溜まり、カコンと鹿威しが一定間隔で音を刻む。他の観光客が砂地を静かに踏みしめる音。鯉や亀が吐き出した空気が水面で弾ける音。

 

 片時も休まる暇のなかった心に豊かな生命の息吹が染み渡り、無意識に感嘆のため息を漏らしていた。

 

「…ここで読書ができたら、きっと幸せなんだろうね…」

 

「ふふっ、キキョウらしい感想だね。じゃあ餌やりしにいこうか」

 

 その言葉に若干の気恥ずかしさを感じつつ、橋を下って池の外周の一角にしゃがみ込む。

 

「ヌシさん来てくれるかな〜。それっ」

 

 クユリに倣って袋から麩をいくつか取り出し、池の中に放る。するとたちまち食欲旺盛な鯉が群がり、我先にと麩の争奪戦を始めた。バシャバシャと飛沫を上げながらもみくちゃになっている様子を見ているとどこか心が洗われていく感じがして、自然と頬が緩む。

 

 とはいえこの様子では仮にヌシとやらが出現しても判別はつかないだろう。

 クユリもそれはわかっているのか、ただただこの時間を楽しんでいるようだった。

 

 心地よい静の時間に身を委ねていると、気づけば最後の手持ちになっていた。

 

 顔を見合わせ、同時に残りの麩を放る。

 

 いつものように鯉の団子ができて終わり――とはならない。

 

「……あれ?」

 

 そう首を傾げたのはどちらだったか。波紋を広げたまま浮き沈みするだけの麩に注目していると突然――

 

「――うわっ!」

 

「――ッ!」

 

 恐ろしく巨大なナニカが浮かんでいる麩を掻っ攫っていき、盛大な飛沫をあげて姿を消していった。

 

 もろに飛沫をくらって前髪から雫を垂らしているお互いの顔を見合う。

 

 きょとんとした表情が可笑しくて、私もクユリもくすくすと笑ってしまう。

 

 ――こんな時間が永遠に続けばいいのに。

 

 今日の本来の目的のことなど考えられなくなるほど、私は幸福を享受してしまっていた。

 

 

 

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 一方その頃………。

 

「…なぁ、アタシの見間違えじゃなければ、ありゃあ完全に――」

 

「“でぇと”というものですの〜!」

 

「馬っ鹿ユカリ!そんな大きな声出したらばれる…!ったく、ユカリがあの場に突っ込む前に止めれて良かったよ…」

 

「それについては感謝しますわ。…それより、先輩方のご機嫌が……」

 

「へ?」

 

「…キキョウ…、やっぱりあの場で始末しておくべきだったかな……」

 

「…ワタシダケノクユリチャンナノニ、アノドロボウネコ…!」

 

「…………ッスゥ――――――」

 

 とある物陰で、二人の苦労人と二人のストーカーの物語が幕を開けていた。

 

 

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  

 大庭園を後にして次に連れてこられたのは、お昼時ということもあり熱気が盛んな百鬼夜行商店街だった。

 

 騒がしい雰囲気があまり好きではない私は進んで訪れる場所ではなく、百花繚乱としてお祭りの警備をする際くらいしか歩かない。

 

 そんな場所だから当然人混みも激しく、ふと気を抜くと見失いそうになっていると――

 

「キキョウ、手貸して?」

 

 はぐれてしまわないようにということなのだろう。特に何を思うでもなく手を差し出すと………腕ごと引き寄せられて身体が密着してしまった。

 

「……え、クユリ?」

 

「は、はぐれないように!仕方なくダカラ……」

 

 流石に恥ずかしいのか、耳まで赤く染めながらずんずん進んでいく。

 今日のクユリはどこか大胆だ。そう奇妙に思いながらも、その尊さに爆発しそうになるのを必死に抑える。

 

 やがて一つの喫茶店の前で足が止まった。

 いくら私でも、ここの名前は知っている。

 

「……百夜堂?」

 

「そう。最近焼き鳥がメニューに追加されたから紹介も兼ねて連れてきたかったの。ここの看板娘さんとも久しぶりに会いたかったし……あ、そんな事言ってたら…」

 

 店の奥から足音が迫って、小柄な影が目の前で急制動をかける。

 

「はいはい〜!百夜堂の看板娘、河和シズコです〜!本日はご来店いただきまして誠に――ってクユリさんじゃないですか!」

 

 いかにもな営業用のセリフと態度はクユリの姿を認識した途端に崩れ去った。

 当のクユリは慣れた様子で手を振り対応している。

 

「久しぶりシズコ。今日は色々あってキキョウと一緒なんだけど……」

 

「あ、今日はお姉さんはいらっしゃらないんですね。キキョウさんもこれから百夜堂をよろしくお願いしますね!」

 

「あ、うん。よろし―――」

 

 商売魂に従って人懐っこい笑顔で握手を求めてきたので反射的に利き手を差し出そうとすると、その手はがっちりとクユリに固定されている事を忘れていた。

 

 この周辺だけ一瞬気まずい静寂が流れ、次にそれを破ったのは看板娘のニヤケ声だった。

 

「…ほっほ〜う…?なるほどなるほど…。このシズコ、完璧に把握しました!ささ、二名様ご来店〜!」

 

 押し込まれるようにして店内の二人席に案内される。

 

 

 さしものクユリもこの事態には困惑しているみたいであり、注文の時も終始ニヤニヤしていたシズコに首を傾げていた。 

 

 ほどなくして、問題なくお冷やや焼き鳥が運ばれてきたのでひとまずそれを味わうことにする。

 

 ここはあくまでも喫茶店であり、決して焼き鳥屋ではないのだが――

 

「……美味しい…」

 

「よかった!伊達に焼き鳥狂いの姉を持っているわけじゃないからね…監督冥利に尽きるかな」

 

「あんたが監修してたのね…どうりで」

 

 流石はナグサ先輩の妹というべきか、喫茶店とは思えないクオリティの味が口いっぱいに広がる。

 私の知らないところでどんどんと関係が広がっていくのは、胸にちりつくものがあるけど…。

 

 そうして焼き鳥に舌鼓をうっていると、シズコが店の奥から新たな皿を片手に乗せて来る。

 日頃の業務で鍛えられたのか、絶妙なバランスを維持して運ばれてきたソレに目を丸くしてしまう。

 

「…パフェなんて頼んだ覚えはないんだけど…」

 

 思わずそう尋ねると、清々しいほどのしたり顔で衝撃的な事を告げられる。

 

「え〜こちら、“本日限定のカップルパフェ”となっております!百夜堂のサービス商品ですのでお代は取りません!では、ごゆっくり〜」

 

 言いたいことだけ言って引き止める間もなく厨房に引っ込んでいった看板娘に絶句していると――

 

 

「…キ、キキョウ?その……はい、アーン……///」

 

 

 …どうやら私は一足早く天に召されてしまったみたいだ。

 

 残った右手だけで器用にフルーツを掬い、羞恥のあまりか目を潤ませ、今にも蒸気が立ち昇りそうな程白い肌を林檎のように紅潮させてスプーンを差し出してくる姿を前に、一瞬生じた戸惑いと気恥ずかしさは掻き消えた。

 

 クユリがこんなにも勇気を振り絞っているなら、こちらも相応の対応をせねば無作法というもの。

 

「あ〜ん。…美味しいよ、クユリ」

 

「そ、そう…///。なら良かった――って、キキョウ?何をして…」

 

「なにって…お返しだけど?ほら、あ〜ん」

 

「ふえっ…そ、それは流石に恥ずか――」

 

「ふ〜ん?参謀の私に仕掛けておいて、逃げられると思ってるんだ…。私も恥ずかしかったのにな〜」

 

 実際恥ずかしさよりも尊さの方が上回っていたがそれはそれ。やられっぱなしは性に合わない。

 

 行儀が悪い事を承知でパフェを削り取ったスプーンを猫じゃらしのように揺らす。

 

 色々な感情が出たり入ったりと百面相のクユリを見ているのも楽しいのだが、ようやく決心がついた様子で、震えながらもフルーツの塊を頬張った。

 

「…どう?」

 

「…美味しいよ。こうなったら次は私の番だから!」

 

「ふふっ、望むところだよ。百花繚乱の参謀にそう簡単に勝てると思わないでね」

 

 

 都合のいい売り言葉に買い言葉で食べさせ合いが再開する。

 クユリはどうだかわからないが、少なくとも私はこの瞬間の幸福を生涯忘れることはないと確信していた。

 

 

 

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「…ユカリどいて、あいつ殺せない」

 

「落ち着いて!どうか、落ち着いてくださいまし〜!」

 

「ワタシダッテ!クユリチャントア~ンシタカッタ!ワタシハ…キキョウサンミタイニハナレナイ!」

 

「ちょっ…突然泣くなって!情緒どうなってんだよ!ユカリ、絶対抑えてろよ!」

 

「身共のふるぱわーにも限界はありますの〜!」

 

 裏で行われていた必死の制御活動が、百夜堂の命運を左右することになっていたことは誰も知る由もなかった。

 

 

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 その後も、観光用ケーブルカーに乗って百鬼夜行の全景を眺めたり、神木展望台にて桜吹雪のなかでうつらうつらしたりと様々な場所を巡った。

 

 クユリと見てまわる景色はどんなに見慣れていても新鮮に思えて、今朝の私の擦り切れた心は潤い満たされていた。

 

 元の甘味処に戻ってくる頃には空一面が夕陽に焼けていて、一日の終わりを神秘的に告げていた。

 

 冷え込んだ風が頬を撫で、私の高揚した気分を静めていく。

 

 今朝と同じ長椅子に腰を下ろし、お互いにしばらく物思いにふける。

 

 いくら私がうつつを抜かしていたとは言え、今日の本来の目的は覚えている。

 この場の雰囲気に乗じて有耶無耶にすることは、私のプライドが許さなかった。

 

 一つ深呼吸をし、肺に覚悟の空気をためる。

 

 そしていざ、本題を切り出そうと隣に顔を向けると――

 

 

「あの、クユリ?」 「キキョウ?その……」

 

 ものの見事にタイミングが被ってしまい、気まずい沈黙が流れる。

 互いに視線で先を譲る不毛な時間がしばらく続き、やがてクユリの方が折れて言葉を切り出した。

 

「あの…さ、大庭園で秘密にしてたことあったでしょ?そのことについてなんだけど…」

 

 そう言われればそうだ。今の今までその存在を忘れてしまってはいたが、確かにあの時クユリは何を買っていたのだろう?

 私が首を傾げていると、クユリは一対のアクセサリーを取り出した。

 

「これは……桔梗の髪留め?」

 

「そう…、花言葉は…知らなかったら調べて…。私の覚悟はわかるはずだから…」

 

 調べなくとも知っている。桔梗の花言葉は『永遠の愛』。

 

 これは、つまり…そういうことなのだろうか。

 ご丁寧にペアルック仕様で、既にクユリの頭にはそれがつけられていた。

 

 昨日までの私なら、あるいは先のデート中の浮かれた私なら、即座に関係を築いたことだろう。

 

 でも、今の私には…そんな資格はない事を自覚していた。

 あの大人と同レベルの愚行を仕出かしかけた私には、これ以上の幸せを享受する権利などない。

 

 だから――――――

 

「ありがとう、クユリ。…だけど、これは受け取れない…」

 

「…え……?」

 

「なんやかんやで言い出す機会が無かったから、今ここで言うよ。今日、私があんたを呼び出した理由について」

 

 徐ろに腰を上げ、数歩クユリから離れる。

 

「…私は、クユリの様子がおかしいことをわかっていながら、貴女を襲った」

 

 振り返ってクユリと正対し、両膝を折る。

 

「ナグサ先輩が割り込んでくれなければ、貴女を犯した大人のような決定的な行為をしていたと思う」

 

 驚愕に目を見開くクユリに構わず両手の指を揃え、整備された街道にそっと下ろす。

 

「…それでも、私は貴女にとって許されない行為をしたことに変わりはない。だから――」

 

 最後に頭を躊躇なく地にこすりつけた。

 

「許してとは言わない。ただ謝りたかったの…。ごめんなさい。そしてどうか…お姉さんを嫌わないであげて…」

 

 

 声が震えてしまうのは避けられなかった。

 あまりにも情けない、しかし私の本心を余すことなく込めた謝罪が黄昏に響いた。

 

 長い、永い静寂。

 

 クユリがどんな顔をしているのか。そしてどんな言葉を、行動をするのかはこの姿勢からは察しようがない。

 ただどんな罵声でも暴力でも、私は全てを受け入れるつもりでいた。

 

 だからその足音が目の前にまで迫ってきた時、そっと目を閉じてその瞬間が訪れるのを待っていたのに…。

 

 

 伝わってきたのは、すべてを包み込むような慈母の如き体温だった。

 

「…な〜んだ、私は色々勘違いしてたんだ!大丈夫、キキョウは悪くないよ…。よしよし……」

 

「…え……どうして……」

 

 理解が追いつかない私は思わず顔を上げて尋ねてしまう。

 

 一方のクユリは全て合点がいったというような爽やかな笑顔を浮かべながら、私にその全てを語り始めた。

 

 

 

「――なるほど……。つまりあの時のあんたの妙に蠱惑的な態度は、その呪いを止めるための薬の副作用らしく、あんたにはその時の記憶はないと。そして今日私があんたを呼び出したのは、きっとその行為の責任を取りきるために、正式なお付き合い…もといデートをするつもりだと考えていたと。だからあんたなりに覚悟して、張り切ってエスコートしようと頑張っていた…ということなのね…」

 

「そう。いや…つい考えが先行しちゃって、こんなに遠回りする事になるとは思わなかった…」

 

 二人で欠けているところを補填し合いながら状況を整理すると、細かいところの齟齬が勘違いに繋がってしまったことに気づく。

 クユリが最後まで私に犯されてしまったと考えていたのには驚いたけど。

 

 頭の中で今一度情報を整理していると、ふとクユリが思いついたようにつぶやいた。

 

「…あれ?じゃあ、今日の私って勝手にキキョウをデートに連れ回してあんな事やこんな事をしたってこと……?」

 

「そう……ね……」

 

「そのうえで最後に桔梗のペアルック髪留めまで渡したってことは………」

 

 みるみるうちに紅潮しだすその顔に悪戯心で一言くれてやる。

 

「あんたからの愛の告白、嬉しかったよ」

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!///」

 

 爆発するように染まった顔を片手で覆うクユリ。

 もう一目拝んでやろうと覗き込むと逃げるようにそっぽを向く様子がどうしようもなく愛しい。

 

「……こっち…見ないで……」

 

「なに〜?そんなに真っ赤にしちゃって…」

 

「これは夕陽のせいだから……」

 

 そんな典型的な台詞を吐かなくてもと、笑いがこみ上げる。

 ジト目で睨まれるのもお構い無しに私は思い切り笑った。

 

 次いで出てきた涙をはらいながら、笑いの波を抑えつつ言う。

 

「まぁ今回は特例ってことで、あの告白は無かったことにしてあげるよ。私も鬼じゃないからね」

 

「…うん、そうしてくれると助かるかな…」

 

「あ、でも折角だからその髪留めは貰おうかな。今日のクユリを思い出せるように…ね」

 

「もう…キキョウには敵わないね…」

 

 

 手渡された片方の髪留めをクユリと同じ位置につける。

 

 断絶する事も覚悟していた関係がより強固になったことへの安堵、そして喜び。

 

 私の中で満ちるこの感情は紛れもない幸せだと言える。

 

 

 崩れかけた絆が結ばれた証が、黄昏の陽を反射して煌めいた。

 

 

 

  

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

「いや〜恥ずかしすぎるでしょ流石にあれは…。黒歴史入り間違いなしだねこれ」

 

「ま、でも思わぬ形だったけど修正できたし、結果オーライオーライ!」

 

「あの後、キキョウからお姉ちゃんとの仲についても言及されたし、なんだかんだいいタイミングになってるね〜」

 

 一つの影が無邪気に、不気味に揺れる。

 

「ヌシさんの色は“真紅”…。意味は危険信号、あなたのまわりに近々良くないことが起こりますよってね……。中々占いも侮れないんだね」

 

「キヴォトスの空が真紅に染まる時は近いってお告げだし…開演のブザーの準備もバッチリ!」

 

 夕陽が夜の帳に呑み込まれ、辺りが闇に包まれてもなおその影はドス黒く踊り、嗤う。

 

「最高の舞台で踊らせてあげるから……。お姉ちゃん、待っててね」

 

 

 どこかの池で、一匹の鯉がぷかりと浮かんだ音がした。

 

 

 

 




色々書いてたら最長になっちゃった…。

というわけでついに、次回はあのセリフの回です。
まとまった時間が取りにくい期間ですので、気長に更新を待ってくださると幸いです。


百夜堂コソコソ裏話

「お〜い嬢ちゃん!緑茶を一杯くれないか?特濃で頼む!」
「こっちは珈琲を頼む。できる限りのブラックで」
「畜生…!どうして俺はスイーツを頼んじまったんだ…!後は…頼む……」
「ご友人が死んだ!この人でなし!」
「こいつ…!口から砂糖を吐いてやがるっ…!」

「…まさかここまで甘ったるくなるとは…このシズコの目をもってしても…!」
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