自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー 作:藍終
「ふふふ…アハッ…!いよいよメインディッシュの時間…くふっ……」
日を開けて帰宅することとなった我が家の自室に、自分でも気持ち悪いと思うような声が響く。
下の階には今回のターゲットがいるためあまり大きな声は出せないとわかっていても、塞いだ手の隙間から漏れる歓喜は如何ともしがたい。
これまで様々なハプニングがありつつも何とかこなしてきた過程は全て、ここから先のための前戯に過ぎない。
お姉ちゃんの可愛い妹であり続けたのも、黄昏の呪いで命を蝕まれたのも、その呪いに苦しむ様を焼きつけたのも、家出紛いの事をしたのも、左腕を失ったのも、大人との力の差を見せつけたのも……。
「全部……全部全部全部全部全部!この時ここからのために!」
都合の良い事に左目も裂けて、処女設定の追加や想定外の諍いなどのアドリブハプニングに見舞われた事も、今となってはそれすらも重要なスパイスになっている。
湧き上がる興奮を馬鹿正直にトレースして痙攣し始める身体を片腕で抑え込む。
黒服謹製の薬のおかげでかなり抑制されているとは言え、着実に身体を蝕んでいる黄昏の呪い。反転に近しい現象という黒服の考察は的を射ていたのか、色彩襲来の時期が近づくにつれてその勢いも増しているように感じる。
もうそろそろ抑制剤の効果が切れるという時に内なる感情を爆発させてしまえば――――――
「アハッ…ハハはッ……っゴホッ!ゲホッゲホッ!うぇぇ…」
咄嗟に近くのティッシュで口元を覆った瞬間、どろりとした赤い血塊がせり上がってきて純白を真紅に染めていく。
抑制剤の反動も相まって恐ろしい勢いで罅が広がっていく。
久しく感じていなかったが故の強烈な痛みに視界がゆがみ、立ち上がることすらままならない。欠けた左腕の切断面が燃えるように熱く、まるで焼きごてを直接傷口に当てられたような激痛に畳をのたうち回る。
最早お姉ちゃんに勘付かれないようにすることすら考えられない。
自ら望んだことの代償だとは理解していても、辛いものは辛い。
何を考えるよりも先に生存本能がもたらした行動として、デスク上に置かれた拳銃型の注射器に手を伸ばす。
たった数センチの距離の移動さえ耐え難い激痛が伴い、果てしなく長く遠いように感じてしまう。
それでも意識だけは手放さないように文字通り歯を食いしばり、やっとの思いで無骨なそれに指を引っ掛けた瞬間――
『まぁ〜だ抗うんだ…。ほんとに無様というかなんというか…いい加減受け入れて楽になったらぁ?』
聞くだけで何故か明確な拒否反応を示すその声、カタチは私と瓜二つなのに虚無そのものと言うべき不定形の闇を身に纏っているソレ。私一人しかいない筈の空間に気づけば現れていたソレは、拳銃にかかった手の上にそっと手を添えた。
前回相対した時よりも明らかにカタチが固定化されている証として、涙で歪んだ視界でもソレが嘲笑していることははっきりわかる。
痛みでろくに声も出せない私の頭に呆れたようなため息が響く。
『ほんとにやりたい事をひたすら誤魔化して…そんなので人生楽しいの?ワタシに任せてくれれば全部上手くいくのに…』
――黙って、あなたに何がわかるって言うの。
胸の内で思わず反駁すると、それを読み取ったのか再び嗤うソレ。
『前にも言ったでしょ?あなたはワタシでワタシはあなた。自分のことは自分が一番理解しているに決まっている。ねぇ…サイコパスさん?』
――だから…それは違う…はずで……。
『はずってなぁに?その調子だと、もうそろそろ思い込みも限界っぽいね。ありのままの欲望を曝け出す事の何が悪いのかな?曇らせなんてまわりくどいことせずにさ、ひたすらに傷つけて、痛めつけて、殺してしまえばいいじゃん。お望みの絶望を押し付けられるよ?』
――本当の…望み……。
『そ、ワタシに身体を預けてくれれば最高の景色を見せてあげる。とは言ってもいずれはそうなるんだから、無駄に抵抗しないで大人しく……』
――違うッ!!
私の心のナニカが、パチリと火花を散らした。
自身でもわからない感情。理屈も理由も述べることは出来なくとも、無意識に私はそう叫んでいた。
重なった手を振り払い、銃口を突き立て躊躇なく引き金を引く。
気がつけば身体の8割ほどを侵食していた罅を駆け巡る抑制剤が鎮静化させていく。
内から抉られるような痛みが急速に引いていき、麻痺していた五感が機能を取り戻していく。
拷問じみた状況から抜け出せた事に脱力してしまっていると、忌まわしい顔が覗き込んでくる。
『ほんっとに…惨めなことで。まぁそれも一興かな、精々足掻いてみるといいよ。同じワタシがどんな物語を紡いでみせるのか、肴程度には楽しみにしてあげる』
口の端を大きく裂けさせたソレは、瞬き一つした後には影も形もなくなっていた。
所詮は幻覚幻視幻聴の類だと切り捨てるにはあまりにも生々しい体験。
あれも黄昏により百物語化してきていることの証だとしたら、残された時間はいよいよ少ないのかもしれない。
だからといって私はこんなところで止まるわけにもいかないし、諦めることも出来ない。
大好きなナグサお姉ちゃんが私のために悲しんでくれる。
それだけで私は満足だし、それ以外に望みなんてない。
私の意思をあんな奴に渡すわけにはいかない。
「…これは黒服案件かなぁ…。今度会う時にでも話してみますか…」
ついでに黒服にはこの薬についても問いただしたい。
幸いな事に、キキョウから聞いたような醜態を晒すようなことはあれ以来起こっていないが何とも恣意的なものを感じる。
黒服ならやりかねないという謎の信頼があるのだ。
――それに何?“キキョウになら、ナニされてもいいよ?”って……痴女じゃん。
もしお姉ちゃんにそんな事言われたら間違いなく襲う自信があったから、キキョウを責めることなど出来やしない。
こんな媚薬紛いな効果を面白がってつけたのだとしたら私の中の黒服の評価を色々と訂正しなければならないかも…。
そんな事を考えながら拳銃をしまい込み、諸々の後処理を済ませて一息ついていると、遠慮がちなノックが静かな自室に響いた。
「…クユリ…?その…大丈夫?下まで音が響いてきたから…」
あの一件が大分こたえているのか、これまでなら有無を言わせず飛び込んできたであろう姉の声は、心配8割怯え2割といった声音でそう尋ねてきた。
「あぁ…お姉ちゃん…。気にしないでいいよ、いつものことだし」
「そ、そう……。…ッ、あのね…!お姉ちゃん、クユリと話がしたいの!だから…もしよかったら、部屋に入ってもいい?」
…さて、どうするか。ここで無闇に今の緊張関係を解消してしまうと、今考えている失踪手順に支障が生じる可能性があった。
いや、正確にはスパイスが足りなくなるだけでゴリ押そうと思えばなんとかなりそうではあるものの、一世一代の大演技に妥協などしたくはない。
それに懸念と言えば“先生”の存在もある。
本来原作時空では――明確な日時は不明だが――最終編が始まるよりも前にアヤメ先輩とナグサお姉ちゃんが行方不明になっているはずだった。
ただ私の影響でアヤメ先輩はともかく、お姉ちゃんは時期的に考えて百花繚乱から姿を消していないといけないのに、今こうして扉一枚向こうにいるのが現実。
これによってキキョウが解散令を出さなくなる可能性が生じ、そうなると百花繚乱の第一章が正しく始まらなくなってしまう。
そして最終編時、あるタイミングで先生が百鬼夜行を訪れる機会がある。なまじ先生にも私の惨状は伝えているから、ほぼほぼ探りを入れてくるに違いない。
そんな時にお姉ちゃんと私が百鬼夜行にいてしまっては全てが崩壊してしまう。私の曇らせに介入されるのもそうだが、キヴォトス終焉の危機の最中に先生に要らぬ負担をかけてしまえば、最悪この世界がプレ先時空になりかねない。
だから最低でもそのタイミングまでには行動を起こさなければならないのだ。
結局のところ、先生が関わってくるより前に、離れた場所で事を済ませ、原作時空よりも百花繚乱に混乱と無力感を押し付けて、第一章までに帳尻を合わせる必要があるということだ。
え?お姉ちゃんが失踪するとは限らないだろって?
…それはご尤も。最悪自ら命を絶ってしまう可能性もあり得る。
ただ私は腐っても御稜ナグサ推しであり、妹なのだ。
お姉ちゃんの本質なんてお見通しなのだよ。
ここまでを一瞬のうちにまとめ上げた私は、かねてからのチャートを始動させた。
「…そのことなんだけどね…。お姉ちゃん―――」
――ねぇ?弱虫で、泣き虫で、臆病者のお姉ちゃん?
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クユリとキキョウのデートをストー……監視して危うくまた暴走しかけてしまった後、靄々した気持ちのまま自宅に戻った私。
見慣れた下足が揃えられていることから、クユリは一足先に帰ってきていたとわかる。
クユリが家に帰ってきていることの喜びと安堵が染み渡る。
正直、何度クユリの部屋に飛び込んで、勢いのまま謝罪しようと思ったか知れない。
しかし…私はつくづく臆病者なのだと実感してしまう。
ここに来ていざとなると、拒絶されることへの恐ろしさが全身を縛り付けて、折角の決心を揺らがせる。
そんな自分に吐き気がするも一度止まってしまった勢いはそう簡単には戻らない。
そううじうじしている間に、気づけば夜も大分更けてきていた。
時間をかければかけるほど手遅れとなる事は嫌でも理解しているのに、意思に反して身体は金縛りに遭ったのかというほど微動だにしなかった。
やがて肝心な意思そのものも揺らいでしまいそうになったその時だった。
突如、上の階――クユリの部屋から何かを堪えるようなくぐもった声と、床がギシギシと軋む音が聞こえてきて思わず肩をビクつかせる。
「クユリ……?!」
幸いな事にそれのおかげで金縛りから解放された身体に鞭打ってクユリの部屋へと駆け上がる。
考えなくてもわかる。クユリはあの忌々しい呪いのせいで苦しんでいるのだ。
あの日から毎日のように夢に見るあの悲鳴と血飛沫。
私の至らなさと弱さがまねいた罪が、愛する妹を苦しめていることに胸がえぐられるような痛みが走る。
私がいるから、クユリは不幸な目に遭ってしまうんじゃないかと考えてしまうほどには…。
大した距離もない階段と廊下を何度も躓きそうになりながら、やっとの思いで部屋の前にたどり着く。
そっと耳を澄ませると、先ほどまでの激しい音はなくなり、僅かに衣擦れの音が聞こえるのみになっていた。
ひとまずは落ち着いたのかなと考え、同時にもう今しかないと意気込む。背水の陣は人を局所的にではあるが成長させるらしかった。
震える喉と手を必死に御して、恐る恐る部屋の扉をノックし声をかける。
「…クユリ…?その…大丈夫?下まで音が響いてきたから…」
「あぁ…お姉ちゃん…。気にしないでいいよ、いつものことだし」
少し間をおいて返ってきた声は、やはりどこか突き放すような刺々しさがあって、思わずたじろいでしまいそうになる。
それでも、これ以上大切な存在を失いたくない一心で声を絞り出す。
「そ、そう……。…ッ、あのね…!お姉ちゃん、クユリと話がしたいの!だから…もしよかったら、部屋に入ってもいい?」
再びしばしの静寂。どこまでも時間が引き延ばされていくような感覚に陥ってしまっている私を現実に引き戻したのは……
「…そのことなんだけどね…。お姉ちゃん……私もそうしたいと思っていたんだ」
という願ってもない、しかしこれ以上ない程好ましい反応だった。
「――ッ!じゃあ………!」
鼓動が速くなる。興奮から熱くなった血液が駆け巡り、衝動のまま部屋の扉に手をかけたその時――そんな私を諌めるようにぴしゃりとクユリの声が続いた。
「でもね…今はちょっと待ってほしいの…。私も心の準備をする時間が欲しいし、今日は色々あって疲れたから…」
「あ…そう…だよね…。ごめんね……」
確かにクユリにも気持ちの整理の時間は必要かもしれなかった。
本命ではない謝罪はポロポロ出ることにも、自分本位の行動過ぎたことにも嫌悪を抱く。
それでも折角勢いづいた調子を冷やされて、若干の失望を隠せないでいると、それを感じとったのかやや早口で声が続いた。
「…その代わりと言ってはあれだけど…さ、明日の朝頃…大雪原に来てくれないかな?」
「………え?大雪原…?」
あまりに突拍子もない提案にオウム返しをしてしまう。
思考を巡らせてもさっぱり意図がつかめずにいると、すぐに答えは返ってきた。
「そう、あの日…全てが変わったあの場所に来てほしいの。見せたいものがあるから、そこでお互い話をしよう?」
見せたいものって何?その疑問が喉から出かかったところで危うく押し留めることに成功する。
わざわざこうして提案をしてくるということは、クユリなりに少なくとも今は見せられないものだということ。
そうであるなら、ここで問うことはクユリの気分を害するかもしれなかった。
それに想定していた形とは違うものの、ようやく向かい合って話し合える機会を設けられるのだ。
これを断る選択肢など私には最初からなかった。
「…わかった。明日に大雪原に行けばいいんだね?何を見せてくれるのかはわからないけど、クユリの事は今も昔も、これからも信じてるからね」
「うん……私からはそれだけ。………お休み」
「――!うん、お休み…!クユリ」
ゆっくりと部屋の前から離れ、自室に戻ってへたりこんでようやくそこで、張り詰めていた息を吐き出した。
少し前までと同じ姿勢。しかし心内は真逆の状態だった。
事態が好転しているかはともかく、何も進捗のない膠着が打ち破られ進展し始めていることや、自分から一歩を踏み出すことができたことへの達成感が満ちていた。
後は明日、全てを打ち明けて謝罪し、願わくば元の関係を取り戻すだけだ。
――アヤメ、私…成長してるかな?強くなれてるかな?
腹を割ってぶつかり合う事の大切さを教えてくれた大切な幼馴染に声にならない声で問う。
アヤメも私の背中を推してくれているようで、私はかつて無いほど心を強く持てていた。
高鳴る鼓動を抑え、来たるべき時に備えて早めに床につく。
――どうかあの幸せな時間が一部でも、取り戻すことができますように。
名もなき超常的な存在に願うように呟き、私は心地よい微睡みに身を委ねた。
どこかで気味の悪い嗤い声が微かに響いたのは、きっと気のせいだったと思う。
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ザク…ザクと堆積した雪の海を踏みしめる音が澄んだ空気を震わせる。
足を踏み入れてしばらくは濡れた緑が彩りを加えていたものの、奥に進むにつれ四方八方は銀世界と化す。
いかなる季節でも雪が降り続け、限られた生命の息吹のみが息づく幻想的な大地。
加えて、黄昏の寺院という神聖視されているものが存在するおかげで、この土地一帯が暗黙の禁足地と化している。
それ故この常冬世界に訪れる人はそう多くなく、よっぽどのもの好きか、あるいは何かを企んでいる者の二択である。
かつても邪悪な企みを持つ者が妖しげな爆炎と魑魅魍魎を振りまくという惨状が広がっていた。
轟く咆哮、吹き荒れる熱波に絶え間ない銃声。
神経を逆撫でる嘲笑に半狂乱の甲高い悲鳴。
そして、純白の大地にポツリと咲いた鮮血の華。
よもや世紀末と言えるほどの絶望を吸い込んできたこの世界に、再び、歪んだ望みを抱いた少女が一人静かに歩を進めていた。
――……な〜んて、ちょっと語り手みたいに語ってみたけど私には合わないな。
遠足に行く児童のように興奮している影響か、いささか浮つきすぎていると自戒する。
お姉ちゃんがまだ寝静まっている時間から家を出て来たため、所定の場所に着いた頃になっても空は薄暗かった。
私以外誰もおらず、聴覚野に届く情報は身を刺すような冷風が哀しげに啼く音くらい。
陽が徐々に顔をのぞかるにしたがって、はるか遠くの鳥たちが囀るのが微かに聞こえ始めるもそれだけだ。
「…まさに孤独の儚げな美少女……ってね」
自分で言っておいて思わず苦笑してしまう。
まぁ考えようによっては、心では百花繚乱のみんなと真逆で、お世辞にも繋がっているとは思えないような願望を抱き続けている私は孤独でもあるのかな…?
ま、そんなことはどうでもいいし、そもそも前世では見捨てられているに等しい状況だったから今更今更。
ただ人間は一人になると独り言が増えるというのは本当のようで、見納めとなる霜のかかった朝景色を眺めながらこれからを今一度整理する。
「さて…やることは至って単純。お姉ちゃんが私の姿を認識するタイミングで、コイツを使うところをお披露目するだけ」
ホルダーから例の拳銃を取り出す。
私がこれまでお姉ちゃんにこれを使用しているところを見せないようにしていたのは、全てこの時のため。
中身こそ別物だが、見かけだけなら完全な拳銃そのものなコレを何も知らない他人が見るとどう思うだろう。
…そう、自殺あるいはよくても自傷行為をしているとしか見えない。
前世でも自殺ドッキリとか言う人の心案件な悪質なドッキリが存在していた。
少し考えればわかるような仕掛けであったとしても、人間は視覚の情報が先行してしまうようで、よっぽど冷めた人でなければ無我夢中で止めに入る。
今回はその知恵を拝借することにしたのだ。
でもそれだけでは終わらせない。
無駄に力の強いキヴォトス人の私の自殺を強引に止めるには、その銃を強く弾き飛ばすしか無い。というより咄嗟に取れる行動などそれくらいしか無いといったほうが正しいか。
「――でも…まさかまさか…、その銃は愛する妹の生命線でした〜ってね。ふふっ…!」
自ら大切な存在の命綱を断ち切ってしまうという究極の絶望。
そして私はやるときは徹底的にやることにしていて、これまでの全ての負の感情を爆発させるつもりでいる。
お姉ちゃんが私を見捨てた(見捨てさせた)こととか諸々の出来事が全てここに集約するわけだ。
そして糾弾の嵐の後、あのセリフを吐き捨てて失踪エンドとなる。
黄昏の呪いが暴走しすぎないか心配ではあるが、銃には最低限の抑制剤だけ残して、残りの予備はちゃんと保管してあるから保険も万全。
万が一に備えてあらかじめ多めに投与しておいたのも防波堤として機能してくれるはずだ。
効果に心許ないならその分重ねて服用すればいいじゃない。
…薬剤師とか医者が聞いたら助走をつけてぶん殴りに来そうなアントワネットだね…。
ついでに、残る時期的な問題もすでに解消済み。
ネット回線が繋がっているうちにスマホで確認したところ、ちょうど最終編第一章のシャーレ争奪戦が終着したところだと判明していた。いくら情報統制していても、漏れるものは漏れるもの。情報社会様々です。
さて…、こんなところだろうか。失踪後の詳しい動きはまた追々。
色々と考えているうちにいい時間帯になってきている。
そろそろその姿が見えてくる頃合いだとは思うけど――
「……アハッ…!見つけた見つけたぁ…お姉ちゃん」
高所ゆえ広い範囲を見下ろすことができる位置からでもわかる。大雪原の白にも負けない髪と肌、動かない右腕を庇うように羽織を掴み足早にこちらに向かってくる美少女。
あの様子だとここに到着するのにそう時間はかからないだろう。
そろそろスタンバイしておくべきだ。
膝を凍るような雪野原におろし、こめかみに銃口…もとい注射器を押しあてる。
引き金に指をかけ、軽く力を込める。
微かだった雪を踏みしめる音が、小さく…やがてすぐ近くまで大きくなっていく。
――見せたいものって言ったよね?コレを見せたかったんだよ。受け取ってくれると嬉しいな。
――その代わり、私の望む顔を、感情を、お姉ちゃんを見せてね。
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久しぶりに悪夢のない安眠を取れたからか、いつもよりやや遅く意識が目覚める。
質の良い睡眠がもたらす恩恵は、整理された情報の数々と、今私が取るべき行動を速やかに実行する思考の明瞭さだった。
寝間着を着替えるのももどかしく、最低限の服装と形式だけになっているものの、託された『百蓮』だけ整えて家を飛び出す。
大雪原までの長い道のりを駆ける間も、高揚感によるアドレナリンが後押しして息切れすることもない。
足裏の感覚が硬い地面から沈み込むような雪原に変わってからもそれは変わらなかった。
急速に冷えていく大気を白く染めて吐き出しながら、ただひたすらに駆ける。
あの日、すべてが変わり始め、壊れていったあの場所へと。
今度は全てを元通りにする始まりの場所にするために――
大雪原の中心に近づき、緩やかに傾斜していく地面を一歩一歩登っていく。
かつての戦闘でここら一帯の雪は焼き払われたはずなのに、今となっては新雪がその痕跡を跡形もなく埋め尽くしてしまっていた。
それでも目的地が目前になるにつれ否が応でもトラウマが想起される。
感覚がないはずの右腕さえも震えていると感じるのは、決して寒さだけが原因ではない。
「大丈夫……大丈夫だから…。御稜ナグサ、しっかりして」
自らを叱咤し、強い御稜ナグサを―お姉ちゃんを演じる。
ここで頑張れなければ、この先も何も出来やしない。
気づけば目的の平地はもう目と鼻の先。
一際強く風が吹き抜け、靡いたあの銀髪が一瞬目に入る。
――アヤメも見守っててね…。
ただ重いだけだった『百蓮』を御守りのように抱き寄せ、その一歩を踏み出して――――――
「クユリ、ごめんね待たせちゃって…。見せたいものってな………に―――――――――」
いつ尽きるかもわからない小さな命の灯火。私にとって全てを捧げてもいいほど愛している妹の頭には、今にもその灯火を吹き消さんとするありふれた拳銃。
息が詰まる。思考が止まる。瞳孔が収縮し、凍えるような大気よりも体温が冷えていく。
理解する、しないの段階は存在しなかった。
何故、どうして――そんな陳腐な疑問も置き去りにして。
完全に染み付いた動作で『百蓮』を構える。
極度の集中状態故か、降り続ける雪の結晶一つさえも判別できるほど世界がスローモーションとなる。
小さな目標に照準を合わせ、引き金に指をかける。
――お願い…!間に合って――――――!
「―――な…に………してるのっ!!」
轟く一発の銃声。
放たれた銃弾は本来撃ち抜くはずだった怪異ではなく、小ぶりで一般的な拳銃に向かって飛翔し――
寸分違わず目標を捉え、持ち主の手元から弾き飛ばした。
それを視認した瞬間に生じたひとまずの安堵、次いで襲いかかってきた困惑や怒りなどの様々な感情、それらをぶつけるために駆け寄って初めて―――
「―――――――――っあぁ……!」
弾き飛ばした拳銃を信じられないように見つめる様子。
生き延びることに全力を尽くして、外道な大人に頼ってまで迫りくる死に抗い続けたクユリが……。
その口から漏れる絶望そのものに彩られた声を聞いた瞬間、私は今度こそ、取り返しのつかない事をしてしまったのだと察してしまった。
「―――どうして……………」
「………え………」
「どうしてッッッ!!」
「――ッかハッ―――ぁ!」
凄まじい膂力で胸倉を掴み上げられ、呼吸が乱れる。
体格差などお構い無しに視点が持ち上げられていく。
「アレはッ!私の唯一の生命線だったの!アレがなかったら私はこの呪いを止められなくなっちゃう!」
「ど……どういう―――ッ!」
聞いたこともない、キキョウの件の時とは比較にもならない怨嗟の糾弾。
しかし事態の展開にまだ完全には頭が追いついていないのか、困惑が打ち勝ち必死に首をひねる。
焦れったいほどゆっくり遷移した視界には弾かれた拳銃。
放った銃弾は拳銃の側面を貫通していたようで、内部機構が無残に覗いている。
そこから緑色の液体が漏れて…………え…?
「アレには私の呪いを抑制する薬が入っていたの……!私が片腕とハジメテを失ってまで手に入れた成果だったのに……」
「ッそん………な……………」
ヒュッと呼吸が乱れる音がする。
それが本当なら、私はこの手で……クユリの命綱を……。
「お姉ちゃんはッ、私をどうしたいのっ!?」
「――――――えっ……」
「私が死にたくなるほど辛くて、痛くて、苦しくてっ……それでもお姉ちゃんがいたから、手を伸ばしたのに……お姉ちゃんは…………!私がどんな気持ちだったかわかるの!?」
――あの時も。
「仲間のはずのキキョウやレンゲにさえも手を上げて……」
――あの時も。
「口だけで私のことは一切助けてくれない……。それどころか見捨てられて、あまつさえには―――」
――そして……
「私の唯一の命綱さえも断ち切っちゃうなんて…………!」
――今、この時も。
「………ふふっ…あははッ!……なぁんだ、ちょっと考えれば簡単なことだったね」
ぱっと手が開かれ、持ち上げられていた身体がドサリと雪地に倒れ込む。
スイッチの壊れた人形のように笑い始めるクユリを私はただ見ていることしかできない。
「――お姉ちゃんは、私のことが大っ嫌いだったんだね」
違うと、それだけは違うと声を大にして叫びたいのに、張り付いた喉はいかなる言の葉も紡がず、掠れた呼吸音を漏らすだけ。
止めどなく流れる涙も、己でもわかるほど表情の抜け落ち呆然とした顔も、手を下してしまった左腕も何も動かない。
そのくせ視線だけは徐々に変化していくクユリの姿に釘付けになっていた。
「あははハハっ…!あは……ァァ゙ッ……ッ゙ァ゙ッ!」
これまでの抑制剤という枷が解き放たれた反動か、変化は一瞬だった。
どうにか以前の姿を残しているのはクユリの右半身のみ。
元より侵食の激しかった左半身は完全に侵食されて、動かぬ右腕と同じように炭化したように黒く染まりきっていた。
裂けて光を失った左目の跡からは、黒紫色の鐘状の花弁が開いている。
走っていた罅には再び不気味な光が脈動し、そこから幾つもの葉や茎と似たものが生えてきていた。
そして何より……愛する妹が既に人ではなくなった証として―――欠けていたはずの左腕が再生していた。
「―――ッ゙ッ……ふぅ…………フフッ」
急激な変化の苦しみが落ち着いたのか、人が変わったような、どこか妖艶で…全てを呪い殺さんとする悍ましい眼光が私を捉えた。
ゆっくりと見せつけるように両手を広げ、何もかもを捨て去った軽々しい調子で話し始める。
「ねェ見て……?お姉ちゃンのせいでこんな身体になっチャった。もう手遅レだね、私も……お姉ちゃんとの関係モ」
その言葉が脳に流れ込みその意味を理解した途端、激甚な恐怖が私を支配した。
終わり?また、私のせいで?何もかも全部?
――嫌だ。
「嫌…………嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤイヤイヤイヤイヤイヤいやいやいやいやいやいやぁ!!」
ひたすらに醜く、無様に傲慢に、変異したその身体にしがみつく。
「お願いッ!何でも、なんでもするからっ!絶対にクユリをもとに戻す方法を見つけるからッ!」
「お姉ちゃん………」
呆れたようなため息が降りそそぐ。
完全に見放されてしまったと頭のどこかではわかっているのに、衝動のままに懇願し続ける。
「お願いだから………お姉ちゃんを見捨てないでぇっ……」
視界も涙でぐちゃぐちゃで身勝手な願望を吐き出していると、わずかな静寂の後に、優しい手つきで顎を持ち上げられる。
目前になってよりグロテスクに感じられるその顔。
残った右眼が私の顔を値踏みするように細められ、しばらく観察される。
身体も顔も視線さえも微動だにすることを許されない時間が流れ…やがてぼそりと放たれた呟きは、私への死刑宣告に等しかった。
「…ほんと……なんでこんなお姉ちゃんを庇っちゃったんだろ…」
「――――――ぇ」
添えられた手が離れ、その身を翻して離れていくのを止める力も気力も尽きかけていた。
常に隣にあったあの体温も、心安らぐあの匂いも、銀糸を震わせるような美しいあの声も、愛した全てが遠ざかっていく。
それでも、ほんの僅かに残っていた姉という名の仮面が、最後の抵抗を促した。
残された片腕を精一杯、届かないのが明白な空間に向けて伸ばす。
名もなきこの世界の神によって、それが不遜であると見なされたのか。
「……そうだね、訂正するよ」
妹の面影を残したナニカは、くるりと踊るように振り返った。
「ナグサ『さん』なんて、お姉ちゃんじゃない」
「――――――――――――――――――ぁ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
御稜ナグサという少女は、元来極度の卑屈者であった。
その身に余る才能を有しながら、頼れる幼馴染の存在も影響して自らを認めることを滅多にしなかった。
そんな彼女が唯一、自らの価値を認められていたのは、他でもない御稜クユリというたった一人の妹の存在のおかげであった。
妹のためなら、彼女はどんなに辛い役割も責任も耐えることができた。
エリートの集まりで由緒正しい百花繚乱の部員として、百花繚乱の委員長の右腕として、百花繚乱の委員長代理として、仮面を被り不器用にも踊っていたのだ。
そして今、最後の…クユリの姉であるという仮面が剥がれ落ちた。
残されたのはひたすらに卑屈で、あらゆる責任から逃げ出して、さりとて自ら死を選ぶこともできない――
才能を殺した平凡で、外見は神秘的で儚げな――ただの百鬼夜行の一生徒であった。
故に彼女がとった行動は、“逃避”であった。
弱い自分を守ってきた殻が全て壊れ、ある意味本来の彼女そのものの行動をとったのだ。
逃避という行為は悪い意味に勘違いされやすい傾向にあるが、立派な人間の防衛本能である。辛いこと悲しいこと苦しいことから逃げることは何らおかしいことではない。
そしてその本能が促した行動は、文字通り彼女の命を防衛したこととなった事実を、本人も含め誰も知らない。
彼女の胸を、今にも漆黒の百合が突き破らんとしていたことを知るまでは……。
彼女の行方を知るものはこの場に一人もいない。
誰もいなくなった銀世界が、突如キヴォトスに突き立った捻れた尖塔が放つ光によって、ただ赤く紅く朱く赫く染まるだけだった。
これより先からは、いよいよ原作時空の百花繚乱編に合流いたします!
ただ、数話ほど黒服や先生などの挙動を含む閑話を挟む予定です。
ひとまずの目標に到達できたことに、読者の皆様に感謝いたします!ありがとうございます!
試験期間が続きますので更新は相変わらずまちまちになりますが、気長にお待ちいただけたら幸いです。