自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー 作:藍終
時系列としては、最終編時〜百花繚乱編第一章より前くらいです。
――なんで……どうして……。
もう何度目とも知れない、疑念と諦念が混じり合った吐息が調停室に溶け消える。
眼前の机には、百花繚乱の委員長にしか持つことを許されない“証”――『百蓮』が一挺。
幽霊や怪異といった不可思議な存在を捉え、撃ち抜く事ができる特異な銃は、主を失ったことに声なき抗議の声を上げている気がする。
あの日、突如行方を眩ませた敬愛する先輩は、また唐突に、私の目の前に現れた。
何の連絡もよこさず、百花繚乱の全てを押し付け去った先輩がいきなり顔を出すものだから、驚きよりも怒りが上回ったものだ。
それでも……、やっぱり私には“先輩だけでも”帰ってきてくれたことが、どうしようもなく嬉しくて。
聞きたいことも、言いたいことも山ほどあったけど……ひとまずはお帰りと、そして内外ともに崩壊しかかった百花繚乱を一緒に立て直そうと言いかけて――
――先輩は……、ナグサ先輩の目は濁りきってしまっていて、掠れた声が紡いだ言葉に私は―――。
いや、どうせなら、こうなった全てを振り返ってみようか。
天が赤く染まって、降り注いだ尖塔が大地を揺るがし、押し寄せる雑兵が混沌をもたらした。
百花繚乱の支柱だった敬愛する先輩と、守ると誓った愛しい同級生。
二人を失い、総崩れとなったあの日の事を。
いかに百花繚乱が―――いや、私が、あの二人に依存していたかを思い知らされることとなったあの日の事を。
――どうせ、もう終わりにするのだから。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それは突然、何の前触れもなく起こったことだった。
いつもと変わらず日が昇って、昨日の甘い記憶の余韻に浸りながら、百花繚乱の制服を身に纏う。
一時はあわや崩壊の危機かと思われた姉妹の関係も、あの様子なら何とかなりそうだったし、何より私がクユリとまだ関われるということに万感の思いを抱いていた。
鏡台の前に立ち、今一度自らの容姿を確認する。
病的なまでに白い肌、ゆらゆらと落ち着かない青みがかかった二股の尻尾に猫耳。
いつも通りの私。
一つだけ違う事があるとすれば、この髪留めだろうか。
クユリから貰った桔梗の髪留め。頭から外して手に取れば、クユリの体温がじんわりと伝わってくるようで――
自身の事ながら中々気持ち悪いと感じてしまう程には、私の心は満たされていた。
鏡には、化粧のせいもあってか切れ目がより細められて、柄にもなく頬を染めている私が映る。
いくらなんでも浮つきすぎだと、己を戒めるために軽く両頬を叩く。
髪留めを付け直し、雑念を振り払うように深呼吸を一つ。
作戦参謀として、レンゲのように前線を張ることは少ない私でも日頃の鍛錬は欠かせない。
むしろ、それが最も効率的と判断したならば、私自身が囮となることも厭いはしない心持ちでいるため、最低限の実力は持っておいて然るべきだ。
百花繚乱の作戦参謀として、あらゆる事態に対応できるように。
そう気持ちを引き締めて愛銃片手に自宅を離れ、調停室前の簡易射撃場に足を運ぶ。
本格的な鍛錬場は別にあり――レンゲのセクハラ事件によって一時的に補修工事が入ったものの――現在は使用可能なのでそちらを使ってもよかったのだが、生憎私の本業は卓上作業。
今日も今日とて処理しなければならない書類仕事は山積みなことだろう。
それならすぐに取り掛かれるように、鍛錬は調停室前の設備だけにとどめておくべきだ。
使い古された木偶人形に狙いを定める。
いつか、必ず相見えることになる花鳥風月部の眉間に、容赦なく鉄槌を下すために。
――首を洗って待っていなよ…!
ぐつぐつと煮え滾るモノが全身を駆け巡り、視界が赤く染まっていく。
ここに入学した頃からは想像もつかない程、私は感情的になってしまったらしい。
これではいけないと、目を閉じて情報をシャットアウトする。
想像するのは冷静で、冷徹だと評される私。
軽い瞑想を終え、身の内の火山活動が沈静化してきたところで目を開けるが―――
「――――――はっ?」
眼前に広がるは変わらず一面の赤、まだ落ち着いていなかったのかと一瞬戸惑ったものの、どうやら現実として世界が深紅に染まっているようだった。
あまりにも現実味のない現象に呆然とするしかない私。
だが異変は立て続けに起こり、私に息をつく暇も与えはしなかった。
「――っ!?今度は何!?」
大地を巨人のハンマーで打ち付けたかの如き衝撃。
たまらずたたらを踏みながらも素早く周囲に視線を走らせる。
「何よ……あれ……」
遥か遠くにも関わらず、その全体像は視界に入り切らない。
捻くれた螺旋の尖塔が着弾地点に大穴を穿ち、凪いだ水面に広がる波紋のようにナニカを放っている。
アレを見ているとだんだんと気がおかしくなりそうな気配がしたので、半ば無理矢理に意識を事態の把握に移す。
とにもかくにも情報が欲しい。
いや、あまりにも異常事態すぎて誰でもいいから状況の共有をしたかった。
無我夢中で端末を操作し、通話を共有状態にした途端――
「キキョウか!?いったい何が起こってるっていうんだよこれ!アタシにはさっぱりで……」
「すみませんレンゲ先輩!謎の塔から次々と敵兵があふれてきて……至急応援を!」
「なっ!わかった、すぐ向かうから持ちこたえてろよ!……つうわけだキキョウ、アタシはアタシで手一杯だから全体の指揮は任せる!」
「はっ……いやちょっと待っ――」
怒涛も怒涛、瞬き一つの間に変化する状況に私はいまだ処理が追いつかないでいた。
レンゲの声が聞こえなくなった直後、街中の混乱の喧騒に混じって爆発音が鳴り響く。
レンゲが得意とする百花繚乱の制圧術特有の爆発音だ。広範囲かつ複数の敵対存在をまとめて攻撃することに長けた技を使うとなると、かなり逼迫した戦況であろうことが想像できる。
そんな大混戦に私が一人入ったところで碌な足しにもならないだろう。レンゲの言う通りに、私は私の智謀を活かして事の対処に臨むべきだ。
――まさかレンゲに諭されるなんてね。
刻一刻と変遷する事態に対応するには、ああだこうだ考えている暇などありはしない。
パニック状態の脳をガンと殴られたような衝撃。
参謀がこのザマでは、指揮下の部員により混乱をもたらすだけだ。
――しっかりしなさい、キキョウ。まずは――
「聞いていたとおりよあんた達!雑兵の対処はレンゲに任せる。私たちは住民の避難活動の先導に従事!医療班は各々既定の分隊に合流の後、負傷者の治療をしながら同行!日頃の訓練の成果の見せどころだよ!」
治安維持組織として、こうした非常事態に備えた避難計画も訓練済みだったことが功を奏したのか、私の指示を聞いた部員たちは各々で既定の順路を構築し、避難活動を開始していく。
「あ、り…了解です!」
「よ…よし!第壱から参分隊は陰陽部本館、残りは公演会場の大ホールに誘導します!」
「皆さん!私たちについてきてください〜!」
端末越しに伝わる部員らの熱気と一体感。
一から説明せずとも、各々で最善の行動を判断し行動に移していく姿がありありと想像出来る。
全く、良い後輩を持ったものだと頬がゆるむと同時に、私も負けてはいられないと今一度羽織をしっかりと身に纏う。
今私にできることと言えば、適宜指示を出すこと……そして逃げ遅れた住民の補助だろう。
幸いなことに私がいなくても自主判断で行動してくれる部員のおかげで、単独で身軽に動ける状態だ。
怪我や病気で体の不自由な住民の取り零しがないか、各地を回って確認しておくのが後顧の憂いを断つことに繋がると判断し、一度端末を切ろうとした瞬間だった。
「あっ……あの!キキョウさんに一つ聞きたいことが……」
「その声……あんた確か医療班の……」
「はい、クユリちゃんのお世話をしていた者です」
クユリの手紙の件での印象が強烈だったためか、端末越しの音声だけでも瞬時に思い当たる。
あれ以来あまり顔を合わせていないので彼女のことについて確たる事は言えないのだが、その妙に焦って上擦った声を聞いて、言いようも知れない悪寒が走っていた。
また、私の周りから大切な人がいなくなる。
そんな悪い虫の知らせのようなものが。
「それで……、何があったの?もしかして人手が足りなかったりする?それなら――」
もしかしたら想像以上に負傷者が多く、分散した医療班だけでは対処しきれていないのか。
そうであるなら各部隊の編成からそちらに人員を割くように指示をする必要があるかもしれない。
背筋を這い上がってくる悪寒を振り払うように、余計なことは考えるなと現実的な思考に集中する。
「いえ……違います。クユリちゃんが……」
「クユリ?クユリがどうかしたの?まさか――」
そんな私を嘲笑うかの如く嫌な予感はますます増長し、ようやく冷静になった参謀の智力を削り取っていく。
つい先まで沸騰するように熱かった血液が急速に冷えていく。
ただでさえ白い肌は青白く、端末を持つ手の震えは私の恐怖を如実に表していた。
永遠にも思える時間の後、彼女が紡いだ現実は、冷静でも冷徹でも、権謀術数に優れた作戦参謀でも何でもない――
ただ寂しがり屋で、何も失いたくないと嫌々をする……一匹の黒猫へと私を変貌させた。
「クユリちゃんと……全く連絡が取れないんです……!」
それからどれくらい経っただろうか……。
酷使された両足はズキズキと痛み、肺はキリキリと酸素不足を訴える。
身体全体がこれ以上動くなと警告を発するも、感情によって理性を殺された脳から放たれる信号に無理矢理従わせる。
逃げ遅れた住民の避難のため……ではない。
私の大切な、かけがえのない存在のために。
あの子の言う通り、何度試みようが連絡は取れない。
きっとこの事態の対処に追われているだけだ、そう考える頭とは裏腹に、駆ける足は際限なく速まっていく。
全てをまわった。
クユリの自宅は勿論、避難所も、診療所も、行きつけの甘味処でさえ……百鬼夜行の全ての地区を我武者羅に。
何でもよかった。
一目、その姿を見れればそれでいい。
一言、私に声を聞かせてくれればそれでいい。
たとえ居場所がわからずとも、クユリに会ったよ見かけたよと、言ってくれればそれでいい。
何でもいいから、あの子に関する情報が欲しかった。
それがあれば、私はまだ救われた。
だけど―――――――――
しんしんと降り積もる小雪、空の赤を反射してか、私はさながら血化粧をしているようだ。
いや、それも正しいかもしれない、。
肺がついに限界を迎えたのか、吐息すら不協和音を響かせ、断続的に真紅の霧を漏らしている。
目端からはドロリとしたモノが溢れ、足元の雪原をより朱に染める。
筋肉が断裂したのか、壊れた人形のように力なく膝をつく。
積もり固まった銀の大地の反動か、その衝撃で頭から何かが外れ落ちる。
桔梗の髪留め、永遠の愛を誓う意味を持つ花を模った宝物。
誓い合う相手を探し求めてか、或いは引き付け合う力でも働いていたのか……。
「あぁ―――ここに“いた”のね、クユリ」
私のものではない、ペアルックを前提として作成された片割れの髪留め。
あれほど望んだ手掛かりは血に塗れ、頭部――つまりは致命傷を負ったとしか考えられないわけで……
「どうして………何で…、いったい…誰が……!」
麻痺した思考は次第に際限のない憤怒へと。
どうして大雪原にいたのか、ここで何が起こったのか、そもそもクユリの生死すらわかりはしないのに、私は目の前の物証が示すいくつもの可能性の一つを盲信する他なかった。
花鳥風月部が、クユリに危害を加えた。
そう信じなければ、私は私を保てない。
だがこの世界は何処までも非情で、残酷で、私から全てを奪うつもりのようだった。
「―――これっ………は………」
視界の端に一瞬輝いたソレ。動かぬ下半身を引き摺り手に取る。
素人が見れば――いや、もっと言うなら百花繚乱のごく一部にしか判別出来ないものだ。
百花繚乱の委員長のみが持つことを許されてきた『百蓮』、幽霊を撃ち抜くという特異な性質を持つ銃故に、使用される弾丸も特殊。
神秘的な青みが特徴的で、この目で見るのはアヤメ委員長に一度見せてもらった時以来になるだろうか。
参謀という立場上、委員長と関わる機会が多かったからなのか、『百蓮』の弾丸の違いに気づいた時はアヤメ委員長にもみくちゃにされたものだ。
問題は――何故、ここに、排莢されたソレがあるのか。
「嘘……よね…?そんな、よりにもよって……あんたがそんな事をするわけが……」
うわ言のように呟きながらも、こういう時に限ってよく回る頭脳は一つの結論を導き出してしまっていた。
今、『百蓮』を扱えるのは他でもないクユリの姉、御稜ナグサしかいない。
役目を終えて排莢された弾丸、血塗れのクユリの髪留め……最悪な想像は意に反して鮮明さを増し、あらぬ邪推を掻き立てていく。
ナグサ先輩――そうだ、今思い返せばナグサ先輩の声を聞いていない。
次から次に考えなければならないことが出てきたせいで今の今まで気づかなかったが、百花繚乱が総出で動いている現状でナグサ先輩は一体何をしているのか。
浮かんだ疑念は癌細胞のように私を蝕み、支配していく。
――そんなはずはない、いくらなんでも……あんまりではないか。
ふと我に返った時には、耳に押し当てられた端末がコール音を奏で始めていた。
一回、二回、三回………
「出て………お願いだからっ……!」
これ以上、私の中の先輩を汚し、貶める事はしたくはなかった。
ただの偶然だって、私が疲れているだけだって……そう思えるナニカが欲しかった。
或いは、そう信じたいだけなのかもしれない。
何度目かのコール音、醜い足掻きを天は見放さなかったのか、通話が繋がる音が耳朶を叩く。
「――ッ!ナグサ先輩!?よかった繋がって…」
「……キキョウ……」
紛うことなき憧れの先輩の声が聴覚野に染み渡り、無意識に張り詰めていた呼吸が安堵の息とともに再開される。
地獄の底をのぞいたような、生気のない声音だった気もするが、私は気にもとめないで捲し立てる。
「ナグサ先輩、今何処にいるの!?いや、それよりも、クユリが何処にいるか知らない!?連絡が一切繋がらなくて、一生懸命探して……そしたら、大雪原にクユリの髪留めと、あんたの“証”の薬莢があって……!」
画面の向こうの先輩は何も答えない。
肺が傷つき、文字通り血反吐を吐きながら、膨れ上がる悪寒から目を背けて慟哭じみた感情をぶち撒ける。
私が何を言いたいのか、何を危惧しているのかを察したのか、微かに息を呑む音が聞こえる。
「違うわよね……?だってあんたは、クユリの事が見ているこっちが胸焼けするほど大好きで……癪だけど、この世界で誰よりもあの子のことを理解している…。違うなら、私の悪い想像だって、たちの悪い冗談だって…レンゲの時みたいに殴りに来なさいよ……お願いだからっ……!」
醜い懇願が澄んだ冷気に溶け消える。
淡い希望に縋り付いた私の心は――
「……ごめんね……」
たった四文字の言葉と、ブツリという通話の切断音によって粉々に砕かれた。
肯定でも、否定でもない。明確な回答の拒絶の意思。
しかしそれは言外に、私の想像通りであることを肯定しているのと同義であった。
「―――何よ………それ………」
何も考えられない。何も感じない。
痛くも、苦しくも、熱くも、寒くもない。
怒り?違う。悲しみ?違う。絶望?………違う。
ナイ。
ナニモナイ、ナニモナクナッタ。
――あぁ、これが、虚無なのね。
反転していく視界の端で、一輪の黒百合が静かに頭を垂れていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「――黙って聞いてりゃ……巫山戯たこと抜かすんじゃねぇぞキキョウ!」
胸ぐらが乱暴に掴み上げられ、燃えるような赫眼が私の濁った瞳孔を突き刺す。
大量の正体不明の兵を食い止め続け、疲労もかなり蓄積されているはずの肉体からは考えられないほどの膂力に気道が圧迫されていく。
あれから、気づけば百花繚乱の調停室に戻ってきていた私は、やけに帰りの遅い私を待っていたらしいレンゲに出くわし、問い詰められるままに全てを惰性で吐き出した。
きっと、それを語っている私はまさに死人のようだったのだろう。さしもの彼女も一歩後退り……しかしすぐに溢れる激情をぶつけてきたのだ。
今にも食い破らんとするレンゲの形相だが、それも無理ないことだと思う。
もし立場が逆であったなら、本当に喉を噛み破りに行った気がするし、本気で失望していたかもしれない。
「ナグサ先輩が、クユリを殺しただぁ……?キキョウ、たとえそれが冗談だったとしてもアタシは許せないよ…」
「……別に、あんたが信じようが信じまいが構わない。ただ、物証も状況も、何よりナグサ先輩の態度が全てを語ってる……あんたも、全く理解できないわけじゃないでしょう?」
「黙れ……黙ってくれよ…。どうしちまったんだよキキョウ!」
無意識に持ち帰ってきていたらしい、赤黒い髪留めと薬莢を力なく見つめながらただただ淡々と。
ふとレンゲの方を見やれば、付き合いの長い私ですら初めて見る光景が目に入り、半ば死滅していた表情筋が僅かに動いた。
泣いている。あの気丈で、快活で、後ろ暗い事とは無縁なレンゲが赫の双眸から止めどなく透明な雫を流している。
「頼むよ……!他でもないお前が、これ以上あいつらを汚さないでくれ…」
――あぁ……レンゲも先の私と同じなんだ。
いくら目を背けても、強情に首を振っても……一度巣食った疑念の種子は着実に心に根を張り、希望を…願望を吸い上げていく。
やがて真っ黒な鐘状の花がゆっくりと開花するまで――
私はもう手遅れだった。
だって、レンゲの涙を見て一番に浮かんだ言葉は……
「いいわよね……あんたはまだそうやって泣けるんだから」
「―――ッ……」
やっぱり、冷徹で冷酷だという評価は正しかったのかもしれない。
「……そうかよ…。本当に、変わっちまったんだな、キキョウ」
ぱっと掴み上げられていた身体が解放され、無抵抗にわだかまる私を見つめるレンゲの目は――失望?軽蔑?憐れみ?
或いは、その全てか。
その一瞥を最後に去っていく彼女は、部屋の障子に手を掛け、
「悪いけど、今のお前についていく気はさらさらない。アタシは、アタシのやり方でやらせてもらう。アタシも好きにするから、キキョウも好きにしたらいいさ」
そう吐き捨てて、今度こそその姿を消したレンゲ。
私は何をするでもなく、意識が徐々に塗り潰されるまま、物言わぬ植物となるに委ねるだけだった。
そこからは、まさに奈落への一方通行だった。
協力状態の陰陽部に副委員長と一名の生徒の失踪を伝える。
何かを言いかけたカホがニヤに制止されている様子を傍目に自嘲の笑みを浮かべる。
――失踪ねぇ……。まだ、諦めきれてないんだ…私。
「ほんと………反吐が出る」
実質的なトップとなった私がこの有様であれば、碌な情報統制もできるわけもなく……この劇毒は瞬く間に百花繚乱全体に浸透し、組織を内部から腐食させていった。
まず、目に見えて士気が低下し、まともに治安維持活動を務めるのも危うくなった。
そんな現状に失望し、退部という選択を取る者も続出する始末。
また酷いものだと、医療班に精神的ショックからくる昏睡状態に陥ってしまった子もいるとか。
レンゲとは、あれから一度も会っていない。
風の噂では、青春活動と称して様々な部活動に体験入部しているらしいが……何にせよ半ば見限られていることには違いない。
ユカリは、十割納得できないという表情でかちこんで来たことがあった。
何処までも純粋で、実直で、天真爛漫な彼女らしく、そんな事はありえませんの!の一点張り。そんな疑うという事を知らない彼女の曇りなき眼さえも穢すことは、私の擦れきった感情の一端が許さなかったらしい。
ユカリの中の先輩像を傷つけまいと、それ以上私から口を挟むようなことはしなかった。
最近は、ユカリともだんだんと会う機会が減ってきている。
まぁ、こんなところにいるよりも、良家のお嬢様としての務めを果たしてもらったほうが何倍も得のはず。
クユリの消息は、今もわからないままだ。
時は無常、私一人のために止まってくれるほど世界は甘くない。
何をするでもない、形だけのハリボテと化してどれだけの月日が経ったのか。
しかしある日、惰性で百花繚乱としての業務をこなしていた時だった。
久しく調停室の戸が叩かれたのは。
「……誰?」
ガラガラと立て付けの悪い音と共に開かれた先に――
「キキョウ、久しぶり」
今さも平然と待ち人が現れるなど……誰が予想できようか。
「ナグサ先輩……!?」
今更、どの面下げて――!
内から溢れ出すどす黒い感情の奔流は、既のところで理性に押し止められた。
「今まで何処に……いや、そういうのはいいか。……おかえり、先輩」
私は上手く笑えていただろうか。
こうしていざ対面すると、過去の輝かしい…大好きだった時間が思い出されて、燻っていた希望の灯火が僅かに再燃する。
口では諦めつつも、心の何処かでは必死に縋り付いていたちぐはぐさに呆れながらも百花繚乱の現状を伝える。
「今の百花繚乱の惨状はすごいよ……。アヤメ委員長とナグサ先輩、そして……クユリが居なくなって、他のメンバーもどんどん抜けていった。このままだと……百花繚乱は無くなってしまうかもしれない」
「……………そう……」
「ねぇ……ナグサ先輩。あの日、何があったかは知らない。どうして今戻ってきてくれたかも、聞かないでおく。だけど――」
枯れていたはずの涙は、たった一つのきっかけでいとも簡単に決壊した。
「ナグサ先輩、クユリと何があったの?それだけでいい。それだけを嘘偽りなく話してほしいの。ナグサ先輩がいるなら、百花繚乱はまだ立て直せる。私はナグサ先輩の事を、信じてるから…お願い……」
よくもまぁこうも手のひらを返せるものだ。信じてる?馬鹿も休み休み言え。信じきれないから、先輩がクユリを殺したなんていう事を否定できないんだ。お前は敬愛する先輩に縋り、自らの業を全ておっかぶせようとしている卑怯者だ。
もう一人の私が私を責め立てる。
その通りだ。私は弱いから、かけがえのない人のことさえ、信じきることが出来なかった。そのせいで百花繚乱という居場所は、針で一突きでもすれば瓦解し得るまでになってしまった事も理解している。
でもそれなら、弱いなりに微かな希望に縋ったって良いじゃないか。
全部私の妄想で、参謀なんて役割柄、疑いあらゆる可能性を模索しすぎた結果だって。
「――キキョウ」
全部、私の勘違いなんだって――
「あなたの想像通りだよ。やっぱり、キキョウになら百花繚乱を任せられる」
「なにを………言って」
ゴトリと、硬いものが置かれる音がしてそちらを見やると……。
「これは…、“証”?」
深みのある紺の銃身、限られた者しか目にすることが出来ない百花繚乱の委員長である証――『百蓮』。
「キキョウ、あなたは優秀。百花繚乱の作戦参謀として、みんながあなたを頼りにしてる。他のメンバーだけじゃなく……私もそう」
――まさか。
「だから思ったの。私よりも……あなたの方が、百花繚乱の委員長に相応しいと。だから……証を返すよ」
――巫山戯るな。
「急に居なくなって、連絡もつかなくなって……いざ帰ってきてみたら、こんなものが答え?」
「そう」
ぶちりと血管が切れそうになる。
これではまるで、暗に私の仮定を肯定しているようなものではないか。
形容し難い感情の嵐が胸中に吹き荒び、まともな神経回路を尽く遮断していく。
何も反応を見せない私の態度を肯定と取ったのか、言いたいことは言ったと言わんばかりにすっくと立ち上がり去ろうとする先輩。
障子に手を掛けたところで、私の口は漸く音を発した。
「――じゃあ、ナグサ先輩は……いや、“あんた”は、本当にクユリを――」
ピタリとその背が止まる。
今この瞬間だけは、私たち以外のあらゆる生命が死に絶えたかのような静寂が流れ、やがて放たれたたった一言が、燻っていた希望の火種を踏み潰していった。
「……そう。私が、殺した」
「……どう………し……て……?何で………」
“証”の事も、クユリの事も、遍く全ての“どうして”が凝縮された問に、御稜ナグサはこちらを一瞥して――
「……私は、アヤメじゃないから。私は、アヤメの代わりになれないから。何より――――――
――私は、クユリのお姉ちゃんじゃないから」
生きる屍、そう表現する他ない一人の人形が再び舞台裏に立ち退く様を、引き止める気力などありはしなかった。
――そうして今に至る。
一体いつから間違えたんだろう。
どうして、こうなったんだろう。
冷たい心を溶かす居心地の良さ。愛しくて、いじらしくて、ちょっぴり騒がしいあの日常が、あの幸せが崩れ始めたのはいつからだったか。
「……それも、もうどうでもいいか」
徐ろに立ち上がり、覚束ない足取りで調停室を出る。
板敷きの廊下が軋む音だけが暫く虚空に響く。
進むにつれて徐々に人の気配が希薄になっていくが、それもそのはず。
一般部員は勿論、幹部でさえ滅多に入ることはないとされている裏小屋の一つ――“鳩小屋”に向かっているのだから。
古びた木造の扉を押し開け、道中とは真逆に人の手が行き届いた室内に足を踏み入れる。
見渡す限り、籠、籠、籠。
その時を待つ純白の伝書鳩が収められた鳥籠がずらりと並ぶ異様な光景を前にしても、私は歩みを止めはしない。
数ある鳥籠の中からより厳重なものを選び出し、窓際に備え付けられた小机に置く。
鍵束から対応する鍵を取り外し、世代交代以外で、百花繚乱設立以来開かれることのなかった扉を開錠する。
そっと手を入れ、生命特有の温かさを帯びるそれをゆっくりと取り出す。
同時に鳥籠に結びつけられた紙を解き、鳩の片足首に着け直す。
両開きの窓を開けば新鮮なそよ風が吹き込み、皮肉にも私の選択を迎え入れているようだ。
あとは、この手の鳩を解き放つだけ。
せわしなく首を回すそれと、ふと目が合う。
漆黒の瞳孔をいくら覗こうとも、何も読み取れるはずもない。
あるとすればそれは、己の勝手な妄想……或いは感情の写しでしかない。
「私が躊躇ってる……?まさかね……」
ほんの一瞬レンズ面に、子供のように泣きじゃくる自身が浮かんだのは幻だったに違いない。
憎たらしいほど澄み渡った百鬼夜行の空を一羽の鳩が駆けてゆく。
与えられた命令通りに、刷り込まれた道筋通りに、忠実に。
己が何を齎すのか、知る由もなく。
ただただ眼下の情景が流れるにまかせ、ひたすらに翔ける。
その双翼がたためられ、書の封が解かれたその日――
“解散令”が公布された。
ナグサは自らの手でクユリの生命線を絶ってしまったから、クユリを殺した(も同然)と言ったわけですね。
…でもキキョウはそんな事知らないわけで……可愛いね☆
勿論、クユリちゃんはこんな大勘違いに発展してるなんて知りませんよ?ほんまコイツ……。
やっと、原作に追いつけます…。
*鳩小屋の設定はオリジナルです。