自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー 作:藍終
更新が遅くなることの詳細は、活動報告欄に記載しております。
ニヤ視点からです。
“みんな、久しぶりだね。”
朝方の連絡から少しして、無事陰陽部本館に辿り着いた一人の大人が、人当たりのいい笑顔とともにそう言う。
ところどころくたびれたスーツも相まって、とても物腰柔らかな雰囲気を放つこの人は、一体どれだけの生徒を魅了してきたのやら。
しかも、彼の生徒に向ける慈愛の念は一切の曇りなき純粋なものときた。
いっそ、狂気的とまで言えるそれ――彼なりに言えば“大人としての責任”だろうか――のおかげで、このキヴォトスは成立していると言ってもいい。
かく言う私も、全く絆されていないかと問われれば首を振りづらい面がある。
……が、それはそれ、これはこれ。
今の私の胸中に渦巻くこの感情を……先生に、ましてやカホやチセにも到底見せられないどす黒い思考を悟られるわけにはいかない。
色恋沙汰になると朴念仁をかますくせして、生徒の悩みなどには犬の嗅覚並に鋭い彼の直感に引っかかったが最後、私の考えはいずれ私自身の口から暴かれることになってしまうだろう。
それ程までに、先生という存在はこのキヴォトスにおいて、私たち生徒に劇薬のように作用するのだ。
だからこそ、いつも通りで。
胡散臭い、ヘラヘラとした笑いを貼り付けた天地ニヤの仮面を被って、私は大袈裟に頷いてみせた。
「そうですねぇ……あの日から、ずいぶんと時が流れましたから」
「うん〜」
隣のチセもぽんやりとした声で同調して、ますます場は掴みどころの無く和やかな空気に包まれていく。
「かすみゆく、せんせいのかお、おもいだす。さっきまで、忘れてたの〜」
「ち、チセちゃんの俳句……!記録しなくては……!」
続いてその小さな口から放たれたのはチセお得意の俳句……ではあるものの、些か先生にとってはショックな内容じゃない?と苦笑いせざるを得なかった。
相変わらずチセ狂いの片鱗を漏らし始めたカホを傍目に先生を見やると、案の定困ったように笑い、頬をポリポリと掻く彼の姿があった。
“あはは……チセが言うと冗談に聞こえないな……。”
「……?」
“じょ……冗談だよね!?”
しかも追い打ちをかけるかのごとく、チセが首をかしげるものだから先生は本当に焦ったようだった。
正直その気持ちもわからなくもない。
チセのふわふわとした言動は――本人にはそのつもりが無くとも――周囲に愛らしさと儚さ、そして若干の危うさを感じさせてしまうもの。
こちらが覚えていても、チセからはそもそも眼中にないといった事を察して撃沈した輩は数知れず。
私だって、チセから私のことを忘れたなんて言われた暁には、二日は寝込む自信がある。
まぁ、実際にはちゃんと先生のことを覚えている……はずとはいえ、先生の心中に同情しつつ、軽い雑談の流れを持ちかける。
「にゃはは。チセの言葉はともかく……百鬼夜行もあれから忙しい毎日でしてねぇ…。そうでしょう、カホ?」
「はい。インフラの復旧や、学生寮再建のための緊急予算作成策定など……いずれもまだ作業が終わっておりません」
“みんな、相変わらず忙しそうだね……。”
……全く、どの口が言えたことか。
そこいらのブラック企業よりも過労状態であろう先生からすれば、私たちの業務など忙しいのうちに入らないだろうに。
「にゃは、カホったら〜。せっかく先生がいらしてるんだから、もっと楽にね、らく〜に。最近は、復興作業以外の話題だってあるでしょう?例えば……今度開催されるお祭りのこととか?」
堅苦しい態度を崩さないカホを窘めるように振る舞い、適当な雑談を継続させる。
その理由は至って単純、私の心構えがまだ万全でないからだった。
内なる激情をおくびにも出さず、先生の探知に引っ掛からないようにするつもりではあるものの、やはり今一度冷静にならなければと考えたのだ。
ただ、それだけならまだ良かった。
渦巻くクユリへのどす黒い感情に混じって、心を軋ませるもう一つの声。
それが私の仮面を容赦なく引き剥がそうとしていた。
――助けて。
全部、全部曝け出してしまいたい。
私が抱えるには、この重荷はあまりにも重すぎる。
そんな弱い私の声が。
“それなら、来るとき見てきたよ。たしか、シズコが準備してるとか……”
「それなら、話は早いですねえ。仰る通り、シズコさん本当に頑張ってくれてるんですよ〜」
表はヘラヘラとした胡散臭いニヤを演じ、裏は殺意と弱音が撹拌されて暴風雨が吹き荒れる。
いくつもの私がせめぎ合い、気を抜けば逆流してくる胃液のような気持ち悪さがいつまで経っても拭えない。
それでも、日頃企み事を得意としてきた甲斐あってか、時間稼ぎの言葉はつらつらと紡がれていく。
「シズコさんは、お祭りのためなら後先考えず突っ走るので、本当に見ていて飽きな……ではなく、とっても素晴らしいと思っています」
“あっ、うん……そ、そうだね。”
「にゃはは。シズコさんは以前からずっと百鬼夜行燈籠祭を復活させたかったようでしてねぇ。まぁ、私たちとしてもそれは都合がいいと言いますか〜」
お祭りへの純粋な気持ちを政治的に利用するような言葉。
こういった言動は身に染み付いてしまっているため今更変えようもないし、今回に至っては実際に都合がいいのだから仕方がない。
けれども、カホはやはり私に窘めるような視線を送ってきた。
「ニヤ様、そのようなお言葉は……」
「だってカホ……実際そうじゃないの」
“えっと……それはどういう意味?”
黙りこくってしまったカホを見て、先生が首をかしげる。
話題の起点を作ってくれた先生への感謝も込めて、ある程度心の扉の錠前を緩めて答えることにした。
「シズコさんが復活させようとしている燈籠祭は、今この状況にピッタリなんですよぉ。復旧作業に明け暮れていた百鬼夜行が、再び活気を取り戻すには絶好の機会、と言い換えましょうか〜?」
「ニヤ様の言葉は少々直接的ではありますが……、百鬼夜行全体が活気を失ってしまっているのは事実で……。何かきっかけが必要というのは、誰しもが感じております」
「今回のお祭りがきっかけで、もっと盛り上がったら〜とか、皆さんの笑顔を取り戻したいな〜とか思いましてね。シズコさんは、本当に良いきっかけを作ってくれたなぁ、と」
この気持ち自体に嘘偽りはない。
百鬼夜行を取りまとめる立場として、疲弊した百鬼夜行に光が差すことは掛け値無しに嬉しいことだ。
ただ、燈籠祭という舞台が、今の私の頭を支配する計画の隠れ蓑になるとは思いもしなかったわけで……。
蛆虫の如く湧いて出る自己嫌悪の念を誤魔化すように、すぐ隣の水色髪をわしゃわしゃと撫でる。
「最近はチセも、新しい公演のために夜な夜な練習してるもんね〜?ん〜素晴らしい!」
「うん〜、私も頑張るね〜」
「にゃははは〜、えらいえらい!」
そんな私の心境を知ってか知らずか、本当の猫のように目を細めて身体を委ねてくるチセ。
しかし先生を差し置いて、ほんわかムードに突入しかけたのもその一瞬だった。
「はい、それに合わせて業務量も増えているので……ニヤ様にもこれまで以上に尽力していただきたいと思っております。いいですね?」
どことなく目元がひくついているような様子のカホがぴしゃりと言い放つ。
前科持ち……何なら、直近にも脱走してしまった自覚はあるため、申し訳無いとは思いつつも……。
私の悪癖か、調子づいて少しごねてみてしまった。
その結果は火を見るよりも明らかで――
「えぇ〜、さっきまでの和やかな雰囲気が台無しじゃないの。そんな恐ろしいことを言うだなんて……カホったらひどいなぁ、しくしく」
「……ニヤ様、今回だけは逃げないでくださいね……?本当に、本当に困りますから」
日頃の鬱憤が滲み出たかのような、澱んだ影を目元に落としながらそう迫るカホの姿はまさしく幽鬼。
肯定の返事しか許さないとするオーラに、私は冷や汗を流しながら目を背けるしかなかった。
「にゃは〜……何のことやら?」
今更ではあるが、例の動画の衝撃のあまり、カホが菓子を持ってきてくれていることを忘れてなあなあのままにここまで流れてしまっていたのだ。
カホから見れば、私がいつものように脱走したとしか見えない筈で、彼女の怒髪衝天の一歩手前の形相は至極当然だった。
“あはは……。あまりカホを困らせないようにね……。”
私たちのやりとりを見守っていた先生も、苦笑いするしかないようだ。
般若状態のカホを必死で宥めるその裏で、私は人知れず肩をすくめて呟いていた。
――そろそろ、潮時かねぇ……。
もう覚悟を決める時間稼ぎにしては十分だろう。
他愛もないこの会話は、独り修羅の道を征く者には温かすぎる。
手中の欠けた扇子をぱちりと閉じ、先まで自らが望んで作り出していた空気に幕を下ろす。
「……ま、それはともかく。……そろそろ、今回の本題に入るとしましょうか」
“花鳥風月部……だよね?”
「ええ。お伝えした通り、花鳥風月部が動きを見せましてね。何日か前、陰陽部にコレが届きました」
“……これは、手紙?”
かねてより控えていたソレを先生の前に滑らせる。
“花鳥風月 拝具”と古風に彫られた書簡入れが鎮座し、その場の万人の居住まいを正すような物々しさを放っている。
こんなものが届いた時の私の心境たるや……、文字通りひっくり返ったものだ。
「はい。しかし手紙は手紙でも――“脅迫状”ですがね……」
“……穏やかじゃないね。”
「……まぁ実のところ、こうした事自体は珍しくはないのですよ。大きな催事の際にはトラブルも付きもので……」
「……確かに、ニヤ様の仰る通りです。主に権力の味を知ってしまった魑魅一座からのいたずら電話……いえ、手紙みたいなものが多いですね。しかし、コレに関しては……」
そう、無視などできない代物だった。
花鳥風月部はこれまでならば架空の存在、単なる都市伝説、噂話に過ぎないもの故に、本来は一瞥のみでまともに取り合うことすらしないのが妥当のはず。
どこか適当な組織、団体からの嫌がらせだろうと。
こんなものを書く暇があるなら、その暇を私たちに分けてくれと愚痴りながら業務に邁進したことだろう。
しかし、百花繚乱の委員長の失踪や、何より御稜クユリのあの呪いそのものが花鳥風月部の存在を裏付けていた。
“……どんな内容だったの?”
先生が、あの誰にでも優しさを振りまく先生が、いつになく険しい表情でそう問うてきた。
それもそのはずか。
先生にとっては今だ、御稜クユリという存在は救うべき生徒なのだろう。
その生徒の尊厳を、生命を踏み躙った――ように実際は見せかけられていた――のだから。
その元凶たる存在が自ら動きを見せてきたとなれば、心中穏やかではあるまい。
私自身も、つい先まではそんな気持ちだったというのに……。
「内容はこうです。 『そなたらに告げる。我々の風流は終わってなどいない。風情は大勢で味わうべきもの。お楽しみが始まり、空に咲いた大輪の花を見あげたその時に――
もう一度――そなたらの元を訪ねよう。』……と」
手紙の文面を諳んじ終わり、互いの息遣いのみが音を構成する静寂が訪れる。
耳をすませば、城下町からのお祭りの喧騒が、ほんの微かに聞こえてくるほどに――。
どうしてこうも……後ろめたい事を抱えている時の時間というものは遅く感じるのか。
私や、空気になりかけているチセは勿論、先生も内容を咀嚼しているのか黙りこくっている。
やがて絞り出すような声でそれを破ったのは、カホだった。
「ニヤ様、これは……」
「そう、典型的な警告文やね。本来ならそこまで大袈裟に対策することでもない事―――のはずやったのにねぇ……」
“……何となくだけど、私が呼ばれた理由がわかった気がするよ。”
「おや……?聞きましょうか」
どうやら先生なりの結論がまとまったらしく、その続きを促してみる。
まぁ、よほど察しの悪いタイプでなければ誰でもわかる話ではあるが……。
“花鳥風月部からの襲撃に備えて、百鬼夜行を見回っていて欲しいってことだよね?”
「ええ、ええ……その通りです。このような場合、従来は百花繚乱が対処すると相場が決まっております。ただ、ご存じのように百花繚乱は、委員長と副委員長が行方をくらましてから、活動がほぼ停止している状態でして……」
“……中立的立場の私に白羽の矢がたったということだね。”
「仰る通り。先生には、百花繚乱の空席を埋めていただければと。つい先日、百花繚乱から正式に“解散令”が出されたことですしね」
解散令、その単語を聞いた瞬間、先生の表情筋がピクリと動いた。
ここに来る道中で耳にでもしたのか、はっとしたように食い気味に尋ねてくる。
“百花繚乱が解散するって、本当なの?”
「ええ。委員長も、その代理も姿を消した以上、委員会の維持は難しいと……。きっともう、維持する必要はないと判断したのやもしれません」
「解散令が出された以上、陰陽部としても手続きを進めることになるでしょう」
普段通り、宿題をサボる子供を見張るオカンと化したカホのもと、背を丸めながら業務に勤しんでいた最中に突如、伝書鳩の報せが飛び込んできた時は少なくない驚愕に見舞われたものだ。
確かに組織の長が不在続きでは解体もやむを得ないという判断は正しいし、正式な書面による申請なのだから、百鬼夜行の統制機関として処理をしなければならない。
――勿論、あの子も関わっているでしょうしねぇ……。
ほとんど同時期に一部で広まった“あの噂”も――。
「……まったく、みなさんは一体何を考えているんだか。……なんて、たまには愚痴ってみたり。にゃはは、魑魅一座が気づくのも時間の問題かな〜?なんて」
“そう……なんだ。……ねぇニヤ、一つ聞きたいことがあるんだけど……。”
「にゃは?なんでしょうか?」
何やら考え込んでいた先生がふと、的を得たような……むしろここからが本題だとでも言わんばかりの眼差しで私を見つめる。
一呼吸おいて、その口から紡がれた言葉に――
“百花繚乱が解散令を出した理由に――クユリの失踪も関わっているんじゃないかな?”
――へぇ、と思わず感嘆の吐息を漏らした。
「……やはり先生もそう思われますか。何故その考えに至ったのか、聞かせても?」
“……ほとんど直感みたいなものだけどね。でも、タイミングが合いすぎてるし……それに、前にニヤも言ってたから。クユリだけでも残ってくれていたらって。”
――本当に、この人の前で隠し事を貫くのは容易ではない。
それはそうとて、ここからが正念場だ。
いかに私の心中を探られずに、クユリについて私にとって都合の良いように誘導出来るか。
クユリを仕留めるという目的上、変に嗅ぎ回られると妨害されかねない……とは言っても、無理にはぐらかせば私自身が疑われかねない。
私は生唾を飲み込み、いつものヘラヘラした笑みを消して、真っ向から先生という存在に向き直った。
「成程……。先生、貴方は知る由もなかったでしょうが、実のところ解散令が出される以前から、とある噂が広まり始めていたのですよ」
“噂?”
「ニヤ様……!それは……!」
カホが焦ったように続く言葉を制止しようとする。
それも致し方ないこと。
荒唐無稽、事実無根。実際、私も一切信じてはいない……が、先生の関心が私に向くことなく、且つ程よくクユリについての情報を与えられるカード。
「“百花繚乱の副委員長である御稜ナグサさんが、妹のクユリさんを殺した”という噂です」
“……………え?”
絶対零度下の環境では分子の流れ――すなわち時間の流れも止まると言うが、正にこの事だろうか。
理解が出来ない、追いつかない。そう表現する他ない表情で固まってしまった大人を見据えながら、私は折角閉めたはずの心の蛇口が緩むのを自覚できずに畳み掛ける。
「……ええ、困惑する気持ちもわかります。所詮はただの噂。百花繚乱を良く思わない勢力がたちの悪い冗談を流布したとか、いくらでも考えようは出来ます。……然し、こうも言えますよね?――火のないところに煙は立たぬ、と」
“……じゃあ、ニヤは本当にそう思ってるの?”
「いえいえ?しかし、こんなナリでも百鬼夜行の代表ですので……あらゆる可能性を模索しておくべきと言いますか……」
長い雑談程度で構えた気になっていた防波堤は、いとも簡単にひび割れていく。
こんなにも、私は弱かったのだろうか。
「先生の仰る通り、ナグサさんの失踪のタイミングも偶然にしては……と思われません?もしこの噂通りなら色々と辻褄は合いますし……」
“ニヤ……やめて……。”
「クユリさんの呪いが手遅れになってしまい……人として死ぬことを願った妹を――なんて事もありそうではないですか?いえ、いっそのこと……」
“ニヤ………。”
「クユリさんが、今までの全ての元―――」
“ニヤ!!”
―――ッ!
頬に思い切り張り手を食らったかのような衝撃。
うたた寝から意識が引き上げられた時のような、奇妙な感覚。
いつの間にか俯いていた顔を持ち上げれば、眦を下げ、哀しい表情の先生が首を振っていた。
“ニヤ、それだけは……それだけは、言っちゃだめだよ。”
徐ろに胸に手を当てて、大人は諭すように語り始める。
“他の学校にも、同じような生徒がいたんだ。疑って、疑って……疑心暗鬼の闇に囚われて。立場と環境がそれを強制したのもあるけど、危うく、大好きな存在も、かけがえのない親友さえも失いかけてしまった……。ニヤは、その子と良く似ていると思う。”
「……にゃは。それは、私の疑いが破滅を齎すことになると……そう仰りたいので?」
“ううん、疑う事は悪いことじゃないよ。ニヤの立場なら、そうせざるを得ないことだって沢山あるだろうし。でも、ニヤが護りたいと思っているのは、この百鬼夜行だよね?”
「勿論。ですから――」
“それなら、護るべき百鬼夜行の生徒を疑うのは……出来ればして欲しくない、かな。身内を疑って、信用しなかったために、本当に大切な事を見失ってしまう子を、私はたくさん見てきたから……。”
あらゆる生徒に関わってきたからこその重み。
目を伏せながらそう語る先生を前にして、先程までよく回っていた私の口はこの時、一切音を紡げなくなってしまった。
甘い。それは貴方が先生だから言えることなんだ。
理想と妄信を重ねた、ただの詭弁にすぎない。
そう思っても、不思議と心に抵抗なく溶け込んでいく言葉。
――成程、これが“先生”、ですか……。
“まぁ……本音を言えば、生徒同士で疑ってほしくないよ。それに、私がそうあってほしいと……信じたいだけなのも否定しない。それでも私は、大人として、生徒を信じていたいから。”
「ふふっ……。それが貴方の“責任”とやらですか。その生徒には、私も含まれるので?」
“勿論だよ。”
「即答ですか……。これは確かにカホやチセちゃんも好くわけやねぇ〜」
「ちょっ!?ニヤ様!いい加減にしてください!」
「私は先生のこと、大好きだよ〜」
“あはは……。生徒に好かれて、先生冥利に尽きるってものかな。”
和気藹々とした、何気の無い幸せな会話。
以前の私なら――あのメモリを見るまでの私なら、ここで思いとどまっていたに違いない。
微かに芽吹いていた疑念の種を踏み潰し、独りの道に舵切る事もなかっただろう。
全て、手遅れだっただけなのだ。
物的確証を、この身が認識してしまったその時から――。
「にゃは。先生のお言葉、心に留めておくとしましょう。ただ、ご理解くださいね〜。状況が状況なだけに、打てる手は打っておきたいといいますか。正直、手間――」
「ニ ヤ 様 ?」
「――ではなく、部長としての責務を果たすべく尽力したいといいますか〜。そのためでしたら、先生に本心を打ち明けるのも厭いませんよ?」
“うん、ニヤらしくていいと思う。”
「にゃははっ!それは、陰謀を企んでばかりの私にがっかりした、という意味ですかぁ〜?」
ケラケラと笑う私に、先生は優しく首を振って答える。
“口ではそう言うけど、みんなのことを考えてる辺りが……ニヤらしいなと思って。”
チクリと、胸の辺りに痛みが走る。
良心の呵責、罪悪感だろうか。
どうやら私はまだ、修羅になりきれていないらしい。
「おやおや〜?私には二つの顔がある、と?」
“えっ、そういう意味じゃないよ!?”
少し意地悪をしてみれば、純粋に慌てふためくその姿は、真に生徒を信頼していることの証で、疑いの一片もそこには含まれていない。
そんな先生を見ていると、最後に残った僅かな良心のような感情が、私の口を自然に動かした。
「……まぁ、私が申し上げることではないかもしれませんが。私然り、他の生徒さん然り……人の全てを受け入れてばかりでは、どこかで大変な目に遭ってしまいますよ?まだ、隠し事がある可能性も否定できないわけですから〜」
最後の警告、或いは無意識下のSOS信号だったかもしれないそれに、先生は梃子でも変わらぬ意思で微笑んだ。
“心には留めておくけど、ニヤの力にはなりたいかな。”
この一言が、どれだけの生徒の救いになっているかを知りもしないで。
そして、私も――。
「あら、力になってくださるなんて!これはこれは助かりました。ね?チセ、カホ?」
「うん、助かる〜」
「もちろん、喜ばしくはありますが……」
「せんせー、まだここにいるんだよね〜?今日のお稽古、見せてあげる〜」
「……!?チセちゃんのお稽古……!こんなに近くから見られるなんて……あぁ!」
“カホは相変わらずだね……。”
最早見慣れたチセ狂モードのカホとチセのやり取り。
この日常を、私は守り抜かねばならない。
自らを犠牲にしても、あの巨悪だけは消し去らなければ……百鬼夜行に安寧は訪れない。
ふわりとした動作で舞を舞うチセ、目に星を浮かべてその姿を焼き付けんとするカホ、そして苦笑しながらも、一歩引いたところから見守る一人の大人。
「……先生」
誰にも聞こえない呟きが漏れる。
――私は、こんな性格ですから……誰かを利用して、欺いて……そんな事にも躊躇がないんですよ。
先生、貴方は知らない――いえ、今はまだ知らなくてもいいのです。
世の中には、救いようのない生徒もいる事を。
言ったはずですよ?隠し事がある可能性も否定できないですから、と。
あの手紙には続きがありましてね――。
『――そして心待ちにするが良い。我々がそなたらの前に姿を表す時――百鬼夜行を燃やし尽くしてやろう』
額面通りに受け取るならば、お祭りが本格的に始まった時に、何らかの方法で街に火を放つのでしょう。
きっと、大混乱どころでは済みません。下手をすれば、死傷者も出る可能性も……。
ですから、“敢えて”お伝えしませんでした。
そんな地獄絵図が顕現しようものなら……きっと、姿を現すはず。
絶望と悲鳴の匂いを嗅ぎつけた――御稜クユリが。
先生、貴方には花鳥風月部と存分に対峙してもらいます。
崩れかけた百花繚乱を立ち直らせてみるのも、良い策かもしれません。お好きなようになさってください。
私は、私の成すべきを成します。
すぐに私の業は明るみになるでしょう。
火に包まれることを良しとし、己を信頼してくれているあらゆる人を欺いた報いからは逃げられません。
然し、如何なる処罰を受けようと、後の百鬼夜行の安寧のために。
悪い子でしょう?悪い子なんです。
ですから、先生?
信頼する相手は選ばないと、どこかで大変な目に遭ってしまいますよ?
「にゃは〜、本日は先生からの返事も頂けたことだし……あとは―――」
「―――お待ちくださいまし!!!!!お話、聞かせてもらいましたの!」
スパァン!と小気味いい障子の悲鳴が響き渡る。
「身共の名は、ユカリ!誇り高き百花繚乱紛争調停委員会の一年生であり、最強のえりーとですの!陰陽部の部長に折り入ってご相談があり、ここに参った次第ですわ!」
「……………はて?」
紫の闖入者の底抜けな快声に、文字通り全ての感情が吹き飛ばされる。
今日という日以上に、混沌を極める事などないだろうなぁと、私は内心で空を仰ぐことになった。
ニヤだって、年頃の女子高生。
昆布茶ヒフミスキー然り、でっかい妹然り……その身に負う責務が重すぎるのがブルアカクオリティ。
次回は、先輩方による「お前、夢見るのも大概にせぇよ」回の予定です。