自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー 作:藍終
ようやく、ようやく形にできました。
※視点遷移は、キキョウ→クユリ→ナグサ→三人称→???です。
――全部壊れて、黒になればいいんだ。
「――キキョウ、危ねぇ!!」
「――っぐっ!」
眼前を塗りつぶす暗黒の奔流、まともにくらえば死ぬと、全身の細胞がそう叫ぶのに私の身体は動かなかった。
いや、動けなかった。
姿形は違えど、クユリから攻撃をされた。その認識が、ほんの刹那にせよ、作戦参謀としての判断能力を根こそぎ奪ってしまった。
その刹那が私の命を刈り取る……その運命は、幼馴染の咄嗟のヘッドロックによって回避された。
私たち諸共呑み込むはずだったソレは、そのまま驀進し――立ち上がりかけていたクロカゲに突き立った。
「っ……キキョウ、大丈夫か?」
「え、えぇ……おかげさまで。それより、アレ……」
「あぁ……何が起きてんだよ……」
私は、ただただ目の前で繰り広げられる光景を呆然と眺めることしかできなかった。
およそ人の形を辛うじて保っているクユリ……らしきナニカは、最初から私たちのことなど眼中に無いかのように、悠々と歩を進めていく。
先の攻撃も、あくまでクロカゲを狙ったもので、私たちはその射線上にいただけ……だとしても、クユリはそんなことをする子じゃない。
今、クユリの身体を動かしているのは全く別のナニカだと、そう察して全身の毛が総毛立った。
「フフ、相変ワラズ子猫チャンノママナンダネ。可愛イ」
あれだけ私たちを圧倒していた、禍々しい巨猫をソレはじゃれ合うように手玉に取っていた。私たちでは傷一つつけられず、気を引いて足止めが精一杯だった幻魎百物語に、さも当然のようにダメージを与えている。
蹂躙……いや、クロカゲが猫であるなら、さながら虐待といったほうが適切なほどに。
本来は欠けているはずの左腕らしき銃身が黒く輝く度に、必死の抵抗虚しく、巨躯が軽々と建物を巻き込んで吹き飛んでいく。
腰が抜けてしまった私の周りに、修行部の面々も似たり寄ったりの困惑度合いで駆け寄ってきた。
「キキョウ……さん、アレは何なのですか……?」
「怪獣大合戦みたいじゃん!?」
「私にも、何が何だか……」
「レンゲちゃん、あの子が、クユリちゃんなの〜?」
「あ、うん……そのはず、なんだけど……。アタシらが知ってる姿じゃないっていうか……」
一度距離を取ろうするクロカゲを追って、ソレも移動していくため少し息をつけるほどには余波は小さくなった。
とは言っても、あの戦いをどうすることもできないのは、私だけが感じていることではないと思う。
間に入れば、即死する。この世ならざるもの同士のぶつかり合いなのか、そんな濃密な死の直感をひしひしと受け取っていたから。
忙しなくクロカゲの目玉模様が、怯えるように痙攣したように見えたのは気の所為だったか。そう思うのも束の間、クロカゲが一か八かの反転攻勢に出た。
獸声ともに翻り、自身を中心として周囲を妖炎の渦に巻き込んでいく。
「や、ヤバくない!?」
「みんな、アタシの方に!ちゃんと掴まって!」
レンゲに引っ掴まれながら、まだ頑丈そうな瓦礫に全員身を隠す。肌を焼くような熱波が吹き荒れる中、どうしても行く末を見届けたくて顔を覗かせる。
そこには、自らクロカゲへと歩みを進めるクユリの姿があった。
「フフッ、イイヨ。子猫チャンノ戯レニ付キ合ッテアゲル」
反射的に飛び出しそうになる身体を必死に律しながら、どうにか目を逸らさずにいると……あれほど余裕を醸し出していたその小さな身体は、呆気なくクロカゲの体内へと取り込まれてしまった。
「……えっ……?」
「っ…ふぅ、何とか凌いだか。な、何だよキキョウ……固まって」
次から次へと訪れる予想だにしない展開の連続で、私の頭はとっくにオーバーヒートしていた。 最悪の場合も覚悟しての特攻から突然のクユリの帰還、そしてそのクユリは明らかに異常で……。
戦場で思考に囚われて行動が疎かになるなど、作戦参謀以前に愚の骨頂ということは分かっていても、ショートした神経は私にまともに喋ることすら許さなかった。
そんな私を、目障りな相手が消えたと言わんばかりに首を振ったクロカゲの眼が目ざとく捉えた。
――まずい、早く、立って、逃げないと、せめてレンゲたちは。
そんな断片的な思考が、コンマ一秒が無限に引き延ばされたような世界でコマ送りのように流れる。
クロカゲが飛びかかろうと、全身をぐぅとたわめ――
――内部から粉々に弾け飛んだ。
「――――なっ……!」
呆然とするしかない私たちの前に、塵となって消えていく肉片を無造作に踏みつけながら、ソレは悠々と姿を現した。
「……ウン、コノ子ノ器ハヨク馴染厶ネ。マダマダ本調子ニハ程遠イケレド……時間ノ問題。アノ狐狗狸ダカ蜘蛛ダカノ掌ナノハ、マァ今ハイイ。サテ……」
クユリの面影を借りたソレが、値踏みするようにこちらを眺める。
こいつは、この世界にいていい存在じゃない。クロカゲとは比べようもない、生命としての拒絶反応が出る。
同じ幻魎百物語かさえ怪しいほどに、存在定義が根本から違う。花鳥風月部の……それこそ、シュロに近いのだろうか。一つの個として、自我を持っている。
「アラアラ、コノ子ガ植エ付ケタ種ガ二人モ……。大分育ッテルネェ……」
「あんた、誰?」
「ワタシ?キニナル?ソウダヨネ、ソウ思ッテ想ッテルンダヨネ。……イイヨ、教エテアゲル。ワタシハ――」
人を人として見ていないような嘲り声が、不自然に途切れた。
至近距離から覗き込まれた深淵に一筋、確かに光るものが見えた気がした――それと同時に、待ち望んだ声が耳朶を震わせた。
「……ごめんね、キキョウ、みんな……」
「クユリ……なのよね?ちょっ……待って!」
恐る恐る伸ばした手がその頬に触れる前に、その身が翻った。炭化した家屋の屋根を軽々と飛び移り、夜の帷に溶けていく様子を、私はまた見ていることしか出来なかった。
いつの間にか火の勢いも弱まり、クロカゲや付喪神も一掃されて、一時の静寂が訪れる。
元々、ナグサ先輩と先生をユカリのもとに行かせるための足止め役を買っていたのだし、もう十分時間は稼いだはず。
任は完遂したのだから、ここから私たちが取れる選択肢は二つ。一つは、シュロの毒牙にかかっているであろうユカリの救出の援護に向かうこと。もう一つは、再び姿をくらませたクユリを追うこと。
百花繚乱の作戦参謀として、現在進行系で危機にさらされている後輩を助けに行かなくてはならないとする心もあれば、それ以上にいつまた姿を現すかも分からないクユリの追跡をしたいという欲に駆られる心もあった。
先生はともかく、ナグサ先輩の実力を信用していないわけじゃない。けれど、あの奇っ怪な花鳥風月部のことだから、妙策の一つや二つ用意していないとは言い難い。
もし不確実性のある追跡に舵を切って、結果ユカリも救えなかったときは……私はどう――
「……ユカリを助けに行こう、キキョウ」
「レンゲ……」
「クユリのことなら、修行部のみんなに頼みたい。アタシらは、まずユカリを助けないとだろ?何だっけ……二兎がなんちゃら……」
「……二兎を追う者は一兎をも得ず、ね。まったく、今日はあんたに助けられてばっかり。この借りは、ちゃんと返すから」
「おう!アタシの青春活動に付き合ってもらうからな!」
あんたが幼馴染でよかった。
そんなことは口が裂けても言えないから、心の底でこっそり呟くに留めておく。
「レンゲちゃん、キキョウさん。クユリさんは私たちが追いますから、二人は早く先生のもとに行ってあげてください。これ以上花鳥風月部に、誰も奪わせはしません」
片足どころか両足まで巻き込んでしまった修行部も、快く頷いてくれた。柄にもなく、目の端が薄く滲んだのはきっと埃が目に入ったからだ。
「ありがとう。……行くよ、レンゲ。ユカリを助けに」
「ああ!」
クユリが生きていた。その事実一つで、私は頭にかかっていた靄がすっきり晴れ渡るような感覚だった。それはきっと、レンゲもそうだと思っている。
一歩ずつでもいい、またあの幸せな日常を取り戻すために、私――桐生キキョウはその一歩を蹴り出した。
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「――はぁっ、はぁ……っ、やっと戻れた……!」
只管にキキョウたちから距離を取り、まだ延焼していない適当な屋根に腰を下ろす。
不意のコクリコとの接敵で、内側に抑えていた例の呪いが暴走し、私の身体の主導権を完全に握りかける一歩手前まで行っていた。
不幸中の幸いか、あいつが興奮していたのかは知らないけれど、結果的にはクロカゲや付喪神だけを倒して去ることになったから、原作ルートに大きな影響はないはず。
ブルアカ本編でも、キキョウとレンゲはこの後、間一髪のところで先生たちに合流するものの、そこに至る詳しい過程はぼかされていた気がするから丁度良くもあった。
……とは言っても、今回ばかりは本当にマズかったと思う。
表であれだけ呪いの人格が力を振るえたのもそうだし、私の意識を浮上させられたのはもはや奇跡と言っていいくらいには、隙が少なかった。
多分、黒服さんの“栞”の効力と……私が、自分の心が求めているものに気づきかけてることが大きかったのだと思う。
ただ、もし次があるとすれば……その時こそ二度と、私という意識は戻って来れない。そんな気がしていた。
「……やっぱり、剥がされてたかぁ……」
どす黒く炭化したような――もう私の腕ではないのだろう――左腕には、有るべきものが無くなっていた。
黒服さんから貼られた、黄昏の侵食を抑える砦であるはずの“栞”が、そこには無かった。多分というか、絶対に……コクリコに剥がされたのだ。
意識が落ちる寸前、それっぽい音が聞こえたような気がしたのは気のせいではなかったというわけ。
コクリコが積極的に私に干渉してくるのは完全に予想外だった。そのつけを見事に払わされてしまった。
「……死ぬかと思った」
その事を自覚してから、震えが止まらない。
元々、曇らせのために我が身を犠牲にするとは言っても、別に死にたがっているわけじゃなかった。でも、いつからだろう。省みてみれば、段々と死すら厭わない手段に加速していった気がする。
お姉ちゃんを曇らせたかった、その事自体に嘘偽りはない。
でも、そうだとしても……“何のために”に何となく気づいてしまった今なら分かる。過去の私はどこか異常だった。
もしかしたら、この世界に生まれ落ちたその時から……?いや、それよりもっと前―――
「……死にたくない」
気づいてしまったから。
黄昏の侵食は私の神秘……もとい心に深く根付いた影響で、私自身ですら自覚できなかったことを突きつけてくれた。
それがなければ、こうして主導権を取り戻すことも出来なかったはず。
……最初から、私が本当に欲しかったものは、ずっと与えられていた。
私が気づかなかった……一度自らそれを壊さなければ、失わなければ気づけなかった。
曇らせという名の偽りの仮面で踊らなければ、まともに受け取ることも出来なかったソレ。
至極単純明快で、人なら誰でも持っている気持ち。
もう手遅れかもしれないけれど、赦されないかもしれないけれど、それでも……一度自覚してしまってからは、溢れ出るものを止められなかった。
「お姉ちゃんに、会わなきゃ……」
今はただ、それだけが私を突き動かしていた。
会って、それから……私の中の思いを、感情を全部伝えないといけない。
私も、腹を割らないといけない。心からそう思った。
私の前世知識が確かなら、そろそろお姉ちゃんと先生に、キキョウとレンゲが合流して、ユカリを助け出すはず。
私はユカリとシュロ周りには干渉してない――と思いたい――から、その流れは変わらないと思う。シュロのレスバに先生が超絶詭弁論で押し切って、無貌の形代を壊して、ユカリを救出して全員でシュロと対峙する。
その過程で先生がシュロに蹴られたり、お姉ちゃんがメンタルをサンドバックにされたりするけど……。
前者はともかく、お姉ちゃんに関しては大丈夫だっていう信頼がある。
私がこれまで仕掛けてきた曇らせを乗り越えて、今も百鬼夜行に、百花繚乱の羽織をはためかせているのなら、今更シュロのレスバ程度に屈することはないだろうという、身勝手な信頼が。
それに、先生が側にいるというこのキヴォトスでは確定演出じみたバフもあるからね。少し妬けちゃうのは秘密だけれど。
……そして、その後はいよいよ、ナグサ推しなら絶対に生で見たいはずの決心シーン。
ナグサの妹として生まれ落ちた以上、その場面だけは見届けなければならなかった。
私のことは、その後事が落ち着いてからでも間に合うはず。
ふと自分の身体を眺めれば、さっきよりは断然マシに……少なくとも私かどうか分からなくなるほどバケモノじみた容姿から元に戻りつつあった。
心なしか焦ったように喚き立てるあの声も、今は小さくなっている。
要は心の持ちようだったってことか……。
そうちょっと自嘲してみていると、百鬼夜行のシンボルとも言える神木方向から、激しい銃撃音が鳴り響いてきた。
一般の住民や生徒は中心部からは避難しているはずだから……。
あそこだ。あそこにきっと、お姉ちゃんがいる。
「お姉ちゃん……!」
あの場所で、全てをやり直そう。捻れて歪ませてしまった物語を、もう一度、百花繚乱のみんなと――
曇らせを追い求めていたあの頃より、私の身体は羽根のように街を駆っていった。
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“嘘をついて、いい顔をして……そうやって演じるのは、何も悪くないよ。”
その言葉は、枯れたユカリと私の心に降った、一雫の雨だった。
“誰だって一度くらいはある、普通のことだからね。”
詭弁だった。生徒を導く、責任を負う大人が吐く台詞にしては、どうしようもなく。
“偽りの自分を演じて……大切なものを守ろうとすることの、何が悪いのかな。”
百花繚乱の委員長としても、一人の姉としても、私は仮面を被り続けた。
どれも無様で、まともに踊れやしなかったけど――
“無様でも、滑稽でも、演じ続けていけば……いつかそれは本当になる。何より、演じ続けられるくらいに、その人のことを想ってることの証明なんじゃないかな。”
想っていることの……証明。私も、ユカリも、キキョウやレンゲだって、百花繚乱の為に――クユリの為に自分を偽った。
その結果、互いに啀み罵り、自分のことすら信じられなくなった。
“誰だって自分を繕うものだよ。誰もがやる、普通のこと。”
屁理屈だ、そう一蹴できるくらいには甘い理想論。それが通るなら、この世の中はもっと上手く回っている。
所詮嘘は嘘。私は何者にもなれなくて――
“たしかに、それで啀み合ったり、ケンカしたり……すれ違ってしまうこともあるかもしれない。後ろ指さされて、傷つくことも。……そういうのも含めて、誰にだってあることだよ。”
こんな私でも、私たちでも、まだ戻れるというの……?
“ケンカしたのなら、仲直りできるよう努力すればいい。すれ違ったのなら、互いに本音でぶつかり合えばいい。私も、そのために全力でみんなの力になるよ。”
「……ふふっ、アヤメもそんなこと言ってたかな」
『お互いに腹割ってぶつかり合ってすっきりしちゃえば、意外となんとかなるもんだからね』
いつの日だったか、クユリとの距離が近すぎてどうのこうの……と、気持ちを抑えるために百花繚乱全体で策を弄したときがあった。
お祭りも近づく中、アヤメにそう背中を押されて、私はどうしたのだったか。
……答えなんて、最初から出ていたんだ。
答えを答えだと自覚できていなかったから、私たちは、曲がりくねって、自ら道を踏み外していった。
でも……もうわかった。
私のやるべきこと、演るべき役はきっと―――
「身共、勘解由小路ユカリ、ここに復活!ですの!」
ユカリの高らかで透き通った声とともに、ユカリ自身の写し身でもある無貌の形代に、確かな風穴が空く。
互いに言葉足らずだっただけで、まだ戻れるのなら、まだ何も終わってなどいないのなら、もう一度仲直りしたい。
ただ当たり前に在ったあの日常を取り戻したい、その感情まで好きにはさせはしないという思いが、心の怪異を打ち祓った。
要は、心の持ちようなのかもしれない。
「――黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ!全部ぜ〜んぶ無駄なんですよ。手前らがいくら言葉を並べたって、物語をぶち壊そうとしたって……手前には傷一つつけられない!」
シュロの甲高い喚き声が、私を至高の渦から引き上げた。
まるで誰も味方してくれなくなってなお、意地を張る幼子のように。
舞台までの道中では、避難誘導を終え合流した忍術研究部とお祭り運営委員会が――イズナって子の気迫は凄みがあったけど――道をきり開き。
心を閉ざしかけたユカリの心を先生が救い、ボロボロながらも追いついてきてくれたキキョウとレンゲの参戦によって、無貌の形代までも破壊することができた。
百鬼夜行が、まるで一つの生き物のように怪談を否定しているようだった。
長い間、停滞を続けていた澱んだ空気が、一気に流れ出していく。
全ての因果、運命が……今日この時のために収束しつつあるような……そんな気がした。
――そして、私の最愛の存在も、今ここに。
まだ姿は見えない、でも、いると分かる。生きて、私を見ている。理屈以外の、御稜ナグサという魂が、そう叫んでいた。
花鳥風月部に倣って言うなら、演者も演目も、舞台も観客も揃った。
あとは、私が踏み出すだけ。
怖くないわけはない。シュロを見るたび、あの日――全てが崩れ去り始めた大雪原での出来事が蘇って、私の足を竦ませる。
いっそ恨めしいほどに、私は弱虫なんだと思う。
私は、あの日から何も変わっていない。
それでも……いや、だからこそ、私は―――
「手前らもアヤメやクユリと同じように、全員黄昏に堕としてや――!」
一発の銃声が、シュロの頬を切り裂いた。
補修痕だらけで、濃紺の塗装も粗が目立つ銃身からは、確かな手応えが返ってくる。
これを撃つのは、まだ二度目の筈なのに、不思議と掌に吸い付くような馴染みがあった。
「……はぁ?」
間の抜けた声に向かって、一歩、また一歩進む。
「ねぇ、どういうことですかぁ?何回も何回も、手前の心は折れたじゃない。なのに――」
視界が滲む。羽織を掴む腕の震えだって、もう止められない。それでも、また一歩。
「ちょっと鏡見たらどうですぅ?情けないその姿……足元は震えて、顔は涙でぐっちゃぐちゃ。今にも逃げ出したくてたまらないくせに……」
この場の全員に、あの子にも見えるように、顔を上げた。
「何をそんな、“自分を見つけました”みたいに……ねぇ、ナグサちゃんさぁ……!今更、どんな面下げてみんなの前に立ってるんです?まさか、この期に及んでアヤメみたいに委員長ヅラできるとでも――」
「――違うよ。私は、アヤメじゃない」
――アヤメに成れるわけがない。
「私は、アヤメにはなれない。私が手を伸ばしたものは、みんな、壊れてく」
――私があの時、無謀にアヤメに手を伸ばしたせいで、あの子は終わらない苦しみを味わった。
――私が手を伸ばさなくても、あの子はより絶望した。
――私が目を背ければ、百花繚乱という居場所がなくなっていった。
「だから怖かった。未熟な自分のせいだって、全部自分のせいだと責められるのが……」
――私がしっかりしていれば、私に力があれば、私がもっとアヤメみたいに……そんな風に考えていた。
――本音を、真実を伝えて、もっと手遅れになるのが……
「――本当の姿を知られるのが怖かった」
――でも
「それ以上に、ユカリを……キキョウを……レンゲを……クユリを、失うことの方が、怖いの!」
――喉が鉄臭い、塩辛い。きっと、見るに堪えない醜悪な顔が色んなものを撒き散らしているんだと思う。
――それも、きっと“私”なんだ。
「あなたの言うとおりだよ、シュロ。私にできるのは、精々演技だけ。今も何とかここに立って、偽りの自分を演じてる」
――弱い私、泣き虫な私、臆病な私。
――副委員長としての私、代理としての私、今こうして何とか立っている私。
――そして、お姉ちゃんとしての私。
――どの私も、私であって私じゃない。いつだって、偽りの仮面を付け替えて、その場限りの舞を踊ってる。
――でも、それでもいいと。偽ることは悪いことじゃないと、言ってくれるのなら。
「でも、こんな私でも、みんなを助けられるのなら……どれだけ滑稽映ろうとも、演じ続けてみせる」
――どんな私も、全部ひっくるめて――
「“御稜ナグサ”という役を……ずっと!!」
これが、私がようやく自分で見つけた答え。
私は、御稜ナグサとして、もう逃げない。
大切なものに手を伸ばすのを躊躇ったりしない。
だから―――
「だから、もう一度向き合おう――クユリ!!」
ありったけの想いを込めて、ある屋根の上へ叫ぶ。
シュロ含めて、皆が呆気にとられるのもお構いなしに、ただその一点を見つめる。
――そこにいるんでしょ?もう一度、もう一度だけ、私と話そう。お互いに、一切の隠し事はなしで。御稜ナグサとして、御稜クユリという大切な存在に、真に触れるために。
――あなたを、この世の誰よりも愛している証をぶつけるために。
月光が、流れる雲間から顔を出し、消え……また差した。
溶け出すようにして、その影は人の形を形どっていく。
万感の思いを胸に、その見開かれた片目に向かって、私はぐちゃぐちゃの顔を綻ばせた。
「……おかえり、クユリ」
「お、姉ちゃん……」
半ば重力に任せるようにして、黒く染まった羽織が降り立つ。
傍では信じられないようなものを見る目で、何かを喚こうとしたシュロがキキョウに目で黙らされていた。
先生も驚いたのは一瞬で、すぐに信じていたように柔らかく目を細めていた。
でも、私にとってはそれらすら意識の外に追いやりつつあった。
私の五感全てが、目の前の存在だけに集中する。
景色も、音も、空気も……二人以外が全て排された空間で、私は一歩踏み出した。
「……クユリ、私ね、あなたに言いたいことがあるの」
2人分、距離が縮まっていた。
「私も……私も、たくさん言いたいことがあるの……!」
鏡合わせのように手を伸ばせば、そっと指が触れ合い、絡み合う。
容姿の変化なんて些事にもならない。私たちは、もっと深いところで、全てを曝け出し合わないといけない。
それがきっと、私とクユリ……そして、百花繚乱を取り巻く未来の、最善への一歩になると感じていた。
私は左手を、クユリは右手を寸分の隙間もなく吸い付ける。
視線が交わる。
一言。言いたいことは、どちらも同じ。
それだけで、きっと十分。
「「私は―――――!」」
トンッ……と、身体が浮いた。
そう、まるで突き飛ばされたかのような衝撃が、私とクユリの距離を一寸、また一寸と離していく。
この光景は、見たことがあった。
忘れるはずもない。
幼馴染が……アヤメが黄昏に呑まれるときに、私にしたのと同じ。
そんな、なんで、どうして、また――
クユリの表情が、コマ送りで移ろっていく。
何かに気づいて見開かれた目、何かを悟ってしまったような目、離れゆく私を見て安堵したような目。
――そして、全てに見捨てられたような、哀しい目。
微かに動いたその口は、無音の言の葉を形作った。
ご め ん な さ い
そう、脳が認識したと同時に、私の身体は蒼い爆炎に吹き飛ばされた。
“――ナグサッ!”
身体が咄嗟に、しかししっかりと受け止められる。
先生に受け止められたのだと理解しても、気恥ずかしさなど感じられる状態ではなかった。
なぜなら、私の目は閉じることなく、しっかりと焼き付けられてしまったから。
何度も、何度も何度も何度も何度も――執拗に、徹底的に、存在を消し去らんとする意思の暴力が、クユリを焼き焦がしていく瞬間を。
「ぁ………ぇ………?」
永遠にも思える砲撃が終わり、舞い上がった粉塵と残り火が降り注ぐ静寂の中、私の意味をなさない音だけが、惨状を物語っていた。
誰も、理解ができなかった。
けれど、ただ一つの直感が、私やこの場の全員に走ったのを感じた。
もう、取り返しがつかなくなったと。
そんな張り詰めた風船に、ピンを落としたのは、百鬼夜行で知らない者はいない声だった。
「――悪霊退散、悪霊退散。これにて、めでたしめでたし……にはちと早いですかね?にゃは」
✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵
百鬼夜行の中心部にして、対外的な生徒会の象徴でもある神木の対極に位置する陰陽部本館――そこから繋げられた先生へと繋げられたホログラム通話は、これから起こる地獄の前の静けさに過ぎなかった。
“ニヤ……何を、しているの。”
掠れ、困惑していながらも、確かに抑圧された感情の蓋が弾け飛ぶ瀬戸際の声音が、問うた。
「簡単なことですよ。百花繚乱……ひいては百鬼夜行の癌だった存在を取り除いた。いえ、魔を打ち祓ったといったほうが正しいでしょうか。……御稜クユリ、彼女が一連の騒動の根幹であり、原因なのですよ」
無論、証拠もありますとメモリのようなものを軽く振ってみせるニヤ。
いつもと変わらず、胡散臭くコロコロと笑って見せているのは、故意か無意識か。
煙が晴れ、陥没した砲撃の酷い跡が晒される。
その中心に、もはや質量を感じさせないほど焼き尽くされた、モノがわだかまっていた。
「いやはや、流石の私も百花繚乱の身内に原因が潜んでいるとは、自力では辿り着けませんでしたよ……。忍術研究部には、感謝しなければいけませんね」
わざと、神経を逆撫でる言い方をしているのは、誰の耳にも明らかだった。
分かっていても、人間とは自らを抑えられるほど、冷たく作られてはいない生き物だった。
“――ニヤ。”
このキヴォトスで、これほど低い声を向けられた生徒は、おそらく後にも先にもこれきりだと、本人も含めて感じた。
“全部、話して。”
言葉を紡ぐのですら、精一杯のようだった。次の瞬間には、この場に溜まりに溜まった感情の渦が決壊すると、誰もが察していたから。
その上でニヤは、最後まで為政者として止まらないことを選択した。いや、止まれなかった。
「えぇ、構いません。全て、満足していただけるまでお話しましょう。……ただそれは、そこの花鳥風月部の餓鬼も祓ってからの話ですがね」
“ニヤぁ!!”
大人の血を吐くような怒号も、今のニヤにはいっそ勲章ものだった。
「今宵、此度をもって、百鬼夜行に潜む魔を完全に消し去ります。……お叱りは、後ほど如何様にもなさってもらって結構ですよ」
理解も、同情も、憐憫も、一切必要ない。彼女が百鬼夜行の平和を希って突き進む覇道は、蒼い炎となって、城塞砲を再び満たし……轟いた砲撃は、クユリだったモノ諸共、シュロを巻き込んだ。
――かに錯覚したのは、ほんの刹那。
「……ア〜ア、本当二、人間ッテオ馬鹿サンダネ」
骸となったはずのモノから、どす黒い炎のようなナニカが蒼炎を包み込み、瞬く間に塗り替えすようにして本館へと殺到した。
迫りくる黒の復讐の炎を前にして、ニヤは自嘲気味に、しかしどこか満足気に薄く笑った。
「役者不足、ですか」
陰陽部本館の天守閣が丸ごと抉り取られるのに、瞬き一つも必要なかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
“――逃げるよ!みんな、走って!”
「に、逃げるっつったって、どこに!?」
「とにかく遠くでしょ!あんたはそこのガキを!先生、ナグサ先輩をお願い!」
「な、何なのですの!?」
「……ぁ……クユリ……?」
怒号につぐ怒号、生存本能だけが、この場を切り抜ける最後の道標だった。
茫然自失となったナグサを先生が、恐怖で失神したらしいシュロをレンゲが抱え、ひたすらに走る。
振り返れば、そこはまさに地獄の深淵が口を開けている……としか形容しがたい光景が広がっていた。
ほとんど原型をとどめていないはずのクユリの身体は、完全に虚無に染まり、黒百合が辛うじて人を模したレベルの姿に変わり果てていた。
アレはもう、クユリではないと、まともな思考ができる者は察していた。
背後で膨張し続ける死の匂いから、我武者羅に遠ざかっていると、偶々合流して、こちらに向かっていたらしい修行部と忍術研究部、そしてニヤ以外の陰陽部であるチセとカホたちとかち合う。
「せ、先生……!ニヤ様が……ニヤ様が……!」
“今はあと!みんな、今はとにかくここから離れて!イズナたちは先に行って、百鬼夜行の外縁に避難してる人たちを百鬼夜行の自治区からも離れるように誘導して!”
「あ、主殿……っ、承知しました!部長、ツクヨ殿!」
「あ〜もう!先生殿、後でちゃんと話してよぉ!?」
忍者を名乗っているが故の流石の忠義か、四の五の言わず忍術研究部は持ち前の俊敏さを活かして、あっという間に先へと跳んで行く。
幾重もの死線をくぐり抜けてきた先生の直感が、背後の異常な気配に最大限の警報を鳴らしていた。持ちうる手段を使って、全力で逃げなければならないと。
それこそ、色彩のような――
「――ッ、せ、先生!神木が……!」
少し前を走るミモリの引き攣った悲鳴が、否応なしに一同の視線を振り返らせた。
神々しく、年中桜が狂い咲く百鬼夜行のシンボルである神木。その巨木は汚水を吸い上げたように変色し、桜の蕾は六つの黒い花弁を開いていく。
華が揺れる度に、黒い鐘が祝福するように揺れ、死の匂いを振り撒く。
その侵食の中心にいるナニカ――黒百合そのものが、嗤った気がした。
それと同時に、ナグサ、キキョウ、レンゲが一斉に胸を抑えてえずきはじめた。
「あ……ぐっ…!?な、なにこれっ……!」
「な、なん…だよ!声が……!」
「クユリ……?クユリ……なの…っ?」
少し遅れて、それは先生にも伝播した。胸から、何かが突き破ろうと暴れるような感覚。頭に鳴り響く、毒のように垂れ流される囁き。
フラッシュバックのように流れるのは、いずれもクユリとの思い出。そこで抱いた感情が、際限なく膨らんで、靄となって染み出していく。
その靄は幾つものヒトガタとなって、百鬼夜行の至る所を彷徨い始める。
頭部が完全に花と化しているヒトガタの異形は、痛みに悶える一同をも取り囲み始めていた。
影響の少ない修行部とカホとチセが咄嗟に前に立つものの、生命を感じさせない動きとその悍ましさに手が震えるのを抑えられるほど、肝は据わっていなかった。
「先生、皆さん…!大丈夫ですか!?私たちが食い止めますから、早く……!」
“だめ……だよ。みんな、私のことはいいから……!”
そうこうする内にも、街道を埋め尽くさんばかりに湧出した異形が、不規則に押し寄せてくる。
生徒の身が第一な先生は、大した抵抗になりもしないと分かりきっていても、苛む声を振り払って立ち上がろうとした――その時だった。
「――救護ッ!!」
ゴシャリと、鈍い音ともにラウンドシールドが異形の集団に突き立った。
“ミ、ミネ……!?どうしてここに……”
「ご説明はお互い後にしましょう!セリナ、セイア様!先生方を救護車両までお連れしてください。ここは私が持たせます!」
「やぁ先生、再会を喜ぶのは暫し後にしよう。しっかり掴まっているんだよ、何、こう見えても君よりは頑丈なのでね」
“せ、セイアまで……”
有無を言わせない勢いで、先生やナグサたちが運ばれていく。一騎当千の如く異形をちぎっては投げ、ちぎっては投げる蒼い天使の姿も去った頃には、全員が百鬼夜行の自治区を離れていた。
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「哀シイネ、結局アナタハ赦サレナカッタ。理不尽ダネ、恨メシイネ。全部、ドウデモヨクナッチャッタネ」
クロユリは甘く語り、騙る。
聞こえているかもわからない、かつての宿主へと。
「アナタニ、最初カラ居場所ナンテナカッタ。アナタガ大好キナ世界ハ、アナタヲ愛シテクレナイ。前世モ今世モ、アナタニ愛サレル資格ナンテナカッタネ」
黒く染まった大樹の頂に立ち、醜く滑稽で……鬱くしい百鬼夜行を愛しむように眺める。
「デモ大丈夫。アナタノソノ感情ハ、私ガ返シテアゲル。全部黒ニ染メテ、燃ヤシ尽クシテシマオウ?」
至る所に異形が彷徨い、神木から伸びた根が黒百合を咲かせる。
クロユリが手を掲げれば、各地の異形の頭から靄が延び集っていく。
「アナタガ曇ラセヲ通シテ育テタ感情……恋慕、嫉妬、呪イ、復讐、恨ミ……全部、無駄ニハシナイヨ」
雪のように純白なヘイローは、脈動する漆黒の華に。
生徒としての定義が、根本的に書き換わった。
「……ソウ、ソレデイイ。人ノ想イガ導クコトデ成セル、神秘ノ
クロユリの根源たる復讐の念は、ここではない遥か先の黄昏しか映していない。
全ては、自らを封じ、管理し、常に上に立つあの九尾を下すために。
「サァ……クユリト、ソノ子供タチ、私ト一ツニ。己ガ力ヲ見セツケマショウ?」
集約し、突き伸びた黒き柱はキヴォトスの宙を割り、裂き、黄昏の孔をこじ開けた。
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「クックックッ……神が与え給うたかもしれない、千載一遇の機会を、掴むことは出来ませんでしたか。この物語、行きつくところまで行くかもしれませんね」
また別の黒い大人は、余計なお世話をはたらくべく、その身を闇に溶かした。
「私は生憎、悪い大人なのでね。ククッ」
世界は、赦しちゃくれなかったみたいですね。
最終章「かつての芽吹きを愛しんで」
to be continued...