自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー   作:藍終

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全てが壊れ始めた日


2話分のボリュームになっちゃった…


崩幸の大雪原

 

 百花繚乱紛争調停委員会の屋敷の一室、昨夜学院をあげて開催されたお祭りがあったとは微塵も思えない程、重苦しく緊張に満ちた空気が場を支配していた。

 

 事の原因は今朝、慌ただしく駆け込んできたキキョウお抱えの、情報収集能力に優れた百花繚乱の一般部員による報告だった。

 

 どうやら昨夜の祭りの最中、人混みに紛れて拐ったらしく消息を絶ってからしばらくして、人質を取った旨の脅迫文が送り付けられたとのことだった。

 

 

 しかも、人質を返す条件としてアヤメ一人で来いと要求してくるあたり、よくない事を企んでいるのは明白だった。

 

 百花繚乱の重鎮が揃い踏みする中、私は隣の幼馴染に声を掛けた。

 

「……ねぇ、アヤメ。どうするの?…まさか本当に一人で行かないよね…?」

 

「勿論私一人で行くよ。花鳥風月部が何を企んでるか知らないけど、人質になった子の安全が最優先だから」

 

 そう間髪入れずに答える様子はまさに、百花繚乱の委員長としての風格を纏っていた。

 

 

 でもどこか、何かに駆られているような、そんな危うさを今のアヤメからは感じる。私がいつも頼ってばかりとはいえ長い付き合いなのだから、それくらいの変化はわかっているつもりだ。

 

 なんとなく嫌な予感がしてきて、私は半ば必死に引き留めようとした。

 

「だ、駄目だよっ……。あいつら何をしてくるか全然わからないし、絶対に罠だと思うから……」

 

「だからってその子を見捨てるわけにはいかないでしょ?それに、何をしてくるかわからないこそ私が一人で行くのが最善。余計な刺激を与えるかもしれないからね」

 

「ど、どうしても行くって言うなら、私も……」

 

 

「それは絶対に許さないよ、ナグサ」

 

「っえ………」

 

 

 今まで聞いたことがないほど冷たい声が、アヤメの口から発せられ、私だけでなくその場にいたキキョウやレンゲさえも身体を固くした。

 

 

 一瞬痛いほどの静寂が流れ、再びアヤメが口を開いた頃にはいつもの、明るいアヤメに戻っていた。

 

「…ってごめんね〜。私もそれなりに焦っててさ。今までこんなことなかったからちょっと怖くなっちゃったかもね…」

 

「え……あ、うん……」

 

「でも、やっぱり、私は一人で行くことにするよ。もし本当の狙いが私じゃなくて、この百鬼夜行だったら、守りが薄くなっているところを狙われるかもしれない…」

 

 そこで一呼吸し、私やキキョウ達をぐるりと見渡す。

 

「そうならないためにも、皆にはここに残っていてほしい。百花繚乱の委員長としてお願いしたいかな……」

 

 そんな事を言われては何も言い返せない。私だけじゃない、ここにいる誰もが歯痒い思いを飲み込んでゆっくりと頷く。

 

 そんな様子を見たアヤメは、暗い雰囲気を吹き飛ばすようにぱちんと手を打ち合わせ、あの誰もが惹かれるような笑顔を振りまいた。

 

「だ〜いじょうぶだって!私だって力で順位が決まる部の委員長やってるんだから、心配いらない!それに私には『百蓮』もあるからね。返り討ちにしてきてあげるよ!」

 

 

「ふふっ、そうだ…、アヤメ先輩ってそういう人だった…。仕方ないね、街の防衛は作戦参謀の私に任せてもらうよ」

 

 キキョウの言葉を皮切りに、百花繚乱はまた一丸となって動き出し始めた。

 

 彼女は確かに無愛想で威圧的な一面もあるが、それ以上に優しく、義理堅い。加えて常に冷静な判断を下す指揮官としてのカリスマも持ち合わせている。

 

 彼女がやると言ったら、それはアヤメに次ぐ百花繚乱の総意にもなった。

 

「レンゲ、あんたは私の指揮下で動いてもらうよ。ただでさえ未知数な奴らが相手なんだから、余計な行動をしてほしくないからね」

 

「ったく、どうしてお前はそう余計な事を…。まぁいいか、アタシを上手く使ってくれるのはキキョウくらいだし、やってやるさ!」

 

「ふん……、あ、ナグサ先輩とクユリも私の指示に従ってくれると嬉しいんだけど…」

 

 

「……え、う、うん。構わないよ、キキョウなら安心して任せられるし」

 

 唐突にこちらに話を振られて少し驚いてしまったが、特に迷うことなく肯定の意を示す。

 

 隣を見るとクユリもぎこちない笑みを浮かべながら頷いていた。

 

 この会合中、クユリは今まで一言も喋っていない。ずっと何かを思い詰めているように一点を見つめ、時折吐き気を催したのか口元を手で覆ったりしていた。

 

 辛いのだろう。クユリは優しいから、人質になった子のことや、アヤメに万が一の事が起こったことを想像してしまっているのかもしれない。

 

 私に出来るのは大丈夫だよとその小さな背中をさすってあげることくらいだった。

 

 本当はアヤメについていきたい。副委員長として、幼馴染としてその大きい背中を支えていたい。アヤメの為ならどんなに辛くても強いナグサを演じていられる。

 

 

「ナグサ先輩まで……。はぁ、そこまで信頼されてるならそれに応えるのが私の矜持ってものかな……」

 

 そう言って照れくさいのか、そっぽを向く様子に思わずくすりとしてしまう。

 

 いい意味で緊張がほぐれてきたところで、アヤメが場をまとめるように再びぱちんと手を叩いた。

 

 

「よし、そうと決まったら各自行動!それぞれができる最善を尽くすこと、勿論私もね!花鳥風月部の思い通りにはさせない!それじゃあ解散!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、アヤメが単独で大雪原に向かったのを見送った後、私はクユリと一緒に百鬼夜行の敷地を警備してまわっていた。

 

 キキョウによると私達姉妹はレンゲと違って、思い思いに動いてもらったほうがいいらしい。

 因みに、そんな事をレンゲの目の前で言うものだから、レンゲの眉がひくついていた。

 

 

 今のところは何事も起こる気配はない。他の百花繚乱のメンバーからも特に異常が発生したという報せはない。

 

 このまま何事も起こらなければ、後はアヤメと人質の子の無事の帰還を願うだけだ。

 

 正直、胸騒ぎが収まったわけではないし今からでもアヤメのもとに駆けつけたい。

 

 あのアヤメのどこか必死な表情…。むちゃをしてなければいいんだけど……。

 

 

 そんな悶々とした気持ちで歩いていると――

 

 

「………ねぇ、お姉ちゃん……」

 

「うん?どうかしたの、クユリ?」

 

 この警備活動中もどこかうわの空だったクユリが、ふと歩みを止めた。ここまで終始うつむき気味に私の後をついてきていたから、クユリのことも心配だったのだが……。

 

 どこか悲壮な決意を帯びた目でクユリは衝撃的な提案をしてきた。

 

 

「お姉ちゃん、やっぱりアヤメさんを追いかけよう!今からでも遅くない」

 

「……え?で、でもアヤメはついてくるなって…」

 

 あの時のアヤメの気迫には正直気圧されてしまった。あんなアヤメは今まで見たことがなかったから、不安でも従うことにしたのに…。

 

 私がそう返すと、自身の想像が現実になってほしくないと言わんばかりに身体を震わせながらクユリは語る。

 

「考えたんだ…。花鳥風月部の目的はアヤメさんの陽動なんかじゃなくて、やっぱりアヤメさん本人なんじゃないかって。 お姉ちゃん、この前アヤメさんが襲われた事があったでしょ?」

 

「う、うん。付喪神がアヤメを拘束してて…」

 

 あの時は間一髪だったと今でもホッとする。しかし、クユリは詰め寄るように問うてきた。

 

「あの時は深く考えなかったけど…、どうしてあんな数の付喪神が突然出現したんだと思う?」

 

「………あっ」

 

 

 そうだ、幻魎付喪神は決して何もないところから自然に湧き出るような存在じゃない。付喪神達が出現する時には決まって居るやつがいる。

 

「花鳥風月部…」

 

 私がそう呟くとクユリは一層顔を強張らせて頷いた。

 

「そう、あの時は色々あったから正常に思考がまわらなかったんだろうけど、考えてみればおかしかったんだ。因縁のアヤメさんをいつでもどうにでも出来る状況だったのに、私達が駆けつけてくるまで拘束させたままだった」

 

「それは…そうだけど……」

 

 ならば、本当の目的は一体なんなのだろうか。クユリはそんな疑問を読み取ったかのように畳み掛けてくる。

 

 

「…思い出して、あいつらの武器は付喪神達が本命じゃない。あのよく回る口だよ。人の心を圧し折ろうと巧みにこちらの弱みを抉ってくるあの口八丁」

 

 

 ここまで言われてようやくクユリの懸念が何なのかが理解できた。

 

「……もしかして、アヤメもあの時花鳥風月部からなにかを……」

 

「…吹き込まれた可能性が高いと思ってる。お姉ちゃんをカバーする為に周囲を警戒してたとき、ほんの一瞬だけど……小さな人影が跳び去っていくのが見えたの。錯覚かと思ったけど、今考えればそいつが張本人だったんだ…」

 

 悔しさの滲む声でそう呟くクユリ。

 

 私の中で何をすべきなのか、その結論は出ていた。

 

 

「クユリ、クユリの言う通り今からアヤメを追いかけよう。

幸いここは大雪原に近いから、すぐに追いつける」

 

「お姉ちゃん…!」

 

 

 互いに頷き合い、全力で駆ける。もし杞憂ならそれが一番だ。そうなった時は素直に怒られよう。そもそも、アヤメがいなければ怒られることもなくなってしまう。

 

 それに、アヤメは百花繚乱の委員長として“お願い”はしても“命令”はしてない。

 

 

 

 ――どうか、どうか無事でいて…アヤメっ……!

 

 

 

 

 気づけば辺り一面が銀世界の大雪原へと変貌していた。

 

 季節を問わず雪の溶けない不思議な土地であり、黄昏の寺院が存在する神聖な域でもある。

 

 息を整えながら周囲を見渡すと、地面に積もった雪が不自然な形をしている。

 人の足跡だ。

 

「まだそんなに経ってない…お姉ちゃん!」

 

「うん、行こう!」

 

 体に付きまとう冷気を振り払うようにして、幼馴染の残した足跡を辿る。

 

 

 

 しばらくして澄んだ空気が運んできたのはーーー

 

 

 

 

 この世のものとは思えない甲高い叫び声と、悍ましい獣の声、そしてこの銀世界ではありえないほどの熱風だった。

 

 

 

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵✵✵

 

 

 

 

 

 

 百花繚乱の屋敷を離れ、自分でもよくわからない感情に突き動かされながら大雪原へと到着する。

 

 とは言っても、大雪原そのものがかなりの広さであり、花鳥風月部からの手紙にも詳細な位置は記されていなかったため、ひたすら駆けずり回ることになるのも覚悟していた。

 

 ただ、その必要はなかった。

 ご親切なことに付喪神が一定間隔で配置されており、倒しながらそれを辿っていく。

 

 雪をかぶった木々による幾重もの分かれ道を敵がいる方に向かって進んでいく。

 

 勿論罠の可能性だってあった。或いは時間稼ぎをして百鬼夜行に襲撃を仕掛けているのかもしれない。

 

 ただもしそうだったとしても頼れる後輩達やクユリ、何よりナグサがいる。

 それに、何となくだがこの先にこの騒動の黒幕がいると感じる。

 これも『百蓮』の使い手として認められたことの影響なのかもしれない。

 

 

 そんな事を考えながらひたすらにあちらの誘導に乗り続けていると、気がつけば大雪原の中でも一際小高い丘のような場所に着く。

 この大雪原はそもそも雪山のように中央に行くほど傾斜がついてくる地形で、いわば山登りの休憩ポイントみたいな場所が幾つもある。そこは大抵、このように平らな地の広がるちょっとした広場になっているのだが………。

 

 周りを見渡しても付喪神の姿がないことから、ここがその地点なのだろうけど、そこには人質の子どころか花鳥風月部の姿すらない。

 

 一見騙されたかと思われるかもしれない状況。

 

 

 そう、私以外なら―――

 

 

「そこにいるのはわかってるよ。大人しく出てきたら?」

 

 何もいないように見える空間に銃を向けそう言い放つ。

 

 しばしの静寂の後、その空間がグニャリと歪み始める。

 ソレはたちまち二つの人の形を型取り、じわりと色素が滲み出してくる。

 

 一つは見覚えのある小柄で人を嘲るような笑みを浮かべた少女に。

 

 もう一つは、まるで蜘蛛が人間の姿で花魁になったような、妖艶でかつ浅黒い肌も相まって本当に生きているのかも怪しい不気味さをもつ女性となった。

 

 前者はともかく後者は今まで見たことがない。

 

 ただ、その異質な風貌から放たれる気配は只者ではないと本能が確信するほどだった。

 

 ただ、私も百花繚乱の委員長。僅かな動揺を抑え込み余裕を持って未知の人物に問いかける。

 

 

「あなたは初めて見る顔だけど…、シュロといっしょにいるってことは花鳥風月部ってことであってる?」

 

 よくて新入り、最悪の場合こいつは――――――

 

「そうさね…。思えばこれが初の顔合わせ、名乗らぬのは些か失礼だったねぇ」

 

 赤黒い眼を妖しげに細め、手に持っていたオペラグラスを着物の中にしまい込みながらこちらに一歩踏み出してくる。

 

「我が名はコクリコ。薄々感じているかもしれないが、花鳥風月部の部長をやらせてもらっている」

 

「……でしょうね、いかにもって感じの格好だしそうなんじゃないかなとは思ってたよ。むしろ、そこのちんちくりんが実は部長とかだったら笑ったのに」

 

「なっ…手前ぇ、よくもコクリコ様の御前でそんな事を…」

 

「……まぁ、そこのシュロがそう見えるのも仕方あるまい。愛しいやつではあるが、いかんせん餓鬼っぽいのは我も思っているからねぇ」

 

「コ、コクリコ様ぁ〜、手前は決して餓鬼なんかじゃありませんてばぁ…」

 

「……本当、どうしてお前は何時もそうなのかね…」

 

 そう言って呆れたようにため息をつくコクリコ。口先の人心掌握を得意としているシュロよりも立場が上なだけあって、ちょっとやそっとの煽りじゃ動じない。

 

 ただ、こちらとしてもこれ以上は無駄話をする時間も余裕もない。速やかに本題に話を移す。

 

 

「それで?条件通り私一人でここに来た。あなた達の目的は知らないけど、約束通り人質の子は返してもらうよ」

 

 

 まずは人質の子の救出が先、こいつらを倒すのは人質の安全が確認されてからでも遅くはない。

 

 そう言うと、コクリコは人質の存在を失念していたのか一度首を傾げ、やがて思い出したかのように頷いた。

 

「あぁ…、そんな奴もいたかね…。勿論、風流を重んじる怪談家として約束は違えないよ。 シュロ、取ってきてやりな」

 

「はい!コクリコ様!」

 

 シュロがこちらを一睨みした後、踵を返して斜面を下っていく。

 

 完全にシュロの気配も消え、肌を刺すような冷気を帯びた風が互いの髪を靡かせる中、因縁の部同士の委員長が対峙した。

 

 私は皮肉混じりにコクリコに語りかけた。

 

「取ってこいなんて……、まるで人間を玩具か何かとでも思ってるの?神様にでもなったつもり?だとしたら滑稽極まってるね」

 

 

 シュロのような怪談家と下手に話すべきでない事をこの時の私は忘れていた。

 

 

「何も全て間違っているというわけでは無いさね。我らは物語を語り、創る存在。その所業たるやそなたの言う神と何ら変わらないと思うがねぇ…」

 

「へぇ~、じゃああなた達は自分の創ろうとしている物語すら満足に書き上げられない未熟作家だったわけだ」

 

「フッ…、シュロから聞いてはいたが、だいぶ気の強い奴さね。まぁ、一つ言わせてもらうなら、物語に必要な要素がたりていないのさ」

 

「ふ〜ん、それが私ってことなんだ…」

 

「その通りさね。さて、戯れもこのあたりにして我の本題に入るとするかねぇ」

 

 空気が一層重くなった。

 

 冷気のお陰で本来はとても澄んでいるはずの空気が粘液性を増したかのような、粘っこい威圧がコクリコから溢れ出すのがわかった。

 

 思わず身構えるが、そんな私を見てコクリコは肩をすくめる。

 

 

「とは言っても、特段何かをするわけではないさね。こうして人質をとったのも…七稜アヤメ、そなたと面と向かって話したかったからなんだよ」

 

「……へぇ、何?これまで迷惑をかけてごめんなさいとでも言うつもりなの?悪いけど――――――」

 

 

「――御稜ナグサ」

 

「ッツ! ナグサがどうかしたの…?」

 

 思わず身体が固まる。まさか、やっぱりこうしている間に百鬼夜行が……?

 

 そんな疑念を察したのかコクリコはやれやれと首を振った。

 

「心配せずともあちらに手は出しておらぬ。先も言っただろう、我はそなたと話す為にわざわざ人質を取ったのだと。まずは話を聞け」

 

「……それで?言っておくけど、ナグサは私なんかよりもずっと――」

 

 その瞬間、コクリコがまるで巣にかかった獲物を見るような、そんなゾットする表情をした。

 

 

「百花繚乱の委員長に相応しい、若しくは、私なんかよりもずっと強い。そう言いたいのだろう?」

 

「なっ……!?」

 

 蜘蛛が巣に絡まった獲物を手繰り寄せる。

 

「そんなことは重々承知だとも、傍から見てもそれは一目瞭然。そなたが百花繚乱の委員長でいられるのはその『百蓮』とかいう銃一つのお陰だということも」

 

「……何が言いたいの?」

 

 これ以上はダメだと、頭の何処かで叫ぶ声が聞こえるが止められない。

 

 一度絡みついた糸は獲物を捕らえて逃がさない。

 

「悔しいと、寂しいとは思わないかえ?何時も弱々しく、何をするにも自分の後ろにくっついて来てくれたような奴が、急に実力面で追い抜いていく。唯一弱いままだった精神面も、妹の存在によってそなたに頼らなくとも行動できるまで成長した」

 

 

 それは事実だ。昔のナグサと比べて見違えるように強くなった。それが誇らしく、嬉しいと思う気持ちは嘘じゃない。

 

 でも―――――――――

 

「最早、御稜ナグサにとって、七稜アヤメという子守は必要なくなった。もっと言うなら、そなたがわざわざ“守ってあげる”必要はなくなった」

 

「ッ!そんな言い方―――」

 

 

 それではまるで、私がナグサを好きで守っていたみたいじゃないか……。

 

「違わないだろう?つまるところ、そなたは自分より下の能力の存在を庇護するという事に満足…、いや、そんな自分に酔っていたのではないか?」

 

「そんなわけ――」

 

 思わず反論しようとするが、コクリコは―蜘蛛は獲物の抵抗を許さない。

 

「違うというのなら、何故馬鹿正直に一人で来たのだ?人質の安全の保障のためか? たしかにそれもあるだろうが、そなたの本心は……」

 

 やめてくれ。

 

 ここにたどり着くまでに感じたあのよくわからない、焦りにも似た感情…。

 

 

 

「一人だけでこの騒動を解決し、自分はまだナグサにとって頼れる存在であり、ナグサよりも前を歩く存在であると誇示したかったのではないか?」

 

 

「………………」

 

 

 何も言い返せない。 違うと、私はそんな醜い気持ちでナグサと接していたわけじゃないと声を大にして叫びたいのに、喉が、口が寒さでくっついてしまったかのように動かない。

 

 

「何も言い返せないとは憐れなことだ…。いや、むしろ気づいていないふりをし続けた代償と思えばそれも当然のことかねぇ」

 

 

 何も頭に入ってこない。自ら被っていた仮面が音を立てて崩れていく。

 

 

「まぁ、極めつけは御稜ナグサが誰にも頼らなくなったわけではなく、よりにもよって身近な御稜クユリという存在に信頼の矛先が向いたことかね…。そなたよりも幾分も能力が劣るくせに、ナグサはそなたからクユリへと鞍替えした。これほど惨めな奴は見たことないよ」

 

 

 それはそうだ…。確かにクユリは強いし基本誰にでも優しい。でも、私はクユリよりはもっと強い。どうしてわざわざ弱いクユリに頼るんだろう…。

 

 

 一度溢れ出した黒いモノは止まらない。

 

 

 

 私はこれまでナグサを守って、導いてきたのに、少し成長したらもう用済み?それだけならまだしもその席にどうしてクユリが座るの?

 

 これじゃあ、私が頑張って完璧な頼れる幼馴染を演じてきたのが馬鹿みたいじゃないか。

 

 私だって元からこんなじゃなかった。

 ちょっと明るいだけの普通の子供だった。

 

 そんな私でも、ナグサの助けになれるとわかった時は、とても嬉しかった。大して才能もない、どこにでもいるような平凡な私を頼ってくれる。その事実が、私の中のナニカを満たした。

 

 ずっと、これからも私がナグサを導いて、守り続けるんだと………。

 

 

 それが、その均衡が崩れて私は何を思った?

 

 ――■■■。<悲しい。>

 

 ――■■■■■。<いやだ。>

 

    ――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。<ナグサを支えることが私の取り柄なのに。>

 

 ――■■■■■■■■■■■■■。<負けたくない。>

 

 ――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

<常にナグサを守る側でありたい。>

 

 ――■■■■■■■、■■■■■■。<ナグサが私を見てくれなくなるのは、いやだ。>

 

 

 

 

 ――<なんだ、私はとっくに必要なかったんだ。>

 

 

 

 

 最初から私は、ナグサのことを自分の欲望を満たすためだけの道具にしか見てなかったんだ。

 

 自分より下の存在を助けて、そんな自分は凄いと優越感に浸っていたのかもしれない。

 

 愚かにもそんな私を見て見ぬ振りをして、いつしか頼られるために演じてきた、完璧な七稜アヤメという仮面が肌と同化してしまっていた。

 

 この痛みは、そんな仮面を、コスプレを無理矢理剥がされた痛みだ。

 

 本来の醜い私を知られるのが怖くて、嘘をつき続けてきたその代償がかえってきたんだ。

 

 

 

 

 私は…、とっくにバケモノになっていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 気づけば、私が私である証でもあった『百蓮』は手の中から滑り落ち、両膝は地についていた。

 

 もう立ち上がる気力すらない私を見て、コクリコが満足そうにその口を開いた。

 

 

「ふむ、大層な感情を抱えているとは思っていたが、まさかここまで黒いとはねぇ……。見てみな、これがお前の感情さね」

 

 ノロノロとした動きで首だけをあげると、コクリコの隣にはおよそ人形とは思えないほど大きい和風の人形がいつの間にか佇んでいた。

 

 私と同じ黒髪を生やし、脳を震わせるような不快な叫び声をあげるソレ。

 

 ソレは、間違いなく私そのものだった。無意識に押し込めてきた私の闇が一つのカタチになって顕現したものなのだと、一目見ただけで理解した。

 

「此奴はそなたの感情そのもの。なればそなたの望むものを齎してくれる。きっと七稜アヤメにとって、都合のいい御稜ナグサを与えてくれることさね…。無論、その道を阻むものはどんなものであれ焼き尽くすだろうけどね。たとえ、御稜ナグサが心の拠り所にしているあの妹でさえも…」

 

 

 ――それは、本当にいいのだろうか?

 

 私が堕ちるのはまだいい。こんな私がいなくたってナグサには、百花繚乱には何の影響もない。

 

 

 でも、欲望のままナグサを貶め、クユリや皆に迷惑をかけるのは違う。

 

 これは私の闇だ。だからこそ、私の責任は他でもない私が全て背負わなければならない。

 

 

 まだ、こんな私でもやれる事は、やらなきゃいけないことはある。

 

 

「……そうだね、確かに私は醜いよ。それこそ反吐が出るくらいに……」

 

 『百蓮』を再び手に取る。

 

「私はもうバケモノだ。でも、そんな私にだって譲れないことくらいはあるの…!」

 

 たとえ、私の醜さの源だったとしても、百花繚乱の皆を、クユリを……、ナグサを守りたい気持ちは本物で、嘘偽りのない感情なんだ。

 

 

 震える膝を叱咤し、自分をかたどった人形とコクリコに対峙する。

 

「……驚いたね、そこまで怪談に堕ちていながら立ち上がるとは。 もう手遅れだというのに憐れなものだ」

 

 せめて、この醜い自分を殺し、花鳥風月部を終わらせてこの百鬼夜行を―百花繚乱を守ることが今の私に残された最期の使命。

 

「せっかくお膳立てしてやったのにねぇ…。どうしてこうも綺麗に終わらないものか。風流のわからない奴は嫌いだよ」

 

 

 コクリコがそう呟くと同時に、人形から途轍もない熱波が吹きつけてきてたまらず私は吹き飛ばされる。

 

 全身が焼け爛れるような痛みに襲われ、視界が滲むがそれでも『百蓮』を支えにして立ち上がる。

 

 そんな私を見て流石に苛立ったのか、若しくは呆れたのか眉を顰めたコクリコはくるりと後ろを振り向いて言った。

 

「シュロ!もう戻ってきてるんだろう、後はお前に任せることにするさね」

 

「コ、コクリコ様!人質のこいつはどうしましょう?」

 

「適当にそこらにでも放っておけばよかろう」

 

「わかりました!」

 

 

 いつの間にか戻ってきていたのか。シュロが回収して来たらしい気絶している人質の子をまるでゴミのように扱う様子に憤りが再燃する。

 

 やはり、こいつらは私が刺し違えてでも仕留めなければならない。

 

「へぇ~、都合の悪い物語は見たくないって?風流を重んじる花鳥風月部の部長様が、とんだお子ちゃまなんだね」

 

「なっ!手前ぇ…コクリコ様になんてことをッ!」

 

「構わんよ、シュロ。七稜アヤメ、そなたがそこまで言うのだ。ならばそれを実力をもってその物語を完成させてみるがいいさね」

 

 そう言ってコクリコが遠ざかっていく。すぐさま追おうとするが、目の前に瞬き一つの間に無数の幻魎付喪神が現れる。

 少し離れたところからシュロの声が響き渡る。

 

「アハハッ!手前様がコクリコ様に意見しようなんて、身の程知らずにも限度がありますぅ〜。この手前が、その堕ちきった身体を完全な百物語にしてみせましょう!」

 

 シュロが持つ一冊の本が一際大きく輝くと、幻魎付喪神達の中央に、背丈の何倍もの大きさの影が染み出してきた。

 

 それは次第に形を変え、二股の尻尾をもち、口と思わしき部位を花のように裂けさせながら咆哮する一匹の獣となった。

 

「幻魎百物語のクロカゲ!手前のとっておきですよぉ〜、是非とも楽しんでくださいねぇ」

 

 

 ご丁寧に解説してくれたお陰でアレがなんなのかがわかった。

 

 幻魎百物語……幻魎付喪神の上位互換のような存在だがその本質は全くの別物で、私の『百蓮』でしか攻撃が通らない。そして非常にタフだ。

 しかも、今は付喪神達も無視するわけにはいかない現状、クロカゲに割ける時間も弾薬もない。

 こうしている間にもコクリコは遠ざかっていく。

 

 そのことがわかっているからシュロも余裕そうに高みの見物を決め込んでいるのだろう。

 八方ふさがりとはこの事を言うのかもしれない。

 

 

 ―――――――――それでも、私は、今だけは………

 

 

「百花繚乱紛争調停委員会の委員長、七稜アヤメとして成すべきを成す!」

 

 たとえどんなに無謀で虚しい事かもしれなくても、諦める理由にはならない。

 

 堕ちた私のせめてもの償いだ。

 

 押し寄せる怪異達に向かって最初の一発を放とうとしたその瞬間――――――

 

 

 

「「アヤメッ(さん)!!」

 

 

 

 あの時、こんな私でも助けてくれたときと同じ―いや、それ以上の気迫の姉妹の声が響き、怪異達の波が側面から大きく弾け飛んだ。

 

 

 

 

「………ナグサ……クユリ……?」

 

 見間違えるはずもない。美しい銀髪を持つ儚げな姉妹が、雪原の雪を纏いながら、華麗な動作で付喪神達を蹂躙していく。

 

 本当に、いつの間にこんなにたくましくなったのだろう。

 

 一通り第一波を防ぎきったと見るや、ナグサが防衛をクユリに任せてこちらに駆け寄ってきた。

 

 

 そして、有無を言わせず抱きしめてくる。

 

 あぁ、出来ればこんな私を見ないで欲しい。こんな…醜い私でナグサを穢したくはないのに…。

 

 今、ナグサの頭には私の醜い感情の全てが流れ込んでいることだろう。

 一度堕ちた私はただの人の形をしたバケモノだ。

 

 軽蔑するだろう、失望するだろう、その果てに拒絶されるのが当然だ。

 その覚悟もできている。

 そう思う反面、私は涙が流れるのを止められなかった。

 

 

「ごめん…!ごめんねッ、ナグサぁ!こんなっ…こんな私で………ごめんねぇっ!」

 

 ただただ謝ることしかできない自分に腹が立つが、そんな事を考えてもいられなかった。責めて欲しくて、呪って欲しくて、無様に謝罪を繰り返す私にナグサは―――

 

「大丈夫…大丈夫だよ、アヤメ。私はアヤメを信じてる。 

私にとっては、どんなアヤメでも、頼れる大好きな幼馴染だから…」

 

 

 こんな…こんな醜い私でも肯定してくれるというの?

 本当に、この姉妹は―ナグサはどこまでも優しい。

 

 なおさら、私は―――

 

 

「…ありがとうッ……、ナグサ……私…」

 

「そこから先は、全部終わってから。アヤメは私に言ってくれたよね、腹を割ってぶつかり合えばなんとかなるって。アヤメも私も、全部話そう?アヤメが私のことを大切にしてくれたことは、紛れもない事実なんだから」

 

「うんっ…、ナグサ、お願い…助けて」

 

 この瞬間、私とナグサは真の意味で対等な関係となった。

 心からナグサを信頼した、最初で最後の助けて。

 

 それを聞いたナグサはとても頼りがいのある笑みを浮かべ、大きく頷いた。

 

「勿論!私は、私達は何をすればいい?」

 

 何度も聞いてきたナグサの頼り文句。

 

 でも、これまで一方的だった庇護と信頼からくるソレとは全然違うものだとわかった。

 

「ナグサ、この事件にはコクリコっていう花鳥風月部の親玉が関わっているの。そいつもシュロと同じで、この『百蓮』でしか倒せないと思う。でも、この大軍を相手している弾薬も時間もない…。だから――」

 

「私達がシュロとこいつらを足止めして、アヤメがコクリコを討つまで時間を稼げはいいんだよね?」

 

「さっすがはナグサ!」

 

 本当に、強くなったなぁ…。

 

 

 うん、これなら“私がいなくなった後”の百花繚乱も大丈夫。ナグサにはクユリもついてるし、後顧の憂いは絶たれた。

 

 

「ちょっとお姉ちゃん!?もうそろそろ手伝ってくれると嬉しいかな〜!特にこの黒猫、全然攻撃が効いてないし!」

 

 見るとクロカゲやあの人形が撒き散らす炎に巻かれながらも、クロカゲと付喪神の注意を一身に引き付けているクユリが目に入る。

 

 幻魎百物語のクロカゲは通常の銃弾では効果がないと早々に見破ったのか、付喪神を突き刺したまま直接攻撃することでクロカゲの注意を引いているらしい。

 同じ怪異同士なら接触の判定があるのは初めて知った。

 

 それはともかく、あまりクユリにも余裕はなさそうだ。

 

 大雪原特有の冷気はとっくに消え去り、ここら一帯は炎と熱風で噎せ返るような空気で溢れている。

 

 正直呼吸をするのも苦しいがそんなことは大した障害にはならない。

 

 隣に立つ頼れる幼馴染と目を合わせ、同時に頷き合う。

 

 

「行こう、ナグサ!」

 

「うん、一体もアヤメに触れさせないから!」

 

 

 

 

 特に合図をするわけでもなく、完全にシンクロした動きで怪異の大軍に突入する。

 

 クユリが大半を引き付けてくれているおかげで、最低限の数しか襲ってきていない。それも全てナグサが瞬く間に倒していくため、私はただひたすらに突き進むことに集中できた。

 

 後ろの方ではクロカゲの咆哮と人形の甲高い叫びが轟き、凄まじい炎の渦が巻き上がる様子が目に入る。

 

 思わず首だけをそちらに向けると、百花繚乱の羽織の至る所を黒く焦げさせ、美しい白い肌には火傷の痕が幾つも走っていてもなお、サムズアップしてみせるクユリがいた。

 

「行って!アヤメさん!」

 

 その仕草はどこか男らしくも感じられて苦笑してしまう。

 

 クユリは極稀にああいった一面を見せてくれることがある。そりゃあナグサも頼りにするし、シスコンになるわけだ。

 

 強く頷き返し、付喪神の波を掻き分けるようにしてただひたすらに突き進む。

 やがて―――

 

「手前のことを忘れてもらっては困りますねぇ〜!ほんっっとに気持ち悪い!せっかくいい締めで物語が完成しそうだったのに、どうしてそこまで醜く足掻くんですぅ〜!?」

 

 

 目の前から付喪神が消え、視界がひらけたところに箭吹シュロが待ち構えていた。

 

 心底不快そうに歯軋りをするその様子に幾らかせいせいするが、今はこいつよりも優先する事がある。

 

 無視して突き進もうとする私の前に当然立ち塞がるシュロ。

 

「人の話を無視するのはいけないことだって教わらなかったんですかぁ?幼馴染の事を都合のいいお人形としか見てないような手前ぇが――」

 

 お得意の苛烈な舌鋒を振るおうとしたシュロだったが、それを遮るようにダァンとナグサのライフルが火を吹いた。

 

 当然、その銃弾はシュロの体を通り抜け微塵も効果はない。

 

「手前もですか、ナグサちゃん…。手前も知ったでしょう?そこのアヤメとかいう傲慢で醜い人間の本質を。弱い人の前に立つことで勝手に気持ちよくなるような――」

 

「…それが何だって言うの?」

 

「………は?」

 

 シュロの言葉を今度は自らの言葉で遮ったナグサは、逆にシュロに立ち塞がるように一つ歩を進めた。

 

「たとえそういう目で見られていたとしても、私がたくさんアヤメに助けられてきたのは紛れもない事実だし、私にとって頼れる幼馴染なことに変わりはないよ」

 

 揺るぎない確固たる意志のこもった目でシュロを睨みつける。

 

「だって、そんな頼れる幼馴染を演じることができるくらい、アヤメは強くて優しいってことだから。どんな目的や気持ちだったかなんて関係ない!私はアヤメの隣にいられるならそれでいいの!」

 

 そう叫ぶやいなや、ナグサはシュロに突進しその体ごとシュロを抑え込んだ。

 見れば羽織の中に隠していたのか、消滅しかかっている小型の付喪神を間に挟んでいる。

 恐らくクユリの発想を瞬時に取り込んで実践したのだ。

 

 いくら力が弱い方とはいえ、ナグサとシュロでは体格差があり過ぎるためかナグサが完全に抑え込む形になっていた。

 

 だけど、それもあの付喪神が消えるまでの話だ。

 

「ナ〜グ〜サ〜ちゃぁああああああん!!!」

 

「グッ…!行って!アヤメ!早く!」

 

 ナグサの血を吐くような叫びに、私は止まっていた脚を動かす。後ろを振り向くこともせずただひたすらに駆けていく。

 

 ありがとう…ありがとうナグサ。

 

 

 お陰で――――――

 

 ようやく捉えた、あの花魁姿。

 

 悠々と歩を進めている背後に『百蓮』の必中距離にまで近づく。 

 

 

 私に気づき、驚いたように目を見開くがもう遅い。

 

 

 回避も防御も間に合わない。

 

 これまでの全てを終わらせる弾丸を『百蓮』のあぎとから放つ。

 

 

 それは一直線にコクリコへと吸い込まれ――――――

 

 

 

 ――――――コクリコの浅黒い身体を“すり抜けた”。

 

 

 

 

「――――――――――――っえ……」

 

 

 かすれた声が喉から漏れる。

 

 どうして?コクリコは間違いなく私の動きに対応しきれていなかった。何か特異な術を使う動作も時間もなかった。

 そもそも、『百蓮』はそういった奇々怪々な存在を撃ち抜けるため、仮に何かしらの手段を講じていても意味をなさない。

 

 目の前のコクリコが幻覚の類といった様子でもない。

 

 命中箇所には水面を撃った時のような波紋がひろがっている。確実に命中自体はしていた。

 

 

 なら、一体どうして………、

 

「な、なんで…………」

 

 呆然とするしかない私を見て、コクリコはだんだんとこらえきれなくなったように身を捩り始める。

 

 そして遂に決壊したのか、両腕をいっぱいに広げて嗤いだした。

 

 

「ふふふっ…、あっはっはっはっはっはっ!その間抜け面、最高に傑作さね!その顔を額縁にでも飾っておきたいほどさ…」

 

 妖艶な美貌を大きく歪めるコクリコを未だ事態を理解しきれないまま、見つめることしかできない。

 

 すると、ナグサの拘束から抜け出したシュロが追いついてきて叫んだ。

 

「コクリコ様!?ご無事ですか!」

 

 その発言から考えるに、シュロもこうなる事を知らなかったようだ。もし知っていたらあんなに妨害してくる必要もなかったといえばそれまでだけど…。

 

「ア、アヤメ?何が……起こったの?」

 

 すぐにナグサも追いついて来たが、同じく状況が把握できていないようだ。しかし、どこか悪い事態ではあることを察しているような声音だった。

 

 

 一方、当のコクリコはようやく落ち着いてきたのか、荒ぶった呼吸を整えて言った。

 

「はーっ……。こんなに笑ったのは何時ぶりかねぇ…。それにしてもシュロ、お前も知らなかったとは驚いたけど…まぁいいさね。種明かしをしてあげようじゃないか」

 

 いかにも余裕綽々といった様子で語りだすコクリコ。

 

「その『百蓮』とかいう銃であれば我に攻撃を通せると思ったのだろう?それ自体は間違っていないさね。我らにとって触れることすら危険な忌々しい銃であることは今でも変わらない」

 

 勝ち誇ったように講釈をたれ始めるが、何かをする気力も手段も根こそぎ奪われた今、大人しく聴き入るしか無かった。

 

「だが――考えてもみよ。我らをはじめとする幻魎百物語を討ち倒せる唯一無二の手段。それがもし我らの管理下に置かれたらどうなるか…」

 

「っあ…………」

 

 理解した、いや理解してしまった…。

 

「わかったようだね…。そう、もしそうなればそなたらに我らを攻撃する手段はなくなる。その対策として、わざわざ委員長の資格を持った者のみがソレを扱えるようになっているのだ。ただ―――」

 

 そう、私はとっくに……、

 

「そなたはとっくに、百物語へと堕ちている。自らの感情を一時にせよ認め、受け入れたのだから。なれば、そなたは百花繚乱の委員長などではなく、また『百蓮』を扱う資格もないということさね」

 

 

 

 バケモノになったんじゃないか。

 

 

 

 心がぽっきりと折れる音がした。

 

 私が百物語になったことに対してではない。

 それは自分でも薄々わかってはいたし、私の身体はもうもたないことくらい察していた。

 

 だから、刺し違えてでもと、一縷の望みにかけて最期の力を振り絞ったのに。

 

 

 それすらとっくに手遅れで、償いすら許されないと突きつけられた瞬間、ナグサやクユリのお陰でなんとか保っていたモノがバラバラと崩れていった。

 

 

 もしかしたら、私の感情が顕現したあの人形を完全に破壊できれば、私が百物語になることは防げたかもしれないが、クユリにそんな余裕はないだろう。

 

 何より、私は自らの償いに夢中で、コクリコを倒すことしか頭になかった。

 

 

 結局、私は最後まで自分のことしか見ていなかったんだ。

 

 

 

「ごめんね、ナグサ。私、もう無理みたい」

 

 精一杯の笑顔を浮かべてみせる。

 

 そんな私を見て、ナグサはいやいやをする子供みたいに首を振った。

 

「ま…まだ…、なんとかなるよ……。諦めなければなんとか……」

 

 だんだんと身体の制御ができなくなってきた。まるで、別のナニカに存在が書き換えられていくような、生物として激甚な恐怖が押し寄せてくる。

 

 それでも、身体を引きずるようにしてナグサのもとまでたどり着いて、『百蓮』を押し付けるようにして渡す。

 

「えっ……、アヤメ………?」

 

 困惑した、しかし頭の何処かでは私がしたい事を理解したのかボロボロと涙を流し始める幼馴染に語りかける。

 

「ほんとは百花繚乱の規則に則って、継承戦で実力を証明しなくちゃいけないんだけど……、“元”委員長の私が認めてるし、皆もナグサの方が強いってことはわかってると思うから、今回は特例」

 

「まって……、まってよアヤメ…。私はアヤメが委員長じゃないと……」

 

「最初は戸惑うかもしれないけど、慣れれば案外大した事ないからさっ!『百蓮』だって、ナグサにきっと応えてくれると思うしな〜んにも心配ないない!」

 

 涙が溢れそうになるが、それを必死に隠して明るく振る舞う。今の私に泣く資格はない。

 

「違うっ!違うの…、私は……、アヤメが前を歩いてくれたから、ここまで頑張れたのに……」

 

「またまた〜、ナグサは私なんかがいなくても十分やっていけるって〜。それに、どうしても辛かったら愛しのクユリがいるでしょ?」

 

 

「そんなっ……、クユリはっ…アヤメの代わりなんかじゃないよ!私はっ…アヤメが――」

 

 限界が近い、視界も狭窄してきた。もうあまり時間は残されていないのがわかる。

 

 百花繚乱の委員長が代々受け継ぐ資料に“黄昏”なるものがあることを思い出す。

 

 百物語化した者を余さず呑み込んでしまう未知の概念。

 

 きっと今の私にも――――――

 

「ア、アヤメ……?後ろになにか………」

 

 

 来た。身体が引き込まれるような引力を背後から感じる。

 

 私はいい。でも、ナグサまで巻き込まれるのは容認できない。

 

 最早ほとんど動かなくなった両腕を無理矢理動かして、ナグサをできるだけ強く突き飛ばす。

 

 

 制御を失った身体はその反動でゆっくりと後ろに倒れていく。

 

 

 

 

 

 

 全てがスローモーションのように感じられて――やがて、ドプリと粘液性のある液体に全身が包まれる感触がした。

 

 

 かろうじて動く目を動かすと、恐ろしいほどに何も無い。真っ暗というのも生優しい虚無が広がっているだけだった。

 

 私が落ちてきた境界面には、ナグサの顔が映っていた。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら何事かを叫び、次の瞬間、ナグサの真っ白な右腕が突き込まれた。

 

 

 高温の鉄板で肌を焼くような悍ましい音と白煙があがるが、それでもナグサは手を伸ばすのをやめない。不遜な行為の代償か、その右腕がたちまち炭化したように黒く染まっていく。

 

 やめて、もういいから、私のことは忘れて逃げて。

 

 そう言いたいのに、もう体は別のナニカに変わってしまったのか、ピクリとも動かずにただ沈んでいくだけ。

 

 

 もう意識を保つのも難しくなってきた。

 

 七稜アヤメという存在がアーカイブ化されるその瞬間。

 

 

「約束は!?帰ったら腹を割ってぶつかり合うって…あれはどうするの!?お願い、手を取って!」

 

 そんなナグサの声ははっきりと聞こえてきた。

 

 人間死ぬ瞬間はどんなに身体を蝕まれていようと、小康状態になる事があるらしい。

 

 今の私もそうなのかもしれない。

 

 さっきまで動かなかった口がわずかに動くようになる。

 

 

 これは私に与えられた正真正銘最後のチャンスだ。

 

 私はナグサを守りたい。たとえ醜くてもこの気持ちは本物というのなら、やるべき事はわかるはずだ。

 

 

「それなら簡単だよ」

 

 

 今まで偽りの自分を演じてきたんだ。

 

 

 傲慢にも、守りたいと願うのなら…

 

 

「私は――――――――――――」

 

 

 

 最後まで偽りを踊ってみせろ 七稜アヤメ。

 

 

「最初からあんたを友達だと思ったことなんてない」

 

 

 

 全てが虚無に包まれる。

 

 上手く突き放せただろうか。上手く演じられただろうか。

 

 願わくば、私に奪われた分、ナグサのこれからが幸多きものになりますように…。

 

 

 ――ごめんね……、ありがとう、ナグサ。

 

 

 一つの思考の泡が浮かんで、消えた。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵ 

 

 

 

 

 ――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 

 

 せっかく私もクユリに一歩を踏み出せて、アヤメともお互いに真にわかりあえそうなのに。

 

 

 花鳥風月部は倒せなかったかもしれないけど、アヤメがいるなら、いつでも何度でも立ち上がれるし、あの日常だって送れるのに。

 

 アヤメがいたから、アヤメが前を走っていてくれたから、私は―御稜ナグサは強くあれたのに。

 

 

 右腕が焼けるような痛みに襲われるが歯を食いしばって、ソレの中に手を差し伸べ続ける。

 

 

 約束はどうするの?アヤメが提案してくれたんだよ?ぶつかり合おうって……。

 

 私が成長できたのは間違いなくあの言葉があったから。

 

 もしアヤメも私に抱えてることがあるなら、全部話して―――

 

 

『それなら簡単だよ』

 

「っえ……?」

 

 何も無い空間から酷く冷たい声が響いてくる。

 

 

『私は最初からあんたを友達だと思ったことなんてない』

 

 

 

 

 右腕の痛みも、大雪原の刺すような冷気も何も感じない。

 

 ただ、アヤメに拒絶された。

 

 その事実だけが頭の全てを塗りつぶし、理性という理性を消し飛ばした。

 

「嫌……嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁあ!!アヤメッ!アヤメェェッッッ!!」

 

 最早動かなくなってしまった右腕をより深く突きこもうと深淵に身を乗り出す。

 

 半狂乱になったままの私さえも呑み込もうとする深淵。

 

 

 もう右腕の半分はとっくに呑まれているが止まれない。

 

 ゆっくりと身体が沈み始める。

 

 

 やがて、目の前が虚無に埋め尽くされて――――――

 

 

「お姉ちゃぁぁぁああああん!!」

 

 

 突如身体が後ろに引っ張られる。

 

 思わず振り返ると、いつの間にか追いついていたのか、間一髪のところで私の身体に後ろから抱き着くようにして引っ張っているクユリがいた。

 

 

 何よりも愛しい、かけがえのない妹の声と体温に自暴自棄になっていた思考が理性を取り戻す。

 

 急いで呑み込まれた右腕を引き抜こうとするが、一度捕らえた獲物を逃がさないと言わんばかりに中々引き抜けない。

 

「くううぅっ!お姉ちゃん!ちょっとだけ踏ん張ってて!」

 

「〜〜〜〜っ!ど、どうするの?」

 

 一瞬後ろから引っ張られる力が消え、必死に引きずり込まれないように踏ん張るために思わず目を閉じる。

 

 それから、すぐに伝わってきたのは“深淵があるはずの前”から押し出すような力と、何かを焦がすような音、そしてかけがえのない妹の絶叫だった。

 

 

「ひぎぃっっ!あああああアアァァァアアアアアッッッ!!」

 

 

「なっ…!何してるのクユリ!やめて!」

 

 クユリは後ろから引っ張るのでは不十分と考えたのか、私と深淵の間に自分の身体を滑り込ませて私を押し出そうとしていた。

 

 勿論そんな事をすればクユリもただで済むはずがなく、クユリのほぼ全身がソレに触れてしまっていた。

 

 接触面からは私の右腕の時と同じ白煙が立ち昇っている。

 

 右腕だけでも凄まじい痛みだったのに、それが全身ともなれば想像もできない激痛がクユリを襲っているはずなのに――

 

「いいからッッッ!お姉ちゃん!せーのでいくよ!せーーのッ!!」

 

 それを全く意に介していないように小さな体をいっぱいに使って押し出してくるクユリを見て、余計な思考を止めざるを得なかった。

 

 合図に合わせて全力で右腕を引き抜くべく力を込める。

 

 しばしの膠着の後、ズルリと真っ黒になった腕が露出し始める。

 

 

「「ああああああああああああああああッッッ!!」」

 

 

 焦れったいほどゆっくりと、しかし確実に右腕は引き抜かれ……、やがて全てがソレから離れた瞬間クユリと一緒に後ろに倒れ込む。

 

 深淵は獲物を逃した事を察知したのか、溶けるように跡形もなく消えていった。

 

 それを確認し、荒れた息を整えながら急いでクユリに声を掛ける。

 

「クユリッ!?大丈夫!?ごめんね、お姉ちゃんのせいでッ…」

 

「ふっ……ぐぅッ…あっ…!おっ……おねっ……ちゃ…」

 

「無理に喋らなくていいからっ!……少し辛いかもしれないけど我慢してね、すぐにお姉ちゃんが助けるから!」

 

 見ればクユリの全身にはどす黒い筋が幾重にも罅割れるように走り、特に接触面の背部は今だ白煙を上げ続けている。

 

 目をきつく閉じ、悶え苦しむクユリを見て胸がきつく締めつけられるが、一刻も早く対処をしなければクユリの身が危ないことは一目瞭然だった。

 

 左腕一本しか動かせないがそんなことは言ってられない。

 

 まず、百花繚乱の連絡端末でキキョウに通信を繋げる。

 

 

 「どうしたのナグサ先輩?」

 

 最初のコール音が終わらない内に声が聞こえてきたことに驚愕する暇もなく、必死に訴えかける。

 

「キキョウ、今すぐに大雪原に人を連れてきて!クユリがッ……クユリが大変なのッ!」

 

「ッ!わかった、大雪原ね!すぐに向かうからもう少し辛抱しててッ!」

 

 余計な質問をせずとも瞬時に状況を理解し行動してくれるのは、流石百花繚乱の参謀だと思った。

 

 

 端末をしまうのももどかしく、左腕をクユリの肩に回し、半ば引きずるようにして大雪原の入り口へと歩を進める。

 

 いつの間にか花鳥風月部の二人も、あれだけいたはずの怪談達も元から存在していなかったかのように消え去っていた。

 

 

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

「いいんですか?コクリコ様。わざわざ逃がしちゃっても……」

 

「…シュロ、お前も見ただろう?あのクユリとかいうやつを」

 

「はい……、でもそれが何か?」

 

「はぁ〜…。お前もまだまだだねぇ、もう少し賢くなってほしいものだけど……」

 

「うぅ、グスッ…ご…ごめんなさい……」

 

「そういうところだと言ってるんだがねぇ…。彼女が黄昏に一瞬にせよ全身を触れさせたのは見えていただろう?」

 

「は、はい…」

 

「本来ならその時点で抵抗すらできず百物語と化すのだが…、あろうことか、黄昏が彼女を拒絶するかのように弾き出そうとした。我にはそう見えてねぇ」

 

「て、手前にはそう見えませんでしたが……」

 

「ふふっ、まぁいいさね。いずれにせよ、逸材が見つかったことに変わりはない。あの罅の模様は―――」

 

「コ、コクリコ様?」

 

「全てを燃やす百物語、その大成に彼女は大いに役立つ。

 面白くなってきたじゃないかえ…ふふふっ……」

 

 

      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「大丈夫、大丈夫だよクユリ。もう少しだからね、お姉ちゃんがついてるからっ」

 

 

 冷たい大地を踏みしめ、ゆっくりと確実に大雪原の入り口を目指して一歩一歩進む。

 

 隣のクユリが痛みに苦しむ時は止まり、収まってきたら再び声をかけ続けながら歩きだす。この繰り返しだ。

 

 行きはよいよい帰りは怖いとはよく言ったもので、通ってきた道のはずなのに途方もなく遠く感じる。

 

 とっくに体力の限界は迎えているし、身体の節々がこれ以上動くなと痛みで訴えかけている。

 

 

 それでも、キキョウ達も向かっているという事実もあって私の心が折れることはなかった。

 

 

 

 

 

 突如、クユリが私の肩からズルリと滑り落ちるまでは。

 

 

「クユリ………?クユリ!?」

 

 急いで倒れ込んだ妹に駆け寄る。押し寄せてくる嫌な予感を振り払いクユリを観察すると、先程よりもより罅が身体全体に広がり、美しい銀髪の大半はどす黒く染まっていた。

 

 そして、何よりも、いつも輝いていた目の光が今にも消えてしまいそうなほど薄れていた。

 

 

 それはまるでクユリの命の灯が消えかけているようで―――

 

「嫌…嫌嫌嫌嫌っ!クユリ、わかる!?お姉ちゃんがわかる!?」

 

「……お……ね……ちゃ………」

 

「そうだよ、お姉ちゃんがついてるから!お願い、気をしっかりもって!もうちょっとだから……ね?」

 

 

 よかった、まだ意識はなんとか保っている。でもこれ以上の移動は危険かもしれない。気づけば大地を覆う雪はだいぶ薄くなっている。ここまでくればキキョウ達も見つけやすいだろう。

 

 

 あとはひたすらクユリの意識を繋ぎ止めることに尽力しなければ……。

 

 そう思っていると――――――

 

「お………ねぇ…ちゃ……ん?」

 

「ッ!どうしたの?クユリ」

 

 安心させるように優しく、しかししっかりとした声量で問いかける。

 

 すると、クユリは柔らかな笑みを浮かべ、罅だらけの手を私の頬に添えた。

 

 呆然とする私に、クユリはあの眩しい笑顔で、

 

 

「大好きだよッ………お姉ちゃん」

 

 

 

 そう言い、力尽きたようにその手を下ろし――――――

 

 

 

 

 

 次の瞬間、全身の罅から夥しいほどの紅い霧を噴き出し、私の羽織と銀世界を真紅に染めた。

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――――っあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴も、涙も、何も出ない。

 

 今日私は、大切な人を二人同時に亡くした。

 

 一人は大切な幼馴染、一人はこの世の何よりも愛していたただ一人の妹。

 

 

 それを理解した時には、プツリと何かが切れた音とともに、私の意識は暗闇へと落ちていた。




死なせはしません、お前が始めた物語だろ。
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