自称「平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒」の妹による曇らせツアー   作:藍終

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ちょっとグロ注意?


いつか見た儚い幸せは……

 

 ―――――――――ん……。

 

 

 春の麗らかな陽気が心地良い。

 

 夏の茹だるような暑さでも、冬の凍えるような寒さでも、梅雨特有の蒸し暑さでもない。

 

 恐らく大半の人が適温と言うであろう気温は、ふと目を閉じればすぐさま穏やかな眠りへと誘ってくる。

 

 

 ――――――――ゃん……。

 

 

 百花繚乱の屋敷にはちょっとした庭が備え付けられており、春の芽吹きを感じさせる緑と流れる池の水が何とも心に染み渡る。

 

 湯呑みを片手に縁側に腰掛ければ暖かいそよ風が肌を撫でる。

 

 

 ――――――ぇちゃん!

 

 

 いくつか植えられた桜の木から薄桃色が舞い、湯呑みの深緑に波紋を一つ。

 

 雅な風景に心を奪われていた私はしばらく愛しい声が掛けられていることに気づかなかった。

 

 

『お姉ちゃん!』

 

「――っは!ご、ごめんねクユリ…つい…」

 

『やっと気づいた……。いくら呼びかけてもうわの空なんだから…』

 

 そう言って小さな頬を膨らませるクユリ。

 それがあまりにも可愛らしくて、“右手で”思わず頭を撫でてしまう。

 

『んっ…………えへへ〜』

 

 少しくすぐったそうにしながらも、目を気持ちよさそうに細めながらこちらに体重を預けてくる。

 

 それを受け止めながら、もたれてきた頭を自分の膝へと移す。 

 心地よい重さと温かさ、穏やかな呼吸音が伝わってきて私自身もうつらうつらとしてくる。

 

 そこを切り取れば一つの絵画になるような、姉妹水入らずの穏やかな時間にまさしく水を差すような、底抜けに明るい声が割り込んできた。

 

『ふ〜む…、桜舞い散る春の陽気に、うら若き儚げな美少女姉妹の膝枕…。うん!眼福眼福!』

 

「……アヤメ……」

 

『そ〜んな顔しなくてもいいじゃん。色々忙しい時期なんだからちょっとくらいクユリニウムを補給しに来たっていいと思うんだ…』

 

「……残念。クユリは今私の膝の上。こうなったら中々クユリは動かないのは知ってるでしょ?」

 

 せめてもの意趣返しに慣れないドヤ顔をしてみせると、幼馴染兼侵略者はガクリと膝を折った。

 

『そ、そんな殺生な……。クユリニウムが無いと私は…。神は言っている、ここで死ぬ定めだと…』

 

「何言ってるのアヤメ…?まぁ、でもお疲れ様。クユリの脚くらいはわけてあげてもいいよ」

 

 苦笑しながらもそう譲歩案を提案すると……、

 

『誠にございますかナグサ殿!有り難く頂戴いたします!』

 

 戦闘時もかくやという俊敏な動作で私の隣に座り、クユリの両足を膝の上に乗せるアヤメ。

 

 二人分の膝をベッド代わりにする形になったクユリの呆れの呟きを一際強い風がかき消した。

 

 

『…私の扱いとかクユリニウムには触れない感じですかそうですか……』

 

 

 

 

「……それで?新しく入ってくる子達はどんな感じだったの?」

 

『ん〜、クユリの世代と比べるのもアレだけど…特に特徴的なのはいなかったかなぁ…』

 

「…まぁクユリの世代はね……。キキョウとレンゲが色々と凄かったから」

 

 今は毎年の入学式が終わり、新入生がそれぞれ思い思いの部に入部する時期だ。

 

 アヤメはこの時期は委員長としての事務作業が特に忙しくなる。新入生の情報管理や鍛錬の教官決めなどなど…、やらなければならない事が一気に押し寄せるからだ。

 

 では副委員長の私はする事は無いのかと言われればそんなことは無い。

 新入生との顔合わせに自己紹介、アヤメでなくてもいい書類や手続きの処理などはある……が、アヤメの仕事量に比べれば些細なことだった。

 

 そうそう、顔合わせと自己紹介といえば――

 

「…そういえばアヤメ、去年も今年も私を紹介するときのアレ……、どうにかならないの?」

 

『ん~~?な~んのことやら…』

 

「“平凡だけど、どこか神秘的で儚げな……ただの百鬼夜行の一生徒”ってやつ……。あれ恥ずかしいからやめてって言ったのに…」

 

 そう、アヤメは私を新入部員に紹介する時に決まってこういうのだ。

 

 確かに平凡なただの一生徒かもしれないけど、純粋な子がまともに捉えてその後副委員長だった事に驚愕するまでがテンプレと化している。

 

 アヤメはからかっているだけかもしれないが、こっちはたまったものではない。私の胃の弱さを知っててやってるのなら勘弁してほしいものだ。

 

 と、割と切実なお願いだったのだが、本人は全く反省の色を見せない。

 

『え〜?だってナグサに任せたら一年が怖がっちゃうじゃん。キキョウはともかく、レンゲやクユリは顔がひきつってたし…』

 

「うっ………」

 

『そうだよ〜?お姉ちゃんが陰の者なのはわかってたけど、あんな鋭い目で見つめられたら第一印象マイナスだって…』

 

 いつの間にかクユリも会話に参加してきて私に逃げ場はなくなった。

 仕方ないじゃん、初対面の子達相手の挨拶なんて緊張するのが当たり前だと思うのだけど…。

 

 それにしたって、陰の者はひどいよクユリ……。

 

 ――あれ、なんか視界が滲んできた…。雨でも降ってるのかな…。

 

 

『あーあ。ちょっとクユリ〜?お姉ちゃん泣いちゃったじゃ〜ん』

 

『そんな“ちょっと男子〜”みたいに言われても…。ごめんってお姉ちゃん、そこまで泣くとは思わなかったというか…』

 

「……別に泣いてない……ちょっと目にゴミが入っただけ…」

 

『…そんなベタな返しする?涙が頭に降ってくるんだけど…。はぁ〜、ちょっとお姉ちゃん、こっち向いて』

 

「…グスッ、何?クユリ」

 

 言われた通りに膝の上に仰向けに寝転んでいるクユリのほうを顔を下げる。

 

 クユリは一つ頷き、慈しみに溢れた笑みを浮かべたと思った瞬間、一気に頭を胸に引き寄せてきた。

 

 視界が真っ白な制服に埋まり、血を分けた存在特有の安心する匂いが私を満たしていく。

 

『よしよ〜し…、お姉ちゃんはいつも頑張ってるもんね〜。大丈夫だよ〜、クユリはそんなお姉ちゃんの事を一番知ってるし、他の誰が否定しても私はお姉ちゃんを肯定するからね…。大好きだよ〜お姉ちゃん』

 

「……んふふ…、お姉ちゃんも大好きだよ、クユリ〜」

 

 優しく子どもをあやすように頭を撫でられ、思わずより強く胸に顔を埋めてしまう。さりげなく肺いっぱいにクユリの匂いを蓄える。

 

 これで明日分は持つはずだ。

 

 

『………なんかこの緑茶甘くない?』

 

 口から砂糖を吐き出す幼馴染の言葉は聞こえなかったことにした。

 

 

 

 

『は〜〜っ、それにしてももうクユリも二年生かぁ〜。なんだかあっという間だね』

 

 あれから少しして穏やかな雰囲気が戻ってきた頃、ふとアヤメが緑茶を一口すすりながらそう呟いた。

 

「…なんだか年寄りくさいよアヤメ」

 

『だってぇ〜実際ナグサもそう思うでしょ?』

 

「うん…まぁそれはそうかな。幸せな時間は過ぎるのが早いっていうし」

 

 アヤメの言う通りあっという間にクユリ達が入学してきてから一年が経ち、気づけば私達は三年生。

 

 百花繚乱としての多少の荒事もあったけど、アヤメがいて、キキョウやレンゲ、そしてクユリがいるこの生活はとても満たされていることは間違いない。

 

 これからもこの幸せが続いていくんだと、そう信じて疑わなかったのは……ふと隣のアヤメの顔を見るまでだった。

 

 

「――――――ヒッ!ア、アヤメッ……?」

 

『ドうしタの?ナグサァ』

 

 そこにいたのは先程までしみじみとしていたいつもの見慣れた幼馴染の顔ではなかった。

 

 いや、正確に言うならアヤメの形を辛うじて保っているナニカだ。

 

 全身が真っ黒に染まり身体の至る所はボロボロと塵となって消えていく。首を傾げながらこちらを見つめてくるソレの顔は、目玉がドロリと溶け深淵が覗き、頬まで裂けた口がニタリとつり上がっている有様だった。

 

 その悍ましい光景に反射的に距離をとろうとするが、その瞬間崩れかけの手が万力のような力で私の右腕を掴んだ。

 

『ドウしてニゲルの?ワタしがこうナッタノはナグサのせいなノニ』

 

「くっ!離してッ、さもないと……」

 

 空いている左腕で近くに立て掛けてある自分の銃をとろうとする。

 

 

 あと少しで手が届くといったところで、今度は“下から”ガシリと掴まれた。

 

 途轍もなく嫌な予感が私を硬直させる。恐る恐るその手が伸びている方―自らの膝に目を向けると……

 

 

『おネエちゃン……痛いヨ……クルシイよ…』

 

「あっ………ああ…………」

 

 そこには全身に罅が走り、美しい銀髪は黒々と変色した見るも無惨な姿になってしまった妹がこちらを見上げていた。

 

 割れた皮膚の間からはぐじゅぐじゅの肉が覗き、脈動しているように時折妖しい光が罅を伝う。

 

 そんな“なぜか見覚えのある”光景に私は目を逸らすこともできなくなっていた。

 

 存在しないはずの記憶が次々と頭の中に流れ込んでくる。

 

 隣のアヤメだったモノがそんな私を見て満足そうに嗤った。

 

『…ソウ、ナグサがモットハヤク駆けつけテクレテイタラ、もしナグサがモット強かったラ……、イヤむしろ、ナグサがモット弱ければ…ワタシがこんな気モチになることもナカッタノニ!』

 

 だんだんと語気を強めていくソレは頭を掻きむしるように暴れ出す。

 

『オマエが中途半端ニ力をつけるせいデッ!ワタシよりも強くなッテ、お人形ジャなくなったせいでッ、ワタシハアセらなきゃイケなくなった!』

 

 

 違う、アヤメはそんな事言わない。

 

 そう心の何処かでは思っていても、吐き出される言葉の羅列は正しいものも含まれていると感じていた。

 

 私がクユリに言われなければ大雪原に赴こうともしなかっただろうし、もっと早く駆けつけていればあんな事にはならなかったかもしれない。

 

 私の闇に呼応するかのように、掴まれた右腕は肘辺りまで黒く染まり、既に感覚は失われていた。

 

 

 しかし畳み掛けるように罅割れた両手で私の顔を膝下へと固定される。

 

 そこには既に身体の罅が拡大を始め、左眼にいたってはパックリと裂けてしまった顔面がカタカタと首を震わせていた。

 

『ネェお姉ちゃン、ドウして黄昏に突っ込もうとしタノ?そんな事シタってアヤメさんはモドッテナンカコナイノニ…。

オ姉チャンがモット冷静ダッタら、ワタシもこんなクルシイ思いをセズニスンダノニ』

 

 

 ――それはそのとおりだ。

 

 あの時の私はアヤメに拒絶されたことで半ば自暴自棄になり、自らの置かれている状況を理解できていなかった。

 

 あと一歩遅ければ私も手遅れになっていたが、そもそも私がもっと冷静になれていればクユリがこんな目に遭う必要もなかったのだ。

 

 

 ――なんだ、考えてみればよくわかることだった…。

 

 

 私がいるからアヤメは不幸になった。私がいるからクユリは死よりも苦しい目に遭った。

 

 私が、私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が――

 

 

 ――――――――――――全部、

 

 

「私のせいでッ…………」

 

 

 瞬間、腰掛けていた縁側が大きな深淵に変貌した。まもなくして全身をドプリとした粘液性の水に包まれる感覚が包んだ。

 

 雅な風景は溶け崩れ、一切の反射を許さない虚無が全てを覆い尽くしていく。

 

 亡者が生者を道連れにするが如く、最早原形をとどめていない二つのナニカが私を深く深くに引きずりこんでいく。

 

 

 最早抵抗する気は微塵も起きない。

 これが私への罰というのなら、喜んで受け入れよう。

 

 そうだ、考えようによればアヤメとクユリと一緒にいられるんだ…。

 

 私には、何も残っていないんだから…………。

 

 

 ナニカを忘れている気もしないことはないが、もうどうでもいい。

 

 全部投げ出して、楽になりたい。

 

 

 僅かに残っていた意識の接続を切り、静かに目を閉じようとしたその時――――――

 

 

「お願い…ナグサ先輩ッ!ナグサ先輩まで私を……私達を置いていかないで…。あんたがいなかったら私はどうすればいいって言うのッ!」

 

 

 

 温かな温もりが冷たい私の左手を包み、優しく、力強く引き上げた。

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 

 ――なんで、どうしてこんな事に……。

 

 私―桐生キキョウは事態の深刻さとその処理に追われ思わず心内でそう弱音をはいた。

 

 花鳥風月部から脅迫状が届いてから始まった一連の騒動。

 私は当初、アヤメ先輩が不在となる間の百花繚乱の指揮権を一手に担っていた。

 街の至る所に均等な間隔で部員を配置していく。もしもの不測の事態が起こった時に備えて、相互確認と連絡を忘れないようにと叩き込んだため、突然の襲撃にも対処可能だった。

 

 意外にも一番連携が取れていたのはレンゲ直属の部隊で、日頃の鬼訓練のお陰か一糸乱れない動きを見せ、防衛作戦の中核を成していた。

 

 普段は青春一色の脳筋だが、こういった緊急時には人が変わったような妙な頼もしさを放つのだから困ったものだ。

 

 ともあれ、考えうる限り最良の配置で警備体制を敷く事ができた。ナグサ先輩とクユリの姉妹は私が変に縛るよりも自由に動いてもらうほうがいいと考え、二人一組で行動してもらっている。

 

 あの姉妹、特にナグサ先輩はとても頼もしく思っている。引っ込み思案で、ちょっと私が威圧したら泣き出してしまうような人だけど…アヤメ先輩すら凌ぐと考えられている戦闘力と不器用ながらも見せる優しさは、私の信頼を勝ち取るには十分だった。

 

 アヤメ先輩にはない何かをナグサ先輩は持っている。天性の明るさと才能を持つアヤメ先輩とそれを陰ながらもしっかりと支えるナグサ先輩。

 この二人がいる百花繚乱はまさに盤石だと言えた。

 

 そんな事を考えながらも、花鳥風月部による襲撃に目を光らせていたが……。

 

 

 

 拍子抜けというか、いっそ不気味と感じるまでに何事も起こらない時間が続いた。

 

 各方面もとくに異常は無さそうだったし、アヤメ先輩の杞憂だったかもしれないと思い始めた頃―それはそれでアヤメ先輩が危ない可能性があるのだが―連絡用の端末が震えた。

 

 相手はあのナグサ先輩だった。何かがあったのだろうかとは思いつつも、どこか気が緩んでしまっていたのは事実だった。

 

 

 だからこそ、端末越しに今まで聞いたこともないような、ナグサ先輩の悲痛な絶叫が響いてきた時は一瞬にせよ目の前が真っ暗になった。

 

「キキョウ、今すぐに大雪原に人を連れてきて!クユリがッ……クユリが大変なのッ!」

 

 しかし、日頃から不測の事態にも対応すべく常に冷静である事を心がけていた努力のお陰か、私の頭はほとんど自動的に最適な行動を取るように信号を出していた。

 

 すぐに向かう旨を伝え、端末の連絡先を切り替える。

 

 ナグサ先輩の言葉から察するに、恐らくクユリが何かしらの負傷を負った可能性が高かった。

 

 こういった事態のときに焦って無駄に大勢で向かってはいけない。統率も難しくなり、全体としての足が遅くなるためだ。連れて行くならあらゆる事態に対応可能かつ少数精鋭のみ。

 

 端末を操作する一瞬でここまで思考を巡らせた私は、通話可能になるやいなや相手に素早く命令を下した。

 

「レンゲ!あんたのとこの子達を連れて大雪原に向かいなさい!今すぐに!」

 

「…はあっ!?何だってそんな…いやまさかッ……!」

 

「ナグサ先輩から火急の報が入った!私は医療班を連れて行くからあんた達は先に行って状況報告!」

 

「お、おう!よしお前ら、聞いてた通りだ!全力で走るからついてこいよ!」

 

 レンゲ達が動き出したことを確認して端末を一度仕舞いながら百花繚乱本部の屋敷を飛び出す。

 

 ここから大雪原まではそれなりに距離があり、あまり戦闘向きでない私ではどう頑張っても数十分はかかる。

 

 診療所に駐屯している百花繚乱の医療班を回収しながらも走っていると、やや離れたところから地を割るような爆発音が鳴り響いた。

 

 恐らくレンゲ直属の部隊『紅蓮隊』の突撃隊形特有の踏み込み音だ。見れば、砂煙が大雪原方面に向けて伸びていく。

 街中にも関わらずここまで大胆な行動をするあたりレンゲも事の重大さを理解しているらしい。

 あの調子なら大雪原に着くまでそうかからないだろう。

 

 

 ――お願い、どうか…どうか間に合って……!

 

 浮かんでは消える嫌な想像を振り払い、数人の医療班と共に駆ける。

 

 

 

 

 

 

「頼む……キキョウ、早く来てくれッ…。クユリが、ナグサ先輩が血塗れで……アタシにはどうしたらいいか……」

 

 やがて先に到着したレンゲから、彼女にしては珍しい弱々しい声での状況報告が入ったのは、もう大雪原は目と鼻の先にまで迫った時のことだった。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 呆然とするしか無かった。

 

 キキョウの切羽詰まった声から只事ではないと感じ、全力で向かった大雪原。

 その入口から少し進んだところにソレはあった。

 

 一面銀世界であるはずの大雪原にはそぐわない、真紅の池にでも見えそうなほど広範囲に飛び散った血液。

 

 その中心に折り重なるようにして倒れている二人。

 

 百花繚乱の羽織を真っ赤に染め、雪と同化してしまいそうな髪を地に広げているのを見れば誰かなんて考えなくてもわかった。

 

「ナグサ先輩!クユリ!」

 

 部下に周囲の警戒をさせ急いで駆け寄ると、二人とも意識を失っているように見えた。

 

 ナグサ先輩の方は外見こそ血塗れだが、右腕がおかしいこと以外はとりあえず深手は負っていないようだった。

 

 問題はクユリの方だった。

 

 あの姉譲りの儚げな銀髪はほとんどが漆黒に染まり、何より全身に広がる惨たらしい罅や火傷の痕は見ているだけで吐きそうになる。

 

 気休めにもならないとわかっていても自分の羽織をクユリの傷口に優しく押し当てる。

 じわりじわりと羽織に血が滲んでくることからまだ出血は止まっていないことがわかる。

 

 ふと顔を上げれば、ここまで文字通り引きずるようにして歩いてきたのだろう。血と何かを引きずったような跡がさらに奥地に伸びていた。

 

 そういえばまだキキョウに報告していなかったと、震える手で何とか端末を取り出し、アタシ自身でも驚くような弱々しい声で一刻も早く来て欲しいと告げる。

 

 アタシにできることなんて荒事くらいで、医療の知識なんてからっきしだった。

 

 それでも、必死に血止めをすること以外に何もしてやれないアタシが憎く感じた。

 

 頬を伝う熱い液体が流れるままに、縋るように念じる。

 

 ――早く……、早く来てくれ、キキョウ……。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 

 

 いざレンゲのもとに辿り着いた時、そこに広がる凄惨な光景を目にしてからの記憶は曖昧だ。

 

 茫然自失といった様子でクユリに取りついていたレンゲを引き剥がし、医療班に診せる。

 

 焦った様子で応急処置を済ませ、今すぐに搬送すべきと言う彼女らに頷き、すぐに行動させる。

 

 次に今だ自我が戻りきっていない脳筋に舌打ちをし、思い切り張り手を食らわせてやった。

 

 興奮のあまり何を言ったか覚えていないが、少なくともその後レンゲが気を失ったナグサ先輩を背負ってくれたのは確かだ。

 

 人質になった子とアヤメ先輩の捜索をレンゲの部隊に任せ、診療所に向かう間、指示するしかできない自分に腹が立ち何度舌打ちをしたかわからなかった。

 

 

 

 そして現在、無事とは言い難いが道中何事もなく診療所に辿り着き、処置室に運び込まれていく二人を見届けてしばらく経った頃だ。

 

 今はナグサ先輩が横たわっているベッドのある病室の椅子に腰掛けている。

 

 事態がひとまず落ち着きを取り戻したことによって、冷静になった頭は荒ぶる感情などお構いなしに参謀としてやるべき事を次々と羅列していく。

 

 ナグサ先輩は原因不明の状態にある右腕以外には特に外傷はないらしく、しばらくすれば目を覚ますだろうとのことだった。

 

 そして問題のクユリは……、止血は何とかできたものの未だ予断を許さない状況らしく、総出で対処を行うと告げられた。

 あの罅が全身を蝕んでいるのは間違いないのだが、ナグサ先輩の右腕同様原因も対処法もわからず、安静にしつつ経過観察をするしかないらしく、あちらとしても歯痒い思いをしているのは十二分に感じられた。

 

 だからこそ、私だけではどうにもならない現状に歯噛みして耐えることしか出来なかった。

 

 

 それに…、私が偶々見てしまったクユリのアレは……、今でも吐き気が収まらない。

 病室に運び込まれてすぐ……クユリが………。

 

 

 再び胃から押し寄せてくるものを必死に抑えるべくそれ以外の事に思考を巡らせる。

 

 人質の子は無事見つかったらしいが、アヤメ先輩はまだ発見の報告はない。

 まぁそれはナグサ先輩にでも聞けばわかることだと考えている。ナグサ先輩があの『百蓮』を持っていたことから、事の顛末は知っているはずだ。

 

 本来のトップが根こそぎ機能停止している現状、私がやるべき事は山ほどあるが、今はこの場を離れる気が起きない。

 

 

 クユリがどうなるかわからないのに、ナグサ先輩まで目を覚まさないなんて……私が頼れる先輩達がいなくなった途端、途轍もない不安にかられる。

 

 私は何時からこんな弱くなったんだろう。

 

 そんな事をぐるぐると考え続けていると、ベッドのナグサ先輩が突然魘されるような、くぐもったうめき声を漏らし始めた。

 

 

「――ッ!ナグサ先輩!?」

 

 思わず椅子を蹴り倒して顔を覗き込む。

 

 意識を取り戻したと思ったが、その端正な顔は苦しむように歪み、本当に悪夢に魘されている様子だった。

 

 いつもの私なら平手打ちの一つや二つをプレゼントしてやるところだが、想像以上に参っていたらしく……、ナグサ先輩の―包帯が巻かれた右腕ではなく―左手を縋るように掴み懇願してしまう。

 

 

「お願い…ナグサ先輩ッ!ナグサ先輩まで私を……私達を置いていかないで…。あんたがいなかったら私はどうすればいいって言うのッ!」

 

 

 

 溜め込んだ不安や弱音が詰まった私の叫びが届いたのか、ピクリとその華奢な手が震えた気がした。

 

 

 

 

✵✵✵✵✵ ✵✵✵✵✵

 

 

 闇に包まれた視界が柔らかな光に祓われていく。

 

 一つ鼻から空気を取り込むと、病室特有のどこかツンとする匂いが、覚醒しかけた意識を引っ張り上げる。

 

 何度か目を瞬かせている内に明暗差が解消されていき、だんだんと手に入れられる情報が増えていく。

 

 まず私は病室にいてベッドに寝かされているらしい。

 

 特に意識することもなく右腕を動かそうとしたが、その意思に反してピクリとも動かない。

 いや、正確には肩は動くのだが、包帯の巻かれた肘から先が動かない。

 

 その事を認識した瞬間、ここは現実であれは夢なんだと理解する。

 現実も最早悪夢みたいなものだと思ってしまう程には、記憶が押し寄せてきていた。

 

 ふと、左腕の方を見やると、今だに混乱している脳がフリーズしてしまった。

 

 

 そこには、私と同じく固まった姿勢でこちらを見上げているキキョウがいて――――――

 

 

「ナ……、グサ先輩……?」

 

「う、うん……おはよう?」

 

 待って、絶対に間違えた。いかにも患者の私が起き抜けに、心配してくれている彼女に向かって言うことでは絶対ない。ましてやあのキキョウだ、『せっかく心配してやったのに何?その間抜け面は』とか言って舌打ちしてくるに違いない。

 

「……………」

 

 想定通りそんな私を見て、顔を俯けながらすっくと立ち上がり、拳を握り込むキキョウ。

 

 ……あれ、もしかして舌打ちじゃ済まない?殴られるの?

 確かに選択を誤ったのは私だけど、一応患者なんだから手加減して欲しい……。

 

「ナグサ先輩………」

 

「〜〜〜ッ!」

 

 幽鬼の如く迫ってくるキキョウに思わず目をつぶってしまう。

 

 しばらくして身体に衝撃が走るが、それは想定していたものとは違って、胸にトスンと軽く何かが押し付けられたような衝撃が伝わってきた。

 

「……え?……キキョウ?」

 

 恐る恐る目を開けると、そこには私の胸に力なく頭を預けているキキョウの弱々しい姿があった。

 

「よかったッ……、本当に…。ナグサ先輩までいなくなったらって考えると……私…」

 

 そうか、キキョウはあの後私達を無事見つけてくれたらしい。この様子だと随分心配をかけてしまったようで、少しの申し訳なさと感謝の気持ちが溢れ、自然とその頭を撫でてしまう。

 

「ありがとうキキョウ。流石は百花繚乱の参謀だと思うよ」

 

「……ふん。貸し一つってことにしてあげる」

 

 キキョウの照れ隠しは実にわかりやすくて思わず苦笑してしまう。キキョウもキキョウで特に抵抗することなく撫でられるままになっていた。

 

 

 しばし和やかな空気が流れ、お互いがようやく平常心を取り戻してすぐ、キキョウがふと焦った様子を見せた。

 

 

「……そうだッ、ナグサ先輩!クユリが……」

 

「ッ!クユリッ!――――――――――――ッゔぇっ」

 

 その名を聞いた瞬間、無秩序に押し寄せてきた全ての記憶が完全に一つのカタチになる。

 

 同時にあの惨状を思い出し胃の中から熱いものがせり上がってくる。

 

 耐えきれずに近くにあったゴミ箱にそれをぶち撒けてしまう。

 

「ォ゙ェ゙ッ…、ゔェ゙ェ゙ェェッ……」

 

 胃の中のものを全て吐き出してようやく吐き気が鳴りを潜める。

 

 気づけばキキョウが背中を優しくさすりながら、タオルと水の入ったコップを差し出してくれていた。

 

 さりげなくこういった事ができるキキョウに改めて感謝しながらも、今一番気にかかっていることについて問いただす。

 

「クユリはッ!?大丈夫なんだよね!?」

 

 あの出血量は死んでいてもおかしくない。実際お前はあの時一瞬死んでしまったと考えたじゃないか。そう囁く自分を必死に押し殺してキキョウの反応を待つ。

 

 

 対するキキョウというと、再び顔を俯かせ、ギリギリと音が聞こえてくるほど歯を食いしばり、爪が食い込むまでに強く拳を握り込んだ。

 

 その様子はまるで全てが手遅れだった時のようで――

 

「…ウソ、だよね……?クユリは…まさか――」

 

「…大丈夫。何とか一命は取り留めてるよ。けど……」

 

 死んではいない。その事実は確かに私の心を安定させたが、キキョウの様子からまだ何かよくないことがあるのは察するに余りあった。

 

 するとキキョウが覚悟を決めたように顔を上げ、キキョウ自身にも言い聞かせていると感じられる語気で問うてきた。

 

「…ナグサ先輩、これから先、あんたは見なければよかったって思うかもしれないようなものを見る事になる。まだ起きたばっかりなんだから、今断ってもらっても構わない。…でも、それでも受け止めようと思えるのなら、この手を取って」

 

 差し出された手は微かに震えているように見えた。

 

 きっと今のクユリを見ると私が壊れてしまうと考えての提案だ。

 

 その気遣いはありがたいし、私だって現実を受け止める準備ができているわけではないけど――

 

「それでも、私はクユリのお姉ちゃんだから」

 

 姉として全てを受け止める義務がある以上、私は迷いなくその手を取った。

 

「……そう、じゃあついてきて」

 

 キキョウに連れられベッドから離れる。右腕が使えないため少々ぎこちなくなったが、元々両利き気味だったので然程は苦労せずに立つことができた。

 

 

 

 病室を出て少し歩き、診療所の中でも物々しい処置室の前に辿り着く。そこにいた担当医も察したようで、扉の鍵を静かに開けてくれた。

 

 互いに目配せをし、深呼吸してひんやりとした扉を開けた。

 

 そこに広がっていたのは、大量の医療器具の置かれた机に大量の管。

 

 それらが繋がれた一方には輸血パックが、もう一方を辿るとそこには―――

 

 

 私が倒れたあの時よりも罅が深くなり、生々しい傷口を伝うように脈動する妖しい光を全身に走らせている妹の惨たらしい姿だった。

 

 

 それはあの悪夢にでてきたクユリの姿に酷似していて―

 

「ク、ユリ……」

 

 ふらふらと横たわるクユリのそばまで歩を進める。

 

 管だらけの手を取り、優しく握る。

 

 キキョウがやってくれたように、せめて少しでも苦痛を和らげる事が出来たら…。

 

「大丈夫、お姉ちゃんがずっとそばにいるからね」

 

 私だって目を覚ましたんだ。私よりも色々な意味で強いクユリが目覚めない事があるはずがない。

 

 

 そう自分に言い聞かせながら未だ眠っているクユリの罅だらけの顔を見つめていると……、それは思いも寄らないカタチで叶えられた。

 

 

 

 

 

 クユリの罅を伝う光がドクンと一際強く脈動する。

 

 それと同時に、固く閉じられていたクユリの両目はカッと見開かれた。

 

 

 まさかの事態にここの誰もが動けないでいると、次の瞬間。

 

 

 

 顔に走っていた罅の一つがさらに進行し、進路上にあった“クユリの左眼”を引き裂いた。

 

 

 

「ギィッァ゙……!ヅァ゙ァアアアアアアァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ッッッ!!」

 

 

 間もなくしてあがる絶叫と鮮血。

 

 

 

 

 

 悪夢はまだ、終わらない。

 

 

 

 

 

 




前半のナグサの悪夢、あれは8割方作者の悪夢実体験です…。
今でもアレは忘れられません。
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