ワシの名は黒田 鉄匠(くろだ てっしょう)。
歳は65になる。
ワシらの世界にはあまり公にはなっていないが怪異と呼ばれる存在がいる。
それは時にワシらとは異なる世界からも来るらしい。
そして怪異と人知れず戦ってきた一族をワシらは【太刀花】と呼んでいる。
ワシは代々に渡り太刀花のために刀を打ってきた一族の末裔である。
君達が良く知る太刀花藍ちゃんの持っている刀もワシが打った物だ。
あれは少し特別でな。
あれについて語るにはワシの人生を語らねばならん。
少しばかり長くなるが、年寄りの長話に付き合って欲しい。
若かりし頃のワシは頑固で無鉄砲で怖いもの知らず、思い込んだら一直線のアホウじゃった。
あの頃のワシは刀匠ではなく剣士を目指していた。
ワシは怪異とやらを信じてはいなかったが、
敵がいるならばどうして自分で戦わないのかと己の一族を情けなく感じていたのだ。
(どいつもこいつも何が太刀花様じゃ!
そんなもんに頼らずとも自分で戦えば良いではないか!)
幼少の頃よりオヤジに叩き込まれた刀の扱い方と、何よりも意地がワシを高みへと導いた。
ワシの剣道の腕前は全国大会常連になるほどまで仕上がった。
だが、世の中には天才がいてワシは天才ではなかった。
『一本!勝負あり!』
主審が高々と宣言する。
道場同士の交流会でワシは負けた。
剣に人生を捧げ、授業中も寝る時も剣の腕を磨くことばかり考えてきたワシが全く歯が立たずに負けてしまった。
それも同年代の女子にだ。
『黒田って太刀花様の刀を打ってる所のだよね。
やっぱあの家に関わってる人は強いねー!』
そう言って彼女は笑顔で面を外した。
その表情からは疲れも焦りも見えない。
彼女の名は佐々木 風花(ささき ふうか)
君達の知る太刀花藍の祖母にあたる強く美しい女性だった。
その後、負けず嫌いのワシは何度も彼女に挑んだ。
道場にも乗り込んだ。
彼女の通学路にも待ち伏せした。
校門前で待ってヤジウマ達に囲まれて決闘したこともあった。
(この時はいつも以上にボコボコにされた気がする)
結果は全戦全敗じゃ。
だが彼女に挑む時はいつも胸が高鳴った。
いつしかワシは太刀花家の事を忘れ彼女を追いかけていた。
ワシの青春は彼女と共にあった。
男が強くなる時は大体3つ。
怒り、夢、色だと思う。
かくいうワシは色であった。
気付けばワシは彼女の髪を、瞳を、唇を独り占めしたいと考えるようになっていた。
そう、ワシは彼女に恋をしていたのだ。
恋がワシを強くした。
ワシは太刀花を振り切ったと思っていた。
そしてワシは彼女と共に剣士としての高みを進むのだと当然のように考えていたのじゃった。
『結婚する事になったよ。』
18歳になった風花からそう告げられた。
ワシの当然はアッサリと終わりを告げた。
相手は太刀花慈玄(たちばな じげん)、君達には藍ちゃんの祖父と言えばいいだろう。
慈玄の事は幼い頃から知っている。
家同士が仲が良いから正月には顔を合わせるし一緒に遊んだ事もある。
一度だけ木刀でチャンバラを仕掛けたこともある。
奴も鍛錬を続けているのは間違いないだろうが、なんとも中途半端な剣だった。
悪い奴ではないが噂の太刀花様とは名ばかりの世間知らずで覇気に欠けるボンボンというのが奴への印象だ。
『…剣道は続けるんか?』
唐突に鳴り響いた終了の鐘を青春の真っただ中にあったワシは受け入れられなかった。
『いや、止めるよ。
これからは母として生きてくれってさ。』
この言葉でワシの覚悟が決まった。
『ワシより強いお前が!
天下無敵の風花が何であのハッタリ一族の為に剣を捨てにゃならんのだ!
ワシがあのボンボンの化けの皮を剥いでくれる!』
ワシは頭を沸騰させ大声で息巻くと風花に背中を向けて立ち去っていった。
顔は見ていないが恐らく風花は呆れて溜息をついておったんじゃろうな。
そして慈玄と風花の結婚式の当日
ワシは白い鉢巻を頭に締め白装束に白袴、腰には真剣を携えていた。
『ワシと戦え太刀花ぁー!!』
太刀花家は身分的には皇族と同等だと言う。
そんな奴らの式をぶち壊そうものなら下手をすれば殺されてしまうかもしれない。
だがそれでもワシは納得が出来なかった。
ワシが勝てなかった相手を金持ちどもが権力で潰そうとしている事が。
『私が頼んだ余興です!』
慈玄が慌てて周囲に取り繕いながらこちらに駆け寄ってくる。
『鉄ちゃんこれはどういうことだい?』
慈玄が周りに聞こえぬよう小声で囁いてくる。
だがワシはそんな慈玄の気遣いを気にも留めず大声を挙げる。
『風花はワシの生涯のライバルじゃ!
お前みたいなモヤシに黙って渡せんわい!!
ワシに黙ってほしけりゃお前の刀でワシを斬ってみせぃ!!』
慈玄が悲しそうな顔をする。
よくよく考えればコイツは式を無茶苦茶にされとるだけなんだから哀れな気もする。
だがやはり納得できんもんは納得できん。
貴様ら太刀花家の伝統とやらのためにワシらの青春を否定されてたまるかい。
『お前らが本当に強いっちゅうんならワシを斬ってみせればよかろう!
この白装束が真っ赤に染まって紅白となる。
あらおめでたいっちゅうもんじゃろうが!
天下無敵の太刀花様なら容易いことのはずじゃろうが!』
調子に乗ってワシは煽りまくる。
こうでもせんと慈玄は勝ち目のない勝負になど挑んでこないと思っておった。
『…わかった。
じゃあ君の友人ではなく太刀花の剣士としてお相手するよ?
それでいいんだね?』
『おうとも!命を懸けてかかってこい!!』
もちろんワシの方は本気で斬り捨てるつもりなどないが声高々に【命懸け】を強調して周囲に印象付ける。
これでワシが勝ちさえすれば太刀花様とやらの伝統も地に落ち、風花との縁談も無くなるだろうと何とも単純に思っていたのじゃ。
ワシの言葉を聞き終えると慈玄は親族席から刀を受け取ってくる。
続いて刀を抜き鞘を捨てるとこちらに向かって堂々と歩いてきた。
斬れと言ったのであって決闘ではないのだから慈玄の所作は正しいと言える。
奴はただワシを斬ろうとし、ワシはそれを迎え撃つのだ。
だが慈玄の様子がおかしい。
構えもない片手持ちのまま堂々とワシの間合いに入ってくる。
それだけ頭にきて冷静さを欠いているのだろうか。
だとしても真剣勝負に情けは無用。
『めぇぇええええええん!!』
恐らくワシは生涯最高の一振りを繰り出したが、ワシの刀は慈玄ではなく地面に突き刺さった。
寸止めするつもりだったのだからそのようにはならない。
つまりワシの一撃は容易く躱され、下に叩き落とされた刀が地面にまで突き刺さったのだ。
信じられない力と速さである。
そして、ワシは慈玄の太刀筋さえ目に留められず意識を失ったのじゃった。
『ちゃんと愛してるから安心しな。』
目が覚めて最初に聞いた言葉がこれじゃ、ワシは失恋した。
慈玄のみねうちでワシが白目を剥いてる間に式は無事に終わり、今は無様なワシを2人して心配してくれている。
自分が情けない事この上ない。
『おう慈玄、今まで手を抜い取ったんか?』
『うん、ごめんよ鉄ちゃん。
父上に言われてたんだ。
彼は本気で剣道に打ち込んでるのだから本気を見せてやる気を損なわせるなって。』
恥を隠すように強気な態度で話しかけるワシに慈玄が申し訳なさそうに答える。
なるほど、オヤジ殿の言う事は正しい。
現にワシの心は見事に折られ、今さら剣を振ろうと言う気にはなれなかった。
ワシの人生を何度繰り返せばあのようになれるのか見当もつかん。
『ワシはなんじゃったんじゃ』
とんだピエロだ、などとも言えぬ。
よくよく考えればワシは放課後から日が暮れるまで剣を振っていたが慈玄は剣を振るために人生があったようなもんじゃろう。
ワシには想像もつかんほどの期待を一身に背負いながら今日まで容赦のない専門的な教育を受けてきたはずじゃ。
老人共が神様のように扱うのも今ならわかる。積み重ねてきた物が違いすぎた。
『じゃあ、もう大丈夫そうだし。
積もる話もあるだろうから僕は抜けるね。』
そう言うと慈玄は嫁の風花を置いて部屋を出ていく。
ワシと嫁を信じて堂々と置いていく、何もかもが見透かされてる気がする。
『風花は太刀花様として戦わんのか?』
そうであれば救いもあったが答えは変わらなかった。
『いいや、母として生きてくれってさ。
一応聞いてみたんだけど、私じゃ怪異と戦う技には耐えられないんだとさ。
それだけ敵が強くて、勝つためにはとんでもない無茶をするんだろうね。』
その話はワシも父から聞いた事があった。
何でも太刀花様の技を扱うには神から与えられた強靭な肉体が必要不可欠であり、女性では到底扱えないと。
風花の言葉でワシの中に1つの答えが見つかった。
ワシが負けるのは構わん。
だが、ワシが世界一強いと認めた女が門前払いというのは納得がいかん。
…そして、ワシはそれを覆せるモノを持っていた。
『…そんなもん、武器が悪いんじゃい。』
風花が驚きの表情を見せてワシの言葉に耳を傾ける。
『軽くて、丈夫で、振り降ろすだけでスパッと切れる。
要はそんな武器があればいいんじゃろうがい!』
ワシはワシらの青春が負けるのを認めたくなかった。
風花だけで足りんと言うならばワシの力もくれてやる。
『ワシが刀を打ち、お前が女のための新しい技を作ればいい!
お前が間に合わんなら娘じゃ、お前は娘を産め!!』
『アンタ何言ってんだい!』
風花は顔を赤くして平手打ちをするが、真っ直ぐなワシの目を見ると風花は溜め息を付いた。
『…まぁアンタが決めたならそれでいいよ。』
『やるぞ風花!
産まれた娘にお前の剣を教えてやれ!
お前ほどの才能を埋もらせてしまったのは過ちであったと太刀花様に認めさせてやるわ!』』
かくしてワシは剣を捨て家業を継いだ。
やがて嫁を貰い子供も生まれワシらは互いに家族を築き上げ、時代は藍の母へと移っていく。
だがワシは風花との約束を忘れたりはしなかった。
妻も子も愛してはおるが、それとこれとは話は別。お前らはわかってくれるか?
風花は男の子と女の子を産んだ。
男の子の方は藍の叔父である龍磨(たつま)じゃ。
女の子の名は嵐(らん)、君達の知る凜と藍の母である。
ワシの祈りが天に届いたのだろうか。
嵐は太刀花家の歴史の中でも特に剣の才能に秀でた娘であった。
母から剣道を習い、兄達の訓練を見るだけで次々と技を習得し、それが己に扱いきれぬと知ればすぐさま改良していった。
慈玄曰く、改良した嵐の技は威力は劣るが手数に勝るらしい。
要するに、ワシの刀の完成を待つまでもなく嵐は己の証を立てつつあった。
女でも太刀花様になれるのだと。
だが天才故に嵐には問題があった。
誰も彼もが嵐を褒めちぎる事じゃ。
これでは嵐が自惚れてしまう。
心が真っ直ぐ育たんではないか。
だからワシは心を鬼にする事にした。
『なぁ~にが鬼退治じゃい。
お前の剣なんか風花の足元にも及ばんわい。』
京都の方に出たという怪異を嵐が仲間と共に斬ったのだと町の人々が彼らの功績を称え合う中で悪態をついた。
『鉄っちゃんさぁ、嵐ちゃんは十分頑張ってるだろう?』
『頑張っとるからなんじゃい!
足元にも及ばんから足元にも及ばんと言っておる!
そんな甘えた根性じゃいつか怪我をするわい!』
同世代の仲間達に溜息をつかれるのが辛い。
若者たちに白い目を向けられるのが辛い。
だがこれはワシにしか出来ん事、そう思ってワシは悪態を付いていた。
『鉄オジはいつもつまんねー水を差すな。
行こうぜみんな。あっちで美味いもんでも食おうぜ。』
『おーいけいけ。ワシもお前らの顔なんか見たくもないわい。』
手を振って嵐達を追い払う。
そしてワシも用を済ませて立ち去ると、人気がなくなった所で歩みを止める。
『あー…今度こそ嫌われたかもしれん…』
ワシは1人で静かに落ち込むのであった。
『大丈夫だよ。嵐ちゃんもみんなも鉄さんが良い人だって知ってるから~。』
落ち込んでるとたまにどこからともなく娘が現れる事がある。
彼女の名は花咲 小夜(はなさか さよ)。
嵐の親友であり後に太刀花家の家事を担う事になる藍の育ての母とも呼べる存在となる。
情けない事に自分の子供と同じくらいの年齢の少女に励まされながらワシはかろうじて心の平穏を保っていた。
風花の娘に嫌われるのは死ぬより怖かった。
さて、ワシが風花と約束した刀はどうなったかと言うと、実はこの時点でほぼ完成していた。
今ならば渡すのは風花ではなく嵐であるべきだろう。
故にワシはこの刀を嵐花(らんか)と名付けていた。
これぞまさに究極の一刀、贅沢な材料とありったけの技術を惜しみなく注ぎグレードアップし続けているワシの最高傑作である。
この刀が嵐の元に渡れば彼女はまさに天下無敵となるじゃろう。
だがワシは刀を渡そうとはしなかった。
どうせ渡すならばとっておきのロマンチックなタイミングで、などと愚かな事を考えていたのだった。
ある日の事、嵐がいつものように刀の打ち直しに来た時の事じゃった。
『悪ぃ鉄おじ。
また刃が痛んじまったから修理してくれよ。』
『またヘタクソな刀の使い方しおってからに。
ホントお前は風花の足元にも及ばんな。』
ワシはいつものように悪態を付く。
そしてこの後はいつものように落ち込んで小夜ちゃんに慰めて貰う事になる。
『そんなこと言うんならそこの刀をアタシにくれよ。
そいつがあればもっと楽に勝てたんだからさ。』
そう言って嵐が指を差したのが店先に値札もつけずに飾ってある嵐花だ。
どういうわけか抜いてもいないのに彼女は嵐花の価値を見抜いていた。
『そいつはナマクラだ。
そんなもん渡したらワシが慈玄に怒鳴られるわ。』
『いいやアタシの目は誤魔化せない。
コイツはとんでもないシロモノさ。
頼むよ鉄おじ、値札も貼らずに飾っとくくらいならアタシに貸してくれ。』
風花によく似た顔でお願いされてワシの心も揺らいでしまうが何とか持ちこたえる。
『コイツはここにあるのが正しいんじゃ。
用が済んだら出てけ、刀は3日後に取りに来いって…何やっとんじゃい!』
気付けば嵐が嵐花の鍔に赤いリボンを巻き付けていた。
『アタシが先に目を付けてたんだからね。
コイツは予約の証だよ。』
そう言い残し悪戯っぽい笑みを浮かべて嵐は去っていった。
『ったく、予約なんぞいらんわい。』
ワシは結ばれたリボンを外した。
思えばこの時に刀を渡しておくべきだったのかもしれん。
そうすれば凜と藍はもう少し平穏な日々を送れていたのだろう。
…ワシの一生の不覚じゃ。
それから数か月後、風花が斬り殺された。
噂では八蛇とか言う一族が絡んでいるらしいが、ともかく風花の死はワシの心に大きな傷跡を残した。
ワシも辛いが一番辛いのは支えを失った嵐なのだ。
そんな風に嵐の事を気遣えるようになるまでワシは2週間も掛かった。
母親の代わりには到底ならんだろうが、今こそ嵐花を渡すべきではないか。
これからは母の分まで強くなれと渡せばいい。うん、筋が通っている。
風花の事で気落ちはしているがワシは少しだけ心が躍っていた。
ようやく嵐に優しくしてやれる。
町の者と同じように笑顔を向けて貰える。
ワシの最高傑作を渡して彼女の支えになってやれるのだと。
だが、ここでもワシは嵐花を渡す事は出来なかった。
『これからはボクが君を支えるから』
藍の父にあたる聖人(まさと)君が嵐を抱きしめていた。
これには勝てぬとワシは嵐花を持って逃げ帰ったのだった。
そこから随分と月日が流れた。
嵐は聖人君と結ばれ、凜を授かり母となった。
そしていよいよ君達の知る藍が産まれる予定日。
ワシはこの記念すべき日に嵐花を渡す事に決めた。
凛の時には決心が付かなかったが、2人目が産まれる頃になってワシもようやく覚悟を決めたのだった。
今まで散々悪態を付いてきたが、気付けば嵐も立派な2児の母だ。
もう悪態を掴んでいいだろう。
もう優しくしてもいいはずだ。
産まれてくる子供の面倒も見てやろう。
何か困った事があれば夫婦で助けてやろう。
これからは優しい鉄オジとなり嵐に頼ってもらうのだ。
ニヤニヤと笑みを浮かべながらワシは嵐の入院している病院へと走っていた。
そして病院に到着すると変わり果てた有様を見て絶望する事になった。
病院は火を放たれ黒焦げの廃墟と化していた。
そして廃墟の前には太刀花家の者が集まり涙を流していた。
『慈玄、何があったんじゃ。嵐はどうなった?子供は?』
慈玄の口から語られたのは最悪の出来事じゃった。
君達も知っての通り、藍は生まれてすぐに母を亡くしている。
この日、八蛇の一族が病院に火を放ち出産直後の嵐に襲い掛かった。
嵐は生まれたばかりの赤子を守りながら戦い、殺されたのだ。
『殺された…?嵐が…?
…嘘じゃ…慈玄!
嘘じゃと言ってくれ!』
ワシは己の愚かさを悔いた。
八蛇とやらがどれほどの物か知らぬが嵐が嵐花を持てば天下無敵。
嵐花さえ持ってさえいれば負けはしなかったのだ、絶対に。
『ワシがくだらん見栄でコイツを渡さなかったから…ワシのせいじゃ…ワシのせいで嵐が!』
風花も守れず、娘の嵐を死なせ、ワシの人生のなんとみじめな事か。
天よ、何故あんな良い娘を殺したか!
何故あんな良い娘が死なねばならなかったのか!
遺された子供はどうすればいい!
殺すならば無能なワシを殺せばよかろう!!
悔やんでも悔やみきれず、感情を抑えきれず、ワシは年甲斐もなく大声で泣いた。
そんなワシを慰めようとしたのだろうか。
龍磨は生まれたばかりの赤子をワシに寄こして来た。
『嵐の娘です。
嵐の遺言で自分の意思を継いでくれるようにと藍と名付けました。』
ワシが赤子を抱きかかえると何も知らぬ赤子はワシを見て笑ったのだ。
『嵐…お前、こんな小さくなってしもうたんか!
せっかくあんな美しくなったのに…!この子の中にいったんか!バカタレが!!』
ワシは嵐の意思を継ぐ子を抱いて誓った。
『今度こそワシが守ってやる…!
ワシが打った刀でこの子を守り切ってみせるからな!!』
天に、嵐に、風花に届くようにとワシは思いっきり叫んだ。
この日を境にワシは変わる。
そして時代は君達の知る太刀花藍の少女時代へと移っていく。
『黒田のお爺様、いらっしゃいますか?』
藍ちゃんがお淑やかに店のドアを開く。
『おぉ藍ちゃんか!よぅ来たのぉ!
さぁさぁ、上がっていきなさい。よく冷えた羊羹があるぞい。』
ワシは満面の笑顔で彼女を出迎える。
嵐の時のように悪態を付くのは止めた。
思えばワシのへそ曲がりがあのような悲劇を起こしたようなもんじゃし、藍ちゃんは嵐のように浮かれるような性格でもない。
慈玄も随分と厳しく育てておるようじゃし、むしろワシが甘やかしてやらねばなるまい。
ワシには嫁も息子も孫もいる。
家族を愛しているがワシにとって藍ちゃんは今どきの言葉で表現するならば推しなのじゃ。
『ありがとうございます。頂きますね。』
この子もワシの行為を無下にしたりはしない。
よく出来た子だと思う。
ワシらは奥の座敷で一緒に羊羹を頂く。
『すみません。頻繁に刀を打ち直していただいて。』
『そりゃかまわんが、最近多いのう。
藍ちゃんが店に来てくれるからワシは嬉しいけどな!』
ありがとうございます。と少し照れて会釈をする。
風花や嵐と同じ顔をしているが仕草はまるで違う。
そう言った違いが、彼女はあの2人とは違うのだぞとワシにいちいち口出ししてくる。
『最近は真剣での訓練が増えましたから。』
そう言って彼女は笑ったが、真剣で訓練するなど尋常な事ではない。
それだけ事態が切羽詰まっているのだろう。
先日、彼女の誘拐未遂事件があった。
八蛇一族の青年が彼女を襲い、彼女は一瞬で敗北し連れ去られそうになった。
かろうじて姉の凛が駆け付け誘拐を防ぐことが出来たが、凜もまた重傷を負う事になった。
そして、八蛇はいつまた現れるかわからないのだ。
『ところで黒田のお爺様。
あの刀はお売りに出さないのですか?』
彼女は店内に飾られている嵐花を指差す。
母娘揃ってお目が高い。
『あれは思い出があってな。
ワシの青春そのものみたいなもんじゃから売れんのじゃよ。』
ナマクラだと偽って隠す必要もない。
藍ちゃんならばワシの気持ちを汲んでくれるじゃろうし素直な気持ちを打ち明ける。
『そうでしたか。
それは大切にしないといけませんね。』
やはりワシの気持ちを汲んですんなりと引いてくれた。
嵐とは違う優しそうな笑みを浮かべて。
『藍ちゃんにもあるじゃろ?
誰にも触らせたくない大切な物が。』
ワシが尋ねると彼女は目を瞑って悩み始めた。
『…あります。
でも…ううん、黒田のお爺様も大切な物を教えてくださいましたし…。』
その通り、ワシも年甲斐もなく恥ずかしい事を言った。
目でそのように訴えると彼女は少しだけ顔を整えて言った。
『では、笑わないで下さいね。
それと誰にも言わないで下さい。』
『おうとも、2人の秘密じゃな。』
藍ちゃんと2人だけの秘密を誰が話してやるもんかい。
ワシは当然の承諾をすると彼女は少しだけ息を吸って静かに語った。
『…ファーストキスです。』
言い終えると彼女は顔を赤らめて下を向いた。
なんとも可愛らしい回答じゃったので吹き出しそうになったがギリギリで堪える。
『…そりゃ乙女にとっちゃ大切じゃな。
でも藍ちゃんは小さい頃に慈玄や龍磨にキスをしておったぞ?』
『それは数えません。
それに小さかったので唇の感触も覚えておりませんから。』
彼女はまだ顔を赤くしながらも平静さを装って答える。
『なるほど。
で、初めての記憶を楽しみにしとるわけか。』
『はい。
やはりそう言った記念は愛した方と共有したいですから。』
今どきにしてはなんとも清純な娘じゃが、中学生ならそんなもんかも知れんな。
羊羹を食べ終わると手を合わせ、打ち直した刀を手に礼をして彼女は去っていった。
彼女の身の上も考えれば今すぐに嵐花を渡してやるべきだと考えつつも、太刀花家の男衆からの反対もあってやはりワシは渡せなかった。
強すぎる武器は彼女の成長を歪ませてしまうかもしれないからだ。
ワシは何度も同じ過ちを繰り返すアホウなのかも知れん。
そんなある日の夜の事じゃった。
ワシは生まれて初めて太刀花家が戦ってきた怪異と相まみえる事になる。
ワシらの住む町に怪異どもが現れたのだ。
町の誰もが半信半疑であったが、公民館からの警報が鳴ったので指示通りに避難所に集まった。
怪異に遭遇しながらも逃げ延びてきた何人かの怪我人達から証言を聞いてようやく事態を把握するに至ったのだった。
『もうダメかと思った時に太刀花様が来てくれたんだよ。
ズバーッって一撃で怪異の一匹を斬り裂いてさ!』
若者の一人が興奮気味に語っている。
それにしても誰が来てくれたのだろうか。
ワシは気になって若者に尋ねてみた。
『女の子だったよ。
すっげぇ可愛いのにめちゃくちゃ強くてさ!』
女の子?
それを聞いてワシの中で嫌な予感が膨らむ。
太刀花家の女性は凛と藍ちゃんしかいない。
藍ちゃんはまだ訓練を始めたばかりで戦う力はない。
既に一人前の凜だったとしても先日の誘拐事件で怪我をしていて戦える状態ではないはずだ。
『まだ小さいのに、やっぱ太刀花様はすげぇんだなぁ』
その言葉でワシは確信する。
男衆がいれば彼女を戦わせる必要はないだろう。
つまり藍ちゃんが独断で戦っているのだ。
『バカモン!
そいつはまだ太刀花様じゃない!』
ワシは小さな少女を一人置いて逃げて来た若造の胸ぐらを掴んで藍ちゃんの居場所を聞き出すとすぐに自宅に向かって走り出した。
恐らくはワシの最高傑作が必要になる。
年甲斐もなく全力疾走するがすぐに足が言う事を聞かなくなる。
若い頃は毎日20kmほど走ってから練習をしていたが今では1kmも走れない。
己の衰えっぷりがあの日は遠い出来事なのだと訴えて来るようだった。
だが、あの日は今に繋がっている。
あの日から大切に繋げてきた命を失うわけには行かん。
ワシは自宅から持ち出した刀を抱きしめながら必死に足を動かした。
『藍ちゃん!どこじゃー!!』
ワシは大声を挙げて町を駆け回った。
大声を挙げれば怪異に見つかるかも知れんが知った事ではない。
片っ端から斬ってくれる。
ワシの剣はきっとこの日の為にあった!
ここでやらねばワシは本物の大バカ者じゃ!
走り回っていたワシの目の前に衝撃的な光景が目に映った。
身の丈は3mほど、腕は人の胴まわりより太く、足は太く短く、大きな刃物を持った怪異が藍ちゃんの頭を掴み上げトドメを刺そうという所であった。
『待て待て待てぇーい!!』
その娘がどれだけのもんか。
どれほど愛され大切にされてきたか。
何も知らん奴が触るな!!
ワシは大声を挙げて怪異の注意を引き付けると、走りざまに嵐花を抜いて怪異に襲い掛かった。
『ギャァアアアアアア!!』
流石はワシの最高傑作である。
腕をわずかに負傷し怯んだ怪異が彼女を手放すと、ワシはすぐさま彼女を抱き抱えて逃げ出した。
『く、黒田のお爺様ですか?』
逃げ出してすぐに彼女が意識を取り戻した。
『なんでこんな無茶をした!!』
ワシに声を荒げられて彼女は身を竦めた。
『ご、ごめんなさい。
兄達が戻るまでに被害が出てはいけないと思って…
…一人でも多くの人を守ろうと…』
そこまで言って彼女は俯いた。
気持ちはわかる。
若い頃のワシなら皆を守ろうと突撃したであろう。
まして彼女は怪異と戦う使命があるのだから、せめて時間稼ぎくらいはと考えたのだろう。
実際に救われた者もいたようだしな。
『ガァアアアアアア!!』
背後から大きな叫び声と足音が響き渡る。
先程のワシの一撃で怒り狂った怪異が後を追ってきている。
『藍ちゃん、自分の足で走れるか?』
『ごめんなさい。先ほど足をやられて…。』
よく見れば足に大きな痣が出来ている。
折れてはいなさそうだが当分は走れないだろう。
ワシが抱き抱えたまま逃げるしかなさそうじゃ。
『黒田のお爺様、私が時間を稼ぎます。
その隙に逃げて下さい。』
『アカン!
慈玄が認めとらんのなら君はまだ戦えんのじゃ!』
一緒に抱きかかえていた嵐花を握り締めて彼女が覚悟を決めるがワシが即却下する。
ワシは慈玄の事をよく知っている。
慈玄は細かい性格なので少しでも戦えるのならここまでは大丈夫だと言う。
慈玄が戦うなと言っているならば今の彼女には一番弱い怪異ですらまだ脅威なのだ。
まして背後から迫る怪異は一番弱いようには見えん。
『とにかく逃げるぞい!
絶対に手を離すな!』
そう言って全力で駆けだすが情けない事に足が言う事を聞かない。
急いても足はヨタヨタと慣性で走るばかり、もはや早歩きと変わらぬ速度であった。
『黒田のお爺様は身を隠してください!
このままでは2人とも危険です!
後は私が何とか致しますから!』
『ならん!
君だけはワシが絶対に守るんじゃ!』
しかし気力を振り絞っても身体はどうにもならない。
『黒田のお爺様には奥様も息子さんもお孫さんだっているでしょう?
ご自分の身を一番に考えてください!
他人の私にどうしてそこまでするのですか!』
彼女の言葉がワシの何かを呼び覚ます。
そういえばどうしてじゃろうか。
初恋相手の孫だからか?
彼女の母への後悔がそうさせるのか?
…いや、ワシの原動力は他にもある。
『気に入らんのじゃ!
太刀花様だか何だか知らんが!
君みたいな小さな娘を戦わせてどいつもこいつも呑気に暮らしとるのが気に入らんのじゃ!』
それがワシの原点だったはずじゃ。
ワシは風花を、嵐を、目の前の少女を愛しく思いつつも、その強さと役目に内心イラついていたのじゃ。
『ワシらを守るじゃと?
守るっちゅうのは誰かに守られて初めて意味を知るんじゃ!
その意味を知らずに責任だけ負わされるのはとても悲しい事なんじゃ!』
そしてワシはずっと太刀花様に言いたかったのじゃ。
お前たちだけが戦う必要はないと。
『藍ちゃん、よう見とき!
ここはワシが守ったる!!
ワシの背中を見て、守るっちゅうのはどう言う事か学べぃ!』
怪異の足音が近い。
ワシは慌てて乱暴に藍ちゃんを地面に置くと、嵐花を奪い取り向かってきた怪異に向かって突撃した。
『見さらせこれがワシのいちげ…!!』
早口で渾身の一撃を繰り出すが怪異の左手が顎を捕らえてワシは宙を舞った。
なまじ喋っておったからワシは自分が舌を噛み切ったのを理解した。
(あぁ、最後まで締まらんかったな…。)
だが無駄死にではない。
ワシが打った嵐花には秘密がある。
使い手の感情が大きく動いた時に能力を大幅に引き出す術が付与されているのだ。
優しい藍ちゃんはワシの死を悲しみ感情を大きく揺さぶる事だろう。
薄れゆく意識の中、ワシが打った生涯最高傑作が藍ちゃんの足元に転がったのが見えた。
…やっと渡せたわ。
だが、ワシは死ななかった。
何も見えず何も聞こえない。
そんな深く暗い世界の中でワシは唇に暖かい感触を感じて目を覚ました。
あれからどれだけの時間が流れたのだろうか。
一瞬のようにも永遠のようにも思える。
『あぁぁ…黒田のお爺様…良かった…!』
目を覚ますと涙を浮かべながら喜ぶ藍ちゃんの顔が間近にあった。
ワシは彼女に膝枕をされて目を覚ました。
『反魂の法です。
3分も経てばお爺様でも無理だと言う話でしたが…すぐだったので私でもなんとかなりました。』
視線を横に向ければ怪異の死体が消えかかっているのが見えた。
どうやらあの後、彼女は怪異を秒殺したようだ。
すなわち嵐花が尋常ではない強化をもたらしたという事であり、それだけワシを想ってくれているのだと思うと嬉しくなる。
それにしてもワシは舌を噛み切ったはずだったが…
『はい。
ですので反魂の法を行いつつ舌の治癒もしました。』
ワシは暗闇の中で感じた唇の感触の意味を理解した。
これは後で聞いた話だが、反魂の法は心臓に呪符を押し当てる。
手が使えないため切れた舌の接合は口づけして呪文を唱えたらしい。
今さら欲情をするような歳でもないが、それでも若い娘に口づけをされたというのが嬉しい。
ワシは心の中でニヤついていたが、やがてそれは彼女の顔を見て後悔へと変わる。
一瞬だけ、彼女の瞳が悲しげな表情をしたのだ。
(…楽しみにしとったもんな。)
人命が懸かっていた。
ワシが死なずに済んで心から喜んでいる。
だがそれはさておき、やはり大切にしていただけに辛くないわけがない。
楽しみにしていた初めてのキスの記憶がこんなカサカサの爺の唇では可哀想ではないか。
ワシは一瞬でもニヤ付いてしまった事を恥じた。
人命救助だからノーカンだと言ってもそういう問題ではなかろう。
記録ではなく記憶の問題なのだから。
ワシは彼女から大切な物を奪ってしまった。
だからワシも大切な物を渡すべきじゃろう。
『それ、やるわ。』
嵐花を指差して言った。
彼女はキョトンと呆けていたが、やがて意味を理解して慌てて返そうとしてくる。
『いけません!
これは黒田のお爺様が生涯を掛けた青春の…』
『乙女のキッスより大切なもんなんかない!
それを奪っといて呑気にしとったらあの世で風花と嵐に殺されてしまうわ!
じゃから代わりにそいつをやる!
それを世のため人のため、君の愛する人のために役立てなさい!』
そう言ってワシは横を向く。
赤くなった顔を見られたくなかったからだ。
『…はい。わかりました。
こちらの刀…黒田のお爺様の最高傑作…大切に使わせていただきます。』
横を向いたまま声だけを聴けば、そこには風花がいた。
思えばワシは風花に触れたくて頑張っていたのだと思い出す。
…口づけ1つに50年も掛かったわ。
翌日、ワシは嵐花を改めて打ち直した。
嵐のために打った刀だが、藍ちゃんは力も背も足りない。
彼女に扱いやすいように少しだけ短くし軽量化も行った。
何より【嵐花】と刻まれた刻印を変えた。
今この時よりワシの最高傑作は太刀花藍のための刀、【藍花】へと変わったのだ。
『使い心地はどうじゃ?』
『はい、何もかも完璧です。
私がこんな立派な刀を手にするなんて…』
太刀花の男衆にはまだ早いと反対されたがワシが押し切った。
過ぎたる武器は成長の歪みになると言うあやつらの考えも分かる。
だが、その前に彼女が倒れてしまっては意味がない。
藍ちゃんの身の回りはそれほどまでにひっ迫している。
何よりも彼女ならば武器を手にして歪むことなどないワシが信じたからじゃ。
気持ちの問題ではない。
刀匠として、実際に救われた者としての冷静な意見じゃ。
『あ、鍔に可愛いリボンまで付いてますね。
お気遣いありがとうございます。』
『は?リボン?』
驚いて鍔に目をやると、そこには外したはずの赤いリボンが結ばれていた。
…なるほど、この子を守っているのはワシだけではないらしい。
『そのリボンが君を守ってくれる。
それは絶対になくしてはいかんぞい。』
ワシは嵐に向けるような悪戯っぽい笑みを浮かべ、藍ちゃんに忠告をする。
(風花、嵐、わかっとるな。
ワシら3人が刀となってこの娘を守るんじゃぞ。)
ワシの想いに答えたのか、鍔に結ばれた赤いリボンが小さく風に揺れた。