地獄の所在などという、いささか気負いすぎの話題が出たのはいつのことだったか。
路肩の不審物、非合理な行動をする非武装の市民、その場にそぐわない事象。あらゆる事柄に、それこそ
というのも、同僚のごく一部の神経過敏症と違い、くだらない会話をデータ化するには、僕という人間はあまりに大雑把で感情過多だったからだ。特殊部隊員という人種が高度に規格化された戦闘機械となって久しいが、僕はその中にあって、ある意味で化石的な人間であるからして、それは当たり前のことと言っていいだろう。
覚えているのは、その話題は中東・中央アジアが西欧文明の究極の敵とみなされ、聖戦の火があまねく世界に飛び火したあとであることだけだ。低出力核弾頭から雑多な棍棒にいたるまで、前世紀末に恐れられた
さて、地獄の所在だ。
それを聞いて僕が思い出すのは、父のことだ。決して、父が地獄を想起させる人間だったわけではない。むしろ真逆だ。常に沈着で、声を荒げる所を見た覚えもない、そういう男だった。
ではなぜ父を思い出すのかといえば、それは父の生前、彼が似たようなことを口にしたからだ。
「なあ、きみ。地獄というのがどこにあるのか、考えたことはあるかい?」
なんて、十歳そこらの子供に振る話題ではないと思う。しかしながら父のそれは大真面目な問いで、僕は少し考え込んでから足元を指差し、父に酷く笑われたことを覚えている。
ああ、うん。確かに一般的にはそう見る向きがあるね、と。ひとしきり笑った父が、穏やかな目尻に笑い涙を浮かべて僕の頭を撫でたのも、随分と昔の記憶だ。
しかしながら、今になってみると、あれは父にとって酷く真面目な質問だったのだと思う。確かに父は、子供の僕の前では物静かな大人だった。しかしながら同時に、彼は歴戦の特殊部隊員であり、軍を辞めたあとも鉄火と縁を切れなかった戦闘員であり、旧世紀から今に至る地獄のエスカレーターの始まりをよく知る男でもあったからだ。
つまるところ、事象に対して貼り付けられる形容詞としての“地獄”を誰よりも知りぬいた男だった。モラルの彼岸を眺め、あるいはそこを歩き、必要であれば肩まで浸かる。そうでありながら良き家庭人の顔を保ち続けた父は、ずっと地獄の所在を思索していたに違いない。
なぜ断言できるかといえば、僕もまたそうだからだ。地獄という宗教色を引き剥がし得ない概念に思いを馳せるには僕はあまりに世俗的で、信仰に対して不誠実で、敬虔には程遠い現代人だったが、嫌でも地獄というものに思考を巡らせざるを得ない。
それは果てのない戦場で生きる身の上がもたらす必然でもあり、どれだけ無宗派を気取っていても、僕らの倫理はなにがしかの宗教に無意識に紐付けられているからでもあるだろう。
限度のない暴力を前にし、そしてそれを振るうことを繰り返すと、人は死後について思いを馳せる。それは窮地を前にしてなにかに祈るのと同じ、人間の何処かに刻み込まれた普遍の行動様式なのだ。
そこまで理解してようやく、僕は父が問うた意味に思い至った。考えずにはいられなかったからだ。母は父を示して無宗派の仕事人間と評したものだが、父はおそらく、自分がどこに向かうのかを確信していたに違いない。
彼は自分が地獄に落ちると考えていた。それに足る人間だと。もちろん、理路整然、沈着冷静、理論と事象以外に信ずる物のない父の外面を信じるならば、彼はこう言うだろう。人が死後に向かうのは、天国や地獄ではなく無だよ、と。
もちろん、父は僕や兄弟姉妹にそんな言葉を投げたことはない。彼は子供の前で無意味な冷笑家(ニヒリスト)をひけらかすほど愚かではなかった。しかし、皆が知る父はきっとそう言い切っただろう。
話がそれたが、父はそういう男だった。そういう人間として知られていた。しかしながら、その実、彼もまた人並みに死後の世界を考える感性をもっていたというわけだ。結局のところ、人は無という最も現実的な帰結を心の底から信じるようにはできていない。非合理であっても、地獄なり天国なりに心惹かれるよう、呪いを受けて生まれ落ちる。
そんな父が、今どこにいるのかは僕も知らない。苛烈な人生とは対象的に、家のテラスで、マットを敷いたチェアに深く腰掛け、コーヒーを半分ほど残して死んだ父が今どこにいるのか。
彼が無に帰ったのか。あるいは、見つけた地獄へ堕ちたのか。それとも、見当違いの場所に転がされて、はてここはと首を傾げているのだろうか。
目下のところ、それを考えるのは、僕自身が地獄の所在とやらを見つけられないでいるからだ。
地獄は脳にあると言ったのは誰だったか。あるいは、なんだったか。大脳新皮質の襞のパターンにそれはあると、なにかで見たような覚えがある。父の言葉か、あるいは彼の書斎にある節操のない並びの書棚の一冊か、もう思い出せないが。
父の死後、その言葉を見かけてなるほどと納得したのももはや昔の話だ。脳はたしかに僕らを僕らたらしめるマスターピースだ。少なくとも、一般的に人の意識や行動や感情は脳が規定するものだと考えられている。
しかし、今の僕はそれを信じるほど無邪気ではない。脳は脳だ。身体という大楽団の指揮者に過ぎず、有機的な生命活動の元締めでしかなく、どこまで行っても人体を構成する部品の一つでしかない。
聞いたことはないだろうか。死人の臓器を移植された人間が、死人の生前の好物を突然愛好するようになり、あるいはその口癖が突然その人間の口癖になり、あるいは異性の好みが、生き方が、臓器の持ち主のそれに引き寄せられる例を。
そもそも、生物学的に言えば自己を規定するのは脳ではなく免疫だ。すなわち、身体そのものが自己を規定する。
ニワトリの脳にウズラの脳胞を移植すると、そのニワトリはウズラの鳴き声で鳴くようになり、ウズラの行動様式を真似する。しかしながら身体を司るニワトリの免疫はウズラの脳を自己とみなさず、非自己的器官として免疫が拒絶し、やがて死に至る。キメラの実験において実証されたこれが示すのは、一個の生命を規定するのは、生物学的に言えば免疫――すなわち身体それそのもの――ということだ。
脳がウズラの行動様式を、声を、ウズラのあり方を自己とみなしたとして、身体――あるいは自己という総体がそれを認めなければそれは自己たりえない。脳が身体に規定される自己と反するのであれば、脳すらも排除されてしまう。
もちろん、この話は生物学的にそうであるというだけのことだ。僕の脳に地獄があるとして、僕の脳に焼き付いた“自認識としての地獄”が僕を離さないとして、僕の身体がそれを否定することはない。
しかし、そんな愚にもつかない学問の実証が僕の意識の何処かに引っかかるのは、どこまでも無神論者であろうとした父が最後には地獄の所在から逃げられなかったからだ。意識がどうあれ、僕らの身体――あるいは身体の何処かに仕込まれたなにか――は呪いのように死後の帰結を意識の隅にちらつかせる。
免疫が異物を排除するように。僕の何処かにある僕を規定するなにか。世にいう魂というやつか、それとも精神的免疫とでも呼ぶべき何かだろうか。それは僕が見聞きした地獄の所在を否定する。そこに地獄はない。地獄はそんなものではないと。
脳みそに焼き付いた血と泥と糞便は、ただの記憶でしかない。悲惨とか、惨憺とか、悲劇とか、言葉をラベルにできる程度の事象でしかない。地獄は違う。そんなものではない。言葉にできずともどこかにあり、僕はそこに向かうのだとどこからか囁くそれに思いを馳せる。
その声ともとれない、しかしなにかを訴え、急き立てる声を耳にしながら腕をつく。酷く傷んだ。
銃は握ったままだ。使い古されたユージン・ストーナーの設計は、フレームとハンドガードの接合部でへし折れていた。投げ捨てて左手を持ち上げ、血の滴るそれを瓦礫に這わせ、上体を持ち上げ血反吐を吐く。
爆発の余波が全身を引きちぎらなかったのは幸運だった。隣では、一緒に飛び込んだ同僚の粉砕物が瓦礫の下から溢れ出している。すり潰されてベリーのスムージーのような有様の腕から、カービンを引きはがす。
身体は酷く傷んだが、自分のステータスは致死ラインには遠いことはわかっている。先端医療のあまねく恩恵は、瀕死の兵士に活動を許さず休止に落とし込むよう、薬品の自動注入を可能としているからだ。
痛む身体でも、立てるということは戦えるということ。大質量の爆発を受け、瓦礫と血肉の山になった周囲を僕は見回した。
ろくでなしの筆頭格を奇襲で捕らえる。その作戦もこうなっては粉微塵だ。メインターミナルはすでに欠片も残っていない。カルデラのように凹んだ跡地を見、僕は不謹慎なことに、感慨に耽り、小さく笑ってしまった。
すり鉢状に吹き飛んだそこに突入した部隊は、数万、数十万の市民と一緒に粉砕されたことだろう。アリジゴクの巣がそうであるように、円錐形にへこんだそこに散らばる遺体や燃え上がる火の色、血を流し、泣き叫びながら崩折れて死んでいく人々の血の色は、昔みた名画のレプリカを思い起こさせた。
ボッティチェリの
ひとしきり笑い、それからカービンの装弾を確かめる。バリスティックヘルメットはどこかに吹き飛んだが構わない。弾倉は無事だし、僕は生きている。いわゆる地獄の只中で、僕はまだ生きている。
無線ががなる。状況報告を求める
かつて、父がパリでそうしたように。かつて、父が自分の世界のためにそうしたように。