婚約者候補にわたしの名前があがっている。そんな話を聞いてから早数日。今日も今日とてわたしはベッドに沈んでいた。そして今日も今日とて傍らにいるのは疲労を翌日まで残さないためにマッサージを施しているミリアだった。
「う、ぅ……うぅぅぅ……!」
「そんなに痛みますか?」
「いや……痛みはもうないけど……」
どんなに辛くてもここで怠けたら昨日その前の努力が水の泡。そんなの勿体ない精神が許さないよねって考えと意地で続けている鍛錬はその成果もあってか、初めの頃よりもだいぶまともに動けるようになっている。生まれたての小鹿みたいな足で廊下を歩いてメイド達の腹筋を鍛えることもなければ、夕食時に音を鳴らしまくって義母様と姉様の眉にしわを作ることもない。
だからこれはそんな自分で自分を追い詰めた結果に唸っているわけではなく、王子の婚約者候補とかいう嫌なワードに頭を悩ませているだけだ。
「ねえミリア。改めて婚約者候補から外れる方法のアイディアを求めたいんだけど」
「またその質問ですか。そんなに嫌ですか? 王子様との結婚」
「当然でしょ⁉ だって会った事すらない、どんな相手かすらもわからない相手なんだよ⁉ そんな人と結婚したいだなんて、普通思わないでしょ⁉」
「性格は将来どう転ぶかわかりませんが、ひとまず美形との噂ですけどね」
「そりゃまあ美形だろうけどさ……」
そりゃあの王女様の弟君なんだから、美形じゃない方が驚きだよ。実物は絵でも見たことないけども……
「王子様との結婚なんて、幼い女の子なら誰もが憧れる話だと思ったのですけどね」
「それは現実として考えてないからでしょ。実際その王子様と結婚した場合、下手すれば王妃になっちゃうんだよ? そうじゃなくても領主以上に責任が重い立場になる。ただでさえ父様に「君は領主に相応しくないな」って育児を放任されてるのに、それ以上の役職なんて潰れるのがオチだよ」
「それはそれで現実を見据えすぎでは……」
「夢だけ見て、いざ現実になったら嫌なこと全部放棄するような王妃を、わたしは上の人間だと認めたくないからね」
そんな人間、自分より上の立場にいてほしくない。わたしより上の人間は、わたしが頭を垂れなければならない相手は、わたしより素晴らしい人間であるべきだ。
これは前世が色濃くなる前のわたしが漠然と抱いていて、今のわたしになっても残り続ける信念だ。前のわたしが実質いなくなったも同然の今、なるべくなら残しておきたい。
けど次の発言はそんな信念に沿った答えを出そうとして出したものではない。
「なら仮にマゼンタ公爵令嬢がそんな人間だったらどうなさるおつもりで?」
「蹴落とすよ。絶対に」
普段よりも低い声で当然とばかりに即答された内容にミリアが一瞬固まる。息を呑む音も聞こえた。どうやら相当驚いたらしい。
「驚いた?」
「ええ。お嬢様がこんな強気発言するとは思わなかったので」
「ねー。わたしも驚いちゃった」
「……ご自分でなさった発言じゃないですか」
「そうなんだけどね~」
でも本当に驚いたのだ。考え自体はあったとしても、瞬時に答えてしまうほど強いものだとは思ってなかったから。頭から一瞬で熱が抜ける感覚も初めてで驚いたし、まるで選択肢を強制的に選ばされたか初めから一択しかなかったみたいな思考回路にも驚いた。
……これ、なかなか厄介な性質なのでは?
「しかしまさか多くの精霊に愛される人間がそのような人格者だとは思えませんけどね」
「あー……まっ、それもそっか」
ミリアの発言はパレッティア王国の根本に関わる精霊信仰からくるものだろう。正直魔法を習い始めてもいなければ無信仰者なわたしはその発言を疑ってしまうけど、とりあえず肯定しておく。
だってそもそも今のわたしって公爵令嬢ってかなり上の立ち位置にいるから、わたしより上の人間なんて数えられる程度に限られているんだよね。その上にいる人間や上になるべきって求められている人間は、この国でかなりの重役かそうなる予定の人だから、そんな人間が今のわたしより劣ってたらお笑い物だよ。
「さて。終わりましたよ、お嬢様」
「うん、ありがとう、ミリア。ふひぃ……だいぶ疲れが取れた気がする~」
「それはよかったです。このままお休みになられますか?」
「うーん、なんか忘れてる気がするけど……ま、いっか。うん、このまま寝る~」
「それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみ、ミリア」
テキパキと道具を片付けて、ついでに電気も消して部屋を出て行くミリアを見送り、ベッドの中へ潜る。いつもの寝る姿勢になれば、心地よい疲労感とマッサージによるリラックス感が睡魔を誘い、やってきた睡魔はわたしをさっさと夢の中へ連れて行こうとする。
けど……うーん……? ほんとに何か忘れてるような……まあ忘れるってことは大したことではないってよく言うし。
気にするのをやめよう。そしてさっさと寝てしまおう。そう考えてしまったから、結局思い出したのは意識が沈む寸前。
(あ……結局婚約者候補から外れる方法、考えてない……)
もっとも思い出したからといって意識が覚醒するほど大したことではないのも確かだった。
そんなやり取りがあったとは知らなかった、数日後の夜。王都の屋敷にいる私は誰もいない部屋で、届いたばかりの手紙を読んでいた。
その数、6通。全て領地の屋敷から届いたもので、半分は妻と上の子供二人から。もう半分は子供たちにつけているそれぞれの専属従者からだ。
子供からの手紙にまず目を通す。教育の一環で週に一度書かせているそれには、自分が何を経験し、どう感じ、何を次に生かそうと考えたかを書かせている。もっともまだまだ子供で、着眼点は甘い。帰ったら褒めて欲しいという考えが透けて見える文章もある。まだまだ改善の余地があるようだ。
次に目を通した長男シャルルと長女キャロルそれぞれの従者と妻からの手紙には、子供たちの教育が順調なこと、領地経営が良好なことくらいしか書かれていない。内容自体は細かく書かれているが、まとめればそれだけだ。領主としては大事な報告だが、つまらないという感想を抱いてしまうのは仕方ないと思いたい。
だから次女リリアナの専属従者からの手紙を前に口角が上がってしまうのも仕方がない。毎度最後にとっておくのは、私がケーキのイチゴは最後に食べる派だからだ。
他と違いたった一枚に収められた手紙には、やはり期待通りのことが書かれていた。
教育に関して書かれているわけではない。ただ冒険者を偏見で見るなとか、アルガルド王子殿下の婚約者は嫌だとか、かといって愚者が王妃になるくらいなら蹴落とすだとか、そんな発言をしたという内容。他の手紙に比べれば教育よりも会話の内容を重視したその手紙は、私が知りたい情報を的確に捉えている。
「クク……やはり普通の令嬢には育たんか」
シャルルもキャロルも、その歳なら優秀の部類にこそ入るが、特出した才能も性格も持っていない。私からすれば平凡な人間に育ってしまっている、つまらない子供だ。
だからこそこのパレッティア王国ではイレギュラーかつ優秀な存在の血を半分引くリリアナには期待していた。ただ育てるだけでも一風変わった貴族が育つだろう。それが良くも悪くも私の好奇心を満たすだろう、と。
今のところほぼ放置状態でも見事に私の期待に応えているのだから素晴らしい。ここに私の知識や経験を加えれば、将来どんな大輪の花を咲かせるのか。
「ふむ……ここはひとつ、ユフィリア嬢と会わせてみてもよいかもしれぬな」
手紙に書かれた「ユフィリア・マゼンタ様の名前を出したとき、お嬢様は少し興味をお持ちのようでした。魔法や全属性の言葉が気になったのかもしれません。お嬢様ならどんな属性に適性があり、どんな魔法を使われるのか、今から楽しみです」の文にそう呟き、その計画を熟考する。
さて、あの大人しい人形のような令嬢と、内心は賑やかな娘が会えばどんな反応が起きるのか。噂への反応も見ておいた方がいいかもしれない。
「いっそアニスフィア王女殿下にも会わせてみたいところだが……あのお方が大人しい日など、今しばらくはなさそうだな」
あの魔法は使えない王女様は、ご自身で編み出した『魔学』とやらに熱中されている。その実験が失敗して大怪我をした話はよく出回るし、最近では森へ外出されているらしく、王城で近衛騎士や侍女たち相手に逃げ回っている姿が目撃されている。あまり接触のない私が呼び止めても止まらぬだろう。
唯我独尊の奇天烈王女。魔法は使えないと知られてからたった2年の間につけられた数々の悪名は、多くの貴族に広まっている。知らぬのは社交界デビューがまだな上に情報を規制された我が娘くらいだろう。
その娘は、王女が魔法を使えないと知られる前から、
「あの方は絶対この国に革命を起こす存在です! 人間国宝です! だって誰も成し得なかった魔法を生み出すのですから! というかそもそもなぜ今まで誰も空を飛ぼうと思わなかったのですか? この国の貴族は愚者しかいないのですか?」
と熱弁と疑問を同時にぶつけてきた。もしかすると今もまだ魔法が使えないことを知らないかもしれない。それを知ってもまだ言うとは思うが。そして最後の疑問には賛同したくなるが。自分の両親も含まれているにも関わらず言い放った娘には「ほかでは言うな」と頭を撫でてやった。妻には呆れられた。
だが娘は予知夢があるとはいえ、この国で誰よりも早く王女の才能を見出した、素晴らしい目の持ち主だ。私の『相手を見て将来の姿が曖昧に浮かぶ』程度の目とは比べ物にならない。
王女は魔法“は”使えない。だが頭“は”使える。それも天才の部類に入る人間だと、僅か2年の間に重ねられた奇行に紛れた功績が証明している。下水道の発案は未だ審議中だが、遠くない未来可決されるだろう。娘に言えば「さすがです! それでこそ我が国の王女様! 万歳!」と両手を上げて称えそうだ。
だからこそいざ会わせたらどんな反応をするか、こちらも楽しみだ。だがこっちは王城で会えたらでいいだろう。娘が幸運の持ち主なら、少しでも会えるかもしれない。
ひとまずはユフィリア嬢への面会と、婚約者候補からどう娘を外すか、だ。
「ククッ……そう簡単に大事な
今はまだ王族の手のひらで躍らせるつもりはないのだ。花を咲かせるその日まで、私の手でじっくり栄養をつけさせねば。私にあの子を託してくれたあの美しい亜人にも申し訳が立たぬだろう?