空に虹を描きたい   作:ほのりん

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彼女はこうして吹っ切れた。

 別に過去にいなかったわけではない。同じ世代にも一人、有名な『魔法が使えない子』がいるのだから。

 貴族の括りでなら、平民上がりの貴族は魔法が使えないから、『魔法が使えない=貴族ではない』の方式は成立しない。あの先生は過剰なだけだ。

 人は魔法が全てではない。平民だって魔法なしで生きているのだから、それ以外の分野を伸ばせばいい。剣の腕前は兄妹の中では随一だ。将来騎士になるのもいい。

 

 これらはミリアが言ってくれた慰めの言葉だ。布団をかぶって丸くなったわたしに、優しく語りかけてくれた。気持ちが落ち着くようにって、そういう効能のある紅茶を淹れてくれた。

 ……それでもわたしは見てたから。わたしが魔法を使えないって知ったとき、「貴族なのにそんなのありえない」って困惑しているのを。その困惑が失望に変わっていくのは、見たくない。

 それに、そんな優しい言葉よりもぐるぐると頭に響き続ける言葉がある。

 

 精霊への信仰心が足りないからだ。もっと祈りを捧げなさい。気持ちを込めなさい。そんなので本当にパレッティア王国の貴族を名乗っているのか。恥を知れ。

 

 魔法の先生からの言葉だ。とても信仰心が篤い人で、信仰心が足りないわたしに怒りが込み上げてきたらしい。ただその言葉が過剰かどうかもわたしはわからなかった。この世界では、世間知らず過ぎたから。

 

 人間じゃないからだ。化け物だから魔法が使えない。精霊が応えるわけがない。

 化け物は森へ帰れ。人間じゃないお前は、公爵家の子供じゃない。公爵家にいていいはずがない。

 

 兄様、姉様からだ。日頃の鬱憤を晴らすように罵倒された。侮蔑や憎悪の目で、崩れ落ちたわたしを見下していた。確かにわたしは人から見れば人に紛れた化け物だから、二人の言うことも一理あると思ってしまった。精霊に意思があるのなら、人間に友好的なら、確かに人間でないわたしには応えてくれないのだろう。

 

 このときわたしは知らなかったが、そもそもわたしは二人とはなるべく接触しないようにされていたらしい。というのもわたしが義母様の血は流れておらず、代わりに人間でない者の血が流れていること。かなり乱暴な赤ん坊で何度か怪我をさせてしまったこと。初のウルフ化時に暴れたこと。これらが子供たちに恐怖を抱かせたのだとか。

 その恐怖は、父様がわたしだけを特別視することで憎悪へ変わってしまい、「なんでお前ばかり」と怒りを溜め込んでいたのだとか。

 それらをわたしは3年間も気付かず過ごしていたのだから、周りが本当にわたしに配慮してくれていたことがわかる。その配慮がなければ、もっと早めの段階で悪意をぶつけられていた可能性があるのだから。

 

 ともあれ、そんなの今のわたしは知らないから。子供特有の小さな世界で、家族という大きな存在からぶつけられた悪意は、世界中の人間すべてがわたしの敵だと思わせるのに十分な効果を発揮した。前世は大人だったんだから世界がそんなに狭くないことを知っているだろ、と心を奮い立たせようとしても、どうしても心は立ち直らない。

 

 誰かの目をまともに見ることもできなくなった。変に知識はあるから、目に感情が映るって知ってるから。

 食事は部屋で摂るようになった。兄様と姉様に会いたくないから。義母様も含めて全員怖い存在に思えてしまうから。

 鏡を見るのをやめた。ふと見たときに狼目だったら、わたしが化け物だと再認識してしまうから。

 誰かとすれ違うのも怖くなってしまった。メイドや執事がこそこそと何かを話す姿に、自分の悪口を言っているのだと思ってしまったから。

 

 家族よりも一緒にいるミリアにさえ、本当は失望しているんじゃないか、仕事だから優しくしてくれるだけで本心では軽蔑しているんじゃないかって疑うようになってしまった。

 義母様は何も言わなかった。それが失望を意味しているのではと悪い方に考えてしまった。

 父様はまだ帰って来ていないけど、あれだけ期待していたのだから失望するに決まっている。

 誰かと共にいるのが苦痛で。独りぼっちでいたくて。

 ふと思い立ったとき、わたしは初めて家を抜け出した。

 

 リリアナ・クラウグレー、6歳。早めの反抗期である。

[newpage]

「お嬢様ー! リリアナお嬢様ー!」

 

 後ろからミリアや他のメイドたちがわたしを呼ぶ声が聞こえる。部屋の窓から抜け出したのがバレたのだ。次の授業まで時間がないから、焦って探しているのだろう。

 その声に心臓の鼓動が早くなるのを感じる。かくれんぼと鬼ごっこを同時にしている気分だ。それも楽しくなくて、鬼が怖いから逃げる感じの。

 だから逃げなきゃ。怖いことから逃げなきゃって、走り続ける。

 突発的な行動だから、計画なんてない。けど走った先に屋敷を囲む塀と、塀と同じ高さがある木があったから、木登りをしてみた。そのまま塀の上に飛び移れたから、じゃあこのまま降りて外へ逃げよう、と下を見た瞬間、固まった。

 塀の高さはおよそ3m。ならば当然地面までの高さも同じだけある。ロープか何かはない。前方に森は広がっているが、木に飛び移るには距離がありすぎる。降りるにはこの場で飛び降りるしかないだろう。

 この高さからの落下は、良くて打撲、悪くて骨折、最悪出血過多で死亡だろうか。

 どうする。怪我を覚悟で飛び降りるか。木に戻って何事もなかったかのように戻るか。

 

「お、お嬢様⁉ そんなところで何してるんですか⁉」

 

 迷っている間に、背後から声が聞こえた。反射的に振り返って見れば、驚きと心配で今にも泣きそうな顔のミリアがいて、

 

 ――わたしが見たのは、そこまでだった。

 

「えっ――きゃああああぁぁぁ!!!!」

 

 足を滑らせて塀の向こうへ落ちていくわたしの身体。響くのはミリアの絶叫。

 それを認識しながら、ぼんやりとした頭でどんより雲の空を眺めていた。

 

(あー……まぁ、ここで死ぬのもアリっちゃアリか)

 

 このまま頭蓋骨骨折コース。即死か、出血性ショック死か。あんまり痛いのが続くのは嫌だなぁ。

 そんなぼんやりとした思考だったのが功を奏したのだろう。生存本能が強く主張して、わたしの身体をわたしの意思とは関係なく動かす。

 手足を動かしてくるりと回転し、猫のようなしなやかさですとんと足からの着地を成功させた身体。反動は少なく、どこかを痛めたとか、怪我をしたとか。そもそも命を亡くしたとか。そういうことは一切ない。奇跡のような無傷だった。

 

「……いや、てか……え……? まって……わたし今、ほんとに死にそうになって……え?」

 

 さっきまで「死ぬのもアリ」とか思ってたくせに、いざ生き残ると本能だけでなく理性も生に縋りつく。さっきまで落下に恐怖を感じていなかったのに、思い出すと身体が震えてくる。心臓は今日一番強く鼓動しているし、涙は出るし、大声で泣きたくなるし、この場で膝を抱えて丸くなりたくなる。

 でも今は許されない。塀の向こうから騒ぎを聞きつけた他のメイドや騎士たちの声が聞こえて、こっちに来ようとしているのがわかる。それがわたしを捕まえるための声に聞こえて、怖くて、聞きたくなくて。

 急いで逃げなきゃって焦ったわたしは、震える身体を抑えつけて走り出した。

 目の前に広がる薄暗い森の中へと。

[newpage]

 屋敷のすぐそばには森がある。その森には鳥や獣だけでなく、魔物も生息しているらしい。そしてその魔物を狙って冒険者がくることもある。だから森は危険、絶対に一人で入ってはいけない、と義母様やミリアから言われていた。魔物なら単純に命の危険があるし、冒険者なら身体か身代金目当てにされる可能性もあるから。

 で、剣術の先生こと冒険者ザインからは「今の嬢ちゃんなら条件次第では魔物と遭遇しても生き残れるだろ」と言われている。冒険者はピンキリだからわからないとも。ちなみにその条件は「自分の得意武器を携帯していること」で、着の身着のまま、しかも動きにくい令嬢の私服では魔物と遭遇してもよほど運が良くない限り生き残れないだろう。

 かといって咄嗟に飛び込んでしまった以上、このまま獣道ですらない場所を突き進むしかない。戻れば騎士たちに捕まるかもしれないから。自分が幸運な娘で、誰にも遭遇することなく森を抜けられることを祈ろう。

 

 そんな風にただがむしゃらに突き進んでから、しばらくして。不意に鼻が嗅ぎ取った鉄の臭いに足が止まった。

 

(森の中に鉄? 冒険者の忘れ物……いや、普通の金属製の武具はこんなに匂いを発しないし……)

 

 嫌な予感がする。臭いの正体がなんなのかわからないけど、それから逃げたほうが良いってわたしのなかの何かが警告する。同時に直感が正体を探ったほうがいいとも言う。

 自分の中に生まれた2つの考え。間に挟まれたわたし自身が選んだのは、「正体を探って、その結果によっては逃げよう」という直感寄りの行動。

 耳を澄ませる。風でざわざわと葉が擦れる音だけが私の耳に届く。ということは捜索の目はまだここまで届かない。ならすぐに動いてもよさそうだ。

 姿勢を低くして、周囲の臭いを嗅いで、鉄の臭いがより強い方向へと進む。

 

(鉄の臭い……嗅いだ記憶はあるけど、いつどこで嗅いだんだっけ?)

 

 どの記憶の引き出しに入れたのか、手当たり次第に開けるけど見つからない。臭いって結構限定されてる情報だからすぐ見つかると思ったのに……

 

(あっ、そうか! 幼い頃に鎧を噛んでみた時と同じ味……って、絶対その臭いじゃない……)

 

 ちなみにその鎧とは廊下の飾ってあるやつである。噛んだ理由はどんな食感、味がするのか知りたかったから。いつも綺麗に手入れしてくれているメイドたちには申し訳ないことをしたと思います、はい。

 

 そんな雑念どっぷり状態でも五感は情報を拾っていて、嗅覚はますます強くなる鉄の臭いに追加で微かな汗の臭いと獣臭を嗅ぎ取り、聴覚は微かで荒い息遣いを聞き取る。

 ここまでくればさすがにこの先がどんな状況なのかある程度予想は立てられるし、臭いの正体だって嫌なものを頭のなかでチラつかせる。

 これ以上は危険、誰かに遭う可能性がある。すぐに別方向へ進路を変更したほうが良い。

 そう瞬時に判断して、別方向へ一歩を踏み出したとき、ある可能性が頭をよぎった。

 それは無視してもわたしの生活には何も影響はないだろう可能性。少し夢見が悪くなって、ふとしたときに後悔はするだろうけど、その都度「でも結局何もできなかっただろうし」と言い訳して、大人になるにつれて思い出すこともなくなるかもしれない、そんな可能性。ここで……夢の一つも叶えられないまま終わるよりは、捨ててしまったほうが良い可能性。

 それでもわたしは、

 

「後悔は一生引きずるタイプの人間だって、一番よく知ってるんだよね」

 

 向いた方向を元に戻し、先ほどよりも慎重に歩を進めた。

 ここからは臭いじゃない。聴覚が命だ。視覚も、何も見逃すな。でもなるべく早く。

 せっかく拾った可能性。こぼして後悔なんてしたくないから。

[newpage]

 出す音を最小限に心掛けて、思わず顔をしかめてしまうほど臭いが強くなった頃、わたしはややひらけた場所に着いた。

 昼間だというのに木々に遮られて暗い中、草の陰から周囲を見回して、それを見つけた。

 地面に黒いしみ……明るかったら赤かっただろうそれの中心に横たわる人間。

 戦闘で消耗したのだろう、ぼろぼろの装備は地面と同じ色で汚れていて、腹からは生きている間は医者以外見えてはいけないものが見える。

 

(うぐっ……は、吐きたい……)

 

 こみ上げてきた酸っぱい液体を押し戻す。これ以上見たくないって思うのに、妙に冷静な一部の思考が目を反らすことを許さず、この場の状況を確認し始める。

 

 人間……男性だ。やや筋肉質。装備の傷からわかる敵の種類は……わかんない。そもそもわたし、魔物と会ったことすらないし。少なくとも刀傷ではなさそうだから、人間同士の小競り合いではなさそう。

 あと他に確認しなきゃいけないことは……

 

「……っ……ぐ、ぅ……」

「っ!?」

 

 微かに聞こえた呻き声にビクッと肩を弾ませる。さすがにこんな状態でまだ生きてるとは思わなかったから驚いた。

 でもきっともう、どうしようもない。街まで保たないだろうし、治癒魔法を使える貴族はこの場にはいない。せめてできるのはこの人間……多分冒険者だろう男の認識票を回収して、ギルドを通じて遺族や仲間へ彼の死を知らせることくらいだろう。

 そう思って近付いて……二度目の声にまたビビった。

 

「だ、れか……そこに……?」

「……う、うん。いる、よ」

 

 問われて、黙っておこうかと思ったけど、遺言なら伝えなきゃって口元まで近付く。

 男の目はすでに機能していないようで閉じられたまま。耳も聞こえてるか怪しいけど、誰かが近付いたのはわかったようで口を開いた。

 

「たの、む……なかまが……まものに……!」

 

 微かな息のような声に乗った言葉には強い意志があった。もうほとんど入らない力を指へ一点集中させ、方角を示す。

 男はそれを伝えると、そのためだけに生きていたと、息を引き取った。もう微かな息遣いさえ聞こえない。

 

「あぁ……くそぅ……」

 

 死んだ人間ではなく、死ぬ人間を見てしまった。死ぬ寸前でさえ、仲間を案じる心に触れてしまった。

 

「だめだよ……そういうの……」

 

 弱いんだよ、そういう話。何もできないわたしがちょっと託されたからって。じゃあ主人公になっちゃおうかって、そんな無謀な感情を抱かせる。それはきっと危うい感情だってわかるから。

 危険だって、わかる、けど……

 

「こんな異世界に……魔法必須の貴族社会に生まれて、夢への階段に片足も掛けられないというのなら……」

 

 この命、無駄に散らしても惜しくない。

 

「どうせ二度目だ。三度目がなかろうと、一度目が不十分でも、人生二度目は自分勝手に生きさせてもらう!」

 

 丁寧な生き方なんてくそくらえ。犬死に自爆大いに結構。周りの評価なんざ知ったもんか。いちいち傷ついて馬鹿らしい。

 

「わたしが主人公だ! わたしが! この物語の! 主人公なんだ!」

 

 咆えろ。遠く遠く、未来へと。

 いつかこの道を振り返ったとき、わたしにモブだと思わせないように。

 

「せめて! サブキャラくらいには! なる! アナザールートの攻略キャラくらいには、なりたい!」

 

 ……途中までは良かったはずなのに、最後まで続かないのも、まあ、わたしらしいのかな。

 

 結局自分に呆れながら、もしかしたら空で呆れてるかもしれない男の首元から認識票を引っこ抜いて、わたしの首に下げる。血まみれでもわかる銀色を服の内側へしまい、腰に差してあったナイフで足首まであるスカートを切り裂き、膝までの長さへ。メイン武器には男が使ってただろう血まみれの3本の爪、クローを両手に装備した。

 

「さて、じゃあ、一狩り行きますか!」

 

 今までの人生の中で一番ギラギラと目を輝かせて、わたしはその一歩を踏み出した。

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