イヌバラの思い出 作:ローズヒップティー
「────へえ」
ゴウ と一陣。強い風が吹いた。
落ち葉を巻き込みながら木漏れ日を駆け抜ける。絡めとられた落ち葉は、陽光を両断しながら舞い上がる。光の柱が立ったり消えたり。
くすんだ緋色の髪がたなびく。
カマイタチが走ったのか。髪留めがするりと解けて、肩甲骨に届こうかという長さの赤い絹糸が風にあおられる。
短い感嘆詞。
魔術ではない。
だが、その短い言葉で風が発生したかのように錯覚した。
鋭い眼光が肺を貫く。比喩だと自分でも思いたいが、その瞳で一瞬息が止まった気がしたのだ。
「
「え、ええ。……そうです」
苛立ちが勝っての言葉だったが、本心であるのに違いはなかった。
魔術師の関わる犯罪を解明するのはほぼ不可能だ。
なぜなら、方法が特定出来ないから。
一般的な犯罪捜査における重大な要素のひとつ、『殺害方法』が絶対的に分からない。
────どのようにしてやったのか?
どのようにして侵入して、何を用いて、どのように殺したのか。
Q.俺たちの部屋とは違い、
Q.見た目通りの刺殺なのか。本当は絞殺や毒殺、呪殺なんかで、隠蔽のために解体したのではないか。
Q.凶器はなんなのか。仮に刺殺だとして、ただの刃物なのか、魔術礼装の類なのか。
これらのクエスチョンは、"想定される回答が複数"あり、かつ"模範解答が不明"なのである。そして、答え合わせは行われない。
決して百点を取れないテキスト。
魔術師の犯罪とはそういうものだ。
「──ハウダニット、ね」
蒼崎は吐き捨てるように
「じゃあさ、ひとつ賭けないか?」
「賭け?」
「この謎が解かれるか、否かを」
「……本気ですか?」
「もちろん、本気も本気だよ。
賭けるものは、そうだな……。お互い財産がどんなモンか知らないし──"なんでも一つ云うことをきく"なんてどうだ?」
子供の提案のようなものだった。
きっとさっきと同じだ。バイロン卿に見張りを申し出た時と同じ。彼女のほんの思いつき。
「ああ、でも"死ね"とか、そういうのはなしにしよう。絶対命令権じゃあない。そいつのできる範囲でお願いを聞く、というものだ。
そら、ほんの遊びの範疇だよ、ヴィジリア」
「……まあ、いいですけど」
「あと、お前の魔眼を使うのもなしだ。
「道理ですね。わかりました。それも結構です」
「では、私は
「俺はしない方に。
……でもいいんですか? 人間の手で拾える過去の残滓はごく僅かなものです。相手が魔術師ならなおさら。それにライネスたち以外はやる気もなく、派閥争いの種としか思っていない」
本当に、無理だと思うけど……。
俺のそんな考えをよそに、蒼崎は何が愉快なのか笑っている。なんだか無垢な少女が笑っているようにも見えて、その陽光に照らされる
「いいんだよ。ギャンブルは不利な方に賭けるのが面白いんだ。
それに、意外と賭け事には強いんだぞ? 私は」
*
森を歩く。
日の光がほとんど入り込まないほど、深く、深く。
蒼崎とは既に別れ、いまはひとりだ。
双貌塔を結ぶ一本の通路より分たれた、森の奥まで入っていく脇道である。
本道とは異なり、石畳なんて上等なものはなく、土が剥き出しのままとなっている。いっそ獣道と呼称した方が合っているような具合だ。
足を踏みしめるたび、ぐちゅり、と音を立てる。今朝はよく冷えたが、霜柱が出来るほどではなかったようだ。水分は凝固せず、土と混ざり合い、泥と化している。
風が吹き、草木の青さと、腐葉土、動物の糞尿なんかの臭いが入り混じる。
顔を
とはいえ、俺にとってそれは不快ではない。
もとは
気にせず歩を進める。
「──さて、どうしたものか」
応える者はいない。
チチチ と鳴く小鳥の声がするのみ。
「解決しない方に賭けたが、間違いだったかな?」
というのも、森へ入っていくある人物の姿が見えたのだ。俺はいま、それを追っている最中。
カリーナ──黄金姫付のメイドである。
現在地としては、月の塔と陽の塔とも離れた森の中。点を繋げば綺麗な二等辺三角形ができる位置だ。
伸びる影、歪に傾いた塔の天辺がここら一帯を突き刺す。昨日ここに来た時、まるで日時計のようだと思ったが、どうやら本当にそうらしい。
では、針の指す楕円周になにかあるのか。
俯瞰して見たいが、果たしてこの場合は眼を使った判定になるのだろうか、と考えがよぎった。
目元に手を伸ばす。
かちゃり と
確かに、彼女視点でもうっすらとボヤける程度ではあった。だから、伊達でも問題はなかったのかもしれない。
──魔眼殺しの眼鏡。
俯瞰視点を封じることは出来ないが、目合いで
ただ、わざわざ貸して寄越したあたり、俯瞰もしない方がいいだろうな。
足跡、匂いを
さりとて見失うことはない。バスカヴィル家の犬を舐めないでほしい。
追う──。
踏まれて変形した土の形、滲み出る泥水の透明度を見極める。風に運ばれる杏仁豆腐のような甘い匂いを嗅ぎ分ける。
追う────。
距離が徐々に縮まっていく。
影の先端へと辿り着く。
『────、──────!』
「……なんだ?」
追っていった先は、森の中にぽっかり開いた空間。
泉のほとり。
そしてそれは、
なんだか嫌な予感がする。
ゆっくりと近づいていく。
「──────、あ」
その気の抜けた音は、果たして自分から発せられたものだったか。
俺の声が聞こえたのか、ソレはこちらを振り返る。
「…………ヴィジリア、さん……?」
ソレの声は少し掠れていた。
血に塗れた手。右手にはアカイロに汚れたナイフ。
白いスーツも同じように返り血で真っ赤だった。
誰がいるのか。一人か、二人か。
その答えは両方であった。
二人による諍いの声であり、同時に、一人の男によるどうしようもない残響だった。
彼はその青白い顔を一層青くして、しかしこちらを
「──マイオ」
俺の口から、彼の名前がまろび出る。
それは、同胞の魔術師による殺人であった。
「……これは、ち、違うんです! ヴィジリアさん」
「何が違うんだ?」
言葉を交わしながら構える。
──暗闇で開眼し、私は月面から碧い星を眺める。
とあるイメージに則った自己暗示。それによって魔術回路が
礼装もなし。触媒もなし。まさに裸一貫。もし戦闘になるなら厳しそうに思えるが、さてどうなるか。
「カ、カリーナは、カリーナがッ! わ、悪いんだ。だって、に、逃げるって!
ディアドラは、死んだけど、ウぉ、黄金姫は! 失われて、なか、なかったのに……!」
「要領を得ない。どうか落ち着いてくれないか」
「あ、あんな彼女は、知らなかった! 僕は、彼女を、し、知っていたのに……! ずっと、前から!」
マイオは徐々に近づいてくる。だらりと下がった右手は、いまだにナイフを握りしめている。
完全に錯乱しているといっていい。何を言っているのか、てんで分からない。
そも、この状況からして意味不明だ。
何故カリーナはここへ向かったのか。何故マイオもいるのか。そして、何故殺したのか。どうしてこうなったのか。分からないことだらけだ。
然して、どのくらいの仲かは知らないが、カリーナともそれなり長い付き合いだったろう。それを自身の手で殺したことで、彼の感情が暴走しているのかもしれない。
その証拠に、彼の目はずっと何処か遠くを眺めているようだ。
据わった目でゆらゆらと歩いてくる。
まったく、こうなっては仕方ない。
手持ちは心許ないがやるしかない。
「──マイオ・ブリシサン・クライネルス。
投降を勧める。それ以上近づくなら容赦はしない」
「僕は……ぼく、は……!」
マイオは歩みを止めない。距離はおよそ10メートルを切った。『強化』した魔術師であれば、一息で詰めることが出来る距離だ。
彼の位置がレッドゾーンに差し掛かる。
「最後通告だ。止まれ」
「…………」
「──そうか」
彼の過去を
だが、搦め手を使われると分からない。
彼は
この場でやられて一番嫌なのは────
と、彼の左手から何か植物のタネのようなモノが落とされた。
瞬間、そのタネから煙が噴出される。否、煙ではない。これは霧だ。
それはあっという間に泉を呑み込んでいく。木々の隙間をすき抜けて、森すらも呑むように濃霧は広がっていく。
霧に包まれ、周囲に発酵した黒糖を思わせる甘い匂いが充満する。
「ロートスの霧……!」
マイオの記憶を漁り、その正体にすぐに行きつく。
オデュッセイアにて語られるロートパゴス族。
彼らの土地に自生するロートスの木から採れる果実は、一度食べれば病みつきになり、もうそれを食べること以外考えられなくなるのだそう。
ソレの正体がなんであるかは神話では語られない。しかし、麻薬に近いものであるのは示唆されている。
強い幻覚作用と依存性。
この霧はロートスの実の幻覚作用だけを抽出し、拡散するものだ。
抗魔力が低ければ、あっという間に方向感覚が狂ってしまう。
幸い、この程度の霧に負けるほどの魔術回路は持っていない。質はともかく、量だけはあるのだ。
だが視界が遮られ、マイオを見失ってしまった。
「……どうくる?」
静寂な霧の中、俺の声だけが
逃げるなら逃げるで、そう言ってもらいたい。
ずっと身構えるのも疲れてしまう。
が──、パキリ と枝の折れる音がして、沈黙は破られた。
前。後ろ。右。左。斜め。
360度、全方位から弾丸のようなものが迫ってくる。目を凝らしてみれば、それは木の実であった。
直径3センチほどのトゲトゲの硬い実。モミジバフウと呼ばれる物に近いか。いずれも魔力が込められており、接触すれば何かしらの魔術が働くのだろう。
「当たったらどうなることやら」
試すつもりもない。
途端、俺を中心に突風が発生し、霧もろとも木の実を吹き飛ばした。
遠く、霧の向こうから微かに動揺が伝わってくる。
「──Zのルーンだ。昔から他人のモノマネは得意でね」
ルーン魔術。
咄嗟の時に使うのは今まで数秘紋であったが、蒼崎橙子の過去を
「とはいえ、彼女ほど上手くは扱えないが。ま、ちょっとしたモンだろ?」
「────」
返答はない。
ただ彼が息を呑んだのはありありと伝わってきた。
「さて、覚悟はいいか? ──クライネルス」