イヌバラの思い出 作:ローズヒップティー
医務室は二階にあった。
処置はひと通り終わり、マイオはベッドに寝かせている。
簡易的なイスに座り、白銀姫とレジーナの話に耳を傾けた。あまり長くはかからなかった。
「────そうですか」
レジーナの言葉に深く頷く。
語られた、イゼルマという魔術師たちの物語。
どうしようもない──と切り捨てるのは簡単だが、魔術師であればそれを簡単に切り捨てることなど出来ない。
根源の渦。全ての始点へ辿り着くために、彼らは走り出したのだから。
「……はあ」
ひとつ、息を吐き出す。
どうも、自分には彼らの思想は理解できないみたいだ。星の瞳で世界を
それが、何故だか悲しく思えてならない。
彼らに対する憐憫ではない。
俺自身への思い。
どうして、自分は、彼らと気持ちを通わせることができないんだろう……。
理由はわかっている。俺が人間に拘っているからだ。彼らは魔術師であり、人間を超越しようとする者たちだ。ヒトとしての当たり前を捨ててでも「 」を求める求道者たち。
対して、俺はヒトになろうとしている。ベクトルが真逆なのだ。"
彼らは"
俺は"
……とはいえ、実は重なる部分もある。
理想と現実は違うのだ。置き去りにすべきものに愛着を持ってしまうこともままある。
その『人間性』とでもいうべきものが、俺には眩しく思えてならない。
「……ヴィジリア様。ここまでのお話を踏まえて、お願いがございます」
白銀姫が口を開く。次に出るであろう言葉は、未来視なんてなくても容易に予測ができた。
「──言わなくても、それくらい分かりますよ」
だから止めた。口に出されるよりも先に止めた。
「いいでしょう。向こうには向こうの事情があるでしょうが、今回はこちらへ加担します。
……カリーナに感謝するんだな、マイオ」
眠ったままのマイオへ告げる。
魔術師に残る人間性、その煌めきには抗い難い。求めていたものがそこにあるのだから、手を伸ばさずにはいられない。
光を目指す蛾のように。
結局のところ、俺も彼らも、やるべきこととやりたいことの間で揺れているのだ。
「どうか、よろしくお願いいたします……」
深々と頭を下げる白銀姫。習ってレジーナも礼をする。
なんだかむず痒い。俺は今回、俺の欲求のために行動する。その結果として、彼女らの望みが叶うだけのこと。
彼女らを納得させるために形だけの報酬は受け取ったが、実際は報酬なんていらない。すでに貰ってしまっているから。
「ま、出来るだけのコトはしますよ。ええ」
蒼崎には悪いが、致し方あるまい。賭けの条件決めの時に、エルメロイ側への助言云々の話が出たが、こちらへの介入については何か言われるということはなかった。
申し訳ないことこの上ないが、この事件は迷宮入りにする。俺の信条に従って。
*
バイロン卿やロード・バリュエレータが去り、現在、
ライネスへの疑いは、残念ながらまだ晴れてはいない。師匠が間に入ることによって、なんとか明日の夜まで調査の時間をもらえることになった次第だ。
なお、カリーナを泉から陸へあげたのは自分と師匠のふたりである。
日中とはいえ、涼しげな森の中の泉は、想像通りの冷たさを誇っていた。着替えを持ってきていて良かった、と師匠が口にしたが、全くもってその通りだった。
こういう時、水銀メイドのトリムマウが居てくれると助かるのだが、殺人に使われたかも知らない、として預かられてしまった。
「……死因は、心臓を一突きか?」
血に染まった傷跡のあたりを探りながら、師匠が小さく呟く。
他に傷らしいものもなく、毒や呪いで苦しんだような表情もない。おそらく、その見立てで間違いないように思える。
正面からの刺殺。狙いは心臓。犯人に殺意が明確にあったことは想像に難くない。
他者に対してそこまでの殺意を抱くということが、自分にはとても恐ろしく思えてしまう。
「これは……」
またしても、呟きがもれた。
その声に伴って、カリーナの衣服の下から装飾品が取り出される。
打ち割った石に紐をくくったネックレスであった。石には渦巻きの模様が刻まれている。なんらかの魔術的な意味があるのか、自分にはてんで分からない代物であった。
「……ケルトの護符といったところか。残念なことに役には立たなかったようだが」
そう言うと、師匠は一度瞑目してから立ち上がる。
「明日には弔ってもらえるように計らおう」
一応の検死は終わったのだろう。コートと鞄を抱えて移動の準備をし始めた。
カリーナの死体については、後ほどバイロン卿が使いをよこすらしい。去り際に獣避けの結界を張っていったから、このままでも大丈夫とのことだ。
「──次は、黄金姫の確認だな」
鞄についた泥を落としながら、師匠は双貌塔の方向を睨む。眉間の皺が一層深く刻まれたように見えた。
────しばし歩き、森を抜けた。
戻ってくるころには日もそれなりに傾いていた。夕刻には遠いが、昼としては後半だろう。
陽の塔の空き部屋で師匠が、元々あてがわれていた部屋で自分が、濡れた衣服を着替えてから月の塔へと向かう。
辿り着いた月の塔は静かだった。
昨日の出来事だというのに、社交会が遠い日の出来事のように思えてしまう。あの時には、高らかに唄うラッパの音があんなに響いていたというのに。
「黄金姫の部屋は?」
「三階だ。向こうの階段を上がって、右から三番目だよ」
不思議と、師匠とライネスの会話もどこか遠くに聞こえてくる。
キュ キュ と濡れた革靴の音だけが、やけにハッキリと耳に入ってきた。それが自分も含めて三人分。
キュ キュ キュ
カツン
乾いた足音がして、ハッと意識を取り戻す。セカイの音が回帰する。気付くと、濡れた靴の音がやんでいた。
「──これはこれは。さしものロード・エルメロイも、妹君の危機とあっては駆けつけるか。美しい兄妹関係だな」
それは社交会で聞いた声だった。
蒼崎橙子とマイオ。それともうひとり。
丁度、螺旋階段から降りたところなのだろう。自分たちの向かう方向からその人はやってきた。
赤みがかったブロンド、乱暴に結ばれた後ろ髪が揺れる。朝見た時もそうだったが、パーティの時とはまるで別人だ。
お人形さんのような、ぱっちりした赤い瞳がこちらを見つめる。眼鏡越しのソレと目が合った。
ふと、黄金姫が登壇する直前、目が合いかけたことを思い出した。その時は特段何も思わなかったが、こうして再度目を合わせてみると、その瞳が恐ろしいものに感じられてしまった。
こちらの全てを見抜くような、そんな眼光。
夜、天上より見下ろしている月のような────。
「……Ⅱ世をつけていただきたい」
「ああ、そうだった。これは失礼、ロード・エルメロイⅡ世」
師匠の言葉によって目線が逸らされる。感じていた圧迫感が消え、ほっと一息をつく。
気分が落ち着き、やっと普通の感覚で状況が観察できるようになった。
向かい合う、師匠とその人。
歳はおそらく自分より少し上くらいか。だというのに、師匠と相対するその顔にはなんの表情も浮かんでいない。いっそ非人間的といっていい。
本当に、お人形さんみたい。
西洋人形のように、可憐で、不変だった。
「聞いたところによると、あなたがこの事件を解明なさるとか」
先に戻っていたバイロン卿かロード・バリュエレータにでも聞いたのだろうか。腰に手を当ててそう確認してくる。
「ええ、その通りです。この事件は私が預からせてもらった。これから黄金姫の検分に行くところです。
ゆえに──
「もちろん。邪魔をする気はありませんから、どかせていただきますとも」
そして言葉通り、すぐさま一歩退いた。
確か伝承科と言っていたから、マイオ──ひいてはイゼルマ側かもしれないと思ったが、なんだか違うように思えた。
とはいえ、師匠はバイロン卿から捜査の許可はもらっているし、この一時はそのように見せただけ、ということもあるが。
「──捜査、頑張ってくださいね」
すれ違いざま、そう声を掛けられた。
師匠は、
「ああ、ありがとう」
とだけ言って、階段をのぼる。
ライネスも自分も、ハッとして着いていく。
ぼーっとしていた訳ではないが、なんだか雰囲気に呑まれかけていた。あの人にはそういった異質さがあった。
「──ヴィジリア、か」
階段をのぼりながら、師匠がぼそっと呟いた。
「おや兄上。ご存じだったかい? 何となく見覚えはあるんだが、どこかで知り合っていたかな」
その声に、すかさずライネスが反応する。
そういえば、あの社交会のときにもそんなことをライネスが言っていた。彼女とは時計塔にいた時間がまるで違うが、少しでも助けになるならと、もしかしてなんて思いであの人の顔を見たんだった。
結局、自分は役に立たなかったが……。
師匠は、会ったことがあるのだろうか。
「いや、私も実際に見たのは初めてだ。ただ──」
「ただ、なんだい?」
「ただ、伝承科に
「んん? どういうことだい?」
階段をのぼりきったところで、師匠は立ち止まった。
黄金姫の部屋へ行く前に、この話題を終わらせてしまおうというつもりらしかった。
「ヴィジリア・ロサ・カニナ。
「え、それって……」
つい、声をあげてしまった。
「ああ、いや、グレイとはまた異なる。彼女は時計塔に籍を置いている、正真正銘の魔術師だよ」
「ちょっと待ってくれ兄上。それは"経緯"だろう。でも、気になったのは"時期"なのかい?」
「その経緯に繋がる時期こそ、不気味なんだ」
「……不気味……」
確かに、彼女は不気味だった。
人形のようなあり方もそうだが、最たるものは纏う空気だ。
自分の故郷のソレに近しい、死の匂い。魔術師なんてものはその殆どが死に触れている。だから、彼女がそんな空気を纏わせていても不思議ではないが──
なんというか、静かすぎた。
誰もいない霊園のようだった。
鴉の一羽もいない。本当の意味で死に絶えた墓。
人も、霊も、死体すらも、何もない。
埋まるはずだった誰かの墓穴だけが、ぽっかりと空いている。そんな感覚。
「彼女が時計塔に所属したのは、記録では三年前の12月25日。その年、その日になにが起きたか。覚えているかね」
三年前となると、西暦2000年ちょうどだ。一世紀の終わり、その年の終わり。その際に何があったか。
記憶を探るが、さっぱり分からない。
そもそも自分は村にいた頃のことだ。あそこでは外の情報はあまり入ってこない。魔術世界のことならなおさらだ。
「……三年前の、クリスマス……」
ライネスも口元に手をやって、うーん、と悩むそぶりを見せる。
──が、すぐにピンときたような顔をして、そしてすぐにその顔を歪めた。
「いや、まさか、兄上……」
「確証はないが、確信はある。きっと彼女はコレに関わっている」
焦ったようなライネスの声。深妙な師匠の声。自分の知らない何かを彼らは知っているようだった。
「あの、それは……」
「────バチカン事変……」
自分の困惑した様子が分かったのか、声に答えるようにライネスが
「クリスマス・イヴ──バチカンの聖夜のこと。その事件は起こった」
師匠がゆっくりと概要を説明していく。
「バチカン地下に広がる
「……え?」
呆けたような声。それが自分の出したものだと気づくまで、幾ばくかの時間が必要だった。