イヌバラの思い出   作:ローズヒップティー

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/Howling Wolves Exorcise Eroding Shadows


十七話 幻狼の遠吠えは響く

 

 

 

 異形の犬を従えて、狼が昏い森を駆ける。

 

 黙れと言ってもきゃあきゃあ喚き、やめろと言っても勝手に行動する。かつての群れの仲間とは雲泥の差であった。

 

 だが、コイツらはやれと命じればやるのだ。

 

 否定の命令は聞かないが、それ以外のことならば愚直にこなす。

 

 ロボはそのあり方を気色悪いとは思いつつも、仲間ではなく道具としてソレらを見ることで抑えていた。

 

 

『────!』

 

 

 波のない音を吐き出す。

 

 空気を歪ませ、風を生む。音はない。咆えたロボ自身、己の声を認識していない。遠く、キィーンと耳鳴りのような感覚を残すばかりであった。

 

 どうにもこの感覚には慣れない。

 

 ロボは契約者の術式を苦々しく思うも、そんな契約者を善しとしたのは自分自身である。

 

 せめて夜であれば────。

 

 草木を掻き分けながら、ちらりと狼は空を仰ぐ。

 

 薄暗い森の中、枝葉の僅かな隙間から覗いた空は黒雲が広がっていた。陽光を遮り、雷鳴が轟く。夕刻ではあるが、いまの有様は夜と遜色ない。

 

 さりとて、自身の声が遠く響かないところを見るに、未だに日は沈みきっていないのだろう。そのようにロボは認識した。

 

 太陽よ、()く沈め。

 

 

『────!』

 

 

 いま一度、肺から空気を吐き出す。

 

 多くの魔力が含まれたその吐息に呼応するように、異形の者どもはより牙鳴(がな)り立てる。

 

 ロボの意思を汲んでのことではない。

 

 ただの反応である。

 

 そして、その魔力への反応がようやく治った頃、ついに一行は泉に辿り着いた。

 

 狼には人の儀式など分からない。しかし、そんなロボからしてもそこは清廉な場所のように感じた。その中でただひとり、女が倒れ込んでいる。

 

 ホムンクルス。

 

 先ほど、フォクシーが入れ替えたカリーナの代わりだった人形。その死体。開けた場所ということもあり、その体はしっとりと濡れていた。

 

 "人相が分かるか分かんないかくらいにして"

 

 とは彼の契約者の言である。

 

 ロボはしばし逡巡する。彼にとってヒトとは喰らうに値しない肉である。ホムンクルスとて同様で、食べもしない血肉で牙を汚す行為を好んでいないのだ。

 

 衝動のままに噛むには、彼の持つ人間への怒りは薄れすぎた。

 

 

『────』

 

 

 よって、黒犬たちへと指示を出す。

 

 お前たちが喰っていいぞ、と。

 

 止め時と止め方は気をつけなくてはいけないが、ロボがやらない以上、彼らにやってもらうのは当然であった。

 

 ケタケタ ケタケタ 不快な嗤い声が周囲を包む。

 

 一瞬、それが鳴り止んだ。

 

 途端、一斉に女の死体へと飛び掛かる。

 

 腕、脚、胴、首、あらゆるところへと牙が食い込む。どろりと赤黒い血が流れ、泥水を濁らせた。

 

 ロボが、顔をやれと命令する。すると皆が皆動きを止めて、言う通りに顔へと歯を立てる。

 

 いつ見ても不気味だ。狼は思う。

 

 ロボは少し離れたところで彼らの行為を見ていた。自我があるのかないのか、判じ得ないあり方に薄寒いものを感じていた。

 

 そんな彼らを片目に、ふと狼は南を睨む。

 

 魔術師の集団がいままさに双貌塔の近くにまで辿り着かんとしており、それを察知したためだ。

 

 彼も、彼の契約者も、その集団のことは深くは知らない。

 

 彼らを従えるアトラム・ガリアスタの名前も知らなければ、当然ミック・グラジリエやロード・バリュエレータとの関係も知らない。

 

 ただ、イヌバラの魔術師はともかく、ロボにとっては彼ら彼女らの関係性などどうでもいい問題だ。つまるところ、気に食わない敵である。

 

 殺意は薄れども、依然狼王は人間に対して敵意を持っている。

 

 彼らのような秩序立った()()()()()()()こそ、忌々しい記憶を呼び起こすのだった。

 

 

『──』

 

 

 以て、小さく唸り声をあげた。

 

 実際に声は発せられないので、あくまでそのような素振りをしたかたちだが、それだけで黒犬たちはピタリと動きを止めた。

 

 そして、甲高い──悲鳴にも似た──声をあげると、ロボが睨む南の方へと一直線に駆け出していった。

 

 べちゃり と黒いモノが地面に落ちる。

 

 あまりに()いて走るものだから、身体の一部が剥離したようだった。

 

 いくつかある小さな黒い塊たちがか細く鳴き声をあげる。他の個体の落とし物同士が共鳴している。針金のような腕を伸ばし、それぞれが繋がっていく。

 

 そして、あっという間に一匹の黒犬が生まれ、他の仲間たちの後を追っていった。

 

 狼はそれを見やってから、ゆっくりと歩み寄っていった。

 

 何にか。ホムンクルスに対してである。

 

 (かお)を判断することは無理だろうと分かるくらいに荒らされている。服はもう元の色の判別がつかないくらい赤黒く染まってしまっていた。

 

 その死体に、狼はそっと鼻を近づける。

 

 何故そのような行動を取ったのか。きっと彼の契約者も分からないだろう。ロボ自身、この複雑な感情を表現する術を持たない。

 

 憐れみか。果たしてこの狼が、ロボが、ヒトに対して憐れみを持つのか。

 

 しかし、仮に憐れみを持ったとして、狼がこの死者に手向けるものはない。

 

 ロボはすぐに顔を上げ、遥か南を再び見やる。ちょうど、黒犬たちが魔術師の集団とかち合ったらしいと分かったからだ。

 

 女の死体を視界の隅に追いやって、ロボは彼らのもとへと駆け出した。

 

 

 

 

 

  *

 

 

 

 

 

 バイロンに対し、いくつもの雷撃が降り注ぐ。

 

 彼と襲撃者たちを取り囲む無数のシャボン玉が、僅かな夕陽と雷光を照り返す。

 

 イゼルマの虹玉、とバイロンが呼ぶそのシャボン玉は彼が魔術によって作り上げたものであり、攻撃にも防御にも用いることのできるものであった。

 

 だが多勢に無勢とはこのこと。無数の雷撃、その全てを防ぎ切ることはできず、いくつかの稲妻がバイロンを傷つけていた。

 

 いかに一流の魔術師といえどバイロンの本質は研究者であり、戦いの専門家ではない。

 

 虹色の防御を完全に突破され、その身が焼き尽くされるのはもはや時間の問題だった。

 

 ────このまま何もなければ、だが。

 

 

「うわっ、もう戦ってる! ってなにこれ!?」

 

『──────アハ』

 

 

 乱入者はふたつ。

 

 草むらから飛び出したのは、金髪の少年。

 

 森の影から飛び出したのは、黒犬の集団。

 

 少年は、襲撃者たちからバイロンを救出するためにやってきていた。それゆえ、正面の怪物たちのことは寝耳に水もいいところ。まったく知らない存在であった。

 

 黒犬たちも、統率者たる狼も、さらには召喚者もそれは同様であり、この少年の存在など知りもしない。だが、ソレらによっては重要なことでもない。

 

 異形のブラックドッグにとってみれば、バイロンも、襲撃者たちも、この少年も、等しく餌に過ぎないからだ。

 

 耳の付近まで裂けた口が、ニタリ、と歪んだ。それを見て、少年は無邪気な笑顔を引き締めるのだった。

 

 

「バイロン卿ですよね。イゼルマの!」

 

 

 と、視線を黒犬へ向けたまま、少年が尋ねる。

 

 

「……君は?」

 

「エルメロイ教室のフラット・エスカルドスです!」

 

 

 バイロンも襲撃者たちも二方向からの乱入者に面食らっていた。それでもなお、動揺を表に出すこともせず尋ね返したのは、イゼルマの当主としての矜持だった。

 

 対して、少年──フラットは快活に名前と立場を告げる。

 

 チラリと、一瞬だけ襲撃者たちの方へと視線を向け、そして樹上へと呼びかけた。

 

 

「どうする? ル・シアンくん!」

 

「ル・シアンって呼ぶな!」

 

 

 怒鳴って、木の上からもう一人の少年が降り立つ。

 

 隠れていれば奇襲だって出来たのに、と小さく文句をこぼしながら、油断なく辺りを見渡した。

 

 

「尖っててイガイガする鉄臭い奴らと、ヘドロと屍肉が混ざったみたいな腐乱臭を纏ったバケモノ、か。

 ……仕方ない。このまま戦うぞ!」

 

「オッケイ! そうこなくっちゃ!」

 

 

 フラットが返事を返した直後、図ったかのように黒犬たちが飛び掛かる。少年たち、襲撃者たち、その区別なく。目につくもの全てへと襲いかかった。

 

 全長1メートルほどの小さな塊。とはいえ、数が多い。見えているだけでも十数匹。森の奥で光る目からして、総数はもっと。

 

 普通に相手していたのでは捌ききれない、と少年は直感する。

 

 しからば、と。

 

 

「おおおっ!!」

 

 

 ル・シアン()と呼ばれた少年──スヴィンが吼える。

 

 その音圧だけで、黒犬たちは怯んだ。

 

 ギャ、と声をあげて、一番近かったモノが灰と化す。まるで吸血鬼が陽光を浴びたかのように。

 

 アジアの多くの地域では、犬の吠える声は邪気を祓うとされる。スヴィンの声にもそのような効果があるのか、(おぞ)ましき異形は(たちま)ちその姿を霧散させた。

 

 それでもまだ残った黒犬たちは、何が楽しいのか奇怪な笑い声を上げ続けている。

 

 仲間の死を(いた)むことはない。そもそも仲間とさえ思ってはいない。なぜならば────

 

 

「そうか! これ影だ。群体でひとつなんだ!」

 

 

 霧散する様を見て、その魔力から読み取ったのか、フラットが正解に辿り着く。

 

 影と灰を媒体として飛び出されたバスカヴィルの使い魔。その正体は媒体とした"影そのもの"である。

 

 光を遮り生まれた影。草の影、木の影、石の影、人の影。そういった何かしらの影を束ねたもの。

 

 弱点は、陽光。あるいは魔を祓い退けるような力。

 

 魔術師よりも、聖堂教会に所属する代行者などの方が相手として好ましいだろう。

 

 しかし、この場にいるのは魔術師のみ。正攻法で全てを消し去るのは至難の業である。

 

 

「ル・シアンくん、時間稼いで! その間に解析するから!」

 

「ル・シアンって言うな! ……だが、任せろ」

 

 

 フラットはバイロンに駆け寄り、その体を守るようにしながら虚空を指で弾く。まるで見えないキーボードを叩いているかのよう。

 

 スヴィンはそんな彼を尻目に黒犬たちへと向き直った。

 

 

Pallida mors(青ざめた死よ)

 

 

 呪文が紡がれる。

 

 少年の髪がざわつく。どこにそれほどまでの毛量を収めていたのか、それともいま伸びているのか。生き物のように蠢き、スヴィンの全身を包み込む。

 

 それと同時に、彼の八重歯やら爪やらも、刃と見紛うばかりの代物へと変化した。

 

 襲撃者たちが黒犬へ向けて放った雷撃によって、スヴィンの姿が昏い森の中で照らされる。

 

 後ろで見ていたバイロンも、離れた襲撃者たちも、つい息を呑む。

 

 狼男。人狼。そんな言葉が彼らの頭に浮かんだ。

 

 スヴィンの姿はそのように変貌していた。

 

 身体中の筋肉ははち切れんばかりに膨張し、金属で出来ているに等しい硬度の体毛が全身を覆っていた。

 

 とはいえ、実際にそのような姿へと肉体が変質したわけではない。彼の纏う異常なまでの密度の魔力が、そのように見せかけているのだ。

 

 ──獣性魔術。

 

 これこそが、スヴィン・グラシュエートの魔術。

 

 獣の力を取り込むことを選んだ魔導の道のひとつ。

 

 武術やスポーツ、はては芸術にいたるまで、ヒトは獣に、人にはないナニカを求めてきた。霊長として彼らと袂をわかったその時から、彼ら獣は神秘を見出される側となったのだ。

 

 

「ガアアァァッ!!!」

 

 

 先ほどとは比べ物にならないほどの覇気を纏った咆哮が放たれる。

 

 そして、多くの黒犬の断末魔がそれに合わさる。

 

 さりとて全てを消し去れているわけではない。森の深くから魔術師たちを覗く無数の瞳は少しも減ってはいない。

 

 咆哮の終わり、息を吸う隙をついて、何匹かの黒犬がスヴィンへと突進する。

 

 それを、爪を振るって断ち切る。斜めに身体の肉を削ぎ取られた黒犬たちは、すぐに灰となって風に消えていった。

 

 襲撃者たちも、襲いかかる黒犬たちを雷撃によって撃ち落としている。

 

 一時休戦、というわけではない。時折、スヴィンたちの方へも雷撃は飛んできていた。ただし、スヴィンも咆哮を襲撃者たちへ向けて放っていた。

 

 魔を祓う声は、襲撃者たちの魔力をも散らし、何人かが黒犬の攻撃を受けてしまう場面もあった。

 

 まさに三つ巴である。

 

 

「ようし、頑張れ、ル・シアンくん! エルメロイ無双だ!」

 

「軽口叩いてる暇があるならさっさと解析しろ!」

 

「いやあ、そうはいっても使い魔と契約者の繋がりを断たないとだからさ、時間がかかるのは仕方ないよ!」

 

 

 少年の言うところの軽口を叩き合いながら、スヴィンは的確に黒犬を処理していっている。

 

 悪態をつきつつもフラットへの信頼は厚く、焦った様子のない彼を見て、こちらの魔力が尽きる前に解析が終わるな、とスヴィンは迎撃のみに全力を注いでいた。

 

 ──が、フラットの手がぴたりと止まる。

 

 スヴィンも、同じく硬直した。

 

 二人の止まった理由は違えど、根本の部分は同じであった。

 

 フラットはある大きな魔力を察知して、スヴィンは森の奥から鳴る耳鳴りのような音を聞いてのこと。

 

 彼らが止まったのと同時に、時間が止まったかのように黒犬たちもその動きを止めていた。

 

 

「…………なんだ、これは」

 

 

 襲撃者たちも気づいたのだろう。彼らのうちのひとりが呟く。

 

 おそらく、ロード・エルメロイⅡ世であれば、その魔力の正体をすぐに突き止めたであろう。そして、すぐさま撤退を選択した筈だ。

 

 ゆらり と森の奥で闇が揺れる。

 

 悠然とした歩みでやってきたのは、一頭の狼であった。

 

 

 

 

 

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