イヌバラの思い出   作:ローズヒップティー

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/Bark, Hounds


十八話 月に咆える

 

 

 

 魔術属性というものがある。

 

 俗に四元素と呼ばれる『火』『風』『水』『地』の四つに、西暦以後新たに加わった『空』を合わせた五つ。

 

 これを五大元素と呼び、これに『虚』と『無』の架空元素の二つを加えた七つが基本的な魔術属性となる。

 

 架空元素に適性を持つ魔術師は決して多くなく、殆どが五大元素のどれか一つに振り分けられるのが普通だ。

 

 そんな"普通"の五大元素の中でも、やはり差は生まれる。

 

 『火』はノーマルなどと呼ばれ、この属性の魔術師が最も多いとされている。逆に『空』は少なく、その希少性は二つの架空元素に迫るほどである。

 

 ────フラット・エスカルドス。

 

 彼の魔術属性は、その『空』であった。

 

 天体を構成する元素であり、第五架空要素(エーテル)そのものを操作することすら可能とする。

 

 第五架空要素(エーテル)とは現代における魔術の要。大気に遍在する魔力そのものであり、とりわけ熟練の空属性の魔術師は、他者の魔術へ干渉するに長けていた。

 

 それはフラットも例外ではなく、解析・干渉を得意としている。

 

 

「…………うん。やばいね、これは!」

 

 

 フラットの声は相変わらず快活だった。しかし、その頬には一筋の冷や汗が伝っていた。

 

 彼の見つめる先には一頭の狼がいる。ただし、断じてただの狼ではない。

 

 体高は成人男性ほど。体長は3メートルはあるだろうか。尾を含めればもっと。

 

 身体は分厚い毛皮で覆われており、差し込むか細い夕陽が針金のような毛の一本一本を照らしている。

 

 青みがかった黒色の身体が森の中に佇む。影が落ちて全身を細かく観察することは難しいが、額に刻まれた白い十字の模様と、琥珀色の瞳だけが闇の中にはっきりと浮かんでいた。

 

 その狼の纏う魔力の濃度よ。

 

 凡百の使い魔などとは比べ物にならない。

 

 フラットの瞳は、目の前の狼のあり方を正しく見つめていた。

 

 目の前の黒犬たちと素材は同じ。

 

 灰と影で編まれた肉体。

 

 だが──中身がまるで違った。

 

 黒犬たちに中身はない。精神もない。魂もない。

 

 ────この狼は違う。

 

 こちらを()め付ける(まなこ)には確固たる精神性があり、その肉体の心臓のある部分──霊核にはたしかに高純度の魂が収まっていた。

 

 

「降霊術? どっちかって言うと召喚術なのかな。でも肉体・精神・霊魂が揃ってる。なら普通の召喚式じゃないよね。……やっぱり、複雑な術式だ。ぱっと見は時計塔でもよく見るものだけど、それぞれのコードが独立して混在してる────」

 

 

 フラットの目が揺れる。空に描かれた文字を読んでいるかのように、その瞳が忙しなく動く。

 

 同じくして、ぶつぶつと独り言ちる。彼にとってこれは、目を通して入り込んできた情報を脳内で整理するための行いだ。

 

 

「…………」

 

『…………』

 

 

 そんなフラットを背に、スヴィンは構える。

 

 フラットはいま解体作業を二つ同時にこなしている。ならば己が彼の元に敵を届かせるわけにはいかない。そんな矜持もあった。

 

 狼も、同類の力を振るう少年を見据えたまま動かずにいる。

 

 ロボは魔術師というものをよく知らない。契約者によって最初に現界したのは数年前であり、理解するほどに学ぶ機会もなかった。

 

 襲撃者たちも、もちろんバイロンも、みな動かずにいる。

 

 当然ながら、誰しもがこの状況でおいそれと動けるわけもなかった。

 

 ──たった群体(ひとつ)を除いて。

 

 

「──なにッ!?」

 

 

 襲撃者たちの誰かが叫ぶ。それは目の前の()()に対してのこと。

 

 黒い嵐。

 

 そう表現するほかない光景だった。

 

 ピタリと止まっていた筈の黒犬たちが、一斉に襲撃者たちへと飛びかかったのだ。それも、森の中にいたモノたちも──全員。

 

 数百はいる群勢が一塊となって32人にぶつかる。

 

 黒犬は命令がなければ勝手に行動し、また否定命令は聞かない。

 

 先ほど、この黒犬たちが動きを止めた理由。それはロボより新たな命令を下されていたからに他ならない。

 

 そしていま、命令を咀嚼(そしゃく)する時間は終わった。

 

 共鳴の奇声が渦を巻く。黒い汚泥と無数の眼球が高波となって襲いかかる。(イナゴ)の群れのように、それ自体がひとつの生き物かのよう。

 

 男たちも抵抗するように各々が雷撃を放つ。それらひとつひとつが何匹もの黒犬を焼き、灰へと変えていく。

 

 だが、異形のものどもは止まらない。当然だ。群体であるソレらが、たかだか数匹や数十匹死んだところで止まる道理がない。

 

 唸りを上げ、地を抉る。

 

 

「あ」

 

 

 と、誰かが小さく洩らした。

 

 それを最後に、イゼルマへの襲撃者たちは黒い嵐に呑まれていった。

 

 ぴぎゃちゃ とよく分からない音が響く。

 

 勢いよく飛んでいったあれは、人間の腕だろうか。

 

 ぬちゃり

 

 ぐちゅり

 

 べちゃり

 

 粘性のある液体の音がする。

 

 スヴィンは動けない。目の前の狼から目を逸らしてはならないと、彼は強く確信している。

 

 バイロンも立て続けに起こる出来事に頭が追いついていない。

 

 そんな中、一人の少年が動いた。

 

 

「──干渉開始(プレイボール)!」

 

 

 フラットである。

 

 ロボの解析を後回しにし、脳のリソースを黒犬解析へ振り切った。

 

 とはいえ、そちらもまだ途中の段階。故に、解析した部分から解体作業を行っていく。さながら輪唱のように。

 

 黒犬の術式は、基本骨子は時計塔で広く知られる召喚術のひとつである。影や遺灰を触媒としたものはありふれている。

 

 フラットも、既にこの術式の九割は理解していた。

 

 だが────

 

 

(わー! なにこれなにこれ、全っ然わかんない!)

 

 

 あと一歩。

 

 あともう少しのところで、少年は立ち止まってしまっていた。

 

 既知の術式に割り込んだ未知の術式に、フラットは苦しんでいる。例えるならば、テストの最終問題で、まだ習っていない範囲の問題が出たようなもの。

 

 こと術式の扱いに関しては、色位(ブランド)の魔術師とも遜色ない実力のフラットだが、なんのヒントもない状態で理外のモノを解体することは不可能であった。

 

 黒犬たちの足元から、ツゥー と血が流れていく。

 

 朱色の液体が地面を鮮やかに染めていく。

 

 一人、また一人、と命の雫が溢れていく。

 

 彼らが全滅すれば、次の標的は自分たちだろう。それに、命というものは途方もなく重いのだ。少年は知恵を振り絞る。

 

 

「……やってやるさ!」

 

 

 指が空を弾く。

 

 それは透明なキーボードを叩いているようにも、風の鍵盤を奏でているようにも。

 

 

「ル・シアンくん!」

 

「分かってる! ──オオオッ!!」

 

 

 フラットの声を受けて、スヴィンが吼える。

 

 咆哮の方向は目の前の狼──ロボへ。

 

 いかに魔を祓うとはいえ、黒犬と違って存在の三要素──肉体・精神・魂が揃っている狼に対して、その声はあまりにも遠かった。

 

 ぴくり、と僅かに身じろぎをするのみに留まった。

 

 しかし、この咆哮の狙いはそこではない。スヴィンとて、これだけで打ち倒せるものと思って吼えていない。

 

 では、なにか。

 

 無論、相棒(フラット)の手助け以外のなにものでもない。

 

 

「────見つけた」

 

 

 少年が小さく呟く。

 

 細い、細い糸がフラットには見えた。現実にあるわけではない。彼の頭の中、イメージの話だ。

 

 フラットには黒犬の術式は不明である。故に解体出来ない。

 

 であるならば、何も解体などせずともいい。

 

 先ほどスヴィンの声を受けたとき、この狼はごく僅か、それこそ少年の観察眼がなければ気が付かないほど小さく、か細く、(うめ)いた。

 

 そのときの狼の魔力の波を見て、少年は確信する。

 

 ()()()、と。

 

 この狼と、この黒犬たちは繋がっている。同じ契約者であるというのもそうだが、なにより命令系統が一本の線となっている。

 

 そう、つまりはこちらを掌握すればいい。こちらは時計塔でもよく見る術式だ。

 

 いかに難解な術式であろうと、見たことがあるならば、フラットにとっては単純明快も同義である。

 

 

介入開始(ゲームセレクト)

 

 

 その一言だけで、黒犬たちは動きを止めた。

 

 金縛りにあったかのように、全く動き出す気配がない。

 

 その様子を見て、ロボは大きく口を開く。空気とともに吐き出されるのは聞こえずの吠声。

 

 だが、それでも黒犬たちは動かない。命令を咀嚼しているのか、それにしては長すぎる。

 

 ロボはようやく悟り、じろりと、スヴィンからフラットの方へ目線を向けた。

 

 黒犬たちは命令過多で動けずにいる。どれも単純な命令だが、いかんせん量が量である。

 

 コンピュータで言うところのフラッド攻撃。いわゆるDoS攻撃と呼ばれるものに近い。大量のリクエストを送りつけることでフリーズさせているのだ。

 

 

「すみません! 生きてますか!?」

 

 

 黒い大きな塊にフラットが話しかける。

 

 返答は、雷鳴を以てなされた。

 

 塊の奥。透けるように光が走る。途端、亀裂が入り、辺り一面に稲妻が拡散した。

 

 びちゃり と液体の滴る音がいくつも鳴る。

 

 這い出てきたのは数名の男たちだった。マスクは外れ、傷だらけの顔面を晒している。指や腕、足の一部がない者や、臓腑が溢れてしまっているものもいる。

 

 倒れている人たち。死んでいる者、気を失っている者たちは、とてもじゃないが区別がつかない有様だ。

 

 

「…………感謝する」

 

「いえ! 亡くなった方々には申し訳ないですけど、少しでも助けられて良かったです!」

 

「ああ。……そう、だな」

 

 

 襲撃者たちの一人が、代表するようにフラットへ礼を言う。その言葉には、文字通りの感謝と、少なくない悔しさや屈辱感などが含まれていた。

 

 それを、ロボはつぶさに観察していた。

 

 黒犬の群れをどうにかされたのは初めてのことではない。しかし、このような方法で止められたのは彼の経験にはなかった。

 

 初めはスヴィンへ警戒が向いていた。同類の力を振るう男。油断ならない敵だと考えていた。

 

 だがここに来て、もう一人の少年の実力もまた侮るべきではないとまざまざと見せつけられている。

 

 

『────』

 

 

 小さく唸り声をあげる。

 

 やはり黒犬たちは動かない。

 

 ロボはしばし逡巡する。撤退か、続行かを。

 

 黒犬が敗れた以上、統率者として呼ばれた自分は戻るべきとも思うが、契約者は自分が暴れることも視野に入れて話していた。ならこのまま彼らと戦うのが最も契約者の意に沿うのではないか、と。

 

 思考の時間は1秒にも満たない。

 

 一瞬の集中の欠け。

 

 その隙をスヴィン・グラシュエートは見逃さない。

 

 

「──ソラを使ったな、狼!」

 

 

 タンッ と跳ねて、ロボへと急接近する。

 

 振るわれる、刃物のごとし鉤爪。

 

 ──ガギン!

 

 と、鈍い金属音が響いた。それはスヴィンの爪がロボの毛皮とぶつかった音であった。

 

 何本か、針金のような毛が地面に落ちる。

 

 ギリ、とスヴィンが歯噛みする。肉どころか、皮の一枚すら切れていない。不意を突いたというのにこれである。

 

 きっと、もうこんな隙を作ってはくれない。こちらを睨む狼の鋭い目を見て、少年はそう確信する。

 

 目を狼へ向けたまま、視界の端でフラットを捉える。中断していた狼の解析作業へと移ってくれているようだった。

 

 

(フラットに頼るようで癪だが、こいつならきっとやってくれる。倒せずとも、押し留めるくらい、僕なら出来るはずだ!)

 

 

 5分か、10分か。ともかく、防戦一方でもなんとか保たせるくらいは出来る筈だと。そう思い、スヴィンは奮起する。

 

 ────陽が沈むまでは。

 

 ふと、影が濃くなった。

 

 日輪は地平線の向こうへ姿を消した。

 

 スヴィンの背筋を汗が伝う。彼はそれを知らないフリして、目の前の脅威へと立ち向かっていた。

 

 ゆらり と狼が息を吸い込む。して──、

 

 "今宵、月は出ているか?"

 

 狼の問いが森に反響する。

 

 その場の誰もが息を呑んだ。聞こえないはずの声が聞こえていた。耳鳴りを伴って、嵐を伴って、魔力を伴って、ソレの咆哮は彼方まで大気を震わせた。

 

 

まずお前から殺す────!!』

 

 

 瞬間、スヴィンの身体が大きく吹き飛ばされた。

 

 

「ル・シアンくん!」

 

「──問題ない! お前はお前の仕事をしてろ!」

 

 

 地面にぶつかりながらも、素早く姿勢を戻して、スヴィンは立ち上がる。

 

 立ち上がってから、突進をもろに食らったのだと理解した。口の中を切ったのか、鉄っぽい味が充満している。

 

 スヴィンは駆ける。単純な肉弾戦でフラットとバイロンが狼に敵うはずもない。襲撃者の男たちも、もはやまともに戦える状態ではない。

 

 彼らを守れるのは自分だけなのだと鼓舞(こぶ)して、体中にありったけの魔力を回す。

 

 ロボとスヴィンの視線が交差する。

 

 お互いがお互いの頑丈さをどう崩すかを考えながら距離を掴む。一歩、また一歩と距離が縮む。

 

 ロボにしてみれば、相手の魔力切れを待つのが手っ取り早いようでいて、実は違う。スヴィンの魔力が尽きる前にフラットの解析が終わるからだ。

 

 スヴィンからしても、フラットの解析を待つのが本筋ではあるものの、黒犬の異変に気付いた彼らの契約者がこの場へ来る前に、出来れば決着をつけたいところだ。

 

 

「────」

 

『────』

 

 

 双方とも、短期での決着が望ましい。

 

 数分前とは打って変わって静寂が辺りを包む。

 

 両者が息を吸い込む。その音だけがあった。

 

 そして、

 

 

「ガアアァァーーッ!!」

 

ぶち殺す────!!』

 

 

 両雄がぶつかる。

 

 

 

 

 

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