イヌバラの思い出   作:ローズヒップティー

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/The Sleeping Rose Princess


二話 薔薇の夢

 

 

 

 ────数年前の出来事を思い出す。

 

 

 眼下に広がるのは、一面の薔薇(ばら)(その)

 

 茨は地を這うように。

 

 花は棘を隠すように。

 

 本来の薔薇の生態としてはあり得ない生え方。

 

 (しか)り。これは月より落ちた一滴の血。(あか)い呪い。

 

 ()()()()()()()()()()()外典──いや、偽典である筈のモノだ。

 

 その薔薇の中で、一人の女が倒れている。

 

 少女、と形容した方が適切だろう。実年齢はともかく、外見は16か17かそこらだ。

 

 穏やかに眠るその顔は、童女のようにあどけない。先程までは悪魔もかくやといった風だったが、今はまるでお姫様のようだ。

 

 美しい亜麻色の髪。真っ赤なゴシックドレス。月明かりに照らされる、茨の中のその様は、さながら眠れる森の美女だった。

 

 

「──おやすみ、いばら姫。100年後に目覚めるかは分からないが、せいぜい良い夢を」

 

 

 掠れた声で告げる。届くことはないが、口に出すことが大切なのだ。

 

 ごほ、と咳が洩れる。口の中が鉄臭くて、そっと口元を拭ってみれば、やはりべっとりと血が付着していた。

 

 

「はは……。あぁ、まったく────」

 

 

 (おびただ)しい量の血液が、首筋に空いた歯型の穴から溢れ出ている。いかに魔術師と言えど、魔術刻印のない身でこれほどの出血をすれば助かる筈もない。

 

 寒気がする。

 

 冬だからとか、そういうレベルの話じゃない。もっと根本的な……そう、外から冷えるのではなく、内側から冷えるような────。

 

 体が熱を失っていく。血液の暖かさが失われていく。指先の感覚がない。ガタガタと身体中が震えている。

 

 だというのに、妙に意識はハッキリしていた。

 

 流れ出た己の血と、咲き乱れる薔薇で、真っ赤に染まった世界。それを映す己の瞳もきっと真っ赤だ。

 

 赤色の只中で、これからのことを考える。

 

 ────……。

 

 ……駄目だ。赤い視界の中では、殺伐とした考えばかりが浮かんでくる。

 

 逃げるように顔を上げれば、ざあ、と一陣の風が吹いた。

 

 薔薇の花びらが舞う。深い闇の中で、花びらに付いた血液が月光を乱反射させて輝く。その僅かな光が、周囲の木々を照らした。

 

 そうして、ここが本当はどこだったかを明らかとする。

 

 そうだった、ここは霊園だった。

 

 戦闘の余波で壊れた墓跡は、すっかり薔薇に埋まっている。木々の向こうの廃教会が無ければ、誰もここが墓地だったと気づくこともない。

 

 この霊園に、最後に人が埋められたのは、恐らくはもうずっと昔のことだ。

 

 

「いや、それも今日で更新かな」

 

 

 自分という死体が今日生まれるかもしれない。だったらここが俺の墓だ。きっとここで死んでも誰も気づかない。そのまま放置され続けるだろう。

 

 死にたくない、とは思わない。

 

 確かに、死から逃れるためにこの少女と戦った。でもそれは、死にたくないからじゃなくて、使われたくなかったからだ。

 

 奴隷のように縛られて、この少女の操り人形になりたくなかったからだ。

 

 

「────」

 

 

 可愛らしい寝顔を眺める。

 

 物語のお姫様のようなその姿を見て、それも悪くはなかったのかな、なんて思ってしまった。

 

 別に、惚れたとか戦いの中で絆されたとかではない。

 

 そういう未来もあったかもね、というただの感想であり、感傷だ。そうなってないからこそ思考できる、一つの可能性の話に他ならない。

 

 ひとつ、深呼吸をする。

 

 その折、空を見上げた。

 

 

「────────、あ」

 

 

 煌々と輝く月が、そこにはあった。

 

 紅色(くれないいろ)の地面とは対照的な(あお)(かげ)

 

 月に意思など最早ある筈もないのに、この身の罪科を示すように、真っ直ぐと此方を見下ろしている。

 

 暫く、呼吸も忘れて月を眺めていた。何分か。何十分か。覚えていないが、随分長いことそうして見つめ合っていた。

 

 ふと、寒さをもう感じていないことに気が付いた。

 

 気管にまで達していた喉の傷からの出血はもうない。全身の痛みも消えている。身体に熱はないが、それでも震えは止まっていた。

 

 代わりにあるのは、喉の渇き。

 

 水が飲みたかった。この際、泥水でもいい。流れ出た自身の血液でもいいとすら思った。

 

 

「あ、ああ────」

 

 

 トン、と音がして、視点が低くなった。

 

 もう痛くはないのに、膝を地面につけている。

 

 ふらふらと身体が揺れて、そのまま倒れ込んだ。

 

 薔薇の棘が腕や顔に刺さる。痛みはない。あるのは渇きだけ。

 

 ……ああ、喉が渇いた。水が欲しい。

 

 力が入らない。

 

 指の一本も動かせない。

 

 これではまるで死体だ。

 

 いや────まるで、ではないのか。

 

 死体だ。

 

 ……そうか、俺、死ぬのか。

 

 その方がいい。この眼を明け渡すよりは、ここで終わった方が星の為だ。元々その為に戦ったのだから。

 

 瞼がゆっくりと落ちていく。

 

 セカイの音がだんだんと遠くなっていく。

 

 視界の赤を、白いモヤが徐々に塗りつぶしていく。

 

 いや、しかし、まあ──────、

 

 

死にたくないなぁ……

 

 

 何かを呟いたが、自分の声すら届かなかった。それどころか、何を口にしたのかさえ分からない。自分のことのはずなのに。

 

 きっと、どうでもいいことだ。

 

 自分でも分からないなら、どうでもいいことだったんだ。

 

 

 

 

 

  *

 

 

 

 

 

「────夢、か」

 

 

 久しぶりにあの日のことを思い出した。

 

 いや、それは正確ではないか。あの日のことは、それこそ目を閉じれば脳裏に浮かんでくる。

 

 美しい(かお)、一面の薔薇、それらは月明かりに照らされて。

 

 

「────……」

 

 

 全く、何を考えているのか。

 

 思い返すほどの想いはない。それなのに、ふとした瞬間に視てしまうのは、月の狂気に呑まれたからか。

 

 とにかく、俺はあの日生き残った。()()()()()()()()()。死んだ方が世界の為だったろうに。

 

 今でこそこうしてのんびり君主(ロード)の使いっ走りをやっているが、あの廃霊園で目覚めた後は大変だった。

 

 それこそ元に戻るためになんでもやった。人生であそこまで死に物狂いで行動したのは、きっとあれが最初で最後だ。

 

 もしもの時は自死を視野に入れていたが、幸いそうならずに済んでいる。

 

 かくして、人類へと舞い戻った俺は、その時のやらかしの数々を清算する為に、西へ東へ駆け回っているのである。

 

 ──そして、この仕事もその一つだ。

 

 揺れる馬車から外を眺める。

 

 湖水地方。

 

 ロンドンからヴァージン・トレインでオクセンホルムヘ。その後、ノーザンに乗り換えて目的のウィンダミアへ。

 

 計っていたわけではないので正確な時間は分からないが、大体三時間半から四時間ってところだ。

 

 駅には迎えの馬車が来ており、今はそれに乗って移動中だ。

 

 馬車という乗り物の性質、それとあまり平坦とは言えない道、その二つが相まって乗り心地は期待していなかった。しかし、実際は夢現(ゆめうつつ)に微睡む程の快適さだ。

 

 涼しげな風が馬車の中を翔ける。冬の訪れが近いことを感じさせる、いくらかの鋭さを孕んだ風だった。

 

 悪い気はしない。季節の巡り、地球のサイクルが正常に作用しているのは喜ばしいことだ。それにずっと同じ季節というのも飽きがくる。赤道付近の人たちには悪いけどね。

 

 暫く、そうして朝露混じりの風を感じていると、ある時を境に空気が段々と変わってきているのが分かった。

 

 窓から外を見れば、なるほど、空気も変わろう。

 

 湖畔に佇む二つの塔。双貌塔イゼルマ。

 

 高さはどちらも14メートルかそこら。異様に傾いてそりたつその二つの塔は、双子のようにどちらも似たような見た目だった。

 

 まるで巨大な日時計のようだと思った。となると、もう片方は仮に月時計とでも呼ぼうか。

 

 まあ、とはいえ、正解に興味はない。

 

 イゼルマの魔術にもさして関心はない。クライネルスがどういったカタチで彼らの研究に関わっているのか、は少し気になるけど、それくらいだ。

 

 馬車は一方の塔の下へと辿り着く。

 

 塔の影に重なったその場所は、一層の涼しさ──もはや寒さといっていいくらい──が漂っている。

 

 

「こちら、(よう)の塔と申します。西のものは月の塔にございます。ヴィジリア様におきましては、陽の塔にてお部屋をご用意しております」

 

「ご丁寧にどうも」

 

 

 停まった馬車の中、御者の男がそう告げてくる。

 

 彼は(おもむろ)に馬車から降りると、荷台から俺の荷物を降ろしてくれた。ちょっと大きめの重い鞄だったから、なんだか申し訳ない。

 

 

「それでは──どうぞ、お楽しみくださいませ」

 

 

 俺が降りて、荷物を手に取ると、そう言って御者はドロリと溶けた。彼だけではない。馬車の方も一緒に溶けて、後に残るのは小さな玩具だけだ。

 

 小さなブリキの兵隊人形と、小さな木彫りの馬車。

 

 面白い仕掛けだ。流石は創造科(バリュエ)の分家。すぐ真似るのは難しそうだ。

 

 

「ようこそ、双貌塔へ。歓迎いたしますぞ、ヴィジリア・ロサ・カニナ殿」

 

 

 陽の塔の正門が開き、一人の男が現れた。立派な口髭を携えた、四十半ばの紳士然とした態度の男。

 

 全然似合っていない────百人が見て九十九人が、似合っていると答えるであろう朱色のスーツが印象的だった。

 

 

「バイロン・バリュエレータ・イゼルマと申します。遠路遥々お越しいただき誠にありがとうございます」

 

「バイロン卿、こちらこそお礼申し上げます。急な申し出だったでしょうに」

 

「いえいえ、とんでもないことです。君主(ロード)の名代として参られたお方を歓迎するのは当然のことでございます」

 

「そう畏まらないでください。ロード・ブリシサンの代理とはいえ、この身は未熟な若輩者に過ぎません。どうかそのように扱ってください」

 

「難しいことを仰りますな。──こうして外で長話もなんでしょう。どうぞ、お入りください」

 

 

 バイロン卿は恭しく頭を下げ、片手で陽の塔の入り口を指し示す。

 

 塔の中からは光が溢れ、影をより色濃くした。さっきまで暗い影の中にいたものだから、()の光に照らされたかのように、少し眩暈(めまい)がした。

 

 厳かな冷たい風が背中を押す。

 

 一歩、足を踏み出した。

 

 

 

 

 

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