イヌバラの思い出 作:ローズヒップティー
「ちょっと早く来すぎたかな……」
ベッドに腰掛けて、一人呟く。
バイロン卿と少し話をしてから、あてがわれた部屋で些事を済ませた後のこと。
着替えの準備だとか、礼装の手入れだとか、色々やったけども、窓から差し込む陽光の傾きにさして変化はない。
時刻は11時を回ったばかり。社交会は午後からだから、まだ先だ。
とはいえ、俺の目的は黄金姫や白銀姫ではなく、また他の魔術師たちとの交流でもない。
このイゼルマに半ば駐在しているクライネルス家の若き当主──マイオ・ブリシサン・クライネルス。それと社交会に顔を出すという
この2名がターゲットなわけだ。
アオザキは社交会を待つにして、クライネルスの方は今からでも話せるだろう。というか、内容的にその他大勢の前でするようなものでもない。逆に今の方が適切かもしれない。
「なら、早すぎってこともなかったか」
鉄は熱いうちに打て。早速月の塔にお邪魔しよう。パーティの準備をしているところだろうが、そういったものに参加するほど彼の身分も低くはあるまい。
外に出てみれば、生温い湿気が全身に纏わりつく。草葉についた露が蒸発して、ミストを浴びているかのようだ。
月の塔まではおよそ歩きで10分。
遠くから見た時は、すぐ近くにあって気軽に行き来できるように思えたが、木々の生い茂る曲がりくねった道を通るようで、実際はそれなりの時間を要するらしい。
影の縁が淡い木漏れ日。
草木の間を縫って駆け抜ける風。
歩くたびに鳴いたり止んだりする虫の声。
道はよく手入れが行き届いているようで、石畳の隙間から雑草が伸びていることもなく、顔に掛かる枝葉や蜘蛛の巣なんかもなかった。
実に心地良い。夕暮れか、明け方か、その時にでも再び歩いてみたいものだ。
到着した月の塔では、使用人たちがパーティの準備を粛々と行っていた。
今朝世話になった御者の如き人形か、それともホムンクルスの類いか。どちらにせよ、よく出来ている。
彼らにマイオの場所を聞こうとして、受け答えできる機能があるのか、と一瞬の不安がよぎる。それは仮定の未来で、訪れなかったモノだが。
というのも、彼らに指示を出しているらしきメイドがいて、その人に聞くことにしたからである。
「すみません、そこの方」
「──はい、私になにかご用でしょうか」
振り返るメイド。
夜霧のような銀の髪が揺れて、湖のような青い瞳と目が合う。
整った容貌は、ともすれば、着飾れば黄金姫か白銀姫にでも間違ってしまうほどだった。
「クライネルス──マイオ・ブリシサン・クライネルスが今どこにいるか、ご存知ですか?」
「マイオでしたら、現在は自室にいるかと存じます。呼んで参りますか?」
「いや、場所さえ教えてくれれば自分で行きますよ」
「でしたら、二階の奥の部屋でございます。
ただ、三階より上にはお立ち入りなさらないようお願いいたします。工房もございますので、身の安全は保証しかねます」
「行きませんよ。用があるのは彼にだけですから。
教えていただきありがとうございます、レジーナさん。それと、呼び止めてしまってすみません。
──それでは失礼します」
「いえ、お気になさらず───────……」
メイドに別れを告げて二階へ向かう。
月の塔も陽の塔と造りは殆ど同じらしく、上への階段はすぐに見つかった。
段々にぴっちりと合わせている
順路に従って進むように。目的の部屋へはすぐに辿り着いた。
ノックをする。
「────は、はい。只今!」
男の声と共にドタバタと物音がして、何秒か経ってドアが開いた。
現れたのは、やや青白い顔をした痩せぎすの男。背は俺より少し高いくらいだろうか。
「マイオ・ブリシサン・クライネルス、というのは君で間違いないかな?」
「え、あ、はい。えと……ど、どちら様でしょうか」
「バイロン卿から聞いていないか?
──ヴィジリア・ロサ・カニナ。君と同じ伝承科の魔術師だ。
ロード・ブリシサンより、君の様子を見てきてくれと頼まれてね。……中、入っても構わないかな」
「あ、あなたが、そうだったんですね。分かりました。ど、どうぞ、中へ」
ロード・ブリシサンの名前を聞いた途端、ただでさえ青白い顔が一層のこと青くなった。ライオンの皮を着たロバ、というつもりもないが、なんだか申し訳ない。こちらも仕事なので許してほしいものだ。
マイオは
ツンとくるニオイ。
消毒液とかの科学的薬品の匂い。小さな植木鉢の土と薬草の匂い。ドライフルーツのような見た目をしたナニカから漂う燻香にも似た仄かな甘い匂い。
そういった色々な匂いが混ざり合っていて、何とも言えない気持ちになる。不快ではないが、心地良いとは思わない。
薬師の部屋だ。
工房、というわけではないのだろう。メイドは自室と言っていた。
つまるところ、この男は根っからの研究者ということだ。
この時点で、なんとなく俺と気は合わないだろうと直感した。結局、俺の精神性はどちらかと言えば『魔術使い』に近いのだろう。
「それで、ロードは、なんと……?」
遠慮がちにマイオが聞いてくる。
キョロキョロとあちこちに目を泳がせながら、あやとりでもしているかのように手の動き、指の動きは落ち着かない。
「早速本題か。世間話は嫌いかい? 俺もだよ。
では、"────クライネルスの仔。
この問い以外に、俺に
世界中を周って、『伝承』を発見、確保、場合によっては対処する。優秀な魔術師/魔術使いを集めた、
「────………………」
マイオは黙っている。
バツが悪そうに、部屋の隅の方を眺めながら、時折こちらをチラリと見てくる。
俺も、マイオも、ただ黙って立ち尽くしていた。
何秒かの沈黙。
そうして、暫くの逡巡の後、ようやく心持ちが定まったのか、青年はこちらをしっかりと見据えてきた。
「……イ、イゼルマに、『伝承』は……き、脅威はありません」
「………………」
マイオは目を逸らさない。
半ば睨むような目つきだが、目が合うのは結構だ。俺としては記憶が読みやすくて助かる。
彼も多少の精神防御はあるようだが、俺の魔眼は"視るだけのもの"であり、魔術的防御は意味を成さない。
目を合わせてるだけ。
故に、本来彼の回答は不要だ。言の葉を発するより先に、事は全て完結している。
結果として──マイオの視点での過去、という前提ありきだが──確かにイゼルマの研究に『
「──あ、あの!」
黙って思案に耽る俺を見て、不安になったのかなんなのか、青年は少し大きな声で話しかけてくる。
「あぁ、すまない。ちょっと考え事していただけだ。別に君の言葉を疑うつもりもないさ」
「……初対面だと、思うんですが、結構あっさり信じるんですね」
「嘘が分かるからね。ま、それは冗談として。
そこまでの調査は任されてない。君の言葉が真実かどうか、それは俺が判断することではないし、そこまでの権限はない。
「……そ、そうですか」
マイオはまだ少し不安そうだ。
まあ、気持ちは理解できる。この男、研究に没頭しすぎている。
伝承科としての使命を忘れたことはないが、それよりも自身の、イゼルマの研究の方が大事になってしまっているようだ。そして、彼は自身がそうなっていることを自覚している。
だから、ロード・ブリシサンから叱責があるのではと怯えている。
多分あの爺さんはマイオを叱らないし、"そうか"の一言で済ますだろうが、そんなことは、それなりの付き合いがなければ分からないだろう。
「では、これで用も済んだ。俺は部屋に戻らせてもらうが、最後に何か聞きたいことはあるか? 答えられる事柄は少ないが、ある程度は応えよう」
「ひとつ、だけ────ここに来たのは、これだけのため、ですか?」
「……
「ミス・アオザキは、ア、アドバイザーのようなものです」
「アドバイザー、ね」
黄金姫──ディアドラの整形手術のことは隠す方針のようだ。
その時の記憶を、他ならぬ蒼崎橙子から消し去ってでも、あくまでイゼルマの力だけで『美しいヒト』を造ったことにしたいらしい。
だがそれは、真の意味でイゼルマの成果と呼べるのか。
俺には関係のないことだから、別にどうこう云うつもりもないけれど。
「まあ、君の質問に答えるけど、その蒼崎橙子を調べるように言われてるんだ。イゼルマに迷惑はかけないからさ、安心してよ」
「は、はあ……」
「じゃ、今度こそ本当に、これで。社交会の時にまた会いましょう、マイオ」
そう告げて、マイオの部屋を出る。
帰り道、本当にただなんとなく、鼻先を掠める感覚がした。
体に薬の匂いが染み付いているのかなんなのか、気になって服の裾をつまんで嗅ぐ。それは気のせいで、香るのはいつもの自分の匂い。
────まだ慣れない、薔薇の芳香。
「そりゃ、腐った肉の臭いよかマシだけどさ……」
独り言ちる。
ふと、視界入った真っ赤な絨毯が血の色にも似て見えて、あぁ重症だな、なんて嗤う。
目線は前へ。
部屋に戻って、コーヒーでも飲みながら午後の訪れを待つとしよう。