イヌバラの思い出 作:ローズヒップティー
「────疲れたぁ」
ぼふん、とベッドに倒れ込む。
部屋に入るなり、服を脱ぎ捨て、下着のまま。
その下着すら、上も下も取ってしまいたいくらいだが、なんとなくそれは抵抗感があった。
心地良いシーツの肌触り。滑らかな感触が全身を包み込む。ダイブの衝撃でしわくちゃになってしまったが、構うものか。
枕に顔を押し付けて、ふう、と長く息を吐く。暖かな湿気がへばりつく。不快だったので、ごろんと転がって仰向けになった。
「…………」
蒼崎との談義が終わり、自室へと帰ってきたところである。
随分と時間を使ったものだ。こんなに人と話すのは滅多にない。肉体的な疲労はないが、精神的な疲労があった。
だが収穫もある。ロード・ブリシサンの
「……肩の荷はおりた、かな」
なにをするでもなく、訳もなく天井を見つめる。
沈みきった夜。
部屋の中も外も、昏い闇に覆われている。
窓から差し込む月光は、深い霧に遮られて、ほんの僅かな
外では風が吹いているのか。霧の動きに合わせてゆらゆらと光は揺れている。まるで絹糸のカーテンのよう。
ひらり はらり
窓は閉じているはずなので、外の風が吹き込んでいているわけじゃない。
宙から降る、床を突き刺す、ツメタイヒカリ。
青い、寒色のソレは、名前通りに周囲を寒々しい色で染めていく。
夜に属する自分にとって影は陰にあらず。暗闇は恐れるものではなく、共にあるもの。魔術師らしく『強化』などせずとも、この部屋の仔細は見てとれる。
故に、視界は青く染まっていた。
青く 青く 輝いている
ああ────本当に──────
「──見てらんないね」
まぶたを閉じる。
血のような
俯瞰の瞳もカットする。
これでもう何も見えません。
手探りで
ひんやりとした、ともすれば寒いとすら思える布の感触に、寂静たる初冬の空気を覚えた。もともと湖水地方は昼夜の寒暖差が激しいが、それでも冬の訪れは近く感じる。
ふう、ともう一度息を吐く。
それを合図に、意識はだんだんと遠ざかっていった。
冷たい夜。昏い部屋。
ひとり、薔薇の眠りに落ちていった。
*
*
「──い」
声が聞こえる。
暗い箱の外から、ノックをするような声だ。
しかし、それはおかしい。ここは俺が与えられた個室で、昨日だってひとりで寝たはずだ。
「──おい、起きろ」
今度はもっとはっきり聞こえた。幻聴ではない。やはり誰かがいる。
覚醒したばかりの意識で目を開ける。ぼんやりとした視界が徐々に明瞭になっていき、つつがなくセカイは形を取り戻す。
「お、やっと起きたか。朝は弱いのか?」
「………………は?」
どうも、俺の目はおかしくなってしまったようだ。
もともとオカシイと云えばそうなのだが、端的に、こう……ぶっ壊れてしまった。
なんせ、蒼崎橙子がいるように見えるのだから!
茶色がかった赤色の髪と瞳。昨日とは違って幾分かラフな服装だった。パリッとした白いシャツが、起きたばかりの目に痛い。
ん……? いや、幻じゃない。
紛れもない現実の光景だ。
「……なんで、いるんスか?」
「鍵が開いていたからな。不用心にも程があるだろ」
呆れるように言う蒼崎。今日は眼鏡をしていないからか、ややぶっきらぼうな物言いだ。
「──私ら魔術師相手にこんな物理的な鍵、どうということもない。だが、鍵というものは掛ける行為そのものが大事なんだ。
拒絶の意思、とでも云うのかな。
"開いていたから入った"と"開けて入った"は違うんだよ。前者は誰だってやりうることだ。好奇心──魔が差した、の方が適切か。
対して後者は、よほどの強い意思が最初からなければやったりはしない。家主の命、金品、我々であれば体や神秘も含むな。それらのいずれか、あるいは全ての簒奪を目的としたものとなる。
いいかい? 鍵とはそういうものなんだ。偶然の加害者を排除するための装置。そして偶然の被害者にならないための機構だ」
「…………」
長い。そして結局のところ、彼女が俺の部屋にいる理由になっていない気もする。今の説明からすれば、魔が差した、になるのだろうか。
「……で、実際のところはどういう用件なんですか?」
「ん? ああ、そうだったな。
端的に言うと────黄金姫が殺された」
「は?」
まさか朝から二度も驚くことになるとは思ってもみなかった。
そして、死んだ、ではなく、殺された……か。
"死んだ"ならば、そういうこともあるだろう。詳細は知り得ていないが、ヒトの肉体を媒体とした魔術だ。いつか
だが、"殺された"となれば話は違う。それはつまり、内部的な事故ではなく、外部の者による事件だからだ。
「いま、現場──月の塔にある黄金姫の部屋に、皆を集めているらしい。筆頭容疑者位置になりたくなければさっさと来い。私は先に行く。
おっと、シャワーを浴びるほどの余裕はないから、そのつもりでな」
ほら、と服を投げてよこす。赤銅色のシャツと黒のチノパンツ。俺の私物だ。
どうも、かばんを勝手に漁って取り出したらしい。
魔術礼装も入っているもので、下手に触れればそれこそ問題になりかねないが、それは昨日のアレコレからして大丈夫だと判断したのだろう。
そもそも
バタン と閉められるドア。
部屋に蒼崎はすでになく、言葉通りに先に向かったようだ。まったく……本当に勝手な人だ。
いそいそと投げ渡された服を着る。下着は、まあ、昨日のままでもいいだろう! 誰に見せる予定もなし。
顔だけ洗って、髪はゴムでひとまとめにする。見る人が見れば寝癖がついてると分かりそうなものだが、くせっ毛だと言って誤魔化せる範囲だ。
さて、月の塔へ向かうとしようか。
*
早歩きで森を抜ける。
朝露で湿った石畳が革靴を滑らせる。妖精のイタズラのように、時折足を持っていかれそうになりながらも月の塔へと急ぐ。
正門を通り過ぎ、小洒落た螺旋階段を一番飛ばしで駆け上がる。ぐるりぐるりと三回転。目的の階へと辿り着く。
そこにはもう、ひととおりの人たちが集まっていた。
「──完全に遅刻だな、こりゃ」
俺の声に皆が振り向く。ほとんどの人たちにとってみれば、ただ単に人が増えただけであり、特段変なリアクションはなかった。
ただ、バイロン卿からの、面倒な立場の奴が来た、とでも言いたげな露骨な目線だけはあった。
「失礼。どの辺りまで話が進んだか、どなたかご説明をいただいても?」
「お前の場合、視た方が早いんじゃないか?」
余計なことを言う蒼崎。
あなたは俺の過去視を許してくれたが、他の者たちはそうとも限らないということを忘れてやしないか。そんな意味も込めてジロリと睨む。
──が、彼女は肩をすくめてみせるだけだった。
「見たほうが、というと?」
そら、見たことか。
浅黒い肌のやたらと筋肉質な男が突っついてくる。名前は知らないが、昨日のパーティでも見た覚えのある男だ。
「……低ランクのものだから自慢にもならないんだが、魔眼持ちでね。ほんの数分前くらいなら視えるんですよ」
「ほう、なるほど」
普通に嘘をつく。
彼が嘘を見抜くような、それこそ魔眼や礼装なんかを持っていたらアウトだが、どのみち正直に言うという選択肢はない。その時はその時だ。
というか、他者の魔術の真髄を知ろうだなんて非常識な行いだ。もし俺の嘘を問い詰めてくる奴がいたら、殺してしまっても文句は言われまい。
「──っと、悪い。不躾な質問だったな、すまん。
俺はミック・グラジリエ。
「ヴィジリア・ロサ・カニナ。
"それで、いまどんな感じです?"
最初の質問への回答を聞くために、そう、再度尋ねようとして────
「この事件、エルメロイの姫が見事解き明かしてみせるらしいぞ」
と、愉快そうに口元を歪めて、蒼崎がそう言った。
「ライネス嬢が?」
「ああ」
天蓋付きのベッドのすぐ側、アカイロと共に佇む少女へ視線を向ける。
同時に眼球の魔術回路を僅かに起動させる。
──扉を破壊する水銀メイド。
──バラバラ死体を発見し、茫然とする少女たち。
──集う容疑者の面々。
──
まあ、大雑把ではあるが事情は把握した。
しかしライネスも可哀想に。弱小のバルトメロイ派だからと完全にスケープゴートにされている。
深夜に訪ねてくる黄金姫を相手にしてはいけません。居留守や寝たフリをして凌ぎましょう!
なんて分かりっこない。貰い事故のようなものだ。
これでも元は
中立の立場で粛々と見守らせてもらおう。
「さて──、急な横槍が入ってしまったが、話を戻すとしよう。
いかがするかね、バイロン卿。エルメロイの姫、その行動に一理あるとは思うが」
「……確かに、一理あることは認めよう」
うすら笑いを浮かべながら蒼崎は言葉を口にし、バイロン卿がそれに答える。
黄金姫の殺害──自身の、ひいてはイゼルマの傑作が壊されてしまったというのに、彼は紳士然とした態度を崩さなかった。
「だが、彼女らの自由にさせておくわけにもいくまい。一応……いや容疑者の筆頭なのだからね」
「では私ならどうか?」
自らの胸に手を当てて、己が存在を主張する赤色の魔術師。
「私が彼女たちの監視を行う。そら、これならどうだ?」
「ミス・アオザキ。残念だが、あなたも容疑者のひとりだ。そのことを忘れていないか?」
「……確かに。こいつは困った」
くすんだ緋色の髪の女はあっさりと深入りを諦めた。
後頭部に手を回し、わざとらしく肩をすくめる。実に演劇じみた言動だ。
ちょっとした思いつき以上の意味はなく、彼女にとって了承されても断られても、おそらくどちらでも良かったに違いない。
「────だったら、オレならどうだ?」
足音が響いた。
どうやら、俺が最後尾というわけではなかったみたいだ。
狼のごとく気高い銀髪。もう七十は超えていると見えるが、まっすぐにピシリと正された背筋、毅然とした歩行姿勢からは老いをまったく感じさせない。
そして、この場の何者にも抗弁させない権威をもった女であった。
イノライ・バリュエレータ・アトロホルム。
時計塔十二学科のひとつ、
ロード・バリュエレータ、その人である。