Kaikaeshi and Automata 作:アヤ・ノア
ひきこさんと仲良くなった大山先生の後を、光一郎、琴葉、ユズ、たぬ吉がつける。
光一郎はひきこさんと交渉して、怪の世界に帰ってもらおうとするが、
先生はひきこさんに本気で恋をしていた。
ひきこさんは興味を持った人間を死ぬまで引きずり続けると言われているが、
先生はそれを知らなかった。
何とかひきこさんに帰ってもらいたい光一郎だったが……。
ワンダー居酒屋ケンちゃんで食事を終えた大山先生とひきこさんは、
ゲームセンターへ行き、一緒にクレーンゲームやリズムゲームを楽しんだ。
ゲームを終えると、公園にやってきてベンチに座った。
「今日も会えてほんとに嬉しかったよ。ひきさんといると凄く楽しいんだ」
先生は缶コーヒーを飲みながら、ひきこさんに言う。
ひきこさんは微笑みながら、小さく頷いた。
「君も同じ事、思ってくれているのかな?」
ひきこさんは、また微笑みながらコクリと頷いた。
先生はそれを見て、満面の笑みを浮かべる。
「いやあ、ほんとに僕は世界一、いや、宇宙一の幸せ者だなあ~」
先生の笑顔を見て、ひきこさんも笑顔になる。
その様子を、琴葉たちは少し離れた木の陰から見ていた。
「素敵なカップルだよね」
琴葉は先生達を見ながら呟く。
どこからどう見ても、幸せそうなカップルだ。
「それでも、このままじゃ良くない」
ひきこさんは興味を持った人間を捕まえて、死ぬまでずっと引きずり続けるのだ。
「このままじゃ、先生は……」
いつ、ひきこさんに捕まり、引きずられてもおかしくなかった。
その時、コーヒーを飲み終えた先生がひきこさんに話しかけた。
「ちょっとトイレに行ってくるよ」
そう言うと、ベンチから立ち上がり、公衆トイレへ向かう。
ひきこさんはそれを座ったまま見送った。
「ひきこさんが一人になったよ」
「ああ、チャンスだ!」
「……」
ついに、交渉ができる。
ユズ、光一郎、琴葉は木の陰から飛び出すと、ベンチへと駆け寄った。
「ひきこさん!」
その名前に、ひきこさんはビクっと反応する。
「やっぱりひきこさんで間違いない」
「うん」
琴葉達は先生がまだトイレから出てこないと確認して、ひきこさんに話しかけた。
「僕は怪帰師だ。ひきこさん、君を元の世界に帰す」
「ヒキ……」
ひきこさんが声を漏らす。
「『そんな……』だって」
ひきこさんは光一郎達が突然現れ、動揺しているようだ。
「あなたは大山先生に興味を持っているよね?」
「ヒキキ……」
ひきこさんは、『それは……』と言葉を返す。
「君は興味を持った人間を死ぬまで引きずる。それを放っておけないんだ」
「ヒキキ……ヒキキ……」
『それは……それは……』
「怯えてる」
ひきこさんはベンチに座ったまま、身体を震わせる。
その様子に、琴葉は困惑し、ユズは淡々と事実を話す。
死ぬまで引きずるという情報は間違いではないようだ。
だが、凶暴な怪には思えなかった。
「あの……」
琴葉はひきこさんに声をかけようとする。
そこへ、先生がトイレから帰ってきた。
「おや、遠野に天草、それにツインテール、一体何をやっているんだい?」
「あ、ええっと」
光一郎が状況を説明しようとする。
刹那、ひきこさんが立ち上がった。
「ヒキキ、ヒキキキキキ!!」
ひきこさんは声を上げ、その場から逃げ出す。
「あっ!」
光一郎はあわてて追いかける。
「ひきさん?? ど、どういう事だい??」
状況が理解できない先生は、琴葉を見た。
「あの、それはその」
口ごもる琴葉に、ヌイグルミのたぬ吉が小声で話しかける。
「ひきこさんの事を正直に話した方がええで」
「だけどそれは……」
たぬ吉の提案に、琴葉は躊躇った。
そんな琴葉達のもとへ、光一郎が戻ってきた。
「逃げられてしまったよ」
公園を出た直後に見失ってしまったらしい。
「一体どうなってるんだい? ひきさんはなぜ逃げ出したんだ?」
「先生、それは――」
光一郎は先生に説明しようとした。
瞬間、琴葉が声を上げた。
「光一郎君、ストップ!」
「えっ?」
琴葉は光一郎に近づき、耳打ちする。
「ひきこさんが怪だという事は言っちゃだめ」
「どうして?」
「ひきこさんがさっき逃げる時に言ってたの。
『お願いだから、私の正体は大山さんに言わないで』って」
「えええ??」
「天草、一体何がどうなってるんだ? もしかして、ひきさんと知り合いなのかい?」
「え、そ、それは……」
光一郎はチラリとユズを見ると、やがて先生を見た。
「知り合いとかじゃないです。あの人、どうして逃げちゃったんでしょうね」
琴葉達は大山先生と別れ、大通りを歩いていた。
あれから町の中を捜したが、ひきこさんを見つけられなかった。
「だけど、どういう事なんや? ひきこさんはなんであんな事を言うたんや?」
たぬ吉は琴葉の服のポケットから顔を出し、首を捻っていた。
「多分、ひきこさんは……」
「大山先生に恋をしてるからじゃないのかな?」
答えたのは、光一郎である。
「恋?」
「それじゃあますます、あの先生は引きずられてしまうで?」
たぬ吉が驚きながら言うと、今度は琴葉が答えた。
「たぶんそれはないかも。ひきこさんは本気で恋をしちゃったんだよ」
「本気で?」
琴葉は、公園のベンチに座っていたひきこさんを思い出した。
ひきこさんは、光一郎に怪であると指摘された時、身体を震わせ怯えていた。
「あれは、先生が本気で大好きで、どうすればいいのか分からなかったのかも」
「怪が人間に本気で恋かあ。そりゃあかなりのレアケースやなあ」
たぬ吉がしみじみと言い、ユズは、ぽかんとする。
「だけど、だからこそ余計に危険だ。放ってはおけない」
「光一郎君……」
「とりあえず、先生には今日は何があっても家から出ないように言って正解だったと思うよ」
ひきこさんが家に来たら、
すぐに光一郎のスマホに電話をして絶対にドアを開けてはいけないと伝えた。
先生は状況を全く理解していなかったが、言う通りにすると約束してくれたのだ。
「早くひきこさんを見つけよう」
光一郎はそう言いながら、道路の角を曲がろうとして前方にいた誰かとぶつかりそうになった。
思わず立ち止まり、その人物を見る。
「あっ!」
「……玲人」
そこに立っていたのは、玲人である。
後ろには、瑚江の姿もある。
「光一郎、お前は本当に、どうしようもない奴だよね」
玲人は溜息を吐くと、少し苛立ちながら光一郎を睨みつけた。
「どうして、あの先生が今日ひきこさんと会うって言わなかったんだ?」
夜、玲人が住んでいる洋館。
リビングのソファーに座る玲人は、向かい側のソファーに座るユズと光一郎に尋ねる。
先ほど出会った後、光一郎、琴葉、ユズ、たぬ吉は人に言われて彼の家にやってきたのだ。
玲人は、大山先生の情報を言わなかった光一郎に苛立っていた。
「お前が一人で何とかできると思ったのかい?」
玲人は紅茶を一口飲むと、のぞき込むように光一郎を見る。
「……一人じゃない。ユズと琴葉ちゃんも一緒に」
「そういう事を言っているんじゃない!」
玲人は持っていたティーカップをテーブルの上に乱暴に置いた。
「もし、大山って先生がひきこさんに引きずられていたらどうなっていたと思う!?」
「それは……」
ひきこさんは、相手が死ぬまで引きずり続ける。
光一郎は何も言えなくなり、ユズは拳を握り締める。
「ユズちゃん、光一郎君……」
琴葉は光一郎の隣に座り、心配そうに見守る。
「まあ、お前がひきこさんと交渉しても、上手くいかなかったと思うけどね」
玲人は落ち込む光一郎を見ながら、フッと笑った。
その時、感情が薄いはずのユズの中に、何かが芽生えた。
「玲人お坊ちゃま、瑚江お嬢様が帰ってきました」
リビングのドアが開き、ばあやの荻久保がそう言った。
「そういやあ、瑚江はんどこに行ってたんや?」
この家へ来るとき、瑚江は玲人に何かを言われて途中で別行動を取っていた。
「連れてきたわ」
ばあやの後ろから、瑚江が部屋に入ってきた。
瑚江の背後には、何故か大山先生がいる。
「先生、どうしてここに?」
「おお、遠野、天草、ツインテール、君達もいたのか」
先生はリビングの豪華な作りに戸惑いながらも、ソファーの傍までやってきた。
「大山先生、今、紅茶を淹れますね」
「え、あ、はあ、どうも」
先生は部屋を出ていくばあやをポカンとした表情で見て光一郎に言う。
「天草、君の家はばあやさんもいるんだねえ」
「ここは僕の家じゃありません」
「えっ、そうなのかい? 最上が言うには、
故郷が同じで今は親御さんのもとを離れてこの家で一緒に暮らしていると聞いたけど」
「光一郎はわたしと暮らしてる」
「そ、そうなのかあ」
先生はその理由がよく分からないまま、光一郎と玲人の二人を見る。
玲人はそんな先生を見て、ニッコリと笑っていた。
「ところで兄さん、どうして先生を呼んだの? 家から出ないように言っていたのに」
「そんなの決まってるだろう。ひきこさんをここに誘い出すためさ」
「えっ?」
「ひきこさんは先生に恋をしているんだろう?
ここに先生がいれば、必ず会いに来ようとするはずだ」
それを聞き、ユズが口を開いた。
「あの時みたいに、罠を仕掛けるのか」
その言葉に、玲人はニヤッと笑う。
「先生を人質にすれば、あいつは何もできなくなるだろう。
先生を傷つけたくなければ元の世界に帰れと言えば、素直に帰るんじゃないのかな?」
「そんなのって!」
琴葉は玲人の考えに戸惑う。
すると、光一郎が前に出た。
「それじゃあただの脅しじゃないか! 怪帰師は怪と交渉するのが役目なんだよ!」
光一郎は玲人のやり方に賛同できないようだ。
それは琴葉も同じだが、ユズは迷っていた。
「ちゃんと、ひきこさんと話し合った方が――」
だが、玲人がそんな三人を睨みつけた。
「お前たちの提案なんて聞いていない。これが僕のやり方だ」
玲人は先生を見ると、再びニッコリと笑った。
「先生、とりあえず紅茶でも飲んでくつろいでください」
「えっと、あの」
困惑する先生を、玲人は無理矢理ソファーに座らせる。
光一郎と琴葉は玲人の迫力にたじろぎ、その光景をただ見ている事しかできなかった。
ユズは、拳を握り締めたままだった。
「……力ずく、か。わたしを捨てたのも……」
しばらくして――
玲人と瑚江は違う部屋で待ち構え、
ユズ、光一郎、琴葉は先生と共にリビングのソファーに座っていた。
「何がどうなってるのかさっぱり意味が分からないよ」
大山先生は先ほどから何度も光一郎たちにそう言う。
「なあ、ひきさんの名前は、ひきこさんって言うのかい?」
「え、あ、それは……」
「最初に名前を聞いたら『ヒキ』と言ったけど……それに、
彼女に罠を仕掛けるってどういう事なんだい?」
「だからそれは……」
琴葉は先生に説明をしたかったが、玲人に止められていた。
もし、自分の恋人が怪だと知ったら先生はパニックになり、
家から逃げ出してしまうかもしれない。
逃げたときにひきこさんと遭遇すれば、先生を助けられなくなってしまう。
「ところで、先生は彼女のどんなところが好きなんですか?」
琴葉は話を誤魔化すために、話題を少しだけ変える事にした。
「いやあ、彼女と言われると照れるねえ。付き合ってまだ二週間ぐらいだからねえ」
今日のデートを合わせても、会うのはまだ四回目らしい。
「だけど、できればこのままお付き合いを続けて、いずれは結婚したいと思っているよ。
彼女といるとほんとに心が穏やかになるんだ」
「そうなんですね」
先生は幸せそうな笑みを浮かべている。
やはり、操られているわけではないようだ。
「ひきさんは、ここにいれば本当に来るのかい?」
先生が琴葉達に尋ねた。
彼の話によると、ひきこさんがどこに住んでいるのかもよく分からないらしい。
スマホも持っておらず、メールもできないという。
会ったときに次のデートを決めているらしく、
突然公園から逃げていったひきこさんを、先生はずっと心配していた。
「ひきさん、ほんとに何があったのかな」
「それは……」
先生は不安そうな表情を浮かべながら、ふと窓の外を見た。
「えっ」
先生の目が大きく見開く。
それに気づいたユズ、光一郎、琴葉も、釣られるように窓の方を見た。
「あああ!」
窓の外に黒い影が立っている。
ひきこさんだ。
「見つけた」
「ひきこさん!」
ユズと光一郎は、窓へ走った。
ひきこさんはそれに気づき、慌てて庭の方へ逃げる。
「逃がさない」
その時、リビングに玲人と瑚江がやってきた。
「ようやく現れたようだね」
「兄さん!」
「さあ、先生、一緒に来てください」
玲人は先生の腕を掴んだ。
「な、何をするんだい?」
「いいから立って」
「兄さん!!」
玲人は戸惑う先生を窓の傍まで連れていき、庭の方を見た。
「ひきこさん、君は人間の世界にいるべきじゃない。
もし元の世界に帰らないなら、この先生が酷い目に遭うよ」
「兄さん、やめるんだ!」
光一郎は苛立つ。
玲人は、光一郎を見ながらフッと笑った。
「僕のやり方は間違っていない。これでひきこさんが元の世界に帰れば問題ないだろう。
……だから、お前はそこで大人しく見ていろ!」
怒号のような玲人の声に、光一郎は震える。
その時、ユズが光一郎の前に立ち、両手を大きく広げた。
「ユズ!? 捨てたはずなのに!」
「光一郎を傷つけるなら、あの人を傷つけるなら、わたしが代わりに傷つく」
ユズは、自分を捨てた玲人に対し怒りの感情を抱いていた。
感情に乏しいレプリカントだったが、玲人が捨てた事を知ると、彼への怒りが強くなった。
「ヒキ……」
「ユズちゃん……」
「わたしを捨てたなら、ゴミとしていくらでも殴れ。
あなたもわたしもお互いに傷つけられない。それでもわたしは、光一郎を守る」
ユズは玲人を傷つけられないが、光一郎を守る気持ちは強かった。
彼女の目は鋭く、玲人に対する怒りで満ち溢れていた。
ひきこさんは憎めない……それもあったが、
情が芽生えたユズと、情を持たない玲人が対立するのは当然だった。
普段はぼんやりしているのに、こんなにはっきりと物事を言えるユズに、
琴葉と光一郎は呆然とした。
「やれやれ。ユズ、君は失敗作だよ」
渋々先生の手を離す玲人だったが、まだ諦めてはいない様子だった。
早めにひきこさんを元の世界に帰そうと、琴葉達は急ぐのだった。