Kaikaeshi and Automata 作:アヤ・ノア
大山先生はひきこさんに恋をするが、彼女は人間を死ぬまで引きずる怪だった。
光一郎はひきこさんを元の世界に帰そうとするが、玲人は力ずくでひきこさんを追い詰める。
ユズは玲人に捨てられた後、光一郎に惹かれて彼を守ろうとする。
果たしてひきこさんは先生の愛に応え、光一郎はひきこさんと交渉できるのだろうか。
「ユズちゃん、さっきは凄かったね」
「許さなかっただけ」
琴葉はユズがはっきり意見を言った事を褒める。
「ヤマノケと戦った時は仕方なかったけど、あれは過激すぎる。だから、反発した」
見かけによらず、ユズは意志が強いようだ。
「とはいえ、このままだと兄さんに見つかっちゃう。早めにひきこさんを逃がそう」
「それなら、わたしに任せてほしい」
高級住宅地から離れた場所にある倉庫街の一角。
ユズの案内で、琴葉達は人目につかない物陰に隠れていた。
琴葉、光一郎、ユズの前には、大山先生とひきこさんがいる。
「天草、君の兄さんは何を考えているんだ?」
「僕達の事はいいんです。それよりもひきこさんと話をしないと」
光一郎は、ひきこさんを見た。
「ひきこさん、僕は兄とは違う。君とちゃんと交渉をして元の世界に戻ってほしいんだ」
「元の世界? 天草、何を言ってるんだい?
先生にはさっきから全く状況が理解できないんだけど」
「それは……」
「光一郎君、ちゃんと話した方がいいよ」
「琴葉ちゃん」
「先生なら、きっと分かってくれると思うの」
ひきこさんが怪だったとしても、先生は怖がったり逃げ出したりしない。
琴葉は、先生とひきこさんの姿を見てそう思えた。
それを聞き、光一郎は戸惑いながらも先生とひきこさんに目を移す。
「分かってくれる……確かにそうかもしれない」
光一郎は小さく頷くと、先生に全てを話す事にした。
「……ひきさんが、怪のひきこさんだって?」
話を聞いた先生は、呆然となりながらひきこさんを見る。
「ヒキィィ……ヒキキキィ……」
ひきこさんは目に涙を浮かべながら、先生を見つめる。
「『言えずにいて、ごめんなさい』って言っています」
琴葉は先生にひきこさんの言葉を伝えた。
「人間とは違う存在……人間を死ぬまで引きずる怪……」
先生はひきこさんを見ながら、ゴクリと唾を飲み込む。
「先生……」
ユズ、琴葉、光一郎は先生を見た。
先生はひきこさんを見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「そうか、そうだったんだね」
「ヒキ……」
「ひきさん……」
「ヒキ……」
「僕は……それでも君が好きだよ」
「ヒキ?」
先生は、ひきこさんに歩み寄って手を握った。
「怪だろうが人間だろうが、君はひきさんだから!」
優しく微笑みながら、先生はひきこさんにそう言う。
「ヒキィ、ヒキィ……」
ひきこさんは涙を流しながら、『ありがとう』と言った。
「先生……素敵」
琴葉は先生の態度に感動し、ユズは無言で頷く。
だが、地面に立ってその様子を見ていたたぬ吉は心配そうな表情をしていた。
「やけど、このままにはできへんで」
ひきこさんをこのまま人間の世界に住まわせるわけにはいかないのだ。
「うん。それは僕にも分かっているよ」
「それが任務だから」
「光一郎君……」
「帰る条件を教えてほしい」
光一郎は、ひきこさんの前に立った。
怪帰師はそれを叶えるために存在している。
「彼女は帰ってしまうのかい?? 大丈夫だよ、彼女は凶暴な怪なんかじゃないよ!」
先生は光一郎に必死に訴える。
しかし、ひきこさんは先生の肩に優しく触れ、首を小さく横に振った。
「ヒキィ、ヒキキキキ」
「『ありがとう。だけど私は凶暴な怪なの』。それって……」
琴葉は訳しながら、ひきこさんを見る。
ひきこさんは、自分の今の気持ちを正直に話し始めた。
ひきこさんは自分の世界にいる時、人間を引きずりたくてウズウズしていたのだという。
だが、人間の世界へと続く人穴に入る勇気がなかった。
人間の世界がどんなところかよく分からなかったのだ。
ある日、そんなひきこさんの前に、光の扉が現れたのだという。
こっちへおいで……。
心の中で、人間の声がそう言ったらしい。
「それって」
琴葉達はそれを聞いて戸惑う。
ひきこさんも何者かが人間の世界に呼んだのだ。
彼女はそんな琴葉達を見ながら、話を続けた。
心の声に導かれるかのように、ひきこさんは人間の世界にやってきた。
怖がられないように綺麗な人間の女の人に姿を変え、人間達を観察した。
しかし、なかなか興味を持てる相手を見つけられなかったのだという。
そんなある夜、大山先生と出会った。
夜道に一人でいたひきこさんを、先生は駅まで送ってくれた。
ひきこさんは先生に興味を持ち、別れ際、捕まえようと手を握った。
すると先生は「今度おいしいスイーツを食べに行きませんか?」と言った。
それは、屈託のない少年のような笑顔だった。
「ヒキィキキ、ヒキキキキ。ヒキキキィィキ」
「『大山さんの笑顔が、とても素敵だった。私はそれで好きになったの』」
琴葉はひきこさんの言葉を先生に伝える。
ひきこさんは今まで人間に優しくされた事がなかった。
いくら綺麗な女の人に姿を変えても、
ヒキしか言えないひきこさんを皆、不気味に思っていたのだ。
「ヒキィ、ヒキキキィィ」
「『私は、本気で大山さんが好きになった』」
「ひきさん……」
先生は、小さく頷く。
「僕も同じだよ。君が怪でも人間でも関係ない。これからもお付き合いをしよう」
先生はそうひきこさんに言う。
だが、ひきこさんは首を大きく横に振った。
「ヒキキキ。ヒキキキキィィ」
「『言ったでしょ。私は凶暴な怪だって』」
「ひきさん、君は凶暴なんかじゃ」
するとひきこさんが悲し気な表情を浮かべ、そしてゆっくりと答えた。
「ヒキキキ、ヒキヒキキキ」
「えっ……」
琴葉はひきこさんの言った事に思わず言葉を失う。
「琴葉ちゃん、何て言ったんだい?」
「僕にも教えて!」
先生が真剣な表情で言う。
琴葉は先生達を見ながら、ひきこさんの言った事を訳した。
『私は日に日に、大山さんを引きずりたくなってる』
「えっ……」
ひきこさんは、先生を好きになればなるほど、捕まえて引きずりたい気持ちになった。
それを、ずっと必死に我慢していたのだ。
「そんなのって……」
琴葉はひきこさんと先生を交互に見る。
ユズは、ぐっと拳を握る。
互いに好きなのに、その思いが強ければ強いほど不幸になってしまう。
「ヒキィヒキ。ヒキヒキヒキヒキ」
「『帰る条件を言うわ。それは大山さんの私との記憶を消す事』。……それって」
琴葉がそう訳し、何かを言おうとする前に、光一郎が口を開いた。
「君が元の世界に帰れば、先生の記憶から君は消えるよ」
怪が帰れば人々から騒動があったという記憶がなくなり、
その時に負った怪我なども元に戻るのだ。
「ヒキ」
『そう』とひきこさんは呟く。
「ヒキィィ、ヒキキキキ」
『それじゃあ早くやりましょう』
ひきこさんは光一郎を見る。
その表情はどこか寂しげだった。
光一郎は、ひきこさんを元の世界に帰す事にした。
大山先生も、琴葉とユズの横で見守っている。
光一郎は、右手を強く握り締めた。
「鑰!」
次の瞬間、光一郎の右手の甲が光り輝く。
そして、鍵のような紋章が現れた。
光一郎は、そのまま傍にある少し開けた空間を見つめ、右手を突き出した。
「人は人の世に。怪は怪の世に。安住の地へ、今帰らん!」
―ゴオオオオ……
瞬間、大きな音が響き、地面から光の扉が現れた。
光一郎は光の扉に近づくと、鍵の紋章が浮かび上がった右手で光の扉のノブを掴んだ。
「開!」
ドアがゆっくりと開く。
その向こうに眩い光が広がった。
「さあ、自分の世界に帰るんだ」
光一郎はひきこさんにそう言う。
ひきこさんは、ゆっくりと扉へ向かおうとした。
「待って!」
その時、先生がひきこさんに駆け寄った。
「先生!?」
琴葉と光一郎は戸惑うが、先生はユズを含めた三人を気にする事なく、
ひきこさんの傍に立ってじっと見つめた。
「ひきさん、見せてほしいんだ。君の本当の姿を」
ひきこさんはそれを聞き、戸惑う。
「ヒキ、ヒキキ」
「大丈夫だよ。
たとえ記憶がなくなってしまうとしても、君の本当の姿をこの目に焼き付けたいんだ」
「ヒキ……」
ひきこさんは戸惑いながらも、両手を握りしめる。
そして、何かを決心すると、大きく息を吐き、頷いた。
刹那、ショートヘアで白い肌のひきこさんが赤く光る。
その身体が、赤くなっていく。
髪が腰まで伸び、それが逆立ち、孔雀の羽のようになっていった。
赤い顔に血走った鋭い目が見える。
真っ赤な口には真っ赤な鋭い牙が生えていた。
手も赤く、鋭い真っ赤な爪が伸びている。
「ヒキキィ、ヒキキキィィ……」
『怖いでしょ。こんな姿……』
ひきこさんが伏し目がちに言う。
だが、そんなひきこさんの手を先生の手がしっかりと握り締めた。
「とっても綺麗だよ。僕は君がずっと好きだ」
先生は、少年のような屈託のない笑顔でそう言った。
ひきこさんの目から、止めどなく涙がこぼれ落ちる。
やがて、先生から手を離したひきこさんは涙を流しながら、ドアをくぐる。
「ヒキイイ」
『大好き』
光がひきこさんの全身を包み込む。
ひきこさんは光の中に消え、ドアがゆっくりと閉まる。
光の扉はまるで線香花火のように四方に光を散らすと、そのまま消滅した。
「みんな、おはよう~。今日も一日頑張ろう!」
翌朝。
小学校の校門の前では、大山先生が立ち、生徒達に朝の挨拶をしていた。
その様子を、琴葉と光一郎が少し離れたところから見ている。
「先生、ひきこさんの記憶ないんだよね?」
「うん、全て消えてしまっているよ」
琴葉は何だか切なくなる。
二人は相思相愛だった。
二人の会話を聞いて、手提げ袋からたぬ吉が顔を出した。
「人間の世界にひきこさんが来た事は、悲しい結末になってもうたわけやな」
「それは……」
ひきこさんをこの世界に呼んだ者は、彼女に人間を襲わせたかったのだろう。
しかしそれを、先生の優しい気持ちが阻止したのだ。
「私は二人は出会ってよかったと思うよ。
だって、たとえ記憶から消えていても、先生は凄く幸せだったと思うから」
琴葉の言葉に、ユズ、光一郎、たぬ吉は頷いた。
「そう言えば、玲人はんの方は大丈夫やったんか?」
たぬ吉はふと、光一郎に尋ねた。
ひきこさんを連れて逃げたあげく、元の世界に帰してしまったのだ。
「瑚江が言うには、怒っているみたいだけどね」
光一郎はそう言いながらも、琴葉達をしっかりと見る。
「だけど、僕のやった事は間違ってない。兄さんに文句は言わせないよ」
「流石光一郎」
「なんか、カッコよさがアップしたで!」
「え、あ、いやあ」
琴葉達に褒められ、光一郎は顔を赤くして照れるのだった。
その頃。
町外れの山の奥に、一軒の山荘があった。
薄暗い部屋の中に木製のイスに座った一人の人物がいる。
彼の隣には、武器を携えた少女の人形が立っていた。
「ひきこさんも、帰ってしまったか……」
若い男のようだ。
「だけどまあいい。あれをこの町に呼べば、楽しい事になるはずだからね」
男はイスから立ち上がるとゆっくりと出入り口へと向かい、ドアを開けた。
山荘の前に、光の扉がある。
男はその扉の前に立った。
右手の甲には、鍵のような紋章が浮かんでいる。
男はその右手で、光の扉のノブを掴む。
「開!」
扉がゆっくりと開く。
その向こうに眩い光が広がった。
「さあ、人間の世界に来るんだ」
ドアの向こうに、鋭い六つの目が光った。