アンブリッジ先生が、少し変わった。
いきなり聖女になったわけではない。もちろん、妖精にもなっていない。
けれど、前よりは話しやすくなった。
まず、全身ピンクではなくなった。
これは大事件である。
前は、廊下の向こうからアンブリッジ先生が歩いてくると、視界の端がピンクの花畑みたいになった。しかも、その花畑が校則違反を見つけて減点してくる。非常に怖い花畑だった。
ところが最近のアンブリッジ先生は、ピンクに差し色を混ぜるようになった。
今までは全身武装したようにピンクだったが、たまに白色や赤色などの別の色が混ざるようになったのだ。
ファッションに目覚めたのか、着こなしもどこかおしゃれだった。
「ロメルダのおかげだよね」
ジニーが言った。
「ロメルダだね」
わたしも言った。
ロメルダは最近、アンブリッジ先生とよくお茶会をしている。
正確には、アンブリッジ先生がロメルダを呼んでいる。最初は「借りた本を返すため」だったはずなのに、二回目からは「感想を述べるため」になり、三回目からは「続巻について確認するため」になった。
ロメルダの貸した恋愛小説は『マグノリアの令嬢』シリーズといって、全30巻はある長編小説だったらしい。アンブリッジ先生は完全に恋愛小説沼にハマっていた。
「アンブリっち、続きが読みたくて仕方がない病なんだよ」
ロメルダが、羽ペンをくるくる回しながら言った。
「本好きならわかるでしょ?」
「わかる」
わかってしまった。
続きが読みたくて仕方がない病は、とても重い病である。症状としては、授業中に次巻の展開を考える、食事中に登場人物のすれ違いに怒る、寝る前に一章だけと思って朝になる、などがある。
アンブリッジ先生はどうやら、かなり重症らしい。
それを面白がったジニーは、ある日、授業後に言った。
「先生、その髪のリボン、舞踏会の場面でマグノリアの令嬢がつけていたのっぽいですね」
アンブリッジ先生は一瞬、うれしそうな顔をした。
ジニーはそこでやめればよかった。
「やっぱりアンブリっち先生も、ああいう身分違いの恋に弱いんですか?」
教室が凍った。
「ェヘンェヘン」
アンブリッジ先生の笑顔が、砂糖を煮詰めすぎたみたいになった。
「ミス・ウィーズリー」
「はい」
「放課後、わたくしのお茶会にいらっしゃい」
お茶会という名前の罰則だった。
内容は、講義の要点をひたすら書き写すこと。
ジニーは翌日、げっそりした顔で言った。
「お茶はおいしかった。罰則はつまらなかった。あと、先生は恋愛小説の解釈が長い」
「罰則で恋愛小説の解釈を聞かされたの?」
「うん。しかも、ちょっと納得しちゃったのが悔しい。いい解釈だった」
アンブリッジ先生、恐ろしい。
最近は、みんなもだんだんアンブリッジ先生のおだて方を覚えてきた。
これもまた、恐ろしい成長である。
「先生はどうやって魔法省に入られたんですか?」
「先生みたいに試験で優秀な成績を収めるには、どうすればいいですか?」
「実務で役に立つ呪文って、やっぱり学校で習うものとは違うんですか?」
質問が投げられるたび、アンブリッジ先生は最初こそ「まあ、基礎が大切ですわ」と誤魔化していた。
けれど、三回に一回くらい、口が滑るようになった。
「魔法省では、記録を乱さずに分類する呪文が意外と便利ですの」
「申請書類を飛ばすときは、方向指定を誤ると悲惨ですわ。昔、魔法運輸部の窓口に苦情が山ほど届いて……いえ、これは授業とは関係ありませんわね」
「相手に発言を促すときは、こう、少しだけ圧をかけるのです。強すぎてはいけません。尋問になってしまいますから。後ろに守護霊を出しておくと、ほどよく圧がかけられますわ」
「守護霊はどうやって出すんですか?」と生徒が聞き、アンブリッジ先生による守護霊の出し方説明が始まった。
ほとんど実技だった。
少しずつ、実技が混ざっている。
アンブリッジ先生本人は、実技を教えているつもりがないのかもしれない。けれど、生徒たちはちゃんと見ている。
女子生徒には、たまに入る恋愛小説のたとえが意外と受けた。
「つまり、盾の呪文というのは、好きでもない相手からの舞踏会の誘いを丁重に断るようなものですわ」
「たしかに断り方を間違えると面倒になるものね」
「防御ってそういうことだったんだ」
女子生徒たちは妙に納得していた。
一方、男子生徒たちは全滅していた。
「舞踏会の誘いを丁重に断る状況が、まず想像できない」
コリン・クリービーが真剣な顔でジニーに言っていたのをわたしは目撃した。
恋愛小説を読まないとなかなかそういう場面には巡り合わないかもしれない。
「防衛術に必要なのは、力任せに杖を振ることではありません。品位と節度、そして相手に踏み込ませない明確な境界ですわ」
「境界の説明としては、悪くありませんね」
横から、トムが穏やかに言った。
教室の空気が、すっと冷えた。
防衛術の補助教員、ジェドゥソール先生である。
彼はいつもの完璧な笑顔で、アンブリッジ先生の横に立っていた。笑顔は柔らかい。声も柔らかい。けれど、なぜだろう。二人が並ぶと、砂糖壺の中に細い針が混ざったような気分になる。
「ただ、盾の呪文は相手の感情を傷つけないためのものではありません。自分の身体と判断を守るためのものです。相手が傷つくかどうかを優先しすぎると、防御が遅れます」
アンブリッジ先生の笑顔が、ほんの少し濃くなった。
「まあ、ジェドゥソール先生。わたくしは初学者にも理解しやすいよう、例えを用いただけですわ」
「もちろんです。とても印象的な良いたとえでした。ただ、実戦では、誘いを丁重に断る時間がないこともあります」
「実戦、実戦とおっしゃいますけれど、ここは教室ですわ」
「だからこそ、教室で間に合わせておく必要があります」
トムは笑顔を浮かべた。
アンブリッジ先生も笑顔を浮かべた。
笑顔同士の決闘である。
杖は出ていないのに、机の上の羽ペンが震えている気がした。
「ジェドゥソール先生は、いつも実用性を重んじられますのね」
「アンブリッジ先生は、いつも制度を重んじていらっしゃる」
「制度がなければ、教育は成り立ちませんわ」
「使えなければ、防衛術は成り立ちません」
ジニーが小声で言った。
「これ、決闘?」
「口でやる決闘だね」
「ルーピン先生ほどじゃないですけど、今年の授業は悪くないかもしれません」
アストリアは少し面白がりながらわたしにそう言った。
ルーピン先生は防衛術教師の基準として強すぎる。だいたいの先生は、ルーピン先生と比べられた時点で負ける。そこに「ほどじゃないけど悪くない」と言われるのは、かなり善戦している。
ただし、全員が喜んでいるわけではなかった。
一部のスリザリン生は、面白くなさそうだった。
「前は、スリザリンにもっと優しかったのに」
「最近、グリフィンドールにも点をやるようになった」
「ハッフルパフまで褒めていたぞ」
大事件みたいに言っている。
いや、先生が他の寮にも普通に接するのは、本来いいことである。大事件にしてはいけない。
先生の標準がスネイプ先生ばかりだったらあまりにも偏りがある。
アストリアが小声で言った。
「ロメルダが貸した本の影響ではありませんか?」
「本?」
「『マグノリアの令嬢』シリーズです。本物の貴族は、庶民に優しいという描写がありましたから」
わたしは深くうなずいた。
「本の影響だね」
本は人を変える。
良い意味でも、悪い意味でも、ピンクに別の色を加える意味でも。
アンブリッジ先生を大幅に変身させるという偉業をした当のロメルダは、今のアンブリッジ先生をものすごく気に入っていた。
「アンブリっちってさ、かわいいとこあるんだよ」
「かわいい?」
ロンが本気で聞き返した。
その顔は、「今、自分は知らない言語を聞いたのかもしれない」という顔だった。
「うん。本物の猫は苦手なんだよ」
「猫のお皿、あんなに部屋に飾っているのに?」
「そうそう。ミセノリが来ると、逃げるんだよ。昔、近所の猫に引っかかれちゃったんだって。でも、フィルっちは知らないから猫好き仲間だと思っててウケるんだよね〜」
その瞬間、背後から甘い声がした。
「ロメルダさん」
ロメルダの肩が跳ねた。
アンブリッジ先生が立っていた。ピンク色のワンピースにボルドーのベルトがよく映えていた。
「そういうことを、人に言うものではありませんわ」
「ごめん、アンブリっち」
「その呼び方も、教室では控えなさい」
「じゃあ、お茶会ではいい?」
「……お茶会でも、節度を持ちなさい」
許可が出た。
いや、出ていないかもしれない。
でもロメルダは、出たことにした顔をしていた。
なお、この話をどこからか聞きつけたウィーズリーの双子は、翌日、廊下に猫とネズミが増殖する罠を仕込んだ。
猫が増える。
ネズミも増える。
猫がネズミを追う。
ネズミが猫を避ける。
アンブリッジ先生の部屋の絵皿の猫まで、なぜか一瞬だけ動いたという。
アンブリッジ先生は本気で怒った。
久しぶりに、教室中の空気が昔のピンク色に戻った。
「ミスター・ウィーズリー! ミスター・ウィーズリー!」
「どっちのことですか、先生?」
「両方ですわ!」
双子はものすごく楽しそうだった。
罰則は重かった。
双子は大量の講義資料を分類し、書き写し、ついでにお茶会でアンブリッジ先生から「動物を恋愛小説の小道具に使う場合の節度」について長い話を聞かされたらしい。
「罰則なのに、途中から文学講義だった」
「しかも、猫が出る恋愛小説に妙に詳しい」
「怖いな」
「怖いぞ」
双子が真顔で言った。
怖いの方向が変わってきている。
そんなふうに、ホグワーツの空気は少しずつ変わっていた。
良くなっている、とは簡単に言えない。
アンブリッジ先生は相変わらずアンブリッジ先生だ。文句は細かいし、言い方は甘すぎて逆に刺さるし、魔法省の話になると目が輝く。
けれど、前よりは、話が通じる。
前よりは、生徒を見る。
前よりは、授業がまし。
これはすごいことである。
なにしろ出発点が地底だったので、地上に出ただけで感動してしまう。
そんな中、羽ペン通信の編集会議がまた開かれた。
羽ペン通信の編集会議は、だいたいいつも混沌としていた。
まず、ロンが締切を忘れる。
ジニーが「忘れてない。逃げてるだけ」と言う。
アーニーが議事録を取ろうとして、議事が始まる前に三枚書く。
ハーマイオニーが内容の正確性について指摘し、パドマが紙面の尺について現実を突きつける。
そしてわたしは、本棚の近くの席に座らないように遠ざけられる。
ひどい。
編集会議とは、資料を読む場ではないのか。
「ロンの『つまり、ハリー・ポッターは英雄なのか?』が人気コラムランキングで1位になったわ」
ハーマイオニーが誇らしげに言った。
秘密の部屋が開かれるという事件はあったものの、ロンのコラムは好意的に受け入れられていた。
「『稲妻の少年』シリーズはフィクションだと思い始めた人も増えているみたいですね」
アストリアが言った。
実際、ハリーがチョウと別れてから、最近のハリーはどこかおかしいと思う人が増えてきた。ハリーはどこかで洗脳されたんじゃないかという陰謀論も出てきた。
最近のハリーを見る限りだとあながち間違いではなさそうだ。
「はいはいはい! そこで提案!」
嫌な予感がした。
ロメルダの「提案」は、だいたい面白い。面白いが、だいたい危ない。火薬にリボンをかけて持ってくる感じである。
「アンブリっち動静、連載しよ!」
羽ペンの音まで止まった。
ロンがゆっくり顔を上げた。
「今、なんて?」
「アンブリっち動静」
「動静?」
「新聞っぽいでしょ?」
「そこじゃない」
ハーマイオニーが額を押さえた。
「ロメルダ、先生をあだ名で紙面に載せるのは危険よ」
「でもアンブリっちだよ?」
「でも、じゃないわ」
「本人も最近、ちょっと許してるし」
「諦め始めてるだけだと思う」
それは、かなり正確だった。
アンブリッジ先生は最近、ロメルダに「アンブリっち」と呼ばれるたびに、いったん怒る。怒るのだが、最後まで怒りきれない。なぜならロメルダが、その直後に『マグノリアの令嬢』シリーズの続きを差し出すからである。
本の前で人は弱い。
アンブリッジ先生も例外ではなかった。
「内容は?」
パドマが聞いた。
パドマは止めない。
いったん聞いてから、あとで冷静に切るタイプである。怖い。
ロメルダは待ってましたとばかりに羊皮紙を広げた。書き込みが目立つとても良い内容だった。
「たとえば、今日のアンブリっち先生。服装、ピンク七割、灰色三割。授業中に『盾の呪文は好ましくない舞踏会の誘いを断るようなもの』と発言。女子には好評、男子には不評。実技指導、前週比二回増。猫皿、いつもの三枚。ミセス・ノリス接近時、半歩後退」
ジニーがにやりとした。
「アンブリッジ先生、これ読んだら怒るんじゃない?」
「怒るよ」
ロメルダはあっさり言った。
「でも、アンブリっち、褒められるの好きだし。『最近の授業改善を生徒目線で紹介したいんです』って言えば、たぶんOKしてくれるよ」
「いいと思うわ。採用で」
パドマはそう言って『アンブリっち動静』の採用が決まった。しかし、パドマはあまりに元気がなかった。
「パドマはどうしたの?」
わたしが聞くと、パドマはため息をついた。
「ダンブルドア校長へのインタビューの件」
「あ、取れたんだ」
「取れたわ」
「すごい!」
「単独じゃなくなった」
その言い方で、だいたい察した。
パドマは羽ペン通信ホグワーツ版として、ダンブルドア校長に単独インタビューを申し込んでいた。今の状況で、校長に何を聞くかはとても大事だ。
魔法省の介入。
『稲妻の少年』シリーズがどこまで本当なのか。
ダンブルドア校長が何を知っていて、何を話さないのか。
全部、聞かなければならない。
パドマは特に熱心で、今年中に必ず一面で大々的にやりたいと宣言していた。
「羽ペン通信全国版の記者が同行することになったの」
パドマは眉間を押さえた。
「今の情勢で、一番単独でやりたかったのに」
ハーマイオニーが顔を上げた。
「でも、全国版に載るなら影響は大きいわ」
「それはそう。でも、こちらの聞き方と記事の組み立て方が崩れるし、独自じゃなくなるわ」
その場にわたしたちだけいれば独自記事を書けるが、羽ペン通信全国版の記者がいるだけでそれは合同取材になり、共通記事に格下げになる。記事の価値が一段階下がってしまうのである。
学生新聞とはいえいつも全力のパドマにとってはそれは屈辱なのだろう。
「誰が来るの?」
ロンが聞いた。
「ロルフ・スキャマンダー」
その名前を聞いて、何人かがほっとした。
ロルフ・スキャマンダーは魔法生物担当だったのにシリウス・ブラック騒動で特ダネ記者になり、そのまま事件担当になった記者だ。羽ペン通信全国版でもよくスクープを連発している。
魔法生物に詳しくて、妙なものを妙なまま扱うのがうまい。少なくとも、リータ・スキーターみたいに人の話を毒入り砂糖菓子に加工する記者ではない。
「そこまで心配しなくてもいいんじゃない?」
ジニーが言った。わたしもうなずいた。
「ロルフさんなら、変な記事にはしなさそう」
「以前なら、私もそう思った」
パドマは静かに言った。
「最近のロルフさんの記事、読んだ?」
「読んだよ」
わたしはうなずいた。
もちろん読んでいる。新聞は読む。広告も読む。誤植も読む。欄外の小さな訂正も読む。読めるものは読むべきだ。
「前と書き方が変わったわ。ダンブルドア校長に疑いを向けるような書き方が増えてる」
「事実を書いているだけでは?」
アーニーが言った。
パドマは首を横に振った。
「事実の選び方が変なの。嘘は書いていない。でも、読む人がどこに怒ればいいのか、最初から決められている感じがする」
わたしは黙った。
それは、嫌な言葉だった。
嘘は書いていない。
でも、読んだ人の怒りの向きだけを決める。
本でも新聞でも、それは一番厄介なやり方だ。
「ダンブルドア校長に聞くべきことはある」
パドマは羊皮紙を見た。
「でも、全国版の記事で切り取られたら、こちらの意図とは違う形で広がるかもしれない」
「じゃあ、どうするの?」
ロンが聞いた。
「行くわ」
パドマは即答した。
「同行されるからって、引く理由にはならない。むしろ、こちらが聞かなければ、全国版の聞き方だけが残る」
パドマはこういうところが強い。
派手に怒鳴ったりはしない。机も叩かない。でも、決めたら引かない。羽ペンを持ったレイブンクローは、杖を持ったグリフィンドールより怖いときがある。
「質問は絞る」
パドマは言った。
「まず、事実確認。『稲妻の少年』シリーズに書かれた出来事のうち、何が事実で、何が違うのか。校長自身の言葉で確認する」
「全部認めたら?」
ジニーが言った。
冗談みたいな声だった。
でも、誰も笑わなかった。
わたしは、なぜか少し寒くなった。
「そのときは」
パドマは羽ペンを持ち直した。
「認めた事実と、認めなかった解釈を分けて書く」
「全国版が分けなかったら?」
「だから、私が同行するの」
編集会議の空気が、静かに引き締まった。
アンブリッジ先生が少し変わった。
授業も少し変わった。
生徒たちは、少しずつ守り方を覚え始めた。
でも、外の世界は、そんなに優しく変わってくれない。
新聞は本より早く届く。
そして、間違った物語は、正しい注釈よりずっと早く広がる。
わたしはパドマの羊皮紙を見た。
質問が、きれいな字で並んでいる。
その一つ一つが、呪文より危ないものに見えた。