本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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マイン視点に戻ります。



94話 未来から来た読者

 

 三本の箒はひどく混んでいた。

 暖炉の火は赤く、バタービールの甘い匂いが店の奥まで満ちている。

 

 わたしたちの前には、未来から来たという子どもが三人いた。

 

 リラ。アルバス。スコーピウス。

 そして、なぜか隣にはセオドールが座っていた。

 

「ローゼマイン。ここ、空いてる?」

 

 そう聞かれた時点で、わたしはまだ「空いていない」と答える余地があると思っていた。

 甘かった。

 セオドールは返事を待たずに椅子を引き、当然のように腰を下ろした。手には湯気の立つカップ。周囲の席はどこも埋まっていて、セオドールの居場所はなさそうだった。

 追い返す理由がない。

 

「セオドールもホグズミードに来てたんだ」

 

「少し用があって来た。退屈な用事だ」

 

「なあ、こいつに聞かれてもいいのか?」

 

 ロンが小声でわたしに聞いた。

 

「セオドールなら、大丈夫だと思う。たぶん」

 

 セオドールはわたしと一緒に過去に戻ったことがあるが、あの時の話を他人にべらべら話したりはしなかった。時間旅行についても詳しい。

 

 ハーマイオニーが杖を軽く振った。周囲のざわめきが少しだけ遠のく。遮音魔法だ。セオドールの目が一瞬だけ杖先を見たが、何も言わなかった。

 

「それで」

 

 ロンが腕を組んだ。

 

「未来から来たって話の続きを聞こうじゃないか」

 

「君たち未来から来たのか」

 

 セオドールが興味深そうに言った。

 三人の子どもたちは、同時にセオドールを見た。

 リラが目を見開く。

 

「もしかして、セオドール・ノットですか?」

 

「ああ、そうだけど。僕のことを知っているの?」

 

「聞いたことがあるだけです」

 

 リラはセオドールをじろじろ見ていたが、アルバスに袖を引っ張られてすぐに姿勢を正した。

 スコーピウスが、両手を膝の上で組んで説明していた。

 

「僕たちはホグワーツの三年生です」

 

「三年生、だからなのね」

 

 ハーマイオニーはそう呟いてわたしと顔を見合わせた。

 三年生になると複数科目の選択が許される。そこで全科目を取った生徒は学校から特別にタイムターナーを貸与してもらえる。

 

「全くついていけないのは僕だけ?」

 

 ロンがムスッとした顔で言った。

 

「リラは、複数科目の履修のためにタイムターナーを借りていました。つまり、時間を戻す魔法道具です」

 

「そんなものがあったのか」

 

「でも、あれには五時間の制限があったはず」

 

 リラが顔を上げた。

 

「わたしが改造しました」

 

 言い切った。

 わたしはカップを持つ手に力を入れた。バタービールが少し揺れる。

 

「……何のために?」

 

「ロン・ウィーズリー先生の初稿を見るためです」

 

 ロンがむせた。

 

「そんなことのために時間を戻すなんてことあっていいのかしら……」

 

 ハーマイオニーが眉を寄せる。

 けれど、その横でわたしは、否定しきれない自分に気づいていた。

 失われた初稿。

 未確認の版。

 後世で議論になっている原文。

 本のためなら、人は少しおかしくなる。

 残念ながら、よく知っていた。

 

「『つまり、ハリー・ポッターは本当に英雄なのか?』は未来で出版されているんだね」

 

「はい!」

 

 リラの目が、急にきらきらした。

 

「わたしたちの時代では初稿が失われていて、研究者の間でも議論があるんです。刊行版は何度も版が変わりました。今読まれているものは、最初にロン・ウィーズリー先生が書いたものとは大幅に違うのではないか、と」

 

「そんなことあるの?」

 

 ハーマイオニーは疑い深く聞いた。

 

「見れば分かります」

 

 リラはそう言って、鞄の中に手を入れた。

 取り出したのは、小さな本だった。

 

 表紙は何度も開かれたせいで角が丸くなり、背表紙には補修の跡がある。題名は見覚えがあった。

 

『つまり、ハリー・ポッターは本当に英雄なのか?』

 

 その下に、小さく文字が入っている。

 

 ロン・ウィーズリー著。

 

 わたしは息を止めた。

 

 ロンはもっとひどかった。自分の名前が本の表紙になっているのを見て、バタービールを飲んでいないのにむせた。

 

「……僕の名前が本になってる」

 

「あなたが書いたんでしょ」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「書いてる途中のものと、本になったものは別物だろ!」

 

 それは、かなり正しい。

 

 リラは本を両手で持って、そっと開いた。扱い方が丁寧すぎて、逆に怖かった。まるで聖典か、禁書か、その両方のようだった。

 

「現在一番流通している版では、こうなっています」

 

 リラはページを見下ろしたまま読んだ。

 

「“ハリー・ポッターが英雄であったことは疑いない。しかし、彼を英雄たらしめたものは血筋でも偶然でもなく、白銀卿の理論によって初めて明らかにされた、正しい導きの力であった”」

 

「待て」

 

 ロンの声が低くなった。

 さっきまでの照れも、むせた顔も消えていた。

 

「僕、そんなこと書いてない」

 

 リラは顔を上げなかった。

 

「はい、そうですよね」

 

「いや、はいじゃなくて。僕はそんなこと、絶対に書かない」

 

「だから、初稿が読みたいんです」

 

 セオドールが、カップを持つ手を止めた。

 ハーマイオニーが本を覗き込む。

 

「この版は?」

 

「改訂十九版です。学校で使われている抜粋版は、さらにここから短くなっています」

 

「十九版……」

 

 ハーマイオニーの眉間に深い皺が寄った。

 

「そこまで版を重ねる間に、誰が直したの?」

 

「分かりません」

 

 スコーピウスが答えた。

 

「けれど、版が新しくなるたびに、ロン・ウィーズリー先生の言葉は少しずつ減りました。代わりに、解説と注釈が増えました」

 

「注釈?」

 

 ロンが嫌そうに言う。

 リラは別のページを開いた。

 

「ここです」

 

 余白には、本文よりも細かい字がびっしり並んでいた。

 

 本文はロンの文章のはずだった。

 けれど、余白が本文を囲んでいる。説明が、本文を押し潰している。本を書いた人間の声より、その本をどう読むべきか命令する声の方が大きい。

 

 嫌な本だった。

 

 本なのに、読者を信じていない。

 

「……僕の文章、どこ?」

 

 ロンが呟いた。

 誰もすぐには答えられなかった。

 リラは本を閉じた。

 

「初稿には、まだ注釈がありませんよね? 誰かが読み方を決める前の、羽ペン通信社に編集される前のロン・ウィーズリー先生の言葉が残っています」

 

 ロンは自分の鞄を見た。

 そこには、折れた紙束が入っている。

 本人が乱暴に突っ込んだ、まだ本になる前の原稿。

 急に、それがひどく危なっかしいものに見えた。

 

「だから、未来で奪われる前の内容を見せてください」

 

 リラは静かに言った。

 

「ちょっと待って」

 

 わたしは片手を上げた。

 

「羽ペン通信社に編集される前って言った?」

 

「はい」

 

「ロンと出版契約したのはルシウス・マルフォイ?」

 

 リラは口を閉じた。

 スコーピウスが、そっと話を引き取った。

 

「その通りです」

 

「ロンはさっき契約を断ったのよ。どうやって出版するっていうのよ?」

 

「そこまで細かいことは分からないですが、書類上では明後日契約したとなっていました」

 

「ふざけるなよ」

 

 ロンが吐き捨てるように言った。

 アルバスが肩をすくめた。

 

「でも、そういう未来なんです」

 

 ハーマイオニーが身を乗り出した。

 

「未来で何が起きるの? ヴォルデモートはどうなったの?」

 

 三人が、そろって首を傾げた。

 その反応が、妙だった。聞き慣れない単語を聞いた顔だった。

 

「ヴォルデモートよ」

 

 ハーマイオニーが重ねた。

 

「名前を言ってはいけないあの人よ。あなたたちの時代には、もういないの?」

 

「名前を言ってはいけない……?」

 

 リラが考え込む。

 アルバスもスコーピウスも、互いを見た。

 わたしは、そこで少しだけ息を吐きそうになった。

 

 もしかして。

 

 ヴォルデモートがいない未来なのかもしれない。

 あれほど恐れられた名前が、子どもたちに通じないくらい遠い過去になったのかもしれない。

 一方で、嫌な想像もしてしまった。

 

「白銀卿だったら分かる?」

 

 三人の顔が変わった。

 

 リラの指が、カップの取っ手から外れた。スコーピウスは視線をテーブルに落とし、アルバスは奥歯を噛んだ。

 わたしの背中を、冷たいものが滑った。

 ロンが低く言った。

 

「そっちは知ってるんだな」

 

「はい」

 

 スコーピウスは頷いた。

 

「白銀卿は、魔法大臣なの?」

 

 ハーマイオニーが聞いた。彼女は明らかに最悪の未来を想像していた。

 

「違います」

 

「じゃあ、ホグワーツの校長とか?」

 

「違います」

 

 わたしは息を吐きそうになった。

 けれど、スコーピウスの顔は少しも明るくならなかった。

 

「でも、僕たちの学校は、まだ白銀卿が作った時間割で動いています」

 

「……時間割が?」

 

 ロンが眉をひそめる。

 

「教科書の前書きには、白銀卿の言葉があります。防衛術では、白銀卿の理論を基礎として習います。図書館の禁書指定は、白銀卿の時代に整理された分類が今も残っています。魔法史では、白銀卿登場以前と以後で章が分かれます」

 

 リラは淡々と言った。

 淡々としているから、余計にひどかった。

 わたしは、胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 まるで自由ではない本棚だ。

 人を椅子に座らせるのではなく、本棚を作った。棚の名前を決め、分類を決め、どの本を手前に置き、どの本を奥へ押し込むかを決めた。

 一度それを学校にしてしまえば、子どもたちは毎日決まった棚の前を歩く。

 

「新聞は?」

 

 わたしは聞いた。

 

「新聞も、白銀卿の言葉を引用します。批判する文章がまったくないわけではありません。ただ、届きにくい」

 

「届きにくい?」

 

「禁止されていない本でも、注文できなければ読めません。存在している記事でも、配達されなければ読まれません」

 

 ロンは顔をしかめた。

 

「僕の本も、そうなったのか」

 

 リラが唇を噛んだ。

 

「だから、初稿が必要なんです」

 

「見るために?」

 

 ハーマイオニーが静かに聞く。

 リラはどう答えるか迷っているようだった。彼女はロンを見て、それからセオドールを見た。

 アルバスが代わりに言った。

 

「それだけでなく、ある人を救うためにもです」

 

 ロンの顔がわずかに変わった。

 

「誰を?」

 

 アルバスは口を開きかけた。

 スコーピウスが、テーブルの下で彼の袖を掴む。

 その動きは小さかった。けれど、はっきりと止める動きだった。

 

「言えません」

 

 ロンは苛立ったように髪をかいた。

 

「未来の子どもって、肝心なところで便利に黙るんだな」

 

「言えば、救えなくなるかもしれません」

 

 アルバスの声は、子どもにしては重かった。

 ロンはそれ以上言わなかった。

 ハーマイオニーはまだ聞きたそうだった。誰が死ぬのか。誰が裏切るのか。何をすれば避けられるのか。聞けるなら全部聞くべきだと、彼女の目が言っていた。

 でも、彼女は飲み込んだ。

 その横で、リラがぽつりと言った。

 

「過去を変える危険があるのは、分かっています」

 

「分かっている人は、タイムターナーを改造しないわ」

 

 ハーマイオニーの返しは速かった。

 

「でも、お母さまでも同じことをしたはずです!」

 

 リラの声が、店のざわめきの中で妙にはっきり響いた。

 

 お母さま。

 

 わたしは、まばたきをした。

 

 リラは言ってから、しまったという顔をしてわたしを見た。それがもう答えだった。スコーピウスが目を閉じる。アルバスが天井を見た。

 

 やっぱり、この子は。

 

 わたしは自分の膝の上で、両手をぎゅっと握った。

 

 未来の娘らしき子が、タイムターナーを改造して過去へ来た。理由は、失われた初稿を見るため。

 否定できない。

 ものすごく否定しにくい。

 

「……わたしなら、やると思われているの?」

 

「思われているというか」

 

 リラは気まずそうに視線を泳がせた。

 

「お母さまなら、失われた本があると聞いた時点で、まず保存方法を考えます」

 

 わたしは反論できなかった。

 ロンがぼそっと言った。

 

「遺伝って怖いな」

 

「ロン」

 

 ハーマイオニーが睨んだ。

 

「いや、今のは事実だろ」

 

 ロンは立ち上がった。

 

「初稿なら、あげるよ」

 

「え?」

 

 リラが目を見開く。

 

「いいんですか?」

 

「いいも何も、僕が書いたやつだろ。僕がいいって言えばいいんじゃないか?」

 

「でも、歴史的な重要資料です」

 

「そんなこと言われても、自分の原稿に歴史的資料とか言われても実感沸かないよな。ほら」

 

 ロンは鞄から紙束を取り出した。端が折れて、インクのにじみもある。本人が思っているより、ずっと大事なものに見えた。

 

 リラが両手を伸ばしかける。

 けれど、ハーマイオニーがその前に紙束を押さえた。

 

「原本は渡せないわ」

 

「なんで?」

 

 ロンが驚く。

 

「未来で失われる原本を、ここで未来に渡したら、この時代から原本が消える。歴史を直すために、別の歴史改変を作ることになる」

 

 リラの手が、少しだけ下がった。

 

「でも」 

 

「複製を作るわ」

 

 ハーマイオニーは言い切った。

 

「ただの複製じゃない。ロン本人の許可を取って、原本と照合して、作成時刻と証明を書き添える。未来の研究者が疑うなら、好きなだけ疑えばいいわ。疑える資料が残るだけ、何もないよりずっとましよ」

 

 ロンが鼻を鳴らした。

 

「面倒くさいな」

 

「現在のあなたも十分面倒よ」

 

「それは関係ないだろ」

 

 ハーマイオニーは杖を抜いた。紙束の横に、もう一つの紙束が現れる。見た目はそっくりだった。彼女は二つを慎重に見比べ、複製の最後に短い証明文を書き添えた。

 ロンも、渋々そこに署名する。

 

 ロン・ウィーズリー。

 

 リラがその名前を見つめた。

 さっきまで堂々としていた顔が、今だけ年相応に崩れた。

 

「ありがとうございます、ロン・ウィーズリー先生」

「先生はやめろ」

「無理です」

「なんでだよ」

 

「わたしたちの時代で、この本は希望なんです」

 

 ロンは返事をしなかった。

 セオドールが、静かにその複製を見ていた。

 

「ウィーズリーの原稿が希望ね」

 

 彼の声は小さかった。

 

 ロンが椅子を蹴りそうな顔をしたので、ハーマイオニーが肘で止めた。

 リラは複製原稿を胸に抱いた。

 原本は、ロンの鞄に戻った。

 

 それだけのことなのに、何かが決定的に変わった気がした。

 セオドールは椅子を戻しながら、いつもの調子で言った。

 

「随分、賑やかな読書会だったね」

 

「読書会じゃないだろ」

 

 ロンが言う。

 

「そうかな」

 

 セオドールは店の扉へ向かった。

 

「本の話をして、未来を変える相談をして、読者が作家の原稿を持ち帰った。僕には読書会に見えたよ」

 

 リラは、セオドールの背中を見ていた。

 扉の鈴が鳴った。

 セオドールがホグズミードの通りに消える。

 ロンが、リラと扉を交互に見た。

 

「……なあ」

 

「何?」

 

 ハーマイオニーが警戒した声を出した。

 

「あの子、ノットのこと見すぎじゃなかったか?」

 

「ロン」

 

 ハーマイオニーの声が一段低くなる。

 

「いや、だってさ。あいつ絶対マインの未来の娘だろ? もしかして、父親って」

 

「まさか。ノットには似てなかったわよ」

 

 ハーマイオニーは肩をすくめた。

 テーブルの上には、まだロンの原稿の匂いが残っていた。

 まだ乾ききらないインクの匂いがした。

 

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