マイン視点戻ります。
校長室の暖炉が、緑色の炎を噴き上げた。
火は天井近くまで伸び、薪もないのに轟々と唸っている。その向こうに魔法省があると言われても、巨大な生き物が口を開けて待っているようにしか見えなかった。
「先に着いた者から、地下九階へ向かうのじゃ」
ダンブルドア先生が杖を下ろした。
シリウス、ルーピン先生、キングズリーさん。不死鳥の騎士団のメンバーが、次々と炎の中へ消えていく。
ダンブルドア先生が、わたしたち二人を見た。
「ローゼマインとロメルダは、トムから離れてはならん」
「待って」
ロメルダが眉を寄せる。
「トム様めっちゃ騎士じゃん! あたしたち姫ポジションでいいのかな?」
「もっと緊張感を持ってほしいところだね」
トムは杖を抜き、傷がないかを確かめた。
ロメルダは羽根ペンと手帳を持っている。
戦いに行く格好ではない。
わたしは『深い闇の秘術』を胸に抱えていた。
以前、ヴォルデモートから借りた本である。借りた本は返さなくてはならない。
トムが表紙を見て、露骨に嫌な顔をした。
「まだ返していなかったの?」
「まだ読み終わってなかったから」
「敵に本を借りたまま、本人と戦いに行く人間は初めて見たよ」
貸し主と敵対しているからといって、本を返さない理由にはならなかった。
「早く行こうよ」
ロメルダが暖炉の前に立った。
「先に行った人たち、もう戦ってるかもしれないし」
「今になって急に正論を言わないで」
トムがロメルダの背中を押す。
「熱い! 髪が燃えたら責任取ってよね!」
「止まらなければ燃えない」
ロメルダが緑の炎へ呑み込まれた。
わたしも本を抱き直す。
「魔法省、アトリウム」
足元が消えた。
身体が狭い煙突の中を引きずられ、無数の暖炉が目の前を流れていく。どこかの居間、店の厨房、湯気の立つ浴室らしき場所が一瞬ずつ見えた。
次の瞬間、黒い床が迫ってくる。
わたしは顔から転がった。
両腕で抱えていた本だけは無事だった。
「本を守って顔から落ちたよね?」
先に到着していたロメルダが、わたしの腕を引いた。
「顔の傷は治せるけど、本は同じものが手に入るとは限らないよ」
「なるほど。じゃあ正解か」
簡単に納得してくれるのはありがたい。
トムは暖炉から危なげなく降り立った。
「二人とも、その調子で僕の仕事を増やさないでくれる?」
魔法省のアトリウムは無人だった。
黄金の彫像は台座から崩れ、魔法使いの首だけが黒い床を転がっている。受付の奥では、行き先を失った紙飛行機が、同じ場所を何度も旋回していた。
遠くで爆発音が響く。
足元の床が震えた。
トムの顔から、校長室にいたときの呆れた表情が消える。
「始まっている」
左右の通路と天井を確認し、杖を構えた。
「二人とも、僕の後ろへ」
ロメルダは何も言わずに下がった。
こういうときだけは、危険を察するのが早い。
壊れかけたエレベーターへ乗り込む。
地下へ下りるにつれ、爆発音は近くなった。天井から細かな埃が降り、昇降機の壁に赤い光が走る。
地下九階。
扉が開いた瞬間、呪文が飛び込んできた。
トムが杖を振る。
半透明の盾がわたしたちの前に現れ、赤い光を受け止めた。盾の表面に亀裂が走り、砕けた火花が昇降機の内側へ降り注ぐ。
「到着したばっかりなのに撃つとか、歓迎が雑!」
「神秘部に接待を期待するな」
トムは盾を維持したまま、廊下へ踏み出した。
丸い部屋を囲む扉が、いくつも開いている。
黒いローブの魔法使いたちが入り乱れ、赤や青の閃光が壁を削っていた。床には壊れた杖とガラス片が散らばり、割れた扉の向こうでは巨大な棚が傾いている。
シリウスがベラトリックスと呪文を撃ち合っていた。
ルーピン先生は倒れた魔法省職員を庇い、キングズリーは二人の死喰い人を同時に相手にしている。
ハリーの呪文が、仮面の男の杖を弾き飛ばした。
その奥に、ロンとハーマイオニーが見えた。
二人とも立っている。
無事だと確認した直後、天井近くから緑色の光が落ちてきた。
「動くな」
トムの盾が呪文を受け止める。
緑の光が盾の表面を左右へ流れ、壁へ突き刺さった。石が焼け、焦げた臭いが広がる。
わたしは『深い闇の秘術』を開いた。
「今のを見て、どうして本を開けるの?」
トムが前を向いたまま言う。
「こういうときのために持ってきたんだよ」
問いを思い浮かべながらページをめくり、目を閉じて指を置く。
どうすれば生き残れるか。
指先の文章を読む。
「愚か者は、背後から近づく刃に気づかない」
「後ろ!」
トムがわたしの肩を掴んだ。
強く引かれた直後、背後の扉から仮面の男が飛び出してくる。
トムは振り返りざまに杖を振った。
男の身体が天井まで吹き飛び、吊り下げられていた燭台を巻き込んで床へ落ちる。
「当たった!」
「僕が止めなかったら、愚か者は君だったけどね」
「最終的に避けられたから、占いは成功だよ」
「成功判定が甘すぎる」
右側から呪文が飛んでくる。
トムが弾いた。
左から別の死喰い人が迫る。
ロメルダが杖を向けた。
「エクスペリアームス!」
赤い光は、男の肩の上を抜けていった。
「外した!」
「狙いが高い」
「仮面で顔を隠してるから悪いんじゃん! 表情が見えないと狙いにくい!」
「戦闘に表情は必要ない」
死喰い人がロメルダへ杖を向ける。
ロメルダは逃げずに、相手の仮面を見つめた。
「ていうか、その仮面、さっき倒れた人とおそろいだったけど、付き合ってんの?」
死喰い人の杖が止まった。
「違う!」
「隙だらけだ」
トムの呪文が胸へ直撃する。
男は仰向けに倒れた。
ロメルダが感心したように頷いた。
「死喰い人にも恋愛の噂って効くんだ」
「次から全部それで止めるつもり?」
「職場恋愛が多ければいける」
「仮面がおそろいなだけで恋人にしないでくれる?」
二人の死喰い人が、左右から同時に走ってきた。
わたしは再び本を開く。
「蛇は光を嫌い、闇へ帰る」
「ルーモス・マキシマ!」
トムの杖の先から白い光が弾けた。
死喰い人たちが目を覆う。
トムはその隙に一人の杖を奪い、もう一人の足元から黒い縄を這わせた。縄は男の身体へ巻きつき、勢いよく床へ引き倒す。
別の呪文が、わたしとロメルダの間を抜けた。
本のページが風にあおられる。
「危ないよ!」
わたしは本を胸へ抱き込んだ。
「ヴォルデモートの本を攻撃するんですか!」
呪文を放った死喰い人が、わずかにひるんだ。
トムの呪文が飛ぶ。
男の杖が根元から砕けた。
「マイン、その手はそう何度も使えないよ」
わたしは答えず、本の角が折れていないかを確認した。
わたしは書物占いをし、ロメルダは死喰い人の恋愛事情を尋ね、その隙にトムが相手を倒していく。
引率というより、後始末だった。
「いつまで隠れているつもりだ。早く出てこい、ヴォルデモート」
トムが静かに言った。
「お前のロケットはバジリスクの腹の中だ。お前の一部を倒したぞ」
トムの声に反応してか、一人の男が蛇を従えて姿を現した。
顔を見て、わたしは本を閉じた。
前見た蛇のような顔ではなかった。
白銀の髪。高い鼻筋。雪のように白い肌。
赤い目だけが前と同じだ。
ロメルダが、わたしの袖を掴んだ。
「悔しいけどイケメンじゃない?」
「聞こえるよ!」
「だって悔しいじゃん!」
ヴォルデモートの赤い目が、ロメルダへ向いた。
ロメルダはすぐにトムの背中へ半分隠れる。
「褒めたから怒らないよね?」
「なんで僕を盾にするんだ?」
ヴォルデモートの口元が、わずかに上がった。
「随分と騒がしい者たちを連れてきたものだな、トム」
「ダンブルドアに押しつけられた」
「引率だよ」
訂正すると、トムが嫌そうにこちらを見た。
ヴォルデモートの背後へ、黒い煙が集まり始める。
最初に姿を現したのは、ロックハートだった。
戦場だというのに金色の髪は丁寧に整えられ、青いローブにも皺ひとつない。杖を持つ角度まで、肖像画に描かれることを意識しているようだった。
「やあ、諸君。感動的な再会だね」
「ギルデロイ・ロックハート……!」
ハリーの顔が怒りに染まった。
次に現れたのは、ルシウス・マルフォイだった。
銀色の杖を手に、ヴォルデモートの斜め後ろへ立つ。
一瞬だけ、わたしと目が合った。
何も言わなかった。
ただ、こちらへ向いていた杖先が、わずかに床へ下がった。
その隣には、バーティ・クラウチ・ジュニアがいた。
唇の端を吊り上げ、久しぶりの遊び場へ戻ってきた子どものように、周囲を見回している。
「随分集まりましたねえ。誰か招待状でも配ったんですか?」
最後に現れた女性を見て、ロメルダがトムの背中から飛び出した。
「あっ!」
青みがかったブロンドの髪。
暗い青色の目が、室内にいる者たちを一人ずつ確かめている。
ロメルダが女性を指さした。
「デルフィーって名乗ってた偽記者!」
女性の眉が動く。
デルフィーはロメルダから視線を外し、別の方向に目を向けた。
ロンだ。
ロンはハーマイオニーと背中を合わせ、死喰い人へ杖を向けていた。
デルフィーの口元が、わずかに上がる。
背中に冷たいものが走った。
「ロン!」
わたしが叫ぶ。
デルフィーの杖が動いた。
床から黒い帯が噴き出し、ロンの足首へ巻きつく。身体が宙へ浮き、そのまま開いた扉の向こうへ引きずられていった。
「ロン!」
「ロンロン!」
ロメルダとハーマイオニーが同時に叫んだ。
ハリーとシリウスも走り出した。
わたしたちも、その後を追う。
扉の先は、階段状の石室だった。
中央に古い石のアーチが立っている。
「なんだあれは……誰の声だ?」
トムが眉をひそめた。
デルフィーは階段の上で杖を振ると、黒い帯がロンを持ち上げた。
ロンの身体が、アーチへ向かって投げ出される。
「やめろ!」
突然現れた二人の少年が同時に走った。
アルバスがロンの右腕を掴み、スコーピウスが左腕へ飛びつく。
ロンの靴先が、黒い幕へ触れる寸前で止まった。
三人の身体が石段を滑る。
ロメルダとハーマイオニーも駆け寄り、ロンをアーチから引き離した。
「どうして僕なんだよ!」
床へ転がったロンが叫ぶ。
デルフィーは階段の上から、冷たい目で彼を見下ろしていた。
「あなたが、あの本を書いたからよ」
「また本の話? まだ出版もしてないぞ!」
「私の時代では出版された」
デルフィーの声が、石室に響く。
「あなたの本は売れた。多くの人間が読み、ヘンリー・ポーターの小説と比べ始めた」
ハリーの指が、杖を強く握った。
「あの本には、ヘンリー・ポーターの物語と食い違うことが、いくつも書かれていた。人々は疑い始めたのよ。何が本当なのかを」
デルフィーの青い瞳が、ハリーへ向く。
「あなたの小説のせいで、ヘンリー・ポーターは信用を失った」
「それがなんだっていうんだ? ロンの本が売れて困ることでもあるのか?」
ハリーが尋ねた。
デルフィーの表情が歪む。
「闇の帝王が敗れる原因を作った」
ヴォルデモートの赤い目が、ゆっくりとデルフィーへ動いた。
彼女は振り返らなかった。
「誰も闇の帝王の言葉を信じなくなったからお父様は負けた。ヘンリー・ポーターの虚構が崩れたことで、その物語に連なるものまで疑われた。あの小説が、すべてを壊したのよ!」
「だから僕を殺すのか?」
ロンが立ち上がろうとする。
ハーマイオニーが彼の腕を支えた。
「そうよ」
デルフィーは迷わなかった。
「あなたが死ねばいいの!」
「オーグリー様だ……」
アルバスの掠れた声が響いた。
デルフィーの杖先が止まる。
アルバスは石段に片膝をついたまま、彼女を見上げていた。
「今、何と呼んだの?」
「オーグリー様」
スコーピウスも青ざめた顔で立ち上がった。
「僕たちの世界で、あなたはそう呼ばれていた」
デルフィーの眉が寄る。
「私はそんな名前で呼ばれたことないわ。あなたたち誰?」
アルバスとスコーピウスが顔を見合わせた。
「知らないの?」
アルバスが尋ねる。
「私が知る未来に、その名は存在しない。でも、いい名前ね」
デルフィーは杖を握り直した。
「私の時代では、闇の帝王は敗北した。ロン・ウィーズリーは本を出版し、ヘンリー・ポーターの物語を壊した」
「違う」
スコーピウスが呟いた。
彼はロンを見た。
「僕たちの世界では、ロン・ウィーズリーはここで死んでいる」
ロンが目を見開く。
「僕が?」
「神秘部の戦いで、アーチの向こうへ落ちたことになっていた」
アルバスの視線が、黒い幕へ向いた。
「誰に殺されたのかは、記録に残っていなかった」
デルフィーの口元から、笑みが消える。
「でも、小説は残った」
スコーピウスが続けた。
「作者が死んだあと、別の誰かが書き直して出版したんだ。初版とは全く内容が違った」
「書き直した?」
ロンの声が低くなる。
「僕たちが読んだ本には、あなたが今話している内容は書かれていなかった」
アルバスが答えた。
「ヘンリー・ポーターは、自分の力も立場も理解できず、周囲を混乱させた少年として描かれていた」
「その代わりに」
スコーピウスが、ヴォルデモートを見る。
「闇の帝王は、腐敗した魔法界に秩序を取り戻そうとした者として書かれていた。ロン・ウィーズリーの小説は、闇の帝王の物語を否定する本じゃなくなった」
アーチの幕が大きく揺れた。
「闇の帝王の物語を、補強する本になっていた」
デルフィーの目が見開かれる。
しばらく、アルバスとスコーピウスを見つめていた。
やがて、彼女の視線がロンへ戻る。
「あなたたちの世界では、この男が死んだ」
「そうだ」
「原稿は残り、闇の帝王に都合のいい形へ書き換えられた」
誰も答えなかった。
デルフィーの唇が、ゆっくりと弧を描く。
「では、私の選択は正しかったのね」
「違う!」
アルバスが叫ぶ。
「僕たちは、それを止めるために来た!」
「止める?」
デルフィーは愉快そうに首を傾げた。
「あなたたちは、私がロン・ウィーズリーを殺した未来から来たということでしょう?」
スコーピウスが衝撃を受けたような顔をした。
デルフィーの白銀の髪が、アーチから流れる風に揺れる。
「あなたたちは、私がこれから作る未来の証明よ」
杖先に、青白い光が集まり始めた。
トムが一歩前へ出る。
わたしとロメルダを腕で押し下げ、デルフィーとロンの間に立った。
「ロンを連れて下がって」
「でも、トム」
「その女は僕がなんとかする」
ヴォルデモートが、低く笑った。
「随分と立派になったものだな、トム」
「君のおかげだとは思っていないよ」
トムは杖を上げた。
デルフィーから目を離さない。
「闇の帝王が敗れた未来から来た娘が、闇の帝王が勝つ物語を作ろうとしているらしい」
作り笑いは消えていた。
「僕の問題なら、僕が片づける」