本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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12話 本がないなら書庫を作ろう

 

 三時間の清掃呪文制御訓練を終えたわたしは、寮のベッドに倒れ込んだ。

 腕が重い。指先がじんじんする。肩も背中も、なんなら魂まで疲れている気がする。

 スネイプ先生は「二時間」と言ったくせに、きっちり三時間やらせた。しかも後半は、机の上に落としたインク一滴を「机だけ」「羽ペンは濡らすな」「羊皮紙に一切触れるな」「周囲の空気まで洗うな」という意味不明なくらい細かい条件付きで消させたのだ。

 

「スコージファイ」

「違う」

「えっ」

「机の表面を削るな」

「削ってません」

「ではなぜ艶が出た」

「……気合い?」

「二度と掃除に気合いを入れるな」

 

 思い出すだけでつらい。

 だが、その夜もわたしは結局、引き出しから日記を取り出した。 疲れていても、秘密の部屋のことは気になるし、今日の失敗の山についても言い訳したかった。たぶん半分くらいは八つ当たりである。

 黒い表紙を開くと、ほどなくして文字が浮かんだ。

 

『今日はずいぶん静かだね。ついに疲れ果てた?』

『三時間も床磨きしてたら普通そうなるよ』

『床磨き? 』

『いろいろあったの』

 わたしは結局ぜんぶ話した。 羽を浮かせようとしてフリットウィック先生を飛ばしたこと。箒がわたしの手に来るどころか空の彼方へ逃亡したこと。ドラコにナメクジ喰らえをかけたら予想の数倍出たこと。スコージファイでみんなを洗濯機みたいに回したこと。

 書き終わるころには、日記の上の文字が少し揺れて見えた。 笑っている気がした。

 

『なるほど。実に君らしい 』

『褒めてないよね』

『まさか』

 

 しばらくして、トムの文字が少しゆっくり浮かび上がった。

 

『これは僕もそうだったから分かるんだけど』

『うん?』

『魔力量が多い人は、どのくらい出して魔法を使うかを、他の人より明確にしないといけないんだよ』

 

 わたしは少しだけ姿勢を正した。

 

『普通の子は、なんとなくでも杖が勝手に調整してくれる。必要なときだけ意識して出力を上げればいい』

 

 杖ってそんな便利な道具なんだね。

 

『でも、魔力が多い子は違う。少し出したつもりでも、周囲から見れば多すぎることがある。特に、物を動かしたり押し上げたり洗い流したりするような魔法は、込めた魔力の量がそのまま結果に出やすい』

 

『心当たりしかない』

 

 トムの説明で、わたしがマッチ棒を針に変える変身術では失敗しなかったのに浮遊呪文や清浄呪文が効きすぎてしまった理由が分かった気がした。

 

『羽を浮かせるだけなら、蛇口をひねる必要もない 。水滴を一つ垂らすくらいのイメージでいいんだ』

 

 水滴。 その喩えは妙に分かりやすかった。

 今までのわたしは、たしかに毎回「よし、出すぞ」と全力で蛇口を開けて魔法を使っていた気がする。そりゃ先生も飛ぶ。

 

『もっと具体的に考えた方がいいってこと?』

『軽くしたいなら軽く、洗いたいなら汚れだけ ──全部をまとめてやろうとするから、毎回戦場になる』

 

 スネイプ先生とほとんど同じことを言っている。癪だが正しい。

 

『じゃあ練習しないと』

『魔力が多いのも原因だと思うけどね。試しに日記に魔力を籠めてみたら? この日記なら魔力を込められる』

『魔力を込めるってどうやるの?』

『身体の熱を手のひらに集めて、それを日記に流すイメージだよ』

 

 わたしは日記を見下ろした。

 わたしは杖を置き、指先からそっと意識を向けた。蛇口ではなく、水滴。ほんの少し。日記の表紙に落とすみたいに。

 じわ、と黒革があたたかくなった。

 

『そう。それが水滴だよ。今度は普段と同じだけ流してみて』

 

 普段魔法を使うのと同じ感覚で魔力を出す。黒革が急に熱くなった。

 

『違いが分かっただろう?』

 

 その文字は、少し得意そうだった。 悔しいが、たしかに魔力が扱いやすかった。

 翌日から、わたしは小さな練習を始めた。 紙の端っこのほこりだけを払う。羽ペンの先についたインクだけを落とす。本の表紙に飛んだ水滴だけを乾かす。全部まとめてではなく、ひとつだけ。水滴。水滴。蛇口はひねらない。

 最初は難しかった。 机がつやつやになったり、羽ペンの先だけ妙に神々しく輝いたりもした。 でも、何度かやるうちに、ほんの少しだけ分かってきた。トムが言ったことも、スネイプ先生が言ったことも、たぶん同じなのだ。わたしは毎回、やりすぎなのである。知ってたけど。

 魔力の制御で失敗することが減ったので、秘密の部屋調べを再開することにした。図書室で「古い校内設備」「使われていない場所」「昔の配管」あたりを調べていたわたしに、ハーマイオニーが声をかけてきた。

 

「最近また変な本ばかり読んでるのね」

 

 顔を上げると、ハーマイオニーが本を抱えて立っていた。

 

「座ってもいい?」

「どうぞ」

 

 彼女は少し迷ってから腰を下ろした。きっちり整えたノートにきれいな字。参考資料たくさん。見ていて安心する組み合わせである。やはり信頼できる。

 

「この前は……その、ありがとう」

「何が?」

「クィディッチ場でのことよ。もちろん、最後の方はだいぶ滅茶苦茶だったけど」

「本当にごめんなさい」

「ええ、そうね」

 

 ハーマイオニーはきっぱり言った。

 

「でも、最初に止めてくれたときは……びっくりしたわ。マルフォイの妹だし、あなたも同じ考えだと思っていたの」

「たしかにマルフォイ家だから純血がいかに素晴らしいか聞いてきたけど、わたしは純血主義ってどうかと思う」

 

 彼女は少しだけ目を丸くして、それから口元をゆるめた。

 

「ねえ、この前あなた“洗濯機”って言ってたでしょう。あれ、マグルの道具よね。どうして知ってるの?」

 

 のおおおおお! 

 たしかに洗濯機をわたしが知ってるのは変かもしれない! 

 

「本で読んだことがあって」

 

 こういうときに言い訳が効くと本好きで良かったと心の底から思った。

 

「それで、今は何を調べてるの?」

「古くて、あまり使われてない水場」

「……妙な条件ね」

 

 わたしは少し考えてから、正直に言うのはやめた。

 

「スコージファイの自主練に向いてそうな場所」

 

 ハーマイオニーはため息をついたが、少し考えてから言った。

 

「三階の女子トイレなら、みんな避けてるわ」

「どうして?」

「嘆きのマートルっていうゴーストがいるから。機嫌が悪いと泣くし、水浸しにするし、雰囲気も最悪」

「ありがとう、ハーマイオニー先輩!」

「ハーマイオニーでいいわよ」

 

 

 図書室から出ると、わたしは三階の女子トイレへ向かった。 じめっとした空気。うっすら曇った鏡。古い蛇口。たしかに人が寄りつきたがらない感じだ。

 そして、入ろうとして一歩止まった。

 

 ここが秘密の部屋の入り口かもしれない。 つまり、このトイレの、しかもかなり古い設備のどこかを通って下に行くかもしれない、ということだ。

 日本人の衛生観念を知っているわたしはすごい勢いで首を横に振った。

 

「無理」

 

 まずい。 秘密の部屋への興味と同じくらい、入口がトイレだという事実がまずい。 衛生観念に喧嘩を売られている気がする。

 わたしは杖を抜いた。スネイプ先生との訓練が微かに頭をよぎったが、目の前の惨状に対しては制御する必要はないように思える。

 

「スコージファイ」

 

 汚れだけ慎重に、でも徹底的に落として。

 手の届く限り、目につく限り、片っ端から清めていく。 今までのわたしならトイレごと吹き飛ばしていたかもしれないが、今日のわたしは違う。

 

「な、なによこれ!?」

 

 すすり泣く声と一緒に、便器の奥から青白い顔がにゅっと現れた。 丸眼鏡の女子生徒の幽霊。きっと彼女が嘆きのマートルだ。

 

「あなた、何してるのよ!」

「浄化」

「浄化!?」

 

 十分後、女子トイレは創立以来もっとも清潔かもしれない輝きを放っていた。 マートルは呆然と洗面台を見回していた。

 

「……初めてこのトイレが好きになれそう」

「それは良かった」

「でも変な子ねえ」

 

 マートルを無視してひたすらトイレの周りを観察する。

 わたしは一番端の蛇口に、小さな蛇の刻印を見つけた。

 心臓がどくんと鳴る。

 喉の奥が、妙にくすぐったい。 意味なんて分からないはずなのに、刻印の形がまるで「読める」みたいに見えた。

 口から出たのは、湿って細い、ひとの言葉じゃない音だった。何度もトムの記憶で覚えた発音で開くように命じる。

 

『開け』

 

 ごご、と低い音が響いた。 洗面台が震え、ずれて、黒い穴が口を開ける。

 

「なによこれええええええ!!」

 

 マートルの悲鳴を背に、わたしは穴の縁にしゃがみ込んだ。 下から冷たい空気が吹き上がってくる。湿っていて、暗くて、古い匂いがした。

 本があるかもしれない。 危険もあるかもしれない。  たぶん危険の方が濃い。 でも、それでも。

 

「……行くしかないよね」

 

 わたしは最後に、穴の縁や中に向けてもう一度だけスコージファイをかけた。 せめて入口くらいは清潔であってほしい。

 そこから先は、長い滑り台みたいだった。 いや、滑り台というには暗くて、冷たくて、ぬめっていて、人生の選択としてかなり間違っている感じだったけれど。 何度か壁にぶつかりそうになり、そのたびに半泣きで小さな制御の浮遊呪文をかけて勢いを殺した。こういう時だけ、トムの「水滴」の助言が役に立つのが腹立たしい。

 やがて、どしゃっと床に投げ出される。 ルーモスで光を灯して立ち上がった。動物の死骸が散らばっている。

 無言でもう一度スコージファイをかけた。

 

 広い空間だった。 高い天井。じめじめした空気。蛇の彫刻。巨大な石の顔。 いかにも秘密の部屋です、と言わんばかりの景観である。雰囲気は満点だった。

 スコージファイをかければ立派な部屋だ。

 ただし。

 

「……本がない」

 

 見回しても見回しても、棚がない。 本棚がない。机もない。巻物すらない。冊子一つない。案内板もない。せめて「継承者の方はこちら」くらい置いておいてほしい。

 

「トムの嘘つき……」

 

 そう呟いた瞬間だった。

 ずる、ずる、という音がした。

 重い何かが石の床を擦る音。 冷たい空気が、少しだけ動く。

 わたしはゆっくり振り向いた。

 

 巨大な蛇がいた。

 

 大きいなんてものではない。太い。長い。古い柱が動き出したのかと思うくらい長い。暗がりの向こうで鱗が鈍く光っている。 反射的に、視線が下がった。顔をまともに見てはいけない気がした。理由は分からないのに、そう思った。

 喉がひゅっと鳴る。 足はその場に貼りついたみたいに動かない。

 大きな蛇が、しゃああ、と鳴いた。

 言っている意味はなんとなく分かるけど、全部は分からない。 意味が、ところどころしか拾えない。

 誰か聞かれている。

 わたしは慎重に口を開いた。

 

『……わ、わたし、敵じゃない』

 

 拙い。片言だ。自分でも分かるくらい、ひどい蛇語だった。

 蛇が動きを止める。

 しばらくして、低く長い音が返ってきた。

 しゃあ、しゅるる、ぐうう。

 

「……え?」

 

 もう一度。

 しゃああ。ぐうう。はら、へっ、た。

 

『……お腹、空いた?』

 

 蛇語で聞き返すと、蛇が少しだけ頭を動かした。 肯定、だと思う。たぶん。

 

「えっ、そこ?」

 

 わたしは固まった。もっとこう、「何者だ」とか「継承者か」とか「侵入者め」とか、そういうのを想像していたのに。第一声が空腹である。

 蛇はもう一度、ゆっくり鳴いた。

 長い。待った。食べてない。腹へった。

 拾える単語はそのくらいだった。 でも十分だった。

 

『何を食べるの?』

『肉』

 

「だよね」

 

 そんなことだろうとは思った。 蛇がレタスを希望しなくて良かった。いや良くはないけど。

 まさか人も食べるんだろうか。

 巨大な体が少しだけ近づく。 わたしは一歩下がった。

 

『ちょ、ちょっと待って。分かった。ご飯、持ってくる』

『はやく』

『がんばる』

 

 早くご飯をあげないと食べられる気がした。

 わたしはじりじり後ずさった。 蛇は追ってこない。ただ、ものすごく不満そうに床へ頭を下ろした。たぶん本気で空腹なのだ。長いことここで待たされて、誰も来ず、たまに来たと思えばわたしみたいな本目当ての小娘である。気の毒ではある。

 でも。

 本はなかった。 秘密の部屋はたしかにあったが、飢えた巨大蛇がいただけだった。

 

「トムの嘘つき……」

 

 今度はさっきよりはっきり思った。

 わたしはどうにか入口まで戻り、這い上がるみたいにして女子トイレへ帰還した。 マートルが天井近くで震えている。

 

「下、どうだったの!?」

「本はなかった」

「は?」

「代わりに、お腹の空いた巨大な蛇がいた」

「もっと分からない!!」

 

 マートルを放置して女子トイレから寮へ戻るまでの記憶が、ところどころ曖昧だった。

 

 本がなかった。

 代わりに、巨大な蛇がいた。

 しかも空腹だった。

 情報量が多すぎる。

 わたしは寮のベッドに腰を下ろすなり、濡れたローブも脱がずに日記を開いた。羽ペンを握る手に力が入る。インクが少しはねた。そんなことを気にする余裕はなかった。

 

『トム』

 

 返事はすぐに浮かんだ。

 

『どうしたの?』

 

 その一文が、妙に腹立たしかった。どうだった、じゃない。こっちは死にかけたのだ。いや、正確には食べられかけたというべきかもしれない。もっと悪い。

 

『嘘つき』

 

 文字がぴたりと止まった。

 それから、少しだけ間を置いて返事が浮かぶ。

 

『いきなりだね 』

 

『いきなりじゃないよ! 秘密の部屋には継承者に残された知識があるって言ったの、トムでしょ!? わたしはてっきり本があるのかと思ったの! 本棚もなかった! 本もなかった! 机すらなかった! いたのは巨大な蛇だけ!』

 

 勢いのまま書き殴ると、日記の上にしばらく沈黙が落ちた。  まるで向こう側のトムが、ものすごく静かな顔でこちらを見ているみたいな間だった。

 

『見つけるのが早くてびっくりしたよ』

『びっくりしたじゃない、嘘つき』

『ずいぶん勝手に期待したんだね』

『期待するでしょ普通! 秘密の部屋って言われて、知識があるって言われて、入ったら本があるかもしれないって思うでしょ普通!』

『普通の十一歳は、秘密の部屋に書庫を期待しないと思うよ』

 

 そこはそうかもしれない。 でも論点はそこじゃない。

 

『とにかく、あれはひどい』

『本がないのに大きい蛇がいて、お腹を空かせてる』

 

 トムは冷静だった。

 

『まず確認しておくけど、僕は嘘はついていないよ』

 

「ついたよ!」

 

 思わず声に出た。慌てて口を押さえる。寮の他の子に聞かれたら困る。いや、聞かれても内容は分からないだろうけど、夜中に日記へ向かって抗議している姿は普通に嫌だ。

 日記の上には、容赦なく続きを書く文字が浮かぶ。

 

『僕は“継承者に残された知識がある”と言った 。“本棚がある”とは言っていない ──そこを勝手に書庫だと解釈したのは君だろう?』

 

 ぐ、と言葉に詰まった。 詰まったのが悔しい。 でも、記録を振り返るとたしかにそうだった。トムは巧妙に、本の有無については何も断言していない。わたしが勝手に、知識イコール蔵書と思い込んだだけである。

 

『でもあの言い方ならそう思うよ!』

『君が本に飢えすぎているだけだよ 』

『ひどい』

『事実だろう?』

 

 ひどい。 しかも反論しづらい。

 わたしはベッドに突っ伏した。毛布に額を押しつけたまま、片手で羽ペンを動かす。

 

『じゃあ何。“知識”って蛇のこと? まさか生き物そのものが参考文献扱いなの?』

 

 一拍おいて、返事が浮かぶ。

 

『サラザール・スリザリンほどの魔法使いが ──重要なものを湿った地下に紙の束で放置すると思うかい?』

 

 わたしはぴたりと動きを止めた。

 その言い方は、たしかに千年単位で保管したいものを、ただの本として置いておくのはあまりにも無防備だ。紙は傷むし、燃えるし、湿気る。秘密の部屋が図書室みたいである必要は別にない。

 

『あそこにあるのは、もっと古くて、もっと確かな形の遺産だよ 。継承者に受け継がれるべきものが、本の形をしているとは限らない』

 

 その文を見た瞬間、ほんの少しだけ腹の立ち方が変わった。悔しいが、理屈は通っている。通っているのがまた腹立たしい。

 

『じゃああの巨大蛇が遺産?』

『番人でもあり、証でもある 。継承者の部屋に守りがいるのは、そんなにおかしなことじゃないだろう』

『お腹空かせてたけど』

『それは少し想定外だったね。僕が開けたのは五十年も前だから無理はない』

 

 五十年。

 わたしはそこで初めて、トムが「昔の人」ではなく、思っていた以上に昔の人なのだと理解した。そういえば本の話ばかりであまりいつの人か気にしていなかったような……言われてみればトムにおすすめされた本は全部古い本だったかもしれない。

 

『トムって意外とおじいちゃんなんだね』

『それは心に来るからやめて』

 

『でも、本当に本が一冊もなかった』

『それは残念だったね 』

『軽いなあ!』

 

 思わず書き殴ると、日記の文字が少し揺れた。

 絶対笑っている。

 

『君にとっては重大事項だからね ──でも、ないものは仕方ない』

 

 その瞬間だった。

 ないものは仕方ない。

 その一文が、頭の中で妙に引っかかった。

 

 ないものは仕方ない。ない。ないなら。

 

「……いや」

 

 わたしは顔を上げた。日記を見下ろす。

 

『仕方なくない』

『なにが?』

 

 羽ペンを握る手に、ふっと力が戻る。

 

『本がないなら、置けばいいじゃない』

 

 今度は、日記の上の文字がほんとうに止まった。長い沈黙だった。かなり長かった。たぶんトムが本気で絶句している。

 

『部屋の広さも十分あった。人も来ない。継承者しか開けられない。番人もいる。これ、秘密の書庫としてはかなり優秀では?』

 

 書きながら、頭の中でどんどん話が進んでいく。  

 静か。秘匿性が高い。盗難防止は完璧。あとは湿気対策と照明と搬入経路の改善くらいだ。いや、それが大問題ではあるのだけど、問題が具体的なら対処できる。対処できる問題は、もはや問題ではなく計画の一部である。

 

『もちろんそのままだと湿気がひどいし、照明も足りない。入口がトイレなのは最低。でもそこは改善の余地があるよね。少なくとも“秘密の部屋に本がない”という欠陥は、将来的に解消できる』

 

 

 わたしは羽ペンを止めて、じっと待った。やがて、ようやく文字が浮かび上がる。

 

『……君は秘密の部屋を何だと思っているんだい』

 

『将来有望な地下書庫』

 

 また間が空いた。

 

『サラザール・スリザリンが残した遺産を地下書庫にするつもりか』

『だって、あんなに広いのに本棚が一つもないなんて、もったいないよ。せっかく人が来なくて、隠されてて、本を守れそうな蛇もいるのに』

『最後の一つは書庫の利点として数えていいのか疑問なんだけど』

『警備は大事だよ』

『君はバジリスクを何だと思っているんだ』

 

『あの蛇バジリスクなんだ! 目見なくて良かった。書庫警備員候補にぴったりじゃない?』

 

 今度こそ、日記の上に現れた文字は明らかに乱れた。

 

『やめてくれ 』

『何が?』

『秘密の部屋の格が下がる』

『上がるよ。なんて言ったって、本が置かれるんだから』

 

 そこは譲れない。どんな由緒正しい秘密の部屋だろうと、本がない時点でわたしの中での評価は上がらないのだ。だが本を置けるなら話は別である。むしろかなり好きになれる。

 トムはしばらく何も返さなかった。その沈黙のあいだ、わたしの頭の中では勝手に改装計画が進んでいた。 湿気対策。照明。棚。前室。出入口の改善。あとできれば閲覧用の机も欲しい。バジリスクには本棚を倒さないよう教育が必要かもしれない。いや、まず餌か。

 やがて、ゆっくりと文字が浮かぶ。

 

『……本がないなら置けばいい、か』

『そうだよ』

『君らしいよ』

 

 その返事が、妙に悔しかった。でも、トムが認めてくれたようで少しだけうれしくもあった。

 わたしは日記を閉じる前に、最後に一行だけ書き足した。

 

『とりあえず明日は、巨大蛇のご飯を調達する! 書庫化計画はそのあと』

 

 わたしはようやく息をつき、日記を閉じた。本はなかった。それはかなりショックだった。でも、ないなら置けばいい。

 そう思ったら、さっきまでの失望は少しだけ形を変えた。 秘密の部屋は、ただの肩透かしではなくなった。  まだ空っぽなだけの、これからどうにでもできる場所になった。

 ……もちろん、その前にまず、空腹のバジリスクをどうにかしなければならないのだけれど。

 

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