神秘部から帰ってきたあと、わたしはすぐに寝込んだ。
リラから伝わりスネイプ先生が調合した薬は飲んでいた。
きちんと毎日飲んでいたし、スネイプ先生にも飲んだと報告した。飲み忘れた日はない。だから、多少無理をしても大丈夫だと思っていた。
多少というのは、タイムターナーを使って一日をほぼ二倍にする程度である。
朝、授業を受ける。
昼、出版社設立に必要な書類を作る。
夕方、シリウスから届いた手紙に返事を書く。出版社の所在地をブラック邸にするのか、名義をどうするのか、資金を誰が管理するのか。シリウスは頼めば何でも引き受けてくれそうなのに、いざ頼むと細かいところまで気にするので、手紙が長い。
夜、ダンブルドア先生の自伝の原稿を読む。
そしてタイムターナーを回し、まだ何もしていない顔で数時間前へ戻る。
そこからもう一度、別の授業を受け、出版社の書類を作り、原稿を読み、手紙を書く。
暦の上では一日でも、わたしの体は二日分働いていた。
薬を飲んでいるのだから問題ない。
そう考えて五日ほど続けたところ、六日目の朝、ベッドから起き上がれなくなった。
「案の定すぎる」
医務室のベッド脇で、ドラコが冷たい声を出した。
窓の外には薄い冬空が広がっている。カーテンの隙間から差し込む光が、枕元に積まれた羊皮紙を照らしていた。
マダム・ポンフリーには本や書類を持ち込むなと言われたので、ドラコが来る前に全部毛布の下へ隠してある。
完璧だった。
「わたしちゃんと薬を飲んでいたよ」
「薬は、時間を二倍働くための許可証じゃない」
「二倍働けば出版社が二倍早くできるのに」
「そして君が二倍早く倒れた」
「そういうことだったんだね」
「感心するところじゃない」
ドラコは枕元の椅子へ腰を下ろし、持っていた新聞をわたしの顔の上へ落とした。
視界いっぱいに、満面の笑みを浮かべたアンブリッジ先生が現れた。
淡いピンク色の帽子を被り、胸元には大きなリボンをつけている。以前よりピンクの面積は減ったとはいえ、一面を占領すると圧がすごい。
見出しには、大きな文字でこう書かれていた。
『ドローレス・アンブリッジ、新魔法大臣に』
「アンブリッジ先生が?」
「昨日、決まったらしい」
羽ペン通信全国版によると、ダンブルドア先生からの推薦が決め手になったという。
加えて、羽ペン通信ホグワーツ版をひそかに読んでいた保護者から、予想以上の支持を集めたらしい。
子どもには馬鹿げた新聞のコラムばかり読むなと言っておきながら、自分たちはアンブリッジ先生の推薦図書や『恋の脚注』、『アンブリっち動静』を読んでいたのだろうか。
大人とは難しい生き物である。
新聞の中のアンブリッジ先生は、自分が魔法大臣になることを生まれた時から知っていたような顔で微笑んでいた。
「ダンブルドア先生にも、何か考えがあるんだろうね」
「なければ困る」
ドラコは一面を指で弾いた。
「父上は、アンブリッジが大臣になったと聞いて朝食の紅茶をこぼしたらしい」
「お父さまが?」
「母上から手紙が来た。父上は自分からこぼしておきながら、ハウスエルフのせいにしたそうだ」
「元気そうだね」
「どこを聞いてそう思ったんだ」
そこへ、一羽のフクロウが窓から飛び込んできた。
足に括りつけられた封筒には、見覚えのある字でわたしの名前が書かれている。
「お父さまからです!」
わたしが起き上がろうとすると、頭がぐらりと揺れた。
それでもフクロウへ手を伸ばす。
フクロウがこちらへ飛んできた。
指先が封筒に触れる寸前、横から伸びてきた手が手紙を取った。
「無理に起き上がるな」
「フェルディナンド先輩!」
フェルディナンドは封筒の差出人を確認すると、わたしの手が届かない位置に持ち上げた。
「返してください」
「寝たまま読め」
「それなら先に渡してください」
「起き上がらないと約束しろ」
「婚約したら、手紙を取り上げてもよくなるのですか?」
「婚約してなくても取り上げている」
「それもそうでした」
ドラコがわたしたちを交互に見た。
「フェルディナンド先輩は、マインを見張るために来たんですか?」
「違う。ダンブルドアに話がある」
「マインに会いに来たのではないのですか?」
「話を済ませたあとで様子を見るつもりだった」
フェルディナンドはため息をつき、手紙をわたしの胸元へ置いた。
「ドラコ。婚約の話が出たからといって、急に何かが変わるわけではない。そもそも、マインはまだ学生だ」
「そういえば、特に何も変わっていませんね」
「変える必要がない」
ドラコは少し考えるように顎へ手を当てた。
「やっぱり、フェルディナンド先輩なら安心してマインを任せられます」
「お兄さま?」
「少なくとも、トムよりはいい」
なぜそこでトムと比べたのだろう。
わたしは首を傾げた。
ドラコはそれを見て、さらに嫌そうな顔をした。
手紙を開く。
父からの手紙は短かった。
クリスマス休暇は家へ帰ってこないのか。
新しく本を増やした。
マルフォイ家の書庫だけでは置ききれず、隣の部屋にも、なんと地下牢にまで本棚を作った。
帰ってくるなら、読みたい本を用意しておく。
「帰ります!」
わたしは即座に答えた。
「駄目だ」
フェルディナンドも即座に答えた。
「なんでですか?」
「駄目に決まっているだろう」
「今のは口で思わず言っただけです。羊皮紙には書いていませんし、本当は帰るつもりなんてないです」
「それでは、今下に隠したのは何だ?」
フェルディナンドが、わたしの毛布を剥いだ。
下から、羊皮紙と羽根ペンとインク壺が出てきた。
ドラコが額を押さえた。
「寝込んでいても準備が早いな」
「だってお兄さま、本が増えたんだよ!」
「聞いていた」
「隣の部屋にも地下牢にも本棚を作ったって」
「それも聞いた」
「わたしのための本だよ?!」
「だが、ヴォルデモートがいる」
フェルディナンドの一言で、本棚に伸びかけていた心が少しだけ戻ってきた。
「でも、クリスマスくらいは、マルフォイ家に帰ってもいいですよね?」
「良くない」
「書庫だけ使って、ヴォルデモートには会わないようにします」
「屋敷の中にいる相手に使う対策ではない」
「部屋から出なければ」
「本を取りに出るだろう」
「ドビーに本棚を部屋まで運んでもらえば」
「ハウスエルフを何だと思っている」
「頼りになる存在です」
フェルディナンドは深く息を吐いた。
ドラコは何も言わなかった。
実家のハウスエルフが本棚ごと運ばされる光景を想像しているのかもしれない。
「残念じゃが、わしもマインをマルフォイ家へ帰すわけにはいかんのう」
いつの間にか、医務室の入り口にダンブルドア先生が立っていた。
長い銀髪を揺らし、ひどく穏やかな顔をしている。
「ダンブルドア先生まで」
「ヴォルデモートと同じ屋敷でクリスマスを過ごす生徒を、校長として見送るわけにはいかん」
「お父さまが本を増やしてくれたんですよ!」
「それは実に魅力的じゃ」
「そうですよね、それなら!」
「じゃが駄目じゃ」
理解を示してから断るのは卑怯だと思う。
わたしは枕へ沈んだ。
クリスマス。
新しい本棚。
父が用意した本。
暖炉の前で読む本。
その全てが、闇の帝王一人のせいで遠ざかっていく。
闇の帝王は読書の邪魔ばかりする。
「仕方がないのう」
ダンブルドア先生がローブの内側へ手を入れた。
「これは最後の手段にするつもりじゃったが、クリスマスプレゼントじゃよ」
取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。
校長の署名と、ホグワーツの印章が押されている。
わたしは何となく身を起こした。
「何ですか?」
「閲覧禁止の棚への入室許可書じゃ」
頭痛が消えた。
「見せてください」
わたしはベッドから飛び起きた。
フェルディナンドが肩を押さえ、強制的に枕へ戻した。
「今、寝込んでいたはずだが」
「治りました」
「治っていない」
「閲覧禁止の棚に入れるなら治ります」
「嘘をつくな」
ダンブルドア先生から羊皮紙を受け取る。
羊皮紙の許可書は本物だった。
閲覧禁止の棚。
これまで、教師の許可なしでは入れなかった場所だ。1年生のときはロックハート先生にサインをもらったのに、フェルディナンドに止められて入れなかった。
危険な魔法書、呪われた研究書、扱いを誤れば読者の指を噛む本まで置かれているという、図書館の中で最も扱いが難しい本が置かれている場所である。
わたしは震える指で署名をなぞった。
「ダンブルドア校長」
フェルディナンドの声が低くなった。
「正気ですか?」
「失礼じゃのう。少なくとも、ルシウスよりは正気じゃよ」
「マインに閲覧禁止の棚を解放しようとしている人間の言葉とは思えません」
ドラコが同意するように何度もうなずいた。
「マインは以前より、闇の魔術の知識を知識として扱えるようになった」
ダンブルドア先生は、わたしの手元の許可書を見た。
「闇の魔術に惹かれ、使いたがるのではなく、なぜ生まれ、どのような結果をもたらすのかを考えられるようになっておる。知らぬまま恐れるより、正しく読ませた方がよい時期じゃろう」
「それでも危険です」
「もちろん、条件は付ける」
ダンブルドア先生は人差し指を一本立てた。
「ドラコが一緒にいる時だけ読むこと」
「僕ですか?」
「君なら、マインが本に食べられそうになっても止められるじゃろう」
「食べる方ならともかく、本に食べられる方まで想定するんですか」
「閲覧禁止の棚じゃからのう」
わたしは許可書を胸に抱いた。
「条件を飲みます」
「まだ全部言っておらん」
「お兄さまと一緒に読みます。棚から持ち出しません。書き写しも相談します。呪文は勝手に試しません」
「そして、クリスマスにマルフォイ家へ帰らないこと」
「分かりました」
フェルディナンドがわたしを見た。
「即答か」
「閲覧禁止の棚ですよ!」
「父親への情はどこへ行った」
「お父さまも、わたしが本を読むことを望んでくれるはずです」
「都合よく父親を理解するな」
ドラコは同情するような顔でわたしを見たあと、ダンブルドア先生へ向き直った。
「父上には、僕から説明します」
「ルシウスも、そろそろ娘が恋しくなってくる頃じゃろう。わざわざ本を増やすとは」
ダンブルドア先生が、のんびりと髭を撫でた。
「あやつはスリザリンじゃ。闇の帝王のそばにおりながら、寝返る時を探していてもおかしくない。そろそろこちらからも何らかのアプローチをしたいところじゃが」
「校長は本当にグリフィンドール出身なのですか?」
フェルディナンドが真顔で尋ねた。
「帽子はそう言っておった」
「組分け帽子が判断を誤った可能性を検討すべきでしょう」
「百年以上前の判定に異議を申し立てるつもりかの?」
「必要なら」
「君ならどう動くのかね?」
ダンブルドア先生は楽しそうに笑った。
フェルディナンドは笑わなかった。
「寝返らせるのなら、一番効果の高い時期に寝返らせるべきです。早すぎれば情報を得られず、遅すぎれば信用されない。ルシウス・マルフォイ本人に決断させる形を取りながら、こちらが時期を選ぶ必要があります」
「さすが、真のスリザリン生は違うのう」
わたしは許可書を抱えたまま、二人を見回した。
寝返らせるためにどうするかをスラスラ考えられるのがスリザリンの適正だとしたら、わたしは真のスリザリン生にはなれそうにない。
「わたしからしたら二人とも同じくらい腹黒いと思います」
ダンブルドア先生は笑いながら、ドラコへ視線を向けた。
「ドラコ。フクロウの役目を頼んでもよいかのう」
「父上への連絡ですね」
「うむ。マインがクリスマスの間安全にホグワーツへ残ると伝えた上で、こちらの動きを少しずつ知らせてほしい。もちろん、全てではない」
ドラコはしばらく考えてから、はっきりとうなずいた。
「マインの健康と安全が保証されるなら、僕に異論はありません。ダンブルドア先生が適切な時期を示せば、父上は寝返ると思います」
その声に迷いはなかった。
「それに、僕はマインの側にいます。父上にも、そう伝えます」
ドラコは父を見捨てようとしているわけではない。
わたしを選ぶことで、父にもこちらを選ばせようとしている。
誰より家族を大切にしながら、家族の動かし方まで考えている。
この中で一番スリザリン生らしいのは、たぶんドラコだった。
「ところで、ダンブルドア先生の本ですが」
わたしは枕元へ手を伸ばした。
ドラコが先に毛布の下から原稿の束を取り出し、遠くへ置いた。
「体調が悪いんだ。無理に文字を読むな」
「予定の話を確認するだけだよ」
「寝たまま話せ」
「ダンブルドア先生の本は、ロンの本を出版したあとに出すことになりそうです」
「ウィーズリーの本は、もう刊行日が決まったのか?」
フェルディナンドが尋ねた。
「クリスマスです」
「早すぎないか」
「ロンはもうすぐOWL試験を控えています。いつまでも原稿の修正に付き合わせると、試験勉強から逃げる口実に使われるとハーマイオニーが心配していました。それなら、さっさと刊行して、本人の手から離した方がいいということになりました」
ロンは、自分の書いたものを読み返すたびに直したい場所を見つける。
直しているうちに別の場所がおかしく見え、さらに直す。
そのうち、最初の文章に戻す。
このままでは永遠に終わらないので、締切という名の崖から突き落とすことにした。
「魔法界の出版でなければ難しいですよ。異例の速さですよね」
「君は、マグルの出版にかかる時間を知っているのか?」
フェルディナンドの視線が鋭くなった。
「本で読みました」
「何という本だ」
「出版について書かれた本です」
「題名は」
「忘れました」
「君が本の題名を忘れるのか?」
わたしは窓の外を見た。
言い訳が何も思いつかない。
「とにかく、ロンの本を先に出します」
話を戻した。
「ダンブルドア先生の自伝は、ロンのコラムとは違います。羽ペン通信への掲載を挟まず、いきなり本として出した方がセンセーショナルです」
「連載で読者を集めぬのか?」
ダンブルドア先生が尋ねた。
「先生の名前だけで十分です。それに、少しずつ出すより、一冊をまとめて読んだ方が印象が変わります」
わたしは、遠くへ置かれた原稿の束を見た。
「原稿、とても面白かったです」
グリンデルバルドとの出会い。
若い頃の野心。
家族への責任から逃げたこと。
アリアナを失ったこと。
自分が正しいと信じたまま、ハリーを傷つけたこと。
そこには、偉大な魔法使いの人生だけが書かれていたわけではなかった。
間違えた人の人生が書かれていた。
「ダンブルドア先生のことが、前より好きになりました」
ダンブルドア先生は目を瞬いた。
すぐに冗談を返すと思っていたのに、しばらく何も言わなかった。
「わしは長く生きた」
やがて、静かに口を開いた。
「その間に、何度か本を出したこともある。魔法について。教育について。歴史について。じゃが、自分自身について、あれほど正直に書いたことはなかった」
青い目が、わたしを見る。
「君が読んでくれると思ったから、書けたのかもしれん」
「わたしが?」
「君は、アリアナによく似ておる」
前にも聞いたことがある台詞だった。
ダンブルドア先生の声は、懐かしいものに触れるように柔らかかった。
「本が好きなところですか?」
「そうじゃのう。好きなことのために一生懸命なところも似ておった」
少しだけ笑う。
「アリアナが生きていれば、知りたかったこと。話したかったこと。謝りたかったこと。それらを、君に向けて書いてしまったのかもしれん」
わたしは許可書を握る指の力を緩めた。
「君が薬を手にした時、わしは嬉しかった」
ダンブルドア先生は続けた。
「アリアナが、今度こそ長く生きられると教えられたような気がしたのじゃ」
その言葉は、薬よりも静かに体へ染み込んできた。
「ありがとうございます」
わたしが答えると、ダンブルドア先生は目を細めた。
「ならば、長生きしてくれるかの?」
「はい」
「タイムターナーで一日を二倍にせず?」
「それは……出版計画が落ち着くまでです」
「許可書を没収する」
フェルディナンドが言った。
「駄目です!」
「長生きすると答えた直後だろう」
「本を出すまでは死ねません」
「そういう問題ではない」
「閲覧禁止の棚にも行かないと」
「まず寝ろ」
許可書を取り上げられそうになり、わたしは胸元へ抱え込んだ。
フェルディナンドとドラコが、同時にため息をつく。
ダンブルドア先生だけが、ひどく楽しそうに笑っていた。
まだクリスマスになっていないという事実に震えています。クリスマスから学期末は爆速で駆け抜ける予定です。