夏休みとは、本を読むためにある。
少なくとも、わたしはそう信じていた。
授業はない。出版社の仕事はあるが、原稿と校正紙さえ手元にあれば書斎から出なくても進められる。食事はハウスエルフが運んでくれるし、ブラック家には一生かけても読み切れそうにない本がある。
ブラック家には、古い本が山ほどあった。
背表紙に魔法生物の皮らしきものが使われている本や、開くたびに別の悪口を吐く本や、読んでいる者の肩越しに次のページを覗こうとする本もあったが、本であることに変わりはない。
わたしは読んでいた本に栞を挟み、隣に積んであったダンブルドア先生の自伝の原稿を手に取った。
上巻は大好評で続きを待つ読者の声が日々ダンブルドア先生のもとに届いているという。
本来なら、半年経った後に下巻を出す予定だった。
ところが、ダンブルドア先生が後半の内容を大幅に変更したいと言い始めたので、再度編集し直すことになり、下巻は当初の予定より遅めの来年の六月頃に出すことになった。
上巻を読んだ読者は続きが読みたくてたまらない病にかかるはずだ。
わたしとしてはすぐにでも原稿を整理し、校正を終え、新学期から宣伝を始めたかったのだが、フェルディナンドから予定表を没収された。
しかも、返してもらえていない。
「下巻の編集は、基本的に編集者に任せる」
「わたしも編集者です」
「君はOWL試験を控える学生だ。それに、この前まで病人だった」
「現在は健康そのものです!」
「元気な病人が最も厄介なのだ」
元気なのに病人とは、ずいぶん理不尽な分類だった。
しかしフェルディナンドは、わたしの反論を聞く気がなかった。
その結果、プロングズ出版は夏休み中に新しい編集者を雇った。
リーマス・ルーピンだ。
ルーピン先生は就職活動に苦しんでいるらしく、すぐにでも入社したいと言いすぐに採用が決まった。
「正式な仕事をもらえるのは、本当にありがたいよ」
契約書に署名したルーピン先生は、少し困ったように笑った。
「面接で毎月数日の休暇を願い出ると、大抵は理由を聞かれるからね。正直に答えると、話がそこで終わる」
「弊社では問題ありません。プロングズ出版で満月の日は休業日ってことにするのもいいと思いますよ」
わたしがそう言うと、ルーピン先生は肩をすくめた。
「さすがに出版社全体を休ませる必要はないと思うよ」
「では、締め切りだけ満月を避けるのは?」
「それは大変ありがたい」
ルーピン先生は本を読むのが好きだった。
それだけでも、わたしの中で採用の理由としては十分だったが、原稿の扱いも丁寧だった。
ダンブルドア先生が三ページにわたって語った羊毛の靴下の思い出を、五行に縮める判断力もある。
「この部分は残した方がいいと思う」
「羊毛の産地の説明だけでこんなに要らなくないですか?」
「それが後のグリンデルバルドとの会話につながるんだ」
「靴下が?」
「僕も最初は驚いたよ」
夏休みの間、わたしたちは頻繁に編集会議を開いた。
たいていは書斎か食卓の場だったが、時々、二階の空き部屋から激しい物音が聞こえて中断された。
その部屋では、アルドゥスを飼育している。
さすがに本来の大きさではブラック家に入らないので、魔法で一時的に小さくしていた。
小さくしたといっても、胴回りはわたしより太く、伸びれば廊下の端から端まで届く。
そのアルドゥスが、今日も床を這いながら逃げていた。
後ろからクリーチャーが追ってくる。
『止まりなさい、この肥満蛇!』
フェルディナンドの魔法でクリーチャーの発言は全て蛇語に翻訳されていた。フェルディナンドが珍しい外国語で書かれた文献を読み漁るときに活用しているらしい。わたしも使い方を教えてもらった。
クリーチャーは片手に肉の入った皿、もう片方に長い棒を持っていた。
棒の先には肉片が吊るされている。
アルドゥスは肉を追って廊下を進み、途中で疲れて止まった。すると肉も少し先へ遠ざかる。
『本日の運動量に達しておりません! あと三往復です!』
アルドゥスが床へ頭を伏せ、長く息を吐いた。
蛇にも絶望という感情はあるらしい。
以前はアルドゥスに好きなだけ餌を与えていた。
しかし、アルドゥスの腹が廊下の絨毯を擦るようになった頃、フェルディナンドが一言、「太ったペットは美しくない」と言った。
それを聞いたクリーチャーは、翌日から餌の量を半分にした。
体重表と運動記録まで作った。
アルドゥスはクリーチャーの声を聞くだけで牙を見せるようになったが、クリーチャーは気にしていない。
「健康のためです」
「本人は納得していないようだけど」
「飼い主であるフェルディナンド様の判断です」
現在の飼い主が誰なのかについては、家の全員が目を逸らしていた。クリーチャーいわく、フェルディナンドの婚約者でわたしが拾ってきたペットだから、ブラック家で管理する必要があるというのが言い分だった。
少なくともクリーチャーは、わたしより厳格にアルドゥスを管理している。
ドビーがいたら、運動を頑張ったご褒美に肉を追加していたに違いない。
朝食の席で、クリーチャーが銀盆を持って現れた。
盆の上には、ホグワーツの封筒が載っている。
「お嬢様宛てでございます」
封を切ると、羊皮紙と銀色のバッジが滑り落ちた。
Pの文字が刻まれている。
「監督生?」
わたしはバッジを持ち上げた。
光に当てても、やはり監督生のバッジだった。
フェルディナンドは作業していた手を止め、わたしから手紙を取り上げた。
最初から最後まで読んでから、眉間の皺を深くする。
「ダンブルドアは何を考えている」
「自伝を評価しているのでは? 立派な監督生になれる気がしてきました!」
「図書館室に新入生を勧誘することくらい目に見えている」
なぜ分かったのだろう。
監督生になれば、廊下を歩いている下級生へ堂々と声をかけられる。
消灯時間を守らせるついでに、寝る前に読む本を推薦することもできる。
寮内の巡回という名目で、各部屋の本棚を確認することも──
「考えるな」
「まだ何も言っていません」
「顔を見れば分かる」
「おはようハリー」
食卓に眠そうなハリーが現れた。
「おはよう、マイン」
「ハリー坊ちゃまにもホグワーツから手紙が届いていました」
クリーチャーがハリーに手紙を渡した。
「何だろ?」
中から出てきたのは、グリフィンドールの紋章が入ったクィディッチのキャプテンのバッジだった。
「やった!」
ハリーは監督生のバッジを見た時のわたしより、明らかにうれしそうだった。
「ドラコもスリザリンのキャプテンに選ばれたらしいよ」
「へえ。でも、今年もグリフィンドールが勝つよ」
「スリザリンもきっといいチームになる」
フェルディナンドが口を挟んだ。スリザリンの最近の戦績には思うところがあるようだ。
「そういえば、マイン。君は夏休みの間書斎の外に出たか?」
フェルディナンドがわたしに尋ねた。
「出ましたよ」
「いつだ?」
「本を取りに、隣の書庫へ」
「同じ部屋みたいなものだろう」
「扉を一つ越えているから別の部屋です」
「食事は?」
「クリーチャーに運んでもらいました」
「引きこもりじゃん」
ハリーがパンにジャムを塗りながら笑った。ハリーは夏休みのほとんどをブラック家で過ごしていたが、ときにはクィディッチをしたり、ダイアゴン横丁に出かけたりと活発に過ごしていた。
「ハリーまで何を言っているの。わたしは出版社の仕事をしているんだよ」
「どうせ仕事をしながら本を読んでいるんだろ」
「本を読みながら仕事をしている時もあるよ」
「悪化してるじゃないか」
わたしが反論しようとすると、フェルディナンドが紅茶のカップを置いた。
「仕事なら、ルーピンに任せればいいだろう。今日は私たちと来い」
「どこへですか?」
「ハリーの親戚の家だ」
答えたのはシリウスだった。
聞いた瞬間、行きたくなくなった。
ハリーが夏休みを過ごしてきた、ダーズリー家。階段下の物置を寝室として与え、食事を減らし、鉄格子のついた部屋へ閉じ込めたこともあるという親戚である。
本の一冊もゆっくり読めそうにない。
「フェルディナンドはマグルに詳しい。俺はハリーの保護者だ。お前は外出不足だ」
シリウスが指を折りながら数えた。
「最後だけ、訪問の目的と関係が全くないと思うんだけど、気のせい?」
「帰りに本屋へ寄る」
フェルディナンドが言った。
「行きます!」
わたしは立ち上がった。
決断は早い方がいい。
こうして、わたしはなぜかハリーの親戚宅を訪問する一団に加わることになった。
*
「煙突飛行ネットワークを一時的につなげれば、すぐだろう」
出発直前、シリウスが煙突飛行粉の缶を取り出した。
「却下」
「まだ説明の途中だぞ」
「普通のマグルは、暖炉から人が出てきたら怒ると思う」
「玄関から入ってきても怒る連中だぞ」
「それでも玄関を使おうよ」
シリウスは納得できないらしく、缶を片手に暖炉を見た。
「マグルの家の暖炉は、ネットワークに接続されていないと思うが、されているのか?」
フェルディナンドが尋ねる。
「されていなければ、つなげればいい」
「無許可で?」
「知り合いに頼めば、一時間程度なら──」
「玄関から行く」
フェルディナンドが切り捨てた。
これで二対一である。
多数決が魔法界でどこまで尊重されるのかは知らないが、シリウスは渋々、煙突飛行粉を缶へ戻した。
わたしたちはブラック家から少し離れた場所へ移動し、プリベット通りの近くまで姿現しした。
英国の住宅街は、どこを見てもよく似ていた。
短く刈り揃えられた芝生。白く磨かれた窓枠。道に面して並ぶ自動車。生垣も郵便受けも、隣より少しだけ立派に見せようと競い合っている。
シリウスは、珍しくマグルの服を着ていた。
黒いシャツに黒い上着、黒いズボン。魔法使いらしさは消えているが、代わりに別の種類の不審者になっている。
フェルディナンドは濃い色のスーツを隙なく着こなしていた。銀行員か弁護士、あるいは今から誰かの財産を差し押さえに行く人に見える。
「本当に来なくてもよかったのに」
玄関の前で、ハリーが小声で言った。
「今さら言われても遅いよ。それに、わたしがいなかったらシリウスさんは暖炉から入っていたと思う」
「煙突が狭ければ窓だな」
「シリウス」
フェルディナンドが静かに言った。シリウスは慌てて首を振った。
「今のは冗談だ」
ハリーが呼び鈴を押した。
家の奥で物音が止まり、やがて重い足音が近づいてくる。
扉を開けたバーノン・ダーズリーは、最初にハリーを見た。
次にシリウスを見た。
フェルディナンドを見て、最後にわたしを見た。
顔が目に見えて険しくなっていく。
「お約束の通り、ハリーの今後の滞在について、お話し合いに参りました」
フェルディナンドが、社交向けの笑みを浮かべた。
「話すことなんてない!」
扉が閉まりかける。
フェルディナンドが片手を伸ばし、静かに押さえた。
力を入れているようには見えなかった。
だが、バーノンが両手で押しても、扉は一ミリも動かなかった。
「あります」
フェルディナンドは微笑んだまま言った。
「非常に多く」
わたしは早くも理解した。
今日、一番怒らせてはいけないのは、シリウスではない。フェルディナンドだ。
通された居間には、花柄のソファと大きなテレビが置かれていた。
棚や暖炉の上には家族写真が並んでいる。赤ん坊のダドリー。海辺のダドリー。誕生日のダドリー。制服姿のダドリー。
ハリーが写っている写真は、一枚もなかった。
シリウスも気づいたらしい。
口元にはかろうじて笑みが残っていたが、目は完全に別のことを考えている。
「シリウスさん」
「まだ何もしていないぞ」
「まだ、でしょう?」
「信用がないな」
あると思っていたことに驚いた。
ペチュニアは硬い動きで紅茶を並べた。カップが受け皿に触れるたび、乾いた音が鳴る。
ダドリーはソファの端に座り、わたしたちを順番に睨んでいた。
特に、シリウスを見る時間が長い。
シリウスもダドリーを見ている。
二人の間には、あまり友好的ではない関心が成立していた。
「お前がダドリーか」
シリウスが尋ねた。
「だったらなんだよ」
「いや。豚の尻尾がよく似合いそうだと思ってな」
ハリーが紅茶にむせた。
ペチュニアがポットを取り落としかけ、バーノンの顔が一気に赤くなる。
「シリウス」
フェルディナンドはシリウスを睨んだ。
「感想を言っただけだ」
「杖から手を離せ」
「触っていない」
「袖の中で握っているじゃないか」
シリウスは不満そうに、両手をテーブルの上へ出した。
フェルディナンドは鞄から書類を取り出し、テーブルに置いた。
「結論から申し上げます。ハリーは今後、夏休みの大半をブラック家で過ごします」
「勝手にしろ。二度と戻ってこなくていい」
バーノンは吐き捨てた。
「そうはいきません。魔法上の事情により、この家とのつながりを完全に断つことはできない」
「だったら、このまま置いていけ!」
「必要な期間のみ戻します」
「こっちは迷惑しているんだ!」
「それは僕の台詞だ」
ハリーが間を置かずに返した。
「お前の意見など聞いていない!」
「では、誰の意見を優先するのです?」
フェルディナンドの声が、わずかに低くなった。
「保護される本人ではなく、あなたの都合を?」
「我々は、こいつを育ててやったんだ!」
「階段下の物置で?」
バーノンの口が止まる。
フェルディナンドは書類へ視線を落とした。
「食事を与えた!」
「十分な量を?」
「学校にも通わせた!」
「物を投げつけられても抵抗しないよう教える学校ですか?」
「家族の問題だ!」
「子どもを鍵のかかる部屋へ閉じ込める行為は、マグル社会でも家族内だけの問題では済みません」
書類を押さえるフェルディナンドの指に、少しだけ力が入った。
表情は変わっていない。
けれど、階段下の物置という言葉を出してから、彼の声は一段冷たくなっていた。
「近隣住民への聞き取りは行っていません。現時点では。警察など、然るべき機関に行くこともできますが、それはあなたの行動次第です」
紙をめくる音が、やけに大きく響いた。
バーノンの頬が引きつる。
ペチュニアは紅茶のポットを両手で握り、フェルディナンドから目を逸らさなかった。
シリウスは楽しそうだった。
自分が杖を抜かなくても相手が追い詰められていくので、すっかり観客になっている。
「脅しているのか」
「確認できている事実を申し上げています」
「同じことだ!」
「事実を並べられて脅威を感じるのであれば、今後の行動を改めることをお勧めします」
正論が強い。
少なくとも、バーノンには魔法より効いていた。
ただ、このままでは友好的な関係を作る前に、無条件降伏の署名をさせてしまう。
わたしは別の方向から会話に入ることにした。
「ダドリーは、最近どんな本を読むの?」
「本?」
ダドリーは、聞き慣れない単語を耳にしたような顔をした。
「そう。学校で流行っている本とかないの?」
「読まねえよ」
「最近はあまり読まないってこと?」
「ずっとだよ。本なんか読まねえ」
わたしはダドリーを見た。
ダドリーもわたしを見た。わたしは首を傾げる。
何かの冗談だろうか。
「本を読まないなんて、そういう嘘はよくないよ」
「嘘じゃねえ!」
「ダドリーは本当に読まないよ」
ハリーが口を挟んだ。
「教科書も開いているところを見たことがない」
「教科書も読まねえ」
「……一冊も?」
「一冊もだ!」
なぜかダドリーは胸を張った。
わたしはハリーを見る。
「本当?」
「残念ながら」
「人生で本を読んだことがないの? 英国にはシェイクスピアも、チャールズ・ディケンズも、コナン・ドイルももいるのに!」
「全員が読むわけではない」
フェルディナンドが訂正した。
「そんな……」
わたしはソファの背もたれに身を預けた。
ドラゴンの実在を知った時より、衝撃が大きいかもしれない。
今日初めて、心から帰りたくなった。
「マイン」
シリウスが声を潜める。
「こいつには魔法をかけてもいいんじゃないか?」
「駄目だよ」
「本を読まないんだぞ」
「……それでも駄目」
「一冊読み終えるまで鼻が伸び続ける呪いなら、教育的では?」
「一冊も読まないんだよ。きっと鼻が永遠に伸び続けちゃう」
「丸々していて豚にそっくりなんだよな。うーん」
シリウスは契約書についてバーノンと話すフェルディナンドを横目に、杖を振った。
ダドリーが丸々と太った豚に変貌する。
「やっぱり俺って天才だよな」
シリウスが満足げに言った。ハリーは大爆笑している。
「きゃー!! ダドリーちゃんが!!」
ペチュニアが叫んだ。
「お前、ダドリーに何をした!」
「シリウス」
フェルディナンドが名前を呼んだ。
「君は馬鹿なのか?」
「ちょっとからかっただけだろ」
シリウスがブツブツ文句を言いながら杖を振った。ダドリーがもとに戻った。
ダーズリー夫妻の怒りは相当なものだった。フェルディナンドがなんとかダーズリー夫妻の怒りを鎮め、話し合いがまとまった。
最終的に、ハリーは夏休みの大半をブラック家で過ごし、魔法上必要な期間だけプリベット通りへ戻ることになった。ハリーに与える食事の量や扱いに対して細かくフェルディナンドが注文をつけた。
バーノンはダドリーを豚にされたことを怒り、魔法使いの非常識さについて文句を言った。
結果として、話し合いの契約書にフェルディナンドは追加で条文を付け加えなくてはならなくなった。
連絡は原則としてマグル式の手紙で行う。
魔法使いが訪問する際は事前に知らせる。
必ず玄関を使う。
庭へ魔法生物を放さない。
ダドリーに魔法をかけて別の生き物に変えない。
最後の項目を読んだシリウスが、露骨に眉を寄せた。
「なぜ、わざわざ書く必要がある?」
「お前がいるからだ」
フェルディナンドが答える。
「生き物でなければいいのか?」
「駄目だ」
「植物なら、生き物ではないが」
「全て駄目だ」
バーノンは内容をほとんど確かめず、契約書へ署名した。
文章を読まないのは、遺伝なのかもしれない。
恐ろしい家系である。
わたしたちが玄関へ向かうと、ペチュニアがハリーを呼び止めた。
「いつ戻るの」
柔らかい声ではなかった。
けれど、追い出す時の言い方とも少し違う。
ハリーは振り返った。
「来年の八月の終わりに」
「そう」
ペチュニアは、それだけ言った。
ハリーが外へ出ると、扉は静かに閉まった。
プリベット通りを離れながら、ハリーが長く息を吐く。
「これで友好的な話し合いだったの?」
「家が壊れていないし、誰も死んでいないでしょ。ヴォルデモートよりかなり友好的だよ」
わたしが答えると、ハリーは呆れた顔をした。
「基準が低すぎないか?」
「同行者を考えて」
後ろでは、シリウスがまだ契約書の抜け道を探していた。
「契約に書かれていない生き物ならいいのか?」
「駄目だ」
「家具は?」
「二度と訪問させないぞ」
それでようやく、シリウスは口を閉じた。
やはり、誰かがしっかりしなければならない。
その後、わたしたちはダイアゴン横丁へ寄ることになった。
もちろん、本屋に行くためだ。
漏れ鍋を抜け、煉瓦の壁が開いた瞬間、ハリーとシリウスはクィディッチ用品店の看板を見つけた。
「見るだけだからな」
「もちろん」
二人は同時に言い、同じ速さで店へ消えていった。
クィディッチ好きの「見るだけ」は、本好きの「一冊だけ」と同じである。きっとクィディッチ関連の製品を買って出るに違いない。
「わたしたちは本屋ですね」
わたしが言うと、フェルディナンドは頷いた。
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の扉を開けた途端、紙と革とインクの匂いに包まれた。
外の通りより空気が美味しい。
背の高い棚が奥まで並び、天井近くでは脚立がひとりでに横へ滑っている。新刊台には見覚えのない表紙が積まれ、奥の棚からは頁をめくる音が聞こえた。
ようやく、まともな場所へ戻ってきた。
わたしが新刊台へ向かうと、フェルディナンドもついてきた。
「まさか本を読まない人がいるなんて、びっくりでしたね」
「やはり、前世のマグルとは違ったか?」
「そうですね、わたしの周りには本を読まない人なんて──」
わたしの手が止まる。
フェルディナンドは棚から一冊抜き、目次を開いた。こちらを見ていない。
「……いつから気づいていたんですか」
「確信したのは今日だ」
「それまでは?」
「あまりにマグルに詳しいから疑ってはいた」
「まさか、開心術ですか?」
「勝手に心へ入ったことはない。君は隠し事をする時、前提だけを伏せる。話を聞いていれば分かる」
それはあまり嬉しくない指摘だった。
フェルディナンドは本を閉じる。
「ある程度マグルの知識があれば、君の反応が不自然であることくらい気づく。生活習慣や道具を知っているだけではない。君は、魔法使いがマグルを観察するようには話していない。明らかにマグルの視点で話していた」
「誰かに話しました?」
「話していない」
すぐに返事が来た。
「ただし、ダンブルドア校長は気づいているだろうな」
「……そうですか」
「あの人は、人の秘密を見つけておきながら、必要になるまで知らないふりをする」
かなりダンブルドア先生らしい。
「トム・リドルも可能性が高い」
「それも、そうでしょうね」
トムは興味がないふりをして会話の細部まで覚えている。
そのうえ、何週間も経ってから、たまたま思い出したように質問してくる。
気づいていないことを願う方が難しい。
「驚かないんですか?」
「前世の記憶があることにか?」
「マルフォイ家で育った純血の魔女が、もともとはマグルだったんですよ。皮肉でしょう?」
「妙ではある」
「そこは否定してください」
「事実を否定してどうする」
少しくらい気を遣ってほしかった。
「けれど、それだけだ」
フェルディナンドは静かに続けた。
「君は、知られれば何かが変わると思っているのか?」
わたしは棚の間を歩いた。
魔法薬の本。魔法史の本。古代ルーンの本。どの背表紙も、手に取られるのを待っている。
「お父さまがどう思うかは、少し気になります」
「ルシウスさんが?」
「マグルの記憶を持っていることを、マルフォイ家にとっての穢れだと思うかもしれません」
「その可能性は低い」
フェルディナンドは即答した。
「なぜですか?」
「ルシウスさんは血筋を誇るが、血筋のためにお前を大切にしているわけではない。怒るとすれば、前世がマグルだったことより、自分だけ知らされていなかったことだろう」
それは大いにあり得た。
父なら、前世について聞いた直後に、なぜダンブルドアやトムより先に自分へ相談しなかったのかと怒り始めるかもしれない。
想像すると、少しだけ不安が薄れた。
「フェルディナンドは、どうして気にしていたんですか?」
彼はすぐには答えなかった。
棚へ本を戻し、その隣の古びた背表紙へ指を触れる。
「私の出発点にも、マグルの孤児院がある」
ダーズリー家で、階段下の物置という言葉を口にした時の冷たい声を思い出した。
「そこから突然、純血主義の環境へ置かれた。君とは状況が違うが、自分の知っていた世界と、周囲が正しいとする世界が食い違う感覚は、多少似ているのかもしれないと思った」
だから気になった。
それだけだと言うように、フェルディナンドは視線を棚へ戻した。
「もしかして、わたしを今日連れてきたのも、そのためですか?」
「シリウスが、お前を外へ出すべきだと言ったからだ」
「それだけですか?」
「マグルの家を見た時、お前が何を見るのかには興味があった」
やはり、外出不足だけではなかったらしい。
「どうでした?」
「ダーズリー家の問題点より、ダドリーが本を読まないことに最も大きな衝撃を受けていた」
「あれは仕方ありません」
「マグルだった頃も、同じだったのか?」
「わたしにとって、魔法使いかマグルかはそれほど重要ではありません」
棚から一冊の本を抜く。
題名は『印刷魔法の変遷』。
買わない理由が見つからなかった。
「本を読む魔法使いと、本を読むマグルなら、どちらとも話ができます」
「本を読まない魔法使いと、本を読まないマグルは?」
「本を布教する努力はしますけど、難しいでしょうね」
「話が通じるとは言わないのだな」
「結局、人種も血筋も関係ありません。本を大切にするかどうかですから」
フェルディナンドは一瞬、わたしを見た。
それから、わずかに口元を緩める。
「君は、そういう子だったな」
わたしは印刷魔法の本を抱え、新刊台に並んでいた別の本へ手を伸ばした。
「一冊という約束だったと思うが」
「帰りに好きな本を買ってくださるとは聞きましたが、一冊だけとは言ってませんでしたよね?」
わたしが言うと、フェルディナンドはため息をついた。
「三冊までだ」
外出も、たまになら悪くない。
行き先が最後に本屋へつながっている場合に限るけれど。