トムが闇の帝王の記憶だった。
本人の口から明かされた事実は、ビブリオバトルが終わっても図書室に居座り続けていた。
誰も大声では話さない。
けれど、全員がトムを見ていた。
秘密を聞いた人間は、聞く前の顔には戻れないらしい。特にロンは、何度も口を開きかけては、隣にいたアーニーに肘で止められていた。
よく耐えている。
わたしなら、あれだけ巨大な秘密を抱えたまま黙っているのは無理だ。
「ジェドゥソール先生」
アーニーから話を聞きつけたらしいパドマが羽ペンを持ったまま言った。
トムの顔が、見るからに険しくなった。
「何だ」
「記事にしてもいいですか?」
「よくない」
返事が速い。
「まだ見出しも言っていないです」
「聞く必要がない」
「『闇の帝王、正体はホグワーツの元生徒』」
「駄目だ」
「『名前を失った少年』」
「駄目だ」
「『トム・リドルとは何者か』」
トムが杖を抜いた。
パドマは羽ペンを置いた。
「分かりました。まだ記事にはしません」
「最初からそう言っている」
「でも、マインは本にするつもりでしょう?」
二人の視線がこちらへ向いた。
わたしは頷いた。
「うん」
「なぜ当然のように頷くんだ」
「だって、それが一番いい方法だから」
闇の帝王は、名前を呼ぶことさえ恐れられている。
ならば、その正体を本にしてしまえばいい。
ヴォルデモート卿という巨大な怪物ではなく、トム・リドルという一人の人間だったと、魔法界中に知らせる。
生まれた場所も、学校で何をしたのかも、どんな本を読み、何を恐れ、なぜ自分の名前を捨てたのかも。
全部書けばいい。
「本の題名はまだ決めてないけど」
「決めなくていい」
「著者名はトム・リドル?」
「その名を出すな」
低い声だった。
怒っているというより、何かを押し殺している。
「リドルって名前が嫌いなの?」
「嫌いという言葉で片づけるな。君が想像する以上に複雑なんだ」
トムは机の上に置かれた本を閉じた。
「僕はその名を捨てた。二度と使わないために、別の名を作ったんだ。せめて、出版されるまで、記事にはするな」
トムはパドマへ言った。
「出版を認めたんですか?」
「認めていない。ただ、出版されたら記事に書かれても変わらない」
「それはそうでしょうね」
パドマは考えるように羽ペンの軸を指で回した。
「出版が中止になった場合は?」
「永久に書くな」
「それなら、出版が絶対条件ということですね?」
トムの眉間に皺が寄った。
「君はなぜ、ここで条件を確認するんだ」
「新聞記者だからです」
パドマは平然としていた。
「出版前には書かない。本人の許可なく記事にはしない。その代わり、出版されたら絶対に記事にする。これならどうですか?」
「……構わない」
「約束しましょう」
パドマが羽ペンを置く。
トムは、今すぐ周囲を全て燃やしたいような顔をしていた。
わたしは気持ちが分からなくもなかった。
自分の過去を本にされるのは、きっと恥ずかしい。
けれど、恥ずかしいからといって、本を出さない理由にはならない。
*
翌日、わたしはハリーとトムと一緒に校長室へ向かった。
ダンブルドア先生に出版計画を説明すると、先生は指を組み、しばらく目を閉じていた。
「つまり君は、ヴォルデモート卿の過去を本にし、その正体を世に広めようと考えておるのじゃな」
「うん。みんなが怖がっているのは、正体が分からないからだと思うの。何を考えているか分からなくて、名前も呼べなくて、どこにいるかも分からない。だから、全部分かるようにすればいい」
「本人の許可は?」
「まだ」
「僕は認めない」
隣でトムが言った。
ダンブルドア先生は、少しだけ口元を緩めた。
「それは困ったのう」
「困っている顔には見えませんね」
「実を言えば、ちょうど君たちに見せたいものがあった」
先生は席を立った。
部屋の奥から、石でできた浅い水盤を運んでくる。
憂いの篩だった。
銀色の記憶が、水面の上でゆっくり渦を巻いている。
トムの顔から、露骨に嫌そうな表情が消えた。
代わりに、警戒が浮かんだ。
「誰の記憶ですか」
「わしのじゃよ」
「いつの?」
「君と初めて会った日じゃ」
「帰ります」
トムが立ち上がった。
ダンブルドア先生が杖を一振りすると、校長室の扉がひとりでに閉まった。
「せっかく三人そろっておるのじゃ。皆で見た方が楽しい」
「楽しいという目的で他人の過去を見せないでください」
「資料として必要だよ」
わたしが言うと、トムはこちらを見た。
「君は僕の味方をする気がないのか」
「昔のトムを見てみたい」
「聞いた僕が馬鹿だった」
ハリーが憂いの篩を覗き込む。
「これ、本当に見るのか?」
「もちろん」
ダンブルドア先生が、銀色の水面へ杖先を触れさせた。
記憶が大きく波打つ。
「この時のトムは、まだ自分が魔法使いであることを知らなかった」
「説明はいりません」
「わしを医者だと思っておったようでな」
「やめろ」
「そして、このあと戸棚が燃える」
「先の展開まで言うな!」
トムが初めて、年相応に声を荒らげた。
ダンブルドア先生は楽しそうだった。
完全に、孫の幼い頃の記録を見せたがるおじいちゃんだった。
本人が嫌がっているところまで含めて楽しんでいる。
「行こうか」
先生に促され、わたしたちは銀色の水面へ顔を近づけた。
足元が抜けた。
*
次に立っていたのは、薄暗い部屋だった。
窓は細く、外から差し込む光も灰色がかっている。
壁際には簡素なベッドが並び、空気には古い石鹸と湿った布の匂いが染みついていた。
その一番奥のベッドに、黒髪の少年が座っていた。
まだ幼いトム・リドル。
細い身体をまっすぐに伸ばし、訪ねてきたダンブルドア先生を睨んでいる。
子どもなのに、可愛げがない。
現在のトムを見る。
「何だ」
「昔からトムだね」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」
記憶の中のトムは、魔法使いだと聞かされても驚かなかった。
むしろ、ようやく世界が自分の正しさを認めたという顔をした。
動物を意のままにできること。
人を傷つけられること。
話すたびに、ハリーの表情が固くなる。
ダンブルドア先生は何も言わなかった。
さっきまであれほど嬉しそうに先の展開を説明していたのに、記憶の中の少年が戦利品を隠した箱を見せた瞬間から、口を閉ざしていた。
戸棚が炎に包まれた。
記憶の中のトムが立ち上がる。
初めて、怯えた顔をした。
現在のトムは、その顔を見なかった。
火が消え、盗んだ品物を持ち主へ返すよう命じられる。
少年は頷いた。
しかし、反省しているようには見えなかった。
自分より強い相手を見つけた。
その事実だけを理解した顔だった。
「先生、僕は蛇とも話せるんだ」
記憶の方のダンブルドアの表情が一瞬固まった。
「これも魔法使いなら普通のことなの?」
記憶が薄れていく。
灰色の部屋も、細いベッドも、十一歳のトムも銀色の霧へ溶けた。
*
校長室へ戻ると、トムは憂いの篩から一番遠い椅子へ座った。
「満足したのか?」
「そうだね。トムがどんな子どもだったのか分かった」
わたしは答えた。
「孤児院の名前も書いていい?」
「駄目だ」
「戸棚に戦利品を隠していたことは?」
「論外だ」
ダンブルドア先生が、机の向こうで髭を撫でている。
「わしとしては、あの戸棚は重要な場面じゃと思うが」
「あなたは黙っていてください」
ハリーは笑いそうになったらしく、咳払いをした。
トムに睨まれ、窓の方を見る。
「しかし、これは始まりにすぎん」
ダンブルドア先生が言った。
「本にするならば、わしの記憶だけでは足りぬ。本人にしか語れぬことがある」
「語るつもりはありません」
「マートル・ワレンのこともかね?」
トムの指が、椅子の肘掛けの上で止まった。
ハリーが先生を見る。
「マートル? 嘆きのマートル?」
「秘密の部屋で死んだ生徒じゃ」
「トムと何の関係が……もしかして」
トムは答えなかった。
ダンブルドア先生も、それ以上は話さない。
ただトムを見ていた。
「先生は知っていたんですか?」
わたしが尋ねると、先生は首を横に振った。
「確証はない。じゃが、マートルの生家と、ウール孤児院はそう遠くない」
ハリーがトムへ向き直った。
「知り合いだったのか?」
「違う」
「じゃあ、どうして――」
「知り合いではなかった」
トムは低い声で繰り返した。
窓の外では、雪が降り始めていた。
黒い校長室の窓を、白い粒が斜めに横切っていく。
「彼女の家は、孤児院から歩いて行ける場所にあった。裕福な家ではなかったが、孤児院よりはましだった。僕は何度か見かけたことがある」
「マートルも君を見たことがあった?」
「ああ」
トムは自分の手元を見ていた。
「孤児院の子どもは、近所では珍しくなかった。僕たちは決まった時間に外へ出された。どこへ行っても、孤児院の子だと分かった」
トムが、そんなふうに自分を語るのは初めてだった。
いつもなら、他人の話をするように切り離す。
けれど今は、その頃の自分を消しきれずにいるようだった。
「僕は自分が孤児院生まれだと知られるのが嫌だった。だから、それを知るマートルを孤立させたかった。そんなに難しいことじゃなかった。少し下級生に促すだけで、マートルはすぐに虐められた」
ハリーの呼吸が止まる。
トムは淡々と続けた。
「あの日、彼女は女子トイレの個室の中で泣いていた。オリーブ・ホーンビーに眼鏡のことをからかわれたからだ。オリーブ・ホーンビーが彼女を虐めていたのは僕がそう仕向けたからだった。彼女は僕が誰かと話している声を聞いて、出てきた」
「誰かって、バジリスク?」
「ああ」
「蛇語を聞かれたから殺したのか?」
「違う」
トムは顔を上げた。
「彼女は死ぬ前に、僕を見てこう言った」
その声には、怒りも悲しみもなかった。
だから余計に、言葉だけがはっきり聞こえた。
「やっぱりあなた、あの孤児院にいたトムでしょう、と」
ハリーが何も言えなくなる。
わたしはようやく分かった。
秘密の部屋を見られたからではない。
スリザリンの後継者が、マグルの孤児院で育った少年だと知られたからだ。
「それで殺したの?」
わたしは尋ねた。
トムの視線がこちらへ来る。
「そうだ」
簡単な答えだった。
まるで、古い本の誤植を認めるように。
「彼女が死ねば、秘密の部屋の犠牲者になる。誰も、孤児院の少年と彼女につながりがあったとは考えない」
「ハグリッドに罪を着せたのはどうしてじゃ」
「ハグリッドに罪を着せたのか?」
ハリーの声が震えていた。
「必要だった」
「必要?」
「学校を閉鎖されるわけにはいかなかった。僕には、戻る家がなかった」
「だから関係ない人間を犯人にしたのか」
「ハリー、ハグリッドが飼っていた蜘蛛はアクロマンチュラだ。魔法界で飼育は禁止されている危険な生き物だよ。誰も殺さなかったとはいえ、退学処分になるのは正しい処分だ」
「でも濡れ衣じゃないか!」
ハリーが椅子を蹴って立ち上がった。
トムは動かなかった。
「アズカバンには送られなかった」
「そういう話じゃない!」
「では、どういう話だ?」
「人を殺して、別の人に罪を着せて、自分だけ学校に残ったんだろ!」
「そうだ」
トムは否定しなかった。
言い訳もしなかった。
その方が、ハリーには腹立たしかったらしい。
拳を握り、何か言おうとして、結局椅子へ座り直した。
ダンブルドア先生は二人を止めなかった。
わたしは膝の上で手を組んだ。
「その話も本に書こうよ」
トムの目が細くなる。
「何だと?」
「マートルを殺したこと。孤児院の近くに住んでいて、あなたの昔の名前を知っていたこと。秘密を守るためにバジリスクを使ったこと。ハグリッドに罪を着せたこと」
「僕が話した意味を理解していないのか」
「理解してるよ」
「なら、なぜ書く」
「知られたくないから隠した結果、ヴォルデモートになったんでしょう?」
トムの唇がわずかに動いた。
「違う」
「何が?」
「そんな単純な話ではない」
「じゃあ、単純じゃないところまで書けばいい」
「君は――」
「トムが話さなかったら、ダンブルドア先生の記憶だけで本を作ることになるよ」
先生が穏やかに頷いた。
「できる限り協力しよう」
「あなたは少し黙っていろ!」
トムがとうとう怒鳴った。
壁の銀器が震え、フォークスが止まり木の上で羽を膨らませる。
ダンブルドア先生は少しも動じなかった。
「トム」
わたしは呼んだ。
「本は出させない」
「どうやって?」
「君を止める」
「わたしを殺すの?」
トムは答えなかった。
「昔と同じだね」
「何が言いたい」
「知られたくないものを、なくせばいいと思ってる」
トムの杖を握る手に力が入った。
ハリーが立ち上がりかけたが、ダンブルドア先生が片手で制した。
トムは杖を抜かなかった。
長いあいだ、こちらを見ていた。
やがて、椅子の背へ身体を預ける。
「だから嫌なんだ」
怒鳴るより小さな声だった。
「何が?」
「この本を出すことがだ」
トムは窓へ顔を向けた。
雪の向こうに、黒い森が見える。
「ヴォルデモートのことなら、好きに書けばいい。殺した人数も、使った魔術も、恐れられた名前も。だが、リドルという名で書けば、そこにいるのは闇の帝王ではない」
誰も口を挟まなかった。
「孤児院で育ち、他人に知られることを恐れ、泣いていた少女一人の口も塞がなければ、自分を守れなかったただの少年だ」
トムは自分で言った言葉に耐えるように、目を閉じた。
「だから僕は、その名を捨てたんだ」
机の上で、銀色の記憶が静かに渦を巻いていた。
トムは窓の外を見たまま、こちらを振り返らない。
わたしは何と返せばいいのか分からなかった。
知られたくない過去を本にするのだから、嫌がるのは当然だ。それでも出した方がいいと思う気持ちは変わらない。
でも、嫌がっている本人に向かって、ヴォルデモートを倒すために必要だから出そうとは言いにくくなってしまった。
「君が恐れていることは分かる、トム」
ダンブルドア先生が言った。
「あなたに分かるとは思えませんね」
「既に自分の過去を世間へ公表した老人の言葉としてもかね?」
トムがようやく窓から顔を戻した。
ダンブルドア先生の自伝には、グリンデルバルドとの関係だけではなく、妹のアリアナや、弟との確執についても書かれていた。
「あなたの場合は、すでに名誉も地位もある」
「だから失うものが多かったとも言える」
「同情してほしいんですか?」
「いいや。君に同情する資格がわしにあるとも思っておらん」
ダンブルドア先生は、憂いの篩の縁に指を置いた。
「ただ、秘密は守り続けるほど、自分より大きくなる。わしも長いあいだ、過去を語らなかった。それで過去が消えたことは一度もなかった」
「僕とあなたを同じにしないでください」
「同じではないよ。わしは妹を守れなかった。君は、自分を知る少女を殺してしまった」
トムの目が鋭くなる。
ダンブルドア先生は視線を逸らさなかった。
「違うからこそ、同じ方法で救われるとは言わん。しかし、隠し続ければ救われるとも思わん」
「救われたいと言った覚えはない」
「ならば、何を望んでおる?」
「ヴォルデモートを殺すことです」
迷いのない答えだった。
ハリーがトムを見る。
わたしは膝の上に置いていた手へ力を入れた。
ダンブルドア先生は、予想していたように頷いた。
「そのためには、君も死なねばならん」
聞き間違いだと思った。
先生の声は穏やかだった。
だから、一瞬だけ意味が入ってこなかった。
「……先生? なんでそんなこと言うんですか」
わたしが聞くと、先生はわたしを見た。
「トムは、ヴォルデモート卿から切り離された魂の一部じゃ。彼が存在する限り、ヴォルデモート卿の魂もまた、この世につなぎ留められる」
「でも、トムはもう別の人でしょう?」
「人格は違うかもしれん。経験も、選んだ道も違う。じゃが、魂の由来までは変わらん」
「何か方法があるはずだよ。まだ全部調べてないから、ないって決めるのは早いよ」
立ち上がろうとしたが、椅子の脚にローブの裾を引っかけた。
机へ手をつく。
指先が冷たかった。
「トムは知ってたの?」
トムは答えなかった。
「知ってたんだ」
知っていたから、闇の魔術に対する防衛術の正式な教師になることを望まなかった。
ビブリオバトルで、自分の正体を話した。
闇の帝王の記憶だと、全員の前で明かした。
秘密を知られることをあれほど嫌がるトムが、自分から話した。
「だから話したの?」
「必要だったから話した」
「自分が死ぬ前に?」
トムの眉がわずかに動いた。
それで十分だった。
「やっぱり、死のうとしてたんだ」
自分の声がひどく遠く聞こえた。
立っているのに、床がなくなったようだった。
「マイン、座って」
ハリーが椅子を引いた。
「座ってる場合じゃないよ」
「顔が真っ青だ」
「トムが死ぬんだよ!」
「まだ死んでいない」
トムが言った。
「そういう問題じゃない!」
思ったより大きな声が出た。
フォークスが止まり木の上で首を傾げる。壁に並んだ歴代校長の肖像画が、寝たふりをしながらこちらを窺っていた。
「何で言わなかったの?」
「言えば、君が邪魔をする」
「するよ! 絶対に死なせない!」
「だから言わなかった」
落ち着き払ったトムの顔を見ていると腹が立った。
この人は、自分が死ぬ話をしているのに、どうしてそんな顔ができるのだろう。
「いつから知ってたの?」
「最初からだ。あの男から離れた瞬間に、こういう未来が来る可能性もあるとは思っていた」
「それからずっと?」
「ああ」
「ずるいよ」
「何がだ」
「わたしだけ、これからも一緒に本を読めると思ってた」
口に出した途端、胸の奥が苦しくなった。
トムは、困ったような顔をした。
ほんの一瞬だった。
すぐにいつもの無表情へ戻った。
「君は、少し前から僕が闇の帝王の魂だと知っていただろう」
「闇の帝王の魂だと、死んでいいの?」
「僕が残れば、あれも残る」
「だからって、トムまでヴォルデモートと一緒にしなくていいでしょう!」
「一緒なんだよ」
トムの声が低くなる。
「僕がどれほど違う選択をしても、どれほどあれを憎んでも、僕があれの魂である事実は変わらない」
「それは――」
「ヴォルデモートを完全に殺すなら、僕も死ななければならないんだ!」
反論が出てこなかった。
出てこないことが悔しい。
わたしは本を読めば、大抵のことは答えが見つかると思っていた。
けれど、トムを救う答えはどこにもなかった。
「二人とも、落ち着きたまえ」
ダンブルドア先生の声が入った。
今は先生の穏やかな声まで腹立たしかった。
「先生はいつから知っていたんですか?」
「可能性としては、トムの正体を知った時からじゃ」
「じゃあ、どうして黙ってたんですか?」
「わしが告げるまでもなく、トムがそれを知っていたからのう」
ダンブルドア先生は、机の向こうに座り直した。
「しかし、これは決定した未来ではない」
「さっき死ななくてはいけないと言ってたのに」
「今ある方法で、ヴォルデモート卿を確実に滅ぼすならば、という話じゃ」
「ほかの方法を探してもいいんだよね?」
「もちろんじゃ」
「わたしは探す」
「君ならそう言うと思っておった」
先生は少し疲れた顔をした。
わたしはトムへ向き直った。
「死ぬって決めないで」
トムは眉間を押さえた。
「どうしようもないことなんだよ」
「でも、トムは何も残らないまま消えるのも嫌だったんじゃないか?」
ハリーが口を挟み、トムの目がハリーへ向いた。
「ヴォルデモートと一緒に消えれば、それで満足なのか?」
トムは答えない。
ハリーは続けた。
「魔法界には、闇の帝王が死んだという話だけが残る。君が存在したことも、僕たちと一緒に戦ったことも、誰も知らない」
「それで構わない」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、どうしてリドルという名前を本にされるのが嫌なんだ?」
トムの顔が変わった。
ハリーは杖を向けられる前に、椅子を少し後ろへ引いた。
「忘れられて構わないなら、何を書かれても同じだろ。違うのか?」
「僕が嫌なのは、過去を勝手に――」
「過去だけじゃない」
わたしは言った。
「今のトムのことも書くよ」
「聞いていない」
「今決めたから」
「決めるな」
「闇の帝王の過去だけじゃ、ヴォルデモートの伝記になる。でも、トムが別の道を選んだことまで書けば、ヴォルデモートが絶対の存在じゃなかったと証明できる」
同じ魂でも、同じ人間にはならなかった。
育った時間も、読んだ本も、そばにいた人も違えば、別の選択ができる。
トム自身が、その証拠だった。
「トムがマートルを殺したことは書く。ハグリッドに罪を着せたことも書く。そのあと何をしたかも書けばいい」
「死ぬかもしれないなら、なおさら書いた方がいいんびゃないのか」
ハリーは畳み掛けるように言った。
トムの表情から、わずかな怒りが引いていく。
「死後の名誉に興味はない」
「名誉のためじゃないよ」
わたしは言った。
「では、何のためだ」
「ヴォルデモートに、トムの人生まで奪わせないためだよ」
トムが何も言わなくなる。
「このまま死んだら、トムは闇の帝王の分霊箱だった、で終わる。でも、それだけじゃないでしょう?」
「魂の一部であることは事実だ」
「本を読んだことも事実。わたしたちを助けたことも、闇の帝王を倒そうとしたことも事実だよ」
「都合のよい部分だけを書けば、偽善になる」
「悪いことも書くって言ったよ」
トムは机の上にある憂いの篩へ目を落とす。
そこには、十一歳のトムが残っている。
孤児院の狭い部屋で、自分は特別だと信じていた少年。
誰にも弱みを見せず、奪ったものを箱へ隠していた。
「分かった。本を出せばいい」
「本当に?」
「その代わり、僕が全部書く。他人に感情を勝手に推測されたくない」
「それでいいよ。題名は?」
トムは自分の黒い日記帳に目をやった。
「『トム・リドルの日記』だ」
「良い題名だね」
「それから、少し記憶の整理が必要だ。君たちに昔話を聞いてほしい」
「もちろん。トムが覚えてる最初の記憶は?」
わたしが尋ねる。
トムは椅子の背へ身体を預け、遠くを見るように目を細めた。
「あれは、雪の日だった」
校長室の肖像画たちが傾聴するように耳を傾けた。
「孤児院の窓が、凍っていた」
トムはゆっくりと語り始めた。