ダンブルドア先生の自伝が発売されてから、プロングズ出版には毎日のように手紙が届いていた。
感想。質問。苦情。続編の要望。
中でも多かったのは、グリンデルバルドとの関係をもっと詳しく書いてほしいというものだった。
「読者が求めているなら、下巻では増やすべきだよね」
「校長の恋愛事情を出版社の都合で増やさないでくれる?」
パドマはそう言いながら、手紙を三つの山に分けていた。
ダンブルドア先生本人に渡すもの。出版社だけで返事をするもの。そして、恋愛欄に載せられかねないのでロメルダに見せてはいけないもの。
最後の山が一番高い。
「それ何?」
ロメルダが近づく。
「あなたに関係のない手紙よ」
「じゃ、見てもいいやつじゃん」
「逆よ」
パドマは手紙の山を抱え、ロメルダから遠ざけた。
わたしはその隣で、届いた小包を開けていた。
送り主は、ダンブルドア先生の自伝を読んだという魔女だった。包みの中には手紙と、銀色の装丁をした自伝が一冊入っている。
角には革の補強がされ、新しい青い栞が挟まれていた。
「きれいな本」
「新品でしょう?」
「新品でも、扱い方が悪いと角はすぐ傷むよ。これはすごく丁寧に包まれてる」
わたしは表紙を撫でた。
背表紙にも傷はない。
紙も湿っていない。
箱の中で動かないように布が詰められていたし、栞の房も折れないよう紙で巻かれていた。
送り主は、かなり本を大切にする人らしい。
手紙を開く。
妹を亡くした娘に贈りたいので、ダンブルドア先生に署名をしてほしいと書かれていた。
娘は妹の死を自分のせいだと思い、家族の前で泣くこともできなくなった。
けれど、自伝の中でダンブルドア先生がアリアナについて語った章を読み、初めて声を上げて泣いたのだという。
「これは先生に渡した方がいいね」
「そうね」
パドマも手紙を読んで頷いた。
「ただ、最近は変なものも届いているから、検査はしておきましょう」
「もうしたよ」
わたしは本を開き、頁をぱらぱらとめくった。
「どこにも書き込みはないし、紙に変な薬も塗られてない。呪いも感じないよ」
「マインの検査って、全部の頁を読んだだけじゃないの?」
「全部は読んでないよ。同じ本は持ってるから」
「そういう問題かしら」
パドマが杖を取り出し、箱と本へ検査呪文をかけた。
何も起きない。
手紙にも、封筒にも反応はなかった。
「大丈夫そうね」
「じゃあ、先生のところへ持っていく」
「ほかにもサイン待ちがあるわよ」
パドマが机の隅を指した。
そこには本が十冊積まれていた。
「全部?」
「今週分」
「先生、人気だね」
「主に恋愛面でね」
わたしは本を重ねて持ち上げた。
一番上の本が滑りかける。
「マイン、一度に運ばなくても逃げないわよ」
「でも、何度も往復するのは面倒だから」
「本を落とす方が問題でしょう。アーニー、手伝って」
アーニーはパドマに言われて本の大半を持った。
仕方がないので、わたしは残りを抱えて図書室を出た。
校長室の前まで来たところで、本の間から手紙が落ちた。
「あ」
床へ落ちる前に、横から伸びた手が封筒を掴んだ。
ハリーだった。
「何してるんだ?」
「ダンブルドア先生にサインをお願いしに行くの」
「これ全部?」
「今週分」
「先生、作家みたいだな」
「作家だよ。本を出したんだから。一緒に行く?」
「どうして僕が?」
「本を持ってくれると助かる」
「それが目的だろ」
ハリーは文句を言いながら、数冊取った。
ガーゴイル像に合言葉を言い、校長室へ入ると、ダンブルドア先生は大量の手紙に囲まれていた。
机の片側には未開封の封筒。反対側には返事を書き終えた羊皮紙が積まれている。
「先生、またサインのお願いです」
「ありがたいことじゃが、そろそろ右手が羽ペンの形に曲がりそうじゃ」
「左手で書けばいいんじゃないですか?」
「筆跡が違えば、偽物と思われるかもしれん」
「両手で同じ字を書けるように練習しましょう」
「わしにはまだ、ほかにすべきことが残っておると思うがのう」
ダンブルドア先生は笑いながら、本を受け取った。
ハリーが持っていた分も机へ置く。
「これは、妹を亡くした娘さんに贈りたいそうです」
わたしは手紙を渡した。
先生は封筒から便箋を取り出した。
読み進めるうちに、髭の奥の笑みが薄くなっていく。
表情が消えたわけではない。
ただ、紙を持つ指が途中で止まった。
「先生のアリアナについての文章を読んで、娘さんが初めて泣いたそうです」
「そうか」
先生は短く答えた。
銀色の本を開き、アリアナについて書かれた章をめくる。
頁の上では、若いダンブルドア先生と少女が並んでいた。
写真の中のアリアナは、こちらを見ず、兄の袖を掴んでいる。
「何と書くんですか?」
「さて。こういう言葉は、長ければよいというものでもないからのう」
先生は本の最初にある白紙の頁を開いた。
サインを書くために、広く空けられた頁だった。
羽ペンを取り、少し考えてから書き始める。
悲しみは、忘れることではなく──
わたしは横から文字を覗き込んだ。
「マイン、近いよ」
ハリーにローブの背を引かれた。
「見えないでしょう」
「完成してから読めばいいだろ」
「書いてる途中を見るのも面白いよ」
「先生が書き間違えたらどうするんだ」
「その時は貴重な一冊になるね」
「売るなよ」
ダンブルドア先生は、わたしたちの会話を聞きながら文章を書き終えた。
最後に署名を添える。
アルバス・ダンブルドア。
最後の文字を書き終えた瞬間、インクが膨らんだ。
黒い染みが羽ペンへ巻きつく。
「先生?」
それは細い糸のように指へ絡まり、そのまま手首へ這い上がった。
ダンブルドア先生が杖を掴む。
けれど、黒いものの方が速かった。
袖の内側へ潜り込み、右腕を一気に覆う。
机の上にあった銀器が甲高い音を立てて割れた。
フォークスが鳴く。
「先生!」
わたしが手を伸ばすと、ハリーに腕を掴まれた。
「触るな!」
ダンブルドア先生が杖を振った。
本が机から吹き飛び、床へ落ちる。
次の瞬間、フォークスの炎が本を包んだ。
銀色の表紙が赤く染まり、頁が一斉に燃え上がる。
それでも、先生の腕を這う黒い筋は消えなかった。
指先から肘へ。
肘から肩へ。
先生の顔から血の気が引く。
「スネイプ先生を呼んできます!」
わたしは校長室を飛び出した。
スネイプ先生は、地下にいた。
薬品棚の前で何かを調合していたが、わたしの顔を見るなり杖を置いた。
「何があった」
「ダンブルドア先生が、本にサインしたら、腕が黒くなって──」
最後まで説明する前に、先生は走り出した。
わたしも後を追う。
「どのような本だ」
「先生の自伝です。ファンレターと一緒に届いて、娘さんへの贈り物だからサインを──」
「検査は?」
「しました。パドマもわたしも、本も手紙も全部調べました」
「それで安全だと判断したのか」
「でも、何も出なかったんです!」
「呪いが検査されることを想定していないとでも思ったか!」
スネイプ先生の歩調は速かった。
ほとんど走っているのに、ローブの裾だけが遅れて廊下を這っている。
校長室へ戻ると、ダンブルドア先生は椅子へ座っていた。
ハリーがそばに立ち、黒く染まった腕から目を離さない。
「これは何です」
スネイプ先生はダンブルドア先生の手首を掴んだ。
「サインを頼まれてのう」
「あなたは、送られてきた物へ不用意に触れるなと何度言えば理解するのですか」
「触っただけでは何も起きなかった」
「その言い訳で呪いが消えるなら、いくらでも続けてください」
スネイプ先生は袖を裂いた。
腕には、黒い蔓のような模様が絡みついている。
スネイプ先生が杖を振る。
黒い筋の動きが、わずかに鈍った。
もう一度、別の呪文を唱える。
今度は肘の辺りで止まった。
完全には消えない。
「医務室へ運びます」
「わしは歩ける」
「倒れてから言うつもりですか」
スネイプ先生はダンブルドア先生の返事を待たず、肩を貸した。
先生が立ち上がる。
その顔は、さっきより白くなっていた。
「先生、ごめんなさい」
口から勝手に出た。
ダンブルドア先生がこちらを見る。
「君が謝る必要はないよ」
「でも、わたしが安全だと思って、先生に渡したから」
「君も本へ触れた。じゃが、何も起きなかったということじゃな?」
「だからって──」
「最初から、わしだけを狙った呪いじゃ」
先生は床へ視線を落とした。
燃えた本は、黒い塊になっていた。
表紙の銀色だけが、端にわずかに残っている。
「サインをした者の魔力を識別し、発動するよう仕組まれておる」
「そんなことができるんですか?」
「できる者は多くない」
スネイプ先生が冷たく答えた。
「だが、不可能ではない」
「誰が……」
「今は犯人捜しより、校長を死なせない方が先です」
「先生は死ぬんですか?」
「大丈夫じゃ」
ダンブルドア先生が言った。
スネイプ先生がダンブルドア先生を連れて姿くらましで消えた。
校長室には、わたしとハリーとアーニーだけが残された。
床には焼けた本。
机には、まだサインを待っている自伝が三冊積まれている。
「現場を保存する。二人とも動くな」
アーニーが杖を抜き、わたしたちの周囲へ白い線を引いた。
「もうかなり動いたよ」
「今からでも保存しないよりはましだ!」
「保存する必要あるかな?」
「推理小説ではお決まりなんだ。つまり、僕もやってみたかったんだ」
アーニーは本気だった。
わたしは床へしゃがみ、焼け残った表紙へ手を伸ばした。
「触るな!」
ハリーとアーニーの声が重なった。
「もう燃えてるよ」
「灰にも呪いが残っている可能性がある」
アーニーは鞄から証拠袋を取り出した。
「いつ用意したの?」
「出版社を手伝う以上、郵便物を利用した犯罪は想定していた」
アーニーが杖で本の残骸を浮かせ、慎重に袋へ入れた。
一枚だけ、扉頁の端が焼け残っている。
そこには、ダンブルドア先生の署名の最後と、黒く変色したインクが残っていた。
「サインが発動条件だったみたいだね」
「間違いない」
アーニーは床へ膝をつき、虫眼鏡を取り出した。
「犯人は、ダンブルドア先生の筆跡を欲しがっていた」
「筆跡じゃなくて、魔力じゃないか?」
ハリーが言った。
「それは同じようなものだ」
「かなり違うと思うけど」
アーニーは聞いていなかった。
「しかも、送り主は妹を亡くした娘のために署名を求めている。アリアナについての章を利用した」
「先生が断れないようにしたんだと思う」
「その通りだ」
アーニーは立ち上がった。
なぜか、すべて分かったような顔をしている。
「犯人は、ダンブルドア先生の家族関係に強い関心を持っている」
「本を読めばみんな関心を持つと思うよ」
「それだけではない。丁寧に補強された装丁。青い栞。感情に訴える手紙。そして、自筆の署名への異常な執着」
アーニーは一本ずつ指を立てた。
「犯人は、ダンブルドア先生に恋愛感情を抱く人物だ」
校長室の時計が、一度鳴った。
「どうしてそうなるの?」
「自筆の署名を欲しがるのは、熱心なファンの特徴だ」
「サインしたら死ぬようにしてたんだぞ」
ハリーが言った。
「愛情が憎悪へ変わったんだ」
「急に恋愛小説みたいになったね」
「事実は時として小説よりも奇なりだ!」
アーニーは羊皮紙を取り出し、容疑者一覧と大きく書いた。
その一番上に、名前を書き込む。
「第一容疑者、ゲラート・グリンデルバルド」
「たしか収監されてるよ」
「脱獄していないという証拠は?」
「脱獄してたら、先にそっちが大事件になるだろ」
アーニーは二人目を書いた。
「リータ・スキーター」
「どうして?」
「実はダンブルドアに恋をしていたんだ」
「全部、恋愛に持っていくのやめない?」
三人目。
「マダム・マクシーム」
「やめろよ!」
ハリーが羊皮紙を取り上げた。
「ハグリッドに見られたら、踏み潰されるぞ」
「動機はある」
「何?」
「ダンブルドア先生が、自伝で彼女との関係に一切触れなかった」
アーニーの言葉にわたしたちはあきれた。
「関係がなかったからじゃないのか?」
「だからこそ傷ついた可能性がある!」
アーニーの推理では、何もなかったことまで動機になるらしい。
「ほかには?」
わたしが聞くと、アーニーは少し考えた。
「スラグホーン先生」
「男だよ」
「グリンデルバルドとの関係を公表した以上、性別で候補から外すのは公平ではない」
「そこだけはそうだね。でも、うーん」
ハリーが額を押さえた。
アーニーは羊皮紙を取り返し、スラグホーン先生の名前を書いた。
「スラグホーン先生はダンブルドア先生を知っている。秘密の交際があった可能性は否定できない」
「本人たちの前では絶対に言わないでね」
「捜査に先入観を持ち込むな!」
「アーニーが一番持ち込んでるよ」
わたしは、机に残された手紙を見た。
妹を亡くした娘。
泣けなくなった家族。
アリアナの章を読んで救われたという言葉。
これが全部、先生に署名させるための嘘だった。
「犯人は、出版社のことも知ってると思う」
「なぜだ?」
「直接先生に送らず、出版社のところへ送ったから」
わたしが受け取る。
本を調べる。
安全だと思う。
そのうえで、ダンブルドア先生へ持っていく。
そこまで分かっていなければ、こんな方法は選ばない。
「つまり、犯人はマインがダンブルドア先生へ取り次ぐことを知っていた?」
アーニーの表情が険しくなる。
今度こそ、何か正しいことへ気づいたらしい。
「そうかもしれない」
「分かったぞ」
「何が?」
「犯人は、君とダンブルドア先生の仲を引き裂こうとしている」
「どうしてそうなるの?」
「自分では近づけないから、君を利用したんだ。ダンブルドア先生に気に入られている君へ嫉妬している」
「わたしと先生は恋愛関係じゃないよ」
「犯人がそう思っているとは限らない!」
アーニーは容疑者一覧の一番下に、新しい条件を書いた。
──ローゼマインを恋敵と認識している人物。
「範囲が広がったのか狭くなったのか、全然分からない」
ハリーが言った。
「明日から、生徒全員へ聞き取りを行う」
「何を聞くの?」
「ダンブルドア先生を異性としてどう思うか」
「絶対にやめて」
「犯人を見つけたくないのか?」
「別の方法で見つけたい」
アーニーは不満そうだった。
けれど、証拠袋の封を閉じる手つきだけは正確だった。
袋には受領時刻、発見場所、触れた人物の名前まで記録されている。
推理はまったく信用できない。
証拠の管理だけは、誰よりも信用できそうだった。
「推理はわたしとハリーがするから、アーニーは証拠を調べて」
「なぜだ! ここまで犯人像を絞り込んだのに!」
「絞り込めてないからだよ」
「少なくとも、恋愛関係のもつれである可能性は高い!」
ハリーが、アーニーの容疑者一覧を覗き込んだ。
「弟のアバーフォースまで入ってる」
「兄への感情が単なる兄弟愛だと、誰が証明できる?」
「その推理は今すぐ燃やせ!」
ハリーが羊皮紙を奪い、暖炉へ投げた。
アーニーが悲鳴を上げて追いかける。
わたしは手紙を光へ透かした。
犯人がダンブルドア先生を愛しているかどうかは、ひとまずどうでもいい。
ただ、先生以外がこの本を開くと知っていた。
それでも、先生以外には呪いが効かないようにしていた。
この呪いを作った人は、ダンブルドア先生だけを殺したいみたいだ。