クリスマスパーティーの翌朝、アストリアはセオドールの話をしていた。
起きてからずっとである。
「セオドールって、本当に素敵だと思いませんか?」
「そうだね」
「立っているだけで気品があるでしょう?」
「立っているだけなら、誰にでもできるよ」
「でも、セオドールとは違います」
何が違うのかは分からなかった。
アストリアは鏡の前で髪を梳かしながら、セオドールがいかにかっこよく、聡明で、素晴らしい人なのかを語り続けている。
ただし、具体的な話は一つもなかった。
「セオドールのどこが好きなの?」
「すべてです」
「すべての中で一番は?」
「そんなの選べません」
「何をしているところがかっこよかった?」
「何をしていてもかっこいいじゃないですか」
情報が増えない。
同じ本の帯を、言葉だけ変えて何度も読まされているようだった。
「セオドールとは、どこでそんなに仲良くなったの? そんなに話したことないよね?」
アストリアの櫛が止まった。
「……分かりません」
「分からないの?」
「いつの間にか、彼が世界で一番素晴らしい人だと気づいたんです」
「何かきっかけがあったんじゃない? 同じ歴史小説が好きだったとか」
「きっかけ、ですか?」
「普通は何かあると思うよ」
少なくとも、本には出会いの場面がある。
一頁目から突然、登場人物全員が恋人になっていたら、間の巻を買い忘れたのかと疑う。
「お兄さまとはどうなったの?」
「ドラコ?」
アストリアは、しばらく思い出せない人の名前を聞いたような顔をした。
「セオドールと比べたら、ほかの男なんてどうでもいいです」
さすがに変だった。
ついこの間まで、アストリアはドラコと付き合っているようだった。本人がいないところでも、ドラコは高慢だとか、話を聞かないとか、でも放っておくとろくなことをしないとか、かなり詳しく語っていた。
セオドールについては、素晴らしいということしか言わない。
恋をすると語彙が減るのだろうか。
それなら、アストリアが今までドラコについて延々と文句を言っていたのは、かなり豊かな愛情表現だったことになる。
朝食の席には、羽ペン通信ホグワーツ版のクリスマス特集が置かれていた。
昨夜のスラグホーン先生のパーティーが、もう記事になっている。
パドマたちは、パーティーへ遊びに行ったのではなく、朝刊を作りに行ったらしい。記者としては正しいが、客としては忙しない。
記事には、招待客の紹介や短いインタビューが載っていた。
スネイプ先生は、ハリーが飲み物を取ろうとして銀の皿を落としかけた際、『ポッター。お前はパーティー会場でも、周囲へ被害を与えなければ呼吸できないようだな』と嘲笑ったらしい。
相変わらずのスネイプ先生だった。
『マグノリアの令嬢は名乗らない』の作者への取材も載っている。
作中に登場する伯爵のモデルは一人ではなく、これまで会った複数の男性を組み合わせた人物なのだという。
その下には、ロメルダの注釈があった。
『四人の男からいいとこだけ取って、やっと一人のかっこいいヒーローになるらしい。現実の男、コスパ悪くない?』
作家本人の発言より、注釈の方が大きかった。
紙面には、コリンが撮影した魔法の動く写真も並んでいる。
写真の中の参加者たちは、何度も同じ動きを繰り返していた。
グラスを上げる者。
料理を取る者。
同伴者の隣からいなくなる者。
最後の頁には、「恋の脚注」という小さな欄があった。
『クリスマスパーティーって、誰と来たかが大事だと思うじゃん? でも実際は、隣にいる人より、誰を見てたかの方が分かりやすいよね』
面白い言い方だった。
何が分かりやすいのかは書かれていない。
どういう意味なんだろう。
わたしは気になって、みんなの視線を追おうと写真を見た。そのときだった。
「マイン」
向かいの席から、ドラコに呼ばれた。
「何?」
ドラコは周囲を確かめ、声を落とした。
「今日、秘密の部屋へ行けるか?」
「読みたい本でもあるの?」
「フェリックス・フェリシスを作りたい」
わたしはパンを持ったまま、ドラコを見た。
「幸運薬?」
「ああ。完成まで約半年かかる。必要になる直前に始めても遅い」
「材料は?」
「揃えた」
「どこからお金を出したの? 高かったでしょう?」
「僕の小遣いだ」
小遣いからお金を出してまで、フェリックス・フェリシスを作りたかったらしい。
気合いが入っている。
マルフォイ家から渡された小遣いとマルフォイ家の財産に、どの程度の違いがあるのかは知らない。
「いいよ。作ろう」
「朝食が終わったら行くぞ」
ドラコはそう言うと、ほとんど手をつけていない皿を押しやった。
幸運薬を作ろうとしている人にしては、朝からあまり幸せそうではなかった。
*
秘密の部屋はしばらくの間、書庫として機能していた。しかし、ドラコが薬の材料を並べると、秘密の部屋は急に調合室らしくなった。
巨大な蛇の像の前に作業机が置かれ、棚には薬瓶や乾燥材料が並んでいる。
調合に必要そうな本もしっかり準備してあった。
「火を強くしすぎるな」
「分かってるよ」
「その材料はまだ入れるな」
「分かってるってば」
「僕が確認するまで触るな」
「お兄さま、一人で作れば?」
ドラコは黙った。
調合を始めてから、いつも以上に細かい。
そのくせ、自分は材料を持ったまま何度も時計を見ている。なにかが気になって仕方ないようだった。
「お兄さまも、なんか変だよ」
「他にも変なやつがいたのか?」
「アストリア」
ドラコの手が止まった。
「朝からセオドールの話しかしてないの。いつ仲良くなったのか聞いたら、分からないって」
「そうか」
「お兄さまとはどうなったのって聞いたら、ほかの男なんてどうでもいいって」
持っていた匙が、鍋の縁へ当たった。
「……そうか」
「気づいてた?」
「気づかないわけがないだろう」
ドラコは匙を置いた。
「数日前までは普通だった。急に僕の誘いを断って、ノットと付き合うと言い出したんだ」
「喧嘩したの?」
「していない」
「何か怒らせた?」
「心当たりが多すぎて特定できない」
そこは自覚があるらしい。
「アストリアは僕に飽きたのかもしれないと思っていた」
「人って、そんなに急に飽きるの?」
「僕に聞くな」
「お兄さまの話でしょう?」
「だから、僕には分からないんだ!」
ドラコは作業机へ両手をついた。
幸運薬の鍋から、細い金色の蒸気が上がっている。
調合は順調そうだが、作っている側の運はあまり良くなさそうだった。
「薬が完成するまで半年かかるんだよね」
「ああ」
「その頃には、アストリアと仲直りしてるかな」
「知らない」
ドラコは苦しそうな顔で言った。
「フラれたままかも?」
「なぜ幸運薬を作りながら不運な未来ばかり提示するんだ」
「幸運にも限度があるかもしれないから」
「黙って鍋を見ていろ」
最初の工程を終えると、次に手を加えるまで一週間待たなければならなかった。
わたしたちは火加減を固定し、秘密の部屋を出た。
スリザリンの談話室へ戻ると、アストリアはセオドールを探していた。
同じソファに座れば、再び彼の素晴らしさについて一巻分ほど聞かされそうだったので、わたしは少し離れた席で羽ペン通信ホグワーツ版を開いた。
ロメルダの注釈を思い出し、写真の中の人たちが誰を見ているのか確認してみる。
ルーナとネビルは、会場に飾られていた見慣れない植物を見ながら話していた。
その前では、アーニーとパドマが二人へ取材している。アーニーが植物を指差し、ネビルが説明し、ルーナが別の生物の話を始め、パドマが途中から羽ペンを止めていた。
平和な写真だった。
少なくとも、パドマ以外は楽しそうである。
次の写真では、ロメルダがロンを見て少しむっとした顔をしている。
ロンはロメルダの隣にいるのに、コーマック・マクラーゲンと一緒にいるハーマイオニーを心配そうに見ていた。
ハーマイオニーはジニーへ助けを求めている。
ジニーはディーンと一緒にいたが、ハリーを見ていた。ハリーも、わたしの隣からジニーを盗み見ている。
ディーンはラベンダー・ブラウンの胸を見ていた。
誰も隣の人を見ていない。
パートナーとは何だったのだろう。
さらに他の場所を見てみる。
ドラコはアストリアを見ている。彼は写真の中でも、かなり不機嫌そうだった。
アストリアはセオドールを見ていた。
うっとりとした顔で、視線を一度も逸らさない。写真が最初へ戻っても、また同じ表情でセオドールを見つめる。
ほかの人は、見たり、逸らしたり、また見たりしている。
アストリアだけが、ずっと同じ表情だった。
そして、セオドールは──
「マイン?」
写真の外から声がした。
顔を上げると、セオドールが立っていた。
アストリアがすぐに立ち上がる。
「セオドール」
甘い声だった。
気づかない間にそんなに好きになってしまったのかと驚きながら、写真へ視線を戻す。
写真の中で、セオドールが見ていた先には、わたしがいた。
背筋がぞわりとした。
手からカップが滑る。
床へ落ちる前に、セオドールが片手で受け止めた。
「大丈夫?」
「う、うん」
セオドールがカップを差し出す。
受け取ろうとした瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
アストリアに頬を叩かれていた。
「アストリア?」
「セオドールに近づかないで」
「セオドールの方からカップを拾ってくれたんだけど」
「言い訳しないで!」
アストリアの目は、写真の中と同じだった。
セオドール以外、何も見えていない。
ドラコが立ち上がった。
「アストリア、何をしている!」
「あなたには関係ありません」
「関係ある!」
セオドールの顔から色が消えていた。
わたしは頬を押さえたまま、彼を見る。
「セオドール。アストリアに何をしたの?」
「何もしていないよ」
「だったら、どうしてそんな顔してるの?」
「彼女が急に──」
「数日前に、アストリアが食べた菓子はお前がマインにあげたものだったよな?」
ドラコの声が低くなった。
セオドールが黙る。
アストリアは、セオドールを庇うようにわたしたちの前へ立った。
「セオドールを責めないで」
「君は黙っていろ」
「命令しないで!」
「アストリア」
ドラコはアストリアを見て悲しそうな顔をしていた。
その顔を見ても、アストリアは何も感じていないらしい。
セオドールが一歩下がった。
「待て、ノット」
ドラコが呼び止める。
セオドールは答えず、談話室の出口へ向かった。
アストリアは、まだセオドールが消えた扉を見ている。
どこで仲良くなったか分からない。
何が好きなのかも分からない。
ただ、彼を世界で一番素晴らしいと信じている顔だ。
「惚れ薬だ。間違いない」
ドラコはアストリアの表情を見て断言し、クラッブとゴイルに指示を出した。
「クラッブ、ダフネを呼べ。ゴイルはスネイプ先生に知らせろ」
「分かった」
「ノットは──」
「わたしが追う」
ドラコは何か言いかけたが、アストリアが扉へ走ろうとしたため、そちらを押さえた。
「離して!」
「嫌だ」
「セオドールが行ってしまうでしょう!」
「行かせろ」
「私の大切な人なの!」
ドラコの顔が引きつる。
わたしは談話室を飛び出した。
セオドールは、地下牢から続く廊下の先にいた。
「待って!」
呼ぶと、足を止めた。
けれど、振り返らない。
「逃げないで」
「……ごめん」
セオドールは低い声で言った。
「何を謝ってるの?」
彼がようやくこちらを向いた。
「アストリアが飲むとは思わなかったんだ」
「いつ気づいたの?」
「飲んだ直後だよ」
思っていたより早かった。
「じゃあ、どうして先生を呼ばなかったの?」
「それは……」
「飲んだ直後から分かってたんでしょう?」
「うん」
「アストリアがセオドールの言うことしか聞かなくなっても、パーティーへ連れていったの?」
「騒ぎにしたくなかった」
「何の騒ぎ?」
セオドールは答えなかった。
「誰に飲ませるつもりだったのか、知られたくなかったから?」
「……君に知られたくなかった」
アストリアを助けるより、わたしに知られないことを選んだ。
「じゃあ、誰が飲む予定だったの?」
答えは、もう分かっていた。
写真の中で、セオドールはわたしを見ていた。
「君だ」
声は震えていなかった。
けれど、顔は青ざめていた。
「僕のことを少しでも好きになってほしかった」
「それで惚れ薬を?」
「フェルディナンド先輩と婚約したことは知っていた」
「うん」
「それでも諦められなかったんだ」
セオドールは握っていた手を開いた。
掌には、小さな包み紙が残っていた。
本の頁を模した模様が印刷されている。
「君に僕を選ばせたかった」
「薬で?」
「決めさせたら、君は僕を選ばないじゃないか」
「うん。選ばないよ」
はっきり答えた。
セオドールの顔が歪んだ。
「だから、薬でもいいと思ったの?」
「君が僕を好きになってくれるなら、始まりが薬でも構わないと思った」
その言葉を聞いた時、ようやく分かった。
「セオドールがほしかったのは、わたしじゃないんだね」
「違う」
「違わないよ」
「僕は君が好きなんだ」
「セオドールを好きなわたしがよかったんでしょう?」
薬を飲んで、何が好きなのかも分からないまま彼だけを見ている女の子。
アストリアがそうなった。
あれをわたしにしたかったのだ。
「わたしが飲んでいたら、それをわたしが選んだ気持ちだと思うつもりだったの?」
セオドールは答えなかった。
「本当に、ごめん」
「誤っているのは、アストリアが間違えて飲んだから?」
「違う」
「わたしに知られたから?」
「……違うよ」
「じゃあ、わたしが飲んで、セオドールを好きになっていたら?」
「君を傷つける気持ちはなかった」
「アストリアは傷ついてもよかったの?」
「そういう意味じゃない」
「でも、セオドールが謝っているのは、失敗したからだよね?」
「そんなつもりじゃ──」
「わたしにはそうにしか見えない」
セオドールの唇が震えた。
「マイン。僕は──」
「もう謝らなくていいよ」
許したという意味ではなかった。
これ以上、聞くことはないという意味だった。
「好きになってほしかったなら、わたしに決めさせてほしかった」
「そうしたら、僕は選ばれない」
「それが、わたしの答えだよ」
廊下の向こうから足音が聞こえた。
スネイプ先生が歩いてくる。
ダフネから事情を聞き、アストリアの解毒へ向かう途中なのだろう。
先生は足を止めた。
最初に先生が見たのは、セオドールだった。
怒っているようにも、何かを言おうとしているようにも見えた。
「わたしと、わたしの友達に二度と近づかないで」
そう言った瞬間、スネイプ先生の目がわたしへ動いた。
顔から血の気が引いていた。
セオドールは俯いたまま、動かなかった。
「ノット」
スネイプ先生の声は低かった。
「先生」
「貴様の言い訳は、解毒の後だ」
スネイプ先生はそれだけ言うと、わたしの横を通り過ぎた。
手の中のベゾアール石が、ぎしりと鳴りそうなほど強く握られていた。
談話室へ戻ると、アストリアはドラコとダフネに両側から押さえられていた。アストリアは必死にセオドールに近づこうとしている。
「離してください!」
「嫌だ」
「セオドールが私を待っています!」
「待っていない!」
「どうしてあなたに分かるんですか!」
「本人が逃げたからだ!」
「きっと照れているだけです!」
「どこまで都合よく解釈するつもりだ!」
ドラコが言い返している間に、スネイプ先生がドラコとアストリアの間へ割って入った。
「口を開けろ」
アストリアが先生を見る。
「嫌です」
「そうか」
スネイプ先生はアストリアの顎を片手で掴んだ。
「ちょ、先生!」
ドラコが声を上げる。
次の瞬間、スネイプ先生はアストリアの口を強引に開かせ、持っていたベゾアール石を突っ込んだ。
「んぐっ!」
アストリアが目を見開く。
先生は容赦なく、その口を手で塞いだ。
アストリアは喉を押さえたまま先生を睨んだ。
しかし、すぐにその表情が変わった。
「……あれ?」
アストリアはセオドールを見て、その後目の前にいるドラコを見た。
もう一度、セオドールへ視線を向けた。
「セオドールは?」
「あそこにいる。行きたいならいけばいい」
ドラコが答える。
「そうですか」
先ほどまでなら、すぐにセオドールの近くへ行っていただろう。
今度は動かなかった。
アストリアは眉間へ手を当てた。
「どうして私は、セオドールのことを好きだと思っていたんでしょう」
「惚れ薬を飲んだからだ」
スネイプ先生が言う。
アストリアはしばらく考え込み、突然顔を上げた。
「私、何をしました?」
「聞きたいか?」
ドラコの口元がわずかに上がった。
「聞きたくありません」
「僕に、ほかの男なんてどうでもいいと言った」
ドラコが拗ねたように言うと、アストリアの顔が青ざめる。
「忘れてください」
「一生使える」
ドラコがにやりと笑ったので、アストリアはほっとしたように笑った。
ドラコはしばらくその話をネタにするつもりのようだ。
「他には?」
「マインを叩いたわ」
ダフネが言うと、アストリアの顔から、笑いが消えた。
アストリアはゆっくりと、わたしを見た。
「本当に?」
「うん」
「……ごめんなさい」
アストリアは立ち上がり、深く頭を下げた。
「薬のせいだったとしても、あなたを傷つけました」
「もう大丈夫だよ」
「大丈夫ではありません。あとで、もう一度きちんと謝らせてください」
薬にかかっていた時とは違う。
アストリアは、自分が何をしたのかを見て、自分で謝っていた。
「ローゼマイン」
スネイプ先生はわたしに声をかけた。
「ノットが死喰い人になっても、お前はあいつを見捨てなかった。なぜ、今回は拒絶した」
「セオドールが死喰い人になった理由が父親のことで苦しんでいたからなら仕方ないと思ったからです。わたしのせい、というのも理解はできました」
「お前のせいにされてもいいと思ったのか」
「はい」
「今回は違うと?」
わたしはセオドールを見た。
「今回はわたしがセオドールを選ばないから、わたしの気持ちを変える方を、自分で選びました」
「一度の過ちで、すべてを切り捨てたのか」
「一度じゃないです」
スネイプ先生の目が、わたしへ戻った。
「アストリアが薬を飲んだと分かっても、先生を呼ばなかった。アストリアを助けるより、わたしに知られない方を選びました」
セオドールは俯いた。
「たとえ好きだと言っても、わたしが嫌だと言うかもしれないから、聞かずに惚れ薬を使う方を選んだ」
選び直す機会は、あった。
一度だけではない。
「セオドールは、間違えただけじゃありません。選ぶたびに、わたしの気持ちより自分が失わずに済む方を選んだんです」
スネイプ先生は何も言わなかった。
先生の口元は、苦い記憶を飲み込むように歪んでいた。