本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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ヴォルデモート視点。


121話 偽りの愛の果てに

 

 ヴォルデモートは、二つ並んだ揺り籠を見下ろしていた。

 マルフォイ邸の居間は、午後の光で白く明るんでいる。厚いカーテンの隙間から差し込む冬の日差しが、絨毯の上に細長い帯を作っていた。

 その光のすぐそばに、揺り籠が二つある。

 

 一つには、デルフィーニ。

 もう一つには、パーヴォ。

 

 自分の娘と孫。

 言葉にすれば、それだけだった。

 

 だが、ヴォルデモートは未だに、この二つの単語を自分に結びつけることに馴染めずにいた。

 ヴォルデモートは今まで家族という概念と無縁だった。

 赤子のデルフィーニは眠っていた。

 小さな手を頬の近くに寄せ、時折、何かを掴もうとするように指を曲げている。

 パーヴォはその隣で、眠っているくせに眉間に皺を寄せていた。

 

 妙に険しい顔をしている。

 誰に似たのか。

 考えてから、ヴォルデモートは思考を打ち切った。

 

「お父様は、本当に赤ちゃんをご覧になるのがお好きですね」

 

 背後から声がした。

 振り返らなくても分かった。

 未来から来た方のデルフィーニだった。

 

「好きではない」

 

「ですが、いつも見ていらっしゃいますよね?」

 

「私にもこういう時期があったのだと思うと不思議なのだ」

 

「お父様がそんなことをいうのは珍しいですね」

 

 少し笑いを含んだ声だった。

 

 ヴォルデモートは返事をしなかった。

 赤子というものは、予測不能だった。

 突然泣く。

 突然吐く。

 突然、人の指を掴む。

 しかも一度掴むとなかなか離さない。

 この世に生まれて間もないくせに、相手が誰なのかをまるで理解していない。

 闇の帝王に対する畏敬というものも、まだ学んでいないらしい。

 

 デルフィーニが揺り籠の横まで来た。

 眠っている赤子の自分を見下ろし、少し困ったように笑う。

 

「何度見ても、不思議です」

 

「何がだ」

 

「自分がそこで寝ていることです」

 

「私に言うな」

 

「パーヴォまでいますし」

 

「私に言うな」

 

 二度目だった。

 

 デルフィーニは肩をすくめた。

 そのまま、しばらく黙って赤子を眺めている。

 

 ヴォルデモートも何も言わなかった。

 

 室内は静かだった。

 

 暖炉で薪が爆ぜる音。

 窓の外を風が通り過ぎる音。

 赤子の寝息。

 

 それだけが耳に残る。

 

 ふいに、デルフィーニが口を開いた。

 

「お父様」

 

「何だ」

 

「お父様は、ご自分のお父様にお会いになったことはありますか?」

 

 ヴォルデモートはゆっくりと顔を上げた。

 デルフィーニが、一瞬で口を閉じた。

 

「……そのように睨まないでください」

 

「誰から聞いた」

 

「何をでしょうか」

 

「私の父についてだ」

 

「誰からも聞いておりません」

 

 デルフィーニは少しだけ目を丸くした。

 

「ただ、ふと思っただけです。私にはお父様がいらっしゃって、パーヴォにもギルデロイがいるのでしたら、お父様にもお父様がいらしたのだろうと」

 

 悪意はない。

 それが余計に厄介だった。

 

 ヴォルデモートは視線を落とした。

 赤子のデルフィーニが寝返りともつかない小さな動きをした。

 その顔を見た瞬間、遠い昔の景色が脳裏に浮かんだ。

 

 忘れたわけではない。

 忘れられるはずもなかった。

 ただ、長いあいだ、思い返す必要がないと切り捨ててきただけだ。

 

 十六歳の夏。

 トム・リドルが、初めて父親に会った日のことを。

 

 

 *

 

 

 ホグワーツ特急の車輪が、一定の間隔で音を刻んでいた。

 夏休みに浮かれる生徒たちの声が、廊下の向こうから途切れ途切れに聞こえてくる。

 大半の生徒にとって、マートル・ワレンの死など夏休みを前にすればとるに足らないものだったに違いない。

 現に、ハグリッドが犯人として既に捕まり、事件は解決したものと思われていた。

 

 彼は一人でコンパートメントに座っていた。

 膝の上には、『純血一族一覧』。

 何度も開いた本だった。

 

 ページをめくる指が、ある箇所で止まる。

 

 ゴーント家。

 古い純血一族。

 サラザール・スリザリンの血を引く家。

 そのページの間には、小さな紙片が挟まれていた。

 

 ゴーント家の住所だ。

 調べるのには時間がかかった。

 だが、時間ならあった。

 

 夏休みの間、孤児院で何の意味もなく過ごすよりは、よほどましだった。

 

 母親について、トムが知っていることは少なかった。

 これだけ父親について何も見つからないのなら、おそらく彼女の方が魔女らしいということだった。

 それ以外はほとんど何も分からない。

 

 父親については、それ以上に何も知らなかった。

 

 ただ、一つだけ。

 

 父親は魔法使いのはずだと思っていた。

 母親が、出産しただけで死ぬほど弱い魔女だったのなら。

 自分の力は父親から受け継いだのだろう。

 そう考える方が、ずっと自然だった。

 そうであってほしいと、どこかで思ってもいた。

 しかし、彼はマグルの可能性が高そうだった。

 

 コンパートメントの扉が開いた。

 

「まだそれを読んでいるのか?」

 

 トムは本を閉じた。

 

「アブラクサス先輩」

 

 入ってきた少年は、淡い金髪を長く伸ばし、一本の三つ編みにして背へ垂らしていた。

 

 高価なローブ。

 整った横顔。

 人を見る時にわずかに見定めるように見る癖。

 貴族のように振る舞う男だった。

 

 アブラクサス・マルフォイは向かいの席へ腰を下ろした。

 

「『深い闇の秘術』はどうだった?」

 

「とても興味深く読ませていただきました。よくあんな本をご存知でしたね」

 

「屋敷にも同じ本があってね」

 

 アブラクサスは笑った。

 トムは窓の外へ視線を流す。

 

「先輩、分霊箱について、一つ分からないことがあります」

 

「何だ?」

 

「魂は、どこまで分割できるのでしょう」

 

 アブラクサスは眉を上げた。

 

「そんなもの、腐ったハーポ本人にしか分からないんじゃないか?」

 

「本人はもう死んでいるでしょう」

 

「だろうな」

 

 アブラクサスは少し考えた。

 

「いや。スラグホーン先生なら知っているかもしれない」

 

 トムが視線を戻す。

 

「先生が?」

 

「あの人は妙なことをよく知っている。聞いてみたらどうだ」

 

 トムは何も答えなかった。

 ただ、その言葉を記憶した。

 

「それと」

 

 アブラクサスが続けた。

 

「頼まれていた件は済ませておいたぞ」

 

「孤児院ですか」

 

「ああ。この夏、お前がいなくても妙な騒ぎにならないようにしてある」

 

 トムはわずかに眉を動かした。

 

「何をしたんです?」

 

「なーに、ちょっとした服従の呪文を父上に頼んだだけだ」

 

 アブラクサスは笑った。

 

「行くところはあるのか? うちへ来ればいい。父上には私から話してやる」

 

「僕には予定がありますから、今回は結構です」

 

 アブラクサスは、トムの閉じた本を見た。

 

「それが、その予定か?」

 

 トムは答えない。

 

「まあいい」

 

 アブラクサスは立ち上がった。

 

「気が変わったら来い。部屋はいくらでも余っている」

「お気遣いなく」

「本当に可愛げがないな、お前は」

 

 呆れた口調だった。

 けれど、怒ってはいなかった。

 むしろ楽しそうですらある。

 

 扉が閉まった。

 

 トムは再び本を開いた。

 

 ゴーント家。

 

 その文字を見つめる。

 自分が何者なのか。

 答えが、そこにあるはずだった。

 

 

 *

 

 

 ゴーント家の屋敷を目にした時、トムは立ち止まった。

 最初に湧いた感情は、驚きではなかった。

 失望だった。

 

 屋敷と呼ぶには、あまりにみすぼらしい。

 

 傾いた屋根。

 ひび割れた壁。

 汚れた窓。

 伸び放題の雑草。

 

 純血一族一覧に名前が載る家とは到底思えなかった。

 トムは無意識に口元を引き結んだ。

 ここが、自分の母親の家。

 あのサラザール・スリザリンの血を引く家だというのか。

 その事実に、少しも誇らしさを感じられなかった。

 

 トムはローブの襟を直した。

 髪も整えた。

 靴についた土を払う。

 こんな場所を訪ねるために身なりを整えることが、急に馬鹿らしく思えた。

 それでも、そのまま扉を叩いた。

 

 しばらくして、玄関が開く。

 痩せた男が立っていた。

 服は汚れ、髪は絡まり、手には杖を握っている。

 

『誰だ』

 

 蛇語だった。

 その瞬間だけ、トムの胸の奥に小さな高揚が走った。

 同じ言葉を話せる。

 自分の血筋。

 だが、それも男の姿を見れば長くは続かなかった。

 

『マールヴォロ・ゴーントは?』

 

『死んだ』

 

 男は鼻を鳴らした。

 

『あなたは?』

 

『俺はモーフィンだ。息子だ。そんなこと分かってるだろうが』

 

 トムは黙って男を見る。

 

 母親の兄。

 自分の伯父。

 その事実を受け入れても、あまりにみすぼらしい男を前に何の感情も湧かなかった。

 モーフィンが目を細める。

 

『お前……』

 

『何でしょう』

 

『似てるな』

 

 トムの眉が寄る。

 

『似てる?』

 

『あのマグルだ』

 

 その一言で、トムの意識が鋭く研ぎ澄まされた。

 

『どのマグルですか』

 

『丘の向こうのでかい屋敷に住んでるリドルだ。トム・リドル』

 

 トムは動かなかった。

 

 まさか自分のトム・リドルという名前が丸々父親から引き継がれたものだったというのか。

 

『妹が惚れてた男だ』

 

 モーフィンは吐き捨てる。

 

『あいつ、妹を捨てて戻ってきやがった』

 

 トムの胸の中で、何かがゆっくりと形を変えた。

 やはり、父親は魔法使いではない。

 しかも、自分の名前と同じ名前を持つ男。

 

 そして、彼はまだ生きている。

 

『屋敷はどこに?』

 

 モーフィンが顎で方向を示した。

 トムは杖を抜く。

 

「ステューピファイ」

 

 赤い光が走った。

 モーフィンが倒れる。

 トムはしゃがみ込み、男の手から指輪を外した。

 

 黒い石。

 何らかの紋章が刻まれている。ゴーント家の紋章だろうか。

 自分の指にはめると驚くほど馴染んだ。

 それから、モーフィンの杖を拾った。

 

「念のためだ」

 

 そう一人呟いた。

 

 未成年の「におい」は厄介なものだが、対策を知っていればそう難しいものではない。アブラクサスは身近に大人がいればいいと言ったが、何かあったときに真っ先に調べられるのは杖だろう。

 

 トムはそのままゴーント家の屋敷をあとにした。

 

 丘を越えた先には、大きな屋敷があった。

 トムは足を止めた。

 思わず目を見開く。

 

 広い庭。

 整えられた芝。

 大きな窓。

 陽の光を受けて明るく見える石造りの壁。

 

 ゴーント家とは、あまりにも違った。

 トムはしばらく、茫然と屋敷を見上げていた。

 

 母親が生まれた家は、崩れかけていた。

 父親は、ここで暮らしている。

 

 豊かに、何不自由なくいた。

 自分が孤児院にいた間も。

 その事実が、喉の奥に何か硬いものを押し込んだような感覚を残した。

 

 トムは門を通る。

 玄関まで来たところで、足が止まった。

 自分でも理由は分からなかった。

 

 手の中の杖を握り直す。

 心臓が、妙に強く打っている。

 

 自分が孤児院にいたというだけで、父親が自分を捨てたことを分かっていてもまだ期待している。

 

 そのことに気づいた瞬間、トムは自分自身に苛立った。

 

 何を期待する。

 ただ血が繋がった父親というだけの男に。

 

 それでも。

 扉の向こうにいる男が、何かを説明してくれるのではないかと思った。

 

 なぜ自分は孤児院にいたのか。

 なぜ迎えに来なかったのか。

 なぜ、自分の存在を知らなかったのか。

 

 あるいは、知っていたのか。

 

 トムは一度、ゆっくりと息を吸った。

 そして扉を叩いた。

 

 しばらくして、老女が出てきた。

 

「どちらさ──」

 

 言葉が止まった。

 老女の目が大きく開く。

 トムの顔を見つめる。

 

「……トム?」

 

 その一言に、胸の奥が小さく揺れた。

 

「トム・リドルに会いに来ました」

 

「あなた……」

 

「いますか」

 

 老女はしばらく黙っていた。

 それから、戸惑ったまま扉を開いた。

 

「入りなさい」

 

 屋敷の中は静かだった。

 床は磨かれていて綺麗になっていた。

 部屋には大きな絵が飾られている。

 暖炉には薪がたくさん焚べてありあたたかそうだった。

 座ったらよく沈みそうな柔らかな椅子には大型犬が寝ていた。

 

 どれも孤児院にはないものだった。

 

 トムは歩きながら、その全てを見た。

 

 ここに父親はいた。

 ここで生きていた。

 自分とはまるで違う人生を送っているようだった。

 

 案内された居間には、二人の男がいた。

 一人は老人。

 もう一人を見た瞬間、トムの足が止まった。

 彼は自分に似ていた。

 息を呑むほどに。

 

 少し年をとっている。

 

 着ている服も違う。

 それでも、自分の顔を何年か先へ進めたような男だった。

 

 男も、トムを見て立ち上がった。

 その顔に、困惑が浮かぶ。

 

「誰だ、お前」

 

「申し遅れました。僕はトム・リドルと申します」

 

 男の眉間に皺が寄った。

 

「ふざけるな」

 

「あなたの息子です」

 

 ほんの一瞬だった。

 

 男の顔が変わった。

 

 驚きと、理解と、そして、嫌悪が頬に走った。

 

 トムは見逃さなかった。

 

「お前、まさかあの女の……?」

 

 胸の奥が冷えた。

 

「ゴーント家の娘を知っていますね」

 

 老女が息を呑む。

 

「まさか」

 

 トムを見る。

 それから、自分の息子を見る。

 

「あなた、あの女に子供まで産ませていたの?」

 

「違う!」

 

 リドル・シニアが声を荒らげた。

 

「あの時は頭がおかしくなっていたんだ!」

 

 トムの表情がわずかに変わる。

 

「頭が?」

 

「そうだ。あの女を愛していると思っていた。どうかしていたんだ」

 

「愛していたのでは?」

 

「違う」

 

 即答だった。

 迷いすらない。

 

 その言葉が、トムの内側を薄く削った。

 

「では、なぜ一緒にいたんです」

 

「知らない!」

 

 リドル・シニアは苛立ったように髪をかき上げる。

 

「あの女がいないと生きていけないと思っていた。朝から晩まであの女のことしか考えられなかった。何を言われても嬉しかった。全部、おかしかったんだ」

 

 トムは開心術で彼の記憶を探る。彼は一時期盲目的に女を愛していたようだった。

 少なくとも、そう思っていた。

 

「まるで」

 

 言葉が口から落ちた。

 

「魔法みたいに?」

 

 リドル・シニアは強く頷いた。

 

「そうだ」

 

 その瞬間。

 トムの中で、いくつもの断片が繋がった。

 魔法を知らない父親には分からない。

 

 だが、トムには分かった。

 

 母親が何をしたのか。

 なぜ父親が去ったのか。

 なぜ一緒にいなかったのか。

 なぜ父親が母親から離れたのか。

 

 自分たちを捨てたのではなかった。

 

 少なくとも、トムがずっと思い描いていたような男ではなかった。

 

 母親が、父親の心を奪った。愛の妙薬を使えば簡単だ。

 愚かにも、母親は本物の愛を求めようとした。

 父親は逃げた。

 

 それだけだった。

 

 だからこそ、胸の奥が奇妙に空っぽになった。

 

「正気に戻った時には、あの女と結婚していた」

 

 リドル・シニアが吐き捨てる。

 

「その上、妊娠していると言われた」

 

 トムの指が、モーフィンの杖を握る。

 

「……それで?」

 

「おろせと言ったに決まっているだろう? 誰があんな女なんかの子どもを欲しがる」

 

 空気が、ひどく遠くなった。

 トムは父親を見る。

 父親も、自分を見ている。

 

 同じ黒髪。

 同じ輪郭。

 同じ目。

 

 血が繋がっているのが疑いようもないほどに似ている。

 けれど、父親の目には何もなかった。

 

 喜びも、驚きも、わずかな情すら。

 

 あるのは、ただ、自分の人生に入り込んできた、忌まわしい過去を見る目だった。

 

「ああ、トム。かわいそうに。あの女のせいですっかり女性を信用できなくなって、跡継ぎも望めないし、我が家は本当にめちゃくちゃだわ」

 

 老女が忌々しそうに言った。彼女の認識が周囲の認識なのだろうと理解できた。

 

「あの女……」

 

 リドル・シニアの唇が歪んだ。

 

「産まなければ良かったものを……本当に産んだのか」

 

 その言葉だけが、妙にはっきり聞こえた。

 

 会ってみたかった。

 知りたかった。

 

 自分が何者なのか。

 なぜ孤児だったのか。

 父親はなぜ来なかったのか。

 

 その答えが欲しかった。

 

 答えは得た。

 

 父親は、悪くなかった。

 少なくとも、母親を愛さなかったことについては。

 逃げたことについては。

 

 頭では理解できるのに、何かが、胸の奥で切れた。

 

 その感情は熱くもなかった。

 激しくもなかった。

 むしろ、恐ろしいほど冷たく、トムは明確に殺意を持って杖を上げた。

 

「アバダ・ケダブラ」

 

 リドル・シニアの身体が崩れる。

 老女が悲鳴を上げる。

 

「トム!」

 

 老人が椅子を蹴って立ち上がった。

 

「お前、何をした!」

 

 トムは振り向いた。

 

「アバダ・ケダブラ」

 

 二度目の光で、老人が倒れる。

 

 老女が後ずさる。

 

「お願い、お金が欲しいのならいくらでも──」

 

「アバダ・ケダブラ」

 

 三度目で、屋敷は静かになった。

 

 トムは杖を下ろした。

 息が少し乱れていた。

 父親を見る。

 

 床に倒れた男は目を見開いたまま死んでいて、自分によく似ていた。

 生きている時よりも、その事実だけが鮮明に見えた。

 

 トムはしばらく動かなかった。

 怒りは、もうなかった。

 満足もなかった。

 

 ただ、胸の内側にぽっかりと穴が空いたような感覚だけが残っていた。

 

 

 

 *

 

 

「お父様?」

 

 ヴォルデモートは目を開けた。

 マルフォイ邸の居間だった。

 

 デルフィーニが、心配そうにこちらを見ている。

 

「聞いていらっしゃいますか?」

 

「聞いている」

 

「では、ご自分のお父様にはお会いになったことがあるのですね?」

 

 ヴォルデモートは揺り籠へ目を戻した。

 赤子のデルフィーニは、変わらず眠っている。

 何も知らない顔で。

 

「ある」

 

 デルフィーニの瞳が少し大きくなる。

 

「どのような方でしたか?」

 

「私に似ていた」

 

「そうなのですか」

 

 どこか嬉しそうに聞こえた。

 その反応が、妙に苛立たしかった。

 

「でも、あの男はただそれだけだ」

 

「お写真などは残っていないのですか?」

 

「ない」

 

「お名前は?」

 

 ヴォルデモートは答えなかった。

 

「お父様?」

 

「トム・リドル。私と同じ名前だ」

 

 デルフィーニが瞬きをする。

 

「きっとおばあ様はおじい様を愛していたのですね」

 

 惚れ薬で支配する感情を愛だと? 

 

 ヴォルデモートは鼻で笑った。

 

 赤子のデルフィーニが、小さく身じろぎした。

 そして、ゆっくりと目を開ける。

 ぼんやりとした瞳が、ヴォルデモートを捉えた。

 次の瞬間、彼女は笑った。

 

「お父様」

 

「何だ」

 

 デルフィーニの声が、少しだけ静かになった。

 

「わたしは、生まれてきてよかったのでしょうか」

 

 ヴォルデモートは、ゆっくりと娘を見た。

 

 誰がそんなことを考えさせた。

 

 最初に浮かんだのは、その問いだった。

 だが、口には出なかった。

 

『産まなければ良かったものを……本当に産んだのか』

 

 遠い昔の声が、胸の奥を引っ掻いた。

 

 あの時、男の顔に浮かんでいた嫌悪。

 自分の存在そのものを、過去の汚点のように見た目。

 あれだけは、何十年経った今でも忘れなかった。

 

 ヴォルデモートは眉を寄せる。

 

「愚問だ」

 

 デルフィーニが少し困った顔をする。

 

「どちらでしょうか」

 

「必要がなければ、ここには置いていない」

 

 デルフィーニは数秒、黙った。

 それから、ゆっくりと笑った。

 

 ヴォルデモートはそれ以上何も言わなかった。

 

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