本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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122話 トム・マールヴォロ・リドル

 

 クリスマス休暇の終わり頃、トムは『トム・リドルの日記』の初稿を書き上げた。

 トムは書ける範囲で、自分がヴォルデモートになるまでのほとんど全部を書いた。

 問題は、トムがヴォルデモートの人生すべてを知っているわけではないことだった。

 

「僕はあくまで、十六歳の時点で日記に残された記憶だからね」

 

 休暇明けの図書室で、トムはそう言った。

 

「ところで、OWL試験対策もあるのに大丈夫?」

 

 トムは積み重なった本の山を見た。

 わたしの前には、変身術の参考書と魔法史のノートと魔法薬学の教科書が積まれていた。

 今年はOWL試験がある。わたしは12科目選んだ。

 もちろん、勉強しなければならない。

 その一方で、ドラコとフェリックス・フェリシスを作り、たまにスラグホーン先生に進捗を報告する必要があった。

 さらに『トム・リドルの日記』の出版準備もある。フェルディナンドには他の編集者に任せるように言われたが、わたしはそんなことをしたくなかった。

 

 タイムターナーを駆使して時間を増やしてどうにかすることにしていた。

 

「ヴォルデモートの記憶はどこまで知っているの?」

 

「全部は知らない」

 

 トムが原稿から顔を上げて言った。

 

「全部共有しているわけじゃない。ただ……強い感情を伴う記憶は、勝手に流れ込んできたことが何度かある」

 

「強い感情?」

 

「人を殺した時とか」

 

 さらりと言わないでほしい。

 向かいで薬草学のノートをまとめていたハリーが顔を上げた。ぎょっとした顔をしている。

 

「それ、もっと早く言うべき情報じゃないか? ヴォルデモートが誰を殺したのかすぐ分かったのに」

 

「聞かれなかったからね」

 

「トム、そういうところだぞ」

 

「何が?」

 

 ハリーが顔をしかめた。

 わたしも同感だった。

 

 とはいえ、そのおかげでトム本人の記憶とヴォルデモート側の記憶を合わせることができた。

 

 ダンブルドア先生も、昔からヴォルデモートについて調べていた。

 それも、わたしが想像していたよりずっと昔から。

 ホグワーツへ入学する前のトムを知る孤児院の職員。

 トムの母親を知る人。

 ゴーント家について知る人。

 ホグワーツ時代のトムを覚えている人。

 

 先生は長い年月をかけて、彼らの記憶を集めていた。

 

 校長室の憂いの篩には、トム・リドルという人間を取り囲む断片がいくつも残されている。

 

「これを使えば、本の不足部分をかなり補えるじゃないか」

 

 ハリーは言った。

 わたしは首を振った。

 

「それだけじゃ駄目だよ」

 

「どうして?」

 

「だって、それ全部過去の記憶でしょ?」

 

 わたしは羽根ペンを置いた。

 

「本に載せるなら、生きている人の話を聞きたい」

 

 記憶は便利だ。

 嘘をつきにくい。

 当時の光景まで見ることができる。録画した映像のようなものだ。

 

 でも、本は記録だけではない。

 

 今、その人が過去をどう思っているのか。

 何を悔やんでいるのか。

 何を覚えているのか。

 

 そこまで書いて初めて、人の話になる。

 

 ダンブルドア先生はしばらくわたしを見て、それから笑った。

 

「なるほど。では、一人、君たちが直接話を聞くべき人物がおる」

 

「誰か聞かなくても誰か分かるな」

 

 ハリーは同意を求めるようにわたしを見た。

 

 スラグホーン先生のことに違いなかった。

 

 

 *

 

 

「ノーだ」

 

 スラグホーン先生は扉を開けるなり言った。

 

「まだ何も言ってませんよ」

「分かっておる」

 

 スラグホーン先生は椅子の背へ身体を預けた。

 テーブルには台湾の留学生からもらったらしいパイナップルケーキが置かれている。

 相変わらずいいものを食べている。

 

「君が来る理由など一つしかないではないか」

 

「OWL試験の勉強を教えていただきに来たんです」

 

「信じないぞ」

 

「失礼ですね」

 

「君は質問する前に本を三冊読んでくるタイプだろう。今日は何も持ってない」

 

 その通りだった。

 仕方がないので本題に入る。

 

「新しくジェドゥソール先生が書く『トム・リドルの日記』に、先生の証言を載せたいんです」

 

「やっぱり彼はそうだったのか。断る」

 

 返事は早かった。

 

「まだ掲載内容も説明してません」

「聞かん」

 

「先生がホグワーツ時代のトムをどう見ていたかだけでも」

「知らん知らん。私はもう何も覚えておらんよ」

 

「先生、トムをお気に入りの生徒としてスラグ・クラブに入れていましたよね」

「昔の話だ!」

 

 絶対に覚えている気がする。

 その日は追い返された。

 

 翌日、わたしはハリーを連れていった。ロンによると、ハリーは特にスラグホーン先生のお気に入りの生徒らしい。

 

「先生」

「断るぞ、ハリー」

「まだ何も──」

 

「昨日と同じだ!」

 

 ハリーでも駄目だった。

 

 三日後、また行った。

 四日後も行った。

 五日後には、スラグホーン先生が部屋の扉を開けた瞬間に閉めようとしたので、わたしは靴を挟んだ。

 

「痛いです! 暴行で訴えます!」

 

「それは君が挟んだからだろう!」

 

「先生がすぐに閉めるからです」

 

「帰りたまえ!」

 

「証言をいただければ帰ります」

「脅迫ではないか!」

 

「いいえ、これは交渉です。羽ペン通信に何を書かれてもいいんですか? わたしはパドマととっても仲が良いんです」

 

 わたしが微笑むと、スラグホーン先生は大きなため息をついた。  

 

「これだからスリザリン生は……」

 

 六回目の訪問で、スラグホーン先生はとうとうわたしを部屋へ入れた。

 ただし証言するとは言っていない。

 

「君は本当にしつこいな」

 

「出版社なので」

 

「出版社は普通、教授の部屋へ毎日押しかけたりせん」

「押しかけるものだと思いますよ? 取材ですから」

 

「それを世間では押しかけ取材と言うんだ」

 

 わたしは椅子へ座った。

 

「先生」

「何だね」

 

「黙れば、闇の帝王の言葉だけが残りますよ」

 

 スラグホーン先生の顔から、わずかに笑みが消えた。

 

「トムは自分のことを書きます。自分が何を考えていたのか。誰を憎んでいたのか。何を望んだのか。全部」

 

「……そうか」

 

「でも、トムが自分をどう見ていたかだけでは、トム・リドルという人間の全部にはならないと思います」

 

 スラグホーン先生は答えなかった。

 

「先生が覚えているトムもいたはずです」

 

「それは……」

 

「先生が話さなければ、そのトムは本の中に残りません」

 

 しばらく待った。

 それでも、先生は首を横に振った。

 

「すまん」

 

 小さな声だった。

 

「私は、話したくない」

 

 その日は、それ以上何も言えなかった。

 

 

 *

 

 

「僕が行こうか」

 

 トムが言ったのは、その日の夜だった。

 談話室の隅で、わたしはフェリックス・フェリシスの調合記録を見直していた。

 隣ではドラコが温度変化の表を書いている。

 

「どこに?」

 

「スラグホーン先生のところ」

 

 わたしは顔を上げた。

 

「大丈夫?」

 

「君が六回行って駄目だったんだろう?」

 

「六回じゃないよ。七回」

 

「増えてるじゃないか」

 

 ドラコが呆れたように言った。

 トムは少しだけ笑った。

 

「なら、なおさら僕が行った方がいい」

 

 翌日の夕方。

 わたしたち三人は、スラグホーン先生の部屋にいた。

 わたしとハリーは少し離れた場所に座っていた。

 トムが正面にいる。

 

 スラグホーン先生は、最初から一度も椅子に腰を下ろしていなかった。

 

「……トム」

 

「お久しぶりです、先生」

 

 トムは昔と変わらない礼儀正しい笑みを浮かべた。

 だからこそ、スラグホーン先生の顔が引きつった。

 きっとこの笑顔を、何度も見たことがあるのだ。

 

「本当に……君なのかね」

 

「正確には、十六歳の僕の記憶です。分霊箱の一つでもありますが」

 

 スラグホーン先生が口元を押さえた。

 

「そんなものまで作っていたのか、君は」

「若かったので」

「十六歳は普通、自分の魂を日記へ入れたりせん!」

 

「それについては反省しています」

 

 先生はしばらくトムを見つめていた。

 昔の教え子と、現在の姿を重ねているようだった。

 やがて、トムが言った。

 

「分霊箱について詳しく教えてくださったのは、先生でしたよね」

 

 スラグホーン先生の肩が跳ねた。

 

「何の話だ」

「覚えているでしょう」

「知らん」

 

「先生」

「知らんと言っている!」

 

 声が裏返った。

 トムは目を伏せた。

 

「七つに分けたらどうなるかと、僕は聞きました」

 

 スラグホーン先生の顔から血の気が引いた。

 

「やめろ」

 

「僕は既に人を殺していました」

 

「やめてくれ」

 

 トムは話をやめなかった。

 

「その時点で魂を割っていた」

「トム」

「その魂が入れられたのが、僕です」

 

 スラグホーン先生が動かなくなった。

 トムは自分の胸へ手を当てた。

 

「先生のせいではないんです。僕は先生に聞いた時点で分霊箱を作っていましたから」

 

 しばらく誰も話さなかった。

 暖炉の火が小さく鳴った。

 スラグホーン先生はゆっくりと椅子へ座った。

 

 急に、ずっと年を取った人のように見えた。

 

「私は……」

 

 声が震えていた。

 

「私は、君が知りたいと言ったから答えただけだった」

 

「分かっています」

 

「君は優秀な生徒だった」

 

 スラグホーン先生はトムを見た。

 

「本当に優秀だった」

 

 トムは何も言わなかった。

 

「どんな大人になるのだろうと思っていたよ」

 

 先生の顔に、ほんの一瞬だけ昔を懐かしむような笑みが浮かんだ。

 

「魔法省へ行くのか。学者になるのか。あるいはホグワーツへ戻ってくるのか。君ほどの才能なら、何だってできると思っていた」

 

「……はい」

 

「少々闇の魔術に興味を持ちすぎているとは思っていた。それでも、若い頃にはそういうものへ惹かれることもある。いずれ分別を身につけるだろうと」

 

 そこで、笑みが消えた。

 

「世界を良くする人間になると思っていた」

 

 トムが顔を上げた。

 先生は目を逸らさなかった。

 

「まさか、人を何度も殺すとは思わなかった」

 

 トムの指が膝の上でゆっくり組まれた。

 

「魂を二度も三度も……何度も引き裂くようなことをするとは、思わなかった」

「先生のせいではありません」

「だが、私は教えた」

 

「僕が聞いたんです」

 

「答えるべきではなかった!」

 

 スラグホーン先生の声が部屋に響いた。

 

「分霊箱についてなど、知らぬふりをすればよかった! 君がどれほど優秀でも、あの質問だけは止めるべきだった!」

 

 トムはしばらく先生を見ていた。

 

「それでも」

 

 静かな声だった。

 

「先生が僕に殺せと命じたわけではありません」

 

 スラグホーン先生が唇を噛んだ。

 

「僕が選びました」

 

「トム……」

 

「僕が人を殺して、僕が魂を割った」

 

 一度、言葉を切る。

 

「人々が恐れるヴォルデモートになったのも、僕です」

 

 先生の顔が歪んだ。

 トムはほんの少しだけ視線を下げた。

 

「でも、先生が僕に期待してくださっていたことは覚えています」

 

 スラグホーン先生が瞬きをした。

 

「僕は、それを裏切りました。すみませんでした」

 

 わたしは、トムが謝るところを何度か見たことがある。

 でも、その謝罪はいつもどこか不器用だった。

 何をどう言えば正解なのか分からないまま、覚えた言葉を選んでいるようなところがあった。

 

 今回は違った。

 トムは俯かなかった。

 言い訳もしなかった。

 ただ、昔、自分の未来を楽しみにしてくれていた教師を見ていた。

 

 スラグホーン先生は何も言わなかった。

 やがて目元を押さえる。

 

「……ずるいぞ、君は」

 

「何がです?」

 

「昔から、そうやって一番断りにくいところを突いてくる」

 

「そのやり方は先生に教わった気がします」

 

「教えとらん!」

 

 少しだけ、昔のスラグホーン先生とトムの関係に戻った。

 その日のうちに、証言掲載の許可が出た。

 

 そして、『トム・リドルの日記』は発売された。

 

 表紙は真っ黒だった。

 余計な絵はない。

 中央に、緑色の文字で題名だけが浮かんでいる。

 

『トム・リドルの日記』

 

 その下に、小さく、

 

 TOM MARVOLO RIDDLE

 

 と記されていた。

 

 ただし、普通の文字ではない。

 本へ触れると、アルファベットが一文字ずつ表紙から浮き上がる。

 文字がばらばらになり、黒い表紙の上を滑っていく。

 

 そして、新しい順番に並ぶ。

 

 I AM LORD VOLDEMORT.

 

 ──僕は、ヴォルデモート卿だ。

 

 並び替わった瞬間、文字は緑から赤へ変わった。

 

 これはわたしの案ではない。

 装丁担当が張り切った。

 発売前に見本を渡されたトムは、しばらく無言で表紙を見つめていた。

 

「どう?」

 

「僕の人生が玩具になっている気がする」

 

「でも分かりやすいよ」

 

「否定はしない」

 

 結果として、小説は想像以上にウケた。

 本屋の前では、買ったばかりの本を開くでもなく、表紙を何度も変化させて遊んでいる人が続出した。

 

「トム・マールヴォロ・リドル」

 

「僕はヴォルデモート卿だ」

 

「戻った!」

 

「もう一回やって!」

 

 本を読んでほしい。

 発売初日から、わたしは出版社として若干の不安を覚えた。

 

 しかし売れている。

 だったら、問題ないのかもしれない。

 

 その日の羽ペン通信ホグワーツ版には、スラグホーン先生のコラムが掲載された。

 

 題名は『忘れられない教え子たち──トム・リドル』だった。

 

 そこには、闇の帝王の話はほとんど書かれていなかった。

 代わりに、ホグワーツにいた一人の少年について書かれていた。

 

 成績がよかったこと。

 礼儀正しかったこと。

 教師への受け答えが上手かったこと。

 大人の扱いにも妙に慣れていたこと。

 欲しいものがある時だけ、いつもより少し愛想がよくなったこと。

 才能があったこと。

 将来を期待されていたこと。

 

 そして最後に、スラグホーン先生はこう書いていた。

 

『トム・リドルが何になったのかを、私は知っている。それでも、彼が最初から闇の帝王だったとは思わない。

 私が教えたのは、トム・リドルという一人の生徒だった。

 その生徒の未来を、私は楽しみにしていた』

 

 わたしはその文章を、二度読んだ。

 隣ではトムが新聞を読んでいる。

 

「どう?」

 

 聞くと、トムはすぐには答えなかった。

 記事の最後まで目を通してから、丁寧に新聞を畳む。

 

「困るね」

 

「何が?」

 

「スラグホーン先生はヴォルデモートになった僕を嫌っていると思っていた」

 

 わたしはトムを見た。

 彼は笑っていた。

 

「トム」

 

「何?」

 

「本、出してよかった?」

 

 トムは少し考えた。

 

「まだ分からない」

 

 トムはそう言った。

 それから、机の上に置かれた黒い本へ手を伸ばす。

 

「でも」

 

 トムの指が、自分の名前をなぞった。

 

「この名前で本を出す日が来るとは思っていなかったよ」

 

 アルファベットが浮き上がる。

 

 TOM MARVOLO RIDDLE.

 

 文字が散り、組み変わる。

 

 I AM LORD VOLDEMORT.

 

 赤い文字が一瞬だけ輝いた。

 そして、もう一度触れると、元へ戻った。

 

 TOM MARVOLO RIDDLE.

 

 トムはしばらく、その名前を見ていた。

 今度は、消さなかった。

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