半純血のプリンスの正体が分かった。
ハーマイオニーがそう言って、わたしのところへやってきたのは、ある日の放課後だった。
わたしは図書室でOWL試験の魔法史対策をしていた。
机の右側には魔法史の参考書、左側にはプロングズ出版から届いた『トム・リドルの日記』の売上報告書、その下にはドラコと作っているフェリックス・フェリシスの調合記録がある。
全部今日中にやりたかった。
結果、全部開いているだけになっていた。
「プリンスって、男じゃないかもしれないわ」
ハーマイオニーは椅子へ座るなり、古びた新聞記事を机に広げた。
ハリーが顔を上げる。
「どういうこと?」
「エイリーン・プリンス」
ハーマイオニーが記事の一か所を指した。
「昔の『日刊予言者新聞』よ。ホグワーツのゴブストーン大会で優勝した女子生徒。プリンスという名字を持っているわ」
「そんなわけあるかよ」
少し離れた席にいたロンが言った。ロンは試験勉強をしながら、ファンレターの返事を書いていた。
「アーニーも前に似たような推理してただろ。アーニーの推理が当たるわけないって」
ひどい信頼だった。
ハーマイオニーはロンを一瞬だけ見た。
何も答えず、ハリーへ視線を戻す。
「少なくとも、半純血のプリンスが男だと決めつける根拠はなくなったでしょう?」
「でも僕は男だと思う」
ハリーは妙に頑なだった。
「どうして?」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「もしかしたら父さんかもしれないし」
わたしはハリーを見た。
まだ諦めていなかった。
「ジェームズ・ポッターって、プリンスって柄じゃないよね?」
「分かってるよ」
「じゃあ違うんじゃない?」
「何か理由があるかもしれないだろ」
ものすごくお父さんであってほしいらしい。
気持ちは分からなくもないので、それ以上は言わなかった。
ロンがまた何か言った。
ハーマイオニーは新聞を畳んだ。
聞こえていないはずはない。
「ねえ」
わたしはハリーに小声で聞いた。
「まだ仲直りしてないの?」
「僕に聞かないでくれ」
ハリーがげんなりした。
「最近ずっとあんな感じなんだ。間に挟まれる僕の気持ちにもなってほしい」
「でも前に、二人が付き合わなければ挟まれなくて済むって言ってたよね?」
「言った」
「付き合ってないよ」
「そうなんだよ」
ハリーが眼鏡の奥で目を閉じた。
「付き合ってないのに挟まれてるんだよ!」
「大変だね」
「他人事だと思って」
実際他人事だった。ロンとハーマイオニーと話すときにお互いがいないときに話すことになるだけだ。
ロンにロメルダがいることをハーマイオニーがどう思っているのかは知らない。
本なら地の文に心情が書いてあるので分かりやすいのに、現実の人間は肝心なところを書いてくれない。
恋愛とは難しい。
その時、図書室の入り口をジニーが通った。
ハリーの視線が動いた。
ジニーが友達と話しながら奥へ歩く。
ハリーの視線も奥へ行った。
「ハリー」
「何?」
「奥がそんなに気になる?」
「いや。それより、こっちだよ。結局プリンスは誰なんだ?」
ハリーは誤魔化すように話を変えた。
わたしはハリーの前に置かれた『上級魔法薬学』へ手を伸ばした。
「そういえば、わたしこれちゃんと読んだことない」
「今さら?」
「来年使うかもしれないし、見てもいい?」
「いいけど」
ハリーが本を滑らせてくれた。
随分使い込まれている。
開いてみると、印刷された本文の横に小さな字がびっしり並んでいた。
材料の刻み方。
火加減。
混ぜる方向。
分量の変更。
本文を横線で消して、『遅すぎる。ここで三分も煮込めば薬効が飛ぶ』と書いてある。
次のページには、『時計回りに七回も混ぜる必要はない。三回で十分だ。七回必要になるのは材料をまともに刻めなかった場合だけだ』
さらに、「細かく刻む」という指示の横には『二ミリ』となぐり書きで書いてある。
「……この人、教科書に怒ってるね」
「ずっとこんな感じだよ」
ハリーが言った。
「でも調合するといつも正しいんだ」
「面白いね」
何ページかめくる。ふと、手が止まった。
「……あれ?」
「何?」
「この字」
ものすごく見覚えがある。
授業の添削。
薬の処方。
以前寝込んだ時に渡された、妙に圧の強い服薬指示。
わたしは本を見つめた。
気のせいではない。
「お兄さま」
近くの棚にいたドラコを呼んだ。
「何だ?」
「ちょっと来て」
「今、本を探しているんだが」
「すぐ終わるよ」
ドラコは嫌そうな顔をしながら来た。
わたしは本を見せる。
「この字、誰の字に見える?」
ドラコは一行読んだ。
「スネイプ先生か?」
早かった。
ハリーの顔が固まった。
「ええ……」
本当に嫌そうだった。
ハーマイオニーが本を奪うように引き寄せた。
「ちょっと待って、じゃあ半純血のプリンスは私の調べたゴブストーン大会で優勝したエイリーン・プリンスじゃないってこと?」
「ゴブストーン大会で優勝だって? スネイプ先生のお母上じゃないのか? 父上がゴブストーンが得意な人だったと話していた覚えがある」
「もっと早く言ってよ!」
「いや、スネイプ先生と半純血が結びつかなかったんだ。てっきり純血だと……」
スリザリン生は自分の出自を盛る傾向にある。マグル生まれはひた隠しにし、半純血は純血を名乗り、純血はより高貴な家の血を主張する。それはスネイプ先生も例外ではなかった。
ではなぜ、ここではあえて半純血と書いたのか。
スネイプ先生は自分が半純血であることを誰かに言いたかったのかもしれない。
わたしは本を閉じた。
「聞いてくる。ちょっとこの本借りるね!」
「今?」
「今」
「マイン!」
ハリーの声を背中で聞きながら、図書室を出た。
スネイプ先生は、わたしが『上級魔法薬学』を抱えて研究室へ現れた瞬間、ものすごく嫌そうな顔をした。
「何だ」
「先生、学生の頃、この本にいっぱい書き込みしました?」
スネイプ先生は何も返さない。
「学校に置いていきました?」
「そうだったら何なのだ」
当たりだった。
机へ本を置く。
「この本、ハリーが使ってます」
スネイプ先生の顔がさらに険しくなった。
「ポッターが?」
「はい」
目を閉じた。
何かに耐えている。
「返せ」
「ハリーのです」
「私のだ」
「何十年も学校に放置しておいて、今さら所有権を主張するのはかなり難しいと思います」
「何をしに来た」
「先生が半純血のプリンスなんですよね?」
返事はなかった。
「エイリーン・プリンスって先生のお母さまですか?」
鋭い目がこちらを向く。
「グレンジャーか」
「よく分かりましたね」
「余計なことを調べるのは彼女くらいだ」
ハーマイオニーへの理解が深い。
わたしはもう一度、教科書を開いた。
「先生、これ、出版しませんか?」
「帰れ」
「まだ説明してません」
「聞く必要がない」
「でも、こっちの方が元の教科書よりよっぽどいいですよね?」
書き込みを指す。
「当然だ」
「じゃあ出版しましょう」
「なぜそうなる」
「だって、この『上級魔法薬学』、かなり古い版を改訂せずにずっとそのまま使っていますよね? スネイプ先生の書き込みがかなり役に立ってハリーが急に魔法薬学で優等生になったということは、逆に言えば教科書が役に立たないということですよね」
「その通りだ。この教科書はほとんど手が入っていない」
「なんでですか?」
先生は露骨に嫌そうな顔をした。
「魔法薬の基礎理論そのものが大きく変わっていないからだ。出版社も学校も、わざわざ書き直す必要がないと判断してきた」
「でも先生は書き直してるじゃないですか。しかもこっちの方が分かりやすい」
「当然だ。理論は間違っていないが、調合の説明が雑すぎる。ところどころ間違っているところも多い」
「出版しましょう、魔法薬学の生徒がないて喜びますよ」
「出版しないという選択肢はまるでないようだな」
スネイプ先生が眉間を押さえた。
「先生の名前を出したくないなら、半純血のプリンスで出せばいいです」
手が止まった。
「……何?」
「著者名です。半純血のプリンス」
「ふざけるな」
「匿名の作家でもいいじゃないですか。先生、自分で名乗ってたんですよね?」
「十代の頃の話だ!」
「先生が十代の頃に自分に付けた名前をバラされるのと、出版するのだったらどちらがいいですか?」
「ローゼマイン!」
かなり嫌がっている。
でも、本の出版そのものはまだ明確に断っていない。
これはいける。
「原著者の許可は取らないといけないけど、それはスラグホーン先生にも相談します」
「なぜスラグホーン先生まで巻き込む」
「知り合い多そうだから。先生は、注釈を整理してください」
「まだ引き受けていない」
「いつまでにできます?」
「帰れ!」
わたしは追い返された。
翌週、本当にスラグホーン先生が原著者を知っていたことで、事態は大きく動いた。
「昔、一度食事をしたことがあってね!」
『上級魔法薬学』の著者はとうに教職も研究の第一線も退いていたが、まだ存命だった。
スラグホーン先生から話を通してもらい、プロングズ出版から正式に手紙を送った。
返事は意外なほどあっさりしていた。
『現在の魔法薬学に合わせた有用な注釈であるなら歓迎する』
許可が出た。
あとは半純血のプリンスを説得するだけだった。
度重なる突撃訪問をした結果、最終的に、スネイプ先生は折れた。
ただし条件があった。
正体を明かさないこと。
そこで、編集作業で読むことになる魔法書研究会のメンバーだけに事情を話し、他では話さないことにした。
「僕の推理、当たってたじゃないか!」
一番喜んだのはアーニーだった。
ロンがものすごく嫌そうな顔をした。
「なんで当たるんだよ」
「なんでって何だよ! 推理したからだよ!」
パドマはすぐに羽根ペンを取り出した。
「半純血のプリンスについてコラムにしてもいい?」
「駄目」
「じゃあ、半純血のプリンスの正体は謎のまま?」
「うん。正体を隠すのが出版の条件だから」
パドマは数秒考えた。
「その方が本は売れそうね」
納得が早い。
ハリーだけは、かなり残念そうだった。
「これがみんな買えるようになるの?」
「そうだよ」
「僕だけが知ってた調合法も?」
「本になるからね」
ハリーが自分の教科書を抱えた。
「なんか損した気分だ」
ハーマイオニーが呆れた。
「今まで独占していた方がおかしいでしょう」
「でも、僕だけの秘密だったんだ」
「著者本人の秘密でしょう」
「それはそうだけど」
かなり未練があるらしい。
本の題名は『毒舌魔法薬学』になった。
スネイプ先生には最後まで嫌がられた。
「『上級魔法薬学・注釈改訂版』でいいだろう」
「それじゃあ売れなさそうです」
「教科書だぞ」
「教科書も売れた方がいいですよ」
「せめて『毒舌』を外せ」
「でも先生の注釈、毒舌ですよ」
「技術的指摘だ」
たとえば、『ここで鍋を沸騰させた者は、続きを読む前に鍋を捨てろ。もう使えない』という注釈がある。
「これも技術的指摘なんですか?」
「事実だ」
だいたいどれを見ても毒舌だった。
出版する前に、魔法書研究会では書き込みが本当にあっているのかを試す実験が何度か行われた。
一番魔法薬学が苦手で本の対象年齢より若いロメルダが調合して上手く作れたら成功だ。
旧版だとドロドロの正体不明のものが出来上がったのに、書き込み付きで試したところ、恐ろしく完璧な薬が出来上がった。
この本、本当に出版して大丈夫かな。成績みんな相対的に上がっちゃうんじゃないの。
実際に調合した後の結果も注釈で書いておけば安心だろう。
書いてある呪文に関してはわたしを除いたメンバーで試した。ハーマイオニー曰く、わたしが試しても参考にならないし、何か爆発しても怖いからということだった。
*
『トム・リドルの日記』を出版して、一か月が経った。
売れ行きは好調だった。
評判は、いつものように賛否両論。
プロングズ出版の本は、なぜか毎回そうなる。
『白銀卿を侮辱するための捏造だ』というヘンリー・ポッターシリーズの熱心な読者からの批判がある一方、『むしろ闇の帝王を人間的に描きすぎて味方をしているようだ』という声もあった。
『こんなものを出版するなんて正気ではない』という感想の次の行に『続刊はいつですか』と書いてある手紙も届いた。
出版社としては最後の一文が一番重要だった。
特に話題になったのは、著者だった。
著者名は、トム・マールヴォロ・リドル。
世間にはもう、それがヴォルデモートの本名だと知られている。
一方で、『闇の帝王が自分の過去を世間へばら撒くために自伝を書いたとは考えにくい』という、ごくもっともな疑問が大量に寄せられた。
その通りだった。
書いたのは、現在のヴォルデモートではない。
十六歳の日記から生まれたトムである。
ただ、それを説明すると別の問題がたくさん増えるので説明していない。
本文とは別に、三人の証言も収録した。
スラグホーン先生。
ダンブルドア先生。
ハグリッド。
ハグリッドはトムと親しかったわけではない。
どちらかといえば、トムにマートル・ワレン殺害事件の犯人にされた側だった。
それでも、同じ時代のホグワーツにいた生徒として、トムがどんな先輩だったのかを書いてくれた。
問題は原稿だった。
『リドル先輩は頭がよかった。おれとは全然違った。でもなんか怖かった。なんでって言われてもわからん。アラゴグは別に悪いやつじゃなかった。あいつは人を食おうとしたこともあるが、それには理由が――』
途中からアクロマンチュラの話になった。
なぜ。
一文ずつ確認して読みやすさを意識した。
「これって、トムは近寄りがたい感じだったって意味?」
「ああ、そんな感じだ」
「じゃあ、こう直していい?」
「そんな難しい言い方、おれはしねえぞ」
「じゃあもう少し戻すね」
編集とは難しい。
でも楽しかった。
そしてスネイプ先生注釈付きの教科書、『毒舌魔法薬学』も発売された。
需要はNEWT試験の魔法薬学を受ける生徒と限定的だったものの、すぐに上級生の必須アイテムになった。
『半純血のプリンスは何者なんだ』
『絶対にS先生だろ』
『スラグホーンなのかスネイプなのか』
『腹が立つけど薬は成功した』
だいたいそんな感想だった。
半純血のプリンスの正体を知っている魔法書研究会では、それを読むたびに妙な気持ちになった。
トムの本発売からは時期が経ってしまったが、せっかくなので二冊まとめて出版祝いをすることにした。
『トム・リドルの日記』出版一か月記念兼、『毒舌魔法薬学』出版記念だ。
三本の箒の二階を借り切った。
本当はもっと早くやるつもりだった。
主にわたしが忙しすぎたのだ。
OWL試験対策に出版準備。
フェリックス・フェリシスの調合。
気づけば一か月経っていた。
時間というものは恐ろしい。
三本の箒の二階は、想像していたよりずっと賑やかになった。
魔法書研究会の人たちを呼んだら、さらにその知り合いも増えたからだ。
「ドラコ、それでアストリアとはいつから親しくしているの?」
部屋の一角では、母がドラコとアストリアを捕まえていた。
「母上」
「何かしら?」
「僕たちの恋愛話を出版しないと約束してもらえませんか」
「そうね、アストリアはどう思っているの?」
「恋愛小説だと恥ずかしいですけど、歴史小説なら大歓迎です! 中世とかどうでしょう?」
「おい、アストリア?!」
ドラコはアストリアを止めようとしたが、彼女は止まらなかった。
「それなら、歴史上の人物について書いた恋愛小説として書き直すわ。これならいいかしら?」
ドラコが助けを求めるようにこちらを見た。
わたしは目を逸らした。
母に目をつけられた以上、出版しないという選択肢は恐らくない。
別のテーブルでは、ルーナとロルフ・スキャマンダーが盛り上がっていた。
「角のあるスノーカックは、寒冷地で暮らしていると思うの」
「でも角があるなら、森林より開けた場所の方が動きやすいんじゃないかな」
「そうね。でも雪の下に潜る可能性もあると思うんだ」
「なるほど」
二人とも真剣だった。
何の話をしているのかは分からない。
でも、とても楽しそうだった。
トムはというと、パドマに捕まっていた。
「発売から一か月ですが、反響についてどう思いますか?」
「複雑だね」
「具体的には?」
「自分が殺した人間の数について知らない人から手紙で質問される経験は、あまりないと思う」
「なるほど」
パドマが高速でメモする。
横ではアーニーが資料を持っていた。
「パドマ、その殺人はリドル家殺人事件の前だから時系列が違うよ」
「ありがとう、アーニー」
「あと、この部分はダンブルドア先生の証言と照合できる」
「助かる」
アーニーがものすごく役に立っている。
「僕は何のために出版祝いへ来たの?」
トムがわたしに聞いた。
「取材されるためじゃない?」
「祝われるためじゃなかったの?」
「犯罪歴を?」
「君まで言うのか」
少し離れたところで、ジニーがやってきた。
「遅くなってごめん。クィディッチの練習が長引いた」
「席あるよ!」
ハリーが即座に言って、自分の隣の椅子を引いた。
ロンが焼き菓子を口に入れながら首を傾げる。
「そこ、さっき僕が座ってなかった?」
「今は座ってないからいいだろ。ロメルダとあっち行きなよ」
「まあ、いいけど」
ジニーが笑いながら座った。
ハリーの耳が赤くなる。
「ハリー、顔赤いよ」
わたしは思わず言った。
「バタービールのせいだよ」
「まだ飲んでないよね?」
ハリーはわたしを少し睨んだ。
「マイン」
「何?」
「ロンと向こうでケーキ取ってきたら?」
追い払われた。
ハーマイオニーは全部分かったような顔をしていた。
ドラコまで分かったような顔をしていた。
ロンだけは何も分かっていない顔をしている。
わたしがロン側だと思われているとしたら、どうも釈然としない。ハリーとジニーがそういう関係になりそうなのを分かっていて茶化しているだけなのに。
ロンは少し離れた席でロメルダに、「ロンロン、これ食べる? あーん」と焼き菓子を差し出されていた。
ハーマイオニーは断固としてそちらを見なかった。
「え、ジニー、ディーンと別れたの! それは大変だったね」
ハリーの言い方はちっとも大変だと思ってなさそうだった。むしろほんのり嬉しそうだ。
ロメルダはロンとイチャイチャしていたのに、ジニーがディーンと別れたと聞くや否や次はどんな人と付き合いたいのか取材を始めかけてロンに止められていた。
人間関係は本当に複雑で難しい。
そこへ、スラグホーン先生が現れた。
「祝い事だと聞いてね!」
後ろから大きな箱が三つ浮いてくる。
「先生、それ全部なんですか?」
「菓子だよ」
一箱目から砂糖漬けのパイナップル。
二箱目からチョコレート。
三箱目から高級そうな焼き菓子。
ロンが真っ先に立ち上がった。
「先生、手伝います」
ハリーが驚いた。
「ロンが自分から人の手伝いを申し出た」
「僕を何だと思ってんだ」
ロメルダが言った。
「食べ物に関してだけは行動力あるよね、ロンロン」
「褒められてる?」
「もちろん!」
絶対褒めてない。
スラグホーン先生は『トム・リドルの日記』を一冊持っていた。
「いやあ、三刷だそうじゃないか!」
「おかげさまで!」
「私の証言も入っている本が三刷!」
そこが重要らしい。
「先生の『忘れられない教え子たち』もかなり読まれましたよ」
「そうかそうか!」
先生は満面の笑みになった。
つい一か月ほど前まで、『私は過去のことなど話したくない』と言っていた人がずいぶんな変わりようだった。
人間は自分の記事が好評だと元気になる。
「まあ、私には昔から見る目があったからね」
トムが振り返った。
「先生、僕の将来を見る目はかなり外したと思いますけど」
スラグホーン先生が固まる。
「トム」
「冗談です」
「君はそういう冗談を言うな!」
先生が胸を押さえた。
パドマはそれまでメモした。
「そこは記事にしなくていい!」
「面白いので」
「やめなさい!」
スラグホーン先生は咳払いをしてから、わたしを見る。
「それにしてもマイン、君はいい編集者だ」
「本当ですか?」
「ああ。トムの原稿だけでは、どうしても本人から見たトム・リドルに偏る。そこへ私やアルバス、ハグリッドの文章を入れたのはよかった」
「ありがとうございます」
「ハグリッドの文章をまとめたのも見事だった」
「大変でした」
ものすごく。
「途中からアクロマンチュラの育て方が始まったので」
「なんでよ?」
ジニーが聞いた。
「本人も分からないって」
「どうして本人も分からないの?」
わたしも知りたい。
「でも削るかどうか迷ったんだよね」
ハリーが即座に言った。
「削る一択だろ」
「内容はとても面白かったから」
トムがこちらを見る。
「僕の自伝にアクロマンチュラ飼育講座を入れないでくれる?」
「最終的には削ったよ」
「当然だ」
そして、もう一冊。
テーブルには『毒舌魔法薬学』が山積みになっていた。
ハリーは一冊を手にして、どこか寂しそうだった。
「本当に全部載ってる……」
「当たり前でしょう」
ハーマイオニーが言った。
「出版したんだから」
「この潰したソポフォラス豆の汁を使う方法も」
「載ってるよ」
「解毒剤のところも」
「載ってるね」
「僕だけのものだったのに」
「半純血のプリンスのものだよ」
ハリーが本を抱えた。
「なんか釈然としない」
アーニーが満足そうに言った。
「その半純血のプリンスの正体を当てたのは僕だけどね」
「偉そうにするなよ。アーニーは名字かもって言っただけだろ」
ロンが言う。
「一回も当ててない人に言われたくない!」
「僕は変な推理しないだけだ!」
ハリーは本の注釈を眺めながら呟いた。
「正体を知らなかった頃の方が好きだったな」
「内容は変わってないよ?」
「分かってる」
「じゃあ何が嫌なの?」
「スネイプが僕より魔法薬学が上手いという現実を毎ページ突きつけられる」
「先生になるくらいの人なら当たり前じゃない?」
「分かってるって!」
「それにしても、ダンブルドア先生たち遅いね」
わたしは入り口を見た。
ダンブルドア先生とスネイプ先生にも招待状を送った。スネイプ先生は行きたがらなかったが、ダンブルドア先生が一緒に連れて行くと言っていた。
「校長だし、忙しいんじゃない?」
ハリーが言った。
「もうすぐケーキなくなるよ」
「そこ?」
「わたしが頼んだやつ、もう半分ない」
犯人らしい人物を見る。
ロンが視線を逸らした。
「僕じゃないぞ」
「口にクリームついてる」
ロンが慌てて拭った。
ロメルダが笑う。
ハーマイオニーは見なかった。
ハリーが遠い目をした。
その横でジニーが笑っている。
「ハリー、大変そうね」
「ジニーだけだよ、分かってくれるの」
ハリーが言った。
ジニーが少しだけ頬を赤くした。
今度はハリーも赤くなった。
この2人がくっつくのも時間の問題になりそうだ。
スラグホーン先生がグラスを持って立ち上がった。
「では、改めて!」
皆がグラスを手にする。
「『トム・リドルの日記』の成功と、『毒舌魔法薬学』の刊行を祝して!」
わたしが言った後に、スラグホーン先生がグラスを高く掲げた。
「プロングズ出版のさらなる成功に!」
グラスがぶつかった。
あちこちで笑い声が上がる。
わたしも笑った。
楽しかった。
一か月も遅れてしまったけれど、パーティーを開いてよかった。
その時だった。
階段を上がってくる足音が聞こえた。
「あ」
わたしは入り口を振り返る。
「二人ともやっと来た」
扉が開く。
先に見えたのは、黒いローブだった。
「スネイプ先生!」
やっぱり来た。
わたしは立ち上がる。
「遅いですよ。先生の本、すごく売れて――」
そこまで言って、止まった。
スネイプ先生のローブは、泥と煤で汚れていた。
片袖が裂けている。
髪も乱れていた。
いつもの先生とは違う。
「……先生?」
そして、腕の中に、誰かを抱えていた。
白い髪が見えた。長い髭に紫色のローブ。
わたしは瞬きをした。
「ダンブルドア先生……寝てるんですか?」
自分でも変な質問だと思った。
でも、ダンブルドア先生は目を閉じていた。
疲れて眠ってしまったのかもしれない。
だからスネイプ先生が運んでいる。
そう考えれば、まだ分かる。
ところが、ダンブルドア先生の右手は、スネイプ先生の腕からだらりと垂れていた。
指先が小さく揺れる。
スネイプ先生は空いていた二つの席の前を通った。
一つは、スネイプ先生の席。
もう一つは、ダンブルドア先生の席だった。
テーブルには、二切れのケーキが残してある。
スネイプ先生はそこを見なかった。
「ダンブルドア校長は死んだ」
言葉の意味が分からなかった。
死んだ。
誰が。
スネイプ先生の唇が、もう一度動いた。
「闇の帝王に殺された」