本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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125話 幸運薬だけでは届かない答え

 

 ダンブルドア先生の葬儀を翌日に控えた午後、フェリックス・フェリシスが完成した。

 

 必要の部屋の一角に置かれた大鍋の中で、黄金色の液体がゆるやかに波打っている。表面から跳ねた雫は床へ落ちる前にふわりと浮かび、魚が身を翻すように鍋の中へ戻っていった。

 

 何ヶ月もかけて調合してきた薬だった。

 

 途中でホグワーツが襲撃され、秘密の部屋に置いておくことさえ危険になって、大鍋ごとここへ運び込んだ。それでも薬は駄目にならず、まるで外で何人死のうと、校長がいなくなろうと、自分には関係がないと言わんばかりに正しく完成した。

 

 ずっと待ち望んでいたはずなのに、眺めていると胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 明日には、ダンブルドア先生を見送る。

 その前日に、幸運になれる薬が出来上がるなんて、なんだか皮肉だった。

 

「飲めばいい」

 

 隣で鍋を覗き込んでいたドラコが言った。

 

「お兄さまは飲まないの?」

 

「まずお前だけで試せ。二人とも妙なことを始めたら、止める人間がいなくなる」

 

「妙なことって」

 

「お前が幸運だと思ってやることだ」

 

 否定しづらい。

 ドラコは机の上に置かれた一冊の本へ視線を落とした。

 

「トムを助ける方法を見つけたいんだろう」

 

 わたしも、その本を見る。

 ニコラス・フラメルからもらった本だった。

 賢者の石について書かれている。おそらく、製法まで。

 

 文字は読める。単語も分かる。それなのに、何度読んでも肝心なところへ手が届かなかった。錬金術独特の比喩と古い術式、それにフラメル本人にしか分からないような省略や抽象画が重なっていて、ページを読み進めるほど頭の中で道が枝分かれしていく。

 

 答えが目の前にあるのに読めない。

 本好きとして、これほど腹立たしいことはあまりない。

 

 わたしは小瓶に移したフェリックス・フェリシスを持ち上げ、一息に飲んだ。

 ほんのり甘い熱が舌の上から喉へ落ちていく。

 

 世界が輝いて見えるわけではなかった。突然賢くなったわけでもない。

 ただ、不思議なくらい確信があった。

 これから自分が選ぶことは、きっと間違っていない。

 

「どうだ?」

 

 ドラコが尋ねる。

 

 わたしはフラメルの本を開いた。

 

 一ページ読む。

 次のページへ進む。

 ……分からない。

 

「何か分かったか?」

 

「そういえば」

 

 わたしは本から顔を上げた。

 

「前にトムの授業をここで受けたとき、栞をなくしたかもしれない」

 

 ドラコの眉間に皺が寄った。

 

「それが今、何の関係がある」

 

「かわいい栞だったから、この本に挟みたくなって。探そうかな」

 

「賢者の石はどうした」

 

「分からない。でも、今は栞を探した方がいい気がする」

 

「本をなくしたのならともかく、栞を今探す必要があるのか? お前が読書以外を優先するなんて珍しい」

 

 そう言われても、探したかった。

 なくしものを探せる部屋が欲しい、と考えた瞬間、必要の部屋が大きく姿を変えた。

 

 壁が遠ざかり、天井が持ち上がる。これまで見えていた棚や机の向こうに、さらに棚が生え、壊れた椅子や甲冑、古い箒、瓶、鏡、誰が何のために隠したのか分からない魔法道具が、どこまでも積み上がっていった。

 何世代もの生徒が隠してきたものが、山になっている。

 

「……ここから探すのか?」

 

「見つかると思う」

 

「どこでなくしたのか覚えているのか?」

 

「そこまでは」

 

「フラメルの本を読む方を優先した方がいいんじゃないのか?」

 

「こっち」

 

「聞け」

 

 でも足は止まらなかった。

 

 右へ曲がる。

 壊れた戸棚を避ける。

 古い鳥籠の横を抜けて、積み上げられた机の隙間を進む。

 理由は分からないのに、この方向で合っているという感覚だけが、胸の奥で小さく灯り続けていた。

 

「あった」

 

 栞は無造作に棚の上に置かれていた。

 栞を手に取ったときに、肩が硬いものにぶつかった。

 

「あっ」

 

 古びた胸像が揺れた。

 長い髪を波打たせた魔女の像だ。

 見覚えがある。

 

「この人、ロウェナ・レイブンクロー……?」

 

 ぶつかった拍子に、胸像の頭に載っていた古いティアラがずれ落ちた。

 反射的に両手で受け止める。

 銀色の装飾には埃が積もり、小さな宝石もくすんでいた。けれど、手に取った途端、なぜか目を離せなくなった。

 

「何だ、それ」

 

「ティアラかな?」

 

 わたしは何となく埃を払い、そのまま頭へ載せた。

 次の瞬間、頭の中で何かが弾けた。

 

「……え」

 

 世界が急に、馬鹿馬鹿しいくらい単純になった。

 目に映るものの形が変わったわけではない。それなのに、それまで散らばっていた知識が一斉に線で結ばれていく。

 

 授業で聞いた説明。

 昔読んだ錬金術の本。

 閲覧禁止の棚で読んだ本。

 スネイプ先生が黒板に書いた魔力循環の式。

 フラメルの本に出てきた意味不明な比喩。

 

 それらがすべて、同じ場所を指している。

 

 わたしは息を呑んだ。

 

 知っている。

 いや、知らなかったはずなのに、分かる。

 分からなかったことさえ、なぜ分からなかったのかが理解できる。

 

「お兄さま」

 

「どうした?」

 

「これ、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りだ」

 

 口に出した瞬間、それが疑いようのない事実だと分かった。

 

「フラメルの本と、羊皮紙と自動速記羽ペンがいる! アクシオ、必要なもの全部!」

 

 わたしがそう言うと、必要なものが全て手元に飛んできた。

 

「急に何を──」

「全部分かったの! どうやったらトムを救えるのか!」

 

 ドラコの表情が変わった。

 わたしは床へ座り込み、フラメルの本を開いた。

 

 驚くほど簡単だった。

 赤い王は材料の名前ではない。

 白い女王も人ではない。

 死とは失敗ではなく、一度魔力の循環を止める工程を指している。

 

 別々の章に書かれていた記述は独立しているのではなく、すべて一つの変成過程を違う方向から説明していた。

 

「ああ……そういう意味だったんだ」

 

 嬉しくて仕方がなかった。

 何度読んでも開かなかった本が、今はわたしの前ですべてを明かしている。

 

「今から言うことをすべて書いて」

 

 自動速記羽ペンが羊皮紙へ飛びついた。

 

 フラメルの難解な文章を、頭の中で組み替える。不要な比喩を外し、重複をまとめ、工程を順番に並べ直す。

 口にしたそばから、羽ペンが猛烈な勢いで書き取っていった。

 何十ページもあった文章が、数枚の羊皮紙へ圧縮されていく。

 そのことに夢中になっていた。

 

 だから、最初は気づかなかった。

 

 読んでいるのは、わたしだけではない。

 そんな感覚に。

 ページをめくるたび、頭の奥でもう一つの視線が同じ文章を追ってわたしの言葉を聞いている気がする。

 自分の考えではないものが、ほんのわずかに思考の縁へ触れている。

 

 その瞬間、必要の部屋の扉が勢いよく開いた。

 

「マイン!」

 

 トムだった。

 その顔を見て、わたしは手を止めた。

 

 怒っている、というだけではなかった。血の気が引いているのに目だけが鋭く、何か恐ろしいものを見つけた人の顔をしていた。

 

「トム?」

 

 まっすぐこちらへ来る。

 

「今すぐそれを外せ!」

 

「え?」

 

 次の瞬間、頭から髪飾りを奪われた。

 鮮明だった世界が一気に遠ざかった。

 

「ちょっと! まだ──」

 

「黙れ!」

 

 トムは片手に髪飾りを握ったまま、もう片方の手をローブへ突っ込んだ。

 

 取り出したものを見て、わたしは息を止める。

 バジリスクの牙だった。

 

「ちょっと待って!」

 

「待たない」

 

「まだ最後まで読んでないよ!」

 

「だから何だ!」

 

 トムが初めて、怒鳴った。

 

「これが何なのか分からないのか? 君の思考は全てあの男に読まれている」

 

 胸の奥が冷たくなる。

 

「あの男って……ヴォルデモート?」

 

「他に誰がいる」

 

「でも、トム、人を殺しているときくらいしか記憶は共有しないって──」

 

「普段はね。仕掛けた罠にかかってずいぶん興奮しているらしい。これは、分霊箱だ」

 

 トムが髪飾りを睨みつけた。

 

 自分がさっきまで何気なく頭に載せていたものを見て、背筋がぞっとした。

 トムはバジリスクの牙を振り上げた。

 

「待って、本当に待って! 最後のところだけ──」

 

「続きを読ませるなと言っている!」

 

 牙が髪飾りを貫いた。

 甲高い音が響いた。

 

 金属が軋み、宝石が砕け、どこからともなく悲鳴のような声が響く。髪飾りから黒い煙が噴き出し、トムの腕へ絡みつこうとしたが、次の瞬間には霧のように崩れた。

 

 床へ落ちた髪飾りは、もうただの壊れた銀細工にしか見えなかった。

 

「……まだ途中だったのに!」

 

「君の思考が乗っ取られる方が困る」

 

 それを言われると、何も返せなかった。

 トムは肩で息をしながら、自動速記羽ペンが書き残した羊皮紙を拾った。

 

「何を読んでいた?」

 

「フラメルさんにもらった賢者の石の作り方の本」

 

 トムの目が細くなる。

 

「どこまで分かった?」

 

 羊皮紙を見る。

 

 材料。

 下処理。

 変成の順序。

 必要な魔力の流し方。

 

 かなり細かいところまで書かれていた。

 

 ただ、最後の工程だけがない。

 

「……最後の工程以外ほとんど」

 

「つまり、あの男もほとんど知ったということだね」

 

「たぶん。逆に、最後まで見ていなかったのは幸運だったかもしれないけど」

 

 ため息をついて顔を上げたところで、ふとトムの右手が目に入った。

 黒い煙を吐き終えた髪飾りの横で、トムはまだ巨大な牙を握っている。

 

「……ところで、トム」

 

「今度は何だ」

 

「それ、どこで手に入れたの? アルドゥスの牙だよね」

 

「ああ、マインたちはマルフォイ邸にいたから知らないか。この前虫歯になって抜いたんだ」

 

「バジリスクって虫歯になるの!?」

 

 全知全能になったような気分を味わった直後に、知らなくてもよかった知識を与えられた。

 世界にはまだまだ知らないことがあったらしい。

 

「なるらしいね。どうもバジリスクには普通の治癒呪文が効かないらしく、ハグリッドが抜くのを手伝ってくれた」

 

「ハグリッドが!?」

 

 今度はそちらに驚いた。

 

 巨大なバジリスクの口を開けさせ、その中へ腕を突っ込んで虫歯を抜くハグリッドの姿が、あまりにも鮮明に想像できてしまった。

 

「よくアルドゥスが大人しくしてたね……」

 

「ハリーと僕で蛇語で説明したんだ。ハリーが知っていた『セクタムセンプラ』とかいう呪文が役に立った。上手く虫歯の歯だけ切り離せたんだ」

 

「歯医者さんじゃん」

 

「何だそれは?」

 

 ドラコが首を傾げる。

 

「マグルの職業だよ。悪くなった歯を抜いたり治したりするんだ」

 

「歯だけ? 他の場所は治せないのか?」

 

 ドラコはものすごくうさんくさいものを見る表情をしている。魔法界の癒者は何でも治すからだ。

 

「歯医者はそうだけど、医者には他の身体の場所を治す人もいるよ。場合によっては大がかりな手術もすることもあるんだよ」

 

「シュジュツ?」

 

「身体をナイフで切って悪いところを取り除いたりするの」

 

「拷問の間違いじゃないのか?」

 

 説明すればするほどマグルと魔法族は分かりあえない気がしてきた。

 トムは改めて、床に転がった壊れた髪飾りと、手の中にある牙を見比べた。

 

「闇の帝王が自らの魂を切り離して、ロウェナ・レイブンクローの失われた髪飾りという歴史的な品に隠した分霊箱が──」

 

「トム」

 

「──バジリスクの虫歯治療で出た牙に破壊されたわけか」

 

 言い切った。

 

 わたしは壊れた髪飾りを見る。

 

「……ヴォルデモートが知ったら、ものすごく怒りそうだね」

 

 トムの口元が、わずかに持ち上がった。

 

「それなら、なおさら捨てずに取っておいた価値があったね」

 

「最初から分霊箱を壊すために持ってたの?」

 

「マインに見せようと思ってたまたま今日持ってたんだ。まさか使うとは思わなかった」

 

 フェリックス・フェリシス効果、怖い。

 わたしがそう思っている横で、ドラコはもう笑うのをやめていた。

 床に散らばった羊皮紙を拾い上げ、視線を走らせる。

 

「それで、問題はこっちだ」

 

 自動速記羽ペンが残した羊皮紙を三人で囲む。

 

 材料の分量、下処理、変成の順序、魔力を流し込むタイミング。そこまでは驚くほどきれいに書き残されているのに、最後の数行だけが途切れている。

 

 あと少しだった。

 

 髪飾りを被っていたときには、フラメルの文章が手に取るように分かった。曖昧な比喩も、古い錬金術の言葉も、全部ひとつの意味へ収束していたのに、今はその感覚が指の間から零れ落ちた水のように残っていない。

 

「ここまでは僕にも理解できる」

 

 ドラコが羊皮紙へ指を滑らせた。

 

「問題は最後だ。変成させたものを、どうやって石として定着させるか」

 

「フラメルの本には何て書いてある?」

 

 トムに言われ、わたしは問題のページへ戻った。

 

 何度読んでも難しい。

 けれど、一度髪飾りを通して理解したせいか、以前ほど何も分からない文章ではなくなっていた。

 

「『赤き王と白き女王は、互いを喰らってはならない』……その次が、『己を相手の手に預け、なお己であることを許せ』」

 

「材料の話ではないな」

 

 ドラコが言った。

 

「だよね」

「魔力のことだろう」

 

 トムが答えた。

 

「二種類の魔力を使う必要があるということだと思う」

 

 わたしは羊皮紙を見る。

 

 トムに言われて意味を理解できた。

 けれど、二人分の魔力を混ぜればいいというだけなら、フラメルがこんな回りくどい書き方をする必要はない。

 

 赤き王と白き女王。

 互いを喰らわず、相手の手に自分を預ける。

 

「……とりあえず、やってみようか」

 

「いいのか、それで」

 

 わたしは簡単になったレシピを持って、必要の部屋の薬品棚へ向かった。薬品棚にはフェリックス・フェリシスを作るときに置いた材料もいくつかあった。

 一つずつ確認する。

 

「これと……これ。あ、これもある」

「まさか」 

 

 ドラコもついてくる。

 必要な材料を机へ並べていくうちに、自分でも笑いたくなってきた。

 

「全部あるかも」

 

 トムが眉をひそめてこちらを見た。

 

「そんな都合のいいことがあるのか?」

 

 わたしは空の小瓶を見せた。

 

「あるよ。幸運の薬を飲んでるからね」 

 

 トムは一瞬きょとんとして、それからとうとう笑い出した。

 

「君は本当に予想外すぎる」

 

 自動速記羽ペンがまとめた簡易版の製法を読みながら、肩を揺らしている。

 

「しかし、なるほど。難しいのは理論だったのか。完成まで何十年も熟成させる類の石ではないんだね」

「魔力はものすごく使うみたいだけど」

「君の場合、それを大きな問題として扱う必要はないだろう」

 

 そこだけは、否定できなかった。

 

「じゃあ、フェリックスが効いているうちに作っちゃおう」

「本当にやるのか?」

「今やらない理由ある?」

 

 ドラコとトムが顔を見合わせた。

 たぶん、普通ならもう少し慎重になるところなのだろう。

 でも、材料はある。

 製法もほぼ分かった。

 今のわたしは、人生で一番運がいい。

 その後の作業は、簡単ではなかった。

 

 必要な材料を鍋へ入れ、速記された手順どおりに変成を進める。魔法薬を作るのが得意なドラコやトムでも苦戦していた。

 しかし、幸運薬のおかげか、特に失敗をせずに液体は黒から白へ、白から金へと色を変え、最後には炎を透かしたような深い赤色になった。

 

 かなり上手く行った。

 ここまでは完璧だった。

 

「魔力を」

 

 わたしとドラコが同時に杖を向ける。

 

 流し込む。

 二つの魔力が鍋の中で絡み合い、赤い液体の表面に光が走った。

 

 けれど──それだけだった。

 

 待っても、石にはならない。

 

「……失敗?」

 

「少なくとも完成ではないな」

 

 ドラコが魔力を止めた。

 鍋の中の液体も、ゆっくり元の赤色へ戻っていく。

 

「ちゃんと二人分入れたのに」

 

「入れただけだからじゃないか」

 

 トムが本を取った。

 

「『己を相手の手に預ける』」

 

「魔力を渡せってこと?」

 

「たぶんな」

 

 ドラコが眉を寄せる。

 

「他人に魔力そのものを預けるなんて、聞いたことがない。普通はやらないと思うぞ」

 

「危ないの?」

 

「相手がどう扱うか分からないからな。魔力の流れを握らせるのと同じだ」

 

 それは、少し怖かった。

 自分の魔力を流すだけなら、自分で止められる。自分で方向を決められる。

 でも、相手に預けるということは、その瞬間だけ手を離すということだ。

 

 制御できない。

 奪い返すことも難しい。

 ただ、相手を信じるしかない。

 

「お兄さまならいいよ」

 

 言うと、ドラコの方が困ったような顔をした。

 

「そう簡単に決めるな」

 

「でも、お兄さまがわたしの魔力を変なことに使うと思わないし」

 

「……お前は昔から、そういうところだけ妙に迷わないな」

 

 ドラコがため息をついた。

 

「分かった。僕も、お前なら大丈夫だ」

 

 もう一度、二人で杖を向けた。

 今度は、魔力を鍋へ直接流さない。

 

 わたしは自分の魔力をドラコの方へ伸ばした。

 

 触れた瞬間、反射的に引き戻しそうになった。身体の奥深くにあるものへ誰かの手が触れたような、不思議な怖さがあった。

 

 でも、止めなかった。

 ドラコからも魔力が流れてくる。

 冷たく澄んだ水のような感触だった。

 

 わたしはそれを自分のものにしようとせず、そのまま受け取る。

 

 ドラコも、わたしの魔力を掴まない。

 ただ互いに預けたまま、鍋へ流した。

 

 赤い液体が光った。

 今度はさっきと違う。

 二つの魔力が混ざって一つになったのではなく、その境目に別のものが生まれた。

 

 赤い光が細い糸のように鍋の中央へ集まり、ゆっくりと形を持ち始める。

 

「……これ」

 

 声が震えた。

 

 出来上がったのは、石だった。

 まだ小さい。

 けれど確かに、赤い結晶が液体の中で育っている。

 

 わたしとドラコは、どちらからともなく手を離した。

 

 しばらく誰も何も言わなかった。

 わたしは鍋を見る。

 

 赤い結晶がさらに大きくなる。

 やがて液体がすべて吸い込まれるように消え、鍋の底に、一つの石だけが残った。

 

 わたしは恐る恐る拾い上げた。

 掌の中で、赤い光が脈打っている。

 

「できた」

 

 言葉にすると、急に現実味がなくなった。

 世界中の錬金術師が追い求めたものが、今わたしの手の中にある。

 

 トムはしばらく石を見つめていたが、やがて自動速記羽ペンの羊皮紙へ目を向けた。

 

「……あの男は、どこまで見た?」

 

 胸の奥にあった喜びが少しだけ冷えた。

 

「最後の工程より前まで」

 

「なら、材料も術式も知っている可能性が高い」

 

「でも最後は知らない」

 

 ドラコが言った。

 

「同じことはできないかもしれない」

 

 どうなんだろう。ヴォルデモートなら再現できてしまうかもしれない。

 

「……ヴォルデモートが、最後の工程まで自力でたどり着かないといいけど」

 

 ドラコが心底嫌そうな顔をした。

 

「完成した直後に縁起でもないことを言うな」

「だって九割くらい見られてるよ?」

「言うな」

 

 わたしも、できれば考えたくなかった。

 

「葬儀が終わったら、これでトムの魂を変成してみよう」

 

 わたしは石を握った。

 

「ヴォルデモートの魂から切り離して、ちゃんと一人で存在できるようにしよう」

 

 トムは返事をしなかった。

 けれど、その目は考え込むように賢者の石から離れなかった。

 ニコラス・フラメルの本のページを何気なくパラパラとめくっていたドラコが最後の頁で手を止めた。

 

「これ、何だ」

 

 わたしとトムが本を覗き込む。

 そこには古いインクで、たった一言書いてあった。

 

『P.と共に成功』

 

「P?」

 

「フラメルさんの奥さんの名前じゃない? ペレネレって名前だったはず」

 

 それを読んで、不思議なくらい納得できた。

 世間では、ニコラス・フラメルが賢者の石を作ったことになっている。

 でも本当は、一人では作れなかったのだ。

 

「……これ、フラメルさんだけの発明じゃないじゃん」

 

 トムはフラメルの本へ視線を落とし、また出来上がった石を見た。

 

「……そういうことか」

 

「え?」

 

「最後の材料はあの男には作れないよ」

 

「どういうこと?」

 

 トムはそれ以上何も言わず、一人で納得したように何度も頷いていた。





幸運薬効果で三分クッキングのように出来上がる賢者の石。運が良かったね!

本好きの下剋上の読者に弁明しておくと、ハリポタ魔法界では魔力を染めるのにハレンチ要素はないです!
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