本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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127話 忘れられない教え子

 ダンブルドア先生の葬儀の翌朝、わたしは大広間で朝食を取りながら羽ペン通信全国版を読んでいた。

 一面を開いたところで、パンを持つ手が止まった。

 

『ゲラート・グリンデルバルド、ヌルメンガードを脱獄』

 

 大きな見出しの下には、険しい山の上に建つ黒い城塞の写真が載っていた。記事によると、昨日の夕刻、ヌルメンガードの監視を担当していた魔法使いが、最上階の牢獄が空になっていることに気づいたらしい。

 

 扉は破られていない。

 結界も作動していない。

 侵入者の痕跡もなし。

 

 いつ、どうやって出たのかすら分かっていない。

 

「やっぱり」

 

 思わず呟いた。

 向かいでベーコンを切っていたドラコの手が止まった。

 

「何がだ?」

 

「何でもないよ」

 

「今、やっぱりと言っただろう」

 

「言ったかな?」

 

「言った」

 

 新聞を畳もうとしたら、ドラコが端を押さえた。

 

「見せろ」

 

「朝ご飯食べてるんだから自分の新聞読んでよ」

 

「僕のところにはまだ来ていない」

 

「じゃあ待てばいいじゃん」

 

「お前が怪しすぎる」

 

 ひどい。

 わたしは何もしていない。

 

 昨日、葬式のあとに世界的な闇の魔法使いから出版の相談を持ちかけられただけである。

 

 わたしからヌルメンガードへ行ったわけではない。

 向こうから来た。

 つまり、今回に限っては完全に受け身だ。

 

 ドラコが新聞を引っ張り、見出しを読んだ。

 

「グリンデルバルド……」

 

「大変だね」

 

 ドラコが疑わしそうにわたしを見る。

 

「ローゼマイン」

 

「何?」

 

「何か危険なことに首を突っ込んでいないだろうな」

 

「突っ込んでないよ」

 

 これは嘘ではない。

 グリンデルバルドはただダンブルドアの自伝に出させてほしいと言っているだけだ。

 

「お前、絶対何か隠してるだろ」

 

「出版社には色々あるんだよ」

 

「学生の台詞じゃないな」

 

 ドラコが眉間を押さえた。

 その時だった。

 

「マルフォイ」

 

 背後から低い声がした。

 振り向くと、スネイプ先生が立っている。

 ドラコと二人揃って姿勢を正した。

 

「はい」

 

「ローゼマインの方だ。朝食後、校長室へ来い」

 

「校長室? 何の用事ですか?」

 

 スネイプ先生は黒いローブを翻した。

 

「魔法大臣がお待ちだ」

 

「アンブリッジ先生が?」

 

「ダンブルドアの遺品を引き渡すそうだ。一時的に校長室のガーゴイルから入室許可を得ている」

 

 胸の奥が少しだけ重くなった。

 

 遺品か。

 昨日、葬式を終えたばかりなのに。

 死んだという事実は、こういうところから何度もやってくる。

 

「分かりました」

 

 スネイプ先生が立ち去る。

 ドラコがじっとこちらを見ていた。

 

「危険な物をもらうなよ」

 

「ダンブルドア先生の遺品だよ? そんな危険なわけないでしょ」

 

「ダンブルドアは禁書も許可するくらいマインに甘かったんだ。闇の魔術関連のものだったら返却しておけ」

 

 否定できなかった。

 朝食を終えて校長室へ向かうと、石造りのガーゴイルは何も言わずに横へ退いた。

 

 螺旋階段を上がり、扉を開ける。

 

「遅いよ」

 

 最初に言ったのはハリーだった。

 

「時間通りだよ」

 

 室内には、ハリー、ロン、ハーマイオニーがいた。

 そして、その隣にトムがいる。

 

「……なんでトムまでいるの?」

 

「僕も知りたい」

 

 トムは窓際の椅子に座っていた。

 

 校長室は最近来たときとほとんど変わっていなかった。

 銀色の器具が細い煙を吐き、本棚にはぎっしり本が並び、止まり木だけが空になっている。

 そして壁には、新しい肖像画が増えていた。

 

 アルバス・ダンブルドア。

 

 椅子に深く腰掛け、目を閉じて眠っている。

 わたしは一度だけそちらを見て、すぐ目を逸らした。

 

 本人ではない。あれは記憶だ。

 分かっている。

 

 けれど、昨日葬儀で見た人の顔が壁に収まっているのを見るのは、不思議な気分だった。

 

「魔法大臣は?」

 

「まだよ」

 

 ハーマイオニーが答えた。

 

「魔法省の人たちは下まで来てるみたいだけど」

 

「何で僕まで呼ばれたんだろうな」

 

 ロンが机の上を見回す。

 

「ハリーやマインは分かる。ハーマイオニーもまあ分かる」

 

「僕は?」

 

 トムが聞いた。

 

「そこも何だかな。闇の帝王の若い頃にあげたい遺品って何だよ」

 

「ロン、君は正直すぎるよ」

 

 ほどなくして、扉が開いた。

 

「お待たせいたしましたわ!」

 

 アンブリッジが、やけに機嫌よく入ってきた。

 黒いローブを着ているのに、胸元には小さな桃色のリボンがついている。

 

「皆さん、お揃いですわね」

 

 後ろには魔法省の職員が数人いた。大きな木箱や包みを抱えている。

 アンブリッジは机の前まで来ると、羊皮紙の束を置いた。

 

「本来であれば、遺品については魔法省で一度検査を、という意見もございましたの」

 

 ハリーの顔が険しくなった。

 

「ルーファス・スクリムジョールが強く主張なさいましてね」

 

「やっぱり」

 

 ハリーが小声で言った。

 ルーファス・スクリムジョールはバーティ・クラウチ・ジュニアがポリジュース薬で化けた姿だということをわたしたちは知っている。

 アンブリッジは、にこにこと笑った。

 

「却下いたしましたわ!」

 

「……却下したんですか?」

 

 ハーマイオニーが聞き返した。

 

「ええ!」

 

「どうして?」

 

「あのアルバス・ダンブルドアが、魔法省で検査すれば何か分かるようなやり方をするとは思えませんもの!」

 

 一理ありすぎた。

 

「一週間も二週間もかけて役人が調査した挙句、『何も分かりませんでした』では時間の無駄ですわ! そんなことに労力を割くのなら、早く渡してしまった方がいいと思いますの」

 

「信用してるのかしてないのか分からないな」

 

 ロンが呟く。

 

「魔法省の人員不足は深刻ですから、そんなことにかまってられませんのよ」

 

 アンブリッジは急に真面目な政治家の顔をして言った。

 

「それに」

 

 アンブリッジの笑顔が少しだけ柔らかくなった。

 

「アルバスは、魔法省にもいくつか遺品を残してくださいましたの」

 

「アンブリッジにも?」

 

 ハリーが聞く。

 

「ンフフ、魔法省に、ですわ」

 

 そう言いながら、明らかに嬉しそうだった。

 何をもらったのか気になる。

 でも、ここで聞いたら長くなりそうな予感がしたので黙っておいた。

 

「それでは、ここからは遺言に名前の記された方だけで結構です」

 

 アンブリッジが職員たちを振り返る。

 

「皆さん、退室を」

 

 木箱を机の横へ置き、魔法省の職員たちが出ていく。

 

 扉が閉まった。

 急に校長室が静かになった。

 

 アンブリッジが杖を振って羊皮紙を広げる。

 

「では、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア氏の遺言に従い、遺品をお渡しいたします」

 

 先生の名前は長い。

 知っていたけれど、改めて聞くととても長かった。

 

「まず」

 

 アンブリッジが箱の中から、一冊の本を取り出した。

 

 深い青色の革表紙。

 装飾はほとんどなく、表紙には小さな銀色の星が一つだけ刻まれている。

 

「『トム・ジェドゥソールに日記帳を遺贈する。君がこれから送る人生について、できるだけ多くのことを書き残してくれることを祈る』」

 

 アンブリッジが日記帳を差し出す。

 トムは警戒するように受け取り、表紙を開いた。

 

 ページをめくる。

 もう一枚。

 さらに一枚。

 

「……何も書いてない」

 

「日記帳ですもの」

 

「それくらい分かってる」

 

 アンブリッジが続けた。

 

「なお、この日記帳には特殊な拡張魔法が施されており、書き続ける限り、新しい頁が増えるそうですわ」

 

「最後の頁がないってこと?」

 

 わたしが聞く。

 

「事実上はそうなりますわね」

 

「すごい、一生書けるよ」

 

「君は時々、ものすごく無神経だね」

 

「なんで?」

 

「何でもない」

 

 トムは青い日記帳を閉じた。

 もう一度、表紙を見る。

 

「あのジジイ……」

 

 小さく吐き捨てた。

 でも、机には戻さなかった。

 膝の上へ置いたままだった。

 

「次に、ロナルド・ビリウス・ウィーズリー」

 

 アンブリッジは箱から、古びた本を取り出した。

 

「『「吟遊詩人ビードルの物語」を遺贈する。新しく書く本の参考にしてほしい』」

 

 ロンの顔が固まった。

 

「……これ?」

 

「ええ」

 

 受け取って表紙を見る。

 

「これ、子どもの頃読んだことある!」

 

「有名な本なの?」

 

 ハーマイオニーが聞く。

 

「有名どころじゃねえよ。読んだことないやつなんているのか?」

 

 その場にいた者の反応は真っ二つに分かれた。うんうんと頷くわたしとは違い、ハリーやハーマイオニーは初めて聞いたように首を傾げている。アンブリッジも読んだことあったかしらと考え込んでいた。

 

「二人が知るわけないよ。魔法族が子どもの頃よく読む本だろう? 僕は前にマインに貸してもらったけど」

 

 トムが言って、わたしは納得した。アンブリッジは「わたくしは早熟でしたのよ」と言い訳のような笑いで誤魔化した。

 

「でも、なんで今さら僕にこれなんだ?」

 

 ロンはぱらぱらとページをめくった。

 

「マインやハーマイオニーの方が喜ぶだろ」

 

「私は読んだことないから、確かに興味はあるけど」

 

 ハーマイオニーが本を覗き込む。

 ロンが彼女を見る。二人が会話するのは久しぶりのようだった。

 

「交換する?」

 

「遺品を勝手に交換しないで。それに私はまだもらってないわ」

 

「欲しそうじゃん」

 

「お二人とも、まだ終わってませんわよ」

 

 アンブリッジが笑顔のまま睨んだ。

 ロンが本を閉じた。

 

「はい」

 

「続きまして、ハーマイオニー・ジーン・グレンジャーですわね」

 

 今度は、小さな銀色の道具が出てきた。

 ライターに似ている。

 ハーマイオニーは受け取ると、指先で慎重に回した。

 

「これは……」

 

「アルバス・ダンブルドア直々に設計して作った世界に一つしかない灯消しライターですわ」

 

 ハーマイオニーが小さく蓋を開いた。

 かちり、と音がする。

 部屋のランプの一つから、光が小さな玉になって飛び出し、銀色の器具へ吸い込まれた。

 

「わあ」

 

 思わず声が出た。

 もう一度押す。

 光が元のランプへ戻った。

 

「とても素敵」

 

 ハーマイオニーは感心したように見つめたあと、首を傾げた。

 

「でも……これを私に?」

 

「そう書かれております」

 

 アンブリッジが遺言を読む。

 

「『ハーマイオニー・ジーン・グレンジャーには、わしの作った灯消しライターを。必要な時、この小さな灯りが彼女の役に立つことを願う』」

 

 ハーマイオニーはますます不思議そうな顔をした。

 

「ロン」

 

「何だよ」

 

「やっぱり逆じゃない?」

 

「だよなあ? 交換する?」

 

「ェヘンェヘン!」

 

 アンブリッジが咳払いして次の品を取り出した。

 

 クィディッチで使う小さな金色のスニッチだ。

 羽が畳まれている。

 

「『ハリー・ジェームズ・ポッターには、彼がホグワーツで初めて捕まえた金のスニッチを遺贈する。忍耐と技は報いられるものである』」

 

「……スニッチだって?」

 

 ハリーの声が明らかに低くなった。

 明らかに期待外れだったようだ。

 

 ハリーはスニッチを受け取った。

 

「先生はこれをどうしろって言ってるの?」

 

「特に説明はございませんわ」

 

「ええ……」

 

 がっかりしている。

 

「でも、スニッチには肉の記憶があるよ」

 

 わたしが言うと、全員がこちらを見た。

 

「何の記憶?」

 

 ハリーが聞く。ハーマイオニーが思い出したように続ける。

 

「そうよ。最初に触った人を覚えてるって読んだことがあるわ。クィディッチの試合で誰が先に捕まえたか揉めないようにするために」

 

 ロンが頷く。

 

「ああ、そういやそうだった」

 

 絶対知らなかったけど知っているふりをした顔だった。

 

「じゃあハリーが触ったら何か出てくるかも」

 

「もう触ってるけど」

 

「ちゃんと握ってみて」

 

 ハリーがスニッチを掌で包んだ。

 全員が見る。

 

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 

 何も起こらない。

 

「……何も出ないね」

 

 わたしが言った。

 

「出ないな」

 

 ロンも言った。

 ハリーはスニッチをポケットへ押し込んだ。

 アンブリッジが最後の羊皮紙へ目を落とす。

 

「そして最後に……」

 

 少し首を傾げた。

 

「これは少々、ほかの方とは形式が異なりますわね」

 

「わたし?」

 

「ローゼマイン・マルフォイ個人宛というよりも」

 

 嫌な予感がした。

 

「『プロングズ出版、および羽ペン通信ホグワーツ版に寄贈するため、本好きの魔女、ローゼマイン・ナルシッサ・マルフォイに託す』」

 

 アンブリッジが大きな封筒を渡してくる。

 

 ずっしり重い。

 封を切る。

 一番上の羊皮紙に、大きく題名が書かれていた。

 

『アルバス・ダンブルドア自伝 下巻 追加修正について』

 

 見なかったことにして閉じようとした。

 

「マイン?」

 

 ハーマイオニーが覗き込む。

 仕方なく開き直す。

 

『プロングズ出版 ローゼマイン・マルフォイへ

 下巻について、最後にいくつか加えておきたいことができた。わしが死んだ頃には既に編集作業がかなり進んでいることは重々承知しておるが──』

 

「待って」

 

 声が出た。

 

「どうなさいました?」

 

「下巻、一週間後に発売ですよ?!」

 

 アンブリッジは羊皮紙を確認した。

 

「そのようですわね」

 

「昨日の葬式でも、一週間後って何十人にも言っちゃったんですけど!」

 

「ご愁傷様」

 

 トムが言った。

 

 続きを読む。

 

 章の一部を加筆。

 アリアナについて数行追加。

 グリンデルバルドとの決闘について表現変更。

 巻末への追記や注釈。

 それから追加で後書きを書き直したことも書かれている。

 

「多い!」

 

 思わず机に羊皮紙を広げた。

 

「これ、一週間前に頼むことじゃない! 無理!」

 

 ロンが覗く。

 

「結構あるな」

 

「発売延期したら?」

 

 ハーマイオニーが言う。

 

「嫌!」

 

「即答?」

 

「予約してる人がいるもん! 予約してる人がいるのに、発売延期なんて大罪だよ」

 

 何より、昨日あれだけ発売日を聞かれて答えたのだ。

 ここで延期したら、わたしが嘘をついたみたいになる。

 

「先生、死ぬ直前まで原稿直してたの?」

 

「あり得そうだね」

 

 トムが冷静に言う。

 

「出版社的には最悪だよ!」

 

 ページをめくると、さらにもう一通あった。

 今度は羽ペン通信ホグワーツ版宛。

 

「まだある……」

 

 開く。

 

『羽ペン通信ホグワーツ版編集部 ローゼマイン・マルフォイへ

 ホラス・スラグホーン教授の連載「忘れられない教え子たち」を、毎回楽しみに読んでいた。

 人は教師として多くの生徒と出会うが、その中には、何年経ってもふと思い出す者がいる。

 ホラスだけに好き勝手書かせておくのも少々悔しいので、私も年単位で連載したいと思い、数人用意したので来年以降編集のうえ、掲載してほしい。なお、確認が難しい事は理解しているので、編集は好きにしていい』

 

 わたしは無言で同封されていた原稿を取り出した。原稿には数人分の原稿が用意されていた。

 

「……こんなのいつ書いたんだろう」

 

「何が?」

 

 ハリーが聞く。

 

「記事」

 

「もう完成してるの?」

 

「完成してる」

 

「じゃあ楽じゃん」

 

「でも、校正がある!」

 

「そこ?」

 

 編集者にとってはそこが大事だ。

 

「先生、死ぬ直前まで自伝直して新聞記事まで書いてる……」

 

 ロンが呆れた。

 

「仕事好きだったんだな」

 

「全部わたしに投げてるの!」

 

 さらに追伸がある。

 嫌な予感しかしない。

 

『追伸。

 魔法書研究会には、校長室および私室に残した個人蔵書のうち、ホグワーツに寄贈する予定だったものをそのまま譲ることにした。

 研究に使うもよし、読むもよし、枕にするもよし。

 好きにしてほしい』

 

 わたしの指が止まった。

 

「……先生の蔵書?」

 

 アンブリッジが頷いた。

 

「そのようですわ」

 

「ダンブルドア先生の個人蔵書?」

 

「そう書かれております」

 

 校長室を見回した。

 

 壁一面の本棚。

 古い魔法書。

 歴史書。

 魔法理論。

 

 わたしが一度も見たことのない背表紙も大量にある。

 

「全部?」

 

「他に寄贈するように指示されたものもありますので、すべてではありませんが、かなりの冊数だそうですわ」

 

 なんだ。

 それなら仕方ない。

 

「やるしかないね」

 

 ハーマイオニーが振り返った。

 

「え?」

 

「下巻、直す」

 

「さっき無理って言ってなかった?」

 

「無理とは言ってないよ。一週間後って言っただけ」

 

「同じようなものじゃない?」

 

「記事も編集する」

 

 ロンが怪訝な顔をする。

 

「急にどうした?」

 

「本をもらってしまったからには、やるしかないよ!」

 

「買収されてる!」

 

「遺贈だよ?」

 

「同じだろ!」

 

「全然違う!」

 

 わたしは手紙と原稿をまとめた。

 ほかのみんなは、いかにも意味深な遺品をもらっている。

 トムは、未来を書くための終わらない日記帳。

 ロンは『吟遊詩人ビードルの物語』。

 ハーマイオニーは灯消しライター。

 ハリーは金のスニッチ。

 

 わたしだけ。

 

「……なんでわたしの遺品だけ業務連絡なの?」

 

 口に出した。

 一瞬、誰も何も言わなかった。

 

 ロンが吹き出した。

 

「本当だ!」

 

「笑わないで!」

 

「だってマインだけ、『原稿直して、記事載せて、あと本あげる』だぞ」

 

「しかも発売一週間前に!」

 

 ハーマイオニーまで少し笑っている。

 

「すごくマインらしいと思うわ」

 

「どこが?」

 

「ダンブルドア先生が、あなたならやってくれると思っていたってことじゃない?」

 

「だったら、死なないでほしかった」

 

 誰も返事をしなかった。

 昨日だったら、その言葉だけで泣いていたかもしれない。

 

 でも今、手元には先生が残した文字がある。

 

 書き直したい文章がある。

 新聞に載せてほしい記事がある。

 読んでほしい本がある。

 

 本人はもういないのに、仕事だけは次々とわたしのところへ届く。

 

「一週間か……」

 

 原稿を抱え直した。

 

 グリンデルバルドの文章を入れるなら、その分も考える必要がある。

 やることは山ほどある。

 

「間に合わせる」

 

 アンブリッジが笑った。

 

「さすがですわね」

 

「先生にもそう言われてる気がして腹が立つ」

 

 仕方ない。

 

 本を託された。

 原稿も託された。

 

 それなら、最後まで本にするのがわたしの仕事だ。

 

 校長室を出る直前、もう一度だけ壁を見た。

 ダンブルドア先生の肖像画は眠ったままだった。

 

「本当に最後まで身勝手な方でしたわね」

 

 アンブリッジがぼそりとつぶやいた。

 

「わたくしが魔法大臣になったところをもっと見せつけて差し上げたかったですわ」

 

 肖像画の片目が少し開いたような気がした。

 

 

 

 *

 

 

 その日の午後には、わたしたちはホグワーツ特急に乗った。

 

 窓の外でホグワーツ城が遠ざかっていく。次に戻ってきた時、あそこにダンブルドア先生はいない。

 尖塔が山の向こうへ消えるまで見送ってから、わたしは鞄を開いた。

 

「よし」

 

 ダンブルドア先生の自伝下巻と追加修正原稿を、座席いっぱいに広げる。

 ハリーが嫌そうな顔をした。

 

「もうやるの?」

 

「一週間後に発売だよ?」

 

「まだ学校を出たばっかりだよ」

 

「だからまだ駅につくまで時間がある」

 

 発売一週間前に著者から大幅修正が届いた出版社に、休暇などない。

 赤いインクを取り出し、最初の頁を読む。

 

「ここ、削ろう」

 

「容赦ないね」

 

 隣からトムが覗き込んだ。

 

「ダンブルドアの遺稿を削るなんて正気か?」

 

 ロンは驚いたように言った。

 

「編集は編集だよ。同じこと二回書いてるもん」

 

 赤線を引く。

 トムは呆れたように笑い、膝の上の青い日記帳を撫でた。

 

「トムは書かないの?」

 

「何を?」

 

「今日のこと」

 

「『今日、くそジジイから終わらない日記帳を押しつけられた』って?」

 

 トムの口が悪すぎる。

 

「いいじゃん」

 

「最初の一頁としては最悪だね」

 

 向かいでは、ハーマイオニーがいつの間にか別の原稿を読んでいた。

 

「マイン。ここ、年代が合わないわ」

 

「どこ?」

 

「グリンデルバルドとの決闘。二頁前と一年ずれてる」

 

「本当だ。ありがとう!」

 

 すぐに印をつける。

 

「私、手伝うわね。誤字脱字チェックは私のがずっと得意だもの」

 

 ハーマイオニーはため息をついて、そのまま次の頁を読んだ。

 ハリーにも誤字探しを頼み、気づけばコンパートメントは小さな編集部になっていた。

 

 ロンだけはロメルダと一緒に『吟遊詩人ビードルの物語』を読んでいる。

 

「二人も手伝ってよ」

 

「僕はダンブルドアから遺された本を読んでるんだ。これも重要な仕事だろ」

 

「子どもの頃に読んだんでしょ?」

 

「今読むとちょっと違うんだよ」

 

 少し物書きらしいことを言うようになった。

 トムは羽ペン通信ホグワーツ版に寄稿された『忘れられない教え子たち』の原稿を手に取った。パドマに言って、来年の連載枠を開けてもらってある。その代わり、編集はこちらでするようにと言われていた。

 スラグホーン先生と違い、どの原稿にも誰のことを言っているのか書いていなかった。

 

「それ、誰について書いてある?」

 

 わたしが聞くと、トムは原稿を隠した。

 

「言わない」

 

「なんで?」

 

「掲載前なんだろう?」

 

 数枚読んだところで、トムの眉がわずかに寄った。

 

「……本当に、余計なことばかり覚えてるな。あの人は」

 

「トムのこと?」

 

「そうとは書いていないけど、内容としてはそうだね」

 

 当たりらしい。

 原稿を取り返そうとしたところで、コンパートメントの扉が開いた。

 ドラコだった。

 

「何をしている」

 

「編集」

 

「列車で?」

 

「一週間後に発売なのに、先生が追加の原稿を残してたから」

 

 ドラコは座席を埋め尽くす原稿を見て、額を押さえた。

 

「せめて家に着いてからやれ」

 

「着いたらグリンデルバルドさんと打ち合わせがあるし……あ」

 

 言ってから、口を閉じた。

 ドラコも動きを止めた。

 

「……そのグリンデルバルドは今朝、脱獄したと新聞に出ていたやつじゃないよな?!」

 

「昨日会ったんだよ」

 

「聞いてないぞ!」

 

「今言ったよ」

 

「ローゼマイン!」

 

 ロンが吹き出した。

 

「マインのお父さん、可哀想だな。家が消滅したと思ったら、今度はグリンデルバルドが家に来るのか」

 

「いや、闇の帝王が来ても平然とする父上ならきっと大丈夫だと思うが」

 

「マルフォイ家おっかないや」

 

 ドラコの返答にロンは少し引いていた。

 

「ただの本の打ち合わせだよ? まあ、グリンデルバルドさんもすぐヌルメンガードに帰るでしょ」

 

「それで納得する父親がいるか!」

 

 ドラコは「父上には自分で説明しろ」と言い残し、逃げるように扉を閉めた。

 

 まあ、父にはあとで話せばいい。

 今は本の方が重要だ。

 赤い羽根ペンを持ち直す。

 

 ダンブルドア先生が最後に書き足した文章を読み、削り、並べ替えていく。

 

 もう、ここを直してもいいですか。

 この文章は長すぎます。

 発売一週間前に修正を出さないでください。

 

 と本人に文句を言うことはできない。

 

 でも、先生の言葉は残っている。

 だったら、それを読者のところまで届けるのがわたしの仕事だ。

 

「今日中に修正、全部終わらせるよ」

 

「こんなギリギリまで編集作業なんてしてられないわよ。マグルの世界だったら労働基準法で問題になっているわ!」

 

 ハーマイオニーは文句を言いながら、次の原稿を手に取った。

 トムが小さく笑う。

 自伝の修正に一区切りついたところで、わたしは別の原稿の束を引き寄せた。

 羽ペン通信ホグワーツ版に遺された、ダンブルドア先生の『忘れられない教え子たち』だ。

 

「こっちも校正しないと」

「何人分あるの?」

 

 ハーマイオニーが向かいから覗き込む。

 

「七人」

「多いな」

 

 ロンが呆れた。

 

「スラグホーン先生に対抗したかったんじゃない?」

「死ぬ前に対抗心出すところか?」

 

 わたしにも分からない。

 一枚目を取った。

 原稿には、人物の名前が書かれていなかった。

 代わりに、見出しだけがある。

 

『名前を捨てた帝王』

 

「トムっぽいね」

 

 次。

 

『魔法動物狂い』

 

 その次。

 

『生き残っただけじゃない男の子』

 

「これ、ハリーじゃない?」

「僕?」

 

「後は候補多すぎて分かんないね」

「ひどくない?」

 

 本文を読めば分かるのかもしれないが、今は後回しにした。

 どの記事にも実名はない。

 ダンブルドア先生は、本人が読めば自分だと分かる程度のことを書きながら、名前だけは最後まで伏せていた。

 いかにも先生らしい。

 

「匿名で載せるつもりだったんだ」

「本人の許可を取れない人もいるんじゃない?」

 

 ハーマイオニーの言葉に、手が少し止まった。

 もう亡くなっている人。

 連絡を取れない人。

 あるいは、名前を出さない方がいい人。

 きっと色々いる。

 わたしは次の原稿をめくった。

 そこで、指が止まった。

 

『本好きの魔女』

 

 数秒、見出しだけを見つめた。

 

「……え」

「どうした?」

 

 ハリーが顔を上げる。

 答えずに、最初の一文を読んだ。

 

『彼女は少し妹に似ていた。異常なまでに本が好きだった。とても虚弱なのに、本のためだけに生きているような子だった』

 

 わたしは顔を上げた。

 

「これ、わたしだ」

 

「まだ少ししか読んでないのによく分かるな」

 

 ロンが言った。 

 

「絶対わたしだよ」

 

 わたしは最初から原稿を読んだ。

 

 

 *

 

 

 忘れられない教え子たち

 

 本好きの魔女

 

 彼女は少し妹に似ていた。異常なまでに本が好きだった。とても虚弱なのに、本のためだけに生きているような子だった。

 彼女のことを初めて知ったのは、新入生を迎える少し前にスリザリンの寮監から、今年はひどく身体の弱い生徒が一人入ってくる、と報告を受けた時だった。

 

 ホグワーツには毎年、さまざまな事情を抱えた子どもがやってくる。薬を手放せない者もいれば、満月になると特別な配慮を必要とする者もいる。だから、それ自体は珍しい話ではなかった。

 

 ただ、その報告は少々念入りだった。

 激しい運動は避けた方がいい。長時間立たせない方がいい。本を楽しそうに読んでいても、体調が悪そうなら、本人が大丈夫と言っても信用しない方がいい。

 

 入学した彼女を見た第一印象は、報告通りだった。

 小柄で、細く、どう見ても頑丈とは言い難い。

 

 ところが、その身体の中には、およそ釣り合わないほど巨大な魔力が詰まっていた。

 ある時は、生徒同士の喧嘩で大量のナメクジを出し、ナメクジと生徒ごと洗濯を始めた。

 教師を飛ばしたのも一度のことではない。

 でも、大半の教師は彼女に好意的だった。彼女は学ぶことが好きだったからだ。

 

 彼女はなによりも本が好きだった。

 

 彼女にとって本は趣味ではなかった。

 おそらく、食事や睡眠より優先順位が高い。

 

 図書室へ行くためなら体調不良を隠し、読みたい本が禁書棚にあると知れば教師を説得し、まだ世界にない本があれば、今度は自分で出版する方法を考え始める。

 

 その結果、研究会ができ、一人の冤罪を晴らした。

 新聞ができ、鼻持ちならない記者をやっつけた。

 出版社まででき、今度は闇の帝王を倒そうとしている。

 

 彼女はやがて、私にも本を書くよう勧め始めた。

 自伝を書け、と。

 

 最初は冗談だと思った。

 そうではなかった。

 最初に提示された仮題を、私は今でも覚えている。

 

『アルバス・ダンブルドア──偉大ではなかった男』

 

 私は長い人生の中で、それなりに多くの驚くべき言葉を聞いてきた。

 だが、自分の自伝の題名としてそれを提示された時には、しばらく返事ができなかった。

 

 しかし、よく考えれば、彼女らしい題名でもあった。

 彼女は権威というものに、あまり興味がない。

 校長であろうが、魔法大臣であろうが、闇の帝王であろうが、自分が面白くないと思った本については面白くないと言う。

 これは、意外に難しいことだ。

 

 多くの人間は、相手の肩書によって言葉を変える。

 彼女も最低限の礼儀は守る。

 だが、本の感想だけは別らしい。

 

 ヴォルデモートに対してさえそうだった。

 

 彼から借りた本について、「わたしには合わなかった」と言った。

 さらに、「同じ時期に読んだ本なら『薔薇色の惚れ薬は二度効く』のが面白かった」と返した。

 闇の帝王に本を借り、その感想として恋愛小説を勧め返した命知らずな生徒も、私の知る限り彼女一人である。

 おそらく今後も増えない方がよい。

 

 けれど私は、彼女のそういうところを少し羨ましく思っていたのかもしれない。

 

 私は長い間、人を見てきた。

 

 その人間が何を選ぶのか。

 何を恐れているのか。

 何を隠しているのか。

 

 先回りして考える癖がついた。

 

 時には、それが必要だった。

 時には、それによって人を傷つけた。

 

 彼女はもっと単純だった。

 

 面白い本なら読む。

 面白くない本なら、相手が誰であろうとそう言う。

 そして、面白い本を見つければ、人にも読ませる。

 

 それだけである。

 

 彼女は本で世界を救おうと考えていたわけではないだろう。

 ただ、自分が面白いと思ったものを誰かにも読ませたかった。

 

 そしてとうとう、ヴォルデモートの人生まで一冊の本になった。

 人を変えるのは、その人自身の選択だ。

 だが、一冊の本が、その選択をするための言葉を与えることはあるのだろう。

 

 自分とは違う人生を知ること。

 自分にはなかった感情を知ること。

 別の結末が存在すると知ること。

 彼女は、それを信じている。

 

 彼女がこれから何冊の本を読むのか、私は知らない。

 何冊作るのかも知らない。

 誰にどんな本を押しつけるのかも分からない。

 ただ一つだけ言える。

 

 もし、誰かが突然、本を読み心変わりするようなことがあったなら。

 その近くに、本を抱えた魔女がいなかったか、一度探してみるといい。

 たいていの場合、本好きの魔女が何かしたあとである。

 

 

 *

 

 

「マインだな」

 

 ハリーが即答した。

 

「わたしだね」

 

 窓の外では、夏の景色が流れていた。

 

 赤い羽根ペンを持ち直した。

 けれど、しばらく何も書けなかった。

 直したいところが見つからないわけではない。

 ダンブルドア先生の文章は相変わらず一文が長いし、少し回りくどいところもある。

 それでも最初の赤線を引くまで、いつもよりずっと時間がかかった。

 

「……先生」

 

 本人には、一度も呼ばれなかった。

 

 本好きの魔女。

 

 だったらせめて、この見出しだけは絶対に変えないでおきたかった。

 





次話の番外編マルフォイ家の家族会議で半純血のプリンス編完結です。
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